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    元スレ咲「誰よりも強く。それが、私が麻雀をする理由だよ」

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    801 = 265 :

    『話にはね、イントロとサビがあるのだ』

    『おうたの?』

    『そっ。わたしは何かを説明するときになるべく「たとえ話」を使うようにしてるんだ。帰納法的っていうか、実例を使って質問に答えるなら例話法とか立体論法ってやつ』

    『そこで今回は、会話を「カラオケ」にたとえて考えてみよー!』

    『おー』

    『だからね、今日はイントロとサビ』

    『サビ好きだなあ』

    『あはっ、あとでカラオケいく? ……ん? もしかして今のサビってワサビ?』

    『それはそうと前にも話した通り、多くの人は会話するときに「伝えること」ばかり考えていて、「聞くこと」を意識してないの』

    『これはカラオケにたとえると、「自分が歌うことばかり考えていて、他の人の歌を聞こうとしてない」って感じかな』

    『他の人が歌ってるとき、聞くことよりも自分が歌う曲を探すのに一生懸命になってることってない? カラオケボックスの中を冷静に観察してみると、みんな歌うことばかり考えているのがよく見えて、なかなか面白いものだね。会話するときも、これと同じ状態になっているわけだよー』

    『実は、会話ではもっとひどいことが行われてるの。他の人が歌おうとしている曲のイントロを聞いて、「あっ、この曲いいよね。わたしが歌いたい!」ってマイクをうばって歌っちゃったら、うばわれた相手はどう思うかな? 間違いなく腹を立てちゃうだろうね』

    『でも実際の会話では、こうしたことがよく起きてる。かくいうわたし自身が、マイクうばいそうになったからね!』

    『マイクとっちゃったらだめだよぉ……』

    『と、とってないとってない! だからセーフ、ギリギリセーフ』

    『……ま、まあ、とりあえずその経験をお話するよっ!』

    『わたしって結構SNSとか使うんだよね。疎遠だった人もいるんだけど、SNSとかを使って友だちと連絡を取り合うことがあるの』

    『そうしてある友だちと再会したときにね、その人が「やあ、久しぶりだね。オレさあ、この間、高尾山に登ってきたんだよ」って話しはじめたの』

    『突然だけど、咲は高尾山が「世界一の山」なのを知ってる?』

    『世界一?』

    『うん、高尾山は毎年二六〇万人以上が訪れる「年間登山者数が世界一の山」なんだって。まー、このことつい最近まで知らなかったんだけどね』

    『年間登山者数が世界一ということは、ビジネスでいうと「世界一集客している」って表現できる。「東京都下にある五九九メートルしかない小さな山が、世界一集客している」っていうのはすごくキョーミ深くない?』

    802 = 265 :

    『実はわたし中小の企業と関わりがあるんだけど、なんとなく高尾山が中小企業を応援してくれてるみたいに感じられて、すっかりうれしくなっちゃってねー』

    『この話を聞いてから「いいことを知ったぞ。どこかでこの知識を披露したいなあ」ってウズウズしてた』

    『だから、友だちが「高尾山に登った」って話を聞いて、すぐに「しってる? 高尾山って世界一の山なんだよ」ってうんちくを語りたくなっちゃった』

    『でも、そのときちょっとだけ我慢したんだ。なんでかっていうと、その友だちが高尾山に登ったっていうのがちょっと意外だったから』

    『その人は、「元祖オタク」って感じのタイプで、学生時代は文化部所属。わたしがしる限り完全なインドア派だったんだよ。そんなその人が山に登ったことに違和感を覚えて、「へー? 山登りなんかするんだ。意外だね」ってちょっと話を聞いてみることにしたの』

    『そうするとね、びっくりするような事実がその人の口から出てきた!』

    『「いやー、実はオレさあ、『山ガール』とつき合い始めたんだよ」っていうんだよ』

    『ちなみに、その友だちは独身でこれまで結婚歴もない。それどころか、今までに浮いた話を聞いたことがない。そんなその人が、こともあろうに若い山ガールとつき合いはじめたっていうんだよ。それでそのあと、その人はうれしそうに彼女のことを話しはじめた』

    『へええ』

    『ここまで聞いたらわかるようにその人がホントに話したかったのは「高尾山に登ったこと」じゃない。「山ガール」と付き合いはじめたこと」だったのだ!』

    『じゃ、じゃあ高尾山はどうでもよかったってこと?』

    『まー、どうでもよかったってわけでもないだろうけど』

    『いうなれば、「オレにも春がきた!」って曲を歌いたかったわけだねーフフ。高尾山に登ったことは、その人が歌おうとした「イントロ」だったわけだよキミ』

    『もしわたしが、高尾山に登ったってイントロを聞いて、「フフ、しってるかい? 高尾山って世界一の山なんだよ」ってうんちくを語りはじめっちゃったら、どうなってただろうね』

    『おそらく、その人の「オレにも春がきた!」って話は聞けなかったかな。これが、「イントロを聞いて、マイクをうばって歌っちゃうってこと』

    『サビになる前にマイクをとっちゃったらだめなんだね……』

    『まー、咲はとる心配なさそうだよねー』

    『……あれっ、なら今の講義意味ないんじゃ』

    『ありがとう――ちゃん! すっごくわかりやすかったよ!』

    『――ちゃんのロンシ? は明快だね。お話が上手ですごいなあ』

    『さ、咲ちゃん……』

    『う、ううぅっ、最高だよぉ……咲ちゃんみたいな子をもてておかーさんしあわせだよぉ……』

    『――ちゃんみたいなおかーさんもったことないよ?』

    『あうっ』

    『いいんだいいんだ、どーせわたしなんて……』

    『……』

    『その、えっとね。――ちゃんはおねえちゃんだよ』

    『えっ』

    『……いつもいろんなこと教えてくれて、ありがとね。おねえちゃんがとれーにんぐしてくれるおかげでわたし、自信がでてきたの』

    『まだちょっとだけだけど……照おねえちゃんと、おかーさん……ふたりが仲よくなるようにできる気がしてきたんだ』

    『だから――ありがとう。わたしをたすけてくれて、わたしと仲よくしてくれて、ありがとう』

    『わたし、――ちゃんのこと大好きだよっ』

    803 = 265 :

    三十分ほど席を外します

    804 = 265 :




     それから。淡と咲は多くのことを話した。咲が注文で頼んだラテアートの話から、インターハイの事、二人が住んでいる東京の事、学校の事、最近街中に広まっている噂の事まで話題は多岐に渡り、短い時間だが多くのやりとりが交わされる。最初はどことなくぎこちなかった会話も、いつしか小気味よく弾んで、身内を語り合うまでになっていた。

    「それでさー、たかみ先輩っていつもお茶ばっかり飲んでるの」

    「お茶、好きなんですね」

    「好きとかってレベルじゃないよ。尭深先輩のほう見るたびにお茶飲んでるし!」

    「じゃあお茶とりあげられたら困っちゃいますね」

     「それはもう間違いないね」と犯人を言い当てる名探偵ばりに得意げな顔で淡が言う。咲はくすくすと笑った。

    「弓に釣り竿にお茶……白糸台は個性的な人が多いんですね。楽しそう」

    「テルーは竜巻だからねー、いやコークスクリュー?」

    「常識的なのは私くらいしかいないなんてまったくどうかしてるよ」

     「ふーやれやれ」とでも言いたそうに呆れ顔で肩を竦める淡。するとそこに、

    誠子「一番非常識なのはオメーだろ……」

     携帯端末に目を落としたまま、低く唸るような声で誠子がつぶやく。なぜそうしているかというと、わずかに漏れ聞こえてくる音から察するに試合の趨勢を確認しているのだろう。その育児に疲れた母親のような様子から苦労、特に心労がしのばれた。

     だが強硬手段に出ることなく結果的に見過ごす形をとってくれている。少なくとも今は。咲は最初、淡と話し込む前に誠子に深謝した。協力するような態度をとっておいて淡のわがままに思える行動に加担することを。

     そして約束した。三十分以内に淡を満足させて帰らせることを。

     三十分であれば、タクシーに乗って会場を目指せばまず副将戦が始まるまでに到着するはずだ。中堅までが異常なハイペースで終わってしまえばその限りではないが、試合の情勢を確認している誠子の様子からして今現在その心配はないのだろう。

     無論、常識で考えれば有無を言わさず控室まで連れ帰るのが妥当だ。個人戦ならともかく学校単位、チーム単位で進退が懸かる団体戦で自ら不戦敗のリスクを侵すなど考えられない。

     ただ、淡もまったく周りの迷惑を考慮に入れていないわけでない。と、咲は思うのだ。確かな根拠に裏打ちされたようなものではないが、接して言葉を交わすうちに、淡の心根が邪だとも思えなくなってくる。咲としては初対面でのこと、そして今の状況もやはりこれはこれで完全には手放しに擁護できないというのもあって、苦手意識も相当にあるのだが。

    805 = 265 :

    「ふーんだ。サキと話すること認めてくれたのは感謝してるけど、あんまり調子乗らないでよね」

    誠子「そっくりそのまま返してやるよ……お前、この後で覚えとけよ。お前のやったこと、包み隠さず弘世先輩に話すからな」

    「うっ……い、いいもん。テルに守ってもらえば……」

    誠子「ああそうそう、宮永先輩にも伝えなきゃな? 宮永さんに初対面でずいぶんなことやらかしてたみたいじゃないか」

    「げえっ、なんでしってるの!」

    誠子「あっちの雀さんから聞いた」

    「ずっこい! それなし、それなし!」

     ……三十分でとても終わりそうになかったら強制的に退出させられるという話を、淡は覚えているのだろうか。

     ボサノバが店内にBGMとして流れる中で言い合う二人から咲はさりげなく視線を外し、店内に巡らせる。にぎわっていて盛況の店内。白を基調とする爽やかな内観がそうさせるのか、それなりに混み合っている割に人いきれのような暑苦しさを感じさせることもなくすっきりとしている。内装も、木のぬくもりが感じられて好印象だ。買い出しで購入したものは荷物入れバスケットに入れられているので席も窮屈にならない。

     備えつけのおしゃれな容器に入れられた角砂糖を自分のラテアートに投入しつつ、窓の方に視線を滑らせる。すぐ隣の明華、ではなくその先にいる咏を盗み見ようとしてのことだったが、

    「うん? 私になんか用かい?」

     あっさりと目が合ってしまい、慌てて視線をひっこめる。

    「い、いえっ、三尋木さんも時間大丈夫なのかなって」

    「あー大丈夫大丈夫、こんなこともあろうかとあらかじめフリーだからさ」

    「……そ、そうですか」

     爽やかなスマイルで片方の袖を振りつつモカを啜る。ある意味、淡よりもわからないのが咏だった。明華など慎ましやかに胡乱な目で見ているし、咲だってたぶん同じ心境だ。

    806 = 265 :

    「ここ、いい店っしょ。気軽に入れてオシャレな割に味も悪くない。結構掘り出しなんだー」

     確かに、良い店だと思う。カフェブームで繁華街に乱立してさながら戦国の様相を呈すこの手のカフェだが、長野出身の咲には刺激の強い都市文化だ。もちろん長野にだって比較的都会といえる街はあるものの、東京や大阪と比べれば霞んでしまう。そもそも、インドア派の咲にとってはことさら刺激が強かった。

    「いやー若い子と遊ぶのはいいねぇ、こっちも若返る気分だよ」

     そしてそれはともかく、咏の語り口は軽妙だった。急流に磨かれた岩肌のようにつるっとしたカップから口を離し、何となしに咲たちの姿を眺めてはふむふむと納得したり吟味するように浅い頷きを繰り返す。観察に徹するわけではなく、こうして会話を求められれば闊達に舌を回らせる。
     飄々として手品師めいた雰囲気があるのだ。デパートでの買い物でもみられた軽口は健在で、それらが咲の中で色濃い印象を残すなりかたち。一言で表すなら軽妙。ただ気安いというのではなくたわいないが、気がきいていて滑稽みのある言葉を放つ人。

    「あはは、そんなこというようには見えませんよ」

    「ん? どういうこと?」

    「すごく見た目が若々しいってことです。若返るまでもなく綺麗ですし」

     同時に、風貌に関しても彼女は謎めいた印象を持っていた。彼女は今年二十四歳になるかと思うが、それに反して彼女の容姿には十代の少女が持つような瑞々しさが残っている。それでいて重ねてきた齢をうかがわせる雰囲気をどことなくも漂わせていて、異国情緒にも似た不思議な魅力を作り出しているのだ。

    「……」

    「ははっ、うれしいねぇ――って、お、見とれてる?」

    「あっ、……い、いえその、知っている人にも若作りの人がいるのでどうなってるのかなぁって」

     咲が思い浮かべたのは衣のことだった。彼女の場合、若作りがすぎて幼い女の子にしか見えないけれど年齢に比べて若い容姿をしているという意味では同じだ。
     そうでない人との違いを生み出している要因が気になる。食べているものや習慣が違ったりするのだろうか。

    「なーんだ、残念」

     彼女はそう言って、落胆したような仕草をする。そして大げさに嘆息してカップに口をつける。まるで、意中の彼氏がよそ見をしてふて腐れる姿を演じるかのように。つまり、本気で機嫌を損ねたわけではないのだろう。咲の知っている若作りの人には興味を示さなかったようだった。

    807 = 265 :

    「サーキー、聞いてよセーコがー」

     一方、不毛な言い争いを繰り広げていた二人から淡が抜け出し、声をかけてくる。

    誠子「だから呼び捨てはやめろっていってるだろ……」

     そういえば呼び方が変わっている。『亦野先輩』と『セーコ』では親しみも気安さもずいぶんと違うが、どういう意味での変化だろう。誠子が呼び捨てに釘を刺しているあたり、誠子の本意ではないようだが。同時に、呼び捨てにされて怒っているようにも見えない。

    「どうしたんですか?」

    「えっとね、セーコが」

    誠子「だからやめろって。また一年の中で浮くぞ」

     ……どうやら、誠子の気遣いのようだ。

    「むうー話の腰折らないでよ。それに、あんなやつらどうだっていいし」

    誠子「またお前は……」

     誠子が渋面を作る。それは不快や苛立ちというより、心配の意味がこめられているように咲は感じた。

    「だって麻雀で勝てないから文句いうんでしょ。あいつらは気に入らないとこを探して、ただ叩きたいだけ」

     相手する時間がもったいないよ、とたかってくる蠅を見たように嫌そうな顔をする淡。声にも佇まいのひとつひとつにも、ありありと嫌悪があらわれている。よほど嫌っていることが見てとれた。

    誠子「そうはいっても三年間、付き合っていく仲間じゃないか。少しずつでも馴染んでいくしかないと思うぞ」

     ――裏を返せば、三年間で終わる付き合いということでもある。ふと咲は思った。そしてやんわりと戒める言葉を受けた淡は、聞く耳を持っていないようだった。

    「我慢して付き合うくらいなら無視でいいじゃん。どうせ三年。でも私にとっては貴重な三年なんだから、好きにやらせてよ。もうお説教はうんざり」

    誠子「……」

    「もー、セーコのせいでムダに空気重くなっちゃったしー。ねー」

     同意を求めるように咲の方を向く淡。

    「……そうですね。三年なんてすぐですから、見ないでいたらいつのまにか過ぎてるかもしれません」

     咲は思うところを率直に言った。視界の端で、誠子が意外そうな顔をしていた。特に関わりのない人の隠れた趣味を見聞きして衝撃を受けた程度に目を丸くして、困惑がちに聞き入っている。

    「だよねー! やっぱサキとは気が合うなあ、もうサキの学校に転校しちゃおっかな」

    808 = 265 :

    唐突ですがここまで

    次回はわかりませんができるだけ早いうちにこれたらきます

    810 :

    乙です
    淡ちゃん強引かわいい

    812 :

    おつ
    淡と咲は意外と合いそうだね

    813 :

    訂正が見づらい要因にその1レス丸ごと乗っけてるのが悪い気がする
    訂正個所だけ書いて安価で付ければ良いと思うよ

    814 :

    >>807

    「……そうですね。三年なんてすぐですから、見ないでいたらいつのまにか過ぎてるかもしれません」

     視界の端で誠子の意外そうな顔が目に入る。咲は思うところを率直に言った。特に関わりのない人の隠れた趣味を見聞きした程度に目を丸くした誠子が困惑がちに聞き入っている。


    こんな感じのやり方ですか?
    基本的には細かい修正を保管庫の方でやっときますね

    815 = 265 :

    ちなみに行間のスペースはどれくらいが読みやすいですか?

    816 = 265 :

    あ、後一個だけ…本っっ当にすみませんすみません!


    >>806


    「なーんだ、残念」

     彼女はそっぽを向いて座り直し落胆したようにすると、大げさに嘆息してカップに口をつける。まるで意中の彼氏がよそ見をしてふて腐れる姿を演じるように。つまり、本気で機嫌を損ねたわけではないのだろう。咲の知っている若作りの人には興味を示さなかったようだった。

    817 = 812 :

    行間スペースは今のままでいいと思う

    818 :

    正直そのレベルの変更ならわざわざここで訂正しなくてもハーメルンの保管庫に訂正して載せとくぐらいのほうがいいと思う
    本人的にはどうしても気持ち悪くて訂正したいんだろうけど

    819 :

    国際情勢の問題で明華の回想の一部を削除することにしたので補うのに少し時間をください
    次の更新は来月頭くらいにはできそうです

    820 :

    「だよねー! やっぱサキとは気が合うなあ、もうサキの学校に転校しちゃおっかな」

     他方、図らずも同調されることが続いた淡の機嫌はたちどころに回復し、いかにもその場で思いついたようなことを口にしてすっかりご機嫌だ。
     ――だからそのとき、咲は転校だなんだという話を真に受けなかった。
     それは先輩への可愛らしい反発心の発露か、もっとわかりやすく会話にメリハリをつける何かで、その場限りの冗談だと思っていたから。
     咲はこれを血液のようなものだと考えている。心臓に供給される血液が常時入れ替えられ、それによって体の健康を維持するように、この手の冗談はやりとりに緩急を生み、円滑にする。あいまいな感情を表せる。そしてコミュニケーションという体の健康を保つことで日々の暮らしは彩られるのだ。自分のものも、他の人のものも。

     こういう冗談に振り回された経験が咲には何度かあった。ただ、それで機嫌を損ねたことは一度もない。なぜだろう。先に述べたような必要の正当性から仕方ないと考えているわけではない。中学時代、麻雀をするときの雰囲気をシューベルトの曲になぞらえて魔王だと周りで連呼されていたときも、罰ゲームで自分に告白するという同級生の悪戯を受けたときも――幼いころ姉のサプライズまがいの茶目っ気に付き合わされたときも――内心にでも怒るということをした覚えがない。
     そういった咲の性質を前にすると、麻雀の際の印象で咲という人物像をイメージしていた人などは意外と『いい子』だという。しかし咲にはそれが、ちっともいいことだとは思えないのである。

     店内にゆったりとした雰囲気をつくっているボサノバの情緒的ながらも軽快なリズムの音楽とはちぐはぐな陰鬱さを秘めたその思案はひっそりと行われた。

    「ね、サキはどう?」

    「え?」

     淡から問いが投げられる。考え事にうつつを抜かしながらもただ単純にどういうことかと疑問を持った風に咲が答えられたのは偶然だった。礼を失した自らの態度を叱りつけて気を引き締めなおし、耳を傾ける。

    821 = 265 :

    「私としてはインターハイおわったら転校してもいいって感じなんだよね。テルいなくなるし、そうなったら別に白糸台じゃなくていいし」

     インターハイが終わったら、というのは国民麻雀大会や世界ジュニアなどその後を意識してのことだろうか。

    「もしかして、お……照さんと戦いたいんですか?」

    「おおっ、よくわかったね。やっぱそれなんだよ。同じ学校なのもいいけど本気で戦えないっていうのがあるんだよねー」

     わかってくれたか、とうれしそうにして続けざまに言う。

    「やっぱりこう、大会とかじゃないと本気って出せないものじゃない?」

     確かに、そういうところはある。いくら全力を意識して、たとえば何かを賭けたとしても、練習では賭けられるものなどたかが知れているし、賭けるものが大きすぎればそもそも法律にひっかかりかねない。
     他方、大会に懸けられるものは人によれど人によっては非常に大きなものになる。「練習にはスリルがない」と淡は言った。咲自身はおそらくその楽しもうとする感覚を共有できないが、理解はできた。

    「ただそれだとやっぱリンカイ? じゃサキと戦えなくなるし。個人戦は問題ないけど」

     だが、なぜ姉ではなく自分なのだろう。

    「……」

     もやもやとした感覚にさいなまれていると、

    「サキは、私がきたらどう思う?」

    「え?」

     尋ねられて心臓が跳ねた。今度はちゃんと聞いていたのだが同じ「え?」を繰り返したからか、淡はぶうっと頬をふくらませて「もう」、と注意し上目遣いにこちらを見上げた。

    「ご、ごめんなさい」

    「むー……いいけど、そんなんじゃ私を満足なんておぼつかないんだからね」

     少し不満そうにする淡からは「私、怒ってます」という訴えがダイレクトに伝わってくる。三〇分で満足させる。そう明言したからにはきっちりやってほしい。そんな心情が透けて見えた。

     こんなやりとりをするつもりはなかった。

     というのも、今まではもし機会があれば多少無理を押してでも話を合わせて帰らせ、後日に会ったら自然に謝ろう。そんな打算めいた思案をめぐらせていた。けれど。

    822 = 265 :

    「で、どうなの? 私がサキの学校いくのってどう思う?」

     咲はその質問の答えに窮した。意味が推し量れなかったのではない。自分がいくことになったら咲は、どう思うのか。そういう話。軽々とそんな話をするのはひとえに二人の学校が共に都内にあるからだろう。なぜそんなたとえ話をするのかという特に今大事とも思えない理由を考えながら――必死に嫌な可能性を頭から追い出し考えないようにして――絞り出すように答える。

    「え……っと、どっちでも」

    「えー」

     明らかに落胆した声。信じられないという顔をされる。それは、どっちでもいいという玉虫色の答えが期待にそぐわないことを表向きは軽い声色が示していた。

     「どっちでも、じゃなくてどっちか」とリスのように愛らしく頬を膨らませてせがむ淡の言葉が遠い。答えられなかった。本当に、咲としては否も応もない。淡に興味を持っているのは事実だ。けれど近しい存在になりたいかは……別だった。

     勝手に興味を持って、好感を持つのなら問題はない。そう思っていた。けれど、見誤っていたのかもしれない。面識の浅い自分にこだわる姿勢はあくまで姉に付随するもので、姉ありきのものだと思っていて。だから、その、仲がよさそうで慕っているように見える姉と並べられて話をされたら。どこまで本気で言っているか見分けがつかない。全部冗談だろうか。あくまで姉の話のついでだと考えておいていいのだろうか。わからない。

     知りたいのに、近づきたくない。その心情は矛盾していたが確かに混在している。

     そしてこの状況は、そう簡単に相手が自分に興味を抱くはずがないという思いからくる浅はかな想像が生み出したものだった。

    823 = 265 :

    「んん、これは困った……」

     ついに答えを引き出せないと悟ったのか、不満を主張するようにずっとふくらませ続けていたリスのような頬をやめ、淡は長考するように表情を固くすると、手元のグラスに浮く赤いストローを口に含み「むーっ」、これみよがしに音を立てて啜る。そうしていくらか飲み下してから口を離し、「私の麻雀しらないのかなあ」、ひとりごちるようにぼそりと呟く。しかしその頃には葛藤の念が強まっていた咲の耳にそのわずかな音を拾う注意深さは失われていた。

    誠子「残念だったな、振られて」

    「ふっ振られてないし! これから――わひゃっ!?」

    明華「あぶない」

     そのときだった。興奮して手元を疎かにした淡が立ち上がろうとしてグラスをこぼし、倒れかけたそれを明華が即座に掴みとる。

    「わ、わっ、……あれ?」

     甲高い破砕音やテーブルの上の洪水を想像したであろう身を守る姿勢で固まっていた淡の身体が動きだし、一足遅れて不思議そうな声をあげる。瞬きする鮮やかな忘れな草色の瞳は目の前で起こった事態を呑み込めず、当惑しているようだった。

    「うわっ、すげえ」

     咏の声が誉めそやす。熱心に淡を心配せずそういう意味では他人事のようであったが、事実、脊髄反射的な速度でグラスを掴みとった明華のおかげで事なきを得たものの、そうでなければ確実に倒していただろう。明華の働きは一瞬ながら舌を巻くものだった。

    「あ、ありがと……」

    明華「いえ、気にしないでください」

     反応すらできなかった咲の耳にそんなやりとりが届く。驚いた余韻をまだ残した風でありつつも淡が素直に感謝を述べ、明華も険悪な雰囲気になるのを避けてか気さくに返す。

     ただ。

    824 = 265 :

    「うわ、濡れた……」

     倒れそうになった際、激しく揺れたせいで中身の一部が跳ね、水兵服のような制服の首元から胸のあたりにかけてを点々と濡らしていた。一応、テーブルにもこぼれていたがそちらは大したことなかった。

    誠子「お前が受け止めた感じだな……拭いてもらったほうがいいぞ」

     「うん……」と、誠子の忠告にしょんぼりと返し、店員を呼ぼうとしてか淡は辺りをきょろきょろ見回す。盛況の店内。そこで、ある変化に気づく。

    「な、なんか、めちゃくちゃ混んでない……?」

     淡の困惑した声が示す通り、いつのまにやら店内は大賑わいだった。テーブル席はひとつ残らず埋まり、昼時の購買のようにごった返している。咲などは話に夢中になるあまり変化に気づかず淡同様、呆然とするばかりだ。水曜日でまだ昼時にも遠い時間なのに。

    誠子「ま、まあ、呼ぶしかないだろ。この後試合もあるし……」

     と誠子が言って慌てて店内に視線を巡らせるものの、旗色が悪い。どうしたんだろう。咲もつられて店員を探して声をかけるべく、視線のあとを追って、それからしきりに辺りを見回す。

     店員が見当たらないのだ。これだけ広やかな店内に客も大勢いる。店員が一人もホールに出ていないはずがないのだが、見当たらないのだ。

    「あ、あれー、少数精鋭なのは知ってたけどなんでこんなスタッフいないんだ……やたら客多いし……」

     しかし、焦り顔で呟く咏の声が聞こえなくなるほど探し回った結果、一人見つけた。時間に急かされたビジネスマンでもそこまでじゃないのではと思うくらい忙しなくホールとキッチンを行ったり来たりしている、スカート丈のエプロンを腰に巻いた若い少女の姿を。

     だが。

    825 = 265 :

    「お、お待たせしました! アイスモカになります!」

    「すみませーん、注文したいんですけどー」

    「はっ、はい、ただいま!」

    「このラテアートとーフローズンとー」

    「注文したのまだですかー?」

    「すぐお持ちしますっ!」

    「――お待たせしました、ご注文の」

    「あれ注文したのと違うんだけど」

    「ええっ! わ……もも申し訳ありません!」

     頭の上に乗ったベージュのハンチング帽が落ちないのが奇跡的に思えるほどせせこましく歩き回る店員が、目を回して対応に追われている。そしてバッシングしてきた大量の皿やシルバーやコップ類をトレーに乗せて運びながら厨房に向かって歩いていく途中。

    「どうしよう……どうしよう……」

    「あっ、おかわり――」

    「ああああああああっ、一人なんて無理ですよおおおおおおお!! ――あっ」

     わー、きゃー、どーん、がっしゃーん。ふざけた表現だが、まさしくそんな感じのコミカルな絵面が広がっていた。

    誠子「あー……ありゃ時間かかるぞ」

     目を覆いたくなる惨状を目にした一同から誠子が諦観したようにつぶやく。わずかな間の出来事だったが、信じられないような衝撃と悲観的な現実をもたらしていた。

    「シミが……」

    誠子「……替え、あるか?」

     淡が首を振る。誠子と淡がどんよりと会話し、依然として軽快な音楽が流れる中、咲はスカートのポケットに突っ込んだ手をぎゅっと握る。――これを渡したら、何か意味が生まれてしまうのではないかと案じていた。咲は恐怖する。人ではなく物事を疑い出したらきりがない。何度も、何度も考えて、未だに直らないこの癖が、淡との距離が一線を越えることを、今こうして逡巡していることを、拒もうとする。それは意識下を越えて無意識下の働きに達していた。

     けれど。

     淡はこの後試合を控えている。白い生地の制服にフローズンオレンジの鮮やかなシミがついた格好で、テレビ中継もされる場所に向かわせていいだろうか。人によっては小さなことと笑うかもしれない。でも。公衆の面前で女の子が身だしなみを気にする心境を咲は決して無碍にはできなかった。

     だからこれからするのは当たり前のこと。高校に上がってから触れあってきた人たちとの思い出が曇らせていた目を晴らす。そして心を決める。そうして覚悟した咲の前に、かつて抗えなかったその懸念は、どれほどの力も持たなかった。

     ごくりと唾を飲み込む。嚥下した舌の根が恐怖に屈して回らなくなってしまわないうちに、スカートの中から折り畳まれた布を抜きだして口を開く。

    826 = 265 :

    「あの、これ……使ってください」

    「え?」

     驚いたような淡の声。それもそうだろう。咲が抜きだし、淡に向けて差しだしたのはハンカチ。ただのハンカチだった。

    「使っていいの?」

    「それは、はい……使わなかったら意味ありませんし」

    「ラッキー! ハンカチ持ち歩いてるなんて女子力高いね、サキー」

     そういえば、他の人は持っていたりしなかったのだろうか。差しだすか差しださないか、自分にとっては究極の二択から解放されてようやくそんなことを考え出している咲は、鬱々とした様子など欠片も感じさせない淡がハンカチを受け取るのを見届けてから、ぐるっと他の同席者たちを見渡す。そして知ったのは、咲以外の誰もハンカチを持ち合わせていなかったということだった。






     場所は変わってカフェの化粧室。

    「しってる? トイレって、アメリカならレストルーム、イギリスならトイレットっていうんだよー」

     他の飲食店と比べて清潔に保たれていそうな感のあるそこの大理石――おそらく人工――の床に淡と向かい合わせに立って作業していた咲は、唐突に豆知識を披露する淡の言葉に作業する手を止める。

    「ならしってましたか? 人工大理石には、大理石の粉や成分は全く入ってないんですよ」

    「へー、しらなかった! 大理石ってあるのに?」

    「そうらしいです。ちなみに、私もしりませんでした」

     「じゃあ引き分けだね」、と淡がうれしそうな顔をする。咲も微笑む。

    「ずばり、サキってけっこう勝負好き?」

    「え? ……どうでしょう」

    「またまたー、やっぱサキとはなんか気が合いそうなんだよねー」

     何ら意識せず流れ作業的に歓談していた咲は、途中よくわからない質問があって動かしていた手を再び止めて思案したが、結局は曖昧に答えてお茶を濁した。

     先ほどからしている作業、というのはシミ抜きの応急処置のことで。ハンカチとティッシュと水があれば簡単にできる基本的なものだ。

    「うーん、落ちそう?」

    「フローズンオレンジはたぶん水溶性ですから……このあと、液体の洗濯洗剤と綿棒とタオルを使って本格的にやらないといけないかも」

     そう言って作業を再開しながら、一応、やり方を口頭で伝える。まず、シミの下にタオルをひき綿棒に洗濯洗剤を染み込ませたら――「うはあ」、説明が始まって早々、淡が奇妙な声をあげた。

    「覚えらんない」

    「音をあげるのが早すぎます」

     明らかに覚える気がない。咲はそう感じた。苦笑をこぼしながら「でも」、と継ぐ。

    「応急処置でもはた目に目立たないようになってきましたから、あとはお洗濯でいいかもしれません」

     「もちろん、気になるならちゃんとしたやり方で細かく汚れをとったほうがいいですよ」、と付け足しながら、どうしてかぽけっとした淡を見つめる。なんだろうか。首をかしげる。

    827 = 265 :

    「どうしましたか?」

    「ねっ、今の感じどう?」

    「ど……どう?」

    「だーかーらー」

     作業する咲の手を、向かい合っている淡の手がさっと伸びてきて掴み、強引に止める。

     リボンをといて露わになった淡の胸元。白い薄手の夏服、その汚れの部分に咲は手に持ったハンカチを当てて、その服の裏から水を含ませたティッシュで軽く叩く。そうするとハンカチに汚れが移る。両手を使ってのこの作業を咲は先ほどからしていた。そして、後は仕上げに水分をある程度とろう。そう思っていた矢先の出来事だ。

     これでは作業できない。その旨を訴えようと口を開くと同時、

    「あたってるでしょ? 胸」

     悪戯っぽく言われて、咲は顔を赤らめる。気恥ずかしいから考えないようにしてたのに。咲は内心で愚痴った。

    「確かに、時々柔らかい感触はしますけれど」

    「なんか口調変になってるよ? あははっ」

    「ふふーん、サキにはまねできないでしょー」

     暗に貧しい胸だと仄めかしてるのかな……。心中で呟く。幸運なことに咲たち以外には閑散とした化粧室の中で、淡の無邪気な声が響く。本当に悪気はないのだろう。からかうような――いや、まさしくからかわれているのだろうけど、とにかく今はさっさと作業も会話も切り上げて戻らないと。こんなところ誰かに見られるのは堪えがたい。

     けれど。

    「どう? 興奮した?」

    「あの、女同士でそんな話するのって虚しくないですか」

    「あはは、たしかに!」

     淡は話をやめる気はなさそうだ。薄い望みに見切りをつけて、作業を邪魔する手をそっと押しのけようとする。すると案外抵抗もなく離してくれたので咲は満足し、てきぱきと作業を再開し、手早く手際よく進めていく。

     応急処置の作業自体はもうほとんど終わっている。当初、のっけから雑談が差しはさまれてはいたが、咲はこれといって気にせず作業に打ち込んだ。こういった事は得意だ。

     また、このやり方になったのは、淡が服を脱ぎたくないからそのままやってくれという話だった。

    828 = 265 :

     いよいよ応急処置が終わって、片づけにとりかかる。ハンカチの汚れを移した面を内にして折り畳み、スカートのポケットにしまう。

    「はあ、サキが男だったらイチコロなのに」

     ――仮定の話は、嫌いだ。自分に限っては、いくらでも弱音をはいてしまいそうになるから。

    「よしっ、戻りますか」

     黙って聞いていると話題が変わって、陽気な調子の彼女に「はい」と肯いて歩き出す。

     しかし、淡が歩き出そうとしない。一歩、二歩と進んでそれを見てとった咲も足を止める。

     どうしたんだろう。声をかける前に先んじて淡が口を開く。

    「ふう……戻るのだるいなあ」

     「え?」と振り向いた咲からはそっぽを向いて淡が言う。

    「セーコ……亦野先輩と顔、合わせづらい」

     結構、気にしていたのだろうか。気まずそうだ。

     咲としてはあまり気遣う態度もとれず、「そうですか」とただ困ったように返す。

     亦野さんも心配しているんですよ、なんて彼女をよく知りもしない私が言うわけにはいかないし、どうしようかな……。数秒沈黙が続いた末に、「ホントはね」うんざりしたようなため息をついてから淡は切り出す。

    「私、二年にも目つけられてるんだよね。ネンコージョレツとかうるさいんだこれが」

     体育会系、麻雀をそういっていいのか迷うところだが、スポーツ的な面もあるこの部活では実際、体育会系の理屈で動いているところが少なくない。こういった部では伝統をないがしろにすることを避け、たとえば先輩と後輩に厳格な上下関係を求めることがある。

     安部公房はかつてドナルド・キーンとの対談で「(日本人は)型に当てはめないと気が済まないところがある」と語った。
     これは、いわゆる様式美、ステレオタイプの作品が好まれるのはなぜか、という問いへの答えであったし、安部公房の生きていた頃とは時代もずいぶん進んだが、それ以外にもみられるところがある、現代にも通ずる部分がある、と咲は考える。紋切り型の理屈は一種の安心感をもたらすところがあるのだ。

     ただ、こういった話は日本に限られない。

     長幼序列といって一年でも年嵩の人を敬う風習がある。韓国ではこの考えが非常に強い。韓国の人はしばしば相手の年齢を気にするが、この風習の影響が大きい。

    「上級生とも……ですか」

     これらの事から咲が導き出した結論は、安易に手を出してもかえって事態を悪化させかねないということだ。こういったことに付随する感情は非常にセンシティブな問題であり、ビジネスで政治主張や宗教の話題が基本的に好まれないように、よしんば正論であったとしても相手の感情を逆なでして事態を悪くしてしまえば目も当てられない。

     手を貸さず親身にしないことは淡と距離を置くひとつの判断だったが、咲の声は自然と重くなった。

    829 = 265 :

    「弘世先輩は実力主義的な見方も強くしておくべきだって言ったけど、テルは『そうすれば部員間で衝突が起きるし、常にケアしていかないといけない問題になる。私は先のことなんて確約できないから、協力できない』ってさ」

    「まあ、今の三年が引退する頃には転校かなー」

    「転校したとして……逃げたって言われるのはかまわないんですか?」

     反面、気負った様子のない淡に質問を投げかける。そんな咲のほうに、淡は虚空に移していた視線を向けて「ははっ」とおかしそうに笑う。

    「雑魚相手に何思われても気にならないかな。自分が認めた相手にそう思われるのはシャクだけど」

     強いんですね……うらやましい。そんな褒め言葉は胸に秘めた。

     話すか話すまいか。秘めたそれはともかく咲は思いあぐねる。

    「そういえば淡さん」

     考えて、結局話すことにした。

    「ん?」

    「臨海にきたとして……私とは仲よくしないほうがいいですよ」

     「どういうこと?」淡がいぶかって眉をひそめる。

    「同じことになりますから。そうしたほうがいいんです」

    「いや、意味わかんないし」

     はっきり説明してほしい、そう訴えるように淡は桜色のくちびるを尖らせた。

     「うーん」今度は、咲が眉をひそめる番だった。

    「……私は部内で疎まれてますから」

    「へ? あの外国の人は仲わるくないよね」

    「チームメイトくらいです。あとは大体嫌われてます」

    「ふーん……じゃ私と一緒だね」

     はっとする。――虎姫。今年の白糸台のレギュラーチーム。

    「い、いえ一緒とは……」

     誠子が副将ならチームメイトだし、姉や弘世という先輩も話した感じでは同じチームのようだった。失言だったと気づく。

    830 = 265 :

    「ぶー、なんで嫌がるの。満足させる気ある?」

     咲は沈黙する。今大体、タイムリミットの半分を過ぎたところか。困窮して平身低頭で帰ってほしいと頼む前になんとかしないとならないだろう。

     だが無理に話を合わせるやり方には抵抗がある今、ものごとを自然の流れに任せたほうがかえってうまくいくのではないか。

     ――無為自然。ハオから教わった考え方だ。

     ただ、自分の中で体よく納得するために使うのはハオに対してしのびなかった。

    「あります。ただ、うまくやり方が思いつかなくて」

    「はあ」

     聞こえよがしにため息をつかれる。

    「……ま、いいけどね。ムリに合わされたってつまんないし」

     「出よっか」、と後ろ手に結ばれていた手を離す。そしてそのまま、歩きはじめる。咲もそのあとを追う。

    「ねえ」

     先をいって背中を見せている淡から声がかかる。

    「三年がすぐっていったのは、サキの経験?」

     続けて、問いかけられる。依然として淡は前を向いて歩いている。心なしか先ほどまでよりも真剣なトーン。咲も足を止めずに考えた。

     九歳から中学に入学するまでの三年間はあっという間だった。意識的で主観的な体験に過ぎないが、それは咲にとって変わらない事実だった。

     ――なら、一年なんてもっと。

     楽しい時間は早く過ぎてしまう。大切にしないといけない。でも、いつまでもこのままでいたい。

     質問に答えずに歩く。淡のうしろをついていく。そのまま、会話が途切れた状態で二人は化粧室をあとにした。

    831 = 265 :

    ここまでならいいかな
    即日中に更新予定覆りましたけどここまでです

    832 :

    乙です
    最近更新多くて嬉しい

    833 :

    おつ
    淡 in 臨海も見てみたいな

    834 :


    女子ならハンカチぐらい持とうぜ…

    836 :

    わかりにくくなりそうなので『時間の移動』と『視点の移動』をこれから分けます。

    時間の移動は『▼』で示します
    視点の移動は『○』で示します

    最初に提示しとくべきでしたね…失敗
    混乱させたら申し訳ない
    たとえば二回戦の試合は咲の視点から外れてましたよね、そういう部分です

    837 :

    なるほど。把握

    838 :

    了解です

    839 :



    ひとめぼれというものがもし実在したとしたら、その人はどんなことを思うだろう。何もない場所で、なんでもない時に思い返して、胸が騒いで、もだえそうになって。そんな感じなのだろうか。春になると、なんとなく体調が悪いとかざわざわ感があるだとか、そうなるのは季節の変わり目に自律神経のバランスが崩れるからだ。そういうこともある。

    魂の片割れと巡り合うツインソウル、過去世のつながりを示すソウルメイト、心的な波長が合致するツインフレーム、多分に空想的な単語と想像が頭に浮かんでは消えていく。それらの単語にはいまいちぴんとくるものがない。まだ、恋とは電撃的なものだとか、恋は目で見ず心で見るだとか言われたほうがうなずける。

    マンションの広い一室で咲はひとり机に向かっていた。

    穏やかで春らしい陽気を人々に満喫させていた日も暮れ、あとにはうっすらと闇が空を覆う、夜にしては明るい外の景色と、この時間にもなれば少しばかり冷え込んだ夜気が流れ込む。それを、バルコニーへとつながる平べったい窓からちらりと覗き見て、感じとった若干の肌寒さに身体を震わせる。

    もう結構な時間、机と向き合っていた。部活を終えてからまっすぐにこの学生マンションの自分の部屋に帰り、制服をハンガーにかけ部屋着に着替えて以降、ずっとその調子だった。

    しかしそうしてやっていたこともひと段落して、綿密に立てられたカリキュラムのうち今日の分は充分に消化されたころ、咲の頭にはある懸念が浮かび上がっていた。

    840 = 265 :

    「おーい、サキいるー?」

    緊張した面持ちで考え込む咲の耳に来客をしらせるベルの音が届く。続けて、親しげにかけられるのんきな声。

    ――や、やっぱり。がらんとした部屋にその音が響いた瞬間、咲は腰を浮かせた。

    「ネ、ネリーちゃん?」

    ばたばたとあわただしく、けれどはしたない足音は極力立てずに玄関の前まで向かうと、おずおずと扉の向こうに声をかける。

    「おー、いた。今日もあがってきたいんだけどいい?」

    数瞬答えに窮した。躊躇して、でも面倒をかけている身で断るのはわるいな、と思い、提案からほどなくして扉をひらき迎え入れる。

    開け放しになった外開きの扉から、民族衣装めいた独特の衣服でなく日本風のラフな装いをしたネリーが入ってくる。

    「あ……」

    「うん?」

    ――この頃、咲は生活に別段の不足は感じていなかった。自然に望みうるものすべてが揃っていたから。

    東京に越してきたばかり。高校に入学して日も浅く、智葉との対局はすんなりかないそうにないものの都予選までまだまだ時間もチャンスもあるように思われた。それに、逆にいえば気がかりはそれくらい。

    臨海で麻雀に打ち込み、切磋琢磨し、目的へと近づくため存分に腕を磨く努力をすることで彼女の欲求のようなものはおおかた解消された。あとは一人で部屋にこもって牌譜を調べたり、気分転換に本を読んだり、音楽を聴いたり、母親の勧めで勉強したり。朝になれば学校に通ったりした。規則正しい生活。学校で臨海の生徒とわずかな会話を交わすほかは、ほとんど誰とも話をしなかった。そしてそんな生活にとくに不満を抱くこともなかった。いや、むしろそれは理想的な生活に近かった。

    しかしネリーという付き合いの浅い少女を目の前にすると、咲はそれなりに激しい心の震えのようなものを感じた。

    841 = 265 :

    「どうかした?」

    「あ、ううん。なんでも」

    ぽかんと口を開けて感じ入るような吐息を漏らした咲に対して、疑問の声をあげるネリー。咲は、すぐに手を振ってごまかす。動悸を起こしたように心拍数の上がった胸を軽く押さえ、そよぐ風に乗ってただよう、普段とは違う彼女の香りに息を吸い込みほんの一瞬鼻をふくらませる。

    「……今日もつけてる?」

    「うん、ちょっとしたくせで」

    この香りは、昼間ネリーから感じとれるような自然な匂いではなくふりかけた香水のものらしい。彼女の故郷にはスプラという伝統的な夕食会があって、彼女の場合身内の習慣の名残で夕食どきにこうして香りづけをすることがあるのだそうだ。咲はそう聞いている。日本の宴会のようなものらしい。

    後にしったことだがつける日とつけない日があって、咲にもその基準はわからないのだが、あえて聞こうとはしなかった。単に気分の問題なのかもしれない。

    「それで今日は……」

    お菓子のような甘い香気を放つネリーを玄関の内側に招き入れて扉をしめると、先ほどまでいたリビングへと並んで渡り廊下を歩きながら咲は切り出す。並んでも渡り廊下にはもう一人分ほど並んで歩く余裕があった。なのに来客用のスリッパでフローリングを歩く彼女は、内心気が気ではない相手の心境を知ってかしらずか、じゃれつくようにすり寄ってくる。そして「今日は夕飯と手紙かな」と答えた。

    「だいじょうぶ?」

    「来るって聞いてたから用意はしてあるよ。……でも、手紙?」

    朝一緒に登校するために乗った電車で聞いてはいたのだ。部活のあいだにその話が出ないまま、別々に帰ることになったから確信が持てていなかっただけで。

    「うん」見えない話に疑問を持った咲にネリーは肯くと、そばにあった咲の腕を抱え込み、早くいこうとでも促すようにひっぱって部屋の先へと導く。向こうで落ちついてから話すということだろうか。

    会って間もない、思い返してみればまだ一〇日にも満たない付き合いだというのに、ずいぶんと距離が近かった。この手のいわゆるパーソナルスペースに関して咲は敏感だ。そのはずだ。人を寄せつけないように努めていた節もある。なのに咲は、どうしてか、嫌と口にすることもなく自身でもわからないことに胸を高鳴らせた。

    842 = 265 :

    下ごしらえしておいた材料を調理し、夕食をふるまう。菜の花やタケノコなどの春野菜を使ったツナちらしに、きゅうりとわかめとしらすの酢みそあえ、スナップえんどうのごまソテー、そして麩と春雨の吸い物。「おいしかったよ、ごちそうさま!」手ぬかりなく手抜きなくつくられた食事に舌鼓を打つネリーに「おそまつさまでした」と返事をした咲が洗いものを片づけた後、キッチンと隣り合ったリビングへと戻ってくると、ソファでくつろいでいる様子のネリーが目に入る。

    自分の部屋でくつろぐ人の姿をみて、咲のうちには複雑な気持ちが生じていた。むろん自分の部屋でくつろがれていることに気分を害したとかそういうことではない。借りてきた猫のように縮こまられるよりはずっと楽だ。やりやすいし、心持ちとしても軽くなる。

    ただ、中学時代を含めて家族以外の同年代の人間を家に上げる、ましてや自分の部屋に招いたことはなかったからだろうか。送り迎えや慣れるまで何かと一緒にいてもらう面倒をかける申し訳なさから断りきれなかったとはいえ、慣れない感覚に手こずっているのと。

    姉に勝つという目的を掲げ、邁進しないといけないはずの自分が、こうして安穏とした空間にいることに茫漠とした焦りを感じているだけで。

    姉に勝利し強さを証明することは何にも勝る望みだった。それが姉の願いにかなうと思っていた。

    姉に勝てば仲をとり持つという母の言葉はあてにしていない。信用していないだとかあきらめてしまっているのとは違う。でも逆に、聞かされた当初からやめてほしいとは思っていた。咲がとれる手を尽くしても母をどうこうできそうにないのでやむを得ず断念するほかなかった。自分にできることをしよう。結果として、自分で解決すれば問題はないのだ。

    「あ、サキ?」

    自分の中で咲が折り合いをつけていると、ソファに座って足をぶらぶらさせていたネリーが歩いてくる咲の存在に気づき軽く手を上げ、声をかけた。

    843 = 265 :

    「お疲れさま。ごめんね、ゴショーバンになったうえに片づけもさせちゃって」

    歩いてきて、ネリーとちょうど真向いの椅子に座る。ダイニングテーブルを挟みソファと平行に置かれた椅子だ。

    「気にしないで。それより、難しい言葉しってるんだね」

    「勉強したの!」

    茶目っ気をきかせてえへんと胸を張るネリー。その意欲に咲の胸に感心の念が浮かんだ。そんな気持ちを表情に浮かべながら話す。

    「臨海の留学生の人たちってみんな日本語上手だよね……」

    「んー、基準あるのかな?」

    あくまで学校の学習範囲程度にしか英語をしらない咲のような日本人からすれば、とても助かることだ。咲などは、外国人を前にすると何語を話す人なんだろう、日本語で大丈夫だろうかと慌てたり身構えたりしてしまうので、思わずほっとしてしまう。

    咲は何気ないやりとりから少し様子をみて、相手が手紙――おそらく本題――について話し出す様子がないのを感じとると、

    「そういえば今日は――」

    留学生の繋がりで、今日麻雀部であった出来事のうち留学生に関係することを話す。

    少しぎこちないやりとりが続いていた明華との間に読書という共通の趣味を見つけたこと、ラーメンをつくろうとしたらポットにお湯がなくてしょんぼりしていたダヴァンのこと、他の留学生たちの割と奔放な気風にハオがたじたじしていること。

    麻雀部以外でのことは、あまり話さない。教室のほうで特筆することがないでもなかったが、たいていは通じにくい話になってしまうし、そもそも一般生徒側の話題に彼女はあまり興味がないようだと咲は感じていたから。気を遣ってくれているのかちゃんと聞いて相づちを打ってくれるのだが、そのあたりの機微を察するのは得意だった。

    普通の会話。たわいないやりとり。頻繁に話す機会を持つと内容自体はとくに変わり映えするものでもなかったが、彼女との会話に咲はどこか新鮮味を感じていた。

    中学では部に関する事務的なやりとりを除き私語を交わす相手など『クラスメイト』くらいしかいなかった。その彼女にしても、やりとりする際は重い雰囲気がどこかでちらついて、ときに、窒息してしまいそうな息苦しさを覚えることがあった。そういう意味で気負うところのほとんどない彼女との会話は気が楽だったが……。

    ――ひどい話。クラスメイトちゃんは機を見つけては積極的に声をかけてきてくれるのに。話もろくに聞かないで、うやむやにして、その場から逃げるみたいに、ううん逃げて立ち去って……。

    咲は顔色ひとつ変えずに心中で呟いた。

    844 = 265 :

    「へえ、読書?」

    麻雀部での話題で、ネリーが関心を示したのは明華との事だった。

    「たしかにもの静かなとことか読書してそうな……んー、ネリーもやってみようかな?」

    「読書のこと?」

    「うん。日本語の勉強にもなるし」

    日本語の勉強。ふと気になって質問を重ねる。

    「もう今でも上手だと思うけど、何か上達させたい理由があるの?」

    「あー、えっとね、実はそれが今日きた理由なんだ」

    ネリーはそう言って、持参した小ぶりのバッグから封筒を取り出す。

    「それって……」

    「うん。手紙なんだけど」

    それは、日本でよく見かける薄みががった茶色の封筒だ。ネリーは手にしたそれの口に指を差し込むと、中からエアメール用の封筒を半ばまで取り出して咲に示す。

    「手紙を書きたくて。ただ、話すのと違って書くのってむずかしいじゃない?」

    たしかに漢字などはまた別の難しさがあるし、あるいは手紙の作法も日本のものに則るなら難関かもしれない。咲にもなんとなく言わんとしている事は分かった。

    「日本語で手紙を?」

    「サカルトヴェロの言葉と、それを日本語にしたやつ、合わせて二枚送ろうかなって」

    エアメール、サカルトヴェロの言葉。故郷に宛てる手紙だろうか。けれど、もしそうなら日本語で書く意味はなんだろう。その理由が咲にはわからなかった。

    「ええと、ネリーちゃんの国の言葉で書かれた手紙を原稿にして、また新しく日本語のものもつくる……その手伝いをすればいいのかな?」

    思った疑問を口にすることはなかった。代わりにではないものの、齟齬が生まれてしまわないよう咲は手伝いの工程をともすれば冗長な表現で詳細に訊く。

    「そうそう! そういうわけで……頼める?」

    すると、喜色をにじませて肯定される。意図は問題なく汲みとれていたらしい。そしてここにきて、あらためて依頼される。

    845 = 265 :

    実はこうして具体的な用件で夕食を共にとったあともネリーが咲の部屋に残るのを望むのは、一〇日足らずの付き合いで初めての事だった。ネリーが夕食を相伴に預かる機会は会ってから半々ほどだった。昼の弁当を含めればもっと高い頻度で咲の食事を口にしているだろうが、それはさておき。一緒に夕食をする半々の際はとくに理由らしい理由をつけず夕食のあとも咲の部屋でしばらく過ごしていった。自分の部屋などで時間を潰してしまっていいのだろうかと咲の脳裏に心配がよぎったものの、帰った方がいいとは言えなかった。今日は理由がある。

    しかし、気のせいだろうか。座高の関係から見上げてくるネリーの無邪気そうな瞳、そこには相手が受け入れるという確信が宿っている。そんな風に咲は感じられた。

    でもすぐに思い直す。思い過ごしだろう。ともあれ、手紙の書き方と漢字くらいならよほど凝っていて難解なものでなければ力になれそうだ。そう知って咲の気持ちは浮き立った。

    「うん、私でよかったら手伝うよ」

    「けっこう長い手紙だから、時間かかりそうなんだけど……」

    咲は頭の中に時計を思い浮かべる。おそらく今七時かそれくらいだからまだ時間には余裕がある。終わらなくたって、明日以降に回せばいいのだ。相手さえよければそれもできる。実際に時計のほうに目はやらなかった。時間を気にする素振りに見えて気にさせてしまうかもしれないから。

    「大丈夫。というか、手伝わせてほしいかな。お世話になってるし」

    「ありがとう!」

    華やいだ顔でお礼を言うと、ネリーは手元のバッグからペンや何やといった手紙を書くのに必要そうなものを取り出して、小さめのダイニングテーブルに並べていく。その最中。

    846 = 265 :

    「あっ、そういえばこの前みてた魚介のパスタあったよね?」

    「レシピで?」

    「そうそう、あれ今度食べてみたいな」

    「でもあれ、イカかタコ入ってたような……」

    「試しにね?」

    「え、大丈夫なの?」

    禁じられたりしていないだろうかと咲は思ったが、「ダメなのはユダヤの人だよ」とネリーは言った。

    「イエスさんが新しく交わした契約でモーセさんの契約は旧いものになったっていうのがクリスチャンでは主流だからね。十戒は守るんだけど」

    海や川にいるものの中で、ひれやうろこのないもの。ひづめが割れていなかったり、反すうしないもの。そのタブーは多くのクリスチャンには当てはまらないらしい。

    「大斎があったからかな? 魚肉がダメな期間があるから地中海のほうじゃむしろタコやイカの料理も盛んらしいよ」

    「地中海……」

    「こっち、ええっとネリーのとこには関係ないんだけどね」

    「へええ。じゃあ今度試しにつくってみるね」

    少し新鮮味が感じられた談義に花を咲かせていると、机のうえに筆記用具やなんやが出そろい、用意が整う。

    それから手紙を書く手伝いがはじまった。ネリーが原稿を読み上げて、その内容を漢字を含む文章に咲が翻訳する。そして、四苦八苦してネリーが新たな便せんに書き直そうとする。噛み砕いて伝えようとした咲の努力の甲斐あってか、元々ネリーの漢字への理解が高かったのか、作業は遅々とするようなこともなく順調に進んだ。咲は机のうえに並べられている手紙を見比べた。筆を走らせるそれらの便せんは、可愛らしさとは無縁の無骨なもので飾り気に欠けている。咲にはそのように感じられた。

    ふと、勤しむ彼女をながめる傍ら、とりとめのない思惟が咲の中に持ち上がる。文面から伝わる違和感。硬さやよそよそしさのようなものが感じられる。これは誰に宛てたものだろう。

    頭語と結語はどうするかと尋ねた時、ネリーは『前略』と『草々』を選びとった。咲にもいまいち自信がなかったので日本郵便のサイトを参考にした。

    前略と草々であいさつは省かれ、時候の言葉さえなく締めくくられる。それでいいのだろうか。咲にはちんぷんかんぷんだった。

    847 = 265 :

    「ネリーちゃん、これ誰にあてた手紙なの?」

    身をこごめ、机にかじりつくように意識を集中させていたネリーは「うん?」と顔をあげ、左上に視線をすべらせると、宙にただよわせたそれを引き戻してきて咲の顔に合わせた。

    とくに意識していないと人の眼は、左脳を働かせるときは左上に、右脳を働かせるときは右上に、黒目の部分が寄って視線が流れがちである。右利きの人は九九パーセント、左利きの人は約三分の二が左脳に言語野を持つといわれる。

    そして、咲はとくに気にしなかったが、流れたネリーの視線は左上を向いていた。

    「……お母さんかな。どうかした?」

    「……お母さん?」

    母親があて先にしては、と咲は思った。いや、頭語と結語が前略と草々なのはまだいい。ただ、いわば三大要素となる時候の挨拶、相手の近況や安否を尋ねる、自分の近況や安否をしらせる、というもので考えたとき、ネリーの手紙はというとちょっと平淡だ。自分の近況は一応書いてあるのだが、きわめて短く、簡素に綴られている。『とくに将来を不安視させるようなこともなく安泰だ』程度の、修飾や装飾のへったくれもない文章だ。

    頻繁に手紙を交わして伝えることがなかったり、意外と近くに母親が滞在していたりするのかなと咲は思った。

    頭語と結語は、そもそも女性のプライベートな手紙なら省くか柔らかい表現を代わりに使ってもおかしくないらしいから、頭語と結語は日本の感覚でいえばおかしいものではないのだろうし、ネリーの手紙はフランクともとれる。ただ外国の感覚でいったらどうなのだろう。咲は迷う。

    手紙について何か言っていいのだろうか。外国の人との付き合いは、生まれてこの方ほとんどない。親族の人くらいだろうか。あの人たちは比較的国際色豊かだった気がする。外国の、伝統ある血筋や隆盛を誇る家からも血を採り入れて、一族の繁栄に努めるのがあの人たちの願いらしい。幼い頃、九歳のとき以来、疎遠になっているので今はどうか自信がないが、どっちにしても幼いときは勿論、今でも咲などに分かるのはごく限られた事だった。

    それはともかく。親族との付き合いも浅く、親族に限らず他者とごく限られた交流しか持ってこなかった咲は、現在に至っても異国の人間には慣れていない。だから、作法に関して口を出していいものか判断がつかない。

    848 = 265 :

    「うーん」

    思いあぐねて無難に流そうかと咲が考えていると。ネリーは書くのが大体おわったからか、作業を中断し、腕を組んで唸り声を上げた。

    「どうしたの?」

    「どうしてネリーだけこのマンションなのかなって」

    咲は首をかしげた。どういう意味だろう。

    「いやね、臨海じゃみんな学校が貸し出す物件に入るんだけどひとつの物件にはまとめないのかな?」

    「え、どうしてそれを私にきくの?」

    留学生の扱いなど学校が決めるはずだ。どことなく硬い雰囲気を纏っている。なんだか詰問されているようにも感じられた。ほのかにだが、いつもと違う雰囲気がネリーから感じられる。そんなことしらないよ。小心な気質もある咲は感覚としては涙を浮かべたくなる心境で、でもそれをぐっとこらえ、外づらはずっと平静にしていた。こうして弱さを隠すのが咲の日課である。もっぱら馬鹿らしいことのように他人の目には映るかもしれないが、腰まであった長い髪を切ったのも、どことなく悠然とした振舞いを心がけるのも、そもそもは半ばイメージでつくられた態度だった。

    「本当に、しらない?」

    いぶかしむように眉をひそめられる。納得いかなそうな声だった。なんとなく思い当たるようなことは頭の中にあったが、咲はできるだけそれを気にしないようにした。

    ええと……話題を変えようかな。でも、うまい変え方が見つからないよ……どうしよう。

    心情の一切を表に出さないまま、あれでもないこれでもない、と思いついた大して役に立ちそうもない話題を乱雑に並べ、とっかえひっかえして吟味した。

    これはどうだろう。ダメかもしれないけど……と、不安げに震える心境で咲はある話題を選びとった。

    実は、とある名門の麻雀部ではレギュラーや上位陣がなるべく寮で同室になるようになっている。

    「うーん、新道寺ってところが寮でレギュラーや上位陣の人がなるべく同室になるようになってるのはしってるけど」

    「は?」

    一瞬、息がとまった。

    849 = 265 :

    「……えっ」

    なぜか睨まれた。もしかして凄まれたのだろうか。はっきりと、いつもとは雰囲気が違うのを、少なくともその瞬間はネリーが別人のように咲には感じられた。

    「……え、ええっと」

    「ああっと、ごめんごめん、いきなり話かわったからびっくりしちゃったよもう!」

    「……そう? 怒らせちゃったらごめんね」

    「だいじょうぶ。びっくりしただけだよ」

    「よかったよ」

    おうむ返しにきつく睨まれた直後、その瞬間がのど元を過ぎればすでに空気は戻り、つい驚いただけなのだとフォローされたこともあって、咲は胸を撫でおろす。実際にその仕草を無意識にとりつつ、ややあって少し緩んだ表情に気づいてはっと直す。おそらく自然にできたように咲は思った。

    「ふーん。それで、シンドウジ? ってとこはなるべく同室になってるの?」

    ネリーの様子はすっかり元通りだ。さっきのやりとりの後だと少し違和感というか、いたたまれないものを咲は感じたがそれは表情に出さず、「うーん」と考える風にして適度な間をつくる。

    「留学生は……たぶんいなくて、部の中心メンバーがってことなんだろうけど」

    「へー、みんな同じ部屋なのかな?」

    「ペアとかで決まるんだったらネリーちゃんと私みたいだね」

    「たしかにそうだね!」

    元気のいい返事をするネリー。そうしてから、その顔がほのかな疑問を持った風に思案するものになる。

    「あ、そういえばそんなことよくしってるね? それってサキの地元……ええっと長野? の高校だったり?」

    少し、考える。そうしてから、気まずい雰囲気にならないよう話題を続かせることを優先して咲は口を開く。

    「高校の進学先決めるときに誘われたことあるんだ。すぐ断ったけどね」

    「やっぱり臨海にいきたかったから?」

    少しばかりの苦笑を浮かべて話すと訳知り顔でニヤっとするネリー。知っている風なのは臨海こそ新道寺に勝るとも劣らない強豪だというだけではなく、彼女の茶目っ気なのだろう。心中でそれを理解してから、ネリーの整った小さな鼻のあたりを見つめつつ、再び咲は「うーん」と悩んで唸った。話したくないこと、話してもいいこと、それらをきっちりと整理して、間違えないようにしておきたかったから。

    それをするのはいい。まったく問題ないというか、そうしないと困るし、知られたくないことがたくさん、ありすぎていつも話題がそっちにいかないか、いったらどうやって流したりうやむやにしようか。そればかりを考えているときもあった。

    けれど、話題の向きはそこまで深刻ではない。少なくともほとんどの話は当たり障りない話でごまかせると思ったし、事実、ここ一週間とちょっと話したくらいでは、頻繁に会う機会、話す機会があったネリーでさえ話す内容に困ることはなかった。大体、そこまで深く踏み込んでくる人などそういない。実際そうされたことはなかったし、フレンドリーなネリーとてそれは同じだった。いやがるような話になると話を流してくれる。

    850 = 265 :

    ここまで
    風邪ひいた…冬なるといつもきついのくるな…
    回想途中ですがここ書くの慎重にやりたいので体調良くなるまでちょっと時間ください


    ややこしいのでちょっと補足させてもらうと

    >>45>>46(高校一年四月、初登校の翌日)

    >>47(五月の祝日、ゴールデンウィーク開始前日。2050年説でやってますが五月の祝日は現代基準でお願いします。>>47の『明日』、>>49からが『祝日』と表現してあります)

    >>390~(座談会での回想、これも>>46>>47の間)

    ・咲が『姉に勝ったら仲をとり持つ約束』の話をしたのは相手が智葉だからです


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