元スレ咲「誰よりも強く。それが、私が麻雀をする理由だよ」
SS+覧 / PC版 /みんなの評価 : ★★
851 :
乙
お大事に
852 :
乙
風邪お大事に
853 :
乙 俺も咲ちゃんの手料理食べたい
854 :
おつおつ
更新嬉しいけどあんまり無理せんようにね~
855 :
けれど、話題の向きはそこまで深刻ではない。少なくともほとんどの話は当たり障りない話でごまかせると思ったし、事実、ここ一週間とちょっと話したくらいでは、頻繁に接する機会があったネリーでさえ話す内容に困ることはなかった。大体、そこまで深く踏み込んでくる人などそういない。実際そうされたことはなかったし、フレンドリーなネリーとてそれは同じだった。いやがるような話になると話を流してくれる。
考えを固めた咲が口を開く。
「……そうだね。臨海がよかったから」
臨海の方が、勝ち残れる確率がより高いと思ったから。
「ふふん、このわたし様もいるんだから当然だねー」
冗談めかしたネリーの言葉にくすくすとした笑いが咲からこぼれる。確かに、臨海を選んでよかったのかもしれない、と思っていた。
――先鋒の座も打ち方の自由も、新道寺でなら保証されていたけど……この学校で、やっていきたいという思いも芽生えたから。
『――――あなたも、本がお好きですか?』
『――本を楽しむのは一人でもできます。誰を傷つけることもありません。誰を怒らせなくてもよくて、誰を悲しませなくてもいい。本を読むことは、私が心から好きだといえる、たったひとつのことです』
『――――――本を読むのは一人でもできます。でも……二人だからこそ見つけられる愉しみも、私はあると思うんです』
先日交わしたやりとりを反すうしながら咲が微笑みを浮かべていると、どうしてかじっとりとした目線がネリーから送られてきていた。
856 = 265 :
「今、だれ思いうかべた?」
不満そうな声。目が据わっている。
「くそー! ネリーがサキに先……サキに目をつけたんだからねー!」
「な、何の話……」
「――はっ」
ネリーがはっとする。
「今のオフレコね?」
「は?」
今度は咲が言う番だった。といっても、咲の場合は純粋に不思議そうにしただけだが。
「ふー……仕事したら小腹すいちゃった。これはカレーメ○だね!」
口止めするディレクター的な仕事だったんだろうかと咲が小首をかしげていると、ネリーはいきなり「やったぁーー!!ジャスティス!!!」とへんてこなポーズをつけて叫びだす。
「じゃ……ジャス?」
「もー、サキしらないの。日本人なのにだめだなー」
「???」と辺り一面に疑問符を乱舞させる咲だが、ネリーは立ち上がって謎の小躍りをしている。楽しそうだからそっとしておこう……なんだか可愛らしいので目を白黒させながらも咲は見守る。
そうすると、夜になり失せた穏やかな春の陽気が戻ってきた気がした。
彼女には独特の雰囲気がある。おもちゃ箱を開いたらオルゴールの音色が聴こえてくるような――――それは、空気をたちどころに変えてしまう。
857 = 265 :
「今度、カレーメ○ごちそうしてあげるね!」
ネリーの言っているそれが何なのか、さっぱり見当はつかない。しかし咲は、「うん。ありがとう」と本心からの喜びを込めて応えた。
「うわっ、とっと」
――そのときだった。立ちくらみを起こしたようにネリーの足がもつれる。その動きが、瞬間的に嫌なイメージを思い起こさせ、脳裏にはっきりとした映像を蘇らせる。
「だっ、大丈夫?」
カーペット以外とくに何もない場所でふらりとよろめいたネリーに椅子から立ち上がり、近寄っていく。「だいじょうぶ、だいじょうぶ」。症状を根拠なく予断する患者のような物言いだったのでかまわず手をとって様子を調べる。「大げさだよー」別段問題なさそうだったので、ネリーの声に従って手を離す。二人とも立ち上がった状態で、向かい合ったまま互いを眺めている。ふと、先ほどまでの自分が過剰に心配する様子をしていなかっただろうかと気にしながら、くりくりとした目を瞬かせて不思議そうにするネリーからゆっくりと視線をそらしていった。
その先は彼女が来るまで勉強に勤しんでいた机のほうだ。母が昔、日頃から自分に言いつけていたことを思い返す。軽挙妄動は慎まなければならない。その通り、なのだろう。つい先日も同様の事を母から念押しされたな、と考えながら、どきどきしている心臓の調べに気を落ち着かせようと試みる。大丈夫だ、問題ない。そこで、今まさに明らかに不自然な挙動をしているなと気づき、ネリーへと視線を戻す。
「……サキ? だいじょうぶ?」
顔を曇らせた彼女に「大丈夫。心配ないよ」と返す。声は震えなかった。
心配してくれている……んだろうな。『クラスメイト』や母、夢の中での姉、誰かに心配させてばかりだと分析しながら自分にきつく言い聞かせようとする。だが、怒りはわかなかった。自己嫌悪もない。――それは、自己嫌悪に陥る者の傾向からすれば不自然ではなかったかもしれないが、もし咲がその傾向を知っていても恥じ入る気持ちは消えなかったろう。恥だと思う心と怒りや嫌悪を抱く心、この二つは咲の中で分別され、違う意味合いを帯びている――。
「はー、びっくりした! 心配するサキのほうがよっぽどあぶなっかしいよ」
「あ、あはは。なんか動転しちゃったみたい」
笑い話にするように冗談めかして笑うと、「なにそれっ」とネリーはおかしそうにする。
――密着するような態勢にならなくてよかった。まだ、どきどきしてる……これはどっちなんだろう。
自身の落ち着かない心臓の鼓動が、果たして何に由来するものなのか。
858 = 265 :
「――ん?」
思案をめぐらせながら自問していると、ネリーが俄に声をあげる。見てみると、彼女の瞳は自分を映しているように見えて通り抜けている。そんな気がした。どこを見ているんだろう。思考を打ち切って視線の行方を追ってみると、それは自分を通り越して後方、戸棚のあたりに向かっているようだった。
「あそこ……あれ、オルゴール? ……あそこらへんに前からあったっけ」
「――えっ」
慌てて振り向く。ガラスで中のものが透けて見えるその戸棚には確かに昨晩まで置いていなかったオルゴールが雑多な収納物にまぎれ、中ほどにしまわれていた。その位置は、立っていれば自身の身長のちょうど腰あたりに来る高さだ。
「あっ……」
失態を認識し、不意を突かれた自分の喉から声が漏れる。忘れていた。今朝、学校に行く前ふと聴きたくなって音色を鑑賞してからばたばたして急いで安全な場所にしまい込んでから、そのままになってしまっていたのだ。人目につかないようにという意味合いも含めて厳重に保管しておく必要があったのに。
マドロナのコブ材で作られた、曲線形のフォルムのオルゴール。いつもならあの宝物のことを忘れるなんてあり得ない。そのはずなのに。
「……これって」
泡を食いながら視線を移すと、一方のネリーはこちらを気にする様子もなく。戸棚のほうへと歩いていく。ゆっくりとした歩みで、茶色いフローリングを踏みしめて。
その瞬間――いやそれよりも以前から、二人の間に何か溝が生まれてしまったかのような感覚が胸のうちにあった。まるで得体のしれないものが澱んだかのような。ぶるりと身を震わせる。呆然と眺めた先には、一〇日にも満たないこのわずかな期間いつも見てきたものとは真逆の、つめたい血の通ったかんばせ。
「リュージュ社の、オルゴール?」
戸棚の前までたどり着いた彼女は断りもなくそれを開き、中に入っているオルゴールを見つめる。その声は、名状しがたい色に震えていた。ガラスの覆いがとり払われたオルゴールは彼女がつぶやいた言葉の通り、世界的に有名なオルゴール会社によるものだ。丸みを帯びたそれを飾り立てる花模様と、その――白い百合の模様を縁どる筋。はた目にもその高い質をうかがわせる上品な仕上がりをしているそれは、かけがえのない宝物だった。自分の宝物だ。なのに。
859 = 265 :
「ネリーちゃん?」
オルゴールを見つめる彼女の表情は筆舌に尽くしがたかった。普段の人懐こそうな印象はなりを潜め、彼女と自分、二人を明確に区分する境界が生じているかのように。まるで紺碧のうさぎと遭遇したような――そんな面持ちで、呼びかけた声に反応する様子もなく。一心に見つめ続けている。
それから、長い沈黙のとばりが落ちる。話しかけられるのを拒むような雰囲気で黙り込む彼女に再び声をかけることもできず、静まりかえる部屋でただ沈黙を守って立ち尽くす。時間がひき伸ばされるような感覚を受けた。つい先ほどまで談笑していたのが信じられないほどの急激な空気の変化が鈍い衝撃となり、頭の中でずっと反響していた。
「ごめん。今日は帰るね」
ふいに、ひどく乾いた声で、彼女は静寂を破った。
「えっ?」
「……ごめんね、用事思いだしちゃった!」
言い直した言葉にはいつものはつらつとした元気が宿っている。どうなっているんだろう。まるで事態が呑み込めなかった。
あっけにとられるこちらを尻目に、せっせと荷物をまとめあげて、彼女は……ネリーは部屋をあとにしていく。
「じゃあまた明日、朝迎えにいくから!」とだけ言い残して。とり残された咲は、やっとの思いでうなずいて、しかし未だ困惑から立ち直れずにしばらくその場にたたずんだ。
860 = 265 :
「――宮永さん。はいプリント」
翌日。白昼の教室で前のクラスメートから順繰りに回ってきたプリントを手渡される。
「ありがとうございます」
外向けの硬い声で感謝を伝え、そのプリントを受けとる。
「もう、敬語じゃなくていいんだけど?」
すると、同級生相手にしてはかしこまった言葉遣いを指摘されて、咲の顔に苦笑が浮かぶ。
「こうするのがくせなので。気にしないでください」
「はあ……同級なのに?」
「同級でも、です」
強調して言い返すとあきらめたようで、「そっか」と愛想笑いをくれて首を戻し前を向く。そのクラスメートはあきれた風でもあった。
咲は、そのことを気に留めずプリントに視線を落とす。内容は別段気にする必要のない事務的な連絡事項だった。そう判断して教室内の多くの生徒がそうするように前を向く。
「はい、それじゃあ今日の授業はここまで。チャイムが鳴ったら昼メシにしていいぞー」
四時限目の担当だった現代社会の教師の投げやりな声で告げられた指示に教室内が俄に活気づき、皆堰を切ったように思い思いに私語を交わし始める。そんな周りの生徒を冷静そうに眺める咲も、実は解放感を覚えてわずかに浮足立っていた。
やがてチャイムも鳴り、教室の人込みも食堂や購買などを目指して散り散りになっていく中、我先にとごった返すところに割り込むのも気が引け、弁当箱を入れた包みだけ机の上に出して機をはかっていた咲は、「そろそろいいかな……」とごちて、大分と空いてきた出入り口を目に椅子からおもむろに立ち上がる。そのときだった。
861 = 265 :
「おー、宮永。ちょっといいか?」
「はい?」
教壇で日誌か何かをつけていた現代社会の教師がいつのまにか咲の近くにまで歩いてきていて、唐突に話しかけられる。
「あの……」
「ああいやいや、何か言いつけようとか叱ろうってんじゃない。警戒しないでくれ」
自分はそんなに警戒した風だっただろうか。もろ手を軽く上げて降参したようにするその教師に、咲は両端を持ち上げるようにして弁当箱の包みを手のひらに乗せたまま、目をしばたたかせた。
「それでご用は……」
「うん、まあ褒めにきたんだよ。感心したんでな」
「感心、ですか?」
要領を得ない咲の返答に「ああ」と教師はうなずくと、
「まあセンターの科目に現代社会を選ぶやつはあんまりいないからな。受験科目に採用している大学もほとんどない。たいてい、日本史か世界史になってくる」
続けてそう説明し、眉尻を下げる。
「日本の高校生で現代社会に注力して勉強する学生は少ないってことだ」
なんとなく、話が見えてきたので口を開く。
「経済学に興味があるならきちんと勉強したほうがいいですよね」
「そう! そうなんだよ!」
話に理解を示してくれたのがよほどうれしかったのか、教師は教材を抱えて両手が塞がった状態で身振り手振りして喜ぶ。予想以上だった。
「現代社会は経済学の基礎であるミクロ経済学とマクロ経済学を扱っているからな……重要な科目なんだよ」
科目でいうなら政治・経済もあるがあえて言わず、そうですねという意味を込めてこくんとうなずく。
「それなのに経済学部の受験科目ですらほとんどの大学が日本史か世界史を採用するもんだから……皆ちゃんとやらない。定期試験なんかのために勉強したとしても、右から左に忘れておわりさ」
「経済学部の受験科目として現代社会の方がふさわしいっていうのにな……」と、教師は皮肉げな笑みを自嘲ぎみにこぼす。
862 = 265 :
「その点、お前はなかなか見どころがあるぞ宮永。授業を受けていれば知っていると思うが、おれは担当する生徒たちから定期的にノートを提出してもらってそれを細かく見てる。そこでだ」
教師はそういって言葉を継ぐと、
「おれの一〇年の教師人生から言って、宮永、お前の学習意欲はぴかいちだ。理解も問題ない」
真剣な顔を少しだけ近づけながら言ってくる。ただ、そう褒められてもいまいちぴんとこない。そもそも、入学からまだ一〇日ほどで――事前の春期講習を含めれば数週間ほどにはなるが――そこまで、わかるものだろうか。
しかし疑問は口にせず代わりに嘘ではない思ったことを言葉にして返す。
「そう言ってもらえるとうれしいです。でも、私の場合はそれこそ、経済学を勉強していこうと思っているからで」
「ほう、そうなのか?」
「はい。それも母に勧められてやっているだけですよ」
教師は「ふむ」と咀嚼するように首肯して少しの間思案げにしたが、
「充分だと思うがな。親御さんの言いつけといっても、やる気のないやつはダメさ。多少あったところで嫌々じゃ効果もたかが知れてる」
「その点、お前のノートからは必死に勉強しようって『意思』が伝わってくる。いやな、感心したんだよ。本当に」
依然として手放しに称賛し、『意思』という言葉にアクセントまでつけてくるのを耳にしていると、流石に気が引けてくる。
「そんな立派なものじゃ……」
別にわざわざ否定する必要はなくて、早く会話を切り上げてもいいのに。どうにかして過大評価を改めてもらいたい。そんな気持ちが奥底にわきあがって言い返すと、教師は思いもよらないことを言い出す。
「謙遜しなくていい。いや……どっちっていうとそれは卑下だと思うぞ」
「ひ、卑下……ですか?」
それは、大げさすぎるのではないかと思った。単なるノートの話がそんな広がりを見せてもはや戸惑いが顔を出す。
けれど教師はどうやらそうは思っていないようで、真面目な顔つきで見つめてきている。
周りの目だってある。こうして話し込む間にも少なくない視線を感じ縮こまりそうになるのを我慢して、戸惑い以外の平静をとり繕う。
863 = 265 :
「うん、言おうか迷ってたんだがな……」
にもかかわらず、好奇の視線を意に介した様子もなく教師は話を続ける。
「もっと力を抜いていってもいいんじゃないかと思うんだ」
「力……?」
「ああ、力……肩の力だ」
そう結論づけた教師が肯く。
「宮永のノートを見ていて思った。気負いすぎてる。なんていうのかな……教えられたことを一言一句たがわず覚えようって躍起になってる感じだ」
「そりゃ力を入れなきゃいけない期間ならそうしてもいい、むしろそのくらいの意気込みはあって悪いもんじゃない」
「だがな、そんな全力は長期的に見て長く続くもんじゃない。どんな陸上選手でも全力疾走をいつまでも続けられるやつはいない。構造的に不可能だからだ」
勉学に対する意識の集中と、人体の脚部を使った疾走を同列に考えていいのか。素朴な疑問は口にしなかった。類推的帰納法の危険性は、日本経済が昭和恐慌に見舞われたことで、経済再生は屈伸運動と似ているという理由から、両者を同列に論ずることは極めて危険であることを物語っているように、周知の事実だ。だが、国民に対して政府が屈伸運動のたとえを用いたのは国民の理解を得るための便宜上の説明であったろうから、それと同じで、目の前の教師も説得するためにそういったわかりやすいたとえを持ち出したのだろう、と納得する。
そこにあるのは、きっと純粋に生徒を心配する気持ち。敬意を抱くべきまぶしい感情。
だから、今自分がすべきことは反発することや疑問を呈することではなく、
「――ありがとうございます」
感謝。誠意をこめたお礼を、慇懃に頭を下げて伝えることだった。
その姿勢で、しばし動きを止める。そして充分に時間が経過してから、頭を上げて柔和な微笑みを浮かべながら告げる。
「肩の力を抜く……たしかに、力みすぎていたかもしれません。むやみに続けていれば息切れしてしまう……そのことを、しっかりと心にとどめて勉強に励むことにします」
――人間らしい生活を投げ捨てる覚悟で臨まなければ、たどり着けない境地がある。本心では、そう思っている。けれど本心はどうあろうと、そんな精神論は、この場で唱えるべきではないと思ったから。
目の前の様子をうかがってみると、鳩が豆鉄砲を食ったような教師の顔が目に入る。
悠然とした態度を心がけながら笑いかけてみる。すると、教師はますます当惑を深めたような顔をした。
864 = 265 :
「……あの?」
心配になって話しかけてみると、
「あ、ああ……そうか。わかってくれたならよかった、うん」
若干の歯切れの悪さと共に、返事が返ってくる。教師は左手を首のあたりに当てながら、思い悩む風にして、しかし考えを打ち切ったのか、すぐに視線をこちらに合わせて口を開く。
「時間をとらせて悪かったな。昼メシだったろう?」
「いえ。今からでも充分間に合いますから」
お礼の言葉も改めて伝えると、世間話もそこそこに二言三言交わしてから、別れることになってその教師は教室の出口へと立ち去っていく。
その後ろ姿を見送ってから、何となしに漠然とした視線を周囲に向ける。
視線は合ったそばから逸らされた。そして、ひそひそと噂するような声。どうしてだろう。自分を眺めたり盗み見したりする生徒たちのまなざしには、怯えや得体のしれないものに対するような色が宿っている。
それは、それらの目は、中学でも経験したものと同じ――どうしてそんな目で私を見るの――まったく同じものだった。
いたたまれなくなって教室を急ぎあとにする。内心は表にださない。押し隠す。そしてそれはうまくいった。
退室する直前、胸の奥にたまった息苦しさをすぼめた唇から漏れる物憂げな吐息に変えて扉の向こうへと踏みだした。
865 = 265 :
風邪が大体治ったので推敲した分をここまで
咳だけしつこいのでマスクが手離せませんが…文章はちゃんとできてるはず?自覚なくて明らかにヤベエコイツって感じだったら教えてください
それはそうとネリーの回想は序破急つける感じで長めになるので先に伝えときます
今回は報告代わりの少なめだったので次は長めに溜めてきます
最後になりましたがご心配おかけしました、いつもありがとうございます
866 :
乙
ネリー可愛い
867 :
おつ
体調良くなったようで何より
続き楽しみにしてるよ
870 :
お礼の言葉も改めて伝えると、世間話もそこそこに二言三言交わしてから、別れることになってその教師は教室の出口へと立ち去っていく。
その後ろ姿を見送ってから、何となしに漠然とした視線を周囲に向ける。
視線は合ったそばから逸らされた。そして、ひそひそと噂するような声。どうしてだろう。遠巻きに自分を眺めたり盗み見したりする生徒たちのまなざし。そこには、怯えや得体のしれないものに対するような色が宿っている。
それは、それらの目は、中学でも経験したものと同じ――どうしてそんな目で私を見るの――まったく同じものだった。
いたたまれなくなって急ぎ教室をあとにする。内心は表にださない。押し隠す。そしてそれはうまくいった。
退室する直前、胸の奥にたまった息苦しさをすぼめた唇から漏れる物憂げな吐息に変えて扉の向こうへと踏みだした。
青空に羊雲が群れていた。陽射しは穏やかで、渡り廊下を歩いている咲の顔をぬくぬくと照らす。
麻雀部の部室を目指していた。そのために、校舎から一度出て部室棟へ。部室で昼食をとろうと考えていた。日中ネリーが過ごすことの多いその一角で昼の休憩を過ごすのがルーティンとなりつつある。
道すがら、中庭を横切って走る渡り廊下から見える中庭の風景に目を止める。どきりとした。
見上げるような桜の木のふもとに、亜麻色の髪をした少女が背中を預けている。
明華だ。目を瞑って、何かに耳を澄ますようにその場に佇んでいる。不意の遭遇に咲の足が止まる。
871 = 265 :
「奇遇ですね」
瞑目した状態でどのように察したのかちょうど目を開くと、明華はすぐに話しかけてくる。
「こんにちは」
先ほど教室で向けられた目の余韻が残りぼうっと歩いていたが自然に返せた。内心ほっとしながら、渡り廊下越しに向き合うことになった明華を見据える。
彼女は桜の木に背を預けたままだ。林立した沢山の桜がその花弁を舞い散らす中、そうしている姿は一枚の絵画のようだった。
「こんにちは。これからお昼ごはんですか?」
挨拶が返され、質問される。
「はい。そちらはもう済ませましたか?」
「ええ。今日はさっぱり済ませました」
ざっと見渡すと、中庭には昼食をとる生徒たちがベンチなどに見かけられた。その数はまばらだが所々でにぎやかな雰囲気を醸している。すぐに視線を戻す。明華は、咲の手にある弁当箱に目を止めると尋ねてくる。
「咲さんはここで?」
「いえ、部室で食べようかと思っています」
「そういえばあちらは部室棟でしたね」
咲の行く先に視線を流して、また咲の方に。いつものように微笑みを携える彼女の瞳が咲をとらえる。
ロケーションを楽しんでいたのだろう。あまり長話するのも悪いと思って、それじゃあまた、と咲が口を開きかけると。
「よかったら、少しお話しませんか?」
「そ、……お話、ですか?」
機先を制されて、口ごもる。動揺はそれほどではない。今日にも放課後の部室で顔を合わせるだろうに、少し不思議に思っただけ。
「はい」
とくに表情のない目をした彼女が肯く。
「何を、というほどじゃありませんが、強いていうならこの風景……景色についてでしょうか」
フランスには日本に近い四季があるという。日本に比べると湿気が少なくからっとして、穏やかな気候をしているそうだが、この景色は彼女にはめずらしいのだろうか。視界に映る鮮麗な景色に、思いをめぐらせて咲は口を開く。
「桜は、お好きですか」
「はい。この小さな花びらが吹雪くように乱れ舞う姿はとてもうつくしい。いつまでも見ていたい……そんな気持ちになります」
答えた彼女の瞳が見つめてくる。あなたはどうかと尋ねるように。
「……私も好きです。満開に咲き乱れる桜を見ていると、言いがたい感慨に駆られます……胸の奥底からこみ上げてくるような」
「よかった。同じように感じられて」
柔らかな笑みを浮かべた彼女はそのまま言う。
「そろそろ教室に戻ります。次の授業は移動教室なので」
別れを告げる言葉。随分と早い雑談の幕切れだった。理由はもっともなもので疑る余地もないように思えたが、だとすれば明華は何を思って会話を持ちかけたのだろう。桜の話に共感を示してほしかった、とかだろうか。
「また、部室で」とおそらく放課後に顔を合わせることを考えながら咲は肯き、去っていく明華の後ろ姿を見送る。段々小さくなっていくその姿を追う。彼女の歩き方は頭が上下したり正中線がぶれることなく、堂に入っていた。
後ろ姿を最後まで見届けることなく部室棟への歩みを再開し、内心秘めていた緊張を吐き出すように咲はため息をひとつこぼした。
872 = 265 :
○
昼食どきの校舎内はそこかしこで混雑していた。といっても、足の踏み場もないというほどのところは購買や食堂の食券売り場くらいで、今咲がいるような部活棟へとつながる廊下などは比較的空いていて歩きやすかった。
リノリウムの床。足音を鳴らして歩いていく。遠くから聞こえてくるさざめきのような喧騒。
歩調は遅くもなく早くもなく。廊下の両端を教室の扉と窓とが規則的に立ち並び、窓の外には中庭の光景が広がる校舎の一角を、平常な心境で咲は歩いていく。
部室までもうすぐだ。人気がぱったりと途切れている様子に軽い幸運を感じながら最後の角を曲がる。
「おう」
「ひゃっ……」
曲がった瞬間、誰かの顔が至近距離に映し出されて咲の口から悲鳴が漏れかける。
「っ……辻垣内、さん」
突如として目の前にあらわれたのは辻垣内智葉、咲が越えるべき相手だった。
彼女は、立ちはだかるようにして今も咲と向かい合わせになっている。距離が近い。どちらかの身体が少しでも動けば相手の身体に触れそうなほどだ。
心臓に悪い登場をされて、また過剰に近い距離にいる誰かの存在に内心びくびくとしながら、咲は侮られないために虚勢を張る。まなこを鋭くして声や表情もなるべく毅然と。実際はた目にもそう見えた。
「ああ、驚かせたか。悪いな急いでたんだ」
「……いえ。ちょっと驚いただけですから」
先ほどの明華ではないが奇遇だと咲は思っていた。
「……あの、いかないんですか?」
ただ、急いでいるという割に智葉がその場から動こうとしないことには疑問を感じる。智葉を前にするのは苦手だ。いくなら早くいってほしい、と考えながら咲が言葉を投げかけると、
「おいおい、突っ込めよ。明らかにおかしかっただろ今の」
「はい……?」
意図の読み取れない指摘で返されて困惑する。
「いや、あのな」
「……?」
「……まあ、なんだ。驚かせようと思ってな。待ち受けてたわけだ」
先ほどの言い分とは真っ向から食い違う話を智葉が始める。その顔は渾身の一発芸が滑って苦虫を噛み潰すかのような感じだ。
確かに咲はいつもこのくらいの時間に部室を訪れてここを通りがかる。毎回この角を曲がると決まっている。わずか一〇日ばかりの中で繰り返されたことだが、智葉はそこから察したのだろう。
873 = 265 :
「そう……なんですか? じゃあさっきの話は嘘ということですか」
「まあ、そうなる」
「そうでしたか」
咲は普通に返した。不自然に平坦な声になるではなく、表情や仕草で不満を訴えるわけでもなく。知っている人に朝おはよう、と言われて、おはようと返すような自然なやりとり。平然としている。
「ううむ……」
想像していた、もしくは期待していた反応とは違ったのか、智葉は唸る。どうしたものかと思い悩むようでもあった。
目の前の人との距離が近いな、と感じたのか咲は一歩下がる。そうするとほっとしたような顔になる。
「お前……最初の数日と今とでキャラ違わなくないか?」
ところが無情にも智葉はさらに一歩を踏み出してまた距離を詰める。やむを得ない。咲はもう一歩下がる。智葉が一歩詰めた。さらに一歩下がる咲。すかさず智葉が一歩踏み出す。咲はそれ以上下がらなかった。あきらめたのだろう。
「……キャラ、ですか?」
わずかに目を泳がせてから咲が返す。
それに智葉が「ああ」と肯いて。いぶかしむ、というよりは腑に落ちないといった感じで続ける。
「初日なんかはもっと食いかかってきてただろ。それがここ一週間ほど……いや、最初の数日だけ、か。あのときのやる気にあふれたお前はどこにいったんだよ」
智葉の言葉を受ける咲の顔には色濃い困惑が浮かんでいた。しかし、どこか理解の色があるようにも見える。
「あれは……ちょっと先走ってやりすぎただけです。まだ先は長いと思って力を抜いた。そういう感じで」
「なんかあやふやな言い方だな……じゃあまた、都予選なり近づいてきたらああなるってことか?」
「それは……」
言い淀む咲。その歯切れの悪そうな口ぶりは、どちらかといえば問いに対して否定のニュアンスを接するものに感じさせた。
「ふう……まあいい。私とレギュラー争いする気はあるんだな?」
少しばかり疲労した感のあるため息を漏らしてから、智葉は凛然と表情をひきしめ、それだけは聞かせてもらう、といった調子で強気に尋ねる。
真意を問いただすように正面から目を見つめてくる智葉に対し、目をそらして少しの間押し黙る咲の姿は口を噤む可能性を想像させたが、やがてゆっくりと、見ようによってはおそるおそる智葉と目を合わせると、
「それは……あります。私は先鋒になりたい。そのために臨海にきました」
その言葉を口にする。そのときだけは、赤みがかった鳶色の瞳に強い意思がこめられるかのような力を智葉に感じさせた。そこに帯びる一種の悲愴さは、聖職者が一心に祈りを捧げる姿をも想起させる。
無意識に解き放れたのだろう、麻雀の才気とも呼べる威圧的な力が空気を軋ませるかのような感覚を呼び起こす。その力はともかく、強靭な意思を感じさせる瞳と、その瞳の、色こそ違えど雲の上に広がる清浄な大気にも似た色合い、その二つは智葉の眼鏡にかなうものだった。
ただ、どう見繕ってもそこに敵意と呼べるほどのものは存在しない。その事実が、智葉の顔を曇らせる。
「ならいいんだ。私からみれば気迫が足りてないが、まあ相手をしてやる気にはなれそうだ」
だが智葉はすぐに表情を凛としたものに戻して、全身から立ち昇っている戦意すら声に滲ませて告げる。
「……はい。お手柔らかに、全力でお願いします」
「ふっ、お手柔らかに全力ってなんだそれ」
咲の言葉に鼻で笑って、智葉は固い表情を崩す。それでも真顔といって差し支えないものだったが、少なくとも臨戦態勢ではなくなっている。
874 = 265 :
智葉は、咲の手に乗った弁当箱の包みを一瞥すると、
「じゃあ、私は戻る。これから昼か? 時間をとらせて悪かったな」
「いえ……それじゃ失礼しますね」
短いやりとりを交わしてその場を立ち去る。悠然とした、本当の意味で洗練された足どり。映像やイメージに頼るある意味模倣しているともいえる咲には決して同じことはできないだろう。
そのことを意識したか意識しなかったかはわからないが、咲はその場で目を伏せて、うつむき加減になった口から吐息を漏らした。
○
部室に着くと、咲はいつも昼食をとっている部屋に向かう。休憩室のようなその部屋に入ると大きな机の上にだらんと上半身を倒したネリーがすぐ目に入った。
「あ、いらっしゃいサキー」
ネリーはそのままの姿勢で入口に顔が向いていたので咲の来室に気づき、気の抜けた声で出迎える。
彼女の手元、机の上には空になった弁当箱が置いてある。今日も残さず食べてくれたんだ。咲の口元に自然と笑みが浮かぶ。
入ってきて、机の周りに並べられた椅子の中から入口に一番近い席に咲は腰を下ろすと弁当箱を机に置く。まもなくして弁当箱を開いて昼食が始まった。
「五時限目ってなにー?」
「体育だったかな」
話を振ってきたネリーに、弁当をつつく合間を縫って返す。
愛想は良くなく悪くもなく。見ようによっては若干素っ気ないようにも見える、いつもの調子で咲は喋る。
「へぇ体育。何するの?」
「うーん、バレーボール……だったような」
「ははっ、あやふやだね」
さして興味がないから、曖昧な記憶なのだろう。上半身を横倒しにして、顔も咲に向かって寝返りを打ったような態勢のまま会話を重ねるネリーが笑う。
「そうだね、適当」
愛想笑い程度に咲も笑う。話の流れに合わせた。
「なんだ、バスケなら出てもよかったのになー」
「ネリーちゃん、得意なの?」
「こうみえても、中学の六年でたびたびバスケ部の助っ人を務めたのだよ」
「えへん」と声に出しながら誇らしげに胸を張るネリー。色々と、興味を惹かれる発言だ。
「そうなの? ちょっと意外かも……あと中学の六年?」
「うん? えーと、ネリーのとこは、日本でいう小学校が三年、中学校が六年……って言い方でいいのかな。その九年がギムキョウイクなの」
初等教育が三年、中等教育が六年……という解釈でいいのだろうか。高校からはどうなるのかとネリーに尋ねてみると『前期中等教育が六年』という風な答えだったので、中等教育に中期か後期があるのだろうと思った。
875 = 265 :
「へええ」
「あ、その相づちはけっこう興味ありげなときのあれだね?」
ネリーが得意そうにほくそ笑む。寝返りを打ったような態勢でそうすると間抜けた印象があって面白いな、と若干失礼な感想を咲は悪意なく抱く。
「うん、バスケの話も意外。その、馬鹿にするわけじゃないけどバスケって、背の高い人が強い気がして」
宙高く舞い上がったボールを大木のような大男たちが我先にと跳躍して手を伸ばしたり、それか、もっと単純にダンクシュートを決めたり。咲の中でバスケとはそういうイメージが強かった。
「ふふーん、サキはまだまだだねー」
しかしネリーはともすると侮る発言にも気にかけず、得意そうに言うと、やる気を見せるように机に預けていた上半身をがばっと起こして、
「ネリーには、これがあるから」
架空のボールを支えるような恰好をして、おそらくはバスケのシュートポーズをとる。まだわからない。どういうことだろう。
「ええ……?」
「えー、まだわかんない? スリーポイント、スリーポイントだよ」
わざとらしく機嫌を損ねたように眉をひそめて、一回、二回と実際にシュートするようにネリーが手を動かす。バスケの経験など中学の授業くらいでしかなかった咲にもそこまで言われれば、ある程度理解が広がってくる。
「ああ、そういうのあった気がする」
「わかった? ネリーみたく背が控えめだとたしかに不利なとこはいっぱいあるけど、これがあれば」
そこで言葉を区切って、ネリーは足の裏を椅子に乗せてその場で勢いよく立ち上がると、
「これは――――ネリーの翼だよ」
シュートの姿勢をとって、そのまま流れるように綺麗な動作で手の中にある架空のボールを放つポーズをとる。
「わあ……とっても上手そうに見えるよ」
「上手そう、じゃなくて上手いの! ドリブルだってお手のものなんだから」
「そうなの? 見てみたいな」
「今度みせてあげるっ!」
疑るでもなく本心から咲がそう言っているのを見てとったのか、すっかりネリーは機嫌をよくして、天真爛漫な笑顔を惜しげなく振りまいていた。その微笑ましい姿に咲もつられて笑みを浮かべる。
昨晩の別れ際、おかしな雰囲気で別れることになって、朝一緒に登校したときにはもうしこりを感じさせないやりとりができていたが、ここにきて改めてすとんと安堵の思いが胸に落ちる。
昨晩のあれは何か理由があったのだろう。でも、こうしていつも通りいられるなら大丈夫なはず。自分の中で密かに折り合いをつけて、忘れた頃に弁当をつまんでいくと、
876 = 265 :
「あ、ところで話は変わるんだけど」
会話の熱も冷めて椅子に座り直したネリーから、ふと話しかけられる。
「きのう頼んだ手紙、あるじゃない?」
「あ……うん、あったね」
「きのう勝手に帰っちゃってなんなんだけど、もうほんのちょっとで完成するから……あとで、手伝ってもらっていい?」
はきはきとした物言いの多いネリーにしては消極的な頼み方。昨晩の急な帰宅、ネリーはネリーで気にしているのだろうか。
こちらを見上げてくる青みがかった瞳は、つい昨晩の確信が宿っているように感じられた言葉とは対照的に、少し自信なさげに陰っている。
「もちろん。お昼ごはんもう食べ終わるからまずそれからやろうか」
「ほんと!? 昼休憩でできると思うしほんと助かるよー」
とくに、断るような理由はない。ましてや昨晩のことで気分を害したわけでもない。なら咲の返答は決まっている。
お世話になっている人の役に立てるのはうれしいことだ。もっと、何かしてあげたいと思う。
「じゃあ早くお弁当片づけないと……もぐもぐ」
「あっ、そんな急いできなこモチ食べたら……」
「――うっ!? ごふっ、げほ、ごっほ、げっほ!」
咲はむせた。
「だ、だいじょうぶ?」
慌てて席から立って近寄ってきたネリーが背中をさすりながら言う。
「っていうか、なんできなこモチ? ネリーのには入ってなかったけど……」
ネリーのその言葉には、どうしてお弁当にきなこモチを、というようなニュアンスも込められていた。
「……も、貰いもので……」
息も絶え絶えな口から説明を入れる。
「貰いもの?」
小首をかしげて言うネリー。誰からの、と不思議がるようでもあったが、咲はそれ以上口を噤んだ。
智葉からの貰いものだった。咲にもなんだかよくわからないのだが、軽く話していて、気づいたら一箱ほど貰うことになっていたのだ。
渡す際、智葉の口元がこっそり三日月のように弧を描いていたような気がしたが、咲にはそれが何を意味するかわからなかった。
「ま、まあ、きなこモチは残したほうがいいよ? お弁当にミスマッチだし……せっかくのサキの料理がおいしくなくなっちゃうよ」
「う、うん……また時間を置いて別に食べることにするよ」
息苦しさも大分と和らいできたので、きなこモチをどうするかを決め、他のおかずを選んで食べ進めていく。きなこモチを捨てるという選択肢はなかった。
「でもサキのむせる姿ちょっと面白かった」とネリーが面白がる一方、咲はきなこモチでつまずいてからは順調に食べ進めて、やがて完食する。
「ごちそうさま。……ネリーちゃん、手紙の方、今からでも大丈夫?」
時計で時刻をみてみると、昼の休憩はまだ二〇分ほどはある。
「だいじょうぶだよ、ええと……じゃあはい、これ」
と咲が弁当を片づけている間に準備しておいたのだろう。部屋にある大きな机に昨晩同様、手紙を書く道具が並べられていく。
そして、手紙を書く……日本語に書き直す作業が始まると、互いに熱中して進めていく。
昨晩、咲が見たときもほとんど作業は終わっていると感じた通り、残りは昼休憩を使い切るまでもなく片がつきネリーも満足する出来になったようだ。
「サキ、ありがと! ほんと助かった」
「ううん、こういうのも新鮮で面白いね」
てらいのない笑顔で咲がそう返すと、ネリーはほんの一瞬きょとんとして、次いで朗らかに笑った。
「さて、それじゃあとは手紙だしてくるだけっと」
今から出しにいくのだろうか。授業が免除され望まない限り出席しなくてもいい立場にあるから、やろうと思えばできるのだろう。
しかしネリーは「ううん、今からちょっと用事あるからあとでかな。今日中には出すけど」と答えた。
877 = 265 :
「ちょうど部活の時間と重なるかも。たぶんだいじょうぶだけど、もし部活に遅れたらそのこと伝えといて!」
ネリーに頼まれる。こういうとき、遠慮がちに『~してもらってもいいかな?』とある種迂遠な訊き方をしないのはネリーらしさが出ている気がする。こういった話し方にはさっぱりとした印象があって、咲としては話しやすい。
「わかった、もし遅れたら監督や辻垣内さんとか……上級生の人に伝えとくね」
「ありがとう!」とすかさずネリーから感謝が告げられる。ぽんぽんと進むやりとりに咲は心が弾むのを感じた。
▼
放課後は部活だ。部室には多くの生徒が集う。
「オーウ、サキ」
ぞろぞろと皆が何らかの目的を持って動き、ちょっとした喧騒が出来上がっていくなか、正面から軽く手を上げながらダヴァンが親しげに声をかけてくる。
ダヴァンはとくに気さくで、さらに言えばネリーとは違い頼れる歳上という感じがして、こうして声をかけてもらうと咲としてはうれしくなる。むろん、決して表情を緩ませたりはしない。
「ドブリーデン」
だが、続いてかけられたあいさつに咲は「え?」となる。実際口に出していた。
「ど、どぶりーでん……?」
「ハハハ、横文字が苦手なお年寄りやジャパニメーションの萌えキャラみたいな発音になってまスヨ」
いや、会って早々、そんなあいさつをされたら困惑しても無理ないのではないだろうか……。
そんなことを思っていると、
「いやいや、なんでドブリーデンなんですか。メガンってアメリカから来たんでしょう?」
ダヴァンの後ろの人込み、そこからハオが歩いてくる。彼女は呆れたような顔をしていた。
一方のダヴァンはいつのまにやら怪しげな雰囲気を纏っている。なぜか陰影のついた妙に味のある表情で語り始める。
「ククク……様々な属性のキャラが飽和する今の時代、単にカタコトの日本語を話すアメリカ人というだけデハ、個性が埋没するのは必至……つまり、他の欧米の属性を採り入れる、というコトが今の時代における……」
「キャラを見失ってるメガンは放っといて……宮永さん」
「はい?」
ハオに呼ばれて応える。見向きされていないのにうわ言のように語り続けるダヴァンは放っといていいのだろうか、と思いながらも緊急性はなさそうだと判断し、ハオの方に向き直る。
878 = 265 :
「よかったら今日一緒に打とうよ。ネリーじゃないとってわけじゃないでしょ?」
質問の意味を察して、目をしばたたかせる。
「留学生四人と辻垣内さん、私のメンバーで交代に卓を囲む練習があるんじゃ?」
「あー、そういうことじゃなくてさ」
手で頭を掻くような仕草をするハオ。
「咲と智葉以外の日本人部員を入れて打つ練習あるでしょ?」
臨海の麻雀部では、対局の面子の組み合わせを色々と変えながら打つのが主流で、留学生と一部のメンバーだけ固定して卓を回すといったやり方はとらない。
たとえば、留学生二人日本人部員二人の卓、留学生一人日本人部員三人の卓、時には留学生クラスの部員四人の卓、といったように様々な組み合わせで回していく。
中でも、現在の練習方針としては留学生クラスの部員二人にそこそこ実力のある日本人部員二人を加える、といった卓を比較的多く用意し、留学生のレベルアップに務めながら日本人部員全体の底上げにも目を向ける……といった練習法が採用されているのだった。
そして、留学生クラスの部員――その一人に咲は数えられている。他には智葉だけ。
「……はい。だいたい『上座役』の二人はペアを組む形になってますね」
上座役、というのは。一般の日本人部員が卓に入るとき、留学生クラスの部員を指してそう呼ぶ。
入学して間もなくされた部員一同を前にしての監督の説明曰く、留学生クラスの卓に入る一般の日本人部員は胸を借りるようなものだから、その卓の留学生クラスの部員を『上座役』と呼称する……これは長年の伝統とらしかった。
「うん、だから……よかったら私と組まない?」
ハオは辺りをきょろきょろと確認するように見回して、
「ネリーは今日まだ来てないみたいだし、さ」
咲は黙り込む。そして、辺りに視線をめぐらせてみる。
ネリーは見当たらなかった。手紙を出しにいって遅れているのだろうか。
「そう、ですね。わかりました」
今日はよろしくお願いします、とぺこりと頭を下げて言う。ややあって頭を上げると、
「……」
無言で見つめてくるハオと目が合った。
「あの……?」
なんとも微妙そうな表情を彼女はしていて、もしかしてしらない間に怒らせてしまったのだろうかと声をかけると、
「ああ、ごめん。大したことじゃないんだけど」
彼女は、はっとしてから断りを入れて、
「いや……同じ一年なんだし敬語とかそんなしなくてもいいんじゃないかってね」
同級生にも度々されてきた質問をしてくる。自分の表情がわずかにこわばるのを咲は感じた。
「そう……ですね、そうなんですけど、これがくせになってしまっていて」
ハオも、どちらかというと礼儀正しく分別をきっちり守るタイプのようだが、堅苦しさというのはあまり感じさせない。少なくとも、咲のような同級生に対しては割とフランクだしフレンドリーであるように思う。
他方、ほとんど全ての人に対して折り目正しく接しようとする咲は几帳面といっていいほどだ。ハオも同級生など大抵の人と同じようにそこが気になったのだろう。
勿論ハオの今の言葉も同級生と同様、糾弾する風ではなくたしなめるように言ってくれるものだが、これを変えたくない咲としてはそうしてたしなめる気遣いをさせるのも、付き合ううちに距離感を心配させるのも心苦しいものだった。
だから――あまり人とは関わらないようにしたい。
それが、人間関係について咲が出した答えだった。
879 = 265 :
「……ネリーとは、仲がいいね」
だから、躊躇いがちにハオが言った言葉は胸に刺さった。
「……」
「ああ、嫌みとか言いたいわけじゃないんだ。ちょっと不思議に思って」
実際、気にした風でもなくハオはそう話すと手にしたバッグからペットボトルを出し、それを飲んで唇をしめすと、水滴の残った唇から小さく息を漏らして何気なく咲を見つめた。
「あんまり気にしないで。咲がそうするってことは何か意味があるんだろうし」
ハオの言葉は咲の頑なさを受け入れていた。何かを押しつけるでもなく、関心を失ったようでもなく。
「それより誘いを受けてくれたのがうれしいな。断られるかもしれないって思ってたから」
そう笑いかけてくるハオの瞳は穏やかだった。その瞳は澄んでいて、その瞳に見つめられていると後ろめたいような申し訳ないような複雑な心境になる。
「断るなんて、そんな」
「まあまあ、思い詰めた顔しないで。今日は咲とたくさん打てそうで楽しみだな」
いろんな思いが胸に渦巻いている。しかし今それを気にするのはやめて、
「そうですね。私も楽しみです」
笑顔で、同意する。
「そういえばネリーはなんで来てないんだろうね?」
「たぶん手紙を出すのに……あっ! 誰かに伝えるの忘れてた!」
ハオの素朴そうな疑問に思いだす。遅れたら伝言を頼まれていたのだ。
どたばたと駆けだして、ネリーの遅刻の理由を伝えにいく。
「本当にネリーには気を許してるんだね」
その後ろで、微笑ましそうなハオの声が上がったが、咲の耳には届かなかった。
880 = 265 :
▼
それは部活が始まってから一時間ほどした頃のことだった。
「盗られたぁーーーーっ!!」
ハオと二人、同じ卓で日本人部員二人を相手にしていた咲の目の前で蹴破られるような勢いで入口の扉が開き、次いで絶叫するような大声が上がった。下手人はネリーだった。
今にもカンをして和了を宣言しようとしていた咲は一旦倒そうとした四枚の牌から手を離し、飛び込んできたネリーに目を向ける。
ネリーは憤懣やるかたない様子でずかずかと練習室の床を鳴らして歩く。どこに駆け込もうか見定めるように周りを見渡しながら向かった先は咲と智葉の卓が隣り合う、中ほどの場所だった。
「なんの騒ぎだ……盗られた?」
場を乱したネリーを見とがめるように険しい視線を送りながら、智葉が訊く。
対して、咲をはじめ部屋中の視線を浴びているネリーはそれを気にした様子もなく、
「手紙とお金が、盗られちゃったの! もう信じられない!」
依然として怒り心頭といった様子で捲し立てると、地団駄を踏む。
「手紙と金だ……?」
「故郷に送るエアメールと、現金書留だよ!」
やりとりを続ける智葉とネリー。
「……警察には届けたのか?」
「これから!」
ネリーはそう言うと、急に静かになって、考え込むような素振りをする。
一方、ずっとその様子から目が離せなかった咲は、
(故郷に送る手紙って手伝った手紙かな……)
盗られてしまったという手紙のことが頭にひっかかっていた。
「手紙、それと現金書留、か……金はいくらくらい被害にあったんだ?」
「……五〇万」
「……円か?」
「うん」
額面を聞いた智葉が表情を厳しくして黙り込む。一方、五〇万円という学生にはなかなか縁のない大金の話になって、周りの日本人部員たちの目の色も変わる。
「えー、五〇万だって」
「やばいね」
「そりゃあんなに騒ぎもするよ」
「うんうん」
色めき立つ部員たち。そのほとんどの声が大金を盗られたというネリーに同情的なものだった。
五〇万といえば現金書留の上限額ではないだろうか。本当に不運。
そんな声が所々で交わされて、練習室の雰囲気はネリーが入ってくる前と一変している。
881 = 265 :
「あっ!」
そんな中、ネリーが何か重大なことを思い出したように声をあげる。
「どうした?」
「正しくは、五〇万一六〇〇円だった!」
「はあ?」
出し抜けにそんなことを言われて、さしもの智葉も困惑気味に返す。
「手数料! 手数料の一六〇〇円もとられたんだよちくしょー」
またしても「むきーっ」と地団太を踏むネリー。
「ちくしょうって……とりあえず、盗られたのは手数料込で五〇万一六〇〇円……そういうことか?」
智葉が真面目な顔をしてそう確認すると、全く関係ない遠くの席で噴き出すような笑いが漏れた。
「おい、今の……」
不謹慎を咎めようとした智葉をよそに、また別のところで忍び笑いが漏れ聞こえてくる。
「せ、一六〇〇円て……」
「手数料は不意打ち……」
所々から笑いを堪えようとする空気が生まれ、忍び笑いが漏れ、かといってそれは嘲るようなものではなかったからか、智葉はかぶりを振って嘆息する。
「五〇万一六〇〇円がー……」
そして、畳みかけるようにそんなことを言ってどんよりするものだから、お笑いムードは拍車をかけ、部室の重苦しい空気はいくぶんとり払われていた。
それをみて、智葉も注意するのはやめたようだ。ネリーに向き直ると。
「それでネリー、今から警察にいってくるのか?」
智葉の質問にネリーが無言で肯く。
「警察に届けを出したあとどうする? 練習はしていくのか」
「うーん……やめとくよ。いいかな?」
「まあ……いいだろう。私事もいいところだが、故郷への手紙とあっちゃな。無碍にできん」
「ネリーが気にしてるのは五〇万だけどね」
「ふっ、そういうのは口に出すんじゃない。ま、お前らしいけどな」
会話を終えたネリーが、こちらに――咲の方に歩いてくる。
「はー、ついてない」
咲やハオや他の日本人部員二人がつく卓に、そのうち咲のところに来て、ネリーが落ち込んだ様子を見せる。
「災難だったね……」
「ほんとだよ」
咲が同情すると、ネリーが肩を落として言う。
「これから、警察に……?」
「そうなるかな。うーん」
「どうしたの?」
腕を組んだネリーが唸る。その悩ましそうな様子に咲が尋ねる。
「いや……ちゃんと戻ってくるかなって」
「……それは」
どうなんだろう。咲は、自信を持って答えを言うことができなかった。
882 = 265 :
二〇一〇年代から続く美徳で、日本人は落とし物をしっかり届け出をするので、日本で滞在する間に失せものをした海外の人間はその失せものが思いがけず戻ってきて驚く、といった話を聞いたことはあるけれど。
そもそも、盗られたという話だ。盗難では話が変わってくる。
「ま、なるようにしかならないよね」
言い淀んでいる間に咲の返答にあきらめをつけたのか、ネリーはそう結論づける。
「じゃ、とりあえずいってくるね!」
そして、行動は早い方がいいとばかりに踵を返して、駆けだそうとする。
「ま、待ってネリーちゃん!」
「へ?」
迷った末、声をかけた咲にネリーが振り向いた。
「サキ?」
「あ、あの……盗られた手紙って」
おずおずと声をかける。咲の中で、もやもやとした気持ちがふくらんでいる。だが、一度意識してしまったら、無視することはできない。
「手伝った、あの手紙?」
「ああ」
尋ねるとネリーはばつの悪そうな顔をした。
「うん、その手紙。ごめんね、せっかく手伝ってくれたのに」
「あ、ううん。そのことは気にしないで」
変なことを気にさせてしまった。言いたいのはそんなことではなかったのに。少しだけ後悔する。
「そうじゃなくて……その、警察にいくんだよね。よかったら私もいっていいかな……?」
「え?」
ネリーの意外そうな顔が目に入る。自分でもおかしなことを頼んでいるな、と思った。でも、言ってしまった以上、言い切ろう。咲は口を開く。
「手伝ったから、なのかな。盗られたって聞いたら気になって……」
対するネリーはどうしたものかと思案するような様子だ。そして「うーん」と軽く唸ると。
「ネリーは構わないけど……練習はどうするの?」
今からいくんだよね、とは聞かなかった。今からいくに決まっているから。
「え……っと、その間は抜けよう、かな」
そう言って、同卓する部員たちをうかがう。日本人部員二人にハオ。勝手なことを、と叱りを受けるのも覚悟してそうすると、日本人部員は「ああ、そう」という感じで、残るハオは、
「あ、抜けるの?」
と、どこか呆然とした表情で見つめ返してきた。しかしすぐに立ち返ったように表情を戻すと、厚意だろう提案をしてくれる。
「なら伝えとこうか?」
「いえ、さすがに自分で伝えます。……ネリーちゃん、ちょっとだけいい?」
丁重に断り、ネリーに視線を移す。
「うん、智葉のとこでしょ? 一緒にいく」
そのままネリーと連れたって智葉の元に。
咲がネリーに付き添いたい、そのために一時練習を抜けたい、という話。
その旨を智葉に伝えると、彼女は顔をしかめた。
「心配なんだろうが……それでお前まで練習を抜ける、そう言っているのか宮永?」
厳しい視線が飛ぶ。咲はそれを正面から受けて、逸らさなかった。
「……はい」
「……別にダメとは言わんが」
そう言いながら、決して快いとはいえない表情の智葉。その瞳からは、どこか失望した色が読みとれる。
「そういったことで麻雀への集中をおろそかにするなら、お前への見方も変えざるを得ない。……いや、個人的な見解だ。気にせずいってこい」
淡々と告げられる。さすがに、気にしないというのは難しい。智葉の私的な見解というのが、咲の理屈でいっても同じ答えを出したから。
883 = 265 :
姉に勝つという目的に向かって邁進する……邁進しようとしている自分にとって、この行動は熱意を中途半端なものにする。
自分は本当に、中学で麻雀していた頃と違って、強くなるために全力を注いでいるか。
胸の奥から染みだした不安や迷いを振り払って、智葉に頭を下げる。慇懃に。
そして待たせていたネリーと合流して並んで練習室の中を歩いていく。
多くの視線を感じる。ネリーは言わずもがな、自分も注目されている。中学の三年のことが大きいのか、それとも初日からの智葉に真っ向から対抗しようとする姿勢のせいか、あるいは入部していきなり留学生と同等のような扱いを受けているからか、良くも悪くも関心が寄せられている気がした。
でも、それらは枝葉末節だ――――と言い聞かせる。
他人の注目、他人の好悪、それらは姉に勝つのに何ら関わりないことだ。間接的に影響するかもしれない程度。間接的な要因にまでいちいちかかずらっていたらきりがない。
だから、無視しなければ。無視しないといけない。
しかし、しかつめらしい考えをめぐらせればめぐらせるほど――、
「……サキ?」
思考が打ち切られる。歩いている途中、ネリーから呼びかけられる。
「え?」
「え、じゃないよ……顔色悪い。だいじょうぶなの」
足を止めて、咲の顔をのぞき込みながら心配げにネリーが言う。咲は平静をとり繕った。
「なんでもないよ。それより」
行く前に卓を囲んでいた人たちに謝らないといけない。智葉から許可を受けていくことが決まった以上、彼女たちには迷惑をかけることになる。
「それより?」
小首をかしげたネリーにそのことを告げて、一時、彼女の元を離れて同卓者に謝りにいく。他の二人は微妙な反応だったが、ハオは快く送り出してくれた。三人に等しく感謝する。
そうしてから、咲はもう一度ネリーと合流し、部室をあとにした。
▼
警察への遺失物捜索願の手続きは滞りなく終わった。
近場の警察署に赴いたのだが、高校生の少女二人、とくにネリーは目鼻立ちはともかく服装が日本人離れしているので署内でも好奇の目を向けられることも多く、遺失物に関して手続きする際、担当に出てきた壮年の警察官も「あー、日本語は話しますか? Do you speak English?」と前に出たネリーに多少狼狽していた。
余談だが、この警官の『あなたは英語を話せますか?』という英語は正しい英文だ。和訳から考えるとつい『can』を使いたくなってしまうかもしれないが、『Can you speak English?』での『can』はこの場合『能力』の意味を指す。
そのため、人に対してこのように使うと『あなたには英語を話す能力があるか』という英文になり、場合によっては礼を欠いた表現となる。たとえば日本人に対して、母国語である日本語を話す能力があるかと訊くのは問題ないかもしれないが、一方で、外国人に日本語を話す能力があるかと訊くのは若干失礼だ。仕事で日本語を必要としない限り、話せなくても無理はないのだから。
だから、観光で日本に来ている外国人に対して日本語が話せるか、英語で尋ねるときは「can」ではなく「do」を使うのがベターだ。
閑話休題。ともあれ会話について日本語が堪能なネリーの直接の申し立てにより捜索願はつつがなく受理された。
884 = 265 :
「ええと、それでは現金書留の方は五〇万……」
「五〇万一六〇〇円! 一六〇〇円忘れないでよねっ!」
そう念押しするネリーが印象的だったが、悪く感じるものは咲の中にない。部室の部員たちではないが、いい意味で妙なおかしさがある。そう思った。
「は、はい、承りました」
手続きを終えて、署内をあとにする。捜査の進捗についてはインターネットの警察ウェブサイトの検索機能などで確認できるらしい。
見つかるのかな。見つかってくれるといいんだけど……目に映った署内で働く人々に咲は望みを託して、ネリーと並んで出入口の自動ドアを潜った。
「さーて、帰りますか!」
都会の喧騒あふれる街の表通りに出て、燦々とした陽射しにあたためられたアスファルトを踏みしめ、開口一番、ネリーが明るく切り出した。
空は青く澄み、まだ太陽が高く昇る時間帯。
警察署の敷地から踏み出して雑踏する街角に身を投げ出せば、繁華街にふさわしい人いきれが咲たちを出迎える。
「問題なく受理されてよかったね」
慣れない人込みに翻弄されかけつつも、何とかネリーの隣につけて歩く咲が話す。
「ほんとだよ。まともに取り合ってくれなかったらどうしようかと思った」
安堵したような表情を浮かべるネリー。機嫌がよさそうだ。
しかし一方で、咲は署内で聞いたある事情から顔を曇らせる。
「でもネリーちゃん、事件性……怪しい外国人の人に突き飛ばされて持ってたもの奪われたって……」
「あー、それだ。ほんとついてないよね」
「う、うん」
ついてない、というか……と咲は思ったが口にするのはやめた。
黒ずくめのサングラスをかけた風貌の外国人。
ネリーはそんな怪しい風体の人間に横合いから突き飛ばされて、まんまと手紙や現金書留の封筒をかっさらわれてしまったらしい。
咲はその話を聞いたとき驚いた。
都会ではそんなことあるんだなあ……と長野とは勝手の違う常識に戸惑うばかりだ。
「くっそー、あの突き飛ばしたやつ、今度見かけたらギッタギタにしてやるー」
「あ、あはは、危ないからやめとこうよ……」
不穏なことを言い出すネリーをたしなめる。負けん気の強いところは咲からしてネリーの好ましくも可愛らしいと感じている部分だが、それでネリーがひどい目にあうのは嫌だ。
「そういえばサキ?」
ふと、話題を変えるように呼びかけられる。
「なに?」
「えっと、一緒にきてくれてありがとね?」
咲の顔を見つめてネリーが言う。咲は面映ゆい気持ちになった。
885 :
「どういたしまして……っていいたいところだけど、本当に何もしてないよ」
「それでも」
と、ネリーは強調して言うと、
「……なんだかんだ不安だったし、誰かがそばにいてくれてすごく安心して……気が楽だった」
しみじみと感じ入るように漏らす。口元にはうっすらとした笑み。はにかむような、いつもの活力を感じさせるそれとは違った、落ちつきのある笑み。
「だからありがとねっ」その声と同時に、咲の片腕に重みがかかる。ネリーの両腕がぶらさがるように咲の腕を抱えていた。
子犬にじゃれつかれてるみたい。咲は、重りのようなネリーを引きはがそうとしなかった。ネリーも、抱えた咲の腕を離さない。
そうしていると、あのお菓子のような甘い芳香とは違う、ネリーの自然な匂いが鼻腔をくすぐる。石鹸のような香りとスキンケアに使っているのだろう乳液のミルクのような香り、それに体臭が合わさった匂いなのだろう。
近くにいるのが不快ではなかった。むしろ心地よい、まどろんでしまうような感覚が包む。繁華街を歩きながら、世界が切り離されたような――、
「ねえサキ」
その感覚を打ち切ったのは他でもないネリーの声だった。
「これからちょっと寄るところがあるんだけど……」
先ほどまでの元気とは打って変わり、目を伏せて声のトーンを落とす。突然の話。咲は黙って言葉を待つ。
そこから、短くない沈黙があった。繁華街を進む足どりは変わらずに、少しずつ臨海女子の校舎へと近づいていく。
このまま会話が止まったまま歩き続ければ臨海の校舎に帰ることになるだろう。
しかし、
「サキも、きてくれる?」
ネリーはその誘いをかけた。俯きがちのまま、咲の方を一瞥もせずに。
練習は――これ以上、抜けるわけにはいかない。その時間にどれだけ力を伸ばせるかどうかも大事だが、それ以前に。
矜持のようなものがある。他人の目にどう映るかではなく、自分の中で守り通したい、守らなければならない一線。咲にはそれがある。
ネリーのこの誘いを受けることは、それにまたひとつ、ひびを入れてしまう。
だから考えて、答えを出すのなら断るという結論以外にあり得ない。そのはずだ。
なのに。
「わかった。どこにいくの?」
私は――――馬鹿だ。
俯きがちだったネリーがばっと顔を上げて、透き通った青い瞳で見つめてくる。
その瞳がうれしげな色味を帯びているとわかった瞬間、どうしようもなく胸が弾んだのだ。
886 = 265 :
▼
未知との遭遇はいつだって緊張の連続だ。少なくとも、咲にとってはそう。
「よろしくしゃーす、捜索班のカズっていいます」
見るからに街の若者といった風体の少年が頭を下げてあいさつする。
頭を下げるといっても申し訳程度のもので、会釈といったほうがいいかもしれない。
繁華街の外れにある河川敷の広々とした敷地の中で、六人の男女が顔を突き合わせる。
その中にはネリーや咲もいて、咲からすれば都合四人が見も知らぬ人物となる。
「んじゃあ、大体紹介も終わったと思うんでぇー、次そっちいいすか?」
男子にしては長めの髪をオールバックにして、カチューシャで留めた青年が、こちらを向いて尋ねてくる。
金髪に染まった髪。シルバー系のアクセサリーをジャラジャラとつけて、いわゆるストリートスタイル。
カモ柄や迷彩柄のショーツやボトムス、マウンテンパーカー、中にはサングラスをかけたものがいたり、渋谷や原宿の街にいそうな顔ぶれだ。
そして、あまりに馴染みのない人たちを前にして咲は委縮して固まっている。
「……あのぉ~?」
「……呼ばれてる」
「えっ……私、ですか?」
ネリーに促されて咲が戸惑いながらも声をあげると、どうしてか、ぐるりと円になって囲む青年たちから流暢な口笛や拍手が飛び出す。
「いいね~初々しい感じ」
「なんかオジョウサマっぽい」
「俺らの付き合いだとあんま見ないタイプだよな」
言われている意味がいまいち頭に入ってこず、ますます混乱が深まっていく。
どうしよう、どうしたら、そんな言葉が先ほどから延々と頭の中で回っている。
そもそも、この人たちは何者なんだろう。そんなところから理解が追いついていない。
たしか……ネリーちゃんに連れられて、寄るところがあるって……それでこの河川敷にきたらこの人たちがいて……。
……意味がわからない!
「あの、この人たちは……?」
尋ねると、こちらを見返したネリーが難しい顔をして躊躇いがちに口を開く。
「えーと、お金で雇った失せもの探しバイトの人たち」
「バイト!」
咲が何か返すよりも早く、青年たちの一人が声を張った。
「バイトだってよ」
「はは、今まで知らなかったわ」
「まー言われてみればバイトだよな」
次々とやりとりが交わされ、さざめくような笑いが広がる。咲は目を白黒とさせながら、自分が今着ている――先ほどこの河川敷に来る前着替えたカジュアルな衣服の裾を意味もなく直したりして気をまぎらわせようとする。
お金で雇った失せもの探しバイト。それは、いったいどういうことなのだろう。表に出ていないが咲の混乱はかなりのものになっている。
「とりあえずさー、そっちの子、名前何?」
金髪をオールバックにした青年が軽い調子で尋ねてくる。
――これから会う人に本名、言わないで。ネリーを呼ぶときも偽名使って。
今は日本風のファッションに身を包み、いつもの日本人離れした特徴がいくらか和らいでいるネリーから、ここに来る前に繰り返し言われた言葉を思いだす。
887 = 265 :
「み、宮川……です」
み、と言いかけた元の宮永に、目の前に見える川の字で変えただけ。我ながら安易な名前だと思いながらも、即興で思いついた名前を告げる。
「へえ、宮川」
「なんかこの子ってさ、どっかで見たことあるよな」
「えー、どっかのモデルに似てるとかだろ?」
口々に反応が返される。見たことがある、という言葉にどきっとしたが、後のやりとりをみるに思いつき程度のあやふやな意見のようだ。咲はほっと胸を撫でおろす。
そしてあらためて、ネリーの方を見やる。するとネリーはいたたまれなさそうに表情を陰らせ、ぽつりと漏らした。
「あの……ごめんねミヤガワ、付き合わせちゃって」
888 = 265 :
ここまで
889 = 265 :
すみません、ここだけ修正前のをコピーしてた…
>>884
「さーて、帰りますか!」
都会の喧騒あふれる街の表通りに出て、燦々とした陽射しにあたためられたアスファルトを踏みしめ、開口一番、ネリーが揚々と切り出す。
空は青く澄み、まだ太陽が高く昇る時間帯。
警察署の敷地から踏み出して雑踏する街角に身を投げ出せば、繁華街にふさわしい人いきれが出迎える。
「ちゃんと受理されてよかったね」
慣れない人込みに翻弄されつつも、何とかネリーの隣につけて歩く咲が話す。
892 :
乙
この咲さんはセミロングなんだっけ
さぞかしお嬢様然としてるんだろうな
894 :
にっ…西住です…
895 :
なんか最近文章が変に衒学的で、読みにくく感じる
それだけなら持ち味になったりもするんだろうけど、
抑制きいてないから冗長になってるだけな気がする
ストーリーやキャラの関係性は好きです
応援してます
897 :
衒学的…胸に刺さりますね
意図せずにしてそうな気はします
以下、長文注意
少し言い訳させてもらうなら雑学みたいなものは説明のために入れてることがあります
理由は三つほどあります
一つは、伏線として受け取ってもらえるよう最低限情報を明示する目的(語らず隠しているものもあります。あと、地の文の心情を描く中で誤った解釈をさせたり)
一つは、キャラの設定などが唐突に出てきた、とならないよう布石を打つ目的
最後はあいまいな言い方で申し訳ないんですが、物語の筋をなんとなくわかってもらえたらな、という感じです
隠し立てするような重要じゃないことで実例を挙げると、
・化粧室で淡が披露した豆知識
・ネリーから咲に『地中海沿岸の地域ではイカやタコを使った料理が発達しているんだよ』と教えたこと
こういうのには意味があります
ただ…後で繋げられるかなー程度の気持ちで保険として語ったのもあります
題材的にかんがみて、凝りすぎないよう注意はしてるつもりなんですが…
我ながらすぐ影響されるところがあるので苦闘してます…
結末までの進行状況をみて、更新ペースは保ちたい、ただ文章の添削があまりおろそかにならないかも心配
どうしよう…
898 :
衒学的とか自体よりそれで冗長になってるほうがアレなんじゃない
出版するわけじゃないんだし自分でこれがいいって思うなら
そのままいくほうがいいとは思うけど
899 = 265 :
たしかにテンポを崩してるのは大分前から気にしてました…
その場の軽快さも勿論なんですが、全体が間延びしてしまったかな…
正直、ここまで来るのにこんなにレスを使うとは思わなかった…改善すると軽口は言えないけどできるだけ頑張ってみます
900 = 265 :
長々と語ってすみません
不安なのは大体言い尽くした(後は準決勝と決勝の闘牌描写くらい)ので、今後は淡々とやってきます ペッコリン(←好きなスレの真似w)
みんなの評価 : ★★
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