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    元スレ咲「誰よりも強く。それが、私が麻雀をする理由だよ」

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    701 = 265 :




     幼い頃、咲はよく姉の後ろについて回った。

     それは、家で共に過ごし遊ぶ機会が多かったからかもしれないし、父母が仕事に忙殺されがちな事からくる寂しさ、あるいは、二つながらも年長者の姉の大人びた雰囲気に憧憬を抱いていたからか。

     ただ言えるのは消去法で慕ったのではないということ。幼い頃の咲は今ほど引っ込み思案ではなく、今よりも明るく社交的な性格をしていたから、友達だってそれなりにいた。当初、咲は生活を送る上で姉の庇護を必要としなかった。

     だが、姉妹を取り巻く環境は変わっていった。中でも大きく変えたのは麻雀。それが家族の関係を一変させた。麻雀がなければ、悲しいことは起きず、今のように姉と離ればなれになることもなかった。

     幼すぎた咲はそう勘違いしてあやまちを犯した。プラマイゼロ。決してやってはならなかったこと。

     今の幼い咲にはそれがわかる。

     ーーだから、知恵が足りないのだと思った。智慧ではなく、知識でもなく、知恵。ワラで出来ていて脳みそがないために何の役にも立たない、そんな自分を。変えなければいけない。中学に入る前にそう思ったのだ。

    ネリー「やった、ネリーが一位~」

     緊迫した勝負が繰り広げられる中、卓を囲んでいたネリーが勝ちどきを上げる。うきうきとしてご機嫌だ。

    ダヴァン「無念デス……」

    「む、届かなかったか」

     対する同卓者はダヴァンと衣、そして咲。ちょうど今終わった対局は衣と咲が追い上げ、僅差でネリーがトップに立った。

     それまでトップの割合は咲が大方を占めていた。今まで隠してきた打ち方をし、咲からは相手の打ち筋を見知っているのもあって優位に場が進んだ故の結果だ。

     といっても咲が圧倒する展開は少ない。偶然が重なってたまたま大差をつけることはあるが、局面は一進一退、地力が高く能力を持った者も多いという顔ぶれのため、好き勝手もできない。

    「くっ……慚愧に堪えんな」

     夜にはほど遠い朝のためか、調子が出ない様子の衣が不満そうに唇を噛む。

     十分すぎるほど脅威的な支配を発揮しているのだが、満月の夜に比べれば生易しいプレッシャー、あるいは想像する以上に歯がゆさを堪えかねているのかもしれない。

     それでもほとんどの半荘で一位か二位につけているのは流石というべきか。それはともかくも。

    ネリー「ふふーん、やったやった。ねねっサキ、見直した?」

    「ホント強い……この打ち方で負けちゃうなんて」

     今にも席を立ってステップでも踏みそうな調子ではしゃぐ。そんなネリーに静かな驚きをもって咲は答える。

     実際、はやりも言ったように。この打ち方が普段の嶺上を主体にしたものより数段強いことを咲は自覚している。

     そして。

     衣との初対局を除けば家族麻雀以外でこの打ち方を披露したことがないとはいえ、勝とうとして勝てないというのは稀で。それこそ、姉や母、一部の限られた相手しか歯牙にかけないのだ。ネリーは間違いなくその一部の側に属していた。

    702 = 265 :


    「ふ、ふん、ようやくか。衣は一足先に咲に勝っていたぞ」

    ネリー「今の対局は三位だったけどねー」

    「うっ」

     ぐっと押し黙る衣。二万五千点持ちの三万点返し、それもハコ下なしとなれば順位は時々で変わって当然、というのは皆承知の上だろうが、突かれて痛いには痛いらしい。

    ネリー「ちょっとずつ慣れてきた! そろそろトップ率落としてあげるからね、サキ!」

     まだ午前中、同卓者も立ち替わり違ってくるので一人に対し半荘二、三回ほどしか当たっていない。ただネリーは、わざわざ見学に回って咲を見ていた。そろそろ手の内も割れてきたようだ。

     それこそ、靴下を脱がなければ仮初めの優位も保てないだろう。確信めいた予感がよぎる。

    「……」

     衣の視線が咲の足下に向く。

     この場で衣だけは咲と靴下の関係性を知っている。だが、咲に脱ぐ気はなかった。

    (昔の感覚にのまれちゃいそうになるから……あんまり脱いだ状態で打ちたくないな……)

     あくまで練習だ。ただでさえ、この打ち方には忌避がつき纏う。ーーこの打ち方で打っていると思うのだ。自分が選んだやり方……二回戦で見せたような『パフォーマンス』が、果たして正しかったのか。どっぷりと思惟に沈んでいると、プロジェクターの画面がふっと瞬き、点灯する。

    703 = 265 :


    ネリー「あ、そろそろだったね?」

     智葉が操作してつけたらしい。視界の端にリモコンを持った智葉が映った。

    『第七十一回全国高等学校麻雀選手権、夏のインターハイBブロック二回戦、選手の入場が始まりますーー!』

     不意打ちに耳に入ってくるテレビ中継。どくんと心臓が跳ねた。

    「……ほう。始まったか」

    『まずはこの高校! 北海道より初出場の有珠山高校ーー』

     咲たちの卓はちょうど半荘が終わったところだったが、他も手を止めて画面に見入っている。一方の咲はそんな周囲を窺う余裕もなく、画面に釘づけだ。

     京都、八桝高校。北神奈川、東白楽高校。

     三校の紹介、当惑する咲の心境をよそに実況は滞りなく進み、最後の一校になってーー実況中継の向こうで、一際大きく歓声が轟いた。

    『白糸台高校! インターハイ二連覇中の王者からはこの人、インターハイチャンピオン・宮永照選手ーー!』

     画面の中で呼ばれた少女が、悠然と入場していく。それは、紛うことなく姉の姿、思い出の中の面影を残す凜然とした面立ち。

     その横顔に見とれていた。入場が終わり、画面が切り替わったあとも未だ余韻に浸る。

     わずかな雑音を残し静まり返った部屋で、誰かが息を呑む音がやけに響く。

     誰かの視線を感じて、振り向く。見つめていた視線の主はネリーだった。

    ネリー「……今のミヤナガテルってサキのお姉さん?」

    「え?」

     突拍子のない、まさかされるとは思わなかった質問に目をしばたたかせる。

     知っていても遠慮するだろうという意味ではなく、知っていると思わなかった。

    「……冗談で言ってる?」

    ネリー「ううん、知ってて訊いた。お姉ちゃんだよね……まさかあっちが妹とかじゃなくて」

     おどけるネリーにも今は軽口を叩く余裕はない。

     咲たちの会話は当然同卓していた者にも、隣り合う卓のメンバーにも筒抜けだったから注目を買う。あちこちから視線が飛んでくる。

    「知ってたんだ……」

     驚きは大きかった。また、今さらながら隠していた罪悪感が首をもたげる。

    ネリー「……隠してた?」

    「うん……」

     ごめんね、と小さく呟く。

    ネリー「あの、ね……サキ」

    「……」

    ネリー「ネリーが言いたいのは怒ってるとかそういうんじゃなくて、その」

     ふらふらとネリーの視線がさ迷う。

     咲は何となくその言葉の先を予想していた。

     だが、それこそ、知っていても言わないでおいてくれると思っていた。

    ネリー「二回戦のあれって……あの人が関係してる?」

     どうして。二回戦のときは訊かないでくれたのに。

     頭の中でぐるぐるとその言葉が反響していた。聞き間違い、空耳、言い間違えーーいや、認めなくてはならない。

     尋ねるネリーと交差したその瞳が風に煽られる蝋燭の火のように頼りなく揺れているのが印象的だった。

    「ごめん……それは言えないよ」

     部屋の静寂を打ち破る中継の大音声が上がる中、はっきりと咲はその答えを口にした。

    704 = 265 :




     漠然とした疑問に囚われながら牌を打つ。

    明華「それ、ロンです」

     あえなく振り込む。上の空だった。我に返ってみれば、あり得ないミスで、止めていた待ち牌を自ら切っていた。

    「あ……はい」

     点棒を受け渡す。明華に妙な顔をされた。

    明華「あの……大丈夫ですか。さっきから暗い顔してますけど」

    「それはその……すみません」

     笑ったほうがいい。少なくとも、沈んだ顔は隠すべきだった。

    明華「そうではなく」

     困ったように明華が笑う。

    明華「ネリーも、何か言ってあげてください」

     同卓するネリーに振る。残る一人である智葉はむっつりと黙り込んでいる。

    ネリー「…………」

    明華「困りましたね」

     自分一人では手に余る。そんな様子で呟くが、智葉は依然として沈黙を守る。

    明華「……続けましょうか」

     ひっそりと息をついた明華が再開を促す。まもなくして対局の火蓋が切られる。

     だが、勝負に熱がこもることはなかった。ひたすら沈黙が続く。

     その間、咲はずっと考えていた。先ほどのネリーの言葉。そして自分がやっていることへの疑問。

     大会を通して咲がやろうとしているのは姉との復縁だ。

     姉とはもう六年会っていない。夢に見て会うなんて馬鹿らしいこともあったが、咲と姉との間には六年もの空白が横たわっている。

     生半可なことで取り返せる年月ではない。六年もあれば。六年も会わずにいれば。思い出なんて少しずつ消えていって、環境を移した先で人間関係が一新される。

     だから、興味を失われてしまった姉に振り向いてもらわなくてはならない。

     仲を取り持つという母の言葉に甘えてはいけない。人任せにしてはいけない。そんなことはワラしか頭に詰まっていないカカシにもわかるから。

     でも、咲がやっていることはーー。

     意識せずとも思考が回る。鍋の中身を玉でかき回すように、ぐるぐるぐるぐる、勝手に回る。

    明華「♪~ ツモ。……私が一位ですね」

     お世辞にも嬉しそうには聞こえない宣言に意識が浮上し、現実を認識する。対局は終わっていたようだ。結果は、さんさんたる有り様だ。対局に集中できず悪し様に罵られても仕方ない腑抜けぶりだった。

    705 = 265 :


    「……すみません」

     人には聞こえないよう口の中で呟く。謝っても空気を悪くするだけだ。しかし空言でも口にせずにはいられなかった。

     咲にだってわかるのだ。山階左大臣が身なりの恥を知るように、競技者としてあるべき様から外れている痛烈な自覚は咲を打ちのめし、形だけ取り繕うことを躊躇わせる。

     ネリーのことにだって見当がある。

     もしかしたらネリーがあんな話をしたのは、今日になって踏み込んできたのは、何か事情があるのかもしれない。

     昨日に知らされた疲労の蓄積が起因していたり、ダヴァンの仄めかした異変に何かしら関係していたり。

     知りたい、という気持ちは雪が降り積もるように蓄積し重なっていく。だが、それだけは訊けない。

    明華「ええと……次、打ちます?」

     明華の控えめな問いが卓に座る三人に向けられる。咲は、誰か手の空いている人に入ってもらって席を立とうとした。個人的な心情に気遣わせるのはいい加減悪いと思ったから。

     だが、思わぬ人物が機先を制した。ネリーだ。

    ネリー「あ、あの……サキ」

     おずおずと口を開く。その口を持つ小ぶりな顔がゆっくりと咲のそれに合わせられる。

    ネリー「その打ち方ってさ、自由に変えられるの?」

    ネリー「変えられるんだったら……ネリーは、前の打ち方のほうがいいな」

     その言葉が、咲に与えた衝撃は甚大なものだった。三半規管を揺らされ平衡感覚が狂ったように咲を震撼させ、視界をも揺さぶった。

     それは、否定の言葉だった。拒絶の告白だった。

    『わたしね、本当は咲ちゃんにーーーー』

     あのときと同じ、本心の吐露。また、同じことが繰り返される。呼吸が速くなる。血の気が引いていく。

     今この瞬間、何よりも目の前の人が恐ろしかった。近づかれるのが怖くて、離れていくのが怖くて。どうしようもない感情が爆発し、頭の中に染み渡っていくーーーー。

     「咲さん!」後ろから明華の声がした。

     咲はその場から走り去り、逃げていた。中学に入学した年そうしたように。抽選会でそうしたように。

     心が言葉にならない悲鳴をあげる。頭の中には恐怖だけがあった。

    706 = 265 :




     無人の広間は広々とした間取りに伴って伽藍の侘しさが鎮座していた。

     早足にここを訪れた咲は畳の上に転がっている自分の荷物を漁る。あるものを探しだし自室に引き返そうとしていた。

    明華「ここでしたか」

     不意に閉じてあった襖が静かに開き、来訪者が現れる。

    「あ……明華、さん」

     後ろ手にそっと襖を閉めた明華が呼びかけられて薄く笑う。目的のものを発見し握りしめた咲を見る目は穏やかだ。

    明華「それ……魚のキーホルダーですか?」

    「は、はい……頭を冷やそうと思って、その……これだけ持ってこうかなって、あのじゃあこれで!」

    明華「おっと誰も練習を抜けていいなんて言ってませんよ」

    「うわっ」

     横を駆け抜けていこうとした咲の手がとられ、ぐるんと外回りに一回転させると正面から向かい合う形にする。舞うように鮮やかな手並みだった。

    「えっ、えっ」

    明華「うーん」

     唸りながら、手を動かした明華が乱れている咲の髪を整えていく。

    明華「はい直りました。よほど乱暴に走ったんですね、結構ボサボサでしたよ」

    「はあ……」

     明らかに状況が飲み込めずにきょとんとした咲の瞳が瞬く。

     振りほどけそうにない力で掴まれたままの自らの手をチラと見やり、咲はわずかに数センチ目線の違う明華を見つめ返した。明華がことんと首をかしげて亜麻色の髪を揺らす。

    明華「困惑中の咲さんに朗報です」

    「へ?」

    明華「買い出しを頼まれてきたので一緒にいきましょう」

    「え……っ?」

     咲の鳶色の瞳にこもる困惑がさらに深まった。

    明華「お買い物ですよ、はりきっていきましょう」

    「……え、えっと……」

    明華「あ、今回のお釣りはファインプレーな私を称えてプチプチしたもの限定ですね、悪しからず」

     どこまでもいつも通りのペースで言い切る。緊迫感などおくびにも出さない。咲は困惑が極まって泣き笑いのような顔になっていた。それも感極まったというより、見知らぬ場所に置き去りにされて途方に暮れたように情けない顔だ。

     咲の手を引き、畳に転がる荷物のところまで歩くと明華はハンドバッグを手にとって中身を確認する。

    明華「じゃ、いきましょうか」

     相変わらず底抜けにのんきな声で明華は言う。有無を言わさず咲の手が引かれる。鼻歌が聞こえてきそうな陽気さでひっぱられ、心なしか咲はぐったりとして観念したようにされるがままになっていた。

    明華「ネリーのこと、誤解しないであげてくださいね」

     続く声に弾かれたように咲が顔を上げる。

    明華「距離の測り方がわからなくなるときってありますよね」

    明華「頭ではわかっていても……胸の奥から込み上げる衝動に逆らえない、そんなときも……きっとあるんです」

     前を見て行く先に顔を向けたまま明華は言う。

    明華「本当、突然ですね……」

     言葉が重なっていくにつれてあるとき急に声のトーンが落ちる。だが、すぐに暗い雰囲気は払拭されて前を向いて見えなかった顔が一歩後ろを歩く咲のほうを振り向く。そこにはいつも通りの柔和な笑みが浮かんでいた。

    明華「とぉーりゃんせーとぉーりゃんせー」

     明華は笑顔を見せると前を向き、手を引いて歩き出した。

    707 = 265 :

    ここまで
    相棒始まったモチベーションあがります
    明華がよくわからない感じですがもうちょっとで明華とのエピソード書けるところまでいくのでもうちょいお待ちください

    708 = 265 :

    ってか明華も、か…
    やっぱやり方失敗したなー…説明が追いついてない感じですみません

    709 :


    明華は咲の事情を何か知ってるんだろうか

    710 :

    乙です
    ネリーが健気で可愛い

    711 :

    乙ー
    いざって時には味方してくれそうな人たくさんいて頼もしい

    712 = 265 :

    >>705 訂正


    「……すみません」

     人には聞こえないよう口の中で呟く。謝っても空気を悪くするだけだ。しかし空言でも口にせずにはいられなかった。

     咲にだってわかるのだ。山階左大臣が身なりの恥を知るように、競技者としてあるべき様から外れている痛烈な自覚は咲を打ちのめし、形だけ取り繕うことを躊躇わせる。

     ネリーのことにだって見当がある。

     もしかしたらネリーがあんな話をしたのは、今日になって踏み込んできたのは、何か事情があるのかもしれない。

     昨日に知らされた疲労の蓄積が起因していたり、ダヴァンの仄めかした異変に何かしら関係していたり。

     知りたい、という気持ちは雪が降り積もるように蓄積し重なっていく。だが、それだけは訊けない。

    明華「ええと……次、打ちます?」

     明華の控えめな問いが卓に座る三人に向けられる。咲は、誰か手の空いている人に入ってもらって席を立とうとした。個人的な心情に気遣わせるのはいい加減悪いと思ったから。

     だが、思わぬ人物が機先を制した。ネリーだ。

    ネリー「あ、あの……サキ」

     おずおずと口を開く。その口を持つ小ぶりな顔がゆっくりと咲のそれに合わせられる。

    ネリー「その打ち方ってさ、自由に変えられるの?」

    ネリー「変えられるんだったら……ネリーは、前の打ち方のほうがいいな」

    「え……っ?」

     胸の鼓動が激しく跳ね上がった。

    「……な、なんで?」

     狼狽したように取り乱しながら尋ねる。あり得ない聞き間違いを願い、手に汗がにじむのを感じながら、苦虫を噛み潰したように言いにくそうにしたネリーが、口を開いていくのを見届けるーー。

    ネリー「今打ってるそれは……なんか、嫌」

     その言葉が、咲に与えた衝撃は甚大なものだった。三半規管を揺らされ平衡感覚が狂ったように咲を震撼させ、視界をも揺さぶった。

     それは、否定の言葉だった。拒絶の告白だった。

    『わたしね、本当は咲ちゃんにーーーー』

     あのときと同じ、本心の吐露。また、同じことが繰り返される。呼吸が速くなる。血の気が引いていく。

     今この瞬間、何よりも目の前の人が恐ろしかった。近づかれるのが怖くて、離れていくのが怖くて。どうしようもない感情が爆発し、頭の中に染み渡っていくーーーー。

     「咲さん!」後ろから明華の声がした。

     咲はその場から走り去り、逃げていた。中学に入学した年そうしたように。抽選会でそうしたように。

     心が言葉にならない悲鳴をあげる。頭の中には恐怖だけがあった。

    713 = 265 :

    >>699描写付け加え


    アレクサンドラ「皆、いる?」

     入ってきて居合わせる顔ぶれを見渡していく。欠員がないことを確認し、ハギヨシを供につけた衣がいることも認めると、

    アレクサンドラ「貴女が天江さんか。挨拶が遅れたけどいらっしゃい、臨海へようこそ」

     薄く笑いかけて歓迎する。

    「こちらこそ挨拶が遅れた。よろしく頼む」

     恭しく返した衣は自分がここにいて問題はないかと尋ね、智葉たちを介して出した許可で問題ないと認められる。

    アレクサンドラ「練習にも参加していってもらえるのかな? 前もって許可は出しておいたんだけど」

    智葉「ちょうどその話をしていました」

    「是非お願いしたいと思っていた!」

     その話を聞くと監督は上機嫌に相づちを打つ。

    アレクサンドラ「そう。それは有り難い。うちは選手の特性上、対外試合を組みづらくて困っていてね」

    「他校との試合はしていなかったのか?」

    アレクサンドラ「国内では、そうなるか……海外のチームとの交流で賄っていたけど」

     そういえば、日本に限れば他校との合同練習などはなかったな、と咲は思った。

    ネリー「んーむむっ……他校との試合とかなくてよかったよね。正直、めんどくさいし」

     箸の扱いに苦戦しながら食事しているネリーが言う。

    ハオ「こっちから出向かなくていいから?」

    ネリー「うん!」

    ダヴァン「私としテハ……出向いてみたくもありマスが」

     ダヴァンがきりっと引き締まった表情で言う。勇敢な発言だが突然だ。心なしか、陰影が射して見えるほどの歴戦の勇士のごとき顔つきだった。

    明華「ご当地のカップ麺が買えるからですか?」

    ダヴァン「ハイ!」

    智葉「……やれやれ」

     二人共にらしい発言に咲は苦笑いした。

    714 = 265 :

    >>706 訂正 多くてすみません……




     無人の広間は広々とした間取りに伴って伽藍の侘しさが鎮座していた。

     早足にここを訪れた咲は畳の上に転がっている自分の荷物を漁る。あるものを探しだし自室に引き返そうとしていた。

    明華「ここでしたか」

     不意に閉じてあった襖が静かに開き、来訪者が現れる。

    「あ……明華、さん」

     後ろ手にそっと襖を閉めた明華が呼びかけられて薄く笑う。目的のものを発見し握りしめた咲を見る目は穏やかだ。

    明華「それ……魚のキーホルダーですか?」

    「は、はい……頭を冷やそうと思って、その……これだけ持ってこうかなって、あのじゃあこれで!」

    明華「おっと誰も練習を抜けていいなんて言ってませんよ」

    「うわっ」

     横を駆け抜けていこうとした咲の手がとられ、ぐるんと外回りに一回転させると正面から向かい合う形にする。舞うように鮮やかな手並みだった。

    「えっ、えっ」

    明華「うーん」

     唸りながら、手を動かした明華が乱れている咲の髪を整えていく。

    明華「はい直りました。よっぽど乱暴に走ったんですね、結構ボサボサでしたよ」

    「あ、あの……」

     明らかに状況が飲み込めずにきょとんとした咲の瞳が瞬く。

     振りほどけそうにない力で掴まれたままの自らの手をチラと見やり、咲はわずかに数センチ目線の違う明華を見つめ返した。明華がことんと首をかしげて亜麻色の髪を揺らす。

    明華「困惑中の咲さんに朗報です」

    「……」

    明華「買い出しを頼まれてきたので一緒にいきましょう」

    「え……っ?」

     咲の鳶色の瞳にこもる困惑がさらに深まった。

    明華「お買い物ですよ、はりきっていきましょう」

    「……え、えっと……」

    明華「あ、今回のお釣りはファインプレーな私を称えてプチプチしたもの限定ですね、悪しからず」

     どこまでもいつも通りのペースで言い切る。緊迫感などおくびにも出さない。咲は困惑が極まって泣き笑いのような顔になっていた。それも感極まったというより、見知らぬ場所に置き去りにされて途方に暮れたように情けない顔だ。

     咲の手を引き、畳に転がる荷物のところまで歩くと明華はハンドバッグを手にとって中身を確認する。

    明華「じゃ、いきましょうか」

     相変わらず底抜けにのんきな声で明華は言う。有無を言わさず咲の手が引かれる。鼻歌が聞こえてきそうな陽気さでひっぱられ、心なしか咲はぐったりとして観念したようにされるがままになっていた。

    明華「ネリーのこと、誤解しないであげてくださいね」

     続く声に弾かれたように咲が顔を上げる。

    明華「距離の測り方がわからなくなるときってありますよね」

    明華「頭ではわかっていても……胸の奥から込み上げる衝動に逆らえない、そんなときも……きっとあるんです」

     前を見て行く先に顔を向けたまま明華は言う。

    明華「本当、突然ですね……」

     言葉が重なっていくにつれてあるとき急に声のトーンが落ちる。だが、すぐに暗い雰囲気は払拭されて前を向いて見えなかった顔が一歩後ろを歩く咲のほうを振り向く。そこにはいつも通りの柔和な笑みが浮かんでいた。

    明華「とぉーりゃんせーとぉーりゃんせー」

     明華は笑顔を見せると前を向き、手を引いて歩き出した。

    715 :

    毎回訂正が多すぎて読み返すのがしんどいな

    716 :

    おつ

    717 :


    毎回楽しみにしてる

    718 :



     二人が去った旅館の練習室。残る九名は練習を再開し、対局を続けていた。ネリーに智葉、ダヴァンとハオが同じ卓に座り、黙々と牌を打つ。

    智葉「おい……大丈夫か、ネリー」

     様子を見かねた智葉が気遣わしげに話しかける。ネリーは明らかに消沈し、花が萎れたような有り様だ。麻雀にもそれがあらわれ精彩を欠いていた。

    ネリー「あ……うん、体調にはまあ……問題ないかな」

    智葉「なら精神的にはありそうじゃないか……休むか?」

    ネリー「……いや、いいよ」

     ダヴァン、ハオも休んだ方がいいとそれとなく伝えるが、ネリーは首を振って固辞する。

    智葉「……無理には言わないが。あまり我慢して打っても実は少ない。元々伝えてあった通り、自主練習くらいに思っていいからな」

    ネリー「うん……」

    智葉「それはそうと」

     そこで言い淀み、智葉は言葉を切る。言葉を探しながら、一旦はそのまま牌を打ち、様子を窺うように辺りを見渡していってネリーへと視線を戻す。

    智葉「なぜ、聞いた? いや咲の反応もまあ予想外、というか予想以上だったが……」

    ネリー「……」

    智葉「……何か、焦っていないか」

     何となくだが、智葉には心当たりがあった。いま口をつぐむネリーから先刻見せた焦燥の残滓らしきものが滲んでいるのもある。しかし、他にもある。それは、座談会のこと。

     二日前、智葉はネリーに付き添い咲の母と対面した。サシ、ならぬ二対一で対峙することになった二人だが、話は一貫してネリーと咲の母の対談であるかのような流れで幕を閉じた。智葉が発言した回数など微々たるものだ。

     今も思い出される。『トラウマ』の話があったあと、咲の母は最後の方にネリーの耳元で何事かささやいた。
     その耳打ちをされて以来ネリーは一段と余裕をなくした気がする。いや、一段どころではないかもしれない。『トラウマ』の話を聞いたときも相当な衝撃を受けていたようだが、それに比べれば生易しいとすら言えるほどだった。

     そしてその影響は、後日の二回戦、控え室の中にまで引きずられていた。
     だから智葉は輪をかけてネリーの不調を気にかけてしまうのだ。

     あれはいったい、何をささやかれたのか。

    719 = 265 :


    ダヴァン「サトハ、そのへんで……」

     ダヴァンがそれとなく諫める言葉を口にする。

    智葉「いやしかし、放っておいてまた同じようなことが繰り返されたら事だぞ」

    ハオ「……それは確かに。傷口を広げるのは避けたいですね」

     三人が意見を口にする。そのうちダヴァンとハオは留学生で、残る明華も咲のフォローに回っている。実質留学生は皆少なからず関わっている。

     留学生が傍観に徹しない。その光景を、不思議な感慨と共に智葉は眺めていた。今までの二年間めったに見られなかったことだ。留学生同士が互いのプライベートに口出しするとなればなおさらに。

    ネリー「何か、事情を聞く方法ないかな……」

    智葉「おい……」

     だが、ふと漏れ聞こえてきたネリーの呟きに、智葉は頭を痛める。この期に及んで諦めていないらしい。その熱意は智葉とて認めないわけにはいかないが、順序があるのではないか、と思わずにいられない。特に咲のような根がどこまで続いているかわからない相手の問題には。

    「無理やと思いますよ」

     どうやって諫めようかと智葉が苦心していると、唐突に隣の卓から声が差し挟まれた。

     日本人である。二年生で、この場に呼ばれるほどには実力を示している部員だ。
     いきなりどうしたのだろうか。彼女は何かにつけて首を突っ込むようなタイプではない。智葉は不思議に思った。

    ネリー「ムリ……って?」

    「うち……あの子と同中なんですよ。でもあの子は、その……自分のことは話さへん。たぶん、絶対に」

     推量する『たぶん』をつけはしたが、絶対という言葉を使うあたり、彼女には何らかの確信があるように思える。

    ネリー「……同じ中学? でも、あのときは……」

    「うちは、あの人らとは違います……」

     智葉にはわからない会話が交わされる。

    ネリー「……」

    「宮永さんには返しきれへんものがあります……うちが頼んだことやないけど、あの子はうち、っていうか部のためにいろんなものを擲ってくれた」

    「……中学のときの話ですけどね。あの子が友達とどう接してたか見てましたから、ちょっと気になって」

     差し出口を挟んですみません、とあちらの卓で牌が打たれるのを見ながら付け加える。彼女の真剣な眼差し。少なくとも適当なことを言っている風には見えない。智葉を含め、話している当人たち以外は静観していた。

    720 = 265 :


    ネリー「中学……友達?」

    「いやそんな恐い顔せんといてくださいよ。そりゃ宮永さんにやっていますって。人付き合いに積極的な子ではありませんでしたけど……」

    「っていっても一人しか知りません。仲良くしようとしてた子はおったんですが……それはともかく」

     言葉を切り、牌を打つ。

    「聞いてませんでした?」

    ネリー「ま、まあ……そこはかとなく言ってたような気がしないでもないよ」

    「……」

     傍目にもわかる白々しさだ。部屋から全体的に呆れるような空気が漂う。誰も突っ込まないのが華だった。

    「コホン、……ともかく、中学のときの話なんですが」

    ネリー「う、うん」

    「何ていうんかな……あの子は友達に秘密主義的な関係を求めてるんやと思います」

     その話に智葉は得心する。確かに、そんな感じがする。何もかも頑なに話さないわけではないが、ある一線で壁を作って接している。時々そんな風に思えるのだ。

    ネリー「ヒミツシュギ?」

    「物事を他人には知らせないでおこうとするって考え方です。宮永さんの場合、全部ってわけやないし、むしろ大体のことは話すんですが……何かな、何が基準なんやろ」

     見てきた以上のことは彼女もわからないらしい。彼女こそが思い悩んでいる本人であるかのように首をかしげ、唸り声をあげる様をみてネリーは不満そうにした。

    ネリー「むー、使えないなー。お金いる?」

    「あはは……勘弁してくださいよ。お金はいらないんで」

    ネリー「しょうがない、タダの情報ってことで許してあげる」

    「お金もらってたらドツボやないですか……」

     ネリーも、少し普段のおちゃらけた雰囲気が戻ってきたようだ。周りもほっとするような笑うような雰囲気に包まれる。

    ネリー「他はある?」

    「他は……そうですね、その友達の名前はクラスメイトって子で、今は清澄高校ってとこにおるみたいです。ええと、団体戦の長野代表の」

    ネリー「キヨスミ……」

     ネリーがとてつもなく嫌そうな顔をする。コーヒー豆を直接噛み潰したかのようだ。清澄高校。何かあったような気がするが、思い出せなかった。

    ネリー「そっか……助かったよありがとう」

    「どうも。聞きたいことがあればまた聞いてください」

     会話が終わり、ネリーは座っている座布団を座り直して改めて卓に向かい合う。

    ネリー「よし、情報ゲット」

     無茶な行動に移さないか智葉は心配だったが、水を差さずに置く。なんともやりにくい。

    721 = 265 :


    ネリー「そういやコロモー、お前なんか知らないの?」

    「人にものを聞く態度じゃないな……」

    ネリー「コロモお姉さんっ、お願いします!」

    「そこまでいうなら仕方ない」

     得意げに笑った衣が鼻を鳴らす。

    「咲は……そうだな、家族に強い思い入れがあるようだ」

    ネリー「ふーん」

    「お前……露骨に態度が変わりすぎだろう」

     口の端をひきつらせ、憮然とする衣。

    ネリー「だってそれって何となく想像つくし」

    「まあ聞け。……衣も家族に対する思い入れは一入だ。衣としては我が龍門渕に咲を迎え入れたいところではあるが」

    ネリー「ちょっと」

    「とりあえずは聞いてくれ。そしてこれは衣の直感だが……咲は家族を喪った経験がある。……まあ同じ穴というやつだ。信用してくれていい」

     衣の言動に見え隠れする妙な威厳が説得力となって聞くものに疑いを薄れさせる。

    「宮永照……衣も薄々感じていた口だが、二回戦の事、無関係ではないだろうな」

    ネリー「……」

    「……」

    ネリー「え、それだけ?」

    「っ!」

     衣の目が泳ぐ。

    ネリー「……」

    「……」

    ネリー「うん……ありがとう。いやこっちがムリに振ったからね」

     あらぬ方向を向いて黙り込んだ衣から目線を切り、ネリーは再び佇まいを正す。座布団の上で姿勢を整えるその瞳は真剣な色を湛えている。

    智葉「ネリー、一つ聞いていいか」

     周囲の空気が緩み、ネリーの緊張感が持続しているのを見計らって、智葉は問いかけた。

    722 = 265 :


    ネリー「……うん?」

    智葉「咲の……打ち方に言及したのはどうしてなんだ?」

     智葉にはいまいちそれがわからない。

     咲が隠していた打ち方を明かし、公然と打つようになったのに何かしら事情がある、というのは。

     何となく察せられることだ。実力が智葉に及ばないことを思い悩んでいたあの頃の彼女の苦しみが、葛藤が、嘘であるとは思いたくない。あの頃でも引き合いに出さず、全く匂わせることがなかった隠し事。事情がないことはないのだろう。

     だが、咲も今まで隠していたのだからそれ自体は非難されなくとも、話題が及ぶくらいは覚悟して然るべきだという向きもあるのではないか。なら、咲があれほど取り乱したのはなぜか。そして、ネリーの真意はどこにあるのか。

     ネリーが押し黙る。考えているのだろうか。催促せず智葉は返答を待つ。
     少しして、ネリーは明るさを装うように言った。

    ネリー「サキ、あの打ち方だと練習に身が入ってないみたい」

    ネリー「……だからね、カツを入れてやったの!」

     元気を振り撒くような仕草。だが、何かを隠そうとするような不自然さが端々から感じられたのは気のせいか。

    723 = 265 :


    智葉「渇って……それは、お前……言い方が悪かったんじゃないか」

     言おうか迷った末に智葉は苦言を呈す。伝え方に問題があったように感じたから。

     実際、智葉は今聞いて『ああ、なるほど』とならず、『そういう意味だったのか』と意外な印象をもて余している。おそらく咲にも伝わっていないだろう。伝わっていたらこんなことにはなっていない。

    智葉「あの言い方じゃわからないと思うが……」

    ネリー「…………そんなの、わかってる」

     指摘を受けたネリーが俯きがちになり、何事か呟く。か細い声で聞きとれない。

    智葉「今、何て?」

    ネリー「そうだね、言い方を考えてみるよ」

    智葉「……そうしてくれ」

     取り澄ました顔で智葉は返す。質問を重ねたくなる衝動を呑み込んだ。
     黒い雷雲が広がるような雲行きの怪しさーー密かにそれを心の中で感じながら、練習を再開すべく全自動卓に手を伸ばす。

    724 = 265 :


     刹那、機械的な電子音が鳴り響く。

    智葉「うん……?」

     突如として鳴り響いた異音に智葉は首をかしげる。

    ネリー「……?」

    ハオ「あ、携帯かな?」

    ダヴァン「アッチにありまスネ」

    「あっちだ!」

     視線を巡らせると電子音を流す携帯端末は皆簡単に見つけられた。
     ぞろぞろと卓から離れて畳の片隅、何人かの荷物置き場となっている場所に落ちた携帯端末。

     皆より一足早く着いたダヴァンがそれを拾い上げる。

    ダヴァン「……着信してまスネ。通話デス」

    ハオ「誰の?」

    智葉「このデザイン、どこかで見たな……部員のものではあると思うが」

    ダヴァン「ダレかこの携帯に心当たりありまスカー?」

     振動し電子音を垂れ流す携帯端末が掲げられ、それを見たこの場にいる部員の反応は薄い。名乗りがあげられる気配はなかった。

    ネリー「……ってことはミョンファか、サキの?」

     ネリーがそう言うとたちまち沈黙のとばりが落ちる。渦中の人物である咲か、明華か、どちらかが忘れていったもの。皆、何となく身構えてしまう。

    「出ないと切れてしまうのではないか?」

    ダヴァン「アッ……」

     電子音はまだ鳴り続けている。だが、電話してきた相手が痺れを切らせば止まってしまうだろう。

    725 = 265 :


    ダヴァン「出てしまっていいんでショウカ」

    ハオ「どうする? 出る?」

    智葉「うーむ」

     咲の電話をとるのはまずいかもしれない。悩みどころだった。

    ダヴァン「もしかしたら急用かもしれマセン! 出てミマス!」

    智葉「あっ」

    ダヴァン「ポチッとな!」

     智葉が制止するよりも早くダヴァンはボタンを押していた。そして滑らかな動作で端末を耳に当て、

    いちご『……あっ! もしもし、宮永さんの携帯で合っとるかのう?』

    ダヴァン「……」

    いちご『あれ……もしもし、もしもーし! 聞こえ』

    ダヴァン「Do you pray to “MUGEN” of the ramen?」

    いちご『え゛』

     ダヴァンは通話を切った。

    ダヴァン「フウ……危なかッタ」

    ハオ「いやアウトだから。宗教の勧誘みたくなってたよ」

    智葉「おい、咲が変な人みたいに思われたらどうする」

    ネリー「何してんだこのラーメンマン!」

    ダヴァン「ハッハッハッ、いけマセンネリー、私は女ですからウーマンでスヨ。英語は正しく使わなけレバ!」

     この瞬間、Megan Davinの命運が決まった。

    ダヴァン「」

    智葉「悪ふざけするからだ」

     折檻され、ダヴァンがその場に倒れている。一連の馬鹿げたやりとりですっかり雰囲気が変わってしまった。

     だが、妙な空気が漂う練習室に再び電子音が鳴り響く。

    智葉「……またかかってきたぞ」

    ハオ「どうしましょうか」

    ネリー「……」

    「次は誰がとるんだっ?」

    ハオ「いやそういう遊びじゃないんですよ」

     電子音を垂れ流す携帯端末が緊迫した練習室で存在感を示し続けていた。

    726 = 265 :




     朝方の爽やかな空気にさっと肌を撫でられ、空を見上げる。晴れ渡った空が青々しい。旅館から近場のコンビニまでの道の途上。日傘を差した明華と連れ立って、咲は車道脇の歩道を歩く。

    明華「LaLaLaーーあ、そっち危ないです」

    「ど、どうも」

     道の行く先の街灯を先んじて見つけた明華が注意を促す。朝からの練習で若干注意が散漫してしまっていたが、咲は余裕をもって避けることができた。

     一方、明華は道中鼻歌やメロディーを口ずさむ。往年のジャズの名曲に始まり、今は人生を面白おかしく歌ったシャンソンを口ずさんでいる。

    『変えられるんだったら……ネリーは前の打ち方のほうがいいな』

    『今打ってるそれは……なんか、嫌』

     思い返されるのは、対局の練習中にかけられた言葉。

     ネリーは、何を思ってその言葉を伝えたのか。反射的に怯えて逃げ出してしまってから、ずっと気にかかっていた。舗装された地面に広がる、朝の光りに磨かれた敷石を漫然と眺めながら歩道を歩く。

    明華「わっ」

     そうしていると、いきなり明華に脅かされた。いつのまにか前に回り込んでいたようだ。ひえっ、と変な悲鳴をあげてしまう。

    「えっ、え?」

    明華「もう着きましたよ」

     ほらあそこ、と指を差す先にはコンビニがある。

    「あ……」

     二車線の車道を挟んで向こうの歩道。その道沿いに建っている色んな店の中にあるコンビニを一目見て、

    「す、すみません!」

     慌てて明華のほうを向き謝る。完全に不注意だった。

    明華「大丈夫です、どっちにしてもまだ信号待ちですから」

     見てみればその通りで信号に足を止めている格好だ。自分が今そうしているのに気づかないほど混乱していた。横断歩道の向こうにある赤く点灯した信号にほっと息をついて明華を見つめ返す。

    727 = 265 :


    「それでも声をかけてもらわなかったら気づきませんでした」

     すみません、ともう一度謝る。すると明華はむっと可愛らしく顔をしかめた。

    明華「できたらありがとうございますのほうが嬉しいですね。一点減点です」

     確かに感謝のほうが気持ちいいだろう。何から点数が差し引かれたか不明だが、納得して言い直す。

    「そう、ですね……ありがとうございます」

    明華「いえいえ」

     笑顔で返される。満足してもらえたのだろうか。言ったあと、何か小さく聞こえたような気がしたが、口が動いていなかったので妙に思い、首をかしげる。

    明華「どうかしました?」

    「いえ」

     雑踏に視線を移す。信号待ちの間、手持ちぶさたなので適当な雑談をして待つ。やがて信号が青色に変わった。

     横断歩道を並んで渡る。その途中、あちら側の歩道、向こう岸に立ち並ぶ店先の中のあるものに目が止まる。

     それはーーファンシーショップにあるぬいぐるみ。カジキマグロを抱えた熊、のように見えるものだった。ショーウィンドウの中、透明な硝子越しに魚を携えた熊が勇ましげな立ち姿を晒している。

     少しの間釘づけになった視線を悟られることはなかった。もし立ち止まっていたときに目をやっていれば明華に気づかれただろう。そのまま横断歩道を渡りきり、コンビニに入った。

    「イラッシャイマセー」

     そこそこ込み合う店内が透けて見える自動ドアを潜る。入店を告げるお決まりの音楽を聞きながら、明華と並び店内に足を踏み入れる。

     だが入った瞬間、咲は硬直する。普通のコンビニだ。今まで見てきたそれと代わり映えしない、本来なら驚くに値しない光景。

     しかし、

    誠子「いいか大星、私は弘世先輩の代理としてお前が暴走するのを止めなきゃいけない。わかるな?」

    「はい……亦野先輩……」

    「アッハハハハハハ、おっもしれー」

     店内に入ってすぐ奥の突き当たり、ぽっかりと空いたスペース。そこにいる、床に正座したり、腰に手を当てて説教したり、腹を抱えて爆笑したりしている人たち。否が応にも目を奪われてしまう。

    「……ああっ!? サキだ!?」

    誠子「な、何!?」

    「……おや」

     そして、棒立ちになっていた咲は瞬く間に捕捉される。一直線に飛んでくる矢のような視線に射抜かれ、咲はその場に立ち竦んだ。

    728 = 265 :

    ここまで

    729 :


    淡が照との和解の橋渡し役になってくれたらなぁ

    730 :

    おつ
    ダヴァンがムードメーカー的な感じで良いね

    731 :

    クラスメイトちゃんとの再会が待たれますな

    732 :


    淡は劇薬にもなり得るからちょっと怖い

    734 = 265 :

    あ、ミスってた
    >>727
    コンビニの店内は空いて見えたことにしてください

    735 = 265 :

    >>725 ちょっと説明足らなかったんで訂正 ダヴァンは咲の電話だったのでテンパってしまっただけです

    ダヴァン「フウ……危なかッタ」

    ダヴァン「……フウ、危なかッタ」

    智葉「悪ふざけするからだ」

    智葉「焦ったのはわかるがふざけすぎだ」

    736 = 265 :

    すみませんやり方悪かったので訂正させてください 毎度本当に申し訳ない…
    >>724

     刹那、鳴り響いた機械的な電子音に周囲が浮き立つ。

    智葉「うん……?」

     突如として上がった異音に智葉は首をかしげる。

    ネリー「……?」

    ハオ「あ、携帯かな?」

    ダヴァン「アッチにありまスネ」

    「あっちだ!」

     視線を巡らせると電子音を流す携帯端末は皆簡単に見つけられた。
     ぞろぞろと卓から離れて畳の片隅、何人かの荷物置き場となっている場所に落ちた携帯端末。

     皆より一足早く着いたダヴァンがそれを拾い上げる。

    ダヴァン「……着信してまスネ。通話デス」

    ハオ「誰の?」

    智葉「このデザイン、どこかで見たな……部員のものではあると思うが」

    ダヴァン「ダレかこの携帯に心当たりありまセンカー?」

     振動し電子音を垂れ流す携帯端末が掲げられ、それを見たこの場にいる部員の反応は薄い。名乗りがあげられる気配はなかった。

    ネリー「……ってことは、ここにいない人の?」

     ネリーがそう言うとたちまち沈黙のとばりが落ちる。渦中の人物である咲か、明華か、はたまた観戦に向かった誰かというのもあり得る。

    「出ないと切れてしまうのではないか?」

    ダヴァン「アッ……」

     電子音はまだ鳴り続けている。だが、電話してきた相手が痺れを切らせば止まってしまうだろう。

    737 = 265 :

    >>725

    ダヴァン「出てしまっていいんでショウカ」

    ハオ「どうする? 出る?」

    智葉「うーん」

    ダヴァン「もしかしたら急用かもしれマセン! 出てミマス!」

    智葉「あっ」

    ダヴァン「ポチッとな!」

     智葉が制止するよりも早くダヴァンはボタンを押していた。そして滑らかな動作で端末を耳に当て、

    いちご『……あっ! もしもし、宮永さんの携帯で合っとるかのう?』

    ダヴァン「……」

    いちご『あれ……もしもし、もしもーし! 聞こえ』

    ダヴァン「Do you pray to “MUGEN” of the ramen?」

    いちご『え゛』

     ダヴァンは通話を切った。

    ダヴァン「……フウ、危なかッタ」

    ハオ「いやアウトだから。宗教の勧誘みたくなってたよ」

    智葉「おい、咲が変な人みたいに思われたらどうする」

    ネリー「何してんだこのラーメンマン!」

    ダヴァン「ハッハッハッ、いけマセンネリー、私は女ですからウーマンでスヨ。英語は正しく使わなけレバ!」

     この瞬間、Megan Davinの命運が決まった。

    ダヴァン「」

    智葉「焦ったのはわかるがふざけすぎだ」

     折檻され、ダヴァンがその場に倒れている。一連の馬鹿げたやりとりですっかり雰囲気が変わってしまった。

     だが、妙な空気が漂う練習室に再び電子音が鳴り響く。

    智葉「……またかかってきたぞ」

    ハオ「どうしましょうか」

    ネリー「……」

    「次は誰がとるんだっ?」

    ハオ「いやそういう遊びじゃないんですよ」

     電子音を垂れ流す携帯端末が緊迫した練習室で存在感を示し続けていた。

    738 :

    ホント毎回訂正入ってて読みづらいってレベルじゃねーな

    739 :

    毎回同じ人が文句いってますね……

    740 :

    いやでもまあちょっと訂正が続いたよね
    楽しみにしてるしゆっくり待ってるので、あんまり焦らずじっくり書いてほしい
    応援してるので

    741 :

    内容忘れてそうやし見かえそ

    742 :



     暗幕を下ろしたような深い闇が目に浮かぶ。思い浮かべた記憶の真っ暗な光景はやがて淡い光に満たされていき、あるとき視界が唐突に開ける。

     そこは、子供の頃から慣れ親しんだ長野の家の中、だろうか。内部から見た内装の特徴がいくつか合致する。芳香を放つ檜の柱。すっきりとした居間の外観。

     そんな見覚えのある居間と寝室を繋ぐ廊下の、居間の入り口の扉の傍ら。そこに隠れるようにして咲は立っている。高校生になった今の半分より少し高い目線。水彩画に水を垂らして滲ませたようにぼやけた眼前の光景。

     その奥、居間の中ほどで、父と母が向かい合ってたたずみ話し込んでいた。

    「照と咲は寝た?」

    「ああ、遊び疲れたんだろ。昼寝してるよ」

    「そう。……ごめんね、あなたも忙しいのに」

     すまなさそうに母が声の調子を落とす。「いいさ」と父は鷹揚に笑う。

    「明日対局があるっていっても、朝早くからってわけじゃない」

    「頑張ってね。応援してる」

    「ああ……お前も頑張れよ。ヨーロッパ、回らなきゃいけないんだろ?」

    「うん。私は一族の事業のうちヨーロッパ地域を任されているから」

    「そうだな。……そっちのことは全然力になれないが、愚痴くらいは聞いてやれる。あんまりムリするなよ」

    「問題ないよ。任された仕事は私の能力で充分対処できるし順調……それに、そっちに限らず今は……多くのことが良い方向に流れている」

    「そうだな」

    「ただ、最近あの子の調子があまりよくないのが気がかり。私がヨーロッパにいっている間、気にかけてあげて」

    「ああ。わかった」

    「あの子も……この家に来られるようになればいい。そうしたらきっと更に楽しくなる」

     会話の中にテレビのノイズのような音がずっと混ざり込んでいる。過去の咲は聞いていたかもしれない。しかし、思い出そうとしても一連の会話は全く記憶に残っていなかった。目の前の光景と同じように感触も、匂いも、咲には感覚の一切がおぼろげに感じられる。

    「照がいて、咲がいて、あの子がいる……当たり前だけどかけがえのないもの、子どもの頃に思い描いた夢が現実になる」

    「おいおい、俺は入れてくれないのか?」

    「あはは、もちろんあなたもね」

     ――――曖昧模糊としていた視界が、その瞬間、克明に像を結ぶ。

     鮮やかな笑顔。その瞬間の母は、笑っていた。それだけで人々に鮮烈な印象を与えるほど軽やかに。

     多くの場合人々の注意や関心を惹きつけるのは、静止した顔の善し悪しよりは、むしろ表情の動き方の自然さや優雅さだ。そしてこのときの母は、飾らない自然な魅力に満ちあふれていた。

     だが、咲の記憶の中で物心ついてから今に至るまで大部分を占める母は、そつのない優雅な立ち居振舞いで印象を刻みつける人だ。泰然としていて、血の繋がった娘の咲でさえやや情緒に欠けて見えるほど淡白で。

     今や思い出の多くとは食い違う。冷悧な印象ばかり際立つ現在の母が、このときだけは明朗快活なはやりにも重なって見えてしまうほど、それくらい、別人のように感じられた。

     古い記憶を遡ると奥底でいつも説明のつかない疑問に突き当たる。それは、物心ついた頃から長野の一軒家で暮らしている自分が、おそらくは物心がつく前に残していた記憶の断片。
     薄ぼやけたそのかつての光景では、やはり自分は長野の家にいて、覚えのある居間の一室で両親が会話する様子を扉の外からこっそり覗いている。

     高校生になった今では、そんなことが実際にあったのかどうか判断できない。それほどあやふやなものだ。しかし、その霧や霞のような記憶を反芻するたび考えてしまうのだ。

     宮永咲の母という人は、いったいどんな人なのだろうかと。

     優しい人だということは知っている。いろんなことを強いるように見えて意思を大事にしてくれることを知っている。

     母の愛情を疑ったことはない。だから、今まで考えないようにしてきた。

     知らなくても信じられる。今のままで不満はないから。

     そうだ――――今のままで、不満なんてない。

    「照と咲が生まれ、私は実績を積み上げて一族内での立場を固め、そうしていずれはあの子も……」

    「あと少し、あと少しで叶う」

    「その時こそ私は勝利を掴む。仮初めじゃない、真の栄光が手に入る」

    「桜花のように儚く舞い散るものではなく、永遠を約束する石の加護に極まった栄華が」

    「ああ……そうだな」

     薄ぼけた記憶の井戸で思い出したように会話が再生された。

    743 = 265 :



     明華と協力して店内を物色する。回っているうちに買い物かごの中にはどんどんと商品の山が築かれていく。

     薄力粉。だしの素。塩。カップ麺。醤油。酒。みりん。鶏卵。チキンラーメン。天かす。青のり。粉かつお。オタフクソース。ソース焼きそば。マヨネーズ。ポンズ。一リットルサイズのペットボトルに入った水ーー、

    「あの……これ、なんなんですか?」

    明華「はい?」

     プロセスチーズの袋を手にとって確かめていた明華が呼ばれて振り返る。

    「買い出しですよね?」

    明華「買い出しですよ」

    「部の……買い物なんですよね?」

     買い物カゴを占領しつつある商品の数々にチラと視線を移し、咲が訝しげに訊く。すると。

    明華「ええと実はですね、これは――」

    「たこパだっ!!」

     今にも秘密の種明かしだという雰囲気を匂わせる明華の説明が始まった途端、元気な声がして、二人の間にひょこっと淡の顔があらわれる。

    「え?」

    「ん、これたこ焼きの材料でしょ? たこパってやつでしょっ」

     天真爛漫な淡の言動につられて、表情に疑問を浮かべていた咲はもう一度カゴの中身を見やる。

     言われてみればそうかもしれない。少しばかり余計なものが紛れ込んでいるが、材料としてはお好み焼きの類いに近い。たこ焼きにもとれる。足りないのは肝心のタコくらいか。

    「へー、たこ焼きパーティ? 楽しそうだねぇ」

     と思っていると、少し離れた場所で眺めていた咏が歩いてきて軽い調子で加わる。

    誠子「お、おい大星っ、話の邪魔をするんじゃない」

    「へっ?」

     だが同じく近づいてきた誠子は、目を離した隙に悪戯をしでかす我が子を見咎めた親のように駆け寄ってきて、淡の腕をひっぱる。

    誠子「重ねがさね迷惑をおかけしてすみません。こいつにはよく言って聞かせますんで……」

    明華「ああ、いえ構いませんよ」

     ぺこぺこと何度も頭を下げる誠子。この場で顔を合わせてからもう何度目になるだろう。気にしていない風に返す明華も少々苦笑い気味だ。

    誠子「ええとそちらの……宮永さん? もごめんね」

    「いえ……」

     謝りの言葉が咲の方にも入れられて、咲は萎縮したように会釈しながら思い返す。先ほどあったやりとりのことだ。淡は、店内に入る咲たちを目にすると出し抜けに声を上げ、素早く近寄ってこう言い放った。

    「泊まってるとこいく前に会えちゃうなんてラッキー! これが飛んで火に入る夏の虫、いやサキだねっ!」

     そして彼女はどういう因果か「白糸台の控え室においでよ」と言い、誠子が「いや、控え室は……」と渋い顔をすると今度は「そっか、なら宿泊先! うちのホテルにきてっ!」と言い出し、それからしきりに誘いをかけてくるのだ。咲の手をとって。

     実際には自力で淡の手から逃れたり、明華が間に身体を差し込んだりするので厳密にいえば『手をとろうとして』だが、どちらにせよ少なからず咲たちが手を焼いたのは確かだ。

     腕を掴みひっぱり込んだ淡の頭にもう一方の手を置いて押さえつけた誠子は、そういった経緯を気に病んでいるのかひたすら謝りっぱなしだが、

    誠子「大星もこの通り反省して……」

    「フローズンドリンク飲みたい」

     両者の言動は真っ向から食い違っていた。「大星!」鬼の形相になった誠子が厳しい視線を飛ばす。

    「えー、私はサキを連れて帰ろうとしてるだけだよ?」

    誠子「それが迷惑なんだ!」

    「ぶー」

     しかし叱咤を受ける当の淡は暖簾に腕押しといった具合で動じず、ふくれっ面を開けっ広げにさらしている。

    744 = 265 :



     明華と協力して店内を物色する。回っているうちに買い物かごの中にはどんどんと商品の山が築かれていく。

     薄力粉。だしの素。塩。カップ麺。醤油。酒。みりん。鶏卵。チキンラーメン。天かす。青のり。粉かつお。オタフクソース。ソース焼きそば。マヨネーズ。ポンズ。一リットルサイズのペットボトルに入った水ーー、

    「あの……これ、なんなんですか?」

    明華「はい?」

     プロセスチーズの袋を手にとって確かめていた明華が呼ばれて振り返る。

    「買い出しですよね?」

    明華「買い出しですよ」

    「部の……買い物なんですよね?」

     買い物カゴを占領しつつある商品の数々にチラと視線を移し、咲が訝しげに訊く。すると。

    明華「ええと実はですね、これは――」

    「たこパだっ!!」

     今にも秘密の種明かしだという雰囲気を匂わせる明華の説明が始まった途端、元気な声がして、二人の間にひょこっと淡の顔があらわれる。

    「え?」

    「ん、これたこ焼きの材料でしょ? たこパってやつでしょっ」

     天真爛漫な淡の言動につられて、表情に疑問を浮かべていた咲はもう一度カゴの中身を見やる。

     言われてみればそうかもしれない。少しばかり余計なものが紛れ込んでいるが、材料としてはお好み焼きの類いに近い。たこ焼きにもとれる。足りないのは肝心のタコくらいか。

    「へー、たこ焼きパーティ? 楽しそうだねぇ」

     と思っていると、少し離れた場所で眺めていた咏が歩いてきて軽い調子で加わる。

    誠子「お、おい大星っ、話の邪魔をするんじゃない」

    「へっ?」

     だが同じく近づいてきた誠子は、目を離した隙に悪戯をしでかす我が子を見咎めた親のように駆け寄ってきて、淡の腕をひっぱる。

    誠子「重ねがさね迷惑をおかけしてすみません。こいつにはよく言って聞かせますんで……」

    明華「ああ、いえ構いませんよ」

     ぺこぺこと何度も頭を下げる誠子。この場で顔を合わせてからもう何度目になるだろう。気にしていない風に返す明華も少々苦笑い気味だ。

    誠子「ええとそちらの……宮永さん? もごめんね」

    「いえ……」

     謝りの言葉が咲の方にも入れられて、咲は萎縮したように会釈しながら思い返す。先ほどあったやりとりのことだ。淡は、店内に入る咲たちを目にすると出し抜けに声を上げ、素早く近寄ってこう言い放った。

    「泊まってるとこいく前に会えちゃうなんてラッキー! これが飛んで火に入る夏の虫、いやサキだねっ!」

     そして彼女はどういう因果か「白糸台の控え室においでよ」と言い、誠子が「いや、控え室は……」と渋い顔をすると今度は「そっか、なら宿泊先! うちのホテルにきてっ!」と言い出し、それからしきりに誘いをかけてくるのだ。咲の手をとって。

     実際には自力で淡の手から逃れたり、明華が間に身体を差し込んだりするので厳密にいえば『手をとろうとして』だが、どちらにせよ少なからず咲たちが手を焼いたのは確かだ。

     腕を掴みひっぱり込んだ淡の頭にもう一方の手を置いて押さえつけた誠子は、そういった経緯を気に病んでいるのかひたすら謝りっぱなしだが、

    誠子「大星もこの通り反省して……」

    「フローズンドリンク飲みたい」

     両者の言動は真っ向から食い違っていた。「大星!」鬼の形相になった誠子が厳しい視線を飛ばす。

    「えー、私はサキを連れて帰ろうとしてるだけだよ?」

    誠子「それが迷惑なんだ!」

    「ぶー」

     しかし叱咤を受ける当の淡は暖簾に腕押しといった具合で動じず、ふくれっ面を開けっ広げにさらしている。

    745 :

    誠子「お、おい分かってるのか、私がその気になれば……」

    「できないでしょ?」

     猫のように目を細め怪しげな光りを瞳に宿した淡がニヤと笑う。傍観する咲たちには何を指すやりとりか不明だが、誠子は「ぐっ」と押し黙り、苦々しく顔を歪める。

    誠子「早く戻らないとまずいって、弘世先輩にめちゃくちゃ怒られるぞ?」

    「でね、そのとき私は気づいたんだ。人間は記憶を蓄積する装置であるだけじゃなくて、思考を発生させる装置でもあるって」

    誠子「聞けよ、ってか何の話だよ!」

    「っべーだ」

     台詞に合わせて仕草を作り誠子をおちょくると、淡は咲に振り向いてトトッと駆け足に歩み寄った。

    「よしわかった、サキの気持ちを尊重しよう!」

     ひしと手を握られて咲の身体が震える。しかし、一転して心情を慮る発言。その言葉を聞いて咲の心にはわずかばかりの安堵が生まれていた。

     姉と縁があり、初対面での出来事、そしてよりによって白糸台の本拠地へと引き込もうとする彼女の強引さに恐怖にも似た苦手意識が芽生えていたが、彼女とて何がなんでも力ずくではない。そう認識し、咲も混乱から回復しつつあった。

     姉の知人友人を前に平静ではいられない。だが、一方的に避けるのは悪いと思えるくらいには余裕を取り戻せた。握られた手もすぐに離されたからか、明華も口を出さない。静かに状況を見守っていた。

    「大星さんは」

    「淡って呼んで、愛称でもオッケーだよ」

     思い切って口を開くと呼び方の訂正を求められる。

     いきなり名前で呼ぶ。内気で人見知りな咲には抵抗がある。愛称など、もっての外だ。

     とはいえ、無理をするでもなく相手が望んでいるようだし、ネリーを『ヴィルサラーゼさん』、明華を『雀さん』と呼びはしなかったように、異国の人間を相手にすると思って意識を切り替える。

    「淡……さん」

    「淡さん? アハハッ、なんか敬われてるみたい」

     呼称が琴線に触れたのか笑いこける淡。

    「まずは好感度だね!」

    「え?」 

    「仲を深めてから誘う、そしたらオッケーの流れ。将を射んとすればまず馬!」

    「あの、私たち買い出しの途中なんですけど……」

     表現の疑問には触れないでおき、とりあえず咲は自分たちの事情を伝える。
     まばらに通りゆく客や品出しする店員の視線をちらちらと感じながら冷蔵ショーケースがある一番奥の通路の端っこに直線状に並んで話し込む。その中心を陣取った淡は、藪から棒に奇妙なことを言い出した。

    「ほら今日も暑いし? さっぱりしたくない?」

    「はい?」

    「でしょー!? ちょうどここにプールのチケットが二枚あるんだけど」

     淡がスカートのポケットから手早く二枚のチケットを取り出す。だが、掲げられたそれを見る咲の反応は素っ気ない。

    「……」

    「うん?」

     プール。あまり乗り気でないのもあるが、唐突に誘われても返答に困るというのもあり、咲は閉口する。

     訪れる沈黙。白や明るい色を基調とした店内の雰囲気がそれをより際立たせる。

    「……あううっ」

     どう断ろうか咲が迷っていると、そんな様子をどうとらえたか、弱り果てたように淡はうめき声を漏らす。

    746 = 745 :

    「わ、わかった、そっちの髪白? 銀? ええっと外国の人も連れてっていいから」

    「――はい三枚、これでいい?」

     スカートからさらに一枚取り出すと元からあった二枚の上に重ね、差し出すように見せて示す。明華の分もあるのは好印象だけれど。咲の顔には苦笑が浮かぶ。

    「ええっと、さっきも言ったけど部の買い出しの途中なんです」

    「それ終わってから! パパっと決めて、パパっとみんなで買い出し終わらせたら、いっぱい遊べるよ!」

    「すごいよー、東京でもいっちばん大きいレジャープールなんだから。長野からきたサキなんて腰抜かしちゃうよっ」

    「ムリですよ。部の練習がありますし」

     つい先刻練習室から飛び出した身でと思いながらも口実に断ろうとする。

    「まあまあ、息抜きも大事。大体大会始まってから練習練習ってやってもアレでしょ? 一日くらい」

    「……あの、気になってたんですけど」

    「ん?」

    「まだ試合中のはずじゃ……?」

    咲たちが旅館の練習室でBブロックの二回戦が始まるのを見てから、まだ半刻と経っていない。それがあってか明華などは対面したときから怪訝そうにしていたが、咲も妙だとは思っていた。

    「あー、ああーそれね」

     疑問を受けて淡が大したことなさそうに答える。

    「うん、私は大将だからね、出番まではモラトリアムがあるっていうか」

     淡の背後で誠子が眉頭を押さえている。咲はひえっと息を呑んだ。

    「そ、それ……まずいじゃないですか!」

     二回戦で試合を終えた咲が辺りをぶらついた比ではないくらいまずい。戦慄に身震いする。単純に問題だし、万が一姉のいる白糸台が敗退扱いになったら咲の望みまで断たれかねない。割とシャレにならない焦燥が咲を襲う。

    「だからね? サキがついてきてくれたらすぐ戻れるなーって」

    「そういう問題じゃ」

    「ほら、買い出し終わらせて会場きて私の勇姿拝んで、それでプール! 完璧ハナマルっ」

    「いえですから」

    「うるせえ! いこうっ!!」

     押し問答の末、「ドン」と出た淡の頭に誠子のゲンコツが落とされる。

    「あだっ」

    誠子「いい加減にしなよ、大星。もう戻るぞ」

    「……えー、どうせ大将の私まで回ってくるのは何時間か先だって」

     誠子が淡を捕まえようとするが猫を思わせる俊敏さでヒラヒラとかわされ、咲の背後へと隠れるように回ってしまう。

    747 = 745 :

    誠子「くっ、店内だから派手な動きができない……」

    「ツーン」

    誠子「ツーンとしたいのはこっちだ! ……宮永さん、そいつ捕まえてくれないかな」

     あっという間に後ろに回られた。心底申し訳なさそうにトーンを落とす誠子の頼みに咲は首をねじって後方をうかがう。

     どうしてか淡は咲の髪に顔を埋めていた。

    「んーっ、やっぱテルーにそっくり。髪型も髪の長さもホーンみたいなクセも」

    「……あの、どいてください」

     無遠慮に接近されて微かに不快な感覚を覚えながら伝えると、淡は名残惜しそうに咲の頭から顔を離した。淡へと突き刺さる明華の視線は心なしか険しい。

    「ごめんごめん、つい」

    「いえ……それより試合に戻ったほうがいいと思いますよ」

     こんなところで油を売っている場合ではない。そんなことは部外者の咲に言われるまでもなくわかっているはず。とはいえ、約束を取りつけようと粘り続けて一向に帰ろうとしない淡を見ていると、何を考えているのかわからずにもやもやとした疑問が募っていく。

     咲は、淡と積極的に拘わろうとする気はなかった。淡との関係を通じて姉との関係が進展する可能性を考えなかったわけじゃない。だが、そういった理由で淡と関係を結ぶことに打算の後ろめたさを感じる以前に、咲はその選択肢を拒絶していた。善悪の判断と感情を抜きに、それは咲にとって最も忌避すべきことだった。

    「んー、試合は大事だけどこっちも気になるんだよね」

     淡はどこまでも奔放に振舞っている。そんな悠長にしている間に試合の出番が回ってくる事態にもなりかねないのに。大丈夫だという確信でもあるかのように余裕を見せる。本当にコンビニに買い物でもしにきたような気楽さだ。

     ふと気になったのは誠子と淡の力関係。淡は最初正座して謝っていたのに今では誠子に対して居丈高だ。この二人、どういった関係なのだろうか。

     おもむろに誠子へと視線を送る。すると切実そうな瞳で見つめ返された。「淡を捕まえてくれ」目がそう言っている。

     咲もそろそろ買い出しを再開したい。むしろ手伝わない理由がなかった。誠子に協力し淡を捕まえようとすると、

    「わっ、わわっ、何?」

     嫌な予感を察したのかするりと咲の腕をかわして距離をとられてしまう。

    「あ、あれっ、プールの準備を気にしてる? だったら大丈夫、これ持ってきたから心配ないよ!」

     しかし一度の失敗に諦めず近づいていく咲に、淡は焦った様子で陽気にそう言って手にすっぽりと収まるくらいの小ぶりなビンを取り出す。

    「えっと、それは?」

     錠剤の入った透明なものだ。プールの準備なんて見当はずれなことを言われたものの、気になって問いかける。

    「ふっふーん、飲む日焼け止めだよ。すごいでしょ」

    「え、それが……」

     飲んで対策するタイプの日焼け止め。モデルやヨーロッパなどの間で大流行し、シワやシミなどにも美容効果が期待できる垂涎の品だ。咲も寡聞には聞いていたが高価なこともあり、実物を見るのは初めてだった。

    誠子「み、宮永さん惑わされるな! そもそも水着がないぞ!」

    「水着は私の貸したげるもーん」

     興味を示した咲に危惧を抱いてか必死に呼びかける誠子と、余裕の表情の淡。だが実際のところ咲はある矛盾に震えていた。

    「結構です……」

    「え、何が?」

     咲の発言に淡が聞き返す。なるほど、藪から棒に言っても伝わらないだろう。深い谷底から這いあがる怨嗟のように陰鬱な声でニュアンスが伝わるという期待に見切りをつけ、咲は水着はいらないと伝える。「なんで?」淡が不思議そうな顔をした。咲は、屈辱に身を震わせる。

    「入りませんから」

     咲が、淡の水着を着るには、身体のある一部分の厚みが足りない。おそらく、その水着を着ると余った布地を支える『力』が不足し、水着は重力に従って咲の胸を離れるだろう。――経験上、咲はそれをよく知っていた。

    「なんで?」

    「胸が、足りないからです!」

     なおもいたずらに長引かせられる残酷な話題に、咲は終止符を打った。

    誠子「大星……お前、そんなことをするやつだとは思わなかったよ」

     咲の痛みを理解し境遇を同じくする誠子が非難する。人の道を外れた行いに失望をあらわにし、畜生道に落ちた罪人を見るようなまなざしで淡を見やる。明華も何か言いたそうにしているが、持てるものが心に届く言葉を口にする困難を悟ってかいたたまれなさそうに傍観。咏は遠巻きにずっと観察していて、こっそり爆笑していた。

    「あー……な、なるほどね」

    「もんで大きくしてあげよっか!」

    「そんな幻想はいらないので帰ってください」

     めげずにコミュニケーションを図る淡に凍えるようなまなざしで返答が返される。にべもなかった。

    748 = 745 :

    「……帰らないなら好きにすればいいですけど私たちは買い物に戻りますね」

    「あうっ」

     決別の言葉に淡が痛打を受けたような声をだす。

    「そ、それは困るよっ」

     取りすがるように顔色を悪くして淡が慌てる一方、咲は既に買い物に戻ろうとしていた。お辞儀した後、明華に目線を送って踵を返し、買い物かごを持ち直してその場から離れようとする。明華も呼応してうなずき「では失礼します」と言って残る三人にお辞儀する。

    「待たれいっ」

     背後から聞こえてきた謎の侍言葉にちょっとだけ反応しそうになったが、努めて無視を決め込む。

     そしてはあっと息をつく。

     心臓に悪い相手との別れ。咲はどこか安心していた。胸部の肉づきの話はちょうどいい口実になり、振り切るきっかけになった。

    誠子「はあ……ようやくいけるか。最後に臨海の人たちに謝ってくるから大星、そこで待ってなよ」

    「……」

    誠子「な、なんだその眼鏡。おいっ、どこいく気だ」

    「サキのとこ」

    誠子「もうこのへんにしとけって。誘うにしても今じゃなくていいだろ。試合終わってからでも」

    「次はいつ会えるかわかんないもん」

    誠子「いや宿泊先はわかってるんだから……」

    「いってもメンゼン払いされたら意味ないじゃん!」

    誠子「あっ、おい!」

     ……後ろから、もめるような話し声が聞こえてくる。バタバタと駆ける足音。

    「サキっ、今度の私は一味違うよ!」

     まもなくして、明華と並び歩いている咲の前に後方から走って追い抜いてきた淡が躍り出た。

    「あの……」

     短い別れから再会を果たした彼女は、先ほどまでなかったシャープなフォルムの赤縁眼鏡をかけ、自信に満ちあふれた笑みを浮かべている。

     再三の接触にまた焼き直しかとさすがに辟易してきた感のある咲が困惑気味に声をかける。すると淡は眼鏡のブリッジの部分を指で押し上げてクイクイさせながら、装っているようにも思える神妙な表情で話す。

    「ねえサキ、私の話に興味ない?」

     何のつもりだろう。思考が錯綜する。興味ない、そうばっさりと切り捨ててしまいたい気持ちと裏腹に、咲は混乱していた。

     気にならないはずがない。姉の近くにいて、姉と接して、姉の言葉を聞いて。代われるものなら代わりたい。そんな立場にいる彼女がうらやましくて、妬ましくて。

     その気持ちを抱く自分を認めたくない自分がいて、怒りが込みあげそうになる。自分はもう充分恵まれているのに。不満なんて持っていないのに。

     何かを変えたいということは、何かが変わってしまうかもしれないということ。

     咲はその事実を深く意識に刻みつけて、自分をいましめてきた。

     だから――甘い言葉で惑わさないでほしい。大切なものを犠牲にするかもしれない夢を見させないで。

    「なんなんですか……なんなんですか、あなた……」

     わなわなと唇が震える。感情がとめどなくあふれて、蛇口が壊れてしまったかのようだった。心配げに自分の様子を見守る明華の表情が、期待にも似た何か別の色を湛えているように錯覚するほど、冷静さという冷静さが抜け落ちていく。

    「……ふふ、もう帰れって言わないんだね?」

     狙いすました顔で見透かすようなことを言う淡の口ぶりに、歯噛みしてきっと睨みつける。白昼の快適な店内で制服の下に隠れた肌がじっと汗ばんだ。

    749 = 745 :

    ここまで
    目が痛いのでPCで書き始めたんですが投稿に手間どりました

    750 :


    淡くらい強引じゃないと咲の心には踏み込めなさそう


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