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    元スレ咲「誰よりも強く。それが、私が麻雀をする理由だよ」

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    551 = 549 :

    はやり『どうして……やめちゃったの?』

     はやりの声に悲しそうな響きが混じる。

    はやり『あの打ち方、それに立ち振舞い……ううん、立ち振舞いは置いとく』

    はやり『あの打ち方……昔咲ちゃんが打ってたって話してたものだよね。どんなものかは聞いてないけど』

    はやり『あの打ち方には磨かれた深さがあった。あのそつのなさ……ヨミは一朝一夕じゃできない』

    はやり『……そうでしょ?』

    「……はい」

     はやりの推察は当たっていた。咲は観念し肯定する。

    はやり『あっちで打った方が……確かに強い、とはやりは思う』

     その事実を口にする事に抵抗があるようだった。どうしてだろう。不思議に思ったが、淡い疑問は続く声に消し飛んだ。

    はやり『でも』

    はやり『私は……咲ちゃんにとって嶺上開花が思い入れのあるものなんだと思ってた』

    はやり『私はこの打ち方をやめたくない。はやりにそう言ったのは嘘?』

    「ち、違います……っ」

     顔面が蒼白になった。はやりにそう思われたのだと頭が認識したとき、凄まじい恐怖が全身を突き抜けた。

    「違うんですっ、私本当に……」

     躍起になって否定する。そんな自分ははやりの目にどう映るだろう。考えるのも恐かった。

     けれど一方で咲の心中には諦めにも似た絶望があった。信じてもらえるわけがない。

     咲が決め、咲が行った『パフォーマンス』は今まで築いてきたはやりとの関係、交わしてきた言葉を真っ向から裏切る。

     あのとき……インターハイの予選が終わり、念願だった智葉との直接対決に破れ……にも拘わらず、団体戦の先鋒に抜擢された罪悪感に押し潰されそうになっていたとき。

     咲ははやりに二度救われた。

     呵責に曇る視界を晴らしたあの出会いが、あのとき見失いそうになった縁を繋いでくれた衝撃が、嘘になる。

     吹雪の中に裸で放り出されたかのような寒気が襲い、意識が白く弾けたーー。






     ーー許されてはならない悪徳は、この世に二つある。

     それは、忘恩と殺人だ。

    「嶺上開花。4000オールです」

     都内某所。白塗りの壁が清々しい雀荘。

     同卓した三人の男に向けて咲は静かに宣言した。

    552 = 549 :

    「いやあ、相変わらず強いねえ」

    「ははは、まったく。これだけ強い子もめずらしい」

     対局中ながら気楽そうに話しかけてくる男たち。ノーレートの麻雀だからこそ彼らは何ら気負わずにいられた。

    「……ありがとうございます」

     感謝の言葉を返す咲。浮き立つ様子はなく落ちついたものだった。

     ここ数日、咲は雀荘に入り浸っていた。無論賭け麻雀を扱うような店ではなく、法的に健全なサービスを提供するところ。

     そこで咲は憂さ晴らしをしていた。認めたくない現実を前にして、部活が終わるとすぐに都内を練り歩いた。

    「あ、咲ちゃんそろそろ帰る時間じゃないかい?」

     咲は店内の壁にかけられた時計をみる。夜の七時半。咲が帰る時間だと言い出す頃合いだった。

    「あ……そうですね。そろそろ帰らないと」

    「もうそんな時間か。あーあ、また女日照りだ」

     さざめくように笑いが巻き起こる。

    「くくっ、女ならまた来るじゃないか」

    「おいおい勘弁してくれよ。訂正、可愛い女の子日照りだ」

     この雀荘では女性客は男性に比べれば少なく、咲のような若い女の子となると貴重だった。

     同卓したいと他の客から乞われることも多く、咲の場合、勝ちすぎるが目立った問題行動を起こすわけでもない。店側としても歓迎する雰囲気があった。

    「ごめんなさい。あんまり遅くなると補導されちゃうので……」

    「はは、本気にしなくて大丈夫だよ」

    「そうそう。また打ってね」

    「は、はい。私でよければ……」

     咲は折り目正しく一礼すると同卓した彼らに別れを告げ、店をあとにする。

     開けた天蓋に広がる夜空。繁華街の中程にあるこの辺りは夜になっても店や街灯の灯りで然程暗くなく、雨も降っていなかった。

     家路を急ぐ。慣れた道を辿る足は早い。

     臨海の学生マンションにはすぐに着いた。制服から着替えた普段着の姿で部屋の扉の前に立つ。

    ネリー「あれ? 今帰ったの?」

     するとちょうど隣の部屋から出てきたネリーと鉢合わせた。

    553 = 549 :

    「あ……うん。コンビニまでちょっと買い物」

    ネリー「買い物袋は?」

    「買い食いしちゃった」

    ネリー「ふーん、サキが買い食いってめずらしいね?」

    「私だってたまにはするよ」

     適当なところで会話を終え別れる。ネリーは何だか首をかしげていたが、引き止めることはなかった。

     今日は夕食を一緒に食べる約束もしていない。咲は安心しつつ部屋に入った。

     一LDK。白塗りの壁に栗色のフローリング。清潔感のある淡い色彩の部屋。

     臨海の学生マンションの中でも一際優れた物件であるその部屋に足を踏み入れる。

    「……」

     キッチンで立ち尽くす。

     ひどい気分に見舞われていた。

     咲の胸中に去来するのは強い後悔と、罪の意識。

     オーダー発表直後、走り去った咲の元に駆けつけた智葉の言葉を思い出す。

    智葉『気にするな……といっても難しいだろうが、気負う必要はない』

    智葉『私には団体戦のレギュラーを目指す理由があった。今でもそれは変わらない』

    智葉『最初、お前にレギュラーを譲ることはできないと思っていた』

    智葉『だが……最近、お前の事が段々とわかってきた。それに変わったよ。最初から素のままでいてくれたらすぐにわかったんだがな』

    智葉『だからいいんだ。私に遠慮する必要はない。咲ーーお前が団体戦の先鋒だ』

     冷蔵庫から取り出した出来合いの食事を口にしている最中だった。

    554 = 549 :

    「うっ……!」

     トイレに駆け込む。そして吐いた。

     ここ数日何度もそうしたように、口にした食事は吐き出されていった。

    「はあっ……、はあっ……」

     やがて吐き出すものが胃液だけになる。咲はトイレから出て、キッチンに戻る。

     水道から出した水をコップに入れて飲む。

     テーブルに叩きつけるようにコップを置く。

    「わ、私は……っ」

     智葉から、他の日本人部員から、不当にレギュラーを奪った。

     たった一枠しかない、智葉や一部の部員にとっては最後の機会だったそれを。

     あってはならなかった。そんなことは。

     涙が滲む。しかし、すんでのところで流すのは堪えた。

     本当に傷ついているのは自分じゃない。目元を乱暴に腕でぬぐう。

     その日、咲は食事をとらず入浴だけ済ませて眠った。

     眠りは浅かった。



    「カン。……ツモ」

     明くる日、咲は食事をとらず雀荘に通った。学校と部活にも。

    「ツモーー嶺上開花」

     明くる日、咲は食事をとらず雀荘に通った。学校と部活にも。

    「カン……嶺上開花です」

     明くる日、咲は食事をとらず雀荘に通った。学校と部活にも。

    「……」

     明くる日、咲は食事をとらず登校した。そして部活の時間になる。

    ネリー「……サキ、きたよ」

    「ネリーちゃん、いつもありがとう」

     咲は笑った。自然な笑みだった。

    ネリー「……最近、何だか変じゃない?」

    「何が?」

    ネリー「サキが」

    「そうかな」

     ごまかした。問題はなかった。

     そのまま部活に出る。

    智葉「……おい咲、ふらふらしていないか」

    「っ……ご、ごめんなさい」

     逃げた。問題はなかった。

    「カン……ツモ、……嶺上開花です」

     雀荘に通う。食事をとらず、水分だけを摂取する生活の中で感性は鋭くなっていく。麻雀の勘は冴え渡っている。

    555 = 549 :

    「あ、あちゃあ。また負けちゃったな」

    「ほ、本当だな。ははっ……」

     しかし段々と鬼気迫る雰囲気を発するようになっていく咲に、同卓する客は恐れを抱くようになる。

     店側も腫れ物に触るような扱いになり、咲はそれらを敏感に感じとっていた。

    「ダメだ……みんな私と打つのが嫌になってきてる」

     最初は楽しんでくれていた。勝っても負けても気分よく同卓してくれていたから、咲としても気楽に雀荘を利用できた。

     しかし今やそうではない。居心地の悪さを感じはじめていた。

    「別の場所……探さないと……」

     店がテナントに入っている五階建てのビルの階段を降りながら咲は別の場所を探すことを検討する。

     憂さ晴らしするものは麻雀以外にも沢山ある。咲に限っていえば、麻雀がそれほど憂さ晴らしになるとは言い難い。

     それでも麻雀にこだわるのは何かの糸口を掴めないかという思いが少しでもあるからで、実際こうして食を断ち麻雀に臨む事で研ぎ澄まされていくものがあった。

     ただ、麻雀に強くなったからといってどうなると考えてしまう。智葉に勝る実力を示す場所はあの個人戦にあって今さら何をしようと卑怯でしかない。

     そして、一度提出されたオーダーは早々変えられない。少なくとも、作戦の変更による都合のような理由では受理されない。

    「どう、しよう……」

     身体がふらつく。階段の段差を踏みしめる足がおぼつかない。

    「っ……!」

     あわや踏み外しそうになったとき、誰かに腕を掴まれぐいっと引き寄せられた。

    556 = 549 :

    「おい大丈夫か?」

     咲の腕を掴んでいたのは若い男だった。雀荘で見た事がある。スーツを着た中肉中背の男だった。

    「あっ……ごめんなさい」

     咲は謝る。うっかりしていた。

     あまり親しくない男性に接近されるのは智葉に助けられたあの出来事もあって恐れがあったが、それを態度に出すのは流石に失礼だった。緊張しながらも咲は咄嗟に頭を下げる。

    「無事でよかった。危なかったぞ」

    「は、はい、本当に……」

    「どうしようっていうのは麻雀を打つ場所のことか?」

    「ありが……え?」

     目を丸くする咲。その反応に男はにっと笑う。

    「何か麻雀を打ち続けたい理由があるんだろ?」

     そうだった。打っていないと、打つ事で現実を見つめ続けないとならない、そんな強迫観念が今の咲の中に渦巻いていた。

     咲は戸惑いながらも頷く。男も満足そうに頷いた。

    「だったらいい場所がある。いくら勝ってもいいし、時間だって補導が恐ければ車で送っていってやる。どうだ?」

     男の話は落ちついて聞けばどこか怪しげだった。しかし、食事を断った極限下で咲はその違和感に気づかない。

    「お、お願いします。お金なら……ありますから」

     上京して以来、膨れ上がった母の仕送りがあった。気が進まず、また必要がなく手をつけていなかったが、最近雀荘を利用するのに咲はそのほんの一部を費やしていた。

    「ははっ、そりゃいい。じゃいくか」

     男についていき車に乗ると、黒塗りの壁が目につく雀荘へと連れていかれる。

    557 = 549 :

    「ここではお金を出して戦うんだ。最初は俺が出してやるよ」

     それが賭け麻雀だということに咲はついぞ気づかなかった。

    「カン……嶺上開花です」

     勝ち続ける。低下する判断力に反比例するように麻雀の感性は鋭くなっていく。

     今の咲は輪をかけて麻雀の腕に磨きがかかっていた。

     勝って、勝って、勝って勝ち続ける。

     種銭といわれるはした金だったものがとんでもない金額に膨れ上がっていることなど意識の端にもなく、いつの間にか咲をここに連れてきた男が躍起になって同卓していることにも気づかず、咲はひたすら和了し続けた。

    「……」

    「お、おい!」

    「あ……次ですか? はい、すぐに……」

    「く、クソッ! よくもやってくれたな!」

     咲はきょとんとした。どうしてか男が怒り狂っている。

     茫洋とした意識の中で彼が自分をここに連れてきてくれた男性だと認識した咲はにっこりと笑う。

    「あっ……お陰でたくさん打ててます。えっと、どうしたんですか……?」

     咲は気づかない。男がどういった意図でこの場所に連れてきたかを。

     彼は最初の雀荘で何度か咲と同卓した男だった。

     しかし何度も咲に敗れ、プライドを傷つけられていた。

     彼は女が男より劣っていると無条件に考えている節があった。そして、男子のインハイを制覇する程度の腕が彼にはあったため、その偏屈なプライドに拍車をかけた。

     彼が考えたのは、『自分が負けたのはノーレート麻雀だからだ』ということ。賭け麻雀でなら勝負勘に自信のあった男は咲を遊戯の麻雀しか知らない小娘と侮り、賭け麻雀に誘導した。

     普段なら決して乗らない怪しい誘いだったが、咲は乗ってしまった。そして、知らないうちに幾度となく男と賭け麻雀をしていた咲は、何度も種銭を借りて挑んだ男を破滅させていた。

    558 = 549 :


    「ふ、ふざけやがって! お前のせいで、俺はっ、俺はなあっ!」

    「失礼、時間です」

    「あっ、クソッ離せ! 嫌だ! 地下は嫌だあああっ!!」

     男が黒服の屈強な男性たちに連れていかれるのを呆然と見つめる咲。

    「クソォッ、何が嶺上の幽鬼だ! この疫病神がッ!!」

     疫病神。その言葉は智葉を始めとする日本人部員にとんでもない厄をもたらした咲の心に深く突き刺さった。

    「失礼します、次の対戦の時間ですがよろしいでしょうか」

    「えっ……あ、え……?」

     その段階になって自分が何をしていたか気づき始めた咲は当惑の色を瞳に浮かべて黒服を見返す。

     だが確認は形式的なものだったらしく彼はいそいそと下がっていく。

     卓にはいつの間にか三人の男が座っていた。

    「あの……」

    「よろしくお願いします」

     そう挨拶してきたのは真向かいに座るスーツ姿の男。

     やり手の銀行マンといった風貌。蛇のように執念深そうな目つきが印象的だった。

     咲の返しを待たず対局が始まる。始まってすぐ、咲の勘が違和感を訴えた。

    559 = 549 :

    「ほい」

    「ロン」

    「あちゃあ~当たっちまったか」

     ノミ手。咲はカン材が揃えば倍満以上確定の怪物手。

     次局が始まる。次局以降も、ここぞという場面で差し込み、見逃し、鳴かせたりといったことが相次ぐ。

     そういったことに疎い咲でもしばらく打っていれば違和感の正体に当たりをつけていた。

    「……」

    「おや、どうかしましたか?」

     手を止めた咲に話しかけたのは真向かいの男だった。

     蛇のような瞳がぎょろりと咲の姿をとらえる。

    「どうして……こんなことをするんですか?」

    「というと?」

    「……言わなくてもわかりますよね。どうして、そんなことしなくても……」

     真向かいの男は咲をしのぐ実力を持っているように思えた。このような対局では推し量れないところがあったが、彼らは咲を負けさせる、その一点に心血を注いでいるように思えた。

    「やりすぎたんですよ。君が大損させた人の中には敵に回しちゃいけない人間の息子がいた」

    「警告はしたはずなんですがね……恥をかかせてはならない相手だと」

     恐らくそのとき咲は無我夢中で麻雀を打っていただろう。耳に入っていなかったのだと思う。今になっても思い出せなかった。

    「……負けると……恥をかくんですか?」

     確かにお金を失ったのなら不快になってもおかしくない。しかし、考えが顔に出ていたのか、真向かいの男はくっと口角をつり上げて笑った。

    561 = 549 :




     絶望的な戦局に挑む少女の姿を見つめる視線があった。

     視線の主は……瑞原はやり。牌のおねえさんの別名で知られるタレント雀士。

    はやり「……」

     彼女は随分と長い間その卓を眺めていた。

     無論、健全なアイドルである彼女に賭博麻雀のような後ろめたい世界と関わり合いはない。

     夜の街で休みがてら少し麻雀でもみようと思ったら性質の悪い店に足を踏み入れてしまい、すぐに出ようとした。

     しかし卓を見渡してみれば年若い少女がその中にいるではないか。

     それもひどく相手に負けを込ませている。みていればその歳にしてはかなり高いレベルにあり、今度はやりも解説に呼ばれたインターハイの全国でも活躍が期待できるほどだった。

     それにどこかで見たような気がする。

     キャスケット帽や眼鏡などで変装していたはやりは近くにいた店の給仕を呼びつけ、少女について聞く。

     話によると彼女はごく最近見かけるようになった客で、ひたすら勝ち続けているらしい。

     この業界に詳しくないはやりにもそれがリスキーな行為だということは想像がつく。

     縄張り社会といわれる裏世界で、外様の人間が好き勝手に振る舞えばどうなるか。危険は火を見るより明らかだった。

     そして耳をそば立てていると彼女が次に持ち金全てを賭けた勝負に臨む事が伝わってくる。

     対して、少女はあっさりと受け入れ……はやりは少女の様子がおかしいと思い始める。

    はやり「……何だか心ここにあらずっていうか、憔悴してるような……」

     対局が始まる。トビなしの二万五千点持ちの三万点返し。

    はやり「っ……!」

     始まってすぐ気づく。相手の三人が結託している。

     それに少女の真向かいに座る男は並の打ち手ではなかった。ぱっと見た印象ではプロに迫るのではないかというほどだった。

     少女が段々と追いつめられていく。

     なのに、彼女の表情に悲壮の色はなくただ何かを堪えるようにしている。

     はやりは席を移動しその卓の近くの空き席に腰を下ろす。麻雀も打たず観戦するはやりに店の人間が渋い顔をするのがちらりと目に入ったが、構ってられなかった。

     牌のおねえさんとしてのはやりはみすみす子供の危機を見過ごせない。そして。

    「どうして……こんなことをするんですか?」

    「というと?」

    「……言わなくてもわかりますよね。どうして、そんなことしなくても……」

     近くに寄るとちょうど手を止めた少女が話している。

     その姿をみて薄ぼんやりとした記憶がさらに刺激される。

    562 = 549 :

    「やりすぎたんですよ。君が大損させた人の中には敵に回しちゃいけない人間の息子がいた」

    「警告はしたはずなんですがね……恥をかかせてはならない相手だと」

    「……負けると……恥をかくんですか?」

    「金銭的な問題じゃないんですよ。こういうのはね」

    「……」

    「わからないって顔だ。いいですね、純粋というのは」

    「それだけに……これから君が辿る末路が残念でならないよ」

    「これに負ければ君は持ち金を全て失うだけじゃ済まない」

    「わかりましたよ。無駄話はもうやめます」

    「さあ、続きを打ってください。伝えたルールにある通り、五分以上の長考はチョンボですよ」

     はやりが傍観する間にも状況は刻一刻と変化していく。

     少女はまだ考え込んでいる。黒服が注意しても気に止めていない、というより気づく余裕もないようだった。

    「……でも、そんなことしても……」

     少女が何事か呟く。意味はわからない、わからないが、はやりはどうしてかそれを見過ごしてはならない気がした。

    「……」

    「……あの」

    「……すみません。打ちます」

     少女がようやく応え、対局が再開される。

     瞬く間に結託した三人により場が流されていく。少女に迫った危機が、破滅が目に見える。

     そんな中ではやりは少女が時々手をとめ、何か違うものを見ていると気づく。

     それは確率の偏りを意識して打つもの特有の癖。幾度となく同じようなタイプをみてきた経験がなせる知見。

    「……照お姉ちゃん……」

     少女は、茶色い髪を肩にかかるほどの長さにした彼女は、その偏りを無視して打っていた。自分でも気づいていないだろう、盗み見た彼らの手牌をみればその片鱗が顔を出している。

     彼女は力を出しきらない。破滅が目に見えているにも拘わらず。

     それを認識した瞬間、はやりは駆け出していた。

     人間の性向には「ハムレット型」と「ドンキホーテ型」の二つのタイプがある。

     ハムレット型は悲観的で行動よりも思案の傾向があり、

     ドンキホーテ型は楽観的で、考えるより先に行動するタイプである。

     はやりは考えるより先に決断していた。

    はやり「その対局、ちょおっと待ったあっ!」

    563 = 549 :




    「その対局、ちょおっと待ったあっ!」

     明るい声が轟き渡った。

     この場には場違いな、綺麗な透き通った声。

     それは、オーラスに臨もうとしていた咲の意識を、この場に居合わせた人間全ての意識を縫いとめた。

    「失礼、どなたでしょうか」

     いち早く職分を思い出した黒服たちに脇を固められる。

    「私は通りすがりのおねえさん! 未来ある子どもをこよなく愛するアラサーだよ!」

     誰もが目を点にした。

     脇を固めた黒服もあっけにとられていたが、やはりそれだけで引き下がるような生易しい相手ではなかった。

    「……失礼、どちら様でしょうか」

     改めて黒服が問い質す。

     咲は突然出てきた正体不明のアラサーにどうかすぐ逃げ出してくれと願った。

     何を考えているかはわからないが、彼女がひどい目にあうのは避けたかった。

    「おうおうっ、黙ってみてりゃ卑怯なマネするじゃねーか! 悪い子はオシオキだぞっ☆」

    「申し訳ありません、どちら様ですか」

    「うっ」

     アラサーが押し黙る。考えがあっての割り込み、ではないのだろうか。

     未だに呆然とする咲を指差したかと思うと、彼女は高らかに言った。

    564 = 549 :


    「そっちこそ、この子をどなたと心得るっ!」

    「は?」

    「畏れ多くも宮永家の末娘、宮永咲ちゃんであるぞっ!」

     咲はまた驚く。自分の名前を知っている。どころか、家の末娘であることまで。

    「み、宮永、咲……?」

    「おうそうだっ、ちょっとお前らのボスに確認してこいやあーっ!」

    「ひ、ひいっ……」

     何だかわからないうちに黒服も雰囲気に呑まれ、駆け出していってしまった。

     卓が、場が、水を打ったように静まり返る。

    「あの、あなたは……」

    「うん? あっ、にゃはっ、にゃはははっ、大丈夫だった? 乱暴なことされてない?」

    「さ、されてませんけど……」

     何なのだろう。この人は。

     咲は泡を食いながら返す。

    「そっか、なら安心したよっ☆」

     季節外れのマフラーを口元に巻いた彼女は少しの間それを取り、煌めかんばかりの笑顔を覗かせる。

    「っーー!」

     思わずどきりとさせられる笑顔だった。

     冷淡で厳めしい顔つきが並ぶこの場に似つかわしくない、けれど心惹かれる表情。

     この極限的な状況下にあってそれは、咲に理由なき安心感を与えた。

     だが。咲は表情をひきしめる。

    「あの……本当にどういうつもりで」

    「はや、私としてはあなたみたいな子がひどい目にあうのを見過ごせないかなーって」

    「……」

     俄には信じ難い話だ。それだけの理由で強面が居並ぶこの場に踏み入ったのか。

     口先で言えてもそうそう出来ることじゃなかった。

    「バカヤローッ!!」

     咲が絶句したそのとき、黒服が消えていった奥の扉が開き、怒号が届いた。

    565 = 549 :

    「貴様……宮永だと!?」

    「ひっ、は、はい……」

    「……ソイツは手を出しちゃいけない家の娘だ。今日本の裏社会で実権を握ってる大陸系の組織だって避けて通る……宮永はなぁ、決して敵に回しちゃいけねえんだ」

    「しかも咲だと!? 貴様っ、それは直系の……当主の娘の名前だぞ!!」

    「今すぐお詫びしろ……! 貴様の命で済んだらいいがなあ……!」

    「ひいっ!? は、はひぃっ……!」

     奥から出てきた黒服が先ほど駆け込んでいった黒服に怒鳴り散らし、命令を出す。

     それからすぐに咲たちがいるテーブルに舞い戻ってくると、黒服は土下座せんばかりの勢いで腰を折り、深く頭を下げた。

    「も、申し訳ありませんでした……! 宮永家のご息女と知らず大変な失礼を……!」

    「卓はすぐに引き払わせます、掛け金もどうぞお持ちください!」

    「ですから、ですからどうかご実家にこの事は……!」

     黒服の勢いに押されて他の黒服も揃って頭を下げる。

     先ほどまでの威圧的な態度は微塵もない。見事なまでのトップダウンぶりだった。

    「はや、はややっ……これはいったい……」

     見知らぬ女性が慌てている。彼女としてもこの展開は予想外らしい。

     咲は空気が大きく変わったことを敏感に察し、交渉にうって出た。

    「あの……」

    「な、何でございましょうっ」

    「お金はいりません。なので……あの、賭け麻雀……ですよねこれ」

    「はい、その通りでございます……!」

    「私が賭け麻雀していたこと……漏らさないようにしてもらえませんか?」

    「は……」

     黒服は返事に躊躇した。しかし隣にやってきた元締め風の黒服が彼に釘を刺す。

    「おい……これで弱みを握ったなんて考えるなよ。あの家はな、そういった駆け引きの外にある連中が集まった家だ……」

    「日本の暴力団が勢力を縮小していく一方、大陸から乗り込んで喧嘩を売った組織がある……そいつらがどうなったと思う?」

     元締め風の黒服が凄絶な表情を浮かべる。

    「全滅だよ……大陸じゃ裏社会の一角を担ってたそいつらは軒並み駆逐され、裏社会から放逐された」

    「……バカな事は考えん事だ。奴らは表社会の象徴だが、実態は裏社会よりもえげつない」

     黒服たちが押し黙る。見知らぬ女性も、咲すらも押し黙った。

     咲は家がそこまでの事をするとは知らなかった。名前は聞くが、清い活動をすると思っていたからだ。

    「あの、家にこの事は話しません……約束します」

     咲は立ち上がり、礼節を示すように頭を深く下げた。

    「……ありがとうございます。お嬢様が稼いだこちらの一千万はせめてもの迷惑料としてお持ち下さい」

     元締め風の黒服も流麗に一礼し、アタッシュケースに入った現金を開けて示す。

    「え……」

     咲は言葉を失った。

     そんなにもらっても実家から離れて暮らす咲には手に余る額だ。

    「お聞きしたいんですけど……このお金はえっと、大丈夫なお金ですか?」

     我ながらこの聞き方はないなと思う咲だったが、他に思い浮かばなかった。恐らくニュアンスは伝わるだろう。

     なけなしの勇気を振り絞り元締め風の黒服と目を合わせる。彼は慌てた様子で言った。

    566 = 549 :

    「も、もちろん……! きっちりと洗浄を済ませたカネです。この首をかけたって構いません」

     そこまで言うなら大丈夫だろうか。咲は頷くと見知らぬ女性に向き直った。

    「あの、よかったらもらってくれませんか?」

    「えっ?」

    「せめてものお礼です……お陰で助かりました」

     それは状況的なものと気持ちの上での事、両方の意味でだ。

     咲では実家を引き合いに出すことを思いつかなかったし、あの言葉、あの笑顔には正直救われた。

     絶望に押し潰されかけた咲の心を繋ぎ止めてくれた。

    「何だったらお金は実家に頼んで何の心配もないものに替えてもらいます。そっちのほうがいいですよね」

     頭の中でどう頼もうか算段を立てつつ話す。

    「うーん、気持ちは嬉しいんだけどそのお金はもらえないかなーって」

    「えっ?」

     しかし見知らぬ女性は固辞した。

    「そのお金をもらっちゃったら咲ちゃんを宮永家の娘さんとしてみなきゃいけなくなる。だから……見返りはもらえないよ☆」

    「そんな……」

     だったらどうお礼すればいいだろう。咲は困惑しつつも、その無欲さに敬意を抱く。

    「あーっ、断っちゃったよう……一千万あればお家のローンがどれだけ……うわー、うわーっ」

    「……」

     しかし見ている前で後ろを向いて呟きだす彼女をみて、咲は唖然とする。

     少しして、くすりと笑いが漏れる。失望したのではない、親しみを覚えた。

     そして、はっとする。もう随分と遅い時間だ。壁にある時計をみれば夜の九時。

    「ええと……黒服の皆さん、そろそろ帰らせてもらっていいですか?」

    「は……え、ええ、もちろん。それでしたらお送りして……」

    「あ、それだったら私が送ります」

     呻いていた彼女がきりっとして口を出す。

    「いこっか咲ちゃん、早くここを出ようっ☆」

    「え、うわっ」

     手を引かれ、たたらを踏む。

    「お嬢様、お帰りですか?」

    「へっ?」

     手を引かれながら、声をかけられる。

     真向かいに座っていたスーツの男性だった。

    「驚いたな……ねんねだとは思ってましたが、本物のお嬢様だったとは」

    「……」

    「それであの宮永のご息女だというんだから……俺も歳を食っている割にものを知らなかったらしい」

     そう話す男はどうしてか嬉しげに笑みを零していた。

     咲にはその心中が理解できない。それは彼の歩んできた人生がどんなものか想像できないからだ。

    「卑賤な身でこんな事を言うのは憚られますが……どうかそのままでいてください。きっとそれに救われる人間がいる。心の片隅にでも留めておいてくれたら嬉しい」

     咲は何だかよくわからないままに頷いていた。手を引かれる。今度はその力に逆らわなかった。

    567 = 549 :

    「ねえ、お家はどこ?」

     雀荘を出て街を歩き出してから女性が聞いてくる。

     まさか身柄目的だとは思いたくないが、咲は思わず身体を固くしてしまう。

    「ええと……」

     口頭で住所を伝える。

     学生マンションは高級住宅街の一角に立っている事もあり、場所は問題なく伝わったようだ。

     女性に手を引かれるままついていくと、時間貸駐車場に到着する。

     そのまま車に乗り込む。白いワンボックスだった。

    「ふう~、何とか抜け出せたね」

    「そ、そうですね」

     まだ心臓がばくばくとしていた。

     絶望的な状況から抜け出したばかり、食事を断ち精神的には不調が続く中で咲の緊張はどこかネジが外れている。

     臨海の不祥事という災いの種をなくせた一方で、これでよかったのかという気持ちがある。

    「……」

    「んっ、しょ……」

     咲が考え込んでいると運転席からごそごそと衣擦れの音が聞こえてくる。

    「わっ、あの……?」

     みてみると、季節外れのマフラーなどの厚着や眼鏡を外し、その下からフリフリとしたヒラヒラの服が出てくる。

    「あっ、気にしないで。これは変装だったの☆」

    「へっ、え……?」

     ついに季節に合った装いになった。こちらを向き白い歯を見せて笑う彼女。

     その容姿に見覚えがあった。痛烈な既視感が襲う。

    「み、瑞原はやりさん、ですか……?」

    「あっ、知ってた?」

    はやり「はやや~、だったらうれしいなっ☆」

     煌めくような笑みを湛えてはやりが返す。

    「……」

     対する咲は開いた口が塞がらない状態だ。

     車が走り出す。ゆっくりとした発進だった。

     車窓に視線を転じれば都内の街並みが切るように流れていく。

    はやり「ね、どうしてあんなところにいたの?」

     走り出してから少ししてはやりが訊いた。痛いところを突っ込まれた咲は「うっ」と呻く。

    568 = 549 :


    「信じてもらえないと思いますけど……よくわからないんです」

     咲はわかる限りの事情をはやりに話した。

     ノーレートの雀荘でひたすら打ち続けた事、ある事情から食事をとっておらずそんな自分が発する異様な雰囲気から居づらくなった事。

     今思えば怪しげな男性に誘われ別の雀荘を紹介された事、麻雀以外目に入らず無我夢中で打っていたらあんな状況になっていた事。

     真剣な表情で聞き入っていたはやりだが、やがて眉をひそめた。明らかにそうしているとわかる仕草で、咲は直感的に信じてもらえなかったのだと思った。

    はやり「ねえ咲ちゃん」

    「はい……」

    はやり「もうそんなことしちゃめっ、だよ?」

    「……ふえ?」

     ぽかんとした。予想と異なる言葉だった。

    はやり「雀荘みたいなところには一人でいかないこと!」

    はやり「これからずっととはいえないけど……そうだね、よおしっ☆」

     信号待ちで一時停止した車内ではやりが両手で自身の頬を挟むように叩く。

    はやり「はやりが連れていってあげるっ、仕事で都合がつかない時期もあるけど……そういうときはお友達に頼んで☆」

     そんなことを言われる。咲は現在を含め今までの出来事が夢なんじゃないかと思い始めていたが、

    はやり「返事はっ!」

    「は、はうっ!」

     勢いよく返事した。つもりだったが噛んだ。

    はやり「はやや~」

     悶絶する咲にはやりは困ったように笑う。

    はやり「咲ちゃんは今日からはやりのお弟子さんだよ。雑務のない付き人ってところかなっ☆」

     テレビでも見たことのある輝かんばかりの笑顔。

     しかし状況だけに感激より戸惑いが先に立つ。

    「そんな、瑞原さんにそこまでしてもらうわけには……」

    はやり「はやりさん」

    「あの」

    はやり「はやりって呼んで」

    「……はやりさん」

    はやり「よし契約成立っ!」

    「ええ!?」

     はやりはまた笑いかけた。

     本当に綺麗な笑顔。見られることを意識して磨かれた魅力的なそれに咲はただ圧倒されるばかりだ。

    はやり「咲ちゃんははやりに一千万円くれようとした」

    はやり「だからやっぱりはやりは一千万円もらったようなものなんだよ!」

    はやり「それに後進育ててみたかったんだ~」

     反論を許さずどんどん畳みかけてくる。

     はやりの中で話はもう固まっているようだった。

    570 = 549 :


    はやり「っていうかまずは食事できないのをなんとかしないとねっ」

     ぽんぽんと出てくる話についていけない。おろおろとする咲。

     はやりはぴっと親指を立てると可憐に笑う。

    はやり「よろしくね、咲ちゃん!」

    「み、瑞原さん」

    はやり「はやりさん☆」

    「……はやりさぁん」

     強引に振り回され続けてちょっと涙目になる。

    「……きゅう」

    はやり「さ、咲ちゃん!?」

     というか空腹やら何やら色々といい加減限界だった。

     急激に遠のいていく意識。自分の身を誰かに委ねるに等しい状況。

     けれど。

    はやり「咲ちゃんっ、咲ちゃんっ?」

    「……ありがとう……ございます……」

     その中で咲は不思議な安らぎを覚えながら意識を手放す。

     眠りではなかったが。

     今度のそれは深かった。

    571 = 549 :



     引き伸ばしたように長く感じられる一瞬。

     はやりからの返事を待つ。

     恐怖に携帯端末を持つ手が震えていた。

    はやり『そっか☆』

     だから電話口からすっとんきょうな声が聞こえたとき、咲はそれがどういう意味の返答か判断しかねた。

     いや、それは上っ面をとらえた思考だ。心の奥底ではご託はいいという意味に違いないと断定している。

     絶望的な心境で咲はその声を聞いていた。

    はやり『あっ、これだと誤解させちゃうかもしれないね。はやり信じるよ、咲ちゃんの言葉!』

    「は……」

     衝撃に息がつまる。陸にあげられた魚のように大きく口を開きながら言葉を咀嚼する。

     信じられた咲の方が半信半疑だった。

    「あの……」

    はやり『うん?』

    「本当に……信じてくれるんですか……?」

    はやり『…………ふふっ』

     間を置いて電話口から笑い声が漏れ聞こえてくる。

     また悪い想像を膨らましつつ咲が固まっていると、はやりは「ごめんごめん」と前置きしながら続ける。

    はやり『ね、やっぱり会おうよ咲ちゃん』

    「は、はやりさ、あっ」

     また呼んでしまった。咲は自分の迂闊さを呪った。

    はやり『気にしなくていいよ。大丈夫だから』

    「本当に……? ……いえ、とにかくわかりました。どこにいけばいいですか?」

    はやり『今どこにいるの?』

    「渋谷の……青山熊野神社です」

    はやり『あ、えっとねそれじゃーー』

     待ち合わせ場所を伝えられる。渋谷センター街にあるデパート。人目につきやすい場所に咲は少し不安になったが了承し、通話が終わりそうな雰囲気になる。

    はやり『それじゃ』

    「あのっ、ちょっとだけ待ってください」

    はやり『うん?』

    「私の……家のことは知ってますよね?」

    はやり『知ってるけど、どうかしたの?』

     咲はごくりと唾を飲み込む。

     意を決しその問いを投げかける。

    「うちの家から……何か言われてませんか?」

     祈るような心持ちではやりの返事を待った。

    572 = 549 :

    はやり『あー……だからちょっと様子が変だったのかぁ』

    はやり『うーん、それらしいことはないよ』

    「そう、ですか……」

     杞憂だった、のだろうか。

     この点に関して疑り深くなっている咲の疑念は尽きないが、はやりの言葉を信用したくもある。

     最終的に咲ははやりの言葉を信じた。

    「変なことを聞いちゃってすみません。それじゃあデパートで」

    はやり『……うん、待ってるよっ☆』

     通話が切れる。

     咲はすぐ隣に視線を移した。

    いちご「むー……」

     すると必死に耳を塞いでいるいちごが目に入る。

    「佐々野さん……?」

     呼びかけながら肩をちょんちょんと叩く。

     すると空を見上げていたいちごの首がぐるんと回り咲の正面を向いた。

    いちご「あ、終わったかのう?」

     こくこくと頷いて視覚で伝えると、いちごは耳から手を外し、緊張から解放されたとばかりに息を吐く。

    「すみません、こんな気を遣わせるなら離れた方がよかったですね……」

     途中から周りを気にする余裕もなかった。

     はやりといちご、どちらにとっても迷惑をかける形になって失敗を悟る。

     しかし実際、聞かれていないなら咲の懸念は大幅に解消されるし、気持ち的にも楽になる。

     いちごの心遣いに深い感謝を抱いた。

    いちご「まーあれも途中から案外楽しかった」

    「そうですか……?」

    いちご「そうそう、宮永さんは気にしいじゃのう」

     それは、否定できない。

     ほどよく楽観的になれたらとは思うものの、いつも悪い方向に空回りする思考を抑えられない。

     それだけならまだしも大抵相手に気を遣わせてしまうのだから忸怩たる思いに駆られる。

    573 = 549 :

    「やっぱり、考えすぎなんでしょうか私」

    いちご「んーちょこっと接したちゃちゃのんがそう思うからのう」

     やはり、人の目にそう映る。

     はやりとの約束を気にかけながら咲は伝えたい事を絞った。

    「この前相談に乗ってもらったことも考えすぎでした……みんな、受け入れてくれました」

     打ち方を変えた上でのあの振る舞い、悪い想像ばかりを巡らしていた咲だったが、結局アドバイスの通り杞憂らしかった。

    いちご「そうか!」

     明るい返事が返ってくる。

    いちご「安心した、本当によかったのう」

    いちご「もう一人もそれを聞いたら語尾を伸ばしながら飛びはねそうじゃ」

     元はといえばこの神社でふらりと居合わせただけなのに我が事のように喜んでくれる。

     気恥ずかしく嬉しくもある気持ちにはにかみながら、咲は感謝を告げる。

    「本当にありがとうございました……お二人の励ましがなかったら恐くて逃げ出してたかもしれません」

    いちご「ん、それもまあお互い様じゃ」

    「お互い様?」

    いちご「さっき励ましてくれたじゃろ? 東京バナナもくれたし」

    「そ、そこは愚痴も聞いてくれたしとかじゃないんですね」

     東京バナナの価値はかなり高騰しているらしかった。

     思わず笑みが零れる。他県民が喜ぶというなら咲だって長野県民だというのに。何だかおかしかった。

    いちご「なあ宮永さん、携番交換せんか?」

    「えっ」

     だから不意に持ちかけられた誘いに驚きの声が漏れる。

    いちご「なんかまずかった?」

    「あ、いえいえちょっと驚いただけで。こちらこそお願いします」

     電話番号の交換はすぐに終わった。電話帳に一つ増えた名前を確認してスカートのポケットに携帯端末をしまう。

    「じゃあ……これから人に会うことになったのでこの辺で失礼します」

    いちご「そうか、ちゃちゃのんはもうしばらくここにおるけど気にせんでくれ」

     いちごと別れる。その足で咲は神社を出て、渋谷のセンター街へと向かった。




    はやり「やー咲ちゃん、こっちこっち!」

     渋谷センター街の中程にある大きなデパート。

     バスケ通りを急ぎ通ってきた咲は、今度は迷わなかったことにほっと息をつきながら手を振るはやりに振り返した。

    574 = 549 :


    「はやりさん、こんにちは」

    はやり「うん、こんにちはっ☆」

     行き交う大勢の客を避けながらはやりの元までたどり着き挨拶を交わす。

     いつも通りフリフリのヒラヒラな服装。抜群のスタイル。

     人気がある牌のおねえさんの姿は人通りの激しい大型デパートの中にあっても目立つらしく、通りすがる人がちらちらと視線を飛ばしている。

     咲はそんな衆目が気になった。

    「あの……いらない心配だとは思うんですけど」

    はやり「ん?」

    「よかったんですか? 出場選手の私とこんな大っぴらに。大丈夫なのかなって」

    はやり「あー大丈夫、何とかなるなる☆」

     もちろん考えはあるらしい。そもそも、付き合いはガチガチに禁止されているわけでもないのか。咲ははやりの判断に一先ず身を委ねた。

    はやり「それでね、呼び出したワケなんだけど」

     デパートの中を歩いて移動しながら切り出してくる。

     咲は固唾を飲みはやりからの言葉を待った。

    はやり「インハイ終わったらキャンプでもしようかと思っててね、咲ちゃんを誘いにきたのだ☆」

    「へっ?」

    はやり「あっその顔、いいね~。内緒で準備してた甲斐あったな」

    「え、でも……本当にそれで? 何かの隠喩とかじゃなくて?」

    はやり「あはは、深読みしすぎ」

     いつものふわふわとした笑みを浮かべるはやり。

     圧倒されていた咲も、変わらない様子に自然とリラックスした。

    「わあ、キャンプなんて学校の行事以外でいくの初めてです」

    はやり「それはもったいない。ふむっ、はやりお姉さんに任せなさい」

    「は、はい。おまかせします」

    はやり「手とり足とり教えてあげるね~」

    「きゃーやらしい手の動きやめてください」

     ふざけたやりとりをしているとフロアを幾つか移動し、キャンプ用品を取り扱うレジャー売り場に着く。

    575 = 549 :


    はやり「ん~」

    「あれどうしたんですかはやりさん、探しものですか?」

     レジャー売り場につくなりきょろきょろとしだすはやりに首をかしげる咲。

     売り物を探している割には通りゆく人を追って視線が動いているし、妙な感じだった。

    はやり「あっいた、咲ちゃんこっちこっち」

    「は、はい」

     手招きするはやりについていく。

     するとその先には。

    「あ~また負けた。何がいけないのかねぇ」

     携帯型のハードを手に、売り物の青いキャンプシートの上でゲームに興じる妙齢の女性がいた。

    はやり「おーい、うたりーん」

    「そういう君ははやりん」

    はやり「準備はいい?」

    「バッチリッス。ウス」

     咲よりも一回り小さい振り袖姿の彼女はゲーム機をバッグに押し込むと、早足と感じさせない程度にいそいそと咲たちの方へ歩み寄ってくる。

     歩きにくそうな格好に反して滑らかな足どりだった。

    「やーやーお二人さんいらっしゃい。席は暖めといたよ」

    「あ、そっちの子に自己紹介しとくね。私は三尋木咏、プロ雀士やってまーす」

    「三尋木プロ……」

     それは、世情に聡いとはいえない咲でも知っているプロ雀士。

     所属チームを優勝に導いたのみならず個人でも首位打点王とゴールドハンドを受賞。

     日本代表の先鋒も務め、堂々たる経歴を持つトッププロの一人。

    「……あっ、は、はじめまして。宮永咲です」

     ぼけっとしていたが我に返り慌てて頭を下げる。

    「……ふーむ」

    「……」

    「ふむふむ」

    「……」

    「あーなるほどね、オッケーオッケー」

    「……?」

     頭からつま先までためつすがめつ観察される。下から覗き込んだり、背伸びして上から見ようとしたり。

     顔のあたりを念入りにみていたが意味のわからない咲は疑問符を浮かべる。

    576 = 549 :

    「君って界さんの娘さんでしょ?」

     ずばり言い当てるようにしたり顔で訊かれ、咲は驚いた。

    「父のお知り合いですか?」

    「まー知り合いっていうか」

    「ほら私ってインハイの解説っしょ? 麻雀協会員でインハイスタッフに呼ばれた界さんとはいわば同僚なんだよねぇ」

     フリフリと和服の袖を振りながら説明してくれる。

    「界さんすっげー君のこと自慢すっからさ、会う前から見た目とか大体知ってたんだよね」

    「そうなんですか。どうりで……」

    はやり「界さん? その人が咲ちゃんのお父さんなの?」

    「はやりさんは会ったことなかった? まー裏方の人だからねぃ」

     ヒラヒラと袖を振る。テレビでも見かけた仕草だが癖なんだろうか。異彩を放つ和服もさることながらそういう仕草は愛嬌を感じさせた。

     肩肘張らない親しみやすい人柄ということもあり、咲の警戒心も薄れていく。

    はやり「むむっ、どんな感じか気になるなぁ。似てた?」

    「そんなには似てないかなぁ。母方の血が強いんじゃね? しらんけど」

    はやり「はやや、むくつけきって感じだったらどうしよう。ねえ咲ちゃん」

     はやりから父がどんな感じか訊かれる。大体の特徴を答えると横から咏が「やさぐれたオッサン」という印象を足す。

     咲は思わず噴き出しそうになった。

     その瞬間、店内にアナウンスが流れる。

    577 = 549 :


    『瑞原はやり様、お客様がお見えになっています。一階サービスカウンターまでお越しください』

    はやり「はやっ、お客さん?」

     はやりが首をかしげた。

    「誰かが会いにきたんですかね?」

    はやり「うーんマネージャーくらいしか行き先は告げてないんだけど……一応いってくるね」

     ごめんと断ってはやりは一階へと向かっていった。

    「……」

    「……」

     必然的に取り残される二人。

     父という共通の話題があるので話は途切れないように咲は思ったが、はやりがいなくなってから、威圧するような空気が漂い始める。

     出元は目の前の咏だった。

    「あの……」

    「……」

     おっかなびっくり声をかける。無言で見つめられる。何か怒らせてしまったのか。刻々と咲の顔色が悪くなっていく。

    「……」

    「えっ、え、え……?」

     状況は膠着していたかに思えたが、唐突に歩み寄ってくる咏。彼女が発す異様な空気に気圧され、咲は後ろ歩きに後退する。

     じりじりと奥の棚に追いつめられていく。天井近くまでそびえる陳列棚が並ぶ一帯。この辺りは人目につきにくい。

     そんな情報が脳裏をよぎってびくびくとしながらも咲は勢いに押されて下がる。

     やがて商品が並ぶ棚を背にし、下がれなくなった。

     最大級の危険を感じた。

    「ご、ごめんなさいごめんなさい」

    「ちょい黙って」

    「はひっ」

     人を襲うかのごとき迫真の表情で言い放つ。

     そしてにゅっと伸びてきた咏の左手が咲の顔……その真横の陳列棚をしたたかに打ちつける。

    「ちょっと聞きたいことがあるんだ。話してくれる?」

     目と鼻の先にまで顔を近づけた咏が、怯える咲の瞳を覗き込みそう問いかけた。

    578 = 549 :

    ここまで
    次回はまだ未定なので目処立ったら報告します

    580 = 549 :

    >>577訂正
    そしてにゅっと伸びてきた

    そして、ぬっと伸びてきた

    581 :

    乙!
    ハッピーエンドに向かうためには一体いくつ障害を乗り越えなきゃいけないのだろう

    582 :

    はやりんみたいな良い大人と巡り会えて良かったな

    583 :

    なんか無茶してない?

    584 :

    乙 咏たんだったか

    585 :


    界さん親バカw

    586 = 549 :

    >>583
    無茶というと?

    587 :

    この更新速度と進行状況にも関わらずここへきて風呂敷を更に何倍にも広げたな
    失礼だけど、本当に完結させる気ある?
    ラストまでの大凡のプロットとかある?

    588 = 549 :

    どこで広げた風呂敷のことかがわからないんですが、今回の回想分でしたら回想に当たる部分を書いている時期に構想がありました
    回想以外は全てプロットに沿って作り伏線の回収時期もラストまでプロットに書き込んであります(母や金角関連や照と智葉側の話も)
    更新速度に関してはなんともいえませんが……完結させる気は当然あります
    といってエタる人も多い事実があるのでこれ以上の弁明はむずかしいですね……

    589 :

    界さんがちゃんと咲さんのこと愛してくれてることにすごく安心する

    590 :

    >>586

    えっと、「母親が何か凄い人」って設定があるから……
    見知らぬ男にホイホイついてって雀荘入る咲ちゃん、界のじつは競技麻雀の世界に深く関わってましたってのに「?」って思っただけ。
    咲ちゃんは疲労してたからってのはあるやろうけど母親の設定のせいで無理に麻雀界の凄いやつらと関わり持たせようとしてる風にかんじたから。
    ごめん。

    591 = 265 :

    あっ、もしキャンプの話もいってたとしたらすみません
    この話はインハイ団体戦決勝までがヤマでそこからエピローグに入るのでキャンプの話は描けません
    完結したあとの小話リストに入れるか迷ってますが……
    皮算用ながら完結後のギャグやほのぼの路線のネタとプロットを思いついたら書き留めてたりします

    592 = 265 :

    >>590
    まず今思考力がやばいくらい低下してるのでおかしなこといってたらすみません

    界の方は今は意味不明だと思います。なぜそんな職についてるかは家族の確執に関わってきます、
    あの状況に陥った咲と居合わせたはやりはドラマチックに仕上げるより偶然の方がいいと判断しました、
    あと母親の設定?で関わり持たせるというのがよくわからなくて……話の核心で関わりを考えたのは咏だけ、ですがなぜ咏が接触を図ってきたのかは今までの展開の中に理由を出しました
    それ以外の人選は……ぶっちゃけるとほぼ1の好み(と書けそうなキャラか)で決めてます

    593 = 265 :

    ここでこんなに疑問を持たれるのはプロット書いたり見てる時点に気づけなかったな
    っていうか今までじわじわ溜まってきた分……?
    いろいろ考えを改めてみないといけなさそう
    皆さん感想や指摘ほんとありがとうございます

    594 :

    船頭多くして船山を登るってね
    読み手の意見を柔軟に取り入れるのは感心するけど、気にしすぎずに書いてほしい気持ちもある

    595 :

    まだかなぁ〜 最近の楽しみがこれしかない

    596 :


    「な、何を聞きたいんですか……?」

     詰め寄られた咲は間も置かず聞き返す。答えられるならさっさと答えてしまいたい。緊張と怯えに震える声が咏へと向けられる。

    「…………」

     咏はそんな咲を静かに見つめていた。棚に片手をついたまま微動だにしない姿勢。俄に鈍くなる眼光。

     咲は戸惑った。

     今の咏からはついさっきまであった威圧的な雰囲気が霧散している。どころか、どこかいたたまれなさそうにすら見える。

    「…………はー、やめやめ。やっぱいじめてるみたいだわこれ」

     壁に押しつけるようにしていた左手を陳列棚から離すと、咏は過剰に近づいた顔をのけて一歩下がる。

    「聞かないんですか……?」

    「いや……話は聞かせてほしい。けど無理強いはしないよ」

     話したくなければ話さなくていいと、咏は言う。

     詰め寄った際と比べると穏やかな口調。つい先ほど雑談していた時に抱いたのらりくらりとした印象と裏腹に、その言葉には茶化した感じが一切ない。

     とはいえ、それで警戒や怯えが消えるかは別だ。当初はその気さくさに親しみを覚えていたが、そのぶん揺り起こしで腰が引けてしまう。

     だが、断ってもその後の展望が見えない。

    597 = 265 :


    「……話せることならお話します」

     咲は、暗がりを照らす月明かりほどの光明を優先した。相手の機微を理解する情報が圧倒的に足りない中、不確かでも読みとれた誠実さ。数秒の逡巡を挟んだ末に返答する。

     「ありがとう」、咏はそう言うと、和服の中へとおもむろに手を突っ込んだ。

    「えっ?」

     目を丸くする。何をするつもりだろう。布地が交差して合わさる胸の部分に手を入れ、ごそごそと何かを漁りだした咏を咲は困惑の目で見守る。

     すると、咏の懐から真っ黒いメモ帳が出てくる。

    「あー、宮永咲ちゃんだったね」

     改まって話をするには陳列棚が雑然と並ぶこの一角は手狭だ。二人は少し歩き、開けた場所に戻る。

     取り出されたメモ帳にはボールペンが挟まれていて、咏はその飾り気のないペンとメモ帳を取材する記者のように構えた。

    「君ってさ、ポットに水を入れるとき『ココマデ』の指示に従うほう?」

    「……」

    「あ、これ割とマジだから。笑ってもいいけど正直に答えてね」

     白昼の喧騒に溢れるデパートでその珍妙な質問は、不可思議に咲の耳に残り、脱力させられるような後味をもたらした。

     空調で炎天下の室外とは別世界に冷えた店内の温度が一段と下がったように思える。

     率直に言って意味がわからなかった。

    598 = 265 :


    「えっと、守る……かな。壊れたりしたら困りますから」

     何だかよくわからないままに咲は答える。

    「なくなるのが早くても入れ直せばいいって感じ?」

    「……そんな感じです」

    「なるほど」

     何事かメモ帳に書き込む咏。

     今のやりとりで何を書いたんだろうーー少しだけ覗いてみたかったが、さすがに我慢した。

    「カップ麺は? ほらあれにもあるでしょ。湯を注ぐときの目安としてさ」

    「……従います。そうしないと味が落ちるような気がするので」

     ダヴァンに勧められたときくらいしかカップ麺を口にしないが、食べるときはそうしている。

    「じゃあ弁当の賞味期限は?」

    「一応守ります。日本は期限を早めに設定するので二、三日くらいなら過ぎても平気だとは聞きますけど」

    「ふむふむ、なるほどね」
     
     仰々しく頷いた咏がささっとポールペンを紙面に走らせる。やはり何を書いているか咲からは見えず、不安になったが、咏がそれを気にする素振りはない。

     咲は思い切って訊いてみた。

    「あの……これって何をしてるんですか?」

    「うん?」

     ペンを動かしながら紙面に落とした視線を上げ、咲に向ける。

     手を止め、考えるように瞳を上向かせると咏はまた咲に視線を戻して言った。

    「プロファイリング」

    「え……」

     咲は絶句する。

     それは、映画やドラマなどでよく見かけるあれだろうか。警察が捜査でよくしている。

     警察……捜査……想像を働かせる。

     ーー違法行為。

     咲の頭の中に痛烈な閃きが去来する。

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    「あ、あっああああのっ、それっ……!」

    「ん? あ、犯罪捜査とは関係ないよ。当たり前だけど」

    「そっ、そうですか……?」

     上ずった声で咲は返す。これはーーセーフなのだろうか。いや怪しまれている?

    「なんだなんだ、案外不良ちゃん? 見かけによらないねぃ」

     にやにやと面白がるように笑みを浮かべ、訊いてくる咏。

    「…………」

     一方で、咲は過度な緊張にばくばくと心臓の鼓動が早まるのを感じながら、咄嗟にごまかしたくなる衝動が生まれた自分に疑問を覚えた。

     咏がどういう意図でプロファイリングと称する行為をしているとしても。確かに咲は違法行為ーー賭博麻雀をした。故意でも、全く本意ではなかったとしても、事実は厳然として変わらない。

     だから、正直に事実を公にすべきだという思いは以前からあった。然るべき場所に申し出れば、然るべき報いが下るだろう。それが人間として正しく生きるということ。咲はそう信じている。

     だが、現実にそうすると今臨海がインハイに参加し続けられるかも危うくなってしまう。罪を清算したいーーそんな咲のエゴのために団体戦の進退を天秤にかけていいのか。

     けれど、部活仲間を巻き込みたくないというのもまた咲の一方的な思いだ。どうするのが正しいのか。あれ以来、咲は義務感と部活仲間への思いの狭間で何度も懊悩していた。

    「ふーん、なんかワケありって顔だね」

     煩悶の海に埋没しそうになった時、目の前の咏から声がかかる。彼女は深刻そうな顔をしていなかった。

    「まあそれは気になるけど、私が聞き出すことじゃないか。ーー続きいい?」

     事も無げに話す。その様子からは必要以上の関心を向けないある種の気楽さがあって、咲は泥沼化しそうになった思案から一旦立ち直れた。

    「あ……はい、次をどうぞ」

     それから二言、三言咲からすると他愛もない質問を繰り返し、やりとりが続く。依然としてわからない意図に咲の疑問は尽きなかったーー何でもない質問や答えにやけに感嘆したりしていたーーが、幸いというべきか返答を躊躇うような質問はなく、はやりが戻るまでの時間潰しとして咲はこの応酬を歓迎すらしつつあった。

    「あー、なんか気になってきたなぁ」

     何回目かの質問を終えて、脈絡もなくそんな事を言い出す咏に咲は首をかしげた。

    「何がですか?」

    「さっきの話。プロファイリングっていったら何だか深刻そうにしたでしょ?」

    「え……」

     波及したときの余韻を忘れそうになった頃、今さらという段階で蒸し返され咲は愕然とする。

    600 = 265 :


    「いやーごめんね、私って移り気でさ、唐突に気になって仕方なくなったりするんだわ」

     そんなことってあるのだろうか。あるかもしれないが、咲はこの時本当に勘弁してほしいと思った。

    「よしっ、いっちょ話してみようか!」

    「あの……いや、その……」

     しどろもどろになる。当然だが、事実を公にする事と彼女に打ち明けるのはイコールではない。どうやってこの場を切り抜けようーー暫く咲が迷っていると、

    「何ていうかこういう反応って性格が出るねー」

     焦る咲の姿を眺めていた咏がふと軽薄にもとれる口ぶりでそう言った。

    「私このプロファイリングを長い間いろんな人にやってるんだけどね、そうするとある程度傾向がわかってくるんだ」

    「こうしたらこんな反応を返しそうだなーとかって、誰しも想像するときがあると思うけど、私のそれ結構当たるんだ」

    「失礼だけど、咲ちゃんはすごくわかりやすい。この間聞いた白糸台の淡ちゃんもわかりやすかったなー」

    「淡……?」

     咲がつぶやくと彼方に視線をやっていた咏が振り向き、「お、知ってる?」というような顔をする。

    「淡……」

     どこかで聞いた名だ。記憶の糸を手繰り寄せ、心当たりを検分していく。

     ーー抽選会の日に会った子だ。咲は思い出す。

     大星淡。姉と同じ学校の麻雀部員。そういえば、部活の一環でした他校の研究でも確か、要注意選手として挙がっていたような気がする。

    「知り合い?」

    「いえ……この前一回会っただけです。名前は知ってましたけど」

    「そっか」

     短く切り、咏が袖を振る。

    「友達だったら面白いなって思ったんだけど、まあそんなとこだよね」

    「少なくとも友達だとは思われてないと思います」

     咲も友達だとは考えていない。友達、というと。

     ーーネリーや、クラスメイト。二人の顔が思い浮かぶ。

     明華や智葉、ダヴァンとハオに対しても浅からぬ思いはあるが、友達というとしっくりこない。先輩であり、部活仲間であり、チームメイト。はやりにしても同じだった。


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