のくす牧場
コンテンツ
牧場内検索
カウンタ
総計:127,062,861人
昨日:no data人
今日:
最近の注目
人気の最安値情報

    元スレ菫「見つけた。貴方が私の王だ」咲「えっ」

    SS+覧 / PC版 /
    スレッド評価: スレッド評価について
    みんなの評価 : ★★★×4
    タグ : - + 追加: タグについて ※前スレ・次スレは、スレ番号だけ登録。駄スレにはタグつけず、スレ評価を。荒らしタグにはタグで対抗せず、タグ減点を。
    ←前へ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 次へ→ / 要望・削除依頼は掲示板へ / 管理情報はtwitter

    251 :


    少なくとも原作の十二国記よりは早く完結するだろう

    252 :

    怨嗟の声が聞こえる。


    使令の背より渇いた大地へと降り立つ。

    枯れた木片を踏み締めた音が響くが、それはすぐにでも吹く風に晒され塵となりどこかへと消えていってしまった。

    粒子になってしまったそれが目に見えるはずもない。

    けれど、まるで追いかけるように降り立った場所から遠くを、遥か遠くを見つめた。

    あそこはどこだったろうか。それでもこの国のどこかだ。

    場所など、もう忘れてしまったが……元々は緑豊かな丘だったのだろう。

    けれど本来あるべき緑の葉や芽は地に落ちて久しいと感じた。

    枯れ切った木々だけが並ぶ、寒々とした光景をよく覚えている。

    風が吹く度に、水気の失った木肌が力なく鳴いているような気がした。

    大地だけで、こうも死にかけている。立場上その事実に心が痛まないはずもない。

    無意識に遠くを見つめる視界を細めた。

    そして、気付いた。枯れた大地の向こうで………何か、黒い筋が幾つも立っている。

    253 = 252 :

    遠すぎるから黒い筋の真下で何が起こっているかまでは分からないが。

    あれが地面より上がる黒い煙だという事は分かった。と同時に鼻腔に何かの匂いが掠める。

    嫌な臭いだと思った、その匂いが何なのか考えるよりもまずは心中に嫌悪感が滲んだ。

    するといつの間にか背後に姿を現した女怪がこの身を労わるよう声を掛けてきた。

    『台輔、あれは穢れです、近付いてはなりません』

    お体に障ります、と。忠告を受けた事で閃くよう、あれが何かを理解した。

    遠すぎて何も聞こえなかったが……つまり女怪が心配する通り、あの下では何かの争いが起こっていて

    この身が最も忌み嫌う血が流されているのだと。そして全てに炎が放たれているのだろうと彼女は言っている。

    「戦か?」

    短く問えば、表情を動かさずに女怪は答える。

    『そこまで大事ではないでしょう。民草の暴動と州師の鎮圧、互いの力の差は歴然です。すぐに騒ぎは収まりましょう』

    女怪に悪気など微塵もない。彼女はいつの時もまずは、この身を第一に心配してくれる。

    だけど彼女の言葉の内容は慈悲の獣と呼ばれる自分の立場であれば許容し難いものだった。

    胸の内が窮屈に締め付けられる。

    254 = 252 :

    蓬山より降りてこの国を見て廻って、目に映る現実に打ちのめされるのはもう何度目なのか。

    それでもこうして耳に届く怨嗟の声に背を向ける事はできない。

    助けてくれ、と誰にでもなく求める声はこの死にかけた大地に無数に溢れていた。

    その一つ一つに応えてやりたいが……この身は余りにも無力だ。

    使令がいなければ何一つできず、目の前に映る悲惨な現実を憐れむしかない。

    浅く息を吐いて、女怪と背に乗ってきた使令に命じた。

    「……まだ息がある者だけでも、助けて安全な場所まで連れて行ってやれ」

    『ですが、台輔。小さな規模の争いといえど一人一人運ぶのでしたら時間がかかります』

    「私は大丈夫だ。ここならば血の穢れも遠いしな。それに一人でも多くこの国の民を救ってやりたい」

    自分が言い切ると、躊躇った女怪も使令も最後には頷いて地面の下に消えていった。暫くは戻ってはこないだろう。

    立ち昇る煙が見える。焦げ臭い匂いに混じってたくさんの怨嗟の声も聞こえる。

    枯れた大地に、苦しむ民の声が満ちていて……自分に架せられた重圧に押し潰されそうになる。

    救いたい、けれど今の自分には何一つ現実を変える力など無い。

    立場はあれど、十何年も腐敗が進んだ宮中には自分の意見に耳を傾ける者もいない。

    神獣として人の善意を信じたいと思っていた、それは神獣である麒麟の性だ。

    けれど何度この凄惨さを宮中に訴えたか分からぬが全てが徒労に終わっている。

    痩せた土は作物を枯らせ、妖魔が跋扈する死にかけた大地はそこに生きる民を長く苦しめ続けている。

    ならば、せめてこんな時にこそ、人は人のために力を集うべきなのではないか。それが正道だ。

    255 :

    待ってた

    256 = 252 :

    けれど、そんな民の生活と掛け離れた場所にある宮中では、この訴えがどうしても届かない。

    愕然とした、そうして何一つ変える事ができずに……目の前に広がる現実を自分は憐れむしかない。

    このどうしようもない現実を、唯一変えてくれるかもしれぬ存在を望んだ。

    それは自分だけはなく今この瞬間理不尽な現実に晒されているこの国の民すべての願いのはずだから。 

    自分が存在する以上……どこかに必ず存在するこの国の“王”を誰もが待ち望んでいる。

    無力な自分ではあるけれど、それでも唯一、待ち望む“王”を探し出せるというのならば、

    他の何においても第一に努力をする。

    だからどうかこの切なる願いを聞き届けて欲しい。

    この才州国を、この国の民を救って欲しい。

    見つめる視界を更に細めると、立ち昇っていた黒い煙が消えようとしている。

    それでも救いを求める怨嗟の声が途切れる事は無い。

    それはきっと、この死にかけている国のために“王”が立ち上がるまで続く事だろう。

    大地は広い、途方もない程だ。この先からたった一人の人間を見つけ出さなければいけない無謀。

    けれど心は決めている。だって自分はまだ見たこともない夢現のような存在に、こうやって呆れるほど縋り続けている。

    立ち消えてしまった煙の白い筋を見届けてから決意するよう瞼を閉じた。
     
    必ず、必ず、見つけ出す。
     
    それはもう執念といってもいい程の想いだった。

    257 = 252 :

    だからあの時突如として天啓の如く感じ取った気配に、素直に体は震えた。

    その余韻を味わうことなく、むしろ振り切るように使令の背に跨って向かった先に見つけた姿に確信を抱く。

    寒い日だった、もしかしたら朝には少しの雪が降っていたかもしれない。

    見つめる先の井戸端に佇む姿は水汲みの合間に寒さで赤くなった指先を必死に擦り合わせていた。

    少し離れた場所に降り立った自分にまだ気付いてもいない。
     
    自分から言葉を発するでもなく、ただ食い入るように見つめていて気付く。

    質素な服の袖から除く腕は異様に細い。一目見ただけで、今まで酷な生活を送ってきただろう事は明白だった。

    だから心が痛い程に締め付けられ、同時に自分自身の今迄を恥じた。

    この国の凄惨な現実と、そして今の今まで目の前に確かに存在する姿に対して何もしてやれなかった事に対する後悔。

    一国に唯一の神獣と言われ持て囃されても、宰輔としての高い地位があったとしても、

    こうして民一人を不幸から救う事さえできなかったのが自分だ。

    無力だ、余りにも……そう思い至った頃に。

    井戸端で水を汲んだ桶を持った少女がやっとで自分の存在に気付いたようだった。

    ふと、伏せがちだった顔を上げて、朱い色の大きな瞳が自分の姿を射抜く。

    想像していたよりも真っ直ぐに見上げてくる視線を受け、体に震えが走ったのを悟られはしなかっただろうか。

    いいや、それよりも。あの時もう一度強く確信した。

    やはり目の前にいる少女に違いないのだと。

    この身が執念と言っていい程の想いで探し続けた主人であり……この国の王なのだと。

    258 = 252 :

    笑いたくなったし、泣きたくもなった。

    けれどごちゃ混ぜの感情は、眼前の少女にしてみれば突如現れた自分の存在に戸惑う声に打ち消される。

    ああ、そうだろうなと表情には出さすに肯定する。

    自分を見つめる視線に微かな怯えが見えて少しだけ心が痛んだ。

    初めて会ったのだから当り前の反応なのに、呆れる事に自分はその時には

    もう、彼女にだけは拒絶されたくないと思い込んでいた。


    今までたくさんのこの国の人達と接してきた。

    麒麟として、人として対峙して…色々な事たくさん見て来たのだ。

    この言葉を聞き賛同してくれる人達も確かにいた、だけどどうしてもこの言葉が届かない時も多々あったから。

    それでどうしようもない現実に絶望して、どうしても顔を上げられない日々もあった。

    神獣と言えど、たかが麒麟一人ではこの国を支えるには余りにも無力で。憐れむだけでは誰も救えない。

    故に……勝手な話だけれど、本当に自分はまだ見た事もない主人に呆れる程に縋り続けてきたのだ。

    どうしても、挫けそうになるこの心の指針が必要だった。

    育ててくれた女怪や女仙がずっと言い聞かせてくれた話。

    麒麟としての生涯を一緒に歩いてくれるはずの主人を、自分は夢のように求め続けていた。

    259 = 252 :

    「信じます」

    きっと彼女にしてみれば何気ない一言だったと思う。

    けれどそのたった一言が、どれ程自分の心に響いたのかは知らないだろう。

    じわりと心に沁み込んでくる言葉に何かを言い返すよりも、考えるよりも先に、

    自分の心がふっと軽くなったのを覚えている。

    自然、顰め面は緩み両端の口角は柔く吊り上がった。

    あの時自分はどれくらい振りに笑ったのだろう。

    国を支えなければいけない重圧に心を押し殺してどれくらい経っていたのか。

    たかが一言。だけど、その一言が確かにこの身の苦心を和らげた。

    出会ったばかりと言っても過言ではない自分を、躊躇いもせずに信じると言ってくれた。

    この国のために誓約を交わせばきっと生涯を共にすることを悟っているから、

    一緒に歩いて行く事を知っているから、こうも容易く縋りたくなるのだ。

    今まで一人で重圧に耐えてきたものを、彼女とならば分かち合ってもいいのかもしれないと……

    その時、ようやく自分は気付くことができた。

    260 = 252 :

    「貴方しかいない。この才州国にも、私にも」

    本心だ、紛れもない。そして思い至った事。

    救って欲しかったのは確かにこの国だったけれど。

    でも一番に救われたかったのは自分自身だった。

    おそるおそる触れてくる手の温かさ擦り寄るよう、本性の獣の頭を近付ける。

    甘えるような仕草、こんな自分を自分自身が初めて知った。

    結果として主人になるこの少女を騙した形になってしまったけれど。

    誓約を交わした後に、結局は自分を責めもせず許すよう鬣を撫でてくれたその細い腕の温かさを絶対に忘れない。

    一人なのではないのだと教えてくれたのは間違いなくこの人だ。

    きっとこの先。死にかけた国を支えていく重圧を、この人と二人で背負っていかなければならないのだろう。

    それは麒麟として生まれた自分の宿命であり、自分に選ばれてしまった彼女の運命だ。

    過酷な運命に巻き込んでしまったことは分かっている。

    すまない、と思いながらも…縋る事を教えてくれた手を離すことはもはやできない。

    その代わり絶対に、絶対に自分がこの人を支えてみせると心の中で誓う。

    麒麟としての義務からではなく、こうして触れてくれる彼女の温かさに報いたいと思う自分の本心からの願いだった。


    ■  ■  ■


    261 = 252 :

    人差し指でその箇所をとん、と示すと机を挟んで座る姿が必要以上にビクリ震えたのを菫は見逃さなかった。

    その硬く余所余所しい反応に気落ちしなかったと言えば嘘になるが。

    今までの、自分の不器用で逃げ腰な対応の結果だ、これは。

    それを取り除き、歩み寄りたいと願ったから、今までのように退くことなく菫はここにこうしている。

    そっと顔を上げて傍らの姿を見つめる。

    主人の横顔は卓上に置かれた書類に向き合ったまま。

    緊張が滲み出ているのが近い距離からも気配で菫に伝わってきた。

    比べても仕方ない事なのだが、今まで智美から彼女との執務の様子を掻い摘んで聞いてきた限り。

    智美と自分とでは、明らかに態度が違う事に気付かされて言い様のない焦燥感に苛まれてしまった。

    吐き出したい息をぐっと堪えて、指摘した箇所に菫は説明を加える。

    「違う。今回の案件は、その州の……隣の陳述書だ。地図を」

    自分の気落ちを悟られないよう淡々と告げると、はい、と強張った彼女の声が短く返ってくる。

    菫に指摘されて慌てたよう席から立ち上がると、彼女は卓上に広がった書類の中より版図が描かれた地図を探し出そうとした。

    慌てるな、と菫は声を掛けようとしたが。

    その前に咲が卓上の書類を掻き混ぜたために、脇に置かれていた飲み物が入った杯がぐらりと揺れる。 

    あ、と焦った声が続く。菫もその光景を眺めていたから、思わず腕が伸びた。

    ぐらぐら、と視界の先で不安定に触れる杯を支えようと伸ばした指は、けれど直前で何かに当たり遮られてしまう。

    262 = 252 :

    それが自分と同じように、揺れる杯を支えようと伸ばされた彼女の指先だと気付いたのは、

    一瞬だけ、互いの指先が触れ合ったせいだ。

    じわりと沁み込んでくる温かさは自分が思う以上の動揺を心の中に生んだ。

    思わず弾いた衝撃は自分のものなのか、それとも彼女のものなのか判断が付かない。

    でも後にして考えてみれば、お互いに焦ってしまって弾き合ったというのが正しい事実だろう。

    菫にしてみれば嫌悪感からではなく、ただ吃驚したから思わず、だ。

    だが弾かれた指を宙に浮かせたまま、ふと、立ち上がったままの咲を見上げると、

    想像以上に顔を強張らせてこちらを見下ろす視線とぶつかった。

    菫は思わず口を開く。そのまま、違うと言い募ろうとした。

    咲が嫌だから手を払った訳ではなくて、ただ驚いて思わず自分も払ってしまっただけなのだと。

    だから……そんな、そんな傷ついた顔をしないで、誤解しないでくれ、と。

    そうきちんと言わなければいけないと思った。

    でも言葉を発する前に、結局二人とも揺れる杯を支える事ができなかったのだから。

    まるで菫の弁明を遮るようにガシャン、と床に落ちたそれが殊更大きな音を立てた。

    「…っ」

    伝える機会を確実に逃したと気付いたのは、強張った表情を浮かべていた彼女が割れた音に気付いて、

    慌てて床にしゃがみ込んだ姿を見送ったから。

    「………」

    すみません、そう言い返してくる声に、先ほどまで弁明しようとしていた自分の言葉は容易く消されてしまった。

    263 = 252 :

    開いたままの唇を1、2度、意味も無く開閉させると…菫は観念したように唇を噛み締めた。

    くそ、と心中で毒付いてから床にしゃがみ込む姿に言う。

    彼女は床に割れた破片に今まさに手を伸ばそうとしていたから、ついつい声が鋭くなった。

    「よせ」と短く制止の声を上げる、と。その肩が再び不自然に揺れたように見えた。

    事実、動作を止められた彼女はしゃがみ込んだまま首を回してこちらを見上げてくる。

    先ほどと同じ、そのどこか強張った表情を見返しながら……菫はまたやってしまったと心中で項垂れた。

    弁明すればいいのか、怒ってるんじゃなくて、と。

    でも一度唇を開けば言いたいことがいっぱい在り過ぎて上手く伝える自信がまるでない。

    むしろ、何かを言えば同じことの繰り返しで…更にこの人の心が遠くなるのではないかという怖気が自分を閉口させた。

    結局、事務的な事だけを簡潔に伝える事にする。

    菫は自分も席より立ち上がると、しゃがみ込む咲の側に寄り腕を伸ばす。

    割れた破片を拾う直前に止めたから、所在無さげに宙に浮いていた指先を掴むと

    そのまましゃがみ込む姿を立ち上がらせた。

    本当に、自分で思うのもなんだが、きちんとした目的があればこうも容易く触れる事ができるのに。

    それは伝える言葉も同じだ、立ち上がらせて向き合う形になった咲は、自分を見上げたままに困惑している。

    菫は淡々した口調のままに彼女に言った。

    「御身がする事ではない。…人を呼ぶから」

    いいな、と少しだけ口調を強く言い含めれば、咲は何かに気付いて目を見開き。

    そして、続けて落ち込むよう顔を俯かせてしまった。


    ■  ■  ■

    264 = 252 :

    智美「で、どうなんだ?」
     
    「…………」

    智美「菫ちんの不器用さを思い出したらちゃんと会話できてんのか心配になっちゃってなー、何回様子見に行こうとしたか」

    「お前は私の保護者か」

    智美「いや、ほんと保護者的な気分だわ」

    「そんな事より、そんな理由で仕事を疎かにしてはいないだろうな?」

    宮中の立場上、部下にあたる官吏が国を動かす仕事を疎かにするなど菫の真面目な性格上、許すことはできない。

    そしてそんな自分の剣呑な雰囲気を感じ取ってか、智美は苦笑いを浮かべると頷いた。

    智美「菫ちんが主上に付いていてくれたし、溜まってた私自身の仕事は全部片付いた。あとは日課で処理できるぞ」

    それを聞いて菫は顔には出さないが胸中で安堵した。

    智美が仕事を今まで溜めていた原因は、元を正せば自分の我儘から出てきたようなものだという事は分かっていたから。

    それを解消できた事に対して素直に気分が楽になった。だから重かった口も軽くなる。

    「……拒絶は、されていないと思う」

    「お!」と分かり易く目を見開いた智美は興味津々に言葉を返してくる。

    智美「私から見れば主上は、元々菫ちんを嫌ってなんかないぞ」

    「それは…あの人がお前に対しては心を許しているから、そう見えるんだ」

    智美「じゃあ、菫ちんに対しては違うのか?心を許してないって?」

    265 = 252 :

    ずけずけと言ってくる智美の言葉に心が不規則に波打つ。

    ああ、他人からでもそんな話を聞きたくなかったのかと、今さらながら自分の心境に菫は気付く。

    「お前のように気安い態度で迎えてくれないとは感じる。話せば答えてくれるが、どこか余所余所しく思えるんだ」

    智美「そんなことないと思うけどなー…」

    「私だって、側で支えてやりたいと思っている」

    「王に対する麒麟の本能かもしれんが。でもそれだけじゃなくて、私自身が助けたいと思っているから」

    智美「………」

    こんな時に真面目な顔をして茶化さないのだから、本当に智美はいい性格をしていると思う。


    その時執務室の扉が控え目に叩かれた。

    扉のすぐ向こうにいるのは女御のようで、彼女は来客を告げてくる。

    菫に今日これからの来客の予定はなかったが、智美が「来たか」と言い席より立ち上がった。

    視線を向けると、 彼女は今まで座っていた席を直してから座る菫の斜め後ろに移動する。

    形式に沿った行動だと思ったから菫も気分を改めた。

    女御に入室を許可すると、扉が開いて一人の官吏が一礼をして入ってきた。

    微かに菫は目を見張る。……自分にしてみれば知らぬ顔ではなかった。

    266 = 252 :

    「このような内輪の場を設けて下さって、ありがとうございます。台輔」

    「………いや」

    声に躊躇いがあるのはどう反応していいか迷ったからだ。

    やってきたのは、塞という名の官吏だ。内宰の立場にあって、形式上では何度も顔を合わせた事があるが。

    それ以外でこうも近くで対峙するのは初めてだと思う。

    菫からすれば、訪ねてきた姿に含むところはない。

    が少し前に智美と相談した内容が頭を掠めたから面食らってしまった感はあった。

    思わず自分の斜め後ろに控える智美に視線を向ける。

    きっと彼女の事だ、菫が抱く動揺なんて手に取るように分かっているだろう。

    案の定、睨んだ自分をなだめるように苦笑を浮かべた智美が言った。

    智美「状況が変わったので……助けになる者には歩みよろうかと。台輔の人の見る目を信じます」

    その言葉は以前、智美との会話の中で、菫が塞の印象を説明した時の事を言っているのだろう。

    あの時自分は塞の事を人格者だと言ったが、今この場にやってきた塞を見返してもみてもあの時言った事は間違っていないと思う。

    背筋をピンと伸ばし、向ける眼差しは揺れず明確な意思を感じる。

    「私を覚えていて下っていたのですか?」

    塞の声に顔を向けると菫は数秒、悩んでから結局は頷いた。

    「立場も、だが……なにかと便宜を図ってくれた事には感謝している」

    短い言葉だったが、それを聞いただけで塞も菫が何に対して礼を言っているのかを悟ったようだった。

    その上で、彼女は首を左右に振って言う。

    「些細な事です。結局私の立場でも、台輔のためにはあれぐらいの事しかできませんでしたから」

    真摯な言葉だと思った。だから無意識にも菫は信じたいと思っている。

    これは麒麟の性なのかもしれないが、それを抜きにしても菫の目からは塞は誠実な人間に見えた。

    267 = 252 :

    今回はここまでです。 次はまた金曜日に。
    見て下さった方ありがとうございました。

    >>248
    今年中には終わらせる予定です。

    268 :

    乙乙

    269 :

    乙 菫さんが想像以上に不器用だった

    270 = 255 :

    おつ
    菫さんをすごく応援したくなる

    271 :

    上達に同意
    それと同時にすれ違いで咲さんが酷い目にあったりしないか心配でもある……
    はらはらさせられるぜい乙

    272 :

    おつおつ

    273 :

    一区切りの会話を終えると、それを見計らったように智美が口を開く。

    智美「内宰殿…こうしていらっしゃったという事は、今まで以上に台輔を助けて下さると。そう解釈してもよろしいので?」

    思ったよりも真っ直ぐな智美の言い様に菫としては驚いたが、対する塞は迷う事なく頷いた。

    「立場があった私を貴方が訝ったのも分かります。力が足りなかったのも事実。だからこそ、ここで正したいと思うのです」

    「国を纏めるべき役目にある宮中を正常に戻したい。それが本来の私の役目。主上が坐した今ならば、それが可能だと」

    「……台輔からすれば今更とお思いでしょうが、どうか。私の愛国心を今一度信じて頂けないでしょうか?」

    一言一言に迷いは見えなかった。

    菫が向ける視線を真正面から反らしもしない。

    誠実な態度に、声が伴っていると菫は感じた。

    これがもし塞の偽りの姿だとすれば、菫は人間不信に陥るかもしれないが。

    でもきっとこの女性は信じていいと思う。

    「言い分は、よく分かった」と塞に言葉を返す。

    元々、菫自身ならば彼女に含むところはない。

    だから後の判断は、菫の背後に控えている智美に委ねる事になる。

    274 = 273 :

    まぁここに塞を招き入れたのも智美だから、菫が答えを出す前にとっくにこの話の道筋は付けていたのだろう。

    時に智美は本当に良く頭が回る。

    ここまで深い話を交わして止めもしなかったのは智美なりに、塞をある程度信頼していたからだと思う。

    情報を共有しても大丈夫な人間だと判断した。

    事実、智美は塞の意見に対してすぐに言葉を返す。

    智美「でしたら、以前に私が伝えた事案を覚えておいでか?」

    「“信頼”が欲しいという話でしたか」

    智美「ええ。今の内宰殿の話を聞いた限り、目指すところは同じだと思います。主上のために宮中の不安要素を取り除きたい」

    智美「ならば、私の頼み事も叶えて頂けたのでしょう」

    頼み事?菫がその疑問を口にする前に、塞は迷いなく言葉を返してくる。 

    「貴方が教えてくれた話。呆れた話ではあるけど、右往左往する官吏の中には無謀に走る輩もいるという事なのかと」

    「普通の精神ならば、主上に対する狼藉を恐れ多いと恥じなければいけないのに」

    智美は呆れたように口元を緩めると頷く。

    智美「王に対する畏怖よりも、今まで吸ってきた蜜の欲が勝ったのでしょう」

    「やはり今までの私が力不足でした。以前の私は周囲からの圧力がありましたから…」

    「人事の調和を計るためにも、打診を受ける要望全てを無理だと跳ね除ける事はできませんでした」

    「どこの管轄からの口出しが一番酷かったか?」

    「夏官です。元々、内宮の警備のために夏官の兵士は迎え入れなければなりません」

    「その際に私が一人一人、人物をきちんと見定める事ができればよかったのですが…向こうの言い成りになっていた時もありました」

    「ですから先日貴方が私に頼んだ事……天官が二人、城下で事件に巻き込まれ死んだという話を私なりに調べてきたんです」

    275 = 273 :

    それを聞いた時点で菫はぎょっとする。

    と同時に胸を締め付ける痛みを苛まれた。

    なぜなら菫は人の生き死を無条件に憐れんでしまう。そういう生き物だ。

    抱いた痛みを唇を噛み締めて堪えると、菫は目付きを鋭くし、背後に佇む智美を睨んだ。

    だって今、塞が言った話は菫にしてみれば初めて耳にする。

    しかし彼女は智美から聞いていたと言っていた。つまり智美は自分には伏せていたのだ。

    菫の非難するような視線を受けると智美は「仕方ないだろー」と言って硬い表情を崩す。

    智美「ただの事件かもしれないから、余計な心配をさせたくなかったんだよ。主上にも、菫ちんにも」

    智美「見知らぬ他人でも自分に関係した何かで命を落としたと思えば心を痛めるだろう」

    智美「台輔は神獣として特に顕著だ。それが限りなく黒だと分かっていても、死んだ人間に同情してしまう」

    智美「今みたいに中途半端な情報の時に、そうなって欲しくなかったから言わなかったんだ」

    「………っ」

    心の締め付けは続いてるが、それと一緒に智美に抱いた怒りをどうにか飲み込んだ。

    智美の言っている事が正しいと判断して、その意見を言い返せないからだ。

    事実、自分がその話を聞いていれば…きっと死んだ人間に同情していただろう。

    調べたいと智美に言われたら、死人に鞭打つなと言っていたかもしれない。

    噛み締めた唇を解くと浅く息を吐き出す。菫は塞へ視線を戻す。

    「…今は中途半端な情報ではないのだろう。主上に許可なく近付こうとした輩を手引きしたのが、死んだそいつだと言うのなら」

    「こちらがそれを辿ろうとしたから消されたと智美は思っている。だから、塞殿に頼んだ」

    「正しい見解だと思います。確かに死んだ天官は、夏官の兵士を迎い入れる際に強く打診を受けて招き入れた官吏達です」

    276 = 273 :

    「形式上は私の部下にはなりますが、私の息の掛かった者達ではなかった」

    「だから、死んだ時もすぐに私の耳にまで入ってこなくて。話を聞いた時は驚きました」

    智美「死因は調べる事ができましたか?」

    そう智美が問うと「ええ」と塞は頷く。

    「形式上とはいえ彼らは私の部下です。報告書に目を通す事は出来ますし、手の内の者を現地に遣わせて確認する事もできる」

    「はっきり言えば、作成された報告書はでたらめも言い所。死因は些細な喧嘩に巻き込まれて刺されたという話ですが」

    「酒場の名前も場所も架空で……実際の死因は刺死ではなくて、溺死だったようです」

    さすがにその答えには智美も驚いたようだった。

    「現地で聞き込みをして、川より死体を揚げた町人達にも確認したので間違いないでしょう。やはり、口封じされたと見ていいかと」

    「官吏が二人も溺死したのであれば不自然だし事件性を調べられますが、喧嘩に巻き込まれた事にしてしまえば事故で片付けられる」

    智美「……ほんと、汚ないことを」

    保身のために仲間を殺す、そんな理不尽が通る世界なのだ……まだ、この国は。

    ふと声を聞いた気がした。この国に降りてからずっと、事ある毎に菫を苛み続けている怨嗟の声だ。

    と同時に、必然のように主である少女の姿が脳裏に浮かぶ。

    智美は儚いと言っていた姿だが、菫からすれば、思い浮かべる姿は眩しくて目を細めたくなる。

    暗い世界の中で、あの姿だけが菫にしてみれば希望に思えた。

    277 = 273 :

    こうして負の連鎖を繰り返そうとする世界を唯一、変える事ができるはずの人。

    誰でもなく王としての資質を、麒麟の本能が感じ取っている菫だからそれがよく分かっている。

    助けて欲しいと願うのも自然な流れで、それが国に対してなのか、民に対してなのか…

    それとも自分自身に対してなのかはよく分からなかった。

    ただ心の内側で落ち込みそうになる自分に触れてくれる手の平を想像した。

    いつかの日に、鬣を柔く撫でてくれ温かさをまだ忘れてはいない。

    顔を俯かせ、菫は自嘲気味に口角を吊り上げた。

    こんな些細な瞬間にも自分はあの人に縋ろうとしている。


    (……?)

    と。思案に沈もうとする意識が引かれた。

    俯き加減だった顔を上げて、菫は何もない宙を見上げる。

    どこかで咲が移動し始めようとする気配を敏感に感じ取った。

    今の今まで、その存在を思い浮かべていたからいつもより鮮明に感じ取っていると思う。

    (…主上)

    心の中で呼び、菫はふらりと席を立ちあがる。そして思案した。

    今日の執務は自分が手伝い終わっているから、自室に送り届けて菫はこうやって智美らと自室で話し込んでいたのだ。

    だから今日はあの人が外に出る用事はないはず。外出する旨も聞いていない。

    278 = 273 :

    しかし感じる王気はもはや移動を始めていた。

    確かに自室から出て続く廊下を歩いている。

    ゾワリと心が波立った。

    智美「台輔?」

    不自然に立ち上がったまま停止していた自分を不思議に思った智美が呼びかける。

    宙を見上げていた顔を降ろし、智美と塞とを交互に見渡してから言った。

    「…塞殿の話も理解した。先日、主上を助けたと言って私に不意打ちにも面通ししてきた奴も夏官だったな」

    智美を見れば彼女は頷いた。菫は短く舌打ちする。

    「思い通りに事が運ばなくて、裏からでは無く正面より取り入ろうとしているのかもしれん」

    「私は今までの態度があるから期待していないだろうが…主上なら、本当に優しいから。その隙に付け入ろうと…」

    智美「十分考えられるな。あわよくばこの先、主上の一番近くで守ることになる大僕、小臣の役目を掌握したいのかも」

    智美「射人だったか奴は…そうなれば外宮でも、内宮でも主上に対する影響力が強まってしまう」

    智美がそこまで言うと、側で話を聞いていた塞は「そうだったのですか」と言ってきた。

    何か得心した表情を見返すと塞は答える。

    「この頃、夏官より打診を受けていました。おっしゃった通り、主上が即位したので内宮の大撲と小臣の役目をくれと」

    「!!塞殿」

    「ご安心を、断っています。以前ならどうかは分かりませんが、今の状態なら私に大声を出して圧力は掛けられない」

    「それに、それらの役目を任す人材は私の信の置ける者と決めています。もちろん台輔にもお目通りさせますし……」

    「この国の王を守るのですから、不確定な輩は許せない」

    意外にも強い塞の言い様に菫は少しだけ驚いた。

    279 = 273 :

    終始物腰の穏やかな官吏に見えたが、譲れない芯があるのだと気付く。

    「それに、その役目を任そうと思う者は私なりにきちんと見つけていますので」

    「え?」

    「落ち着いたら、お目通りさせます。…一人、少々口が悪すぎるかもしれませんが、根は良い人ですので」

    そう言って塞はにこりと穏やかに笑った。

    智美「何となく話は通ったかな。取りあえずはこの案を落ち着かせないと塞殿の話も詳しく聞けない。まずは煩い外野をどうにかしないと」

    「同感です。しかも台輔にまで近づこうとしているのでしたら、もう形振り構ってられない状態なのかもしれません」

    智美「そうやって尻尾を出してくれればいいんですが」

    しみじみと智美が呟くと「そうだな」と菫は相槌を打った。次いで塞に向き直る。

    「ここまで折り入って話をしたのだから。もはや貴方に対して信頼した、と言っておく」

    ちらりと背後を向けば智美が薄ら目を細めて笑っていた。反対しないという態度。

    そうでなくても、今まで会話を交わして菫も肌で感じている。塞は誠実な人格者だ。

    「勿体無いお言葉です。今まで力になれなかった分、お役に立てるよう勤めます」

    菫は頷いた。そして徐に歩き出すと、そのまま部屋を横切ろうとする。

    智美「台輔?」

    智美の呼ぶ声に、辿り着いた部屋の扉を押しながら菫は振り返った。

    「すまないが、確かめたい事ができた。智美、後は任せてもいいか?」

    280 = 273 :

    そう言いながら菫は一瞬だけ宙を見上げる仕草をした。

    それだけで、不思議そうにこちらを眺めていた智美も気付いたようだった。

    智美「分かった。今の話をもう一度、塞殿と確認してみます。報告は後日でよろしいですか?台輔」

    本当に、こんな時の智美の物分りの良さは有難いと感じる。

    「ああ、それでいい。途中だが失礼する。…塞殿もこれから、宜しく頼む」

    すぐに「御意」と一礼を返す塞を見届けてから、菫は押した扉の向こうへ体を滑らせた。

    背後でパタン、と扉を閉めて……再び何もない宙を見上げた。

    けれど菫には辿る気配がはっきりと見えている。

    どこに?

    不安が胸中を掠める。

    あの人は自分の立場が分かっているのかと、腹立だしくも思えた。

    今まで心配してしまうような話をしていたから尚更だ。

    一歩を踏み出す。辿ろうとする気配は移動していた。

    それを追いかけるように……菫も人気の無い通路を歩き始めた。



    ■  ■  ■

    281 = 273 :

    今回はここまでです。次はまた金曜日に。

    283 :

    乙乙

    284 :


    また1週間が長い

    285 :

    おつおつ

    287 :

    「意外だな」


    その短い言葉が何に対して言ったのか咲は分からなかった。

    だから何の事ですかと反応しようとしたが、その前に伸びてきた純の腕に自らの手を掴まれる。

    そのまま軽く持ち上げられ、手のひらを無遠慮にまじまと眺められている。

    「純さん?」

    じっと手のひらを見下ろしていた純がもう一度「やっぱ、意外だ」と同じ言葉を繰り返す。

    「何がですか?」

    「いや、苦労してきた手だなって思ったんだよ」

    「咲は官吏だろう?官吏なんて、苦労も知らず部屋の中で勉強ばっかやってきた奴らだと思ってたから……」

    そう言いながら、何気に手の平上を純の指が擦った。

    古傷だろうか。ピリ、とした懐かしい痛みを咲も思い出す。

    「ああ、」

    得心して頷いた。

    純の指摘通りだ。咲の手は少し前まで商家の下働きとして酷使されていたものだ。

    体に不釣り合いな重いものを持ったり、冷たい水で作業したり。

    288 = 287 :

    あの頃に手に無理をさせてできた古傷や凍傷の痕のせいで、本来の手の形よりも若干歪に見えた。

    ふと咲は考え込む。

    純に指摘されるまで気付かなかったけれど。

    数刻前にこの手を彼女と同じように取ってくれた、この身の半身である彼女も気付いていたのだろうか。

    彼女の真っ直ぐな姿勢、それと真面目な態度とが咲の脳裏に浮かぶ。

    堅い声質はいつもと変わりなかったように思うけれど。

    あの時は、自分も陶器を割ってしまって焦っていたので菫の反応を気に掛ける事はできなかった。

    けれど今の純と同じく気付いていたのかもしれない。

    彼女の白磁のような綺麗な手とは違う。

    こんな歪な手を取って、何か思ったのかもしれない。

    「………」

    また、いらぬ事を考え込んでしまいそうだな、と咲は思った。

    「咲?」

    上から降ってきた声で現実に帰る。

    289 = 287 :

    「すみません。ちょっと自分の行動を振り返っちゃってました」

    「自分の行動を振り返る?…咲、お前ほんとここの妖怪みたいな官吏共とは違ってんな」

    「あ~…大丈夫か?真面目過ぎると周りからいらん面倒事押し付けられてそうだ」

    歯に着せぬ純の言い様に咲は苦笑いを浮かべる。

    すぐに首を左右に振ると、咲は大丈夫ですと伝える。

    「面倒事ぐらいは別に。これでも打たれ強さには自信があるんです」

    「でも、反対に私を助けようとしてくれる人達には……どうしていいか分からなくなる時があります」

    「なんだ、それ?」

    純の怪訝な声を聞いて、咲は苦笑を浮かべたままに答える。

    「恥ずかしい話ですけど、私は今までそんな経験が本当に無くて。助けてくれるのなら報いたいとは思います」

    「せめて力になりたいのですが…どうにも空回りしちゃって。…謝ってばかりです」

    「………」

    先ほどまでの気安い純の雰囲気はいつの間にか消えている。

    じっと咲の話を聞いていてくれた彼女は、まだ手に取ったままの咲の荒れた指先を見下ろしながら言った。

    「まぁ細かくは聞かねぇけど。やっぱり苦労してきたんだな、お前は」

    290 = 287 :

    「俺もここに来るまでは色んな辛い事があったけど。きっとお前がここに来るまでも色んな事があったんだろうな」

    「この手を見るだけでも分かるしな。金とコネだけで入ってくる奴らとは違うんだって」

    「いえ、私は…」

    だが咲は続く言葉は言えない。

    自分の立場を、何も知らぬ純に上手く伝える自信もなかった。

    「……ま、お前みたいな奴がいるだけでここもまだ捨てたもんじゃないなって思えるからな」

    咲は目を見開く。

    「純さん、それは違うと思います」

    身に余る評価に、困惑で声が硬くなった。

    「私は何もしていないんです」

    むしろ何も出来なくて悩んでいる。助けてもらってばかりだ。

    だが、咲の言葉を聞いた純は余裕を滲ませながら「馬鹿だな」と笑う。

    「これから何かをするために、ここにいて、お前は頑張ってんだろう?」

    「………」

    「その姿勢が大事だと思うぜ。こんなご時世だからな」

    291 = 287 :

    「ここで、一人でもそんな姿勢の奴がいる事が分かっただけでも、この国はやり直せるんじゃねぇかって」

    「きっとようやく起って下さった主上にも届く。変わっていけるって。そう思うぜ」
     
    その言葉通りなのか、伝わってくる純の言葉に咲の心が震える。

    彼女はきっと何気なく言っている。

    だからこそ本心であると思うし、咲も気付かされる。

    無意識に呟いていた。

    「貴方も……私を、助けようとしてくれる?」

    純は咲が王である事を知らない。

    けれど純の言葉は、王の立場にいる自分に向かって言われているような気がした。

    途端、咲の胸が窮屈に締め付けられる。

    ここにやって来るまでは知らなかった、誰かに必要とされる空気。

    純の姿が一瞬、自らの半身に見えた。

    例え必要以上に堅い態度で接していても、

    その実いつもこの身を支えようとしてくれているのを知っている。

    292 = 287 :

    「でも…すみません。私は」

    何も、返せない。

    果たしてその言葉が、隣に座る純に言ったのか、今まで自分を支えてくれた人たちに向かって言ったのか。

    ……それとも、この身をいつでも支えようとしてくれる半身に向かって言いたかったのか。

    多分、全て同じ想いではあった。


    ふと、そのまま続くはずだった咲の言葉は途中で途切れる。 

    なぜなら不意にまだ掴まれたままだった指に力が籠ったからだ。

    不思議に思った咲が掴まれた先を自然に見上げれば、

    純は少しだけ困ったような顔をしていた。

    んー、と。言葉を探しているような彼女の気配は数秒。

    「咲はさ、真面目過ぎだな。そんな難しく考えなくてもいい、もちろん俺に謝る必要も無い」

    「俺は軍にいて酷い奴らを随分と見てきた。だから成り行きで辿り着いたここも、同じような奴らばかりなんだろうなって思ってた」

    「そのせいで、この国は駄目なんだってな。救いようがねぇって。でも違った」

    「……」

    293 = 287 :

    「ここに俺を呼び寄せた…上司になるのか。あの人は」

    「偉いんだけど、俺なんかより何倍も悩んでて、必死にここを変えようとしてる」

    「このままじゃ駄目なんだって…咲も同じで、悩んでんだろう?なら捨てたもんじゃねぇ」

    「この国のために悩んでいるお前らだからこそ、俺にできることがあるなら助けてやりたい」

    「純さん…」

    呼ぶと、彼女は照れ臭そうに笑う。

    「俺の勝手だよ、気にすんな。一度はさ、どうでもいいと思っていた時もあった」

    「軍からも切られて、腐れ縁と一緒に根無し草になっても別にいいか、とかな」

    「……でも、あの人や咲のお陰でもう一度、俺ができる事があるのなら、ま、やってみようかって」

    けど俺のできる事といったら剣を振り回す事ぐらいだがな、と。

    後腐れを匂わせない、気持ちの良い純の言い様だった。

    咲はふっと肩の力が抜ける心地がした。

    純が言っていた事。

    自分ができる事があるのならやってみようと彼女は言っていた。

    もしかして、自分もそれでいいのではないか。
     
    ふと脳裏に菫の端正な顔が浮かぶ。

    身が引き締まる心地は変わらない。

    294 = 287 :

    そうか、と咲は思う。

    自分は何も知らぬ癖に。能力もない癖に。

    あの高潔な人の姿勢に無理に合わせようとし過ぎていたのではないか。

    緊張して、それで失敗して後悔して…

    何もできない自分を恥じて、王としての重圧に潰されそうになっていた。

    身動きがとれないと思い込み、勝手に苦しんで、盲目になっていた。

    でも今、そんな自分に気付く事ができた。

    違うのではないかと純が教えてくれた。

    ならば何もできない自分を受け入れて、その姿勢のままに半身に向き合えばいいのではないか?

    もしかしたら、彼女は今以上に呆れてしまうかもしれないけれど。

    それでも咲は菫と正面から向き合いたい。

    今までは自信が無いと伏せていた頭を上げて、彼女の瞳をしっかり見上げて。

    この気持ちの変化を伝えてみたい。

    咲は初めてそう思う事ができた。

    295 = 287 :

    何もできないかもしれないけれど。

    それでも今自分にできる事を探してみたいと咲は思った。

    ジンと胸の内が熱くなった。

    何か霧掛かっていた目の前がやっとで開けたような心地。

    「咲?」

    突然物思いに耽ってしまった咲を、純が不思議そうに見下ろしている。

    彼女に視線を返しながら、咲は改めて純の事を不思議な人だな、と思った。

    純はこの宮中においては稀有な気質の人間だ。

    矜持が高い官吏達のように凝り固まったものを感じない。

    気安く話し合える空気は、よく咲を助けてくれる智美に近い気がした。

    彼女に励まされたな、と思う。

    きっと自分よりも遥かに世間を知っていて、思考の溝に嵌っていた咲を掬い上げてくれたから。

    296 = 287 :

    「すみません、心配してくれて」

    素直に伝えると、純は今まで掴んでいた咲の手のひらを開放する。

    と、自由になったその腕を伸ばして不意打ちにコツン、と咲の頭部を軽く叩いた。

    揺れる視界。全然痛くはなかったけれど意味が分からず、

    小突かれた箇所を手の平で覆いながら咲は首をかしげた。

    見返す先の純は目を細くすると「言っただろう」と突っ込んでくる。

    「???」

    彼女に教えてもらった事がたくさんありすぎて、今の指摘が何を指示しているのか咲には思いつけなかった。

    すると苦笑しながらも彼女は素直に教えてくれる。

    「俺に謝るなって言っただろう?」

    お前のそれは、むしろ癖のような気がする、と。

    純から鋭い指摘を受けて、咲はまたもや純に気付かされてしまった。

    確かに今まで自分は反射的に謝罪を口にしていた気がする。

    「心配はした、少しな。お前、会う度に落ち込んでいるように見えたから」

    「でも、話しができて少しでも気は晴れただろう?」

    「………純さんは、すごいですね」

    「はん、伊達に性悪達に揉まれてきてねぇからな」

    彼女は簡単な事のように言い切る。

    すっきりした物言いは本当に気持ちがいい。

    297 = 287 :

    そうか…時には純のようにはっきりと意見を伝える事も必要なのだ。

    下働きをしていた頃は横暴な主人より叱られないため下ばかり見て、誰とも向き合おうとせずに生きてきた。

    変わらなければ。

    相手の機嫌を窺うためにすぐに謝罪を口にするのではなくて。

    素直な気持ちを声にして吐き出してもいいのだ。

    咲は改めて純を見上げる。

    たった数回彼女と会話を交わしただけでも沢山の事に気付かせてくれた。

    「ありがとうございます。純さん」

    自分でも驚くぐらい、はっきりとした口調で咲は言った。

    相手の顔色を窺うでも無く、自然に心の内に沸いた気持ちを相手の目を見て伝える事ができたと思う。

    言われた純は面食らった表情をした。

    が、余韻をたっぷりと享受した後、彼女らしく軽い仕草で「ああ」と笑った。

    そして咲は立ち上がる。

    まだ隣で座っていた純へと、心に決めた事を伝えた。

    彼女は感慨深く押し黙っていたけれど。

    そうか、とやはり彼女らしく受けいれてくれた。

    298 = 287 :

    今回はここまでです。
    諸事情により、これからは木曜の夜投下に変更致します。

    299 :


    やっぱ純君は男前だな
    咲ちゃんも少しずつ進んでて次が楽しみ

    300 :

    乙乙


    ←前へ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 次へ→ / 要望・削除依頼は掲示板へ / 管理情報はtwitterで / SS+一覧へ
    スレッド評価: スレッド評価について
    みんなの評価 : ★★★×4
    タグ : - + 追加: タグについて ※前スレ・次スレは、スレ番号だけ登録。駄スレにはタグつけず、スレ評価を。荒らしタグにはタグで対抗せず、タグ減点を。

    類似してるかもしれないスレッド


    トップメニューへ / →のくす牧場書庫について