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    元スレ菫「見つけた。貴方が私の王だ」咲「えっ」

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    151 = 126 :

    ―少しだけ、時間は遡る。


    純はこれでも随分と我慢をしてきたと思う。

    軍に入ったのは自分の荒い気性に合っていると思ったからで、数年過ぎた今ではその選択は間違ってなかったと信じている。

    新米の一兵卒の頃は、そりゃ生意気だとか口が悪い奴とか(否定はしない)で随分、上から目を付けられたりもしたが。

    それでも自分で言うのはなんだけど兵としての能力はそこそこあったよう思う。

    訓練の中で練習試合などしても上位には食い込んだし、実戦においても冷静に状況判断ができていたから

    気がつくと一兵卒から伍長になり、そのまま数年後には両長を越えて100兵を纏める卒長を務めるまでになっていた。

    上からの小言を聞く機会が増えたのは頭痛のタネだったが…それでも発言や行動の自由は増していった。

    すると、不思議と一兵卒の頃は気にもしなかった責任を感じるようになってくる。

    誰よりも気性の荒い自分だったが、部下である兵に対して責任を覚えてしまうとかつてのような無謀は控えるようになっていった。

    なにより軍の上部で権力をもち居座る頭の悪い奴らは嫌いだったが、同僚や部下である兵卒らは元の自分のよう気性は荒く、

    口は悪いけれど根はいい奴らばかりだったと知っていたから。

    その誰もがただ今の腐った国の姿に絶望して燻っているだけ。

    幾ら能力が高くとも、権力や金がなければこれ以上の出世が望めないのが現状で。

    それは純にも同じ事が言えた。運と能力だけで卒長にまで辿り着いたが庶民の出であり金も無く、

    軍に対して権力を持つ顔見知りもいない自分にはこれ以上の出世は望めないだろう。

    どう考えてみても、自分よりも遥かに愚鈍で頭の廻らなさそうな奴が高い身分と金とコネだけで出世していく様を

    横目に見ていれば現状に絶望し、燻ってくるのも仕方ないと思う。

    それでも純は卒長に収まってからは随分、我慢していたのだ。

    無能な上からの命令を聞き、無謀な事をやらされもした。

    昔の自分ならば、すぐに憤慨し反抗していたかもしれないけれど。

    152 = 126 :

    現状において、百人の部下を持つという責任がどうにか純に冷静さを与えていた。

    それでも上からの無謀な用件が増えてくる度に、部下を守るために聞き入れてもらえないと分かっていながら

    何度も進言したりもした。そんな事を繰り返す内にいつの頃からか上より自分が煙たがられているのには気付いていた。

    だが、どうしても譲れない一線が確かにあったのだ。

    そんな純の我慢の限界を越えさせてしまったのは、上より与えられた最大級に無謀な命令のせいだったと思う。

    今になってみれば、あれは扱い辛くなってきた純を排除するために画策された命令だったのかもしれないが。

    残念ながら自分は戦場などにおける状況判断は得意だったが、影で行われる謀計に対してはとんと無知だった。

    文句があるなら正面から来い、喧嘩なら買う、という気性であったし。

    そんな自分が上官より呼ばれ与えられた命は、

    『城下にて謀反の疑いある者を捕縛し、抵抗するのならばその場で処罰しても良い』というものだった。

    聞いただけならば軍属として素直に従えばいいだけの命令だったが。

    その標的である名前を聞いた瞬間、上官に対してすぐに任務了承の返事を純は返せなかった。

    上官より言われた名は……城下の庶民の間では人望が篤いと噂される町医者の名前だったから。

    なにより、純自身も直に会った事があって手当てを受けた事もある。

    姿を思い浮かべてみても、気さくで、医者としてというよりは人として一本の筋がきちんと通った人だったと思い出している。

    それにあの医者は純の素人目から見ても、人を救う事に誇りを持っていた。

    王の不在で苦しみに喘ぐこの国に対して、更に謀反でもって混乱に陥れる無法者とは到底思えなかったのだ。

    だが眼前に立つ上司は、国府の秋官に言われ、その町医者に対して動かぬ証拠も揃っているのだという。

    その厭らしい上官の笑みを見て、謀計に疎い純でも直感的に悟った。

    民衆から思う以上の人望を集める医者の存在が、権力を握る奴らからみて目障りになったのだ。

    しかもあの町医者は人格者で民衆だけでなく、権力者にとって元より目障りな知識人にも知り合いは多いと聞く。

    だから奴らは将来を見据え、自分達の地盤を確固たるものにするために

    反乱分子の核となりうる邪魔者の排除に乗り出したに違いない。

    153 = 126 :

    きっと人格者である町医者に証拠など元から無かったに違いない。奴らは勝手に証拠を作って罪を被せようとしている。

    しかもその役を庶民の出で何かあった時の使い捨てが効く純に任せようとしている。

    多分、町医者を処罰した後も、もし庶民より反発が出たとしても

    命じた権力者では無く実行した純を処分する事で事無きを得ようとする魂胆まで見えた。

    笑みを浮かべたままの上司を見返しながら、純はカッと頭に血が昇り目の前が怒りで真っ赤に染まった。

    が、唇を噛み締め、拳を握り締める事で怒りの爆発をなんとか抑えた。

    ここで喰って掛かっても、腐った軍とは言え純は軍属の身。上官の命に背けばそれだけで処罰の対象となる。

    自分だけならまだしも今は百の兵を抱える責任のある身だ。おいそれとその場で上官に向かい反発する事はできなかった。
     
    感情の含まない了承の意だけを告げて、上官の前を後にする。

    期限だけを言われ、方法は問われなかった。……だが、どうすればいい。

    ただ周囲より人望のある人格者を腐った権力者の命に従い断罪せよというのか。
     

    誠子「お前も運がないな」

    軍の宿舎に帰り、純の副官でもある両長の誠子に粗方の事情を説明するとそう言われた。

    彼女は自分と同郷であり、腐れ縁の友人でなにかと気安い間柄だ。

    裏表無く言い合える相手でもあったから…誠子に言われ、純は苛立たし気に舌打ちをする。

    純は庶民の出でここまできたが、結局は上から理不尽な理由を押し付けられ足元を掬われようとしている。

    上官の命に従い人格者である医者を処断すれば、きっと純がここで培ってきた人望は容易く地に落ちるだろう。

    それに軍属としてでは無く純の個人的な感情でも、あの医者を亡き者にはしたくはない。

    だが上官の命に逆らったら軍の中での純の立場は危うくなる。

    154 = 126 :

    今でさえ目を付けられているのに、危険分子として警戒されれば有事の際には真っ先に最前線に送られかねない。

    純一人だけの事ならそれも自身の責任として納得しようが、

    今の自分には誠子を含めた100人の部下がいる。彼女らをこんな馬鹿げた理由で危険に晒したくはなかった。

    誠子「まぁ…飲むか」

    そう言って酒瓶片手にやってきた誠子に純は大人しく付き合う。

    呑まなければやってられない心境でもあったから。

    ただそんな素直な自分の様子を見て、誠子は明日は雨が降るかもな、とからかう。

    そんな彼女をギロリと睨んでから差し出された器をしぶしぶ受け取ったのだった。


    それから、二人で夜通し飲んだ。

    自室の窓を開けると城下の街が見渡せる。時間帯は夜だったから、城下の街に灯った明りが煌々と灯っていた。

    それでもあの灯りの下で愉快に騒げるのはこの国の中になって一握りの人間だけだ。

    もはや、この才州国の前王が崩御してから何十年にもなる。

    煌々と灯りが灯っているのはこの広い国の中と言えど、きっとこの首都だけだろう。

    王宮は王が不在でありながらその代わりの権力を握り、仮王朝に組する者だけでこの世の春を謳歌している。

    純も誠子も前王が崩御したのは小さい頃だったから、平常無事に天命を受けた王がこの国を治める時代を経験したことは無い。

    ただ、世の中はこんなにままならないものなのかと気落ちはしてきていた。

    アルコールも入っているから余計そう思うのか。この国の未来に希望が持てなかった。

    例え才能があったとしても、能力が高いとしても……先に立つのは金とコネの世界だ。

    それは宮中でも街中でもここ軍の中でも変わらない。

    155 = 126 :

    純はたまたま運が良くてここまでこれたが、今日のように上官より命じられれば

    筋が通っていなくても力の無い身では従うしか生き残る道は無い。それが無性に息苦しく思った。
     
    だからこんな夜には思うのだ。

    どこかに……この広い国土のどこかに、この国の生まれの王が存在するのだろう。

    郷里の親や老人が過去を懐かしんでいたように。

    天命を受けた正規の王が立てば、この国は変われるのだろうか。

    人格者である医者が、その徳のままに尊敬され評価され謀殺される事も無い。

    むしろ王不在の宮中にて、権力を欲しいままに法も人としての筋も捻じ曲げる畜生共を黙らせる事ができるだろうか。

    軍属として出現する妖魔から人を守るために、または罪を犯した者に剣を握る事に躊躇いは無い。

    だが何の咎も無い人間を理不尽な理由で屠るために剣を握る事は許容できなかった。

    それは軍属以前の、純の中にある越えてはいけない一線だったのだと思う。

    それをきっと、付き合いの長い誠子も良く分かっている。


    暗い夜空が昇る朝日により白み始めた頃。空になった酒瓶を傾けながら、誠子は言った。

    誠子「無理だな」

    「ああ」

    詳細は全て省いた。ただ言われた言葉に対して純は当り前だという風に相槌を打つ。

    夜通し呑んだはずだが、互いに少しも酔ってはいなかった。

    純の返事を聞いて、誠子は一拍置いてから席を立ち上がる。そして、まだ座ったままの純に対して言った。

    誠子「半刻経ったら、10名程連れてくる…性根が良さそうな奴を。そいつらに今回の事を話そう」

    誠子「私たちは責任がある分、動けない。だが、そいつらが何かしら動いたら………仕方ない」

    「…そうだな」

    誠子に言われ、純は頷く。

    156 = 126 :

    誠子「よし。片付けておけよ、机の上。後、換気もしっかりとな。お前が酒臭かったら真実味に大いに欠ける」

    「こんな事でごちゃごちゃ言うようなら、何かする前に俺が轢殺してやる」

    誠子「わざわざ馬持ってくんのか、まぁ、言うだけはタダだ。……睨むな睨むな、行ってくる」

    去っていく背に、純はうるせぇと声を投げた。微かに誠子が笑った気配だけが残っている。ただ道は決まったのだ。

    軍属としての立場があって、だけれど、咎の無い人間を殺す事はできない。

    純と誠子が出した、これが答えだった。

    それから誠子が言った通り。半刻して10人程兵を連れて戻ってきた。

    純は先刻、上官より命じられた内容をそのままに話した。

    淡々と事務的に言うだけ。城下で名の通っている町医者に謀反の疑いが有り、と。

    上官からのお達しで捕縛する旨、抵抗したらその場で処断する事も厭わない事。

    そして、そこからは誠子が続けて決行日を告げた。

    明日の日没、集合する場所と時間だけを純と同じく事務的に淡々と述べる。

    それを聞きながら、やってきた兵たちの表情を見ると、一様に強張っていた。

    こんな世の中だ。彼らとて町医者の評判は聞き知っている。

    これが、なんの咎の無い人間一人を謀殺する任務なのだと理解したようだった。

    その中で一番若くて素直そうな、軍に配属されてまだ慣れてない感じの若造が、

    意見を言うために唇を開くのが見えた。が、その前に純の後ろに立つ誠子が制する。

    以上だ、明日の集合場所に遅れるな、と。

    そして解散とだけ言い放って……部屋からの退去を無言で命じた。

    去っていく中で、若造の表情は全く納得していなかった。

    そんな表情を浮かべている兵が4、5人はいた。これならばきっと大丈夫だろう。

    全ての兵が去っていってから誠子は「これでいいか?」と尋ねてきた。

    「…これしかねぇだろう」と呟いただけだった。

    157 = 126 :

    次の日の早朝。

    昨日の夜と朝とでは気温の温度差があったようで、宿舎から出ると周囲は久しぶりの霧に覆われる光景があった。

    全く大した機会だと思う。

    早朝のため自然と出てくる欠伸を噛み殺しながら。人目に付きにくい宿舎の影に腰を降ろす。

    欠伸をもう一つした所で、誠子がやってきた。

    誠子「4人だな」

    言われ、純は頷く。

    身を隠す純の隣に誠子も腰を降ろして暫くの後。早朝の宿舎より、霧に紛れて出ていく4人の人影があった。

    その中の一人は、昨日任務を告げてから一番我慢できないという顔付きをしていた若造だ。

    その決意に染まった顔を見て、純はそれでいいと思った。自分が昔に忘れてしまった熱だと思う。

    有り得ない事だとは分かっているが、もし王が玉座に座り庶民の意見が僅かでも届く国になっていれば

    自分もあんな顔付きになれただろうか。

    少しだけ羨ましいと思いながら、去っていく4人の背中を誠子と共に純は見送った。

    珍しい事に、その日の霧は、昼過ぎまで晴れる事はなかった。


    その日の日没に決行されるはずだった任務は空振りに終わった。

    標的である町医者はもはや逃げてしまった後で、無人の家屋だけが残されていた。

    怒り心頭の上官より言われ、追っ手も放ったが捕縛したという報は届いていない。

    後日聞こえてきた噂によると、4人の若者に付き添われ隣国に逃げ切ったという。

    158 = 126 :

    その話が城下に流れた時は庶民の中では痛快劇として話題になったが、上官の怒りは留まる事を知らなかった。

    きっと奴も裏では宮中の権力のある官史より言い付かっているのだろう。

    誰かが責任を取る事になる。もちろん上官が取るはずはない。そのために純に命を下したのだろうから。

    ただ、純にしてみれば……この時まで本当に我慢していたのだ。

    色々と、……慣れない長をやったり、柄にもなく周囲に気を使ったりしていて。

    本当に我慢の限界だったのだ。

    だから眼前のいかにも高そうな机を容赦なく叩くと、自分から全ての責任と取ると啖呵を切ってやった。

    出鼻を挫かれた上官は目を白黒させていたが、その動揺が濃い姿に更に言ってやる。

    今回の件は全て自分だけの責任で、両長副官及び部下一兵卒に至るまで責任は無いと。

    そう、宮中におわす官吏殿にいってやれ、と啖呵を切ってやったのだ。


    気が付くと、純は牢に繋がれる身になっていた。

    ただ数日後、隣の牢に誠子が入ってきた事は素直に呆れた。

    「てめぇな…」

    俺の苦労を無にしやがって…と恨み言をいってやると、もはや一蓮托生だと言い返されてしまった。

    本当に自分も馬鹿だと思うが誠子も大概だと思う。

    ただ苛立つ思考の中で、こうした道連れは誠子だけに留める事ができたのはきっと幸いだったのだろうなと思った。

    罪状はなんだったのか。任務失敗か、それとも上官に対する反抗か、

    気付かぬ内に何かの罪を被せられたのかもしれない。


    牢に入れられたままに数日が過ぎた。

    そんな中、食事を持ってきた牢番が教えてくれた。

    牢番「あんたらいい時期に牢に入ったな」

    「牢にぶち込まれる事がいいことかよ、あんた、頭大丈夫か?なんなら代わってくれよ」

    牢番「いや、そういう事じゃなくてよ。今にあんたらには恩赦が出るかもしれねぇって事だよ」

    「……恩赦?」

    159 = 126 :

    何か目出度い事があって、罪が軽減される事だと思ったが。今のこの国で何か目出度い事など望めるのだろうか?

    純が訝しげに牢番を見返すと、彼は言った。

    牢番「とうとうこの国にも新王が立ったんだよ。それで近く恩赦が言い渡されるんじゃねぇかって話」

    「え……」

    思わず返す純の言葉が掠れた。そのまま無言になってしまう。

    その間にも食事を置く門番は何かを言っていたけれど耳に入っては来なかった。

    ただ、静かな衝撃が心中にある。

    聞き間違いではなかったのか?こんな薄暗く窓もない所に何日も置かれていたせいで幻聴でも聞いたのではないか。

    だって…もはや何十年も不在だった玉座に、天命を受けた誰かが立ったのだと牢番は言う。

    言葉を失った自分の代わりに隣の牢にいる誠子が声を上げる。

    誠子「嘘じゃないのか?…ほら、宮中の馬鹿官吏が偽王でも持ち上げた、とか…」

    「それはねぇよ。だって、あの無愛想で有名な麒麟が選んだんだろ」

    誠子「本当なのか…」

    呟く誠子の声には驚きを突き抜けた感がある。純とて同じ気持ちだった。

    「…どんな」

    無意識に訊いていた。

    「……主上は、この国の王はどんな人間なんだ?」

    語尾に向かう程に純は顔を上げていた。だが、見上げる先の牢番はなぜか口を噤んだ。

    先程まで は自慢げにぺらぺらと話していた癖に。

    どうしたと言うのか。苛立ちを持って純が睨み上げると、牢番は焦ったように言った。

    牢番「そ、そんなに睨むなよ!…噂通りこええなあ、あんた。俺も人伝に聞いただけだ」

    牢番「俺もそこまでは知らねえんだ。……年頃の少女ではあるらしい」
     
    そういい終えて去っていく牢番の背をどこか夢現の心地で見つめる。

    ……変わるのだろうか、この国は。

    だが、しかし。現実で牢に繋がれている身で心配する事ではないな、と気付き。

    純は誠子と共に苦く笑ったのだった。
      

    160 = 126 :

    それから暫くして本当に恩赦が実施され、牢より出られる事になった。

    と言っても軍にはもはや居場所はないだろう。

    上官に逆らったようなものだし、純や誠子としても今の軍にはなんの希望も持っていなかった。

    ただ、働き口を探さなければいけないだろう事は思案したが。

    まぁこのご時勢だ、腕には覚えがあったからどこかの用心棒にでも付ければ御の字だと思った。

    しかしながら恩赦が言い渡されて、牢より出され……あれよあれよという間に周囲の景色がどんどん変わっていく。

    小汚なかった体もいつの間にか洗われそこそこの服を着せられた純と誠子はなぜか……王宮内に佇んでいた。

    「どうなってんだ??」

    どこかは知らない、知るはずもない。…こんな所、場違いにも程がある。

    けれど背後に立った官吏が更に先に進めと促してくる。

    場違いな場所で勝手が分からないのもあるから、促されるままに見えてきた一室の中に足を踏み入れた。

    王宮の中にあって、今まで目にしてきた華美さが無くなる。

    想像していたよりも質素な室内を不思議に思った。

    その部屋の奥に置かれた机の向こうに、入ってきた自分達を気にするでもなく黙々と作業を続ける官吏の姿がある。

    考えなくても、この部屋の主だろう事は分かる。

    案内してくれた官吏が深々と頭を下げた事からも、そこそこの立場にいる人なのではないだろうか。

    官吏を部屋より下がらせると残された自分達を一瞥し、筆を持ち作業していた手を置く。そして徐に立ち上がった。

    何か、言えばいいのだろうか。

    だがどう考えてみてもここはかつて所属していた軍とは余りに勝手が違う。

    礼儀作法など無いに等しい身としては、眼前の官吏にどう対応すればいいのか迷った。

    「突然こんな所に連れて来られて戸惑っているでしょう?」

    そう言いながら、柔和な笑みを官吏は浮かべる。

    161 = 126 :

    聞こえた言葉にも敬語は無く、気安い態度に張っていた気が薄れていく。

    そんな自分達へと楽にしていいから、と言い彼女は続けて話を聞いてくれないかと言ってきた。

    穏やかな物腰。かつては軍属ではあったが、今まで牢に繋がれていた自分らに向ける態度でもないような気がした。

    意味が分からず、取り合えず頷く。

    それを見届けた彼女は、純達をここへと呼び寄せた理由を話し始めた。

    「単刀直入に言えば、手を貸して欲しいの」

    「俺達が、……いえ、私達がです、か?」

    「ええ。…それと無理に敬語は使わなくてもいいよ。私もその方が楽だから」

    「………」

    純は混乱して、横に立つ誠子を伺うように見る。

    彼女の心情も自分と同じようなものだろう、困惑が瞳に浮かんでいた。

    けれどそんな顔を巡らせると誠子は尋ねる。

    誠子「まず、なぜ…私達、なんですか?」

    もっともな意見だと、官吏は頷き素直に答える。

    「腕が立つ者が数人欲しかったの。…けれど信頼できる者でなければ駄目」

    「腕が立っても金を積まれ裏切るのが目に見えている輩には到底任せられない。それは現役の軍人でも同じこと」

    「……」

    彼女の言った事を信じるのならば。こうしてここに呼ばれた純と誠子は信頼できるという事なのだろうか。

    だが目の前の人物に見覚えは無い。全くの赤の他人である自分らをどうして彼女は信頼に足ると判断したのだろう。

    そんな訝しげな純の表情を読んだようで。官吏は理由を言い続ける。

    162 = 126 :

    「司刑の秋官に懇意にしてる者がいるの。今の件を相談したら丁度良い人材がいると貴方達の名前と立場とを教えてくれた」

    「こんな世の中でよくそんな無謀をしたものだ、と。話を聞いて驚いたわ」

    「例え不憫に思っても、上官に逆らい罪の無い者を逃がすのには覚悟が必要だったでしょう。軍属であれば尚更」

    「…………」

    全く知らぬ他人より事の本質を指摘されて、驚いたのは純と誠子も同じだった。

    言葉も無く目を見開いたままの自分らへと説明する声は続く。

    「責任を取って必要のない罰を受けていた貴方達がこうして牢を無事に出られたのは、新王即位による恩赦でもあるけど…」

    「それだけじゃない。秋官が数ある罪人の中で貴方達を気を掛けたのも、軍の一兵卒達より減刑を求める嘆願書が上がっていたからよ」

    「不思議に思って、事の詳細を秋官が調べて行くと……まぁ、こうして貴方達の本当の理由が分かったというわけ」

    だから、と彼女は言う。

    「人望もある、しかも権威より優先するものがあると分かっている。だから貴方達は信頼できる、と私は判断した」

    「こうして自分の目で見て人柄も分かったし。秋官には話を通して、正式に貴方達の身柄の責任は私が引き継ぐわ」

    なに、どこかの街で日雇いの用心棒をするよりは余程快適で実入りもいいと思うよ、と。

    とんとんと話を進めていく官吏を見返しながら……純はこれは夢ではないかと疑う。

    だって昨日まで薄暗い牢の中にいたはずなのに。それが気が付いたら、王宮にて求職されている?

    そこで、ふと気付いた。

    「俺たちに、手を貸してもらいたい事って…」

    誠子「それに。あんた……いや、貴方は」

    純も誠子も疑問は溢れる泉のようにあった。

    けれど……まずは、眼前に佇む官吏の素性と目的だ。

    指摘すると、ああ、と気付いたように官吏は体躯を震わせて笑った。

    163 = 126 :

    「ごめんごめん、気ばかり急いてしまっていて。…ここは王宮の奥にある内宮。私はそこを纏める内宰で塞っていうの」

    「実は新王が立ってからというもの内宮は色々と荒れていてね…だから私はこの混乱をどうにか収めたい」

    「それに、内宮として何より最優先させる事を貴方達に頼みたいから」

    「優先させる事…?」

    訝しげに聞き返 すと……ええ、と塞は大仰に頷いた。


    「貴方達にはここ内宮で大僕の立場となり……主上の身辺を警護してもらいたい、という事よ」


    もはや、何に驚けばいいのか分からなかった。

    確かつい先日に牢に繋がれている身で国を、王を心配する事もないなと苦笑を浮かべていたはずなのに。

    現状、夢でなければむしろ、大きく係わろうとしていないか?

    どちらとも無く隣に立つ誠子と顔を見合わせる。

    なんとも言えない顔をしていた。多分、純も同じ顔をしているだろう。と

    どこか他人事のように思ったのだった。


    ■  ■  ■

    164 = 126 :

    今回はここまでです。
    次はまた金曜日に投下予定です。

    165 :

    乙です
    一日二回でこの面白さはすばら

    166 :

    乙 また一週間が長いぜ…

    167 = 130 :


    いつも面白いなぁ。来週も待ち遠しい

    169 :


    来週までが長い

    170 :

    乙乙
    やはり塞さんは安心

    171 :


    元ネタ知らんけど名前的に恭州国に末原さんがいそう

    172 :

    >>154
    >もはや、この才州国の前王が崩御してから何十年にもなる。

    >純も誠子も前王が崩御したのは小さい頃だったから

    純君と亦野さんは一体何歳なんだ

    173 :

    >>172
    この世界観なら仙籍に入れば条件付きで不老不死だから、年齢的には何十~何百歳じゃない

    174 :

    乙です
    原作買ってみようかな

    175 :

    明日から出張でごたごたするので1日早いですが投下します。

    >>172
    純、誠子は27歳、塞は29歳、智美は23歳の設定です。
    咲以外のキャラは原作とは年齢が違います。

    >>173
    不老不死なのは王だけです。
    世界観ややこしくてすみません。


    176 = 175 :

    2人、官吏が死んだと聞いた。

    宮中では無い。たまたま当たった休みで城下に降りて飲み屋に行き諍いに巻き込まれ、

    たまたま刃物を握った暴漢に刺され事切れたのだと言う。

    その話を智美が聞いた時、まず“やられた”という思いが胸中を過ぎった。

    なぜなら死んだ二人の官吏は内宮に係わる天官であり知っていた…というより探していた名前だったからだ。

    理由は簡単で。先日に内宮の奥で未遂に終わった事件の詳細を菫から聞き、

    それを元に情報を集めて外部に手を貸した不届き者の名をやっとで炙り出した、その矢先の出来事だったから。 

    偶然だと思うべきか、必然だったと思うべきか。

    都合が悪くなったからこちらが大元に辿り着く前に消されたと見るのが妥当だろう。

    手掛かりが潰された事を素直に残念に思うが、見方を変えれば相手側にとっては痛い所を突かれたという事だ。

    できればその死体を検分して死亡当日にどんな交友関係でその場に行き、

    どんな殺され方をしたのか詳しく知りたいが……無理だろうなとは思う。

    宮中ならまだしも、城下ならば一介の官吏である智美の采配の及ぶ所では無い。

    しかもここ宮中であっても、智美はまだ官吏としては新米も同然で確たる実績もないから。

    ただ、台輔である菫の後ろ盾がある故に、周りよりは一目置かれてはいる。

    177 = 175 :

    もちろん智美とて自分のこんな状況にいつまでも甘えていようとは思わない。

    だが自分の実力を周囲に認めてもらうのは追々でいいとは思っていた。

    どうせ今まで宮中にて高位に配されている官吏の殆どは実力ではあるまい。

    そんな腑抜けをちまちま排除するよりも、今は菫がやっとの思いで探し当てた王を守る事に専念したかった。
     
    そう思って脳裏に浮かんだ姿。 

    第一印象こそ儚げで頼りない姿だと思ったものの、あの人がそれだけでない事が徐々に分かってきた。

    なんというか、思慮深い。客観的に物事を見る思考にも優れている。

    さすがあの菫が選んだだけの事はあるな、と思う。

    王とは国の中で最高の権力を持つ者だ。

    それを手にし溺れて短命に幕を閉じた王朝は歴史を見ても数多くある。

    無学であるらしいから、それを知っているかどうかはわからないけれど。

    あの人は王である自分の採決が導き出す結果の大きさをよく知っている。

    すぐに結論を出すことを恐れ周囲の声も聞こうとする。まだこの環境に慣れないのもあるかもしれないが。

    それでも、あの人の姿勢を智美は素直に好感を抱いている。

    何より王とか臣下とか以前に、決めた目標に向かって頑張ろうとしている人を見れば

    助けてやりたいと思うのは人として当然だろう。

    少なくとも智美はここ宮中にあって忘れかけていた、そんな心境を取り戻そうとしている。

    178 = 175 :

    何も分からないと自分を恥じて悩むのは正常な人間の思考だ。

    だからそれを補うために様々な事を聞き、見て、学びたいと願うのも健全な人間の思考なのだと思う。

    それを実践しようとしている商家の下働き出の王を、学もないのにと見下し侮る輩はたくさんいる。

    ひ弱そうな姿を見て脅して説き伏せれば意のままに操れると見縊る奴らもいるのだろう。

    だがしかし、ようやくあの麒麟がこの国のために見つけてくれた、正常な思考を持った王だから。

    みすみすそんな輩の好きにさせる気は毛頭無い。

    少し前の、尊敬もできない上官のために嫌々仕事をやっていた頃に比べれば、

    敵が増えたとはいえ今の現状に智美はある種の遣り甲斐を感じ始めていた。


    ふと、背後より名を呼ばれる。

    思考を中断させて振り向くと、仲間である官吏が近付いてきた。

    この度の件を台輔に報告するかの判断を求められる。再び考え込んだのは数秒。

    顔を上げると智美は首を左右に振って言った。

    智美「まだいい、内容が内容だからな。台輔は慈悲の生き物でもあるし」

    智美「責任は無いと知っていても人が死んだことに心を痛めるだろう」

    智美「もう暫くこの案件が纏まってから、私から報告する」

    目の前の官吏が頷くのを見届けてから、この案件の洗い直しも告げた。

    なにせ目星を付けていた有力な証人が消されてしまったのだから。

    仕方無いな、と互いに言い合いその官吏と別れると、

    智美は予定通り、王である少女の執務の手伝いをするため宮中の廊下を歩き出した。

    179 = 175 :

    人気の無い通路の角を曲がった時だった。

    突如、壁のように立ち塞がる存在に気付いて智美は慌てて歩みを止める。

    寸前で気付いてなんとか衝突する事は回避できたようだった。

    ほっと胸を撫で下ろすと同時に…立ち止まったまま、智美は訝しげに顔を上げる。

    注意散漫だった自分も悪いが、こんな往来の真ん中で立ち止まっている方も悪いと思う。

    多少の険を込めて眼前で佇む姿を智美は見上げた。

    眼前の官吏は自分に向かって軽く一礼し「ちょっとよろしいですか?」と声を掛けてきた。

    智美「………」

    反応に迷ったのは、突如として声をかけられどう対処すればいいのか考えたからだ。

    戸惑う自分とは対照的に冷静なその姿から考えて、多分彼女はここで智美を待ち伏せしていたのだろう。

    しかしながら今まで見てきた官吏とは明らかに違う彼女の態度に智美に迷いが生じる。

    眼前の官吏は格好から推測しても智美よりも身分は上だろう。

    ならば新米にも等しい自分に対する態度でない。

    菫以外の上官からは頭ごなしに命じられるか、敵意を込めて言われる事に慣れていたから。

    そう思うと、自分の周囲も随分と騒がしいもんだよな、と今更ながら智美は気付いてしまった。

    迷う心を取り合えず落ち着かせると、余裕を纏ってこちらからも一礼を返した。

    智美「反応が遅れまして申し訳ありません…失礼ですが、貴方はここで私を待っていたのですか?」

    多分、廻りくどく言わない方がいい。

    眼前の官吏は今までの上官達のような愚鈍な相手には見えなかった。

    すると智美の問い掛けに対して彼女は「いかにも」と頷く。そのままに、彼女は自らを名乗った。
     
    「私は塞と言うの」

    180 = 175 :

    その名を聞いて、智美は目を見開いてしまった。 

    確かつい先日菫より教えてもらった、内宮を治める内宰の名前だとすぐに気付いた。

    この女性がそうなのか、と…極力、顔に浮き出た動揺を掻き消しながら智美は眼前の姿を見た。

    なるほど、菫が人格者であると言っていた意味が分かるような気がする。

    初対面の格下である智美に対する丁寧な態度はもとより、その落ち着いた物腰は不思議な安心感を与えた。

    智美も自分の名を名乗ると続けて言葉を返す。

    智美「こんな場所でわざわざ……私に何か御用でも?」

    「ええ。内密の相談と言うのも可笑しく聞こえるかもしれないけど」

    「主上や台輔に直接口上しようとも考えたけど、どうしても型式通りになって周囲に目立ってしまうから」

    「なら、一番近い貴方にまずは話を聞いてもらうのが最善かと思いこうして待っていたの」

    智美「はあ……」

    「ここには他には誰もいない。回りくどく言い合うのは互いの時間の無駄にもなるでしょう。……率直に打診したい」

    「ここ最近、内殿の不穏な空気に主上や台輔に近い貴方もさぞ憂慮しているでしょう。その事について…」

    智美「内宰殿。…お待ちを」

    話を続けようとする塞を途中で止めたのは、智美なりに判断が付かなかったからだ。

    確かに眼前に現れた官吏は実直そうで信頼に足るように見える。

    だが宮中に上がってまだ短い間であれ、そんな官吏が変貌する様を多数見てきた智美だったから。

    塞のこれからの核心の話をそのまま聞いても良いものかどうか迷った。

    智美「まず、確認したい事が」

    「分かることであれば」

    智美「内宰殿が言う、内宮の不穏な空気とは私が胸中で思うそれと合致していると?」

    「そのように、私は思ってる」

    その言葉を聞き、一拍置いてから智美は言葉を返す。

    181 = 175 :

    智美「なら先日深夜にて主上の御前に無断で近付こうとした輩がいた事や、城下にて天官二人が亡くなった事に対して…」

    智美「内宰殿はどのように考えていらっしゃる?私の見識不足でなければ、内宮で起こった出来事は貴方の管轄だ」

    「…………」

    智美は物怖じもせず意見を述べながら、じっと眼前に立つ官吏を観察している。

    気のせいでなければ、鷹揚に構えていた塞の態度に揺れが見えたような気がした。

    それがどんな感情での揺れなのかは残念ながら読み取れない。

    ただ、彼女が熟考するかのように押し黙ったのは数秒。続けて浅く頷くと言った。

    「噂通り、よく物事を聞き視野が広い御仁のようね。素直に、台輔は良い人材を得たと思う」

    「貴方が抱く懸念についても分かった。確かに私はここ最近の内宮で起こる様々な事案に対処し切れていないのが現状」

    智美「ならば、これ以上私が貴方の話を深く聞くことができないのは分かるでしょう」

    智美「貴方が私の側からみて信頼に足るという確証が何も無い。…打診を受ける事はできない」

    言い切る智美に、塞は先ほどよりも分かり易く、顔に落胆の色が滲んだ。

    「……貴方と、私の根本の目的は同じだと確信している。内宮にあって、主上を御守りしたい」

    大いに結構な意見だ。智美とて賛同する。……その真摯な言葉の裏に、何も思惑が無いと分かればの話だが。

    智美「確かに同じです。だからと言って易々とその意見を受け入れられない」

    智美「……宮中はそんな場所であるのだと、ここで生きてきた貴方なら一番良く知っているでしょう」

    「どうすれば信頼に足ると?」

    智美「主上や台輔に対して不穏な動きをするのが貴方ではないと証明できれば」

    智美「そのために貴方の管轄で起こった祥事を明確にして頂きたい」

    智美「例えば先日たまたま城下に降り、たまたま不慮の事故に巻き込まれ死んだ天官の事件の詳細、その交友関係なども詳しく」

    もしかしたら、そこから途切れたはずの黒幕に辿り着けるかもしれない。余り期待はしていないが。

    だが、塞はそんな智美の言葉を聞くと律儀にも頷いた。「できる限りの事はしよう」と言う。

    182 = 175 :

    智美とて信頼できる仲間は欲しいと思っている。が如何せん塞は立場が立場だ。

    期待の大きい分、万が一裏切られたらこちらの痛手になる。慎重にならざるを得ない。

    だからこれ以上は、深く話さない方がいいと智美はこの場に見切りを付けた。

    話は終わったとばかりに智美は一礼すると、眼前の女性の横を通り過ぎて行こうとする。

    が、数歩歩いた所で背後より、この身を呼び止める塞の声がした。

    「貴方が言った件は元より内宮を治める私が責任を持って追求する。あと再度言うけど主上を御守したいという言葉に偽りは無い」

    「台輔と貴方とが許してくれるなら…私が信頼を置いている者を、主上の身辺を守護するために置かせてもらいたい」

    智美は進もうとしていた足を止めると、振り向く。

    そして……振り向いた先に佇む塞を見返すと、ゆっくりと首を左右に振って言った。

    智美「内宰殿。先程の話が全てです。貴方を信頼できない限り、貴方の手の内の者も近づける訳にはいかない」

    智美「愚鈍では無い貴方には理解できるはずだ。…この国も、あの麒麟も、大勢の民も、長く苦しんだと思う」

    智美「その苦しみより救ってくれるのが唯一天命を受けた王だというのならば…その存在を絶対に失う訳にはいかないのです」

    「………」

    智美「どうか、主上がこの国を立て直すためにも。まずは活動の主軸となるこの内宮を綺麗にする事から手伝って頂きたい」

    それが、互いを信頼できる道にもなるだろう、と。続く言葉が無くとも塞に智美の気持ちは伝わったと思う。

    返ってくる彼女の言葉も無いのがその証拠だ。…これで、この場所での会合は本当の意味で終わった。

    智美は再び彼女に向かって一礼すると踵を返し、今度こそ振り向くこと無く歩き出した。
     
    ただ、徐々に遠ざかっていく背後の気配を掴みながら収穫はあったと感じていた。

    菫の人の見る目も、どうして、中々侮れない。

    あの実直な姿勢でもし胸中に野心を隠し持っていたのならば、智美の人の見る目も総じて鍛え直さねばいけないだろう。

    ……ただ、叶うならば将来、本当に仲間になれればいいかもしれないと思った。


    ■  ■  ■

    183 = 175 :

    塞より一連の話を聞いた純は眉を潜めた。

    納得できないとその顔にはありありと浮かんでいて、眺めていた塞は苦笑を浮かべる。

    ちなみに同じく話を聞いていた誠子も、どちらかといえば純よりの雰囲気を纏っていたと思う。

    なるほど、腕に覚えのあるこの二人は確かに官吏には向きにはしないだろう。素直に感情が表情に出てしまう。

    「塞殿の方が身分が上なのに、なぜ簡単に引き下がってきたんですか?」

    「純、前に言った通り。ここでは敬語はいらないよ、堅苦しいのは肩が凝るしね」

    「………なんで、塞の方が偉いのに。若輩者の意見なんかを聞き入れてきたんだよ」

    「目的も同じなんだろうが?俺には理解できねぇし、むしろそんな生意気奴、轢き殺してやりてぇ」

    許しが出た途端、素直に口悪く純が言葉を吐き捨てると、それを聞いていた塞は目を丸くする。

    座ったままに書斎机の向こう側に立つ純を見上げながら、その隣にいる誠子に尋ねた。

    「ねえ、誠子。これが軍の標準語なの?」

    純を指しての塞の問い掛けだと理解した誠子はいいえ、と言う。

    誠子「違いま……いや、純だけの特色だと。こいつ、小さい頃から何度言われても口の悪さだけはどうにもならなかったから」

    誠子「軍でも随分と悪目立ちしてましたよ、ブチ切れると上官にもこの勢いだから、随分と煙たがられてたよな」

    「てめぇ、ばらすなよ!」

    誠子「もうばらしてるだろうが。自分で言っていてこれだからな……仕方ない奴だ」

    誠子が呆れて言うと、図星だったのだろう純は口元を歪ませて苛立たし気にそっぽを向いた。

    そんな彼女らの気安い遣り取りを眺めながら、塞は見飽きない人達だなと素直に思う。

    ここ宮中では余り見かけない、裏表の無い性格の彼女らといると確かに気が楽になると思った。

    184 = 175 :

    「まぁ、全ては今言った通り。相手側が信頼できないというのも、こんな場所だからね。理解はできる」

    塞が再度そう言い放つと、眼前に立つ純と誠子は神妙な顔付きになる。

    「……なら、俺らは御役御免かよ?腕を買ってもらったようなもんだから、役に立てないのなら必要はないだろう?」

    純の率直な言葉を聞いて、塞はすぐに首を左右に振って答える。

    「貴方達を引き入れたのは内宰としての私の采配だよ。予定通り、大僕として働いてもらう」

    「ただ、暫くはその本来の目的から外れるとは思うけど」

    そこまで塞が言い切ると、じっと聞いていた誠子が口を挟んでくる。

    誠子「純も言っていたが。あんたの方が階級が上なのに何故その若い官吏にそんな譲歩するんだ?素人考えで恐縮だが…」

    誠子「塞の特権で台輔に直接直訴してもいいはず。主上を守りたいというあんたの言葉を、慈悲の麒麟なら無下にしないだろう?」

    なかなか的確に聞き返してくる誠子に塞は素直に感心した。同時に、純と誠子との関係性も分かってきたような気がする。

    軍において判断力と決断力に優れていたのは純で、その補佐の為物事を冷静に見て進言し時には抑え役になっていたのが誠子なのだろう。

    面白いな、と思いながら塞は言葉を返す。

    「私が、内宰の立場に立って表立って台輔に進言すれば2つの点で不利になるような気がしてね」

    「「?」」

    「まず内宰として直接台輔に進言すれば形式に沿わねばならず、万人の目に留まり周囲にいらぬ疑念を抱かせる事にもなるでしょう」

    「前に言った通り……内宮は疑心暗鬼に満ちてる。落ち着くまでは、いらぬ波風を立たせたくはないの」

    「もう一つは……その若い官吏を無視して事を進めようとすれば筋が通らないと、私は思ってる」

    「……筋が、通らない?」

    意味がわからない、という感じの純の声を聞き、どう伝えようかと塞は少しだけ言葉を探した。

    「軍で生きてきた貴方達には想像するのは難しいとは思うけど。ここ宮中では、違った意味で貴方達が見てきた軍内部以上に歪んでる」

    「謀略や貶め合いが蔓延っていた中で私がこうして無事なのは、今まで内宮に主上がいなかった事と極力派閥が関わる政局から逃げていたから」

    「せめていつか立つだろう王のために。この内宮を少しでも正す事で精一杯だった。まぁ現状を考えると、それすら達成しているか危ういけど」

    「………」

    185 = 175 :

    「歪む宮中にあって唯一、民の側に立ち正論を言い続けていたのが麒麟である台輔だけ」

    「私が彼女を助けてやれたのは、内宮での多少の自由を通してやる事と、安全に過ごせるぐらいのことだから」

    「故に、あの台輔を今までずっと支えてきたのは他の誰でも無い。あの頭の切れる若い官吏だという事」

    誠子「………」

    「それに直接話を交してみて、彼女が彼女なりに主上と台輔とを守ろうとしている事がよくわかった」

    「なら今更、私が上の階級だからと言って無理に我を通そうとすれば…宮中を蝕んでいた今までの愚官と変わらないよ」

    「事実、主上と台輔の最も近くで助けているのがあの官吏だとすれば、まずは彼女に筋を通してから事を進めるべきだと思う」

    そこまで言い終えて、塞は眼前の二人を見比べる。

    誠子はある程度理解してくれたのだろう、顔に浮かんでいた険が薄れている。

    一方、対照的に純は未だ顔を歪ませたままだ。

    誠子「なら、向こうの信頼に足る条件というのは?」

    よく分かっている。うん、と頭を上下に揺らしながら塞は言葉を返す。

    「あの若い官吏に言われた事は、私も憂慮していた事案だったから。内宮は私の管轄でもあるし」

    「まずはここに溜まる不安を取り払う事からはじめようと思ってる。手を貸してほしいの」

    誠子「はい」

    「実は先日、天官二人が城下にて事件に巻き込まれて死んだの。不自然で謀殺だろうと思うが理由がはっきりしなくて……」

    塞ぐ「その詳細を調べようと思ってる。そうだね……誠子は私と一緒に来てくれる?」

    誠子「分かりました」

    頷く誠子を見届けてから、塞は腰を降ろしていた椅子から立ち上がる。

    186 = 175 :

    そして書斎机を大きく廻り込み、誠子を見てから、その後ろにいる純へと視線を移す。

    彼女は相変わらず顔を歪ませたままにどこか不満そうにしていた。

    分かりやすいなあ、と思いながら塞は苦笑を浮かべる。

    そのままに、俺は?と鋭い視線を向けて聞いてくる純に言った。

    「貴方はもう少し、この宮中という場所を良く見て来なさい。但し内宮の奥は駄目。まだ私達は信頼されていないから…」

    誠子「いいんですか?こいつ喧嘩っ早いし口汚いからいらぬ誤解をばら撒くかも…」

    「誠子、てめぇ……」

    そのまま睨みあいを始めた二人を押し留めながら塞は言う。

    「純なら大丈夫。確かにふとした瞬間に素が出るようだけどね。十分に自制はできているし、本人もそれをよく分かってる」

    「要所、要所で我慢もしてきたから軍で卒長を務め上げるまでになったのだと思うし…」

    ね?と、気安く塞が問えば純は面食らったように目を見開き、次いでどこか居心地が悪そうに視線を泳がせる。

    塞の見方でしかないが。多分純は今まで自分の荒い性格をよく分かっていて、怖がられたり貶されたりする事には慣れ切っているが

    こうして認めて褒められる事に慣れていない気がした。だから、こんな些細な意見で見せる反応がどこか可笑しい。

    「まぁ、そういう事だね。じゃあ誠子は私と一緒に。…純は、私がこれ以上深く言わずとも分かっているでしょう」

    そう塞が言ってやると意外にも、純は素直に「分かってます」と頷いた。

    その経歴からは想像し難いが、存外素直なのかもしれない。

    塞は良い発見をしたなと思いながら、誠子を連れ立って部屋を後にしたのだった。


    ■  ■  ■

    187 = 175 :

    国一つを想像してみても、随分と大きい。

    元を正せば、商家の小さな世界しか知らなかった咲がなんの因果か一つの国を治める事になるのだから…

    本当に人生とは何が起こるか分からないものだ。

    今日の執務を終えて、付き合ってくれた智美にお疲れ様でしたと声を掛けられる。

    咲は柔く笑むと、智美こそ付き合ってくれてありがとうと言葉を返した。

    明るい笑顔を浮かべた智美はその表情をすぐに解くと、変わって申し訳なさそうに柳眉を下げて言う。

    智美「この後、また書房に篭られるのでしょう?」

    問われ、咲は素直に頷く。やはりそうですか、と智美はそのまま言葉を続ける。

    智美「本当は私もお手伝いさせて頂こうとしたのですが。火急の用件ができまして、残念ながらお供する事ができません」

    「智美さん。それは構いません、物が分からぬ私の相手をするよりも、貴方はこの国にできる事をまずは優先して下さい」

    咲にしてみれば素直な気持ちだった。まだ短い付き合いではあるが、眼前に立つ歳若い官吏の聡明さを咲なりに理解しているつもりだ。

    自分に時間を掛けるよりも、彼女はその優秀な頭をこの国のために生かしたほうがいい。

    だけど、迷う事なく告げた咲の言葉を聞いた智美は相変わらず苦笑を浮かべたままだ。

    智美「主上は物分りが良すぎる。国の大事もそうですが、そのために皆が貴方を第一に考えているのだとご理解下さい」

    智美「時に、ふてぶてしく言い付けるのも必要な事ですよ」

    「そういうものなんですか…」

    咲も苦笑いを浮かべて言い返す。それを聞いた智美はどこか人悪そうに笑むと頷いた。

    188 = 175 :

    智美「ただ主上にもっと我侭を言って頂きたいという事です。謙遜は美徳ですが…その姿勢を素直に受け取ってしまう奴もいるので」

    智美「それでいらぬ事を考えすぎて、結局足踏みして近付けないのは奴が悪いのだと…私なんかはわかってんだけどな…」

    「??智美さん?」

    智美「ああ、何でもないです。さて先程の話に戻りますが…この後お一人で書房へ篭るのならば、御身をお止めせざるをえません」

    「駄目なんですか?」

    吃驚して、咲は目を見開く。今まで咲一人で書房に篭る事を止められた事は無かったから。

    智美「実は…未遂で終わりましたが先日、主上が一人で書房にいらっしゃった時に許可無く立ち入ろうとした輩がいたようです」

    智美「それなりの人数もいたようなので、歓談しに近付こうとした訳ではないでしょう」

    「……!」

    全く気付かなかった。智美に言われて、改めて咲は自身の立場に気付く。

    「……私が、邪魔だと?」

    恐る恐る尋ねると、智美は数秒考える素振りをしてから言う。

    智美「そう考えるよりは…主上に自分達の主張を聞き入れてもらいたのでは」

    智美「まぁ、どんな主張を奏上したいのかは想像し易い。きっと聞くのも馬鹿らしい内容でしょうがね」

    「それに……私ならきっと、意見が通り易いとも思われているんですね」

    智美の言葉を聞いていて、咲もすぐにその点に気付いた。

    智美「主上が立ってから時機が浅いのもあります。王朝の始まりは混乱が付き物ですし」

    智美「先見の無い、馬鹿な奴らが凶行に走る事もあるでしょう。ですがそれを素直に受ける訳にはいきません」

    お分かり頂けますか?と智美に問われ……咲はコクリと頷いた。

    189 = 175 :

    ただ、…彼女が、ここは怖い所なのだと言っていた言葉を鮮明に思い出している。

    本の中に埋もれる事ができないのは残念だと思うが、彼女らが自分の身を第一に考えてくれているのはよくわかっていた。

    智美「そんな訳で、御身だけ書房に篭るのは控えて頂けると…お供できればよかったのですが私等も今日は手が離せなくて…」

    「いえ、智美さんの言っている事はよくわかりました」

    大人しく自室に戻ります。そう咲が言葉を続けようとした直前、先手を打つよう智美が言葉を続けた。

    智美「ああ、でも。…一人だけ、主上にお供できる人物がいます」

    「?」

    智美の言葉に咲はきょとんとした表情になる。

    智美「台輔が、暇そうにしておられるはずですから」

    そう智美が言った瞬間、咲は反射的にびくりと仰け反ってしまった。

    そんなこの身の動揺を智美とて見ていたはずだがなぜか彼女はニコニコ笑ったままだ。

    智美「主上もお分かりの通り。台輔は馬鹿が付くほど真面目な方なので」

    智美「どうせ、今日一日の仕事は午前中で綺麗に終わらせてしまっているはずです」

    智美「そのまま必要の無い明日の予習までやってそうですから、是非とも主上に付き合ってもらいましょう」

    「い、いえ…智美さん、これは私の我侭みたいなものなので、そんな事に無理に…菫さんを巻き込むのは…」

    ぶわりと嫌な汗が額に浮いてきたのが分かる。事実、咲は非常に焦っていた。

    智美が言う通り、あの真面目で実直な菫の性格を咲とて知っている。

    そんな彼女を、咲の我侭にも等しい行為に付き合わせるのは不味い気がした。いや、不味い。

    きっとあの眉間に寄っている皺を更に深くして、無知な咲に対し呆れ果ててしまうかもしれない。

    期待など元々はされていないとは思うが。それでもこれ以上底辺には向かいたくないと咲は思っていた。

    だから、ブンブンと首を左右に振って咲は智美にやめましょう、と訴える。

    だが智美はニコニコ笑ったまま名案だと言わんばかりに声を上げる。

    190 = 175 :

    智美「適材適所ってやつです。それに主上、先程私は申し上げたでしょう?」

    「…先ほど?」

    智美「主上はもっと我侭を言うべきだと。人の話に耳を傾ける貴方の姿勢は好きですが。それと気遣いから遠慮してしまう事は違います」

    智美「貴方はこの国の王なのですから。何より麒麟である台輔は主上の半身だ。他の誰より貴方にとって気遣いなど無用であるはずです」

    「…………」

    言葉も無く黙り込んでしまったのは、智美の言葉が不意に心に響いたからだ。
     
    智美「それに本当は台輔の口から言うべきなんですが。あの人本当に不器用過ぎて見てるこっちが苛々してくるから言っちゃうけどな…」

    「…え?」

    智美「圧倒的に言葉が足りないだけです、台輔は。だから主上が不安に思うのは仕方無い」

    智美「けど台輔は他の誰よりも、貴方の事を大事に思っていますから」

    「………」

    智美「これだけは、私が保証します」

    「………そうだったら。…そうだったら、いいですね」

    智美の言葉を素直に嬉しいとは思えた。

    だけど返す咲の言葉はどこと無く頼りない。智美が信頼に足る人物なのはもはや疑いようも無いけれど、

    やはり菫自身から言われた言葉では無いから、素直に飲み込めなかった。

    智美「と、そんな訳で。主上はここでもう暫くお待ち下さい。台輔を呼んできます」

    智美「なに、彼女の事だから顔には出さずとも貴方の願いであると理解すれば、文字通り飛んで来るかもしれない」

    麒麟ですしね、ワハハと笑って踵を返す智美の背に咲は震える声で言う。

    「そ、そこまでは……」

    智美「例えですよ、全否定はしませんが。では、明日またお会いしましょう」

    191 = 175 :

    開いた扉の向こうに立った智美が振り向き様に言う。

    続けて言おうとした咲の意見は、その明るい笑顔に絆されたよう掻き消える。

    結局、同じような笑みを顔に浮かべると…智美に向かって咲は頷いて見せた。

    「また、明日。宜しくお願いします」

    咲の言葉に、はいと明るい声を残して智美は部屋の扉を静かに閉めて去って行ったのだった。



    そうして一人部屋に残された咲は何かを考えるしかない訳で。

    席に腰を降ろし、気を紛らわすために書物などを開いてそれに視線を落としてみたりもしたが。

    なんというか…意識がどうしても、智美が閉めていった扉に向かっていって仕方無い。ソワソワしている。

    だって今度あの扉が開いて姿を現すのは、自分の半身だという事だろう。

    智美より色んな話を聞いてしまった今だから、変に期待しているだろうか、自分は。

    できれば智美が言っていた事が本当で、やってきた彼女と少しでも多く話ができればいいと思う。

    気になる扉をちらちらと見るが、それが開く気配は一向に無い。

    気が急いて、咲は席から立ち上がった。そのまま閉まったままの扉へと向かう。

    躊躇いもなくそれを押すと、扉を開けて……咲は外に続く廊下を見渡した。

    192 = 175 :

    続く長い廊下には誰かの足音すら聞こえない。…つまりは、半身は未だにここへ向かってもいないのだろう。

    そう確信した瞬間、溢れる泉のよう、心中に焦りが噴出した。

    なぜそう思ったのか、ただ咲は今からでも遅くはないと思い込んでしまった。

    去って行って結構経つのに。智美を呼び止めて、やはり菫を呼ばなくてもいいのだと伝えなければいけないと思った。

    そして、今日は大人しく自室へ帰ろう…あそこでも、書物は開けるから。

    咲は人気の無い廊下を駆け出す。

    静かな空間に、自分が廊下を走る足音だけが響き始めた。



    幾つ目かの角を曲がろうとした時だった。

    いつまで経っても見えてこない智美の後ろ姿に焦りが募っていた咲だったから、

    普通に考えれば、時間が経ちすぎている事に気付いていいはずなのに。

    それすら頭から綺麗に抜け落ちていた咲は、ただ智美の後ろ姿を呼び止める事しか頭に無かった。

    だから注意もせずに廊下の角を曲がろうとした瞬間。

    向こうより、咲と同じようにやってきた人影に気付いていなかった。

    しかも咲は急いでいた事もあり、躊躇いもなく反対側からやってきた人物へと勢いをつけてぶつかって行ってしまった。

    驚いて小さな呻き一つ上げ、咲は背後へと転がる。

    193 = 175 :

    微かに赤くなった鼻の付近を覆い、廻った視界の焦点を合わせようとする。

    ぶつかって倒れこんだ自分とは対照的に、眼前で揺らぎもせずに佇む人影を咲は見上げた。
     
    「………」

    「………」

    転んだ自分を見下ろしながら、大きく眼を見開いたままに女性が佇んでいる。

    その長身な体躯に動き易そうな軽装を纏い、腰に官吏には不要な鞘を下げ重そうな剣が差さっている。

    物騒なそれを見て……まず咲の脳裏に過ぎったのは先程、智美が言っていた言葉だ。

    智美『先見の無い、馬鹿な奴らが凶行に走る事もあるでしょう』

    ヒヤリと肝が冷えて、今更ながら単独で行動していた自分の浅はかさに咲は気付く。

    あんなにも咲の身辺に気を配ってくれていた仲間の言葉を忘れ勝手に安全な場所から抜け出し、咲はこんな所で正気に返っている。

    コクリと唾の飲み込んで…眼前にて剣を携え咲を見下ろしている女性の出方を注視する。

    今に、その剣を抜いてこの身を脅すのだろうか。

    戦々恐々とする咲に近付いてくると、眼前の見知らぬ女性は咲に向かって手を差し出した。

    「すまねぇ。立てるか?」

    とりあえず相手に敵意がないことが分かって、咲はほっと息をついた。

    「こちらこそ、勢いよくぶつかってしまってすみません」

    「急いでいたから注意散漫でした。どこか怪我はしていませんか?」

    そう咲が尋ねると、女性は一拍置いた後に手を振って否定する。

    「……いや、別にねぇ。俺はぶつかった時の衝撃も強くなかったし…こっちこそ注意力散漫ですまねえな」

    ここ宮中では余り耳にする事のない、どこかぶっきらぼうな言葉を懐かしく思い咲は自然に頷く。

    194 = 175 :

    それに咲と同じように相手もこちらを気遣う気配を確かに感じたから、当初に持っていた警戒心はその時点で霧散してしまった。

    「お互い様ですね」

    「お互い様、か」

    互いに苦笑を浮かべ、そう結論付けて頃に。眼前の女性は名前を名乗った。

    「純だ。最近、宮中の警護に入ったばかりでまだここに慣れてねぇから…少し迷ってる」

    「そうなんですか」

    相槌を打ちながら、咲も名前だけを名乗った。

    そのまま彼女が先程言っていた事実をもう一度確認する。

    「純さんは、迷っているんですよね?」

    「ん、ああ。…広いな。このままいけば外にいけるか?」

    尋ねられて咲は、首を左右に振って答える。

    「いえ、反対方向だと。ここから先は内宮で、進めば路寝へと続いています」

    「! マジかよ。……内殿の奥か。バレる前に戻らねぇと」

    頭をガシガシ掻いて、心底困り果てた表情を浮かべた純を見上げ咲は苦笑する。

    なんというか、今まで宮中にあって見てきた本心をひた隠そうとする官吏の姿とは違い、

    抱いた感情が素直に表情に出る人だなと思う。

    だから、心底困った気配を感じ取った咲は純に向かい言った。

    「外宮に近い内殿までなら案内できると思います」

    「……いいのか?」

    「私もそこにいる官吏に用事があるので…途中まででよかったら」

    「頼む」と実直に請われた咲は頷く。

    「では、こちらに」と、純を先導するために再び続く廊下を歩き出した。

    195 = 175 :

    今回はここまでです。
    次はまた金曜日に投下予定です。

    196 :

    乙 続き気になるなぁ

    197 :


    ほんといつも面白い。
    来週も楽しみにしてる。出張頑張って

    198 :

    おつおつ
    純くん誤解されませんように

    199 :


    先月このスレ見つけて直感的に面白そうな気がしたんで
    予習に十二国記のアニメ全部見てたら読めたのが今日になっちまった
    俺の直感に間違いはなかったわ

    200 :

    ワハハと塞さん、純と咲が出会い交流することで少しずつ人間関係が広がっていく
    そこがとても上手く書けていて凄く続きが読みたくなる、毎週ありがとうイチオツ


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