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    元スレ菫「見つけた。貴方が私の王だ」咲「えっ」

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    51 = 33 :

    とりあえずここまで。
    続きというか別キャラ視点での裏話はまた夜に投下します。

    52 :

    乙乙

    53 :

    才国だったか。乙

    54 :


    待ってたよ

    56 :


    おもしろい

    57 :


    また今日読めるのか有り難い

    58 = 33 :


    平凡な両親に育てられ、頭は悪く無く体格も悪くはない。

    何をやらせても普通以上には物事をこなし、

    尚且つ、持ち前の柔軟な思考を発揮し人付き合いに苦労した事もなかった。

    そんな智美が官職になるための試験である科挙を受けたのは、育ててくれた両親を安心させてやりたいだけで

    今のこの国を憂う気持ちなど少しもなかったと思う。

    とりあえず、合格すれば一生、安泰した暮らしを約束されたと思ったし。



    ここ才州国の前王が崩御したのは、智美がまだ小さい頃の話だ。

    なので智美は王が平常無事に国を治めていた期間を覚えてはいない。

    両親より、王が道を踏み外すまでは本当に良い時代だったと話にだけは聞いたことはあるが、

    あくまでも話の中での出来事だ。

    現状、こうして智美が見てきた世の中は、天変地異と出現する妖魔により疲弊した大地と、

    そこから出てくる僅かな富に群がる畜生共の姿だった。

    59 = 33 :

    畜生とは、僅かに実った作物の値を吊り上げる悪徳商人はもちろん、

    それに乗じて税を不正に吊り上げる役人も同じ括りになる。

    正直者は馬鹿を見る、なんて、正しくその言葉通りの世界だ。

    真っ当に生きようとすれば毟りとられるだけの世で、

    平穏無事に搾取される側にも廻らない道といえば、官史になるのが一番手っ取り早いと智美は結論づけていた。

    幸い智美にはその能力があり尚且つ人当たりも悪くない。十分やっていけると思った。

    だから僅かに貯めていた小金を握り閉め、試験を受け、試験官にそっと賄賂を配ると

    数日後には見事合格者の中に智美は名を連ねていた。

    両親に報告したら本当に喜んでくれた。

    智美は今まで、真っ当に生きて苦労してきた彼らを見てきたので、

    合格した方法はどうであれこれでよかったのだと思った。

    官として王宮に勤める限り、世間一般以上の賃金は約束される。

    苦労してきた両親にも、多少は楽を味合わせてやれるだろうと…

    智美はこの国の王宮勤めでの生活を始める事となったのである。

    60 = 33 :

    宮勤めを始め、智美が未だ主が不在の王宮を客観的に見渡し感じた事は、

    前王が残した膿は未だ深いという事だった。

    悪婦に溺れ、政治を省みなくなった前王に対して真摯に苦言を呈した忠臣は排除され、

    都合のいい甘言だけを呈し生き残った奸臣だけで動かしている仮王朝だ。

    前王が崩御し、その罪を誑かした悪婦にだけ被せ処断した奸臣達はこの十数年、

    主がいない王宮を隅々まで牛耳り、まるで自分達がこの国の王のように振舞っている。

    事実、未だこの国の王は選定されてはいない。

    不在の玉座を見上げながら、どこか虚しい想いを抱いたのはやはり智美は関係無いと言いながらも、

    心のどこかでこの国の人間だと理解しているからだろう。

    両親のように真っ当な人間が、真っ当に評価され、生き易い世の中になればいいと智美とて思う。

    だが、この膿が蔓延る王宮を見る限り…その心は容易く挫かれてしまう。

    排除されると分かっているのに、道を正そうとするものはいない。

    そんな仮王朝を十数年も維持し続けてきてしまったのが、この才州国の現実だった。

    61 = 33 :

    それから暫くは上辺だけの笑顔を浮かべ、智美は王宮を渡り歩いてきた。

    文官が集まって会合を開いたとて、それが国の民のためのものでは無い事は明白で。

    むしろ、どうすれば多くの税を民に掛けられるか、民より金を集められるかという話を

    豪勢な食事を用意させながら行う。

    果たしてこの準備された食事だけでどれだけの民の飢えが凌げる事だろう。

    智美の脳裏に両親の姿が掠めた。

    周りより胸糞が悪くなるような話を聞きながら、智美は愛想笑いを浮かべ続けている。

    だけど箸を手に持ち、それを口元まで運ぶ事は最後までできなかった。

    自分のそんな心情に戸惑いを覚えたのも事実で…

    智美はこんな世界を覚悟の上で役人を目指したはずだが

    現実、その世界を味わってみれば胸の内に芽生えくる葛藤に苦しんだ。

    一番怖かったのは、こんな世界に自分が染まり切る事だったのかもしれない。

    感覚が麻痺して、いつか自分も、周りの役人達と同じように民より金を毟り取り、

    豪奢な食事を食べながら、それに対して罪悪感を抱かなくなるのだろうか。

    そうして吐きそうになる想いをどうにか堪え、飲み込み、智美は小さく息をついた。

    62 = 33 :

    ある日の事だった。

    いつもの文官の集まりだったが、何か雰囲気が違った。

    人数も多いし、秘密裏で何かを行うという雰囲気でもない。

    ただ広い卓の上に置かれたのは集まった人数分に対する茶器と茶請けで、内容はやはり豪勢なものだった。

    下界では高騰している砂糖をふんだんに使用した甘菓子を見て、智美は煮え切らない心情込みで胸焼けを起こす。

    きっと良い茶葉を使った茶にも自分が口を付ける事はないだろう。

    貼り付けた笑みを崩す事無く、心情では現状に辟易しながらただ時間が過ぎるのを智美は待つ。


    そうして、全ての文官達が席に着くと最後にこの室内へと入ってきた姿があった。

    智美は初めて見る姿で、随分と背の高い少女だった。

    自分と同じくらいの年に見えるその少女は案内された席の側に立つと卓を一瞥し、

    開口一番に「用意した膳を下げさせろ」と鋭く言い放った。

    どよめく文官の一人が「折角貴方様のためにも用意しましたのに…」と言葉を詰まらせるが彼女は顔を顰めて言い返す。

    「これだけの菓子を用意するのに、民がどれだけ苦労すると思う?唯でさえ南は干ばつで作物が全滅だと言うのに」

    文官「ですがっ」

    「くどい。その南の地域を救うために備蓄を調整する集まりだったはずだが…」

    「諸官らは、高価な甘菓子を口にしながら飢えに苦しむ民を想えるのか?」

    文官「……」

    居心地が悪そうに押し黙る周りの文官を眺めながらも、少女が言い放った内容に智美は胸がすく思いがした。

    そこまで突っ込まれてしまったら、もはや誰一人、卓の上に用意された菓子に手を伸ばす者はいまい。

    63 = 33 :

    そんな官の様子を見渡した少女は、もはや席に着くことなく言葉を続ける。

    「数字だけを出して簡潔に調整してもらおう。冬も迎えるし、その事も考慮してな」

    だが、その声に応える声はない。

    周りの文官、誰も彼もがただ居心地悪そうに少女とは目線も合わせようとしないのだ。

    智美はその空気を敏感に感じ取る。

    きっと、この腐った王宮内で長年培われてきた空気だ。

    正論を述べる存在を煙たがり排除しようとする。

    ある者は正論を拒絶するために視線を上げず、ある者は面倒事に係り合いにならないために横を向く。

    そうして、物事が進まなくなり有耶無耶の内に私腹を肥やす畜生がいて変わりに民が死んでいく。


    咄嗟に、智美は席を立ち上がった。

    思ったよりも大きな物音が室内に響き、一斉に視線が智美に集まる。

    様々な温度の視線を受け、最後に気難しい表情を浮かべながら智美を見返す紫色の双眼を見る。

    気持ちは周りの同僚達よりも、少女に向かって智美は言い放った。

    智美「僭越ながら、皆様もお忙しい身でありますし若輩の私が確認をし数字を纏めましょう。一日、お時間を下さい」

    「……」

    智美「長官殿にも後ほど、必ずご意向を伺いに参ります」

    64 = 33 :

    智美はそう言って、この場で最年長である文官に意向を仰ぐ。

    年長者の彼の面目を守るためだ。その智美の判断は正しかったようで、彼は咳払いすると仰々しく頷いた。

    途端、周りの文官も同調するように声を上げ始める。

    そんな空気に納得したのか、最年長の文官が場を纏めるように宣言した。

    文官「では、智美に一任する。よろしいか?」

    「…ああ、後日報告を待つ」

    少女は智美を一瞥し頷くと、一度も席に腰を降ろす事無くその場で踵を返した。

    一斉に頭を下げる周りに倣って、智美も頭を下げる。

    一人分の足音が遠ざかって行き完全に室内より出て行ったとわかると、一気に場の空気が緩んだ。

    そうして、先ほどの年長者である文官が忌々しげに吐き捨てる。

    文官「…新たな王を見つける事もできぬ獣が。小賢しい…」

    その言葉を聞き、智美は目を見開くと同時に心中で深く納得した。


    智美(あれが、この国の麒麟か…)


    ならばあの若さで、周りの文官達が頭を垂れるもの分かる。

    彼女は天意を得て王を選定する神獣であり、この国の台輔だ。

    65 = 33 :

    緊張が切れ、ざわつく室内にあって智美はここで生きていくための一つの道筋をやっと見つけたような気がした。

    腐りきった王宮の中にあって、そんな周囲と同化もせず気高く正論を突き通そうとする麒麟の姿に

    この国の残された良心を見たような気がする。

    期待してもいいのだろうか、あの慈悲の獣に。

    この沈み行こうとする国の中にあって、周りと同じように沈むのでは無く救おうと抗う彼女のように。

    智美も、その力になれるだろうか。

    そう思い至った瞬間、もう随分と会っていない両親が心の中で笑ってくれたような気がした。



    それから智美は精力的に行動を起こすようになった。

    始めからこの膿が溜まる王宮の中に在って智美は表立って反抗したりはしない。

    幸いにもこの身は今まで人付き合いが良く人当たりも良かったので、誰からも敵対心を向けられてはいなかった。

    無害で便利な若輩者として通していたのがここでの利点になったのだ。

    尚且つ仕事もできるから、周りのコネだけで入った役人などは智美を頼るようになる。

    そんな中で智美は、台輔と官との間を器用にも取り持つようになっていった。

    66 = 33 :

    台輔が出る会議には極力出席するよう調整し、その意向を汲んだ書類を作成する。

    その際に正論だけを述べる台輔の意見だけを上官に報告すれば

    波風が立つのは当たり前で、進む事案も進まなくなってしまう。

    だから少しの賄賂の意味を含めた数字を上乗せして書類を作成し、事案自体を通りやすくした。

    苦いとは思うが今はまだこうする事でしか物事が上手く廻らないのだ。

    この方法で、南の地域へと廻す備蓄品はなんとか確保した。

    ぎりぎりではあるが民が冬も越せる数字だ。

    一息付きながら、智美は思う。

    見渡す限り、この王宮の中に在って台輔には味方が少な過ぎる。

    というか真っ当な正論を通そうとする人材が少な過ぎるのだ。

    賄賂や私腹を肥やす事を前提に政をするのが当たり前となっている。

    これが、十数年膿を落とそうとしなかった、この国のツケだ。

    そのツケを何の罪咎も無い民が一番に背負う現状がある。

    せめて、せめてどこかに必ず存在するはずの、新たな王が立ってさえくれれば。

    この流れを、変えられるかもしれないのに。

    67 = 33 :

    そう切に願いながらも、智美とてもはや台輔である少女の苦悩も理解していた。

    周りがこれだけ新王を願うのだから、それを選定する役目を担う少女へと圧し掛かる重圧は相当なものだろう。

    だが会議等でみる限りあの少女がその辛さを顔に出す事は無い。

    だからその姿勢を助けたいと智美が思うようになったのはきっと必然だったのだと思う。



    今日中に纏めた書類を手に、智美は台輔の執務室へと向かう。

    時間が時間だから、本人が不在でも纏めた物を執務室に置ければいいのだ。

    文官長への調整はすでに済み、智美が纏めた事案は今回も一応は通った。

    水害で発生した難民に対する慰労金だったが、その3割は役人の袖の下に消えてしまっている。

    それでも、何も出ないよりはマシだ。

    すでに薄暗くなってしまった廊下を歩いていくと、途中、暗闇の中に蹲る姿に気付いた。

    目を凝らして、それが台輔だと分かると智美は慌てて駆け寄っていった。

    智美「大丈夫ですか?」

    そう声を掛けて、彼女と同じよう傍らに膝を付き少女の様子を伺う。

    68 = 33 :

    俯く様からは表情は分からなかったが、食いしばるよう唇を噛み締める様には気付いた。

    「台輔」と短く呼んだが、彼女は手を貸そうとした智美の腕を押しのけて立ち上がる。

    「大丈夫だ」

    そう短く吐き捨てるが、智美が見上げる先には顔色が青くなった少女の様子が見えた。

    智美「……」

    どう見ても、大丈夫には見えない。

    その事を更に言い募ろうかと思ったが、瞬間、ぐにゃりと地面が波打つ。

    そこからズズズ、と這い出すよう姿を現したのは赤い毛並を持つ妖魔で、台輔の使令だ。

    智美をそこに置いて、歩き出した背に赤い毛並を持つ使令が従うよう続く。


    もはや深夜に差し掛かろうとする時間帯。

    そんな中彼女がどこへ行こうとしているのかが智美には分かった。

    智美(…王を、探すのか…)

    智美が王宮に上がって暫くこの少女を見掛けなかったのもそのせいだ。

    聞いた話によると、執務をこなし空いた時間ができるとこうやって王を探しに国中を巡っているらしい。

    天意なるものが麒麟ではない智美にしてみれば、どうのようなものか検討も付かないが、

    ここまで王の選定とは麒麟にとって過酷なのだろうか。

    69 = 33 :

    ただ去っていこうとする背中には疲れの色が濃く残り、

    彼女がどれ程の無理を溜め込んでいるのかはよくわかった。

    台輔にしてみれば王の選定に加え、こんな敵だらけの王宮であっては心休まる暇もないだろう。

    誰も信じる事ができなかったのも良く分かる。

    智美は地に膝を付け、唯独り、去っていこうとする背中を見上げながら悔しく思う。

    今やこの王宮を、この国を憂うのは慈悲の麒麟だけではない。

    少なくとも、その言葉を聞き、その姿勢を見て、目覚めてしまった智美がここにいる。

    とりあえず思いついたら即行動の智美は、持っていた書類を足元に置くと勢いを付けて駆け出した。

    去っていこうとする背に追いつくと、呼び止める変わりにその腕をガシリと掴む。

    瞬間、すぐ隣より獣の鋭い唸り声がした。

    向けられる獣特有の敵意をビシバシ感じたが、智美とて怯んではいられない。

    いつまでもこの麒麟一人に国の重圧を背負わせる気はないのだ。

    智美「台輔、貴方はもう少し周りを見返すべきだ」

    智美が言い放つと、腕を掴まれた先の少女が胡乱気にこちらを見下ろしてくる。

    70 = 33 :

    「なんだと?」

    訝しげな声。突然の申し出だから、当たり前の反応か。

    だが智美は怯まずに言葉を続ける。

    智美「独りで全てを背負い込もうとする貴方の気持ちは分からないでもない。けど貴方と同じ立場に立とうとする者はいる」

    少なくとも、ここに一人は。

    智美が見上げる先の、紫色の瞳が驚いたように見開かれる。

    智美「台輔がどこかにいる王を信じるように、どうか、この国の民も信じて頂きたい」

    「お前…」

    掴んだ腕を離し、その姿へと続けて訴える。

    智美「王がいない今、あなたがこの国に残された良心なんだ。倒れてもらっちゃ困る」

    眼前の少女だけが、この膿の吹き溜まりのような王宮の中にあって唯一、

    民の側に立ち意見を言い続けてきた。それを、智美は見てきたのだ。

    ついつい言葉に少しの素が出てしまったが、言いたい事は言った。

    後は、台輔の出方を待つ。だけだが……

    71 = 33 :

    彼女は未だ唸り声を上げて智美を威嚇していた使令に手の平を翳し宥める。

    そうしてから、改めて智美に向き直ると静かに尋ねた。
     
    「何度か集まりで助けてもらった事があるな、見覚えがある。名は?」

    智美「智美と申します」

    「智美か。覚えた」

    浅く頷いた台輔は、体を半分だけ反転させる。

    智美が止めたのにも関わらずまた王を探しに行こうとするその姿に、思わず体が前のめりになる。

    が、智美が何かを言う前に半向きしたままの姿勢で彼女はぽつりと呟く。

    「一つだけ、訂正しておこう。私は王を探すのを苦だと思った事は無い」

    智美「え?」

    「むしろ、会えない事が辛い。そのために私は生きているようなものだからな」

    智美「…台輔」

    いつの時も前だけを気高く見据えていた少女の、どこか寂しげな姿に智美は返す言葉が思いつかない。

    智美が呼ぶと彼女は応えるように薄っすら笑った。

    「ただ執務は少しだけ苦痛に思っていた。いらん事案が多すぎて気が滅入っていたが、ここ暫く落ち着いていたな」

    お前が助けてくれていたのだろう?と続けた少女の言葉に、智美は素直に驚いた。

    72 = 33 :

    台輔が自分の行動の真意に気付いていたのかと思うと同時に、その眼差しをじっと智美へと向けてくる。

    「智美、ここで私はどうすればいいと思う?」

    ここで。この、膿が蔓延る王宮の中にあって、唯一の国の良心のために何をすればいい。

    智美は考えるよりも直感で、彼女の問いに答えを返していた。はっきりと。

    智美「貴方の味方を増やすべきだ」

    もはや沈むしかない仮王朝に同調する馬鹿はいらない。

    いずれ必ずこの神獣が見つけ出してくれるだろう新たな王を迎えるためにも

    真っ当な思考を持った、この国を生き返らせるための同志が必要だ。

    そんな智美の言葉を聞き台輔も思う所があったのだろう。彼女は頷いた。

    「わかった。力を貸してくれ、智美」

    国を導く神獣から、直接の御達しだ。

    その願いに臣下である智美が逆らう理由も無い。

    両腕を上げて胸の前で拳を合わせる。

    眼前に佇む神獣へと向かい、智美は「御意」と深く拝礼した。

    73 = 33 :

    そうして、王宮の中にあって地盤を固める作業が始まった。

    智美は今まで過ごした中で、こちら側へと引き込む人材にはある程度目星を付けてはいる。

    視野を広くして人と物事を見渡すのは嫌いじゃなかったし。

    重要なのはこちら側に引き込んだ人物が、信頼に足るかどうかだ。

    結局、権力や金に目が眩んで後に裏切るようならばこちらの足元が掬われる。

    もっぱら現在の権力者より煙たがられている人物は有力だと思うが。

    報告に向かった台輔の執務室において、智美は部屋主に幾人かの候補名を上げておいた。

    後日、顔合わせしてみようという事を伝え、その了承を取る。

    すると途中、台補が何かに気付き智美へと言った。

    「台輔とかまどろっこしい。菫だ、内輪では菫でいい」

    智美は反射的に大きく頷く。打てば響く。そんな感じで。

    智美「了解した。菫ちん」

    「…………菫ちん?」

    智美「ワハハ。ちょっと砕けすぎたかな?」

    目の前の神獣に尋ねたら、なんとも言えない渋い顔をされた。

    「……まぁ、その……好きにすればいい」

    どこか呆れの色を含んだ菫の言葉を聞き智美は笑った。

    74 = 33 :

    そのまま言い募りはしなかったが智美とて場の空気は読める。

    あくまでもこの砕けた本性を曝け出すのは、堅すぎる台輔との内輪話の時だけだ。

    智美が楽なのもあるが、この少女に対しても僅かながらの気休めになってくれればいいな、とは思う。

    王のため、国のため、民のためにと心を傾ける菫は、いつの時も尖った雰囲気を崩さない。

    智美はそんな彼女の硬い表情しか見たことがなかったから。

    表立っては見せず、水面下で台輔に同調する仲間を智美は増やしていく。

    こうやって動いてみて気付いたのだが、智美は物事の中間に立ち、人との間を取り成すのを苦には思わなかった。

    むしろ様々な人間性があるのを発見できるのが面白いと思える。

    その中でも権力に媚を売る畜生共に対してはかなり敏感に感じ取っていた。

    上辺だけで浮かべる笑顔ならば智美に勝る者はいない。

    気安い人柄で近づき、相対する人間の本性をゆっくり嗅ぎ取る。

    そうして、一人、また一人と。

    いずれ、必ず、この国のために立ち上がってくれる志を宿した人間だけを智美は探し続けた。

    75 = 33 :

    そうやって日を重ねる中で、ある日の事。

    智美と、信頼できる同じ文官と朝の打ち合わせを行うため、台輔である菫の執務室へと向かう途中。

    大きな音と共に向かうべき先の扉が突然、勢いよく開かれた。

    びっくりして立ち止まった二人の前に、室内から飛び出してきたのはもちろん部屋主である菫で。

    彼女は、珍しく焦ったように何もない上空を何度か見渡すと、すぐにその足元より使令の獣を呼び出した。

    文官「台輔?」

    智美の隣に立つ文官が訝し気に声を掛けるが、それに反応する事無く……

    というか、智美達の存在に未だ気付いてないような気がする。

    実際、菫は結局こちらを一度も見ずに、呼び出した使令の背に跨ってしまう。

    と、その四肢が地を駆け出し始める。

    智美「あ…」

    今度は智美が呼びかけようとしたが時すでに遅し。

    反対側に続く廊下へと勢い良く駆け出して行ってしまった後ろ姿を二人して、呆然と見送っている。

    一瞬の出来事で智美と文官 、どちらともなく向き合った。

    智美「どうしたんだろーな?」

    文官「随分、急いでいるようでしたが…」

    智美「まぁ…うーん。暫く待ってみるかな」

    76 = 33 :

    そう智美が言うと、文官も異論は無いようで頷いた。

    どうせ宮内においては休日に当たる。

    そのまま台輔の執務室にて、持ってきた書類を纏めながら二人してかの少女を待つ事にしたのだった。


    それから午前中は何も音沙汰がなかった。

    (召使い)が準備してくれた昼食を取りつつ、書類を纏める作業をずっと続けていた二人だったが

    ……さすがに夕方に差し掛かった頃。

    今日はもう切り上げた方がいいですかね、と文官が智美に声を掛けたらタイミング良く部屋の外が慌しくなった。

    遠くから女御の声が聞こえ、やっとでここの部屋主が帰ってきたのかと廊下の外へと様子を見に行く。

    扉に手を掛け、それを内側へと引いた瞬間、目の前を大急ぎで通り過ぎようとした菫の姿があった。

    智美「台輔?」

    「!」

    気付いたように立ち止まった菫が、智美を振り向く。

    そこで智美も菫がその腕の中に、布で包まれた何かを仰々しくも抱き込んでいる事に気付いた。

    まるで人程の大きさだな、と智美が思った瞬間、包む布の合い間を縫って栗色の髪の毛が見えた。

    智美は驚いて、菫を見上げる。

    「今は説明する暇がない。後で呼ぶ」

    77 = 33 :

    菫はそれだけを短く智美へと伝えると、再び腕の中の存在を抱え歩き出す。

    通路の先にいた女御が彼女を迎え、共へと奥に消えていく姿を智美は呆然と見送っていた。
     
    それから、智美は言われた通り辛抱強く執務室に残って彼女を待ち続けている。

    一緒にいた文官には時間も時間だし先に帰ってもらった。

    温くなった茶を啜り、集中できずに指でぴらぴら書類を弄びながら智美はひたすら待つ。

    何故だか理由を聞くまでは帰る気にはなれなかった。

    そうして、どれくらい時間が過ぎただろう。もはや室内にいても夜の静寂を色濃く感じる。

    きっと深夜に差し掛かっても不思議では無い頃合だ。

    それでも智美は呼ばれないし、菫も帰ってこない。

    智美「………うぐぐ、よし!決めた!」

    僅かに残っていた茶を一気に呷ると智美はその場に勢い良く立ち上がった。

    そうして、迷うことなく廊下へと駆け出していった。

    78 = 33 :

    進む廊下の先に、僅かに光が洩れている一室を見つけた。

    智美が訪れたこの区域が、台輔としての菫に与えられた居住区域であるのを知っている。

    高い地位故に、与えられた場所は広かったが菫はあまり人をそこに入れようとしない。

    本人曰く自分でできる事は自分でやるし、手を出されるとかえって煩く思ってしまうので

    最低限の生活の手伝いをしてくれる女御だけを置いているのだという。

    余計な事を言わぬ、もの静かな佇まいが印象的な初老の女性だったはず。

    智美もその女御には何度か会った事はあるし、先程も菫と一緒にここへと消えていった姿を見かけた。

    さすがに深夜に差し掛かる時間帯でもあるし、菫であればすでに彼女は下がらせているとは思うが。

    ならば、目の前の光が洩れる部屋にいるのはここの区域の主である菫しかいない。

    きちんといるんじゃないか、と憮然とした面持ちで智美は光の筋が続く先へと近づいていく。

    微かに空いたままの扉、その隙間よりそうっと智美は室内を覗いた。

    そうして、覗いたままの姿勢で暫くの間、智美はその場より身動きする事ができなかった。

    室内は仄暗い。

    灯された明かり一つだけで照らされる部屋は、広いはずの室内を思う以上に狭く見せている。

    ただ、その光が灯る中心に見えたのは、この部屋に備え付けられた寝台で。

    その広すぎる白いシーツに力無く横たわる姿を智美は初めて見た。

    79 = 33 :

    菫や智美と同じぐらいの年頃の少女に見えた。

    じっと寝台の上に横たわるその少女だけを見つめる菫の視線は平常にも増して険しい。

    まるで儚い風情の少女が消えていくのを許さぬよう、力無く投げ出されたその片腕を手に取り

    細い指先を口元へと押し当てたまま、菫は微動だにしなかった。

    智美はそんな雰囲気の菫を初めて見る。

    神獣であるがため、どこか淡白な印象が強く残る菫ではあったが

    こうして一つの存在に対して強い執着を見せる姿を意外に思う。

    同時に、智美は閃いた。

    神獣と定義される菫の、その強すぎる執着が滲む姿勢の意味するところ。

    もはや、閃きは確信に近い。

    無意識に手の平が触れる先の扉を押していた。

    ギィと響く音に、見つめる先の菫の肩が小さく揺れる。

    彼女は口元に当てていた指先を離し、ゆっくり智美へと振り返った。

    菫特有の紫色の双眼と確かに視線が交わったのを悟ると智美は抱いた確信を、呟く。

    智美「見つけたのか」

    80 = 33 :

    そう呟いた智美の言葉に主語はなかったが、言われた意味を菫ならば理解している。

    事実、彼女は智美の前で一度、寝台の上の姿を一瞥するとゆっくりと頷いた。

    智美「………」

    静かな衝撃故に、智美は続く言葉を咄嗟に思いつかない。

    ただ、代わるよう仄暗い室内へと一歩、二歩と進んでいく。

    そうして寝台の側に座る菫の側へと辿り着き、彼女が数多に存在する人の中から選んだ姿を見下ろした。

    「…不安か?」

    菫の問い掛けは、きっと智美が見つめる先に横たわる少女の姿に対してだろう。

    確かに、彼女は自分や菫よりも格段に華奢で儚げで頼りない体格に見える。

    しかも仄かな明かりに照らされる頬は痩せこけ、手当てされた白い包帯が異様に際立っている。

    果たして、この少女が今までどんな場所にいて、どんな扱いを受けてきたのか智美とて容易に想像が付いた。

    きっと、幸せだとは言い難い境遇だったに違いない。

    だから、頼りない姿だと言ってしまえばそこまでだけど。

    それだけではない事を、智美は菫を通して知っている。

    不安か?その問いに対して、智美は首を左右に振って否定する。

    81 = 33 :

    智美「菫ちんが選んだ王だ。きっと…この国を救ってくれる」

    そうだろう?あえて軽く言い返すと、智美の答えをどこか構えながら待っていた菫は

    肩透かしを食らったような表情を浮かべる。

    が、すぐに智美の真意を理解したようで菫は苦笑を浮かべた。そして頷く。

    「ああ」

    否定しない菫の声。こういうのは王バカとでもいうのだろうか。

    ただ、どこかホッとしたように目尻を緩めた菫の視線は、彼女の、唯一の主へと一心に向けられていた。



    その後、智美は菫より今まで起こった詳細を聞いた。

    突如とて感じとった王気を辿り、迎えに出向いた先での出来事諸々。

    王たる儚い風情の少女はある商家の下働きだったらしいが。

    そこでの扱いが、菫から見たらとてもじゃないが許容できるものではなかったらしい。

    まぁ、痩せこけた肢体や負った外傷を見る限り、その怒りは智美とて理解できた。

    口にするのも嫌そうに顔を歪める菫の言葉に相槌を打ちながら、

    智美は彼女に言われた通り、後日その商家に対して監査を入れる事を了承した。

    82 = 33 :

    こんな世の中だから、きっとその商家は氷山の一角に過ぎないだろうが。

    廻りへの牽制を含めた見せしめにはなるだろう。

    だが、いつかはもっと根本よりこの国の腐った仕組みを覆さねばなるまい。

    そのためにも、麒麟と誓約を果たした正規の王が必要なのだ。


    智美「え、まだ誓約してないのか?」

    「その前に気を失ってしまったんだ」

    智美「菫ちん…まさかそのまま何の説明もなしに攫ってきた訳じゃないよな?仮にも仁の獣だろ?」

    「??王気を纏っているし、間違い無く私の主だ。ここに連れてくるのは当たり前だろう?」

    智美「……ワハハ。目を覚ました時に混乱しなきゃいいけどなー……」
      
    どこか一般の感覚とずれているこの国の台輔に、智美は多少呆れておく。

    が、そんな心配などせずとも数日間、名前も知らぬ菫の主が目を覚ます事は無かった。

    誓約を交わさず神籍にも入ってないから余計、体調不良が続いているのかもしれないと

    世話をしてくれた女御は言っていたが。

    83 = 33 :

    2日後ぐらいしてとうとう、熱を出し始めてしまった時の菫の狼狽振りといったらなかった。

    息を乱し赤く染まった顔を見下ろして、青くなってしまった菫が

    彼女を無理に抱き起こそうとしたのを智美と女御の二人で慌てて止める。

    智美「おいおい、菫ちん、やめろー!」

    「離せ!はやく、誓約を…私を置いていくのは許さない…!」

    智美「お、重っ!?そんな深刻に考えなくても」

    「台輔、今までの疲れが溜まってらっしゃるだけです、お、落ち着いて下さい!」

    智美は酷く脱力した。と同時に仕方ないかな、と思う部分もある。

    多分この神獣たる少女は自らの胸の内に渦巻く感情でいっぱいいっぱいなのだ。

    智美とてどんなに菫がその身を粉にして自らの主を探してきたのかよく知っている。

    その存在が確かに目の前にいるというのに、麒麟として心を通い合わせる事もできない現状に酷く戸惑っていた。

    だからこんなにも菫は苛々し続けているのだ。


    だが、しかし。彼女にはこの国の台輔としての役目がある。

    真面目の代名詞みたいな奴だから、心ここに在らずの癖に菫がその役目を疎かにするような事はない。

    ただ、役目が終わると今までのように外へ向おうとはせず、

    変わりに自らの内殿に引き篭もるようになってしまったのだから周囲は不思議に思っただろう。

    84 = 33 :

    ちなみに、麒麟と誓約を交わしていないのならば未だ眠り続ける少女はまだ王ではない。

    ならばこの存在を表立って知らせる事もないだろう。

    新たな王の存在を知れば、保身のため取り込もうと躍起になってくる畜生共の姿は容易く想像できた。

    「せめて誓約を果たし、現状を理解して頂くまでは公にしないほうがいいだろうな」

    智美「だな。あいつら、新王が出てきたら必ず自分達の都合のいい事しか言わないぞ」

    そうやって今までこの王宮にて権力を思いのままにしてきた畜生共だ。

    見苦しいな、と心底嫌そうに呟く菫に対して、智美も違いない、と人が悪そうに笑った。

     

    次の日の、官の集まりの時での事だった。

    代わり映えの無い奏上を官が読み上げる中にあって、突如として勢い良く立ち上がった姿があった。

    座っていたはずの椅子が倒れ、その音が広い室内によく響いたため集まった全ての官の視線がそこへと向かう。

    智美も同じで、自らの視線を向けると……珍しい事に、台輔の長身が見えた。

    周りがざわつき始める中にあって、彼女はその場に立ち竦んだまま微動だにしない。

    ただ何も無い空間をじっと睨み上げている姿を不思議に思った。

    まるで自分達には見えない何かが、彼女には見えているような視線。

    …そういえば、そんな姿を、つい最近智美は見かけたような気がした。

    85 = 33 :

    あれは、確か…と思い出そうとしたが、

    先に台輔である菫が、突如として動き出したから思考は中断した。

    ざわつく周りを気にも止めず、その場で踵を返した彼女は早足で歩き出す。

    側に付いていた官が慌てたように、その背に声を掛けたが振り返る事も無く

    菫はあっという間に室内から出て行ってしまった。

    後に残された官達が訝しげに言い合う中、結局この集まりが終わっても菫が戻ってくる事はなかった。


    菫の様子が気にはなった智美は、仕事が片付いたら顔を出してみようかなと一人廊下を歩いていた。

    丁度行きかう人も無く、人気の無い廊下へと足を踏み入れた瞬間。

    ぐにゃり、硬い床が波打った。

    驚き智美がそこで足を止めると、目の前の地面から姿を現したのは鳥の羽を生やした女怪の姿だった。

    智美はすぐにそれが菫の使令だと思い至る。

    現れた彼女は感情を含まない声で智美へと伝える。

    『台輔がお呼びです。主上がお目覚めになられたと』

    智美「!」

    『どうぞ。東の、中庭へ』

    智美「??なんで、そんな所に」

    『丁度女御が席を外している時にお目覚めになられ、無理に動かれたようです。急ぎ、台輔が王気を辿りました』

    86 = 33 :

    それでか、と智美は先程の菫の様子に合点がいった。

    先ほどの何もない空間を睨み上げていた菫の様子。

    あれは、彼女にしか感じ取れない王気を辿る仕草だったのか。

    と、同時に智美は麒麟の少女に向かって、ほら見たことか、と言ってやりたい。

    付き合い始めてわかるのだが、菫は真面目すぎる上に不器用過ぎる。

    しかも言葉が足りない癖に、行動力だけはあるので更に手に負えない。

    まだ何の説明もしていない主に対して、あの不器用すぎる様で彼女の真意を上手く伝え切れるのだろうか。

    智美はとても心配になってきた。


    とりあえず知らせにきてくれた使令へ了承の意を伝えると、

    智美は言われた通り中庭へと早足で向かった。

    そうして、この日に見た光景を生涯忘れないと思う。

    薄暗くなった中庭の中でも、その姿は浮かび上がるよう目に焼きついている。

    視線の先に佇む少女に対しては、弱々しく目を閉じている儚い姿しか見たことがなかった。

    それが、今、確かな意思を宿した双眸を持ってして智美を見返している。

    87 = 33 :

    確かに全身は今までの辛い生活のせいか痩せ細ってはいるが、見返してくる瞳に怯えや嘆きは無い。

    それに少女の傍らには、珍しい一角を掲げた獣が寄り添うように付き従っている。

    一つの国に、たった一頭だけ存在する麒麟の姿。

    それが今、確かに隣の少女に向かって深々と頭を垂れた。

    智美は目を見開く。

    神獣である麒麟は、相手が神仙であろうと他者に頭をさげることは本能的に不可能な孤高の生き物。

    だがしかし、その麒麟が唯一叩頭する存在がある。

    自らが、天意を持って選定した主たる王がそれだ。


    つまりこの瞬間、智美が見つめる先に佇む少女は麒麟との誓約を経た、

    正真正銘の、この国の王だという事。

     
    智美は咄嗟に込み上げてくるものを飲み込んで、その場に膝を付いた。

    湧き上がる熱を堪え、眼前の対の存在を食い入るように見つめる。

    ここにやってくるまで智美は自分自身をそんなに愛国心の強い人間だとは思っていなかった。

    むしろ、生きるための選択の結果でしかなかったのに。

    ただ訪れてまじまじと眺めてきた歪みが酷い王宮の光景は自分の心境に変化を与えた。

    そして、今まで生きてきた自分の国を省みて……どうしようもなく虚しくなったのだ。

    88 = 33 :

    王がいなければ天変地異の果てに人の心も容易く歪んでしまう。それが当たり前になってしまう。

    事実、智美は麒麟の少女に出会うまでは半信半疑、その世界を許容していた。

    でも、違うと気付いたのだ。

    智美の平凡な両親が真っ当に評価され、真っ当に生きていける世界を願う事はいけない事ではない。

    この国の、本来の姿。

    王が平常に存在する世界になれば、人は、きっと今よりも遥かに希望を胸に抱いて生きていけるはず。

    智美は、先に王たる少女の傍らを佇む麒麟を見る。

    実際、人としての付き合いはあったが神獣としての彼女を見るのはこれが初めてだった。

    けれどその鬣の奥にある紫色の双眸は、確かにあの少女と同じもので。

    その視線と絡んだ瞬間、麒麟が智美に向かい頷いてくれたような気がした。

    その動作に智美の行動は後押しされる。

    麒麟の横に佇む王へと智美は向き直る。

    両膝を地に付け、両方の手の平を地に付ける。

    静かな湖面のような瞳を見上げ、そして次の瞬間、その姿に向かい深々と叩頭した。

    智美だけの願いではなく、この疲弊してしまった国の大地と、そこに生きる全ての民の願い。

    大丈夫。菫が選んだ王だ。

    その想いを込めて、智美は叩頭したまま一声を張り上げた。


    智美「長らくお待ちしていました。主上」

     
    きっと、この国は生まれ変わる。



    ■  ■  ■

    89 = 33 :

    今回はここまでです。
    次はまた金曜日に投下予定です。

    90 :

    乙乙

    91 :


    十二国記全く知らないけど黙々と集中して読んじゃう

    92 :

    ワハハのキャラ良いな

    93 = 55 :

    乙乙
    なるだけ紆余曲折なく導いてってください

    94 :

    すばらです

    95 :

    面白いね。続き期待

    96 :

    朝、いつもの時間に起きるのは習慣で。

    今日とて起床の時間になれば自然にぱちりと瞼は開く。

    見上げる先に映る天蓋は変わらぬ光景だったけれど、

    それを見上げている自分の心境は昨日までとは明らかに違った。

    起き上がるよりも、何かを動作するよりも先に……意識が一つの気配を探す。

    すぐにあの気配を確かに探し出し、安堵するかのよう口元は緩んだ。

    やはり夢ではなかった。

    そう確信を持ってから、上体を起き上がらせ寝台より両足を下ろす。

    と同時に、床が不自然に波打った。

    ズズズと床の平面より這い出すよう姿を現したのは 六ツ目の虎のような獣。

    その赤い毛並を揺らした体躯が自分の足元へと辿り着くと、頭を深く垂らした。

    『台輔、お呼びで』

    問われ、浅く頷く。

    「何も変わりはなかったか?」

    『はい、恙無く。ただ、ずっと気を張られているようで…眠りは浅かったよう感じました』

    話を聞きなるほどな、と相槌を打った。

    「それで、もう起きているのか。…すぐに向かう。お前は引き続き傍に侍り守れ。決して目を離すなよ」

    『御意』

    会話を終えた瞬間、赤い毛並を揺らす獣の体躯が再びズズズ、と堅いはずの床底へと消えて行く。

    獣の毛先一本、完全に消えてしまったのを確認してから徐に寝台より腰を上げた。

    これからはいつもの朝を送る動作でいい。

    まずはきちんと身嗜みを整えてから…御前に馳せ参じねばと考えていた。


    ■  ■  ■

    97 = 96 :

    咲が所在無さ気に広すぎる寝台の隅に腰を降ろしてから、どれくらいの時間が経っただろうか。

    商家で下働きをしていた頃の生活を体がよく覚えているから、日の出前に目は覚めてしまった。

    本来ならば他の下働き達と一緒に薪割りや水汲み等、朝の仕事をしている時間帯のはずだったが

    質の良い寝巻きを身に纏い、自分にしては広すぎる部屋に置かれた、

    これまた立派な寝台に腰掛けている現実はなんとも居た堪れない心地にさせた。

    何かしなければ、働かなければという概念はもはや染み付いてしまっていて。

    だけどそんな事をする必要がないと知らされたのは……つい昨日の事だったはずだ。

    朝になり、確かに夢から目覚めたはずだと思っていたが

    こうして立派過ぎる部屋にいる現状では、咲は未だ夢を見ているような心地でしかなった。

    下働きしていた頃は、仕事に追われ余計な事を考える暇もなかったのだが

    こうして一人、立派すぎる部屋に置かれているといらぬ事を考えてしまいそうだった。

    自分が王様とか、やっぱり夢なんじゃないかとか。勘違いだったんじゃないかとか。
     
    咲は落ち込みそうな思考に気付き、ハッと顔 を上げると振り切るようにぶんぶん頭を左右に振る。

    いけない、取り合えず体を動かそう。

    そうだ。いつものように掃除でもしてれば気が紛れるかもしれない。

    こんな立派な部屋なんだし、せめて自分が使わせてもらった礼も兼ねて拭き掃除や掃くぐらいはするべきだろう。

    そう決めると床に降り立ち、部屋の隅に雑巾や箒がないかを探す。

    だが、どこを見ても立派な調度品や細工が施された柱や壁が続いているだけで。

    引き出しを開けても同じようなものだった。

    98 :

    金曜になってすぐに続き書いてくれてありがたい
    楽しく読ませてもらってます

    99 = 96 :

    …なるほど、元々咲がいた粗末な共同部屋とは次元が違う。

    掃除用具なんてものを置くはずがないじゃないかと今更ながら気付き顔を赤くした。

    本当に、昨日までの自分の世界と余りに違いすぎて。

    今一度ため息を落とすと部屋の外へ向かおうとした。

    この部屋にないのならば、外の違う部屋にでもあるのかもしれない。

    咲は細かな細工が施された扉の前に立つと取っ手に手を掛け、それを押して外へ出ようとする。

    だが、自分が扉を押す途中……なぜか扉が自動的に外側へと開かれる。

    取っ手を持ったままだった咲の体は心構えもしていなかったから、

    自然、引かれた扉と一緒に一気に前へと引っ張られてしまった。

    あれ、と思った瞬間。

    頭上より静かな声が振ってくる。

    「何をしている」

    取っ手を持ったままに頭上を見上げると。

    開いた扉の間より、自分をじっと見下ろしている背の高い少女の姿がある。

    秀麗な容姿は出会った頃と変わらず……その紫色をした瞳を認識した瞬間。

    咲は先日に触れた、神獣の姿を鮮明に思い出していた。

    この片腕を伸ばし、解いた鬣の感触も良く覚えている。

    だから彼女へと返す言葉も忘れ、まじまじとその姿を見上げてしまった。

    だって、未だに信じられない。……こんな綺麗な人の、本来の姿があの神獣だという事実が。

    「主上」

    「………」

    「聞いているのか?」

    「……あ、私の事ですか?」

    自分の事を言われていると気付かなかった。

    だが、ここにいるのは咲と麒麟の少女だけで。

    そういえば昨日もそう呼ばれた気がしたけれど実感が沸かない。

    100 = 96 :

    ただ、先ほどからどうにも反応が薄い咲を不思議に思ったのだろう。

    見上げる先の紫の瞳が怪訝そうに揺れる。

    「貴方以外に誰がいる。なにより、他者など私が認めん」

    迷いない、強い口調の声。

    自分が言われた訳でもないのだが、慌てたように咲は手を掛けていた取っ手を離すと、

    「すみません」と声を上げ後ろへと下がった。

    怪訝な顔つきはそのままだったが、咲が下がった事を確認してから

    彼女は中途半端に開いたままの扉を完全に引き、そして咲を追うようにして室内へと足を踏み入れる。

    無意識に緊張した咲の喉がコクリ、と鳴る。

    はっきり言って、必要以上に緊張してしまうのは仕方ないと思う。

    だって、どう考えても眼前の少女と、自分とでは今まで生きてきた世界が違い過ぎるのだ。

    この立派過ぎる部屋に彼女は溶け込んで見えるけれど、

    それを眺めている咲はやはり場違いな気がしてならない。

    「………先ほどの」

    突如声を掛けられ「え?」と肩が震える。

    思わず言葉の途中で言い返してしまったからだろうか。眼前の少女の眉間に皺が寄った気がした。

    機嫌を損ねてしまったのかもしれないと、咲は焦るが。

    彼女はそんな自分を尻目に、言葉を続けた。

    「先ほどの問いに、まだ答えてもらっていない」

    「問い?」


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