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    元スレ菫「見つけた。貴方が私の王だ」咲「えっ」

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    201 :



    >>185
    塞ぐさん…

    202 :

    「純さんは、元は軍にいたんですか?」

    「ああ、首都州師の常備軍に。俺がなんで辞める事になったのかは面白い話でもねぇし、今の軍に未練もねぇから省くが」

    「ただ俺は平民出身で、この肩書きがある限りいくら頑張っても無駄足でしかないと分かった」

    「………軍も、内部の腐敗は濃いという事なんですね」

    「平たくいえばそうだな。…けど、これから変わっていくかもしれねぇとか少しは期待してる」

    「?どうして」

    「そりゃ。この国にも麒麟が選定した王が立っただろうが」

    「!!」

    「すでに底みたいな世界だからな。天意を受けた王が立って、この国が少しでも変わると期待してもバチは当らねぇ」

    なぁ?と、賛同を求められても咲はすぐにそうだと頷く事はできなかった。

    俯きながら搾り出すように声を吐き出した。

    「……王に、余り期待しない方がいいかもしれません」

    「咲?」

    「なぜならこの国で生きてきた癖に、この国の事を何も知らないから。…自分ひとりを囲む狭い世界で手一杯だったから」

    「民の苦労も、純さんのように軍の現状を憂う余裕もなかった」

    「………」

    咲の言葉を聞いて何を思ったのだろうか、純は押し黙った。

    そのまま二人分の足音だけが広い廊下に響いて消えていく。


    目的の場所まで辿りついた咲が 「ここです」と純を案内し終えると、彼女は「助かった」と素直に礼を述べる。

    ぐるりと周囲を見渡して……ここなら分かる、と続けて言った純に咲は安堵して微笑を浮かべた。

    203 = 202 :

    「では、私は用事がありますのでここで」

    そう咲が告げると純は分かったと頷く。

    だが咲が再び歩き出そうとする前に、彼女は淡々とした口調で言った。

    「お前が言っていた通り。軍の腐敗は濃いが、多分それはここ宮中でも同じだなと思った」

    「あの人は、それを俺に知って欲しくて宮中を見ろと言ったんだと思うし」

    「………純さん?」

    訝しく聞き返す咲だったけれど、そんな自分を知ってか知らずか純はただ言葉を続ける。

    「それとな。さっき初めて会ったばかりの咲に俺の気持ちを愚痴れたのは…多分、無意識であれお前が俺に近いと感じたから」

    「………」

    「このままである事に、納得はしてねぇだろ」

    王となった以上、この国をどうにか良くしたいとは思う。そのために咲はできる限りの事を努力しようとしていた。

    そうだ、と。純の言葉を聞いて咲は思い出している。

    「私は今、様々な事を学ばなければいけません。ここに来て日が浅いのは私も同じで。だけど貴方より私の方が、余程物を知らない」

    「だから…純さんがよければ後日、軍の事情をもっと詳しく教えて頂けませんか?」

    「夏官なのか、咲は?」

    ここにいる以上、どこかの官吏だとは思っていたが。そう尋ねてくる純の問いに苦笑を浮かべて咲は「そんなものです」と頷く。

    204 :

    待ってた。ほんとに毎週楽しみ

    205 = 202 :

    そんな咲を眺めていた純が、熟考するよう黙ったのは数秒の事だろう。

    見定めされているかなとは思うが。咲にしてみれば純から生の軍の様子を聞きたいと思ったのは本心だ。そこに裏心など無い。

    じっと純に見られていた自分を彼女なりにどうにか判断したようだ。浅く息を吐くと、純は頷いた。

    「…じゃあ、咲も宮中の事を俺に教えろ。それでお互い様、だろ?」

    純の言葉に咲は概視感を覚えて笑う。

    「ふふ、お互い様ですね」

    確かに、と。咲も了承の意を込め頷いてみせたのだった。

    「じゃあ。明後日、この時間にここで待ち合わせ。どうだ?」

    「分かりました」

    この時間帯ならば、執務も終わっているはずだ。

    必ず来ます、そう咲が言葉を返すと純はどこか楽しそうにして頷く。

    じゃあまたな。と軽く言い去っていくその背に咲も同じよう、再会の約束を投げ掛けたのだった。


    ■  ■  ■


    206 = 202 :

    その後、内殿の一室に智美の姿を見つけた咲が呼びかけると殊更驚かれた。

    なぜこんな所に一人でいるのかと智美らしく無く責めるように問われ、当初の心境を思い出して咲は答える。

    時間が経っても菫が来なかったので心配になって来てしまったと。

    それを聞いた智美は納得し難い表情を浮かべていたが……結局は大仰に溜息を吐いてそうでしたか、と頷いた。

    何も用事が無いと思っていた菫が自室より抜けていて、探すまでに時間が掛かってしまったのだと智美は言う。

    それを聞いていた咲は、密かに胸の内でほっと安堵していた。

    自分に呆れてあの半身がやってくるのが遅れた訳では無かったから。

    今ならば、菫は向かっているはずだと。だから一緒に部屋まで行きましょう、と智美が言う。

    手が離せない仕事があると言っていた彼女を再び拘束してしまうのは気が引けたので、

    一人で戻ります、という咲の言葉に今度こそ、智美は妥協をしなかった。

    これだけは譲れないという言葉に根負けした咲は智美に連れられて、元いた部屋に戻る。


    室内の窓辺に見覚えのある長身が佇んでいた。

    一歩部屋に足を踏み入れると、菫が今までにない眼光を滾らせ咲と智美とを睨み付けてくる。

    隠しもしない、その剣呑な雰囲気。

    「………」

    乾いてしまった喉を無理に潤すために、咲はゴクリと唾を飲み込んだ。

    207 = 202 :

    背後に控えていた智美が気楽な声で、じゃあ私は仕事に戻りますから、と。

    この室内に漂う冷たい空気を無視して、無常にもさっさと去って行ってしまった。

    結局残された咲は不機嫌な菫を目の前にして、続く言葉を全て忘れてしまいそうになっていた。

    何か言わなければ。そう悶々と悩んでいると、俯き加減になっていた咲の視界が突如翳る。

    怪訝に思い少しだけ顔を上げたら、いつの間にか窓辺に立っていた菫が至近距離まで近付いてきていた。

    じっと自分を見下ろすその瞳に、何か探られているような気がして少しの居心地の悪さを感じた。

    だから、それを紛らわすためにも掛け無しの勇気を持って咲は「あの」と声を掛けた。

    「菫さん、その……」

    たどたどしい咲の言葉を補うよう、菫は双眸を細めるとすぐに言葉を返してくる。

    「ああ。貴方は私に、何か言う事があるのではないか?」

    一瞬、言葉に詰まった咲だったけれど。

    彼女が今この部屋にいる理由を思い出し、慌てて声を上げる。

    「……ええ。あの、都合がよければ、これから書房で私の勉強を手伝ってくれないかと……」

    「…………」

    咲の言葉をを聞いた菫は、すぐに「いいだろう」と頷く。

    了承の仕草、当たり前だといわんばかりの半身の態度に、竦みそうになっていた咲の心は温かく緩んだ。

    よかった、と。そう咲が安堵の息をは吐こうとした直前、頭上より相変わらず淡々とした菫の声が振ってきた。

    208 = 202 :

    「その他に…」

    「……?」

    続く言葉を不思議に思った咲に、更に言葉は振ってくる。

    「その他にまだ……貴方は私に何か言う事があるのでは?」

    「他に、ですか?」

    意味深な菫の言葉。だがそれが咲の何を知りたくて、自分へと尋ねているのか検討が付かない。

    そして菫に言われて心中に生まれた困惑は、すぐに咲の表情に直結したのだと思う。

    続く言葉も無くそんな咲を見下ろしていた菫は暫くの後、徐に双眸を閉じると諦めたよう浅く首を左右に振った。

    「いや、いい。………私には言いたくないのだろう……」

    「…え?」

    菫の最後の言葉は、咲に伝えるというよりは自身だけに言い聞かせるような小声であったから、上手く咲には聞き取れなかった。

    咲は訝しく声を上げるが、眼前に立つ彼女はこの会話を終えるよう踵を返した瞬間だった。

    「行くぞ」

    その場に佇む咲に移動を促す言葉。

    不機嫌な様子は変わらないが、それでも先程彼女が言ってくれた通り、咲に付き合ってくれるという事なのだろう。

    よかった、そう思って慌ててその長身の後に咲は続こうとする。

    部屋の出入り口まで辿り着いていた菫が、追いかけてくる咲を見返してきて言った。

    「これだけは言っておく」

    「?」

    「貴方は自分の立場をもっとよく考えるべきだ。何かがあってからでは、全て遅い」

    「………」

    209 = 202 :

    足を止め、辿り着いた先の長身の見上げながら咲は思う。

    どこか苦しそうに顔を歪めているその姿を菫自身は気付いているのだろうか。

    ああ、もしかして……自惚れかもしれないけれど。

    自分が彼女にそんな感情を抱かせているのだとしたら、素直に申し訳なく思う。

    だから考えるよりも先に本能で。咲は菫に向かって深く頷いていた。

    それを見届けた菫の表情が、多少は緩んでくれた気がする。

    と、同時に。背後よりこの場には不自然な、水面に水が跳ねる音がした。

    不思議に思って咲は自然な動作で振り向こうとする。

    だがその前に菫の先を促す声に急かされ、結局背後より聞こえた音に対する疑問は掻き消えてしまった。

    菫は僅かに前を歩く咲の背を見て、ふと今までいた室内へと視線を巡らせる。

    自分達が出た事で無人になったそこには、いつの間にか六ツ目の獣がこちらに頭を垂れて鎮座していた。

    その自分の使令の姿を一瞥し、小声で菫は命じる。

    「相手の正体が分からんのが気になるが。凶行の影が見えたのなら構わん、排除しろ」

    『御意』

    更に深く頭を垂れたままに、その獣の姿が硬い床にできた水面の底に沈んでいく。

    それを見届ける前に。先を行く咲の後を追いかけるため、菫もその場より歩き出したのだった。


    ■  ■  ■


    210 = 202 :

    王として拙いながらも一日の執務を智美に手伝ってもらい、それらを終えてから自室に戻る日々。

    殆どはそれから自室にて書房より運び入れた書物を広げ読み耽っていたが。

    たまに、こっそり抜け出す時間ができた。

    純に出会えた事は本当に幸運だったと思う。

    宮中にいる官吏達とはまた違った視点での情報を、彼女は咲に与えてくれる。

    だから、その日も執務を終え自室に戻ってから抜け出した時の話だ。

    3度目ぐらいだったか、初め出会った頃に比べたらお互いに対して気安さを覚え始めた頃だった。


    「常備軍?」

    咲が疑問を口にすると、横に座る純は頷いて言葉を続ける。

    「ああ、首都や各州に駐屯する軍の事だな。例えばここ首都には禁軍左右中3軍と首都州師左右中3軍が常備している」

    「これらは王が直接指揮できる六師だ。軍の規模も一番大きい。また、各州にはそれぞれの余州師の軍がいる」

    「それも王が動かすんですか?」

    その問いに対して純は首を軽く左右に振る。

    咲が持ってきた揚げ菓子の最後を頬張り、咀嚼し終えると続きをゆっくり話す。

    「いいや、各州師はその州を治める州候が指揮する。んで、実際にできるかどうかは知らねぇが…」

    「国内の全ての州に在る州師軍を集めれば、王師に対抗できる数にはなると言われているな」

    純の話を興味深く聞いた咲は無意識に頷く。

    211 = 202 :

    つまり…天の采配というべきか、王が絶対的な軍事力を握る訳ではなく

    もしものために、民の側にも王に抵抗する術を与えているという事。

    確かに愚王の存在はいずれ天が許さぬだろうが…今までに読んだ歴史書にも書かれていたよう、

    すぐに王が退位する事にはなるまい。その過程で数多の民の血が流されるのだとしたら、

    もしものために王に対抗する術を民自身に与えたのも天という訳だ。

    客観的に見て面白いと思う。そこで咲はふと、考える。

    王ではなくて、一介の歴史学者にでもなれれば自分の性に随分と合っていただろうに。

    周囲の声など気にせず 、一日中本に埋もれて過去を考察する。

    考えるだけでも、心が躍るような気がした。

    「おい、咲」

    呼ばれ、現実に呼び戻される。

    声を辿って横を向くと、反応が薄い自分を訝し気に見下ろしている純の姿が見えた。

    その顔を見上げ、咲は「すみません」と苦笑を浮かべる。

    こうして付き合ってもらっている彼女に失礼な事をしたな、と返す言葉を脳内で探す。

    確か、彼女より基本的な軍の話を聞いていた。

    それを思い出したと同時に胸中に沸いてきた疑問を咲は伝える。

    「えっと…じゃあ。純さんは元々、首都州師の軍にいたんですよね?」

    「ああ。上官職になろうと思わなければ学が無くとも腕さえあればやっていけたからな。一応これでも卒長まで勤めてたんだぜ?」

    そこまで話を聞き、咲はきょとんとした表情になる。

    212 = 202 :

    だって、最近読んだ書籍の中に浅くではあるが軍組織の内容が説明されたものがあったから。

    「卒長といえば軍の中でも多くの部下を従える立場だと読みましたが。どうして軍を辞めてしまったんですか?」

    「素人考えで恐縮ですが…それなりの立場だったのなら色々と惜しい気がします」

    すると、見つめる先の純の表情が徐々に渋い顔へと変わっていく。

    暫く顔を歪めたまま無言を貫き通していた彼女は、ふと片腕を上げるとガシガシ頭を掻いてから観念したように答えた。

    「我慢できなくなったって事だな。まぁ、元々生きていく選択肢として軍属を選んだんだ」

    「事実、荒い仕事は性に合ってたけどよ。いかんせん木偶な上官との折り合いがつかなくて…」

    「………?」

    そこで彼女がどうして軍を辞めたのかを簡単に説明を受けた。

    上司からの理不尽な命令や、卒長としての部下や仲間に対する葛藤。

    それでも命令に従うか、それとも背くかを悩んだ挙句……結局は、仲間と軍を離れる事を選んだという彼女の話。

    だが、その話を聞きながら咲は愕然としている。

    「そんなの、純さんが悪い訳じゃないのに」

    思わず心に溜まった気持ちを口より吐き出す。それでも咲の胸中に芽生えた怒りが薄くなった訳ではない。

    筋が通ってないのは純のかつての上官の方だ。

    証拠も何も無かったという、純が庇った相手の犯した罪も定かではない。

    けれど軍属であれば筋の通ってない話でも上官より命じられれば従う他ないという事。

    理不尽だ、ならば一体誰が、どこで間違いを正すのだろう?

    213 = 202 :

    何気なく話をしていた純にしてみれば、咲のそんな反応は予想外だったのかもしれない。

    彼女は興味深そうに咲を見返している。そしてそれはすぐに苦笑へと変わっていた。

    「深く言い過ぎたな。咲が悩む事じゃねぇよ。もう終わった事だしな」

    「それに俺自身も我慢の限界だったから丁度よかったんだ。……でもよ」

    途中で言葉を途切った純は徐に腕を伸ばすと、くしゃりと隣に座る咲の髪の毛を掻き混ぜる。

    仕草は柔らかいもので、視界を揺らしながら咲は大人しく衝撃を享受していた。

    「いい奴だな、咲は」

    「え?」

    「いや、まぁ…怒ってくれてありがとう。ってのも、可笑しいか…だけど意外だな」

    「こんな所にいる役人なんて、もっと自分勝手で矜持の高い奴らばかりだと思ってた」

    「……それは、喜んでもいいんでしょうか」

    「俺にしてみれば安堵してるんだぜ?今まで見てきた官吏は相手をよく見もせず上から目線で物をいう奴が多かったし…あ、すまねぇ」

    言葉の途中に入る謝罪の声。多分彼女なりに言い過ぎたと感じたのだろう。

    咲へと伸ばしていた腕を戻しながらバツが悪そうに片眉を曲げている。

    だけど純の言った事は事実だ。だから咲は首を左右に振る。

    「いいえ、純さんは間違ってないと思います。実際苦しむ民よりも、私利私欲のため動いている官吏がいないとは言い切れない」

    「ほんと……何もできなくて、ごめんなさい」

    「ん?咲が謝る事じゃねぇよ。それにそんな中でもお前みたいに真面目な官吏もいるんだからな。安心した」

    214 = 202 :

    「新王も立ったしこの国も変わっていくだろうさ。…なぁ、主上ってどんな感じの人なんだよ?」

    「え?」

    突如、純に問われた内容に咲は口籠る。

    改めて隣に座る純を見上げると、その瞳には明らかに期待の色が浮かんでいた。無意識に咲の額に汗が滲む。

    「咲ならここの官吏として朝廷に出てるだろうし見たことあるよな。やっぱ威厳とかすげぇんだろ?」

    「い、威厳…?」

    思わず返す咲の言葉が震える。

    全く持って自分に備わってないだろう資質を問われ素直に落ち込みそうになったが、

    向けられる期待の眼差しに何かしらの返答をしなければなるまい。

    しかし、今この場で純に本当の事を話すのは躊躇われた。

    新王に期待を寄せる彼女の気持ちを壊したくなかった。

    「実は私もここには上がったばかりで。ま、まだ見習いの身なんです。だから朝廷に出廷できるのなんて先の話で……」

    声が揺れているのは心の不安が滲み出ているからだ。だけどそれは違う意味で純を納得させたようだった。

    咲の言葉を疑いもせずに純は「なんだ」と表情を緩める。

    「お前も新参者なのか、なら俺と一緒じゃねぇか」

    「…はい」

    「なら色々知らねぇのも仕方ねぇよな。まぁ可笑しいと思ったんだよ、初めてぶつかった時もすぐに謝ってくるし」

    「ここの官吏みたいに垢抜けてねぇ奴だなぁって」

    鋭い指摘に咲は笑みを浮かべながらも内心ヒヤリとしている。

    215 = 202 :

    纏うものが良くなっても自分の中身はまだそのままなのか、純の注意力が人一倍優れているのか。

    どちらにせよ、この話をこれ以上続けていればいらぬ事を言ってしまいそうだったし

    時間も時間だったのでその旨を咲は純に伝えた。

    純は疑いもせずに気安く頷くと、じゃあまたなと笑った。

    後日、また会う約束を交わして彼女とはそこで別れたのだった。



    人気のない通路を歩きながら咲は先ほど純に教えてもらった話の内容を思い出している。

    彼女がかつて在籍していたという軍の内情。

    出世するのも金次第で、私利私欲のために理不尽な命令をも強要される。

    王とか平民とか関係なく素直に怖いと感じた。

    なぜなら状況は変われど咲自身にも理不尽な境遇には身に覚えがあるからだ。

    今の純の話も、即位してから見てきた宮中も……そして、かつて自分が下働きとして働いていた商家も。

    結局全て同じではないか。理不尽に、筋が通らないと分かっていながら物事が進んでいってしまう。

    肌が粟立ったと同時に、再び自分の途方もない立場に気付き後れしそうになる。

    正せるだろうか、今でさえ周りからは何もできないだろうと見縊られているのに。

    自分に、今までこの国を蝕んできた歪みを正していく事が果たしてできるだろうか。

    216 = 202 :

    今回はここまでです。
    次はまた金曜日に投下予定です。

    218 :

    乙 また一週間が長いな

    219 :

    乙乙
    なんだっけ耳から入って思うように体動かせるようになる妖魔
    あいつこっそり憑けられれば怪しいやつの性根探るのに便利そう

    220 :

    菫さんより先に純くんと仲良くなってしまった
    もどかしい

    221 :


    咲さんわりと内気っぽいし菫さんは固いから時間かかりそうだね

    222 :

    そりゃ咲はあんな育ちで菫は使命があったからな、当然といえば当然

    223 :

    >>219
    賓満のことだろうけど菫さんが使役してるとは限らないからなんとも

    224 :

    咲は深く考え込んでいた。だから注意力は散漫になっていたのだろう。

    それでも続く通路を黙々と歩いていて、先の角を曲がった瞬間。

    突如として飛び出してくる人影が視界を掠めた。反射的に足を止めて咲はビクリと体躯を揺らす。

    眼前に飛び出してきた姿を認識する前に、ぶつからないために背後に下がろうとする。

    が、その前に眼前の姿は背後に下がろうとする咲の足元に飛び付き、平伏した。

    そのまま腕が伸びてきて下がろうとする咲を逃がさぬように服の裾を掴まれた。

    「!?」

    平伏しているせいで顔は見えないが、官吏特有の格好をした中年ぐらいの男性に見えた。

    咲には見覚えはなかったが、きっと朝廷に集まる多くの官吏の中の一人なのではと思う。

    「どうか、奏上する事をお許し下さい」

    「あの…」

    返す言葉が詰まる。

    迷いも無く咲へと飛びついてきた姿から想像するよう、この官吏はやはりここを通る咲を待ち伏せしていたのだろうか。

    とりあえず手を差し出しながら咲は上体を屈め、まずは顔を上げてくれと声を掛けようとした。

    だがその前に、足元に平伏する姿の声は続く。

    「ご察しの通り。御前を無作法に穢す行為は許されない事です」

    「ですが、どうしても主上に奏上したい旨がありまして…恥を偲んでお待ち申し上げておりました」

    225 = 224 :

    「私に、わざわざですか?」

    顔を伏せていてもその声や雰囲気で官吏の必死さが伝わってくるようで、思わず咲も続く彼の言葉に耳を傾ける。

    「私は夏官を務めておりますが、主上にお耳に入れたい事がございます」

    「保身のためかと思われるかもしれませんが、そうではなくて、これは…」

    声に必死さが増す。彼の話を聞きながら、夏官の役割を咲は思い出している。

    確か国府の中で軍や警備、土木事業を担う官吏だ。

    その官吏の中の一人がわざわざこんな宮中の奥まった場所で待ち伏せしてまで咲に話したい事とは一体何なのだろうか。

    途切れた官吏の言葉の先を咲は待つ。彼は意を決したように伏せていた頭を上げようとする。

    酷くやつれた顔が見えた。が、そのままに官吏の顔が不自然に上下に揺れた。「がっ、」と掠れた声がする。

    一瞬の事で、咲は何が起きたのか理解できなかった。

    いつの間にか、眼前の官吏は咲の服の裾を掴んだまま床に倒れ込んでいた。

    やつれた顔は再び伏せられ、倒れ込む背はピクリとも動かない。

    咲が呆然とその姿を見つめていると、更に長い柄の棒が何本か伸びてきて倒れ込む姿を抑えつける。

    官吏「ご無事ですか、主上」

    気が付くと何人かの守衛にこの場は囲まれていて、その中央を割ってまた咲には見知らぬ官吏が出てきた。

    気のせいでなければ、床に倒れ込む姿と似たような色の服装だったと思う。

    ただ、状況が目の前でどんどん変わっていく咲は状況が正確に把握できていなかった。

    突然意見を述べようと飛び出してきた官吏にも驚いていたが、その話を聞く前に突如として床に打ち倒されてしまったのだ。

    言葉を失った咲を前に、目の前の恰幅の良い官吏は守衛達に迷いなく指示を送る。

    226 = 224 :

    その光景を呆然と眺めていた咲が「あ」と声を上げたのは守衛に打ち倒された官吏がそのままに引き摺られていこうとしたからだ。

    彼は結局、何を咲に意見したかったのだろうか。

    それが気になったから思わず体躯が前屈みになるが…その動作を制するように、目の前の官吏が咲に向かって言った。

    官吏「御前をお騒がせしました、主上。お怪我はございませんか?」

    「え?はい、私は何も。ただあの人は大丈夫なんでしょうか?気を失っているようですが」

    その問いに、官吏は殊更丁寧に言葉を返してくる。

    官吏「主上が気に留める価値もない輩です。…間にあってよろしかった」

    「?間に合って、とは」

    咲が再び言葉を返した先で、官吏は改めて咲に拝礼すると身分を名乗る。

    官吏「王の身辺警護を纏めております射人でございます 。実は主上が即位してから宮中にはよからぬ噂が蔓延っていまして」

    官吏「主上に無理に取り入ろうとする、などと。……先ほどの輩も、その一味でございましょう」

    「………」

    官吏「主上を守るべき同じ夏官よりそのような輩が出た事、恥じればこそ返す言葉もございません。ですが詮議の程は責任を持って執り行います」

    恰幅の良い体躯が眼前で感極まったように震える。その迫力と切々とした声に咲は反射的に頷いた。

    事実、咲には彼の意見に反論する要素が何も無かった。

    守衛を引き連れた目の前の射人の役目として、それは慣例に従っているのだろうと思ったし。

    すると、拝礼より顔を上げた射人は先ほどとは撃って変わって人の良さそうな笑みを浮かべる。額が滲む汗で光っていた。

    官吏「お許し頂けて感謝の言葉もございません。…ただこうして直にお側に馳せる事ができたのは不幸中の幸いと申し上げましょう」

    そこまで射人が言って、咲もふと疑問が沸いた。

    227 = 224 :

    確かにその立場は王の身辺警護が役目ではあるが…目の前の官吏の姿を咲は見た記憶が無い。

    頭を傾げると、そんな自分の疑問を悟ったのだろう、射人は言葉を返してくる。

    官吏「直にお目にかかるのは初めててございます。私は確かに王の警護を任されておりますが…」

    官吏「主上は即語から今まで朝議以外は内宮に籠られておられました。射人と言えと、内宮の守備はまた勝手が違います」

    官吏「大僕がその役目かと存じますが、その前に台輔がきっと主上の事を考え何かと気をお配りになっていらっしゃったのでしょう」

    咲は目を見開く。射人の言葉を聞き、確かに自分は即位よりこの方内宮より外に出た記憶が無い事を思い出している。

    そういえば数日前に智美とて言っていたではないか。自分では気づかなかったが、無謀にも踏み込もうとした輩がいたと。

    王朝の初期は混乱が付き物で…先見の無い、馬鹿な奴らが凶行に走る事もあるでしょう、と。

    今にして思えば周囲で支えていてくれた官吏達は、あの半身である麒麟も含め自分よりも遥かに高い危機感を抱いていたに違いない。

    ならば今、飛び付き、進言しようとした官吏もその一人だった?

    ヒヤリとしたものが背筋を走る。気をつけろと言われていたのに無謀だったのは自分の方だ。

    ほっと息を吐いて、改めて眼前の射人を見返すと咲は礼を言った。

    「そうだったんですか。あの、助けてくれてありがとうございました」

    官吏「臣下として当然の事でございます。ささ、内殿までご案内致しましょう。どうぞこれよりは私の事もお見知りおき下さい」

    再び上げた顔には、人の良さそうな笑顔が浮かんでいた。

    釣られるように咲も微笑むと、もちろんです、と射人に言葉を返したのだった。


    ■  ■  ■

    228 = 224 :

    その日の夜に自室の片隅で燭台を灯し書物を読んでいると、控えめに扉が数回叩かれた。

    次いで「よろしいか?」と半身の麒麟の声が聞こえてきたので咲は驚いて顔を上げる。

    毎朝義務のよう咲の元へ顔を出してくる菫だが、こうして夜も遅くに突如としてやってくる事は今まで一度もなかった。

    咲は驚きより立ち直ると「どうぞ」と入室を促した。

    机の上に広げていた書物を綴じて、椅子より立ち上がるのと自室の扉が開くのとは同時だったと思う。

    振り向くと、開いた扉の隙間より菫がその身を滑らせて入ってくる所だった。

    そして、改めてこちらへと向き直った半身は待っていた自分と視線とが合うと軽く会釈をしてきた。

    反応する代わりに咲はぎこちなく笑う。


    情けない話だが未だに、半身であるはずの彼女との距離を掴めていない。

    智美のような第三者がいてくれれば多分、普通に話せているとは思うのだけれど。

    こうして一対一になると……緊張が表に出てきてしまい咲にしてみれば上手く話す事ができているか不安だった。

    「………」

    しかし、折角やってきてくれた彼女に対して自信がないからと無言を貫く訳にもいくまい。

    意を決して咲は声を掛ける。

    「こんな時間にどうしたんですか?」

    すると扉の前に立つ菫は、すぐに何かを言おうとして唇を開いた。が、またそれを閉じてしまう。

    「?」

    どこか言いにくそうな雰囲気。

    迷いの無い言動が常の菫にしては珍しいな、と思い咲は首を傾げる。

    でも多分こんな時間にわざわざやってくるのだから、なにか大切な話なのではないだろうか。

    229 = 224 :

    長くなるといけないし、まずは席を勧めようと咲は続けて菫に声を掛けた。

    「菫さん、まずは席に…」

    「今日」

    言葉の先を遮るよう聞こえてきた菫の固い声に、咲の言葉は不自然に途切れてしまった。

    「執務を終えてからどこに行っていた?」

    指摘され、咲はドキリとする。

    「………」

    そのまま思案したのは数秒。素直に事実を言えばよかったのだが、なぜか咲は言えなかった。

    多分彼女にこうして真正面から問われ、今更ながらに自分の今までの行動が軽薄だったのではないかと気付いたからだ。

    内緒で行動していた後ろめたさもあったし、その過程で会った純や射人にいらぬ迷惑を掛けたくもなかった。

    彼女らはいい人だし、何より素直に答えてこれ以上目の前に立つ菫より呆れられるのを恐れた。

    すぐに答えない咲をどう思ったのか、彼女は固い声のままに言葉を続ける。

    「様子を見にいったら留守だった」

    菫が訝し気に思っているのがその声からも伝わってくる。何か答えねば。

    「書房に」

    咄嗟に咲はそう言葉を返していた。すると今度は菫が押し黙る。

    咲の言葉の先を、真摯に待つ彼女の気配に後押しされる。

    「書房に書物を取りに行っていて……暫くしてすぐには戻ったんですが。いき違いになったのかもしれませんね」

    「………」

    230 = 224 :

    「それからはここにいたんですが、すみません」

    瞼を伏せて詫びる。

    視界が下がったから菫の様子は伺えなかったが、暫く経った後に微かに溜息を落とす彼女の気配を感じた。

    やはり呆れてしまったのだろうかと心が小さく痛んだ。

    「智美からも言われていただろう。今はまだ宮中も不安定なんだ、軽はずみな行動は控えるように、と」

    もう一度顔を伏せたままに咲は「すみません」と呟く。

    そして、思わず喉元まで競り上がってきた言葉を、続けて吐き出しそうになった。

    いつも必要以上に硬い空気を纏って硬い言葉を吐き出すしかない半身に、本当はずっと尋ねたかった。

    本当に、自分でよかったのかと。本当は後悔しているんじゃないのかと。

    こんな…何も知らぬ、できぬ王で。

    だからこうして言葉を交わす程に、失望感を抱いているのではないのかと。

    言葉も無く、溜息を落とすのはそのせいなんでしょう?そう聞きたい。

    けれど俯いたままに咲は唇を浅く噛み締める。吐き出そうとした言葉を寸全で飲み込んだ。

    だから、きっと目の前の菫から見れば咲は謝ってからずっと黙っていたようなものなので。

    必然的に、この沈黙を先に破ったのは彼女の方だった。

    相変わらず硬い声のまま「分かっているのなら、いい」とだけ短く言う。

    咲は伏せていた顔を恐る恐る上げる。

    目の前には、閉めた扉の前から少しも動いてない菫の姿がある。

    相変わらず眉間には皺がより険しい表情を浮かべていた。ただ紫の瞳がじっと咲を見下ろしていて、

    顔を上げた咲の視線とが自然に合うと、彼女はそれを待っていたかのように咲を呼んだ。

    231 = 224 :

    「主上」

    未だに自分がそう呼ばれる立場に慣れない。

    他人よりも、彼女からは特別にそう思う。だから呼びかけに対して反応は鈍かった。

    それでもたっぷりの時間を掛けて「はい」と咲は返事をする。

    「私に何か伝えねばならぬ事があるのではないか?」

    その言葉に既視感を覚えた。……前にも言われたような気がする。

    ただそれを思い出す前に、彼女の言葉の硬さが消えているのを不思議に思った。

    どこか見透かされるようじっと見つめられているのに多少の居心地の悪さを感じる。

    きっと今、嘘をついたばかりだからだ。

    動揺を悟られないよう咲はゆるりと首を左右に振る。

    だって今更言えるはずもない。彼女にこれ以上失望されたくはないから。

    心の中でごめんなさいと言って。現実では「何も、ないです」と。

    そう静かに言葉を返していた。

    目の前の菫は「そうか」と言い、何かを考えるように顔を伏せてしまったのだった。


    ■  ■  ■

    232 = 224 :

    智美「で。それで大人しく引き返してきたのか」

    「…………うるさい」

    智美「いやいやいや、言わなきゃ駄目な事だろ。なんで菫ちんは変な所で押しが弱いんだ」

    声を上げる智美から逃げるよう菫は顔を背けてしまう。

    だって、そんな事を改めて他人より言われぬとも自分自身で痛いほど理解している。

    けれど主人が言いたくないというのに、どうして、しもべである自分が無理強いできるか。

    顔を顰めながら情けない言い訳を必死に考えている。

    だが、本当は智美が声を上げている事は正しい言い分なのだと理解していた。

    顔を背けてしまった自分を立ち上がって見降ろしている智美は、同じように顔を顰めた。

    智美「信頼できる人間だけを近づけていたはずだ」

    智美「だけど昨日、わざとらしく菫ちんを訪ねてきた奴が何を言ったのか忘れてないだろ」

    そう指摘された事を菫とて忘れる訳が無い。



    一日の仕事を終え、明日の支度すら終えてから執務室より退室しようとしていた頃。

    その時は丁度良く、一日の報告をしに智美もいたから彼女も一緒に迎える事になった。

    そんな時間の来訪者を互いに訝しく思ったのを覚えている。

    やってきたのは一人の官吏だった。確か夏官の格好をして随分と恰幅の良い男だったと思う。

    迎えた菫には見覚えが無かったが、側に控えていた智美の顔色が変わった事には気付いた。

    だが、彼女は自分が口を挟むのは場違いだと理解しているから何も言わない。

    そのまま深々と頭を垂れた官吏が言ったのは別に特別な事でもなんでもない。

    233 = 224 :

    ただの挨拶みたいなもので、菫の立場であればこういった歯の浮くような媚を込めた台詞を言われた事など幾度もある。

    ただ台輔である自に顔を覚えてもらいたいだけできたのか…まったく逆効果である。

    辟易したが、それでさっさと話が終わるのならば下手に場を荒立てる必要もないと菫は判断した。

    早く終わらせるために適当に相槌を打っていたが、変わり映えもしない挨拶も終わりに近づいたと思われる頃。

    突然に官吏はこんな事を言ったのだ。

    官吏「主上にはお会いしましたが、本当に良き王を選んで下さった。私のような者にも気さくに言葉を交わして頂けました」

    官吏「ですので、是非とも台輔には突然無礼とは思いましたがどうしても御礼を申し上げたくて」

    目の前で垂れる頭を胡乱気に見下ろしていた菫の瞳が驚きから大きく見開かれた。

    待て、今こいつは何と言った。

    思わず側で控える智美に顔を向ける。

    彼女は相変わらず強張った表情のままで、顔を向けた自分と視線とが合うと浅く首を左右に振った。

    智美にとっても預り知らぬという仕草、ただ、彼女は声の音は出さず唇だけを動かして言う。

    智美(すぐに確認する)

    それに対して果たして自分はきちんと頷けただろうか。

    だが気付いたら今一度正面に向き直っていて。目の前の恰幅の良い官吏も言い終えた頭を上げた瞬間だった。

    腰を低くしたままに、額に汗を浮かべながら官吏は言う。

    官吏「今日はまずはご挨拶までに。どうかこれからも主上共々、お見知りおき下さい」

    そう言って、反応の薄い自分に対して深々とお辞儀をしてから官吏は退室していった。

    234 = 224 :

    その姿が消えていったのを確認してから無意識に菫は主の気配を辿っていた。

    そして瞬時に、いつものよう自室のいる気配を確かに感じ取る。

    少しだけ動揺が薄れた。………だが少し前までの事は分からない。

    どうする、あの人に付けている使令を呼び戻すべきか。

    いや、今不確定な話も聞いたばかりでもあるから、主人を守っているはずの使令を引き離すのは躊躇われた。

    智美「菫ちん、さっき伝えた通り。まずは状況を確認してくる」

    押し黙ってしまった自分の前を早足で横切りながら智美が言い放つ。

    だから軽はずみな行動はするなよ、と釘を刺されて…ようやく自らが酷く思い詰めている事に気付いた。


    智美が退室し、その扉が閉まる音が響いて思考は冷静さを取り戻す。

    一人残された部屋の中で徐に利き手を上げて手の平で顔半分を覆い、重い息を吐いた。

    そして今一度、主の気配を辿る。

    「………」

    大丈夫、確かに存在する事を確認してほっとした。

    自分をここまで揺れ動かすのは真実、主であるあの人しかあるまい。

    その事を菫とて、こうして直に思い知っている。

    ただ何も知らぬ他者より無遠慮にあの人の事を言われただけでこの様だ。

    とりあえずは辿れば感じ取れる気配に今は安堵している。

    だけど、あの人には信頼のおける者しか側に近づけなかったはずだ。

    だから智美も側で話を聞いていて顔を強張らせていた。

    自分たちの知らぬ瞬間に、顔を合わせていたという事なのか?

    235 = 224 :

    だが冷静になってあの官吏の話を思い出してみても、多分以前からという訳ではない。

    それに言っていた話が真実かどうかも分からないではないか。

    ならば攪乱?だとしたら何のために…

    悶々と色々な可能性を考えていたら結構な時間が経っていたらしい。

    窓から差し込む光は随分と弱まっている。そんな中で部屋の片隅にある燭台に明かりが灯るのに気付いた。

    思考の渦に嵌っていた意識を現実へと戻す。

    灯された明かりを辿るように視線を向けると、いつの間にか智美が戻ってきていた。

    照らされるその横顔は……残念ながら、先ほどこの部屋を出て行った時と同じく強張ったままだ。


    智美「確認してきた」

    そう開口一番に智美が言うには、あの官吏が言っていた通り。

    以前からの事ではなく今日の出来事だという。

    朝からは執務もあるし、菫の主が智美と一緒にいたのは智美本人からも確認済だ。

    ならばその執務が終えた後という事なのだろう。

    騒ぎがあったのは確かで、起こった時間も執務が終えてからと考えれば辻褄が合う。

    どこで何があったのかまでは確認できなかった。なぜなら騒ぎを収めたのが夏官達で詳しく話すのを渋ったからだ。

    それでも結果として、彼らが騒ぎを内密で収めて、巻き込まれた主を内殿まで無事に送り届けてくれたという話だから

    感謝こそすれ、無理に聞き出す事もできなかったという。

    236 = 224 :

    ただ、そこまで聞けば不安を抱くのは仕方ない。内殿まで送り届けたという事を考えれば。

    「………外宮に行ったのか」

    呆然と呟いた菫に対して、智美は数秒考えてから言い返す。

    智美「多分。…どうしてわざわざ内宮より外に行く必要があったのか」

    それが分からない、と智美は呟く。

    智美「まだ短い付き合いでしかないけど。主上は決して愚かな人じゃない」

    智美「自分の欠点を知って、それを克服しようとする人が愚鈍であるはずが無い。それでも外に行く用があったというのならば」

    不自然に智美の声が途切れる。

    「……あったというのなら、なんだ。まさか、また逃げようとか」

    問い掛ける菫の語尾は自然に荒くなる。

    そんな菫の言葉に対して智美は首を左右に振って、それは無いと断言する。

    だって、今でも書房から書物を持ち返り徹夜を続けている人が今更逃げ出す算段をしていたとは到底考えられない。

    けれどそのまま思案気に智美は顎に手を当てて呟く。

    智美「まぁ、……誰かに会いに行ったと考えるのが妥当かな」

    「誰に」

    即聞き返してくる菫に対して、落ち着けと智美はなだめる。

    智美「私が知るはずないだろ。……それを確認するのは、菫ちんの役目だろう?」

    「ぬ…」

    237 = 224 :

    突然、矛先が自らに向いた事に対して菫は怪訝な表情を浮かべた。

    当たり前だろう、と言わんばかりに智美は頷いた。そして外の暗さを指差しながら彼女は言う。

    智美「時間も時間だし。事前に謁見を申し入れてもないのに一官吏である私が出向くのはさすがにまずいからな」

    智美「その点、菫ちんはきちんと立場もある。仁重殿のここから正寝までもいけるだろ?」

    智美「守衛や官吏に見つかったって王の半身である麒麟なら納得するだろうし」

    「…だ、だが」

    明らかに狼狽している菫を見て、智美は呆れを滲ませた。

    智美「おいおい、こんな時まで“自分は嫌われているから行けない、訊けるはずがない”とか情けない事言わないよな」

    的確な指摘に思わず菫は渋面になる。図星という仕草。

    ただ、それを見返す智美は「誤解、まだ解けてないのか」と呟くと片腕を上げて頭を掻いた。

    そのまま押し黙る事数秒。再び唇を開いた彼女は、どこか言葉を探すように慎重にそれを菫へと吐き出す。

    智美「……王と、麒麟の問題だ。一臣下の私如きに図れない部分もあるのかもしれない。けどな…」

    智美「これから一生付き合っていくんだ。この国のためにも、こんな状態のままじゃいけないって事ぐらい分かっるてんだろ」

    「……っ」

    智美の言葉が痛い程正論であると分かっているから反論できない。

    燭台の明かりにだけ照らされた彼女の顔に冷たいものが陰ったような気がした。

    智美「台輔」

    そう呼ばれる時、いつもは明るい彼女が柄にもなく真剣になる時なのだと菫は知っている。

    238 = 224 :

    だから、その先を聞きたくないと思ったのは菫の本能だ。

    智美は菫にとって、とても恐ろしい事を言おうとしている。

    智美「私は一臣下だ、この国の」

    「………」

    智美「だからこの国の行く末をまずは憂う。なぁ台輔。麒麟としてのあんたが駄目だと言うのなら……」

    智美「あの人を諦めて、あんたは次の王を探すのか?」

    冷たく突き放すよう言われた言葉に心が掻き乱される。

    カッと胸の内が熱くなるのが分かった。

    深く思考するよりも胸中に耐え難い拒絶感で溢れる。瞬時に朱に染まった顔面を菫は歪めた。

    慈悲の獣のはずの彼女がそんな本性をかなぐり捨てて、菫は激高した。

    「ふ、ざけるな!!」

    眩暈がした。怒りに似た衝動に突き動かされ、続けて吐き出す言葉に迷いすらない。

    「私の主はあの方だけだ!主上が…あの時私に許す、と言ったから!他になんて、考えない、絶対にっ!」 

    認めない、と。そう思った瞬間、ようやく菫自身も理解した。

    例え後に冗談だと言われても、絶対に許容できない一線がそこにはあった。

    智美は珍しくも激昂する菫をじっと見返している。

    いや、こうして感情を酷く顕わにする菫の姿を見るのはこれで2回目だったか。

    確か最初は彼女が無断で連れて来た王である少女が高熱で寝込んでいる時だった。

    あの時も、暴れ出した彼女をなだめるのに苦労した。

    239 = 224 :

    いつの時も毅然として感情の起伏が薄いはずの彼女は、唯一王に関する事柄にだけは感情豊かに反応してくれる。

    智美から見ればとても分かりやすい。

    ただ智美にしてみれば菫の本心がやっとで聞けたから。冷たく纏っていた空気を緩めると苦笑を浮かべた。

    智美「それを聞いて安心した。じゃあ大丈夫だよな?」

    目の前の菫にしてみれば、溜まった怒りの矛先を智美に挫かれたようなものだったらしい。

    怒鳴ろうとしていた口を開いたままに「は?」と間抜けな声を上げる。

    智美「ワハハ。その調子で今日何があったのかを詳しく聞いてくるといいぞ」

    智美「ついでに互いの遠慮からくる誤解が解ければ、菫ちんにしてみればほんと上出来上出来。がんばれー」

    そこまで言われた菫は、ようやく智美の思惑を正確に理解した。

    「……っ!!」

    結局、菫は何も言い返せずに言葉を飲み込む。

    智美は言いたい事は言い切ったと大きく息を吐いた。

    智美「それじゃそろそろ自分の溜まってる仕事を捌きに戻るな」

    そう言って、自分に乗せられて固まったままの菫を見上げるとワハハと笑って告げる。

    智美「明日一番に結果聞きにくるからな。微力ながら菫ちんの分かり難い健気さが主上に伝わるよう天帝に祈っておくよ」

    「…………!!」

    駄目押しだ。菫がもはや決めた事を反故しないだろうという事は分かっていたが、強く背を押すぐらいの事はしてもいいだろう。

    これから自分には徹夜の仕事が待っているが…それでも少しの希望を持って事に当たれそうだ。

    やれやれ、と凝った肩を鳴らしながら智美は菫の部屋を後にする。

    外に出て扉を閉めるまでに結局、彼女より返ってくる声は無かったが。

    扉を閉める瞬間、観念したよう瞼を伏せる姿が見えて、智美はたまらず苦笑を浮かべたのだった。

    240 = 224 :



    つい昨夜の出来事を思い出しながら目元に出来た隈を強く擦る。

    溜まった書類に埋もれながら、それでも頭の片隅には王と麒麟の事を気にしていたと思う。

    どちらも性格は違えども、素直で真面目だ。

    その事を天帝に感謝こそすれど、残念に思った事など一度もない。

    だから智美の視点からすれば彼女らの仲違いなんて些細な擦れ違いにしか見えなかった。ただ深く話し合えばいいだけだ。

    これで少しは歩み寄れるだろう、と智美なりに思っていたのだが。

    額を手の平で覆いながら低く呻く。

    どうやら擦れ違いは智美が思う以上に大きかったという事なのだろうか。自分の読みもまだまだと浅く息を吐いた。

    ただ約束通り菫の所に結果を聞きにきて、残念ながら彼女が主人に対して深く原因を聞いてこれなかったという事は理解した。

    ついでに仲直りというか、歩み寄りも不発に終わったと。

    後者は平和な時ならば、微笑ましく智美なりに精いっぱいからかいを持って見守ってやりたいと思っていたが

    今の足元の不安定な状況ではそうしてやることもできない。

    塞達や、 昨日の騒ぎの件も不安要素として智美の頭の中には残っている。

    まだ塞達の方は対等だと思っているが、昨日の騒ぎは何か嫌な予感がしていた。

    詳しく内容も分からず結果として外に借りができたようなものだし。

    本当に……今更言っても仕方ない事だが、王と麒麟の間がもっと親密であればこうも悩んでいないと思う。

    取りあえず結果が芳しくなかった事をいつまでも責める訳にはいかないだろう。

    それに真面目な菫の事だ、きっと智美が思う以上に後悔しているに違いない。

    ならば自分が今日の執務の間にでも、主上にそれとなく聞いてみようかなと智美が思った矢先。

    目の前で顔を背けていた菫より「待て」と短い言葉で呼び止められた。

    241 = 224 :

    先程までの不機嫌さが消え、明らかな声質の違いに気付き智美は訝しく思う。

    見上げてくる視線には真剣さが感じられて智美はますます不思議に思った。

    「私がやる」

    智美は目をぱちくりと瞬きさせて「え?」と聞き返す。

    「今日からお前に代わって、私が主上の側に付く。……すまなかったな、今まで無理を言って」

    智美「え、いや……菫ちん?」

    意味が分からず怪訝な表情を浮かべていると、彼女の声は続く。

    「お前は今日から自分の仕事をしろ。主上の執務の際の補佐は私がやると言っている、終わってからの送り届けもな」

    智美「え、いいのか?でも菫ちんの台輔としての仕事だって」

    「仕事はお前よりは溜まって無い。それに今日の分とて昨日の内にある程度終わらせている」

    腰を降ろしていた椅子より立ち上がると机をぐるりと回り込み、置かれた棚の上にある紙の束を手に取った。

    「昨日、忘れていっただろう?」

    紙の束を掲げながら智美に向き直り、菫は言う。それを注視した智美は「あ」と声を上げた。

    すっかり忘れていたが、菫が持っているのは主上との執務の際に必要な資料や書類やらだ。

    いつもは持ち帰って添削や明日の纏めなどやっていたのだが。昨日は自分の仕事に手いっぱいですっかり忘れてしまっていた。

    それを持った菫は、これに一通り目は通しておいたから引き続き智美に代わって執務の補佐もできるだろう、と言葉を結ぶ。

    明らかに昨日とは打って変わった菫の姿に智美は困惑を深めるしかない。

    智美「………どうしたんだ?菫ちん。それに、昨日駄目だったのに、いいのか?」

    王の補佐をするという事だろう?それは、昨日菫が会いに行って歩み寄りができなった主の事なのに。

    だから少し前まで彼女は不機嫌そうに顔を歪めていたはずなのに。 

    242 = 224 :

    見つめる先の菫は手に持っていた紙の束を再び棚の上に置くと、俯いたままの姿で答える。

    「……昨日、主上と向き合っている時に。お前に言われた言葉を思い出していたんだ」

    「これからずっと付き合っていくのだろう、と。それか諦めて次を探すのか、と」

    昨夜は勢いもあってつい言ってしまったが、今になって考えてみれば麒麟に対して随分と失礼な事を言ってしまったなと思う。

    謝った方がいいかな~と智美が反省していると、菫の硬い声が続いた。

    「ごめんだ、と思った」

    智美「…菫ちん?」

    「私は確かに神獣だが、人並みの感情だって持っている。やはり、昨日お前に怒鳴り返した時と同じ気持ちが滲んだ」

    「あの方を探し出すまでの辛さをもう一度味わえと言われたら、ごめんだとしか言えん。次の王など次の麒麟に任せる」

    智美「…………」

    「なら、私には一つしか選択肢が無い。あの方とこれから付き合っていく方を選ぶ」

    「そう思ったらな、昨日あの時に。視線を合わせて向き合う事すらできない現状に酷く後悔したんだ」

    「本当の事を言ってくれなかったとしても、あの方に言えないと思わせてしまった私が悪いのだと」

    そう気付いたから。菫は俯いていた顔を上げる。

    気のせいでなければ菫はどこか吹っ切れているように見えた。

    事実、彼女の纏う空気に昨日まであった迷いが確かに薄れている。

    智美「………」

    243 = 224 :

    どうやら昨日の彼女らの接触は失敗だけだったというわけでもないらしい。

    あの菫の考えが、変化するぐらいに。

    そして智美にしてみればそれは嬉しい誤算だと言える。

    智美「本当に、任せてもいいんだな?」

    「ああ、一度決めたからには迷わん。それに私は王気も辿れるからな、探って見守るならやはり私の方が適任だろう」

    智美「…ああ、なるほど」

    麒麟である彼女は、王である少女の居場所を辿る事ができる。

    智美「なら私は仕事の合間に昨日の騒ぎをもう少し詳しく調べるよ。昨日恩着せがましく菫ちんに言いに来た奴、あいつの事も」

    「頼む」

    返ってきた菫の声に気持ちが後押しされる気がした。

    頷くと智美はゆっくり踵を返す。

    眠気はいつの間にか消えていて、代わりに思い出したかのように体は空腹を訴えていた。

    そういえば昨日も色々あったからまともに食べていない。そして智美には今日とてやることはたくさんあるのだ。

    ああ、朝はしっかり食べてから動き出さなくちゃな、と。

    当たり前の事を考えながら、智美は菫の部屋を後にしたのだった。


    ■  ■  ■


    244 = 224 :

    今回はここまでです。
    次はまた金曜日に投下予定です。

    245 :


    もう少しでよからぬことになりそうだったな

    246 :

    乙です
    早く誤解が解けるといいな

    247 :

    乙 智美ちゃん苦労人だなぁ

    248 :

    完結まで何年ぐらい掛かるんだろう

    249 :

    おつー
    やっぱ一筋縄にはいかないねえ

    250 :


    ほんと毎回おもしろい


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