元スレ菫「見つけた。貴方が私の王だ」咲「えっ」
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551 = 338 :
それでも刀身を構えるための姿勢は変わらなかったと思う。
敵を排除するために戦う、それが不動の姿勢だったから。
でも今の自分は少しだけ違う。
戦うべき相手はいる、それは変わりない。
けれど……もう一つ目的が増えた。
今の純には、相手と対峙する以外に、こうやって何かを守るために刀身を構えている。
先ほど自分を頼って掴まれた感覚が新鮮だった。
だからなのか。命令を完遂するために黙々と刀身を振り上げてきた過去とは違って、
純ははじめて自分を頼ってくれる存在を自分の意志で守ろうとしている。
明確な目的だ。切り捨てるだけだった過去と比べ、余程意義のある行為に思えた。
なるほど、こんな立場も悪くないのかもしれない。
無意識に片方の口角が吊り上がった。
見る人が見れば、刀身を構えての表情は凶悪に見えただろう。
と、純は前方より新たに迫る気配を感じ取る。
ちらりと視線を一直線に走らせた。
建物までの道筋に目星は付けた。
今向かってくる兵士を含め、4人は退けねばならない。
怒号と共に迫ってくる兵士を迎え討つために、純は刀身を軽く振る。
552 :
何これ
咲-Saki-キャラ使う意味あんの?
てか不人気サイコパスリンシャンモブ不細工畜生出すなよ
553 = 338 :
ふと、純達をここに連れて来た塞の言葉が蘇ってくる。
彼女は自分と誠子にここでやってもらいたい事があるのだと言っていた。
それが何なのか……今、純は正確に理解した。
この瞬間が仕事始めだろうという事も。
殺気を乗せて繰り出された刃を弾くために、純は躊躇いもなく前へと踏み込んだ。
刃同士が交差して起こる鈍い音。
人を担いでいるから力が分散している事は分かっている。
相手の息の根は止めなくてもいい、最低限、動けなくすればそれでいいのだ。
駆け抜けながら1人、2人、3人と順調に対峙する相手を切り伏せ、進むべき前方より退けていく。
庇う事になるから大小の傷は負ったが、それでも走る分には支障はない。
建物はすぐそこだ。前方には兵士が1人立ち向かうように剣を構えている。
だがその後ろからもう一人の兵士が出てくる姿が見えた。
身軽であれば関係ないが、今は守らなければいけない存在がいる。
複数を同時に相手するのは厄介だが、それでも退く訳にはいかない。
後ろの兵士も剣を構え向かってこようとするのが見えた。
純は覚悟を決めて、踏み込む地面の堅さを確かめる。
初動が肝心だ。勢いをつけて、まずは前方にいる兵士を切り捨てる。
地を蹴って刀身を繰り出そうとした。
554 = 338 :
が、突如呻き声が響いた。
微かに目を見開く。なぜなら純はまだ刃を交えてさえいなかった。
けれど聞こえてきた声は確かに前からだ。
向かってくる兵士に変化は無かった。
だから流れとして近付いてきた兵士から振り下ろされる刀身を、自分のそれで受け止める。
衝撃で体が揺れた。
その鬩ぎ合う視界の向こうで、新たに現れたはずの兵士が不自然に地面へと倒れ込むのが見えた。
あれ?と思うのと同時に、純にしてれみば馴染み深い声がした。
地面に倒れ込んだ兵士の背に突き刺さった刃を、緩慢な動作で抜き取る姿。
誠子「あ~、やっちまった。まぁ、いいか」
純「いいに決まってんだろうが!」
こいつらみんな自業自得だと、鬩ぎ合う刀身を万全では無い力で支えながら純は怒鳴り声を上げる。
純「誠子ぉ!感慨深く呟いてんじゃねぇ!さっさとこいつもどうにかしろ!!」
その声にへいへい、と呟きながらも誠子は俊敏な動きで倒れた兵士を飛び越えてきて残りの兵士を切り倒した。
呻き声を上げて眼前より兵士の姿が消えると、純の力んでいた腕もやっとで解放された。
555 = 338 :
今更ながら、ぜいぜいと肩を大きく揺らして呼吸を整えようとする自分の現状にも気付く。
がむしゃらに行動している時は気にはならないが、純の姿はそれなりに満身創痍に見えるだろう。
兵士を切り捨ててやってきた誠子も珍しい姿の純を眺めながら言う。
誠子「なんだよ純、一人で戦争にでも行ってきたのか?水臭いな」
純「……テメェが遅ぇから、こんな様になったんだよ。ふざけんな」
純「何が悲しくてたった一人で十数人を相手する羽目になったと思ってんだ、あ?」
純は怒気を滾らせて吐き捨てる。
その尋常じゃない様子が誠子にも伝わったのか。
一転、彼女は口早に言い返してきた。
誠子「待て待て、元はと言えば純がブチ切れて相手を半殺しにしてしまったから私がその後始末をしてたんだろうが」
誠子「可哀想に、一人は肋骨逝ってしまってるし、一人は顎の骨が砕けてる。あれじゃあ一人で飯も食えないぞ」
純「チッ、なら息の根を止めておくべきだったか」
誠子「お前の場合、冗談に聞こえないぞ。……で、その子が塞が言ってた子か?」
誠子との気安い会話の過程で、当然の如く指摘をされて純は端と気付く。
慌てて身を屈ませると誠子に向かって「手伝え」と言った。
556 = 338 :
随分と無理をさせていたと思う。
純は担いでいた体躯を肩から降ろした。
と、彼女は一人で地面に立つ事ができなかったようで、ぐらりと揺れた。
必然的に反対側にいた誠子が抱き留めてくれたお陰で大事には至らなかったが。
誠子は少女を見下ろしながら「随分と、線が細い子だな」と言う。
初見ならばそう感じるだろう、純もそう思う。
でも、その言葉に賛同する以前に純からは血の気が引いて青白くなったその顔がありありと見えた。
朱色の瞳も閉じた瞼の奥に消えていて、額には脂汗が浮いている。
…どう見ても、苦しそうでしかない。
誠子「止血する暇もなかったのか?」
肩から胸の当りまで走る赤い筋を見て、誠子が聞いてくる。
純は顔を歪めながらも頷いた。
いかんせん多勢に無勢だ。
純「担いで逃げるのが精一杯だった」
そう苦々しく純が吐き捨てると、見計らったかのように背後が再び騒がしくなった。
複数の足音に、武具が無骨に鳴り響く音。
身軽になった体躯を延ばし、純は振り向き様に言う。
純「丁寧に扱えよ。テメェが言ってた安泰が欲しいってんなら……そいつ次第だからな」
純のその言葉を受けても誠子はまだ理解できていないという感じだったが、
それでも向かってくる殺気からは逃げるべきだと判断できたようだ。
557 = 338 :
誠子は片手に握っていた剣を器用に鞘へと仕舞う。
と、両腕で支えていた少女の体躯を抱き上げた。
そのまま走る体勢で純へと言う。
誠子「しんがりは任せた。取りあえず安全な所まで行って、この子の手当てをしないと」
その提案に異論は無い。
応、と返事をして純は手に握る刀身を振る。
先程まで乱れていた息は大分落ち着いてきた。
怒声が響く、振り向いた先に血走った目をした顔が幾つも見えた。
待てとか、貴様らどういうつもりだとか、その方を渡せ、とか。
純「こいつら何トチ狂った事言ってんだ」
あんなに殺気立っている奴らに、知り合いの少女を渡すほど人間捨てていないつもりだ。
ただ向かってくる奴らの中で、特に狂気染みた奴がいるのに気付く。
周りの兵士の姿とも違う、何かに押し潰されてよれよれになった官吏服の男の顔が憤怒で歪んでいた。
誠子「おお、怖い。ありゃもう半分イッちまってるな」
駆け出しながら誠子が言う。その後ろを追い掛けながら純も付け加えた。
純「奴らからすれば破滅だ。いい気味じゃねぇか、どうせ今まで散々美味しい思いしてきたんだろうし」
背後から執拗に追い掛けてくる奴らに向かって吐き捨てる。
せいぜい、苦しんで破滅しろ、と。
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誠子「……?」
走りながら誠子は違和感を覚える。
建物の中に引き返し、突き進む先の通路に人影は見当たらない。
可笑しい、純の助太刀に向かう途中で見かけた守備兵や官吏に騒ぎ事を伝えてきたはずなのだが。
走りながら首を傾げると、丁度眼下から咳き込む声が聞こえた。
下を向くと誠子が成り行きとして抱えていた少女が薄ら瞼を開いている。
彼女は揺れる周囲を見渡すと、抱えている誠子に気付いたのか見上げてきた。
朱色の瞳と視線が合う。
大きな瞳は潤んでいる。傷のせいで熱が出てきたのかもしれない。
ただその姿を見て、誠子はやはり線の細い子だなという印象を再認識した。
なぜこんな騒動に巻き込まれているのか知らないが、不憫だなと思う。
少女は初対面の誠子を見やって微かに怯えた表情を浮かべた。
その反応にああ、そうだろうなと納得したから誠子は気安く声を掛ける。
誠子「心配しなくていい。私は純の仲間みたいなものだ。君、傷は大丈夫?」
純の名前を出すと、その表情に浮かんでいた怯えが消えた。
ほっと息を吐き、狭い中でもぎこちなく腕を上げると誠子が指摘した箇所を覆う。
頷いて「はい」と返ってきた声が意外にもしっかりしていて誠子は少しだけ驚いた。
もっとか弱く、震えているかと想像していたのだが。
返ってくるその声は明確で、彼女は傷の痛みも言わない。
少しだけ少女に対する見方が変わった。
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咲「純さんは?……私のせいで、彼女に無理をさせてしまいました」
誠子は軽く目を見開く。
少女に言われて、先ほどの純の満身創痍の姿を思い出したからだ。
なるほど、彼女には肩から走る太刀筋以外、目立った他の外傷は見当たらない。
それはつまり、純なりに必死にこの少女を庇って来たのだろう事は誠子にも想像できた。
らしくないな、と思ったが誠子は心配そうな少女に正直に教えてやる。
誠子「奴なら後ろでピンピンしてるよ。今に怒鳴り声も聞こえてくると思う」
誠子「でな、一応、まだこうして逃げてんだ。君の傷の手当はもう少し我慢してくれ」
そう言うと、すぐに理解したようで少女は頷く。
そして見た目の儚さとは対照的に、はっきりとした口調で言った。
咲「私は大丈夫です。でも、心配してくれてありがとうございます」
誠子「………いや」
少女の言葉に対して、返す言葉が鈍った。
それだけを言って口籠る。
自分らしくもない、ただ少女の言葉を聞いて面食らった気はしたのだ。
なんでだろう?そう暫し考えて気付く。
多分、自分たちが起こした行動に対して、こんな素直に礼なんて言われたからだ。
馴染みのない空気を肌も感じ取っている。むず痒い気がした。
以前まで在籍していた軍なんかでは、命令なのだから完遂した事に対して礼なんぞ言われるはずもない。
だからか言われ慣れていないし、誠子とて言われたくて走っている訳でもなかったから。
不意打ちみたいなものだ。
でも……不思議と悪い気はしなかった。
560 = 338 :
こんな怪我人に見返りを求めている訳ではないが。
感謝してくれているのなら、こうして身を挺して守ってやってもいいと思える。
軍の義務的な流れではなく人間的な話になるだろう。
なるほど、と誠子は思う。
純が満身創痍になってまでこの少女を担いできた気持ちが少しだけ分かったような気がした。
だから、いつもの調子に戻って誠子は気安く言う。
誠子「気にしなくてもいいさ、これは仕事みたいなもんだから」
純は知らないが、誠子の立場としては間違っていない。
内宰の塞がここへと呼び寄せなければ、誠子はこうして感謝される事もなかっただろうし
きっとどこかで日雇いの用心棒でもやっていただろう。
そう考えれば、今は張り合いがある。
咲「仕事……ですか?」
不思議そうに呟かれた。
だがその事を詳しく説明する場面でも無い。
話せば長い、きっと。
誠子でさえ把握してない部分もあるから。
だから「まあ、心配するな」ともう一度言ってから会話を切ると誠子は顔を上げた。
561 = 338 :
今回はここまでです。
次はまた来週の木曜に投下予定です。
563 :
乙
まだ一波乱ありそうだな
564 :
乙乙
566 :
乙ー
毎週木曜が楽しみなりつつある
567 :
おつ!
誠子さんは塞さん達の会話で咲ちゃんの正体に気付いてるものと思ってた
568 :
気づいてたのは純くん
亦野さんは咲と出会ってなかったしな
569 :
■ ■ ■
突き進む先の通路は相変わらず人気が無い。
本格的に可笑しいと思い始めた頃に、チラリと薄暗い通路の先に何かが見えた。
目を細めて視界を鮮明にすると鈍く光る物が見えた。
慌てて誠子は駆け抜けていた足を地面へと縫い付ける。
急停止した事になるから前のめりになりそうな体躯を、踏ん張ってどうにか耐えた。
抱える少女も落とさない。よくやった、自分。
だがそれよりも、誠子は前方になにがあるのか把握した瞬間の焦りの方が酷い。
鈍い輝き………あれは鞘より抜き出された刀身のそれしかない。
しかも一つじゃない、いや、一人じゃないというべきなのか。
その頃には、もう鮮明に認識していた。
前方の通路を塞ぐように武具を纏った兵士達の姿がある。
誠子の脳裏に最悪の事態が浮かんだ。
……もしや、計り間違えていたのか?
奴らの仲間はもっと広範囲に散らばっていて、
誠子が助けを求めた兵士らも奴らの仲間だったのかもしれないという事実。
思わず立ち止まりながら言い訳染みた声を上げた。
誠子「くそ、あの秋官!検討違いもいい所じゃないか!」
570 = 338 :
裏切りの兵士の人数を言っていた官吏、憧の姿が脳裏に浮かぶ。
先ほど純からの話を照らし合わせた結果、中庭にいた奴らで数は大体合っていたと思っていた。
だからこれ以上裏切る馬鹿がいないと勝手に判断してしまっていた。
全くもって誠子の当て付けだ、分かっている。
時間がないからと確認を怠った自分の落ち度だ。
それでも何かを吐き出さなければ誠子は混乱してしまいそうだったから。
どうする、どうする?
前方に見える兵士の数から考えても純と二人でも対峙するのには無理がある。
尚且つ、背後からは追ってきている奴らもいるからいずれ挟撃される。
通路は一直線で逃げ道も見当たらない。
抱える少女を床に置いて、自分も武器を構えるべきかと誠子は迷った。
すると立ち止まった自分の背後に追いついてきた純がそのまま横を通り過ぎようとする。
過程で、彼女は言った。
純「ビビってんじゃねぇよ。仕方ねぇ、俺が道を作ってやる。お前はさっさと行け」
誠子はそのまま通り過ぎようとする純の背に思わず叫んだ。
誠子「やめろ、純!数が違い過ぎる、お前ひとりで相手できる状況じゃない!」
純「なら大人しくして殺されるのを待ってろってか?冗談じゃねぇ、絶対に御免だ」
純「だったらせめて、お前らを逃がす」
誠子「…なっ!?」
571 = 338 :
馬鹿か!馬鹿だったなお前は、そういえば!
迷いもせずに言い切った純の言葉に対して誠子は心の中で突っ込む。
現実では言葉を失ってしまった。
口籠った誠子の代わりに、抱える少女が腕の中から純を呼ぶ。
咲「純さん!待って」
その腕は走って行こうとする純に向かって伸びる。
だけど純は振り返らない。
肩慣らしのように刀身を大きく振って走り出す。
その背にもう一度、少女が呼び止めるために声を上げた。
咲「待って……あれは、違うんです!敵じゃないんです!」
……全く予想もしていなかった言葉。
言われた純よりも、ただ聞いていた誠子の方が先に反応した。
誠子「…………え?」
間抜けな声になってしまったと思う。
走り出そうとした純もぎこちなくその場で止まる。
そのまま顔だけを振り返ると、神妙な顔つきで誠子が抱える少女を見た。
だから誠子も釣られるように少女を眼下に見下ろす。
二人分の意味が分からない、という視線を受けながらも少女はしっかりと頷いた。
咲「あれは違います。だって彼女がいるから」
大丈夫なんです、と少女はしっかりと言い切ったのだった。
■ ■ ■
572 = 338 :
ゼィゼィと荒い息を上げながら、脂肪の溜まった体躯をどうにか走らせる。
手に持つ冬器が重い。忌々しい。
だがどうしても逃がす訳には行かないのだ。
こんな事ならば少しの迷いも無く切り殺せばよかった。
なぜ躊躇ったのか、冬器を掴む腕に完全に力が入らなかった。
見た目からも只のか弱い王なのだと思っていた。
それなのに、屈強な兵士を引き連れて脅したのにも関わらず、王は脅しに最後まで屈しなかった。
武器を何一つ持っていない、仲間もいない、何もできないはずなのに……何故。
そう思ったら、急激に目の前の少女の姿が怖くなった。
今まで荒れた国で生きてきたから、天意なんてものは信じていなかった。
そんなものがあったら、もっと早くにこの国は良くなっていただろう?
不正など裁かれて、自分のような官吏はいなくなっていたはずだから。
それができなった天であったから、自分も、周囲の官吏も更なる深みに嵌っていったのだ。
罪悪感などとうの昔に忘れてしまった。
民が苦しもうとも宮中にてそれが見えなければ心も傷つかない。
簡単な事だった。自分が幸せならばそれでいいのだ。
だって、今まで天は自分の存在を許してきたではないか。
……そう思っていたのに。
あの儚くも朱い色の瞳に真っ直ぐに見つめ返された瞬間。
忘れていた罪悪感を思い出しそうになった。だから自分は酷く恐れたのだ。
573 = 338 :
この世には無いのだと見縊っていたはずの天意を、何の力も無いはずの王の向こうに確かに感じた。
怖くなった、本当に。
天意はあるのだと、故にとうとうこの身が裁かれる時が来たのだと容赦ない宣告を受けた気がした。
冬器を持つ手が震える。
そんな馬鹿な、と思った。
脅しているはずの自分達がなぜか脅されているように震えているのだから。
周囲を見渡しても、誰彼の冬器の切っ先も王を向きながらも小刻みに震えていた。
自分が感じている恐れを皆が感じ取っている。
そんな馬鹿な、有り得ない。
だから半狂乱になって斬り掛かった。
今更、天意を背負った王などいらぬ。
元々王などいなくとも宮中は廻っていたのだ。
眼下の国土や民など知った事ではない。
どうにか自分らが満足して生きてこられたのだから、それでいいのだ。
それ以外の生き方などもはや知らぬ。
天意などに左右される訳にはいかないのだ……だから。
王がいなかった時代に戻ればいい。
王がいなくなれば、王を選ぶ麒麟もいらないだろう。
口煩いあの存在もいなくなればもっと自分達は満足して生きていけるだろう。
だから、絶対に逃がさない。
574 = 338 :
突如邪魔が入ったが、どうやら少数のようだった。
ならば数で押せばまだ間に合う。
血走った眼で薄暗い廊下の向こうを見つめる。
するとおぼろ気ではあるが人の後ろ姿が見えた。
思わず狂気の笑みが浮かぶ。締まりの無い口から笑い声が漏れる。
なぜか、見えた人影は通路の途中で止まっていた。
その姿が抱える王の姿も確認できたが故、更に走る足に力を込めた。
今更、天意など必要ない。
冬器の柄を持つ手にぐっと力を込める。
今度は躊躇わない。
周囲を鼓舞するために声を上げようとした。
冬器を持つ腕を振り上げる。
今に追いつく、そう思った瞬間。
突き進む先の床が不自然に揺れた。
堅いはずのそれが、まるで水面に走る波紋のように波打つ。
ぎくりとした。その光景には見覚えがあった。
普通では有り得ない光景。……それは妖魔が出現する前触れだ。
ヒクリと恐怖で片方の口角が震えた。
案の定、水面から勢いよく飛び出してきたのは大きな獣の姿だった。
唸り声を上げて襲い掛かってくる。
無我夢中で手にする冬器を構えようとしたが容易く弾かれた。
575 = 338 :
そのまま肩口を鋭い歯で噛みつかれる。
官吏「ぐわぁっ!」
痛みを覚え、無様に悲鳴を上げた。
目の前に赤いものが散る。
獣は自分を床に倒して無力化するとすぐに周囲の他の兵士へと飛び掛かっていく。
たくさんの怯えに満ちた悲鳴、背後の兵士からも声が上げる。
床に倒れ込んで動けなくなってしまっていたから、眼球だけを動かして周囲を探る。
半分女の姿をした妖魔が狼狽える兵士を容赦なく薙ぎ払っていくのが見えた。
そんな光景を目のあたりにしながら酷い無力感に襲われた。
官吏「く、くそっ」
それでもまだ自由の利く腕を伸ばして、弾かれた冬器を探そうとする。
官吏「諦めるか、こんな所で、武器を手にして…」
王が、あの儚い風情の少女が近くにきてくれさえすれば……だから。
探る手。その指先が何かに触れた。
反射的にそれを掴もうとして指を伸ばすが、触れたものの感触が消えて。
――――次の瞬間、指先が強い力で潰された。
官吏「ぎゃっ!」
思わず短い悲鳴を上げる。
痛みが麻痺してきた頃に、どうにか顔を動かして伸ばした指先を見つめると。
それは誰かの靴の先でギリギリと踏みつけられていた。
気付いた瞬間、遥か頭上より冷たい声が降ってくる。
智美「先日、折角台輔共々ご挨拶頂きましたのに……本当に残念です」
576 :
ワハハの冷たい声がどうしても想像できないww
577 = 338 :
智美「若輩者の私も、貴殿にお見知り頂き仲良くできると喜んでおりましたのに」
慇懃な言葉の内容と、声の冷たさが一致していない。
震えながら見上げると、見覚えのある若い官吏が目を細め、床の上に転がる自分に冷やかな眼差しを向けていた。
その姿を知っている。
いつ頃からか、台輔に付随するようになって自分らからは悪目立ちするようになった官吏だ。
先日も台輔の執務室を訪れた際に、彼女は台輔の背後で静かに侍っていた。
が、今彼女は冷たい笑みを浮かべ、その足は容赦無く自分の指先を踏みつけている。
視線が交差すると、踏みつける力が更に増した。
思わずまた痛みから呻き声を上げる。
智美「ああ、でも貴殿と物を知らぬ私では物事を処理する方法に絶対的な相違があるようです。勉強になりました」
智美「貴殿のような反面教師がいてくれたお陰で、私は身が引き締まる思いですよ」
智美「…………本当に、反吐が出る」
官吏の女の顔に浮かんでいた冷たい笑みが消え、無表情に怒気が滲むのを肌が感じ取っている。
思わず背に悪寒が走った。若い官吏の冷たい声が続く。
先ほどまでの慇懃な態度すら剥がれ、その言葉にも怒気を感じた。
智美「手前勝手な願望を満たすために、あんたらは王が不在で長く苦しんできたこの国を更に苦しめようとした」
智美「あの方がいなくなれば、また国土は荒れるだろう。きっと人心も荒れる」
578 = 338 :
智美「それは復興もままならない内に、国土に犇めく民に再びかつての混沌を味わえと言ってんのと同じだろう」
智美「それで、あんたらの良心は少しも痛まないのか?」
官吏「………」
指先を踏まれる痛みに呻きながらも、口角が自然と吊り上った。
馬鹿な質問だと思った。
あの朱色の瞳を持つ王と同じ事を言っている。
ならば自分が返す言葉も決まっていた。
官吏「良心が残っていたのなら、初めからこんな無謀を起こさない」
官吏「今更……今更、天意を持った王が存在する国で生きていけるか?」
智美「…………」
官吏「自分が今までどんな事をしてきたのか、誰を陥れてきたのか分かっているから……恐れたのだ」
王を。そして、ついには裁かれるのかと怖くなった。
だから信じていなかった天意が本当にあったのだと、絶対に自分は気付きたくなかったのだ。
震える声で途切れ途切れ言い返す。
智美「聞くだけ無駄だったな。所詮あんたらの我を押し通そうとしただけの話だ。同情もしない」
智美「ただ安心してくれ。あんたらのその願いはこれからの国には不要だ」
智美「こうして騒ぎを大きくしてくれたお陰で、あんたらの仲間も一掃できるだろうさ。言い逃れも無理だ、賄賂も効かない」
官吏「……私を、殺すのか?」
聞けば、若い官吏は鼻で嗤った。
智美「あんたの臭いものには蓋なやり方と一緒にしないでくれ」
智美「王を弑し奉ろうとした罪、宮中を騒がせた罪。あんたが思っていた通り罪人は裁かれるだろうさ」
智美「だがそれは私の役目じゃなく、秋官の役目だ」
579 = 338 :
そう言って若い官吏は踏み付けていた足を上げた。
指先の痛みと圧迫感が取れて、思わず息を吐く。
と、複数の足音が周囲に響き渡る。
見上げる官吏の背後を何人もの兵士が慌ただしく駆けて行く。
それらは周囲で妖魔に襲われ倒れた仲間を次々と捕縛していく。
その光景の向こうに、見覚えのある女の官吏の姿が現れた。
いつぞや、自分らに揺さぶりを掛けてきた秋官の姿だ。
彼女は裏切り者から情報を得たようで、遠回しにではあるが幾度も接触しようとしてきた。
だから元々目障りな内宰の反発と共に追い詰められていったのだ。
後がないのだと思い、こうして最後の賭けに出た。
そして今、周囲の光景を見て、聞こえてくる呻き声を聞いて……終わったのだと思った。
賭けに自分は負けた。
智美「本当は殺してやりたいが。まぁ、あんたの先は決まったようなもんだよな?」
智美「精々裁かれるまで短い残りの人生、暗い穴倉の中で今までやってきた愚行を恥じて過ごすがいいさ」
そう言い捨てて、見上げる若い官吏の姿が視界から消えた。
次に違う足音が近づいてくると、自分はすぐに屈強な兵士に無理に上半身を起こされ捕縛されたのだった。
食い込む縄の感触を受け、項垂れた。
本当に、終わったのだと思った。
■ ■ ■
580 = 338 :
今回はここまでです。
あと2週ほどで終わります。
582 :
もうそろそろ終わりかー
乙です
583 :
乙
終わってしまうのか、寂しいな
584 :
乙
あと2週か
585 :
乙乙
もうすぐ完結…嬉しいような寂しいような
586 :
乙
十二国記の原作ておもしろい?少し興味もったのだが
587 = 583 :
>>586
国によっては果てしなく暗かったりする
延国とかは比較的爽やかな話だけど
588 :
かしょのゆめ以外は比較的明るい気がする
となんのつばさだったか、あれは明るいし麒麟が王選定の話も書いてるからいいんじゃないかな。
本編は月の影、影の海だったか?に出てくる陽子中心の話だが、それ以外の国の話ならとなんのつばさが俺はお薦めだな。
月の影呼んでからとなんのつばさでもいいと思う。
589 :
乙
もう終わってしまうのかあ
寂しいですわ
590 :
ようつべでアニメ見れたと思うよ
591 :
智美「うわ」
純「うえ」
誠子「あれ」
顔を合わせると三者三様の言葉が重なった。
咲は床に腰を降ろしながら、その反応を興味深く見上げている。
通路の奥で待ち構えていた兵団は、結局は味方だった。
咲はその中に智美の姿を見つけたから、あの時あれは違うと叫んだのだ。
事実、刀身を握った何人もの兵士は自分を抱えた誠子や純を通り過ぎて、
真っ直ぐに背後に迫っているはずの賊を討伐しに駆けて行った。
智美もまずはそれに随行していったようだが、粗方役目は終えたのだろう。
駆け足で床に降ろされ誠子より簡単な手当てを受けていた自分の元へ駆けつけてきたのだが。
その過程で必然的に側にいた純と誠子と顔を合わせると、先ほどの三者三様の反応を示したのだ。
592 = 338 :
何か初対面という反応でもなかったような気がした。
すると案の定、まずは衝撃から立ち直った智美が言う。
智美「純ちんに誠子ちん?……え?何でここにいるんだ?」
純「いや、むしろ何でお前がここにいんだよ」
智美「え?なんでって、そりゃあ私はここで官吏やってるからな」
純「は?官吏?…おい誠子、官吏って頭いい奴がやるもんだろ?」
誠子「そりゃ科挙受からんと無理だろうな。へぇ、あの親の畑仕事手伝ってたお前が一丁前に科挙を受かったのか」
智美「ワハハ。まぁ、あの頃は色々と手も廻したからなー」
智美「それより純ちんも誠子ちんも軍にいったんじゃなかったのか?性に合いそうって言って、村総出で送り出した記憶が…」
誠子「ああ、そうそう懐かしいなー。お前密かにこれで純に絡まれなくて済む!って喜んでただろ?」
純「あ゛?」
智美「ちょ、誠子ちんそれ昔の話!もう時効だから、そんなに凄まないでくれよ純ちん」
気安い会話を続けようとする彼女らを見渡して、咲は不思議そうに問いかける。
咲「皆さん、お知り合いなんですか?」
すると一番冷静に物事を受け止めていたと思われる誠子が手当する手を休ませることなく頷く。
593 = 338 :
誠子「同郷だよ、畑ぐらいしかない地方にある農村の。昔よく一緒に遊んでやったよな」
智美「……ワハハ。私が一方的に絡まれていたって言った方が正しいと思うけど」
誠子「なんだよ、それは純の話だろ?私はいい姉貴分だったと思うぞ。畑仕事のイロハも色々教えてやったし」
純「……あ゛?」
智美「だから純ちんは一々凄まないでくれ!しかも満身創痍な格好だから余計怖いんだ!」
智美が叫ぶと咲も改めて気付いた。
純の姿を見上げ、絞り出すような声で言った。
咲「すみません、純さん達は私を庇ってくれたから」
純「気にすんなよ。…それに、俺はお前の立場上だけで必死こいて助けたわけじゃねえ」
咲「え…?」
純「お人好しでクソ真面目で、いつも国のことを真剣に考えてた。そんな咲だからこそ助けたんだ」
そう言って純はくしゃりと咲の髪を撫でた。
咲「純さん……ありがとうございます」
温かな手で頭を撫でてくる純と視線を交わし、咲は淡く微笑んだ。
二人の話を聞いていた智美が正気に戻って駆け寄ってくる。
咲の手当をする誠子の横に膝を突き、咲を伺うようにして言った。
智美「傷は痛みますか?」
咲は首を左右に振る。大丈夫ですと言って顔を上げた。
言わなければならない事は、きちん目を見て伝えなければいけないのだと気付いたから。
だから、視線が合うと智美も納得したようだ。
安堵して表情を緩めると、そのまま横の誠子を見て、背後に立つ純へと顔を巡らせていく。
智美「偶然なのかもしれないけど。それでも……主上を守ってくれてありがとう、二人とも」
智美「ほんと、こうして無事な姿を確認するまで私も気が気じゃなかった」
594 = 338 :
心底ホッとしたような声。
その智美の言葉を受けて、今まで一番物事を冷静に受け止めていた誠子が突然変な声を上げた。
誠子「うあっ……主上っ!?」
黙々と止血していた手を勢いよく離すと、そのまま俊敏に後退してしまう。
ちなみにそれを見つめる事になった咲も智美もぽかんとした表情を浮かべている。
唯一、状況を理解している純が、後退してしまった誠子を呆れた目で見やる。
純「やっぱりお前、まだ気付いてなかったのか。道理で気安い態度が抜けねぇなって思ってたんだよ」
誠子「い、いやだって!お前だって同じような態度だったろう!何度か会話には出てたけどまさか、本当だと思わないって!」
誠子「この子、いやこの方は何かの事件に巻き込まれて、それで命を狙われてしまった官吏なんだろうなって思っていて」
純「それだけで塞があんなに急かすか?しかも、台輔の使いが来た時点で気付くべきだ」
純「……まぁ、俺は確かに身に覚えあったし。それに今さら態度変えられる程、器用でもねぇよ」
どこかぶっきらぼうに吐き捨てる様が純らしいと思う。
だから、咲も頷いた。
純の意見には全面的に賛成だ。
王だからと言って、命掛けで助けてくれた彼女らに今更畏まって欲しくは無い。
咲「純さんの言う通りです。確かに私は王という立場ですが、その前に貴方がたが助けてくれた一人の人間です」
咲「恩人に改まって欲しいとは思いません。どうか、今までの態度のままでいて下さい」
誠子「う、いや……でも」
595 = 338 :
純「……往生気が悪ぃな。お前、物事に対して柔軟な癖に変な所で線を引くからな」
純「でもこれでお前が言っていた安泰が手に入ったじゃねぇか。よかったな」
誠子「……いや、これ想像してたのと違くね?まさか王様と直にお目に掛かるとは」
今だもごもごしている誠子を尻目に、純は改まって咲と智美の方を向いた。
純「と、以上が内々の話だ。正規に俺達がここにいる理由は塞から聞け」
すると智美が敏感に反応した。
智美「塞……内宰の?」
純「ああ、奴の指示で動いていたからな。これで少しは安心したろ?」
純が言うと、智美は苦笑を浮かべる。
智美「まぁ。でもそんな姿をしてまで主上を守ってくれたんだから疑う余地はないかと」
智美「塞殿には一応、後ほど連絡を入れておくよ」
そして再び智美は咲へと向き直る。
視線が交差する。咲は顔を伏せない。
真っ直ぐに智美を見返している。だから智美はニコリと笑んだ。
智美「少しの間に、随分と御変わりになられたようだ」
鋭い指摘に思わず咲も苦笑を浮かべる。
咲「沢山泣いて、後悔して、落ち込んだら吹っ切れたんです」
咲「…そうしたら、自分が何をしたいのか分かったような気がしました」
596 = 338 :
真っ直ぐ前を見て言う。本心を伝える。
咲「私は菫さんに会いたい。嫌だと言われたけれど……それでももう一度会って、話がしたいんです」
できるでしょうか?と問えば、当たり前のように智美は頷く。
智美「お喜びになります。実はここだけの話なんですが………」
思わせ振りに声を潜めて智美は語ろうとする。
思わず咲は聞き耳を立てた。
智美「あの鉄面皮が泣きそうなってましたから。貴方がいなくなってしまって、胸が痛いと言っていた」
咲「…………」
智美「想像できないでしょう?でも事実ですから。麒麟と言っても、気高いと言われていても、あの方にも感情はあります」
智美「貴方の事であれば尚更だ。でも人一倍不器用だから、それがどうしても上手く貴方に伝えられなくて悩んでいました」
咲は目を見開く。
智美が教えてくれる話は、余りにも自分が想像していたものと違っていたから。
だから、無意識に呟いた。
咲「彼女も……私と同じで、悩んでいた?」
問えば、智美はやはり肯定する。
こんな事を言うのもなんですが、と教えてくれる。
智美「主上と台輔は良く似ていらっしゃると思います」
咲「私と菫さんが……?」
597 = 338 :
智美「もちろん、姿形の事を言っているのではありません。相手を想う姿勢が、とても似ていると私は思います」
智美「深いですが、それを表に出すのは苦手な所とか」
咲は智美の言葉をゆっくり噛み締める。
途端恥ずかしくなってきてしまった。赤くなった顔を誤魔化すように俯くと言う。
咲「……私と同じなら。沢山、沢山話をしなければいけませんね」
智美「ええ、是非とも分からせてやって下さい。私達が今まで台輔にできなかった分、主上には頑張って頂かないと」
智美「あ、でも2、3日は残念ながら台輔にお会いする事はできません」
咲「え?」
予想外に言われて咲は目を見開く。そして顔を上げた。
見上げる先の智美は仕方ないのだと言う。
智美「麒麟は神獣ですので、台輔は流れる血にはどうしても弱いのです」
智美「主上の負った傷が不可抗力なのは分かっています」
智美「が、せめてその傷が完全に止血するまでは、お会いするのを控えて頂かなければいけません」
そう指摘されて、咲は改めて自分が負った傷の痛みを思い出す。
誠子に手当してもらって傷は押し当てられた布の奥に隠れてしまっているが、
多分感じる痛みからもまだ血は滲んでいるだろう。
なるほど、と咲は頷く。
598 = 338 :
咲「分かりました。なら私はその間に考えておかないと。…言いたい事も聞きたい事も、本当に沢山あるから」
智美「ええ、主上の状況は私から台輔に伝えておきます」
咲「お願いします、智美さん」
智美「…随分と、心配していました。本当はすぐにでも駆け付けようとしていたんですよ?さすがに私が止めたんですが」
智美「だから主上が無事である事を早く伝えないと、痺れを切らして飛び出してきてしまうかもしれない」
智美「ああ、でもまずは主上を安全な部屋までご案内致します。傷の手当ても医者を呼んできて改めて見て頂かないと」
智美「……どうか。貴方はもはや、貴方だけの存在ではないのだとご理解下さい」
軽い口調だった智美の声が、最後に向かうにつれ真剣味を帯びて言った。
今の咲にはこの年若い官吏が何を言いたいのよく理解していた。
だから、素直に頷く。
咲「智美さんにも、心配を掛けました。……肝に命じます」
すると、いつもの気安い雰囲気に戻った智美は。
満足そうな声で「はい」と頷いたのだった。
■ ■ ■
599 = 338 :
それからは、咲は特に何もしていない。
騒ぎの事後処理は智美らの官吏が行うそうだから、
咲は自室へと戻るとやってきた医者に傷を改めて見てもらった。
元々、神籍にあるから大事には至らないだろうと言われたが
それでも思ったより深い太刀筋だったようだ。
痛み止めと薬湯を飲んで今日は早めにお休み下さい、と医者に言われて素直に頷く。
実際、色々あって疲れてしまっていた。
体は素直に休息を求めていた。
痛み止めを飲み込み、湯気の立った薬湯をちびちび喉に流し込む。
その程よい暖かさが、じわりと疲れていた体中に沁み込むようだった。
せめてこれを飲んでから寝台に横になろうと長椅子に腰掛けて、
ゆっくりと薬湯を喉の奥に流し込む作業を繰り返す。
途中で意識がうとうとしてきた。
きっと薬湯の暖かさが思う以上に心地よかったのだ。
もしかしたら痛み止めに多少の睡眠を促進する薬も入っていたのかもしれない。
瞼が重くなってくる、が薬湯はまだ残っていた。
それを最後まで飲まなきゃと思いながら、なけなしの意識は夢現に変わっていった。
600 = 338 :
つまり、そのまま寝てしまった。綺麗に。
長椅子に背凭れに顔を預けてどのくらい経ったのか。
ふと息苦しさを感じる。
今まで薬湯の暖かさに包まれていた体躯がぶるりと不自然に震えた。
そして肩から走る傷口の痛みを思い出した。
そこから薬湯の暖かさではない、苛む程の熱に焼かれるようで額に汗が浮いてきた。
自然と顔が歪む。
ジンジンと夢現の中でも負った傷の痛みに咲は苛まれる。
そういえば見てくれた医者が言っていた。
数日は夜に傷が熱を持つかもしれないと。
痛み止めは飲んだはずだが、いつの間にか暗くなった周囲を計るに薬は切れてしまったのかもしれない。
痛い、熱い、と。
額に浮いた汗が頬を伝う感触に震えた瞬間だった。
突如ひやりと冷たい物が頬に触れて、流れ落ちていく汗を拭った。
それはすぐに離れていったが、今度はびっしり汗が浮いた額にそっと何かが触れる。
苛む熱と対照的に触れてくる冷たさは心地良かった。
思わず咲は安堵の息を吐く。
でも一体何だろう、と歪んでいた表情を解くと、閉じていた瞼をゆっくり開けた。
みんなの評価 : ★★★×4
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