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元スレ幼馴染「……童貞、なの?」 男「」.
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朝、歯を磨きながら、バイトでもするか、と思った。
夏休みまであとちょっと。来週からテスト前で部活動休止。どうせ原付の免許も取りに行くつもりだったし、ちょっと遠めのところがいい。
やるならコンビニ。涼しいし、仕事が楽らしいし、時給は安いが、金が入ればとりあえずはかまわない。
できれば顔見知りのいないところがいい。今度探してみよう。
時間になってから玄関を出る。
「今日も暑いねえ」
おじいさんっぽく妹に語りかけてみた。
妹はごく普通に返事をした。
「そうだね」
一日がはじまった。
校門近くで部長に遭遇する。なぜだか茶髪と一緒だった。
真面目な部長×不真面目な茶髪=混ぜるな危険。
のはずが、ずいぶんと和やかに会話をしていた。
「地区一緒で、昔から顔見知りなんだよ」
茶髪が言う。部長も小さく頷いた。まじかよ。強い疎外感。
仕方ないので強引に話題に加わることにした。
「なあ茶髪、テスト勉強してる? 俺ぜんぜんしてないんだけど」
「そういうふうに言う奴に限ってきっちり勉強してるんだよな」
見透かされていた。
でもやってることなんてせいぜい教科書を流し見るくらい。
「ちゃんと勉強しておいたほういいですよ」
部長が大真面目に言う。
「イエスサー」
大真面目に返事をする。
部長はちょっと呆れていた。
教室につくと、サラマンダーが携帯と睨めっこをしていた。
彼は俺に気付くと、にやにやしながら携帯の画面を見せつけてきた。
今朝、マエストロから送られてきたツーサイドアップ画像。
「白黒しまぱん、悪くねえだろ」
ツーサイドアップも悪くないだろ。ドヤ顔。
席についたとき、幼馴染と目が合った。ばつの悪そうな顔をしている。
あえて無視するわけではないが、話すことがあるわけでもない。
とりあえず俺は佐藤に声をかけた。
「給食着ってあるじゃん」
妹の中学校は給食なので、当然、給食当番がいる。
「あるね」
佐藤は不思議そうな顔をしながらも頷いた。
彼は俺に気付くと、にやにやしながら携帯の画面を見せつけてきた。
今朝、マエストロから送られてきたツーサイドアップ画像。
「白黒しまぱん、悪くねえだろ」
ツーサイドアップも悪くないだろ。ドヤ顔。
席についたとき、幼馴染と目が合った。ばつの悪そうな顔をしている。
あえて無視するわけではないが、話すことがあるわけでもない。
とりあえず俺は佐藤に声をかけた。
「給食着ってあるじゃん」
妹の中学校は給食なので、当然、給食当番がいる。
「あるね」
佐藤は不思議そうな顔をしながらも頷いた。
「今日、金曜日じゃん」
「そうだね」
「うちの妹、今週、給食当番だったみたいなんだよ」
「なんで妹のクラスの給食事情を知ってるんだよ……」
佐藤は呆れていた。態度にちょっと余裕がある。非童貞の余裕。悔しい。
「で、俺はどうすればいい? やっぱ匂いとか嗅いどくべき? 兄として」
「やめといた方がいいんじゃないかな……」
やめておくことにした。そもそも冗談だけど。
実際、他の人も使うものだしね。うん。
逆に考えると、別の生徒の兄が妹が使った給食着の匂いを嗅いでいるのかもしれないのだ。
胃がむかむかしてくる。
馬鹿な思考を終わらせたとき、誰かが俺の制服の裾を引っ張った。くいくい。
「ちょっといいかな?」
幼馴染だった。
呼ばれて廊下に出る。俺がついてくるのを確認すると、彼女は周囲に気を配りながら歩き始めた。
「あのね、実は……その」
そこまで言ってから、幼馴染は何かに遠慮するみたいに言葉を詰まらせた。
沈黙の中で俺の妄想ゲージがフルスロットル。
『実は先輩とは遊びで、あなたのことが好きなの』
キャラじゃない。
『先輩、えっちへたなの!』
キャラじゃない。聞かされてもうれしくない。
どう妄想しても先輩を貶める方向に話が進む。俺って嫌な奴。
妄想で時間を潰している間も、幼馴染は押し黙ったままだった。
何かあったんだろうか、と少し心配になったところで、幼馴染が口を開く。
同時に、その背中に声がかけられた。
例の、幼馴染の彼氏。と、その友人と思しき男女三名。
幼馴染は居心地悪そうに視線をあちこちにさまよわせた。
そうこうしているうちに、先輩たちが幼馴染の名前を呼んだ。
「ごめん。ちょっといってくるね」
気まずそうに目を伏せて、彼女は先輩たちに駆け寄っていった。
何を言いたかったんだろう?
気付けば、例の彼氏のうしろに並んでいた三人のうちの一人が、俺を睨んでいた。
……シリアスな感じがする。
そのあと、始業の鐘が鳴るまで幼馴染は戻ってこなかった。
休み時間、ふと気になってキンピラくんに話しかける。
「キンピラくんって童貞じゃないの?」
「死ね」
キンピラくんはとてもフレンドリーだ。
「クラスメイトとして知っておきたいじゃん?」
俺は彼が童貞と踏んでいた。なんか仕草から童貞っぽさが滲み出てる。かっこいいけど。
なんだろう。童貞だけど不良、的な空気。
「童貞じゃねえよ」
キンピラくんは不愉快そうに続けた。
「仲間が欲しくて必死だな、チェリー」
せせら笑うキンピラくん。
見下されてる感じ。
ぶっちゃけ、キンピラくんの不良っぽい態度はあんまり怖くない。マスコット的ですらある。
デフォルメされたチビキャラが煙草吸ってるような雰囲気。
「そっかそっか。キンピラくんは大人だったのか」
適当に返事をする。
「おまえ信じてないだろ」
彼は語気を荒げた。
「信じてる信じてる」
軽口を叩く。彼は毒気を抜かれたように溜め息をついた。
「で、相手は誰だったの?」
「……俺、おまえのそういうところすげえ嫌いだわ」
キンピラくんに嫌われた。
クラスにはまだ童貞が隠れていそうだ。
あんまりいじくりまわすのも可哀相なので、そこそこで切り上げる。
昼休みに、屋上で屋上さんと話をする。
屋上で屋上さんと話をする。奇妙な語感。
屋上さんはツナサンドをかじりながら言った。
「好き」
「は?」
深く動揺する俺をよそに、彼女は俺の胸の中に飛び込んできた。「ぽすん」と漫画みたいな音がする。
なんだこれ。
なんだこれ。
エマージェンシー。
「私のこと、嫌い?」
屋上さんが俺の顔を見上げる。美少女。
「嫌いじゃないけど」
思わず目をそらす。どこからかいい匂い。柔らかな感触。
彼女は俺の背に腕を回してぎゅっと力を込めた。
胸が当たる。
なんだこれ。
「じゃあ好き?」
「好きっていえば……好きだけど」
「じゃあ好きって言ってよ」
「ええー?」
どう答えろというのだろう。
「四六時中も好きって言ってよ!」
サザンっぽい要求をされた。
どうしよう。
「あ……」
脳が混乱している。甘い匂いに脳を侵される。どうしろっていうのよ? 頭の中で誰かが言った。やっちまえよ。頭の中のなおとが言った。
「愛してるの言葉じゃ足りないくらいに君が好きだ」
消費者金融っぽい雰囲気の返事をした。
そこで、チャイムが鳴った。
「はい、授業終わり」
夢だった。
せっかくだし、正夢になるかもしれないので屋上に向かう。
屋上さんは今日も今日とてサンドウィッチをかじっていた。ツナサンド。正夢。
「愛してるの言葉じゃ足りないくらいに君が好きだ」
「は?」
何を胡乱なことを言い始めとるんだこいつは、みたいな目で睨まれた。
目は口ほどにものを言う。
「何寝言いってるの?」
確かに、夢の中で言った台詞をそのまま繰り返しただけなので、寝言であってる。
「現実って厳しい」
「なんで落ち込むの?」
「いや、しばらく放っておいて欲しい」
正夢なんてものを信じるなんて、俺はよっぽど恋愛的なサムシングに飢えていたらしい。
屋上さんと雑談しながら昼食をとった。
放課後、部活に行くかどうかを机に座って悩んでいると、ふと天啓を受けた。
「図書室に行くべし」
その声は神秘的な響きを持って俺の脳を甘く溶かした。
図書室。素敵な響き。文学少女。無口不思議系後輩。髪色は青か? 悩みどころだ。
そんなわけで図書室に向かった。
来なきゃよかった。
天啓なんてものを信じるなんて、俺はよっぽど運命的なサムシングに飢えていたらしい。
「あれ。君は確か……」
幼馴染の彼氏がいた。
「……ども」
ふてぶてしい感じに挨拶をした。生意気な後輩っぽさを滲ませるのがポイントだ。目を合わせないで唇を突き出すとそれっぽくなる。
「君、あの子の友達だったよね」
幼馴染のことだろう、と考えて、違和感を抱く。
『あの子』。
――なんだろう、この違和感。
胸の内側がぞわぞわする。
何かを見逃している感じ。
俺を睨む先輩。何かを言いそびれた幼馴染。それに、この人の態度。
なにかがおかしい。
黙りこんだ俺を不審に思ったのか、先輩が怪訝そうに眉根を寄せた。
「どうしたの?」
「いえ……」
そもそも、どうしてこの人は俺のことを知っていたんだろう。
幼馴染といつも一緒にいたから?
知っていてもおかしくはない、けれど――何か、不安が胸のうちで燻った。
「先輩、幼馴染と付き合ってるんですよね?」
本人に直接きいたことがなかったと思い、訊ねてみる。
「ああ、……うん。まぁ」
彼は気のない返事をした。
――なんだ? この反応。
答えにくいことを訊かれたように、先輩は頭を掻いた。
「まぁ、いろいろあってね」
彼の態度があからさまにおかしいのか、それとも、俺が先輩に先入観を持っているせいで、粗探しをしようとしているのか。
分からないけれど、何かがあるように思える。
「君には悪いと思ったけど」
「どういう意味です?」
「どういう意味って……」
言ってから、先輩は何かに気付いたように口を覆った。怪しすぎるだろこの人。
「いや……君は彼女が好きなんじゃないかと思ってたから」
――この態度。
なぜ、会ったこともないような後輩の恋心を気にかける必要がある?
たとえば俺は、もし幼馴染と付き合うことになったって、幼馴染を好きだったかもしれない先輩のことなんて気にもかけないだろう。
それなのに彼の態度はなんだろう。
まるで、俺がいることを見越した上で幼馴染と付き合い始めたと言うような。
でも――ただ好きなだけなら、なぜ俺がいることを気にかける必要がある?
俺が彼女を好きだったかもしれないと思うなら、幼馴染の方に確認をとるだけでいいはずだ。
先輩は落ちつかないように頬を掻いた。
悪い人じゃない。そう思う。だから、幼馴染に対して何かをするというのではないのだろう。
でも彼は、悪い人じゃない代わりに、自分の意志が強いというわけでもないのだろう。ヘタレっぽいのは見れば分かる。
誰かが、何かをしているのか?
正々堂々と告白して付き合いはじめたなら、なぜ「悪い」と思う必要があるのだろう。
付き合い始めたなら、「彼の彼女」であって、「俺の幼馴染」ではなくなる。
なぜ、幼馴染を横取りしたような言い方をするんだ?
――後ろめたい手を使ったから?
考えて、自分の妄想だけが先走っていることに気付く。ただ話したことのない後輩を相手に緊張しているだけかもしれない。
何もおかしなところなんてない。そうだ。
――君には悪いと思ったけど。
馬鹿馬鹿しい。何を考えているんだろう。幼馴染に執着しているから、彼が悪いように見えるだけだ。
俺はいまだに、彼が生粋の悪人で、幼馴染が彼にだまされているだけ、という展開を期待しているにすぎない。
だから、彼が何かを企んでいるように見えるのだ。馬鹿な考えはやめろ。
でも――この胸騒ぎ。なんだろう。何かが変だ。
先輩が人のよさそうな表情で俺を見る。その顔は本物だろう。彼は善人だ。――俺の見る目が正しければ。
彼が善人だとして、どんなパターンがあるだろう。
幼馴染が何かを言いたげにして、先輩の友人が俺を睨んで、先輩の様子がおかしいという状況は。
――俺を睨んだ先輩。
幼馴染の話を聞いてみるべきかもしれない。
「そういえば、先輩。サッカー部はどうしたんですか?」
彼は安堵したように溜息をついて、俺の質問に答える。
「テスト前だから休みだよ。今日から」
「ああ、そういえば」
ちびっ子担任がそのようなことを言っていた。
教室で悩んでいたとき、部室にいけ、という天啓がなかったことに心底安心する。危なく赤っ恥だ。
ひょっとして、昨日が最後だったから、部長は俺に部活に出るかどうかを訊ねたんだろうか。
俺がこれからどうしようかと考えていると、誰かが先輩に話しかけた。
その顔を見て、また胸中で何かが疼いた。
今朝、俺を睨んでいた女子の先輩だ。
彼女は先輩の肩に手を置いて笑いかけたあと、俺の存在に気付いて顔をしかめた。
あからさまに、邪魔者を見るような目。
「アンタ、ちょっと来て」
彼女は俺の手を掴んで図書室の外へと誘導した。うしろから戸惑ったような先輩の声が聞こえた。
彼女は図書室を出てすぐのところにある階段を下りて、誰もいない二年の廊下に俺を導いた。
教室からは話し声が聞こえるけれど、ほとんどの生徒は既に帰っているか、他の場所にいるのだろう。
「アンタ、なんのつもり?」
「なんのつもり、と言われても」
今朝からずっと思っていたが、この人は何かを誤解している。
朝は幼馴染から話しかけてきたのだし、さっきは先輩から声をかけてきた。俺が何か行動を起こしているわけではない。
「何でアイツらの周りウロチョロしてるわけ?」
「どういう意味ですか?」
女の先輩(面倒なので以下メデューサと呼称。目が異様にでかい。マスカラすごい)は俺を見下すように溜息をついた。
「とぼけなくても分かってるから。アイツの彼女に未練あるんでしょ?」
幼馴染のことだろう。
「言っちゃ悪いけどさ、アンタ、振られたんだよ。ぶっちゃけ、未練がましくて気持ち悪い」
メデューサの発言は続く。俺は彼女が言いたいことを言い終わるまで待つことにした。
それにしても――彼女は何をそんなに焦っているのだろう。
「アイツになんか言いがかりでもつけてたわけ? 言っとくけど、あの二人、ホントに付き合ってるから」
言われなくてもそうだと思っていたし、振られたとも思っていた。
――メデューサがそんな発言をしなければ、疑うこともなかっただろう。
「それとも、どっかでなんかの噂でも聞いたわけ? 無責任な噂を信じるとか、馬鹿じゃないの?」
それはつまり、何かの噂が流れる余地があるという意味だろうか。
揚げ足を取るような思考。冷静になれ、と胸中で呟いた。それにしても一方的な人だ。
「あの二人の恋路、邪魔しないでくれる? アンタみたいなのにケチつけられたら可哀相だからさ」
――何を、こんなに恐れているんだろう。彼女は何かが露呈することを恐れている。それは確実だ。
確証はないけれど、ひょっとしたら、と思うと自然に考えが進んでいく。
「アンタみたいに見てるだけで恋してるみたいな気分になってる奴が一番イタいんだよ。もう二度と二人に近寄んな」
メデューサは、最後にそれだけ言い残して去っていった。
俺は彼女の言葉を踏まえて、改めて思考を組み立てなおした。
――言いがかり、噂、「ホントに付き合ってる」。
それを、なぜメデューサが言うのか?
わざわざ「本当に付き合っている」と強調したということは、裏を返せば――。
家に帰ってから、机に向かってテスト勉強を始める。
といっても、教科書を眺めるだけだ。またPSPを起動する。いやになってすぐにやめた。
携帯を開いてディスプレイの時計を確認する。五時。まだ早い。
本当は今すぐにでも電話をかけたかったけれど、まだ出先かもしれない。
それを思うと夜まで待つべきのように思える。
気持ちを落ち着かせなければ。飲み物を求めて台所に行く。妹が料理の準備を始めていた。
冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぐ。冷たさが喉を通って身体を伝っていく。緊張は解けなかった。
電話の発明は相手の家まで行く手間を解消してくれたが、インターホンを押すのに必要な勇気までは肩代わりしてくれない。
呼び出しボタンに指をあわせると心臓の鼓動が強まるのがその証拠だ。
六時になる頃に妹が夕飯の準備を終えた。ひさびさに、母の帰りが早かった。何週間か振りに一緒に食事を取る。
食事の量は足りる。妹はいつも、少し人数が増えても足りるくらいの量を作るからだ。
妹の気持ちはよく分かっていたから、俺も二人分には多すぎる量を黙って食べた。それがいつも。
ときどき、母か父かのどちらかと食事が一緒になると、妹はすごく喜ぶ。目に見えて上機嫌になる。
大抵、帰ってきたとしても、そのときには俺たちが食べ終えているから。
上機嫌になったあと、両方そろえばいいのに、と考えて、また落ち込む。見てれば分かる。
母は妹の料理をべた褒めした。学校での様子を聞いた。
仕事の方が忙しくて、と寂しそうに呟いた。俺も妹もそんなことは知っている。
分かってるよ、と妹は返事をする。学校はふつうだよ。家事はもうとっくに慣れたよ。心配しないで。
仕事を一生懸命こなす両親。
尊敬と感謝を持って接するべき人。
悪い人たちじゃない。
夫婦仲も家族仲も悪くない。
ままならない。
文句があるわけじゃない。
時間ができれば、こうやって俺たちと一緒にいようとしてくれる。
それでなくても仕事熱心というのは尊敬に値することだし、おかげで金銭面でもなんら不自由のない生活を送れている。
充分すぎる。
言いたいことがないわけではないが、それを言葉にするにはあまりに長い時間が経ちすぎた。
一緒にいる時間だけが、圧倒的に足りなかった。
俺だけならどうにでもなる。
妹のことを思うと、どうも気持ちが暗くなる。
食事を終えて、部屋に戻る。一緒にトランプをしたがる母に、用事があるからちょっと待ってて、と言い訳した。
そう長い話にはならない。
言うことは決まっている。確認するだけ、だ。それなのに、やっぱり心臓は痛いほど脈打つ。
ボタンを操作する指が、いつものように思い通りに動かない。
それでもなんとか番号を呼び出す。
通話ボタンを押した。
耳に電話を当てる。断続的な音が、やがて呼び出し音変わる。そういえば今は食事時かもしれないな、といまさらながら思った。
でももうかけてしまった。
長い時間、同じ音を聞いていたような気がする。
電話に出た幼馴染の声は、少しだけ固くなっていた。
「もしもし」と言葉を交わした後、沈黙が訪れる。何から話せばいいのか分からない。
「珍しいね。えっと……なに?」
彼女の声にハッとする。何かを言わなければならない。
俺は直球に話を進めることにした。
「今朝、何かを言いかけてたなと思って」
少し卑怯だったかもしれない、と思う。でも、自省的な思考は後回しでいい。
幼馴染が何かを言おうとしたのが分かる。けれど彼女は、すぐにいつもの調子に戻って茶化すように笑った。
「あれは――ごめん。なんでもなかったの」
声に動揺が浮き出ているのが分かる。長い付き合いだから。
彼女が言葉に詰まる様子が目に浮かんだ。気まずそうな表情。電話口でも気配だけで想像できてしまう。
もういいや、言っちゃえ、と思った。間違っていたとしても俺が恥を掻くだけだ。
「――偽装なんだろ?」
幼馴染が息を呑むのが分かった。
しばらく沈黙があった。耳鳴りがしそうな静寂。時計の針の音が聞こえそうなほどだったけれど、ここに時計はなかった。
不意に、前触れもなく、
「……よく分かった、ね」
幼馴染がそれを認めた。ほっと息をつく。なぜだか、すごく安心していた。
「今朝、言おうとしたのって、それか?」
「……うん」
できれば詳しい話を聞きたかったが、俺がそれを訊ねるのはおかしいような気がする。
けれど幼馴染は、自分から事情を話しはじめた。
「先輩の友達の、女の先輩がいるじゃない?」
先輩の交友関係には詳しくないが、おそらくメデューサだろう。
「――偽装なんだろ?」
幼馴染が息を呑むのが分かった。
しばらく沈黙があった。耳鳴りがしそうな静寂。時計の針の音が聞こえそうなほどだったけれど、ここに時計はなかった。
不意に、前触れもなく、
「……よく分かった、ね」
幼馴染がそれを認めた。ほっと息をつく。なぜだか、すごく安心していた。
「今朝、言おうとしたのって、それか?」
「……うん」
できれば詳しい話を聞きたかったが、俺がそれを訊ねるのはおかしいような気がする。
けれど幼馴染は、自分から事情を話しはじめた。
「先輩の友達の、女の先輩がいるじゃない?」
先輩の交友関係には詳しくないが、おそらくメデューサだろう。
「あの人にしつこく付き合ってって言われて、困ってる、って先輩に言われて。それで……」
「それで?」
「……付き合ってるふりをしてくれ、って」
押しに弱い幼馴染のことだから、最初は渋っても、しつこく言われ続ければ引き受けてしまう。
たぶん、周りに流されたところもあるのだろう。
先輩がどのような言葉を用いて幼馴染の協力をとりつけたかは、だいたい想像がつく。
部活動に集中したいこと、そのために誰かの協力が必要だということ、そう長い期間は必要ないこと、迷惑はかからないこと。
「最初は断ったんだけど……」
「断りきれなかった」
「……うん。それで――」
――それで、付き合っているふりをはじめた。
それだけのこと。
先輩とメデューサが何のつもりかは分からないが、まだ何か含みはありそうだ。
だとしても、幼馴染の認識でいえば、ただそれだけのこと。
ただの偽装。
それを確認できたことに、深く安堵する。
話を終えたあと、また電話口に沈黙が降りた。お互いの呼吸の音が聞こえる。彼女が息を吸うのが聞こえた。
幼馴染は、覚悟を決めたように話し始めた。
「ほんとは、さ」
その言葉に思わず眉間が寄る。何か彼女にも含みがあったのだろうか。
「私、先輩の提案を、積極的に受けたの」
一瞬、思考がフリーズした。
数秒置いて、胸の中で暗い気持ちが膨れ上がるのを感じる。
冷や汗が滲む。電話を持つ手の力が抜けてしまいそうだった。
続く言葉をあらかじめ予想しておく。先輩が好きだったから、先輩と偽装でも付き合えるのは嬉しかったから。
こうしておくとあらかじめ防壁を張っておける。でも現実は、いつだって想像の上をいく。防壁など、大抵は貫いてしまう。
俺は覚悟を決めて瞼を強く瞑った。
「友達に、一度、相談したの。そしたら――」
話がよく分からない方向に進む。俺の想像とは違う方向に。
俺の想像した通りだとしたら、友人に相談する意味はない。
「――ちょうどいいんじゃないかって」
「ちょうどいい?」
「だから……その」
幼馴染はそこで言いよどんだ。
「誰かと付き合うって話になったら、何か、反応するかなって」
「……反応?」
俺の反芻に、彼女は心底困ったように「ああもう」と唸る。
「だから、やきもち妬くかなって」
誰が? ――と、訊くのはやめておく。
内心で自分が期待し始めたことに気付いたからだ。
それは自惚れかもしれない。
臆病といわれても、聞き返す勇気はなかった。
「で、どうだったんだよ。反応はあったのか?」
もう考えるのがいやになって、やけになって適当なことを言った。
「……充分すぎるほど」
偽装だってことになると、たとえば月曜の朝の、
『……童貞、なの?』
という言葉には、別に経験済み的な意味はなかったことになる。
脳内シュミレーション。幼馴染の立場。
朝、教室に入る。静まり返ったなか、マエストロの声が響いている。
『このクラスで童貞は、サラマンダーと、俺と、それからおまえだけだ』
扉を開けた瞬間に聞こえる衝撃的な発言。
混乱していると、俺と目が合う。
何かを言わなきゃ、という気分になり――
『……童貞、なの?』
思わず鸚鵡返し。
まさかそんなばかな。
シュミレーションを続ける。
火曜日の発言。
『おまえなんて、おまえなんて、サッカー部のなんかかっこいい先輩といい感じになってあげくのはてに卒業してからも一緒にいればいいんだ!』
『……祝福されてるのかな?』
このとき周囲にはクラスメイトたちがいた。
偽装を頼まれている立場からして、否定的な言葉を出すわけにもいかないだろう。
やけに冷静だったところを見ると、ひょっとして俺の反応を楽しんでいたのかもしれない。――それは自惚れか。
こうやって判断していくと、何もおかしいことなんてなかったような気がする。
自分の思い込みのせいで勝手に落ち込んでいたんだろうか。ひどく馬鹿らしい気分になる。
気にかかるのは、
『おまえと結婚の約束をした記憶なんてないッ!』
『私もないよ?』
このやりとりくらいか。
彼女は本当に忘れてしまったのだろうか。
俺が考え事にふけっていると、幼馴染は電話の向こうであくびをかみ殺した。
まだ八時にもなっていないことに気付いて愕然とする。もっと長い時間、電話していたような気がした。
「――明日、先輩に言おうと思う」
幼馴染は眠そうな声で言った。
「やっぱり、あの話はなかったことにしてください、って。みんなに嘘つくのも、疲れちゃったし」
悪女だ。
悪女がいる。
学校中を騙してみせたあげく、「疲れちゃった」なんて理由でやめようとしていた。
「ごめんね、心配だった?」
からかうように、幼馴染は言った。
「馬鹿言えよ」
俺は見栄を張った。
ふたりで一緒にひとしきり笑った。
また、互いに言葉を失う。何かを言わなければならないような気がした。
言っちゃえよ。頭の中で誰かが言った。好きって言っちゃえよ。
頭の中のもうひとりが言った。それでいいのか? 勢いと雰囲気に流されてないか? おまえは幼馴染が好きなのか?
冷静な声に情熱的な声が反論する。馬鹿おまえ、好きじゃなかったらこんな内容の電話するわけないだろ。
不毛なやりとりが何度も繰り返される。その間、俺はずっと黙っていた。
やがて、幼馴染はしびれを切らしたみたいに言葉を発した。
「それじゃ……」
名残を惜しむような声だった。俺は何かを言おうとして、やめた。
「ああ、うん……」
電話を切ると、物音ひとつしない自分の部屋に戻ってきた。今まで、どこか遠い場所にいたような気がした。
そのあとで、幼馴染の言葉を思い出した。
『――明日、先輩に言おうと思う』
……馬鹿だ。
明日は土曜だし、テスト前だから部活もない。
ひとりでクスクス笑ってから、また考え事にひたる。
何で何も言わなかったんだろう、と自問する。
本棚から一冊の文庫本を取り出した。ブックオフで百五円で売っていた小説。
冒頭にはこんな一節があった。
――なににもまして重要だというものごとは、なににもまして口に出して言いにくいものだ。――
俺はこの言葉を盾にとって自分を慰める。多くを口に出せないとき。何かを言い損ねたとき。言い訳に使う。
それでもいつか、誰かに何かを告げなければならない場面は来る。
考える。
今回は結局、幼馴染に彼氏ができたわけではなかった。
でも、もし仮に、本当に幼馴染に恋人ができたとき、どうなるのだろう。俺は祝福するのか、後悔するのか。
子供っぽい独占欲と恋愛感情との区別を、俺はいまだにつけられていない。
今回は偽装を偽装と確認するだけでよかった。
でも、もし今後そうではなく、「本当の」交際相手などというものが現れたら、幼馴染を取り返すなどということはできはしない。
このところさんざん悩んでいたように、苦しみながらも折り合いをつけていくことになる。
だから、判断しなければならない。
俺はいったい、誰が好きなのか。
幼馴染を取り戻そうとした感情が、もし子供っぽい独占欲だったなら、それは何の為にもならない。決別しなくてはいけない。
選ばなくてはならない。そもそも、幼馴染の恋愛に口を出す権利など、俺は持ち合わせていないのだから。
考え事を続けすぎて、頭痛がしそうになる。
部屋を出てリビングに戻ると、母と妹がふたりでトランプをしていた。
「なにやってるの?」
「ババ抜き」
……ふたりで?
喉を潤してから自室に戻る。しばらくテストにそなえて教科書を見返す。
文字を目で追うが、ちっとも頭には入っていない。教科書の表面を撫でるだけ。目が滑っている、と感じた。
長い時間、なんとか教科書を理解しようと苦心していると、不意にノックの音が聞こえた。
返事をすると、お風呂あがりらしい妹がパジャマ姿で部屋の中に入り込んでくる。
「お母さんは?」
「……電話してる」
寂しそうに言う。
「そっか」
頷いてから、ふたたび教科書と向き合う。
「ね、なんかして遊ぼうよ」
さっきまで誰かと一緒にいたせいで、ひとりになるのが寂しくてたまらないのだろう。
俺は少し考える。遊ぶといっても、できることなんてない。
「テスト近いだろ。勉強したらどうだ?」
妹は不服そうに口を尖らせた。
彼女には落ち込めば落ち込むだけ素直になるという習性がある。
「分かった」
素直に頷く。
背中に声をかけて呼びとめる。
「カバン持ってきて、この部屋で勉強しろよ」
妹がカバンを持ってふたたび俺の部屋を訪れるまで、五分とかからなかった。
しばらくふたりで勉強をする。一時間が経った頃、妹はうつらうつらと舟を漕ぎ始めた。
明日が休みだから、気が抜けたのだろう。
肩を揺すって起こす。自分の部屋で寝るように言う。寝ぼけたままの様子の彼女は、ふらふらとしながら自分の部屋に戻っていった。
どうも、喉の渇きがとれない。
リビングに行く。
電話を終えた母が手持ち無沙汰に座っていた。
「あの子は?」
母は開口一番に尋ねた。
「寝たよ」
「ずいぶん早いのね」
「まぁ、うん」
「学校はどう?」
「悪くないよ」
曖昧に答える。すべての学生が、両親に学校での出来事をつまびらかに語るわけではないだろう。きっと。
「妹は?」
「がんばってるよ」
過剰なほど。
「なんとか、やっていけてる?」
「……まぁね」
親が子供に言う台詞としては、あと数年早い。
母はまだ何かを言いたげだったが、もう質問が思い浮かばないようだった。
距離を、測り損ねている。
麦茶をコップに注ぐ。
「飲む?」
「ええ」
ふたつめのコップを用意した。
少しすると、母は自分の寝室に戻った。
部屋に戻ってひとりになってから、どうするべきかを悩んだ。
思い浮かんだのは、先輩の言葉。
――君には悪いと思ったけど。
ひとまず、話の通じる彼から事情を聞いておきたいところだ。
いったい、何がどうなっていたのだろう。
幼馴染のことはひとまずいいにしても――放置しておけばメデューサに攻撃されかねない。
あの異常な態度。
憂鬱だ。
風呂に入る。歯を磨く。ベッドに潜り込む。
寝付けない。うだるような熱気に部屋がもやもやと侵食されている。
ドアを開けっ放しにして空気の通り道を作る。窓を開けると涼やかな風が入ってきた。
起き上がって電気をつける。教科書をめくった。
テストが近い。勉強しなきゃ。
こういうとき、何か趣味があればいいのになぁ、と思う。寝付けない夜が多すぎる。
なんでだろう。少し切ない。
最近の俺すげー俺の意見が絶対みたいな主人公じゃないのがいい。
次に期待。
最近の俺すげー俺の意見が絶対みたいな主人公じゃないのがいい。
次に期待。
確かにこの完成度で毎日書くって凄いと思う
誤字とかないし
魅き込まれる
誤字とかないし
魅き込まれる
今回の話で心の底から安心した自分は一生恋愛できないと改めて悟った
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