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元スレ永琳「あなただれ?」薬売り「ただの……薬売りですよ」
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薬売り「世界はあまりに広すぎた……人間ですら、一粒の砂に見える程に」
てゐ「そんな砂粒以下の兎が、大層な事に世界を駆けると言い出せば」
薬売り「世辞の一つも、零しやしょう」
てゐ「そんな皮肉にも気づかないくらい……”兎はどこまでも無知だった”」
後から知ったんだけど、あの当時は異国との交流が始まったばかりの頃でね。
まぁ、文通みたいなもんよ。国と国の間に、互いの使者を送りあったりしてたんだって。
そこから段々と、プレゼントを贈ったり、貰ったり、呼んだり呼ばれたりの関係になって……
はは、こう言うとまるで、恋人同士みたいね。
てゐ「あたしが出会った異国人も、案の定そのクチで入って来た人間だった」
てゐ「”あたしの知らない”変わった物をたくさん持ってたわ。あれも今思うと、貢ぎ品かなんかだったんでしょうね」
(――――We came from here……)
(to――――……”THIS”)
てゐ「その中に……一枚の地図があったの」
(――――は、はは…………まじかぁ)
てゐ「今のに比べるとだいぶいい加減な地図だったけど……それでもちゃあんと、描かれてた」
(こんなに……小さかったんだぁ……)
描かれた世界を見る事で……あたしはまた一つ、学んだ。
(…………たい……)
それが、あたしにとっての――――”最後の知”だった。
(あ……だ……い……痛い……痛い…………!)
(――――What's?)
てゐ「あの時の異国人には…………悪い事をしたわ」
だって、さぁ……
(――――あ”あ”あ”あ”あ”あ”!! い”だ”い”い”い”い”い”い”ッ!!)
(――――NOOOOOOOOOOOO!!)
あたしが「諦める事」を覚えた瞬間……
目の前に”皮の剥がれた化け物”が、現れたんですもの。
薬売り「諦めたら……傷が……?」
てゐ「そう、傷。あんたもよく知ってる話とやら……の中で付けられた傷が、”時を超えて再び現れた”」
薬売り(どう言う……事だ……?)
【再現】
薬売り「傷は……癒えていなかった?」
てゐ「半分正解だけど、半分ハズレ――――傷は癒えてもいたし、癒えてもいなかった」
てゐ「ここまで言えば、もうわかるでしょ……その現象に名がある事を知ったのは、さらに先の話だった」
薬売り(猫……)
――――ここへ来てまたも「すれてんがーの猫」、か……
学者の頓知遊びと言えば聞こえはいいがな。しかし門外の我らにとっては、論を思い出すのも一苦労と言う物だ。
ただ……そんな無理問答も、薬売りにだけは解決でき申した。
それは学者としてではない。「薬売りを生業とする者」が持つ見地が、たまたま同じ解を指したに過ぎなかったのだ。
薬売り「そうか……そう言う事だったのか……」
てゐ「そーよ。傷は明らかに、あたしの心に反応していた」
てゐ「長い時を経た今ですら、こうして残るように……あたしの心を、まるで鏡に映すかのように」
あるはずがない箇所に走る幻肢痛。
未だ解き明かされぬ奇病であるが、だがその入り口だけは、うっすらと見えていた。
あくまで仮説の段階である。
しかしまぁ、医学的な見解からすれば、数多ある可能性の中では最も有力なのだろう。
薬売り「あなたが本当に傷つけられたのは……」
てゐ「あたしが本当に、傷ついていたのは――――」
してその説とは……これまた何の因果であろう。
奇しくもそれは、薬売りが最も得意とする分野であったのだ。
てゐ「――――”ここ”だった」
モノノ怪を生む情念。その根源を湧き立たせる箇所――――【脳】である。
てゐ「あたしのこの、中途半端に賢しい頭脳が、何をどうしても「不可能」の答えを導き出した」
てゐ「それほどまでに、世界は大きかった……そして世界の大きさに対し、”あたしは余りにも小さすぎた”」
文献によると、幻肢痛には脳と蜜月な関係があると言う説がある。
その所説を紐解けば、結論として「脳が自身の変化に気づいていない」と言う事となる……らしいのだが。
何がどうなってそうなるのか、ほとほと理解できぬは重々承知。
だがまぁ、この妖兎の場合に限って言えばだが……
はたまたどういうわけか、「癒えた記憶」だけが、すっぽり抜け落ちていると言う事となるわけだ。
薬売り「その事に気づけるほどに卓越した頭脳こそが、あなたを苦しめる原因でもあった」
てゐ「やめてよ卓越だなんて……”兎にしては”よくできてたってだけなんだから」
手短に言えば、「脳の誤認知」と呼ぶべきか。
してその誤認知は、それ自体は病ではなく、往々にして我らの身近にも起こりうると言う物。
ほれ、皆の衆も一つくらい覚えがあろう?
勘違い、見間違え、聞き損じ、その他諸々の些細な失態……。
思い返してもみよ。それらの「誤」が起こりし時の事を。
その時その瞬間、一体何があった?。
てゐ「これを医学用語でなんて言うか……知ってる?」
薬売り「心的外傷。ですか?」
てゐ「はは、やっぱり知ってたか……」
【外目】
てゐ「想像つかないでしょ……全身の皮を剥がれて、さらにその傷口に塩をたんまり塗った時の痛みなんて」
薬売り「想像……つきたくありませんね、むしろ」
――――あたしの脳裏に「諦め」が過った時、”傷は再び現れた”。
剥がれていく皮。滲む血。開く傷。そして、痛み……
マジで、発狂するかと思ったわよ。
大声で叫びながらその場を転げまわる兎は、周りから見たら獣同然だったでしょうね。
ホントマジものすごい声を出したわ……今やれっつっても、絶対できないくらいのさ。
薬売り「そんな傷が……再び貴方に現れた」
自分でもわかってるのよ。のたうち回る自分が、客観的に見てどれほど醜いのか……
でも、体が勝手にそうするの。
度を超えた痛みが、体も心も、何もかもを支配するの。
てゐ「度を超えた痛みは、体だけじゃなく、心も喰い散らかす」
てゐ「そして痛みは、どこまでも喰い続ける……喰らう物が無くなるまで」
だから、迎える結末もやっぱり同じ。
てゐ「そしてあたしは、間もなく――――”壊れた”」
体も、心も、何もかも――――過ごした時の記憶でさえも。
てゐ「あたしはその瞬間から……また、元に戻った」
あの小さな島にいた当時と同じ、”何も知らない兎”に……ね。
【回帰】
薬売り「挫折が、幻肢痛の引き金だった…………?」
てゐ「かもね……まぁ、詳しい事まではわかんないけど」
ああ、そうそう。
元に戻るっつっても、何も100%全部を忘れるわけじゃないのね。
当時の記憶であろう断片は、一応残ってはいるのよ。
例えばほら、今言った島にいた事とか、宴をした事とか、和邇を怒らせた事とか、人間に助けられた事とか……
てゐ「ただ……その前後関係がない。言い換えれば、”なんでそうなったのか”を覚えていない」
毒キノコを食べてお腹を壊した事は覚えているけど、なんで毒キノコを食べようとしたのかがわからない。
底なし沼にハマって溺れかけたのは覚えているけど、なんでそんな沼にハマったのかがわからない。
家畜と間違えられて食われそうになった事は覚えているけど、なんで家畜に間違えられたのかがわからない。
てゐ「わかる? あたしの記憶は、全部”結果”でしかないの」
てゐ「そこに至るまで過程を省いた、チグハグな欠けたパズルのような記憶……」
てゐ「だから、根こそぎ全部かき集めても、どこにも繋がっていない」
てゐ「どこにも繋がってないから……覚えていない」
――――この話……まるで浦嶋子の物語を彷彿とさせるな。
ん? 誰だそれはだと? おっと失敬……「浦島太郎」の事で御座るよ。
で、もう一度言うが、似ていると思わんか?
皆も知っての通り、浦島太郎は竜宮城から帰還して初めて、何百年もの時が経っていたと知ったのだ。
すなわち竜宮城は地上と時の流れが違っていた……言い換えれば、”時が流れる自覚がなかった”。
てゐ「あたしは今……”何回目”の旅を繰り返していたのかさえも」
ほれみよ、やはりそっくりではないか。
この妖兎も同じくして……時が流れた記憶など、なかったのだから。
てゐ「おかしいと思っていたのよ。話しかけてくる人間がやけに馴れ馴れしいし……どころか異国人まで絡んでくるのよ?」
てゐ「言葉が通じないはずの異国人が、当然のように話しかけてきて、しかも親切に異国の品々を見せてきた……」
てゐ「で、なんであたしに――――その記憶”だけ”が残っているのか」
まぁ浦島の方は、最終的に「時相応」の見た目になったから、ある種それでよかったのかもしれんがな。
しかしこの妖兎は違う。
妖兎は老いるでもなく、玉手箱のような何かを得たわけでもない。
ただ、ある日唐突に――――未来へと、飛ばされたのだ。
薬売り「異国の言葉を知っていた……いや、その時点では学んでいた」
薬売り「どの程度習得していたのかは存じませんが……少なくとも、他愛ない会話はできる程には」
てゐ「でもそんな折角の知識も、今や何にも覚えていない」
てゐ「憶えてないのに増え続ける、どこにも繋がらない記憶の欠片達」
てゐ「かろうじて残る小さな断片が、紡ぐ答えは――――”最も知りたくなかった答えだった”」
我ながら言い得て妙な表現である。
時を駆ける兎……か。
そんな摩訶不思議な体験ができるなら、身共も是非体験してみたいと言う物である。
”覚えてさえいれば”な。
てゐ「あたしは――――”同じ旅を繰り返していた”」
てゐ「あたしは繰り返していた。何度も何度も……同じ野望を持ち、同じ志を目指し」
てゐ「何十年、何百年と、何度も何度も……いつか不可能だと悟り、諦めるまで」
――――そしてその過程は、痛みがキレイさっぱり喰らい尽くしてしまう。
てゐ「そして何もかもを忘れたあたしは、いつかまた、志す……世界の「知」を得る為に」
薬売り「その旅路の果てに、またいつか、不可能を悟る……」
――――そして、また戻る。
中途半端に残った、記憶の断片と共に。
てゐ「決して終わる事のない旅……広い空の下で、延々と巡る大きな輪っかのような道筋」
そんな終わりなき旅路を、人は――――”永遠”って呼ぶのよ。
【廻旋】
てゐ「どお? 笑っちゃうでしょ……あたしってば、夢破れる事すらできないのよ」
てゐ「誰しもが、いつしか悟る、分相応……あたしは全知を望みながら、なのに身の丈すらも測れないの」
てゐ「本当に……ホント……おかしいったらさんありゃしない……」
薬売り「……」
――――妖兎の口数が、目に見えて減っていた。
自身の半生を思い起こす事で、自身が如何に悲しき性を持つのか。
それらの全てを、改めて認識し直したのだろう。
そして、憐れんだ……自分自身を。
その眼には、うっすらと涙が浮かんでいたようにすら見えた。
てゐ「あまりに愚かで……惨めにも程がある兎」
てゐ「何もかもを忘れて……何も積み重ねる事が出来ない、ただの獣」
てゐ「…………」
退魔の剣は、ただ震えるのみであった。
してその震えが、妖兎が、嘘偽りなき真を述べている事をしかと表しておる。
薬売りからすれば、その震えは、数ある真の中の一つに過ぎぬのだろう。
しかし身共からすれば……と言うより、”薬売り以外からすれば”。
妖兎の涙に応え、励ましていたように見えなくもなかったのだ。
薬売り「ん……?」
さて……ここまでくれば後少しと言う物なのだが。
しかし肝心の妖兎が、こうして語りの最中に口を閉じてしまった。
さっきまでの饒舌ぶりはどこへやら。
今や、うっすらと涙を浮かべながら……ただひたすら天を仰ぐだけの存在に成り果てたのだ。
薬売り「これは、これは……」
――――しかし心配はご無用。
誰が何と言おうと、妖兎の真は、すでに”最後まで語られる事”が決まっておるのだから。
薬売り「いつの間に……戻ってこられたのですかな?」
故に妖兎がいくら押し黙ろうと、何ら一切の問題がない。
そう、妖兎は持っているのだ。
自らが口を開かずとも――――思いの丈を、”勝手に代弁”してくれる者共が。
薬売り「なるほど、ね……」
(…………)
薬売り「巻き戻る記憶の中で、幻となった記憶の断片……」
薬売り「その欠片こそが…………”貴方方兎だった”と言うわけですか」
薬売りは、妖兎が操るこの兎の群れこそが、”無くした記憶の断片達”であると推察した。
それが当たっているかどうかはわからない。
だが、薬売りにはどちらでもよい事である。
妖兎の持つ、真と理を知ることさえできれば――――集いし兎の正体など、どうでもよかったのだ。
(きゅう~)
薬売り「ええ……わかっておりますとも」
薬売り「では、そろそろ終わらせるとしましょうか……」
薬売り「この永遠亭が残せし……”最後の理”を」
薬売りはそう言うと、兎に向かってとある物を投げつけた。
その物は、投げられると同時フワフワと宙を漂い、そして兎の頭上へと緩やかに舞い降りて行く。
”凜”――――着地と同時に綺麗な鈴の音がした。
そうだ。薬売りの投げたそれは、いつぞやの【天秤】であったのだ。
前から思っていたのだが……この天秤、やはりただの天秤ではない。
曰く「モノノ怪との距離を測る為の物」らしいが、効果は明らかにそれだけではない。
なんせ身共もその場にいたのだ。そして、確かに見た。
「真を手繰り寄せる」――――そう言った直後、真が風景となりて現れる様を。
薬売り「……おや」
此度の天秤もその時と同じである。
薬売りはあの時のように、天秤を用いて、妖兎の持つ「真の風景」を浮かべようと画策したのだ。
そしてやはり――――現れた。
薬売り「これは……」
自称「惨め」で「愚か」で「何よりも矮小」でありつつも――――”誰よりも幸せだった”真が。
薬売り「おや……」
【雪】
薬売り「また……降り始めましたな……」
兎「北国だからねえ。むしろこんなのは日常茶飯事」
兎「酷い時には、全身すっぽり埋まっちゃうくらい積もるんだから」
薬売り「寒く……なかったので?」
兎「ふふん……そこはやはり素人ね、ちんどん屋」
兎「いい事? 兎ってーのはさぁ……とっても寒さに強い生き物なのよさ」
薬売り「ほほぉ……」
いい機会だから教えといてあげるけど、あたしら兎にとっちゃあ、冬ってーのはまさに桃源郷でね。
ほら、うちら冬眠とかしないじゃん?
だからうちらにとっちゃぁ、雪ってば、言わば「自由への合図」なのよさ。
((キャハハハハ――――))
うちらを襲う天敵は、雪と同時に夢の中。
その間どこへ行こうが何をしようが、誰にもなんにも目をつけられない。
おまけに餌はどんだけ放置してても腐らないときた……
いやはや、まさに素晴らしいの一言だわね。
兎「それにさぁ…………ほら」
雪みたいに――――”白いままでいられるから”。
薬売り「あれは……何巡目の兎なのでしょう」
兎「さぁねえ……途中から、数えるのやめちゃったし」
薬売り「おや、どうしてまた……?」
兎「だって、どーせキッチリ数えたって、すぐに数は変わっちゃうしさ」
兎「そもそもただでさえ大所帯で大変だし。そんなの、面倒くさくてやってらんないわさ」
薬売り「数を数えるのが……お嫌いなのですね」
(ぎゃあああああ――――……)
兎「――――ほら、噂をすれば」
兎「はい、おつかれさん――――”今回の一生”はどうだった?」
――――ほんともうマジ最ッ悪!
変なガキがいきなし弓矢で狙ってきてさぁ!
あのクソ成金、一体どういう教育してんのかしら……
子供のしつけくらい、ちゃんとしとけっての!
兎「あらあら、それはそれは……」
あーあ……折角いい寝床を見つけたと思ったのになぁ……
あ~もうむかつく!
金輪際、あの家には絶ッ対近寄らないんだから!
兎「でもあんた……そもそも家主に許可取った?」
う……取って……
…………ますん。
兎「おぅけぃ。取ってないのね」
薬売り(兎が……”産まれた”)
【御産】
兎「で……今度はどうだった?」
つ、疲れた……
それはもう、しばらく動けないくらいに……
兎「おや、そりゃまたどうしてだい?」
ほんとマジ聞いてよ……なんか気のいい人間がいてさ。
あたし用の部屋を貸してくれるって言うから、お言葉に甘えて転がり込んだのさ。
兎「あら、いい人じゃん」
と、思うじゃん? そこまではよかったんだけど……まんまと引っかけられたわ。
住んでびっくりよ。
そこはなんと、日々たくさんの人間が出入りする”貸宿”だったのさ。
兎「おおう……そりゃまたご苦労さんなこって」
人間のしたたかさ、マジ侮り難しって感じよ。
兎相手にそこまでやるかってくらい、そりゃもう馬車馬の如く働かされたわ。
毎日毎日、見知らぬ人間と握手握手握手……
あのババアめ、ハナッからあたしを、客寄せに使う気だったんだわ。
兎「何それ。千両役者みたいでウケる」
で~も~……ふふん。
働いた分の報酬は、キチっと受け取って来てやったわよ。
兎「あっ」
薬売り「…………」
じゃ~~~んッ! 今巷で話題の「鶴の織物」!
ババアが代金代わりに受け取ったのを、さらにぶんどってきてやったのさ!
兎「いーなー」
((いぃ――――なぁ――――))
兎「とまぁこんな感じで、段々と増えてって……気がつけば、ちょっとした大所帯になってたって話だわさ」
薬売り「してその全ては……同じ兎から枝分かれした自分」
兎「詩的だねぇ。そんな大層なもんでもない気もするけど」
薬売り「いえ……ただ……随分と似ているなと……」
(――――だって……あたしは常に、あんたと一緒だもの)
兎「んお? 誰とだい?」
薬売り「なんでもありません……ただの、独り言です」
兎「見た目通りの、変な奴だねえ」
(あ”あ”あ”あ”あ”! い”だい”い”い”い”い”い”!!)
兎「とか言ってる間に、まーた一羽増えたわさ」
薬売り「……お疲れ様です」
――――え、ちょ、誰……?
そのちんどん屋みたいな格好の奴。
兎「ああ、こちら、最近越してきた薬売りさん」
兎「なんでも……てゐの真と理が知りたいそうだよ」
薬売り「どうも……」
はぁ……。
なんかよくわかんないけど、遥々ご苦労なこってです、ハイ。
【会釈】
兎「でも、中々見えなくて困ってらっしゃるのよさ」
兎「だってほら……”本人自身が忘れちゃってる”からね」
あー……なるほど。お手上げな感じなのね。
薬売り「延々と繰り返す堂々巡りの前に……よもや、永遠にたどり着けないのではとすら思えます」
ま、確かに。残念ながらてゐが「知」を得る事は、永遠にないんだけどさ。
でもさ、でもさ、別に……この旅自体は、永遠じゃないわよ?
薬売り「旅に終わりが……?」
百聞は一見にしかず。
その眼で確かめてごらんよ――――ほら。
(こ……こ……は……?)
長い長い旅路の果てに――――ついに、辿り着く事ができたわけ。
(ここ……は……)
(この…………”島”は…………!)
兎「文字通り、一周してきたのよさ――――”最初の場所にね”」
兎「何もかもを忘れてしまう、老人顔負けの痴呆兎だけどさ」
兎「でも、あの島の事だけは、ちゃ~んと覚えてた」
(は、はは…………まじかぁ…………)
――――で、もちろんてゐが知ってるから、うちらもあの島を知っている事になる。
兎「あの島は、この長く続いた旅路の……始まりの地でもあり、終わりの地でもある」
【到達】
兎「これ以降……仲間が増える事はなかった」
何故ならば、てゐはもう、何も忘れなかったから
(夢の中の風景だと思ってた……まさか、本当にあっただなんて)
兎「痛みが現れなかったから……記憶はずっと、てゐの中に残り続けたんだ」
薬売り「言うなれば……”心折れる事が無くなった”」
【出航】
【漕】
(よっこらせ――――うんとこどっこいせ――――)
薬売り「船……ですか」
兎「そ、船。つってもまぁ、その辺の廃船をテキトーにかっぱらってきただけなんだけどね」
薬売り「今度は……和邇を伝っていかなかったのですな」
兎「はは、そりゃそーでしょ。前回あいつらにどんなけえらい目に合わされたと思ってんのって話よ」
(し、しんど……ちょっと休憩……)
兎「でもまぁ……結果的には、そう大差なかったんだけどね」
薬売り「…………?」
近づけば近づくほど、在りし日の記憶が脳裏を過った。
やっぱり島は島だった……もはや、いつぶりの帰郷かも忘れてしまっていたけれど。
それでも島は、あの時振り返った光景と、何も変わっちゃいなかったんだ。
兎「島は何も変わっていなかった……けどてゐの方は、当時と異なる”決定的な違い”があった」
それが――――うちら。
てぬが忘れてしまった記憶から生まれた、ウン万年分の知の欠片達。
【智識】
兎「ウン万年以上も溜め込んだんだから、そりゃあ、探せば一羽くらいいるわさ」
兎「――――”船の直し方を覚えた兎”くらい、さ」
(くっそー……やっぱり帆くらいつけとけばよかったかも……)
(風の勢いに任せれば、こんな程度、ビューンと一っ跳びなのに~……)
とかって本人は言ってるけど、実はこれ、結果的には大正解だったのよね。
あんたも思ったでしょ? 直し方を覚えたにしては、えらいボロっちいなって。
薬売り「まぁ……修繕済と言う割には、どうもいい加減と言いますか……」
ま、確かに元々朽ちた廃船だったけどさ。
でも別に、いい加減に直したってわけじゃないのよさ。
この時のてゐは――――望んでたのよ。
快適な船旅よりも、”一刻も速く”辿り着く事をね。
兎「でも……」
薬売り「でも……?」
薬売り「――――おや?」
【暗雲】
薬売り「見るからに……雲行きが怪しいのですが……」
兎「ふふん、まぁ見てなって」
(なんか……すこぶるやな気配……)
(――――ゲッ!?)
兎「船の作り方を覚えた兎がいるんだから、”天気の読み方を覚えた兎”がいても、おかしくないよね」
兎「だからその兎は、今後の荒れ模様をこっそりと教えてあげた……けどその告げ口は、すでに海の上にいるてゐには意味がなかった」
(うそでしょぉぉぉぉおおお――――ッ!?)
――――都合優先で直したボロ船は間もなく崩壊。
てゐは海の中へと放り込まれ、荒れる海の中を死に物狂いで泳いだ。
多分この時、本気で死ぬと思ったんじゃないかな。
だとしたら滑稽よね……”すでに何度も死んでる”ってーのに。
【浮】
(ブハッ――――ガボッ――――)
薬売り「これが……正解……?」
兎「うん、正解」
【沈】
(ガハッ――――ゴボボボボボ――――!)
薬売り「どう見ても……溺れているのですが」
兎「”泳ぎ方を覚えた兎”が付いてあげてたみたいだけど、どうやら、途中で中断したみたいね」
薬売り「何故……?」
【雷雨】
知ってたからよ……この荒れる海原は、この島の周辺にはよくあるただの時化だって。
【暴風】
兎「知ってたからよ……これは久しぶりに帰って来た兎への、あったかな出迎えだったんだって」
知ってたからよ…………
これは…………
一羽の兎を育ててくれた…………
島の…………
((やさしい…………やさしい…………))
【波浪】
兎「ところで薬売りさんはさ……やっぱり”てゐの事モノノ怪だと思ってるの?”」
薬売り「いえ……どちらかと言うと”貴方方の方が近いかと”」
兎「う~ん、ハッキリと物を言う奴だわさ」
――――でもさ、でもさ。
最初にあんたの言い分を聞いて、ずっと引っかかってた事があるのよね。
「モノノ怪は斬らねばならぬ」。
そりゃ悪さばっか働くってんなら、ぶった斬って懲らしめてやんなきゃって話だけど?
兎「でも、じゃあ、仮に……モノノ怪が”生きとし生ける者の為に”存在しているのだとしたら」
薬売り「モノノ怪が……命ある者の為に?」
だって、考えてもごらんよ。
かつてこの島は、全てが一つだった……人も、獣も、虫も、花も。
相容れないはずの全くの別種の生き物。
なのにそんな別物同士が、この島に限り、共に宴に酔いしれるくらい一つだった。
兎「……なんでだろ?」
薬売り「……なんででしょう」
これって、人間同士でも同じ事が言えるよね。
例えば、さっき見た北国のガキンチョと、一面海に囲まれた島で育ったここの子供。
果たして彼らは、同種の人間と言えるだろうか。
薬売り「全く同じ……と言うわけには、いきませんな」
兎「そ、言えないよね~。だって、生まれも育ちも、何もかも違うんだもんね」
兎「育った環境が違うから常識も違う。発想も違う。生き方も違う。ついでに言葉使いも若干違う」
薬売り「ま……多少の分別は避けられないでしょう」
兎「そんな違う者同士を、仮にこう、狭ッ苦しい同じ家へと入れた時……果たしてこの違う者同士は、どうなっちゃうだろう」
薬売り「当然……そこには”摩擦”が生まれる」
『――――互いの内にある些細な違いが、双方に細かな傷をつける。
細かな傷は、擦れば擦る程に増えていく。
それはまるでやすりのように、続けば続くほど、ドンドンとすり減り削られて行く……
そして最後には、消える』
兎「その場合、残るは強度に優れた鉄製のやすりか、加工に秀でた銅製のやすりか……」
兎「はたまた、”両方共消えてしまうのか”」
薬売り「どちらにせよ……壊れた道具は、捨てられるのが常ですぜ」
兎「道具はね。でも、生命はそうじゃない」
兎「ほら、見てごらんよ。ここにはそんな……”擦り合った痕”がいっぱいだ」
【墓】
薬売り「墓地……?」
兎「ねえ薬売りさん……薬売りやってんなら、不思議に思った事はないかい?」
薬売り「なにが……?」
何もかもが違う所だらけの生き物なのにさぁ。
こうやって……”命尽きた者への対処”は、みんな一緒だよね。
兎「誰に教わったわけでもないのに、自然とみんな、土に埋めるよね~」
兎「……なんでだろ」
薬売り「その問に答えるのは簡単だ…………”宗教”ですよ」
『その者の生きた証であり、大地への寄与でもあり、時には権力の誇示にも使われる。
してその根源は、”奉る”事。
無を認めず、故人に思い馳せる事で、「浄土にあり続ける」と思い込もうとしている――――』
『そしていつか我が身が骸と化した時。
自らもまた浄土へ至らんと言う……言わば、生者の理。』
薬売り「ま、細かく言えば、それもまた各々で異なるようですが……ね」
兎「――――アホ。誰が墓の起源を語れと言ったんだわさ」
薬売り「おや、違うので……?」
ったくこれだから天然は……
ごく一般的な考えでいいんだわさ。
ごく普通に考えて、人間は墓を立てて、一体そこで何をするんですかって話だわよ。
兎「祈るんでしょうが……死者の幸せを」
兎「――――あんな風に」
薬売り「いつの間に……」
兎「伝え聞かなくても、誰にも教わらなくても、ああやって死者の前では、みーんな同じ事をするよね」
兎「こう、両手を握って……目を閉じて、祈る」
兎「まるで、眠りにつくかのように」
【祈祷】
人も、獣も、虫も、鳥も――――誰もかもが、死者の前では皆、ああして等しく同じ作法を真似る。
不思議だよねぇ。教わるどころか意思疎通すらできない者同士なのにさ。
だとしたらさ、これはひょっとして、ひょっとすると……
全ての生き物は――――”元々一つだった”のかもしれないね。
兎「元々一つの生き物だった時に覚えた事が、今も頭のどこかで残ってる」
兎「だから、無意識に同じ行動をとる……って考えたら、しっくりこない?」
薬売り「わかるような……わからないような……」
ごめんごめん、ちょっと話が飛躍しすぎたわさ。
別にご高説垂れたいわけじゃないの。
ただ、ちょっと例えたかっただけ。
この墓の下に眠る彼らと……一つの時を共有した、一羽の兎とさ。
薬売り「ではこの墓に眠るのは……かつて共に宴に酔いしれた、八百万の生き物達……?」
兎「そしててゐが旅してる間に、てゐだけ残してみーんな土の中」
兎「……ってもまぁ、何百年も経ってんだから当たり前っちゃあ当たり前なんだけど」
天寿を全うした彼らの死に目に立ち会えなかった事に、思う所あったんでしょうね。
だからああして、祈った……
【悼】
遅すぎた哀悼。後悔先に立たず。
喧嘩別れ同然だった最後の記憶が、てゐの心にズンと圧し掛かる重しを乗せた。
兎「同時に猛った――――”また仲間外れか”と」
そもそも、別れの原因が「仲間外れにムカついた」だったからね。
こうなるともう、とてつもなくびみょ~な心情よさ。
怒りをぶつけようにも、あの時の面子はもう誰も残っちゃいない。
かと言って、大手を振って喜べる程の憎しみも、残っていなかった。
兎「結果、何とも言えぬわだかまりが残った……哀悼と背徳が、同時に内在していた」
兎「でも――――そのわだかまりは、すぐに打ち解ける事になる」
【真実】
薬売り「ここはよもや……先ほど兎が言っていた……」
兎「鋭いね薬売り。そう、この場所こそが……”かつて兎が世界を見た場所”さ」
兎「う~ん、やっぱりいつ見ても絶景だわさ」
薬売り「なるほど……確かに、切り取りたくなる風景だ」
兎「さすがに雨が降ったらちょっと霞むけどね……でもその後は、”決まって虹が架かる”」
薬売り「その虹が架かっていたからこそ……”世界は兎の目に触れた”」
みんな気づいてたんだわさ……兎が外に行きたがってる事をね。
だってそりゃあさ、毎日よろしくやってた兎が、突然景色ばかりを見るようになったんですもの。
大変だったと思うわさ……”わざと気づいてないフリ”をしてやるのも。
薬売り「兎がいなくなったこの地で……残された者共は、兎の墓を建てた」
兎「墓って表現はちと微妙だね。この場合、”兎がいなくなる前から進んでた”って言った方が正しいわさ」
薬売り「おや、どうして……?」
兎の思惑に感づいた島の生き物たちは、こっそりと、とある計画を企てた。
その内容こそが「海を渡る方法」。
島の生き物達は、決まった時間に話し合いの席を設けた――――兎だけを外してね。
兎「こういうのを、異国の言葉で”さぷらいず”って言うらしいわさ」
薬売り「驚き……の意ですな」
ただ一つ、その「さぷらいず」計画には問題があったのよさ。
悲しい事に……揃いも揃って”アホ”だった。
もう、それは、今では考えられないくらい……だーれも、なーんも知らなかったのよさ。
兎「作り方とか以前に、船と言う存在すら、もうほんと、何もかもを」
薬売り「まぁ時代が時代ですから、そこは……」
おかげで秘密の計画は大幅に遅延……ていうか、始まりすらしなかったわさ。
だって、だーれもなーんも知らないんだもんね。
そして、何も始まらないまま、兎だけが知らない秘密ができた……
(――――ずっと小さなままでいればいいのよさ……こんなちっこい、塵みたいな島で)
結局、そんな内緒の「さぷらいず計画」は、一つの不幸を生んでしまった。
本人も言ってた通り――――兎がそれを「仲間外れ」と受け取ってしまった事さね。
【曲解】
兎「みんな、そりゃあもう困ったでしょうね……誤解を解きたくても、解けなかった」
兎「辛かったと思うわさ。だって……みんな、”てゐが大好きだったから”」
薬売り「……」
そうやって切羽詰まってきた末に、ある日誰かが言い出した。
「――――海の事は海の生き物に聞けばいいじゃないか」。
本来、陸の生き物と海の生き物に接点なんてない……はずなんだけど、その島の住人だけは、ちょっとしたコネがあってね。
薬売り「…………和邇?」
兎「そう、和邇――――まぁ、接点っつーより”因縁”に近いけど」
陸と海。異なる場所の異なる生き物同士。
お世辞にも良好な関係とは言えなかった……けど。
その時その瞬間、両者はついに垣根を超える事ができた。
兎「キッカケは、兎――――兎を思う気持ちが、ついに大地と海とを跨ぐ”橋”となった」
【以心】
その時、ようやっと計画は動き出したんだわさ。
島の生き物は、見返りとして”共に酔いしれる楽しみ”を教えた。
そして目覚めた――――仲間と言う概念を。
【伝心】
酔いしれる楽しみを覚えた和邇は、約束通り海を渡る方法を教えた。
この時和邇が島の連中に教えたのが、「船」と呼ばれる物だった。
これは後に、島に「海の幸」を齎す事になるんだけど……これはまた、別のお話さね。
兎「これがキッカケで、島と海の生き物は共に手を取り合う事ができるようになった……ま、それでも小さな諍いはあったようだけどさ」
【締結】
薬売り「しかし……肝心の兎がいなかった。両者は手を結ぶ事ができた代わりに、当の兎は孤独になっていった」
兎「そう……やっとの思いで船を完成させた時。兎はもう、”島の住人じゃなくなっていた”」
手渡される事のなかった船は、それでも大事に扱われ続けた。
いつか兎に、秘めた思いを伝える為に……
――――そこで連中は話合い、まずは船の保管場所を決めた。
兎を含めた全ての島民が知る、共通の場所。
そこは、「かつて兎と酔いしれたあの場所が相応しいだろう」と、満場一致の決議がなされた。
薬売り「それが……”ここ”」
兎「そう……”ここ”」
後に誰かの提案で、この場所を示す目印が建てられた。
帰って来た兎がすぐに気づけるように。
天にも届きそうな程の、高い高い目印を建てた。
さらに後に、これまた誰かの提案で、雨風に晒されぬ保管用の倉庫までもが建てられた。
時と共に朽ちてしまわぬように。
いつか渡す時まで、守り切れるように。
――――さらにさらにその後。
誰かの悪ノリをキッカケに、周囲ははあれやこれやと過剰な装飾で飾られていった。
やれ石像だの、やれ縄だの、旗だの、布だの、箱だの……
本来必要としなかった物が、次々と足されていった。
兎「そうやって思いつくままに手を加えながら、何日も何日も待ち続けた――――何か月も、何年も」
結果、ただの高台だったはずのその場所は、明らかに元の形から離れていった。
家でもなく倉でもなく、休憩所にしては無駄に豪勢だし、宿に使うならちと狭い。
そうやって気がつけば……元の目的からすらも大きく外れる、用途不明の建築物と化していたんだ。
薬売り「言い換えれば……”時と共に成長していった”」
そう……島の生き物達はずっと待ち続けたのよさ。
健やかに育ちながら……全ては”来るべき時の為に”。
毎日兎が訪れた、あの虹の架かる高台へとね。
【思做】
薬売り「それでも兎は来なかった……何故ならば、”とおの昔に旅立った後だったから”」
兎「そんな事なんて知る由もなかった……”兎が全てを忘れてしまっている事なんて”」
そうして、何もかもを知る事のないままに――――ついには全員、逝ってしまった。
【未達】
その日、その地一帯に未曾有の豪雨が訪れ、周囲の川々が龍の如く荒れ始めた。
その日、その地一帯に巨大の竜巻が吹きすさび、塵々を吸い上げた風は暗黒の如き黒に染め上がった。
その日、その地に繋がる山脈の一つが突如火を噴き、轟々とした溶岩が、巨人の如く大地を塗り替えていった。
兎「数多の稀が、各地で同時に起こった――――後にその稀は伝承として、各々の地で現在まで伝えられていく事となる」
薬売り「バカな……これではまるで……」
しかし、真に稀なる事は――――この天変地異の如き大災害が、結局は”誰も傷つけなかった”事にある。
【災難】
兎「全てを飲み込む川が氾濫した結果、水に乏しかった地に大きな水源ができた」
兎「全てを吸い上げる風が塵々をばらまいた結果、花々は世界中に咲き誇る事が出来た」
兎「全てを焦がす溶岩が大地を覆った結果、生き物が住める新たな島ができた」
【祭納】
薬売り「稀……確率……内在する二つの可能性……」
薬売り「よもや……」
薬売り「兎が産んだ物とは…………!」
――――気づいた、ようだね。
兎「てゐの力は、兎を操る力なんかじゃない…………この”稀を起こす力”だったのよさ」
それをどこかの誰かがこう名付けたのよさ――――。
【幸運を与える程度の能力】ってさ。
一旦乙
そもそもなんでてゐだけ長寿なんだろう
月組とは事情が違うし
そもそもなんでてゐだけ長寿なんだろう
月組とは事情が違うし
(痛い……体中が……痺れるように痛い……)
思い起こせば……てゐが痛みを感じる毎に、どこかで何かしらの稀が起こった。
その稀は決まって、”誰かに幸せにする”稀だった。
(痛い……体中が……焼けつくように痛い……)
兎「痛みと言う不幸と引き換えに……命芽吹かせる幸が生まれた」
薬売り「しかし……全て、この兎が産んだと言うのか……!」
島の生き物は、溢れんばかりの幸を与えられ、誰よりも健やかに育っていった。
それは体だけじゃなく、心も……
そうやって、いつしか船すら知らなかったアホ共は、世代を追うごとに自力で世界へ旅立てる程に成長していった。
兎「そしてさらに広まっていく……兎が産んだ幸が、大海原を超えて、世界へと」
【越境】
(痛い……体中が……死んでしまいそうなくらい……痛い……)
長い、長い年月をかけ――――世界が幸に満たされていく。
幸は新たな幸を生み、心に豊かさを与え、豊かとなった心が、生命を尊ぶ意識を生んだ。
そして尊ぶ事を学んだ生き物は、それを”学問”と言う形で後世に残した……
いつか、時の流れの中で、消えてしまわぬように。
薬売り「そうして学び受け継いだ先に……覚えた」
兎「目を閉じ、両手を合わせ……まるで”墓前のように”振舞う所作を」
【祈】
兎「さながら、故人を偲ぶように」
薬売り「ただしその所作は……」
【析】
(もう……だめ……)
(あ…………)
(……………………)
【折】
(どうか、いい人と巡り合えますように)
【刻】
(どうか、あの人と結ばれますように)
【国】
(どうか、末永く幸せになれますように)
【告】
兎は――――そうやって祈りを捧げられる存在になった。
時には地元から、時には遠方から、時には異国から。
数多の人間がやってきては、兎に祈りを捧げるようになった。
みんな幸福が訪れると信じて……それでも、本人に自覚はなかったけど。
兎「不思議だよね……人間にとっては”哀悼と参拝は同じ”なんだね」
薬売り「……」
兎「ん? どした?」
【文句】
薬売り「やはり……宗教であってたんじゃないですか……」
兎「ええっ!? まだそれ言うの!?」
い、意外と根に持つ奴だね……まぁ別に、合ってる事にしてやってもいいけど。
でも個人的には、やっぱり微妙な所だわさ。
だってほら、宗教って――――要は、”見えない物を崇める事”だろ?
兎「だとすると、ほら…………”まだそこにいるし”」
薬売り「……あっ」
(――――ハッ、まぁたアホ共が雁首揃えてきやがった)
(――――ほ~んと、いつになったら気づくのかねえ……”あたしゃ目の前にいる”って事にさ)
見えない御利益にあやかりに来たのに、実はやろうと思えば見ることができたって言う……
説法的な話じゃないよ。本当に、”幸せは目の前にいた”の。
薬売り「じゃあ何故……人々は、兎を見ることができなかったんですかね」
兎「んなの単純じゃん……”いないと思い込んでたから”」
幸せは目に見える物じゃない――――「形なき存在である」。
概念的な存在であり、決して理解できない”独自の理”によってのみ動く。
長年かけてそう刷り込まれたもんから……見えなかった。
と言うより、”見えてるのに認識する事ができなかった”。
兎「だから求めた……幸せを、目に見える形で認識する事を」
薬売り「だからこうして訪れた……遠路はるばる、世界中の土地から」
そうそう、ちなみに余談だけど、特にやってくるのは「つがい同士」が多くてね。
あんたも御存じの【因幡の白兎】。この話からもじって、兎はいつの間にやら「良縁を取り持つ仲買兎」って事になってたのよ。
実はな~んもしてないのに……ま、噂の起こりなんて所詮こんなもんさね。
薬売り「それに……知ったところでどうせ見えませんしね」
兎「そんな感じで、噂が噂を呼び、尾ひれ背びれが大量についたあげくの果てに、さ」
兎「もはやてゐは――――”自分でもよくわからない”存在になった」
薬売り「……」
真偽不明の噂を真に受けてやってくる連中を、てゐはずーっとここから眺めてた。
そして言った……「アホ共め」。
祈りを捧げた連中に、御利益が訪れたかまでは知らない。
あのつがい同士は無事結ばれたのかなんて、知ろうとも思わない。
ただ、祈りを捧げた後に、やたら「幸せそう」な顏をしてる連中の姿を見て……てゐは思ったわけ。
兎「何か……わかるかい?」
薬売り「いえいえ、御仏のお考えなさる事など、恐れ多くてとても……」
兎「あ、茶化してる~」
でもまぁ、てゐ本人は何時だってシンプルさね。
てゐは思ったのさ――――”世界は向こうからやってくる”。
かつて手に入れたがった「知」の欠片たちが、 わざわざ自分から足を運ばずとも、向こうの方から各々の「知」を述べに来る。
そうなりゃもう、旅なんてする必要ないよね。
兎「だからてゐはもう、島を出ようと思わなかった……」
兎「てゐはただ、かつての友が残した箱で、ゆらゆら揺れてるだけでよかった」
自分を育ててくれた島の中で、かつての記憶に思い馳せているだけで――――
それだけで、誰かに幸せを与えられたから。
兎「旅に費やした以上の、長~い長~い時の中で、ね」
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