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元スレ永琳「あなただれ?」薬売り「ただの……薬売りですよ」
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てゐ「え、ちょ…………ええっ!?」
薬売り「いやぁ……さすが姉弟子様です。八意永琳の弟子だけあって、実に聡明で……」
てゐ「いやいや……」
薬売り「”お手上げ”ですよ、完全に……何をどうしたって、あっしに勝機など見当たりませぬ」
……阿呆かこいつはァァァァ! ぬぁ~にを潔く負けを認めておるのだ!
しかもしかも、健闘の末に惜しくも及ばずならまだしも……やる前から諦めるとは一体どういう領分なのだぁッ!
その宣言が何を意味するかわからぬはずはない……はずなのに……
と言うかそれ以前に、男としてどうなのだ! そこはッ!
薬売り「だって……そうでございやしょう? 仮にあっしがその、弾幕勝負とやらに応じたとして」
薬売り「対面ならまだしも……”多勢に無勢”とあらば、どうして勝利を収める事が出来ましょうか」
ぐう……なんと言う腰抜け……
見苦しい言い訳にしか聞こえないが、まぁ……一応薬売りは薬売りなりの理由があるらしいので、一応聞いといてやろう。
ウオッホン! では気を取り直して……
薬売りは此度の決闘を「多勢に無勢」と言った。
決闘なのに多勢とはこれ如何にと言った話であるが、要は、薬売りはちゃぁんと記憶しておったと言う事よ。
てゐ「……かぁ~、なんだぁ、バレてたんだぁ」
薬売り「ええ、そりゃ、もう……」
降参した分際で爽やかな笑顔を見せる薬売りに、若干の怒りを今日この頃である。
が、妖兎本人が認めるように、やはりそれは列記とした罠だったのだ。
――――パチン。薬売りの降参を合図に、妖兎が軽く指を鳴らした。
そしてさらに、その音を合図に姿を露にする「妖兎の罠」。
その正体は、その正体こそが――――妖兎の使役する、”兎の群れ”だったのである。
薬売り「やっぱりね」
てゐ「みんな、もう解散しておっけーよ。なんとこいつ、”始まる前に降参”しやがったわ」
「解散」。妖兎の言葉を皮切りに、兎は兎らしく、可愛げに跳ねながら散っていった。
その帰り際は、なんとなしに「肩透かし」的な哀愁を感じなくもない。
まるで待ちぼうけを食らった妾のようである。
でもまぁ、これでよかったのかもしれん……いかに行け好かぬ薬売りとて、知人が獣の供物となりて食われる姿など、見とうなかったのでな。
薬売り「いやはや、危ない所でした……あともう少しで、全身を齧り切られる所でしたよ」
てゐ「いや、別にそこまでするつもりはなかったんだけど……」
妖兎の指示に忠実に従うこの兎共は、言わば妖兎直属の配下。
玉兎とは違い、この妖兎は単身でありながら無数の分身を所持していたのだ。
こうなればある意味、最初に因縁をつけられたのは「不幸中の幸い」だったと言うべきか……
妖兎が【兎を操る力】を持つなど、あらかじめ見ておかねば、きっと気づけぬままであったろうて。
薬売り「あの時、あっしの札を竹毎齧り切った、凶暴な兎達……しかし兎とは、元来臆病な生き物」
薬売り「臆病なはずの兎が、何故にあの時に限りあれほど興奮していたのか……答えは実に簡単だ」
薬売り「誰かがそう指示したからです。あの時最も興奮していた”長”からね」
(――――このうさんくさいちんどん屋を全員で取り囲め~~~!)
玉兎が乱す力を持つように、妖兎は兎を操る力があった。
普段は雑用作業の延長線でしかない能力であるが、それ故に”いくらでも応用が利く”。
これこそが月にはない力。
当人の使い方次第で、如何様に便宜を図れる【地上の力】。
薬売り「こんな有効な手段、この場で使わぬ道理はなし」
薬売り「足を引っ張るもよし、盾になるもよし……従える兎の数だけ、いくらでも介入できる」
てゐ「だぁ~~~~もうわかった! そうです、そのとーりです!」
てゐ「インチキしようとしてましたごめんなさい! どお!? これで満足!?」
妖兎の白状が、崇高な決闘を一個人の謀りへと変えた。
あれほど掟だなんだと煽っていたにも拘らず、その実「虎視眈々」を狙う腹積もりは、逆に関心すら覚えると言う物よ。
しかし問題は……こいつ。
何やら意気揚々と妖兎の企みを暴いておるが、やってる事はただの腑抜けである。
てゐ「でもさぁ……ドヤってる所悪いけど、あんた、ほんとにわかってる?」
てゐ「スペルカードルール下において、降参を宣言する事がどういう事か……知らなかったは通用しないわよ」
薬売り「ええ、重々承知ですとも」
そう。如何様な謀りがあり、いくらそれを見抜いたとて……薬売りが取った手段は、結局「諦め」でしかないのだ。
弾幕勝負に待ったはない。それは我らの決闘とて同じ。
「参った」――――この言葉を吐いた瞬間、薬売りの敗北は決定してしまったのである。
【決着】
てゐ「じゃあ……ええと……こんなケースはあたしも初めてなんだけど」
てゐ「一応まぁ、放棄試合と言う事で……勝者は敗者のスペルカード、またはそれに準ずるものを……」
薬売り「もう、置きましたよ」
てゐ「――――準備よすぎィ!」
勝利の証はすでに、妖兎の足元に置かれてあった。
勝利の栄光を称えるかのように、キラリと光るは「退魔の剣」。
これは理と引き換えに提示された、紛れもなき勝者の証明である。
てゐ「そ、その手には乗らないわよ……」
薬売り「何の、手ですか?」
そして薬売りのあまりの手回しの良さを前に、妖兎に不信感が湧き出る事もまた、至極道理。
よって妖兎は、小さくもハッキリと零した――――「こんなうさんくさい奴が素直になるはずがない」
そうなるのも当然だ。なにせ、他でもない自分がそうなのだから。
てゐ「……実はすでに剣には兎取りが仕掛けて合って」
薬売り「ありませんよ。寸尺的に無理でしょう」
てゐ「……とった瞬間この頭がガブッと噛みついてくるとか」
薬売り「しませんよ……できるならとっくの昔にやっています」
てゐ「ハッ――――わかったわ! この先っちょに薄いワイヤーみたいなのが括りつけてあってそれがあんたの指と(ry
薬売り「やれやれ……疑り深い方だ」
薬売り「そこまで言うなら――――これならどうです?」
てゐ(はう――――!)
そう言うと薬売りは、両の手を大きく上へ掲げた後、肘を折り曲げ、掌を頭の後ろへ追いやった。
まるで岡っ引に捕えられたコソ泥のような、実に哀れな姿勢である。
そんな情けないにも程がある姿を、何故だか自信満々に。
しかも「してやってる」と言わんばかりに、妖兎の眼前に恩着せがましく見せつけたのだ。
薬売り「必要とあらば目を瞑りましょう。それでも不安ならば頭を垂れましょう」
薬売り「そこまでしてもまだ不信感が拭えぬのなら……拭えるまで、トコトン付き合いましょう」
薬売り「――――”夜が明けるまで”、ね」
てゐ「う……」
妖兎は困った。実に困った。
妖兎の脳裏には、未だかつてどこにも存在しなかったのだ。
謀った相手が怒り狂う様は幾度も見て来たものの――――自らの「負けを強く主張する者」など、いくら遡ろうと、どこにも。
薬売り「どうしました……勝利を手に取らないのですか?」
てゐ「く、くっそ~……」
怪しすぎるのは重々承知。が、それでも妖兎は手に取らねばならぬ理由があった。
否。それはもはや「義務」とすら言えよう。
何故ならば……見慣れぬ掟にも関わらず、薬売りはちゃ~んと従ったのだ。
それは、名付けるならば――――「敗者の掟」。
さもあれば、今度は勝者が勝利を手にする事も、これまた”掟”の範疇であったのだ。
【責務】
てゐ「と、取るわよ……?」
薬売り「どうぞ」
てゐ「ほ、ほんとに取るわよ……?」
薬売り「そのように」
今までの強気な態度はどこへやら。
退魔の剣を取らんと伸ばすその手は、臆病と呼ばれる兎そのままに、ぷるぷると震えておったのだ。
その様はさながら、ヘビに睨まれたカエル……もとい、剣に睨まれた兎。
それは剣が顔貌の如き形を持つ故か。
妖兎からすれば、剣が新たな主人となる自分を、じっと睨んでいるようにも見えたのであろう。
退魔の剣「 」
てゐ「お…………」
薬売り「はやくしてもらえませんかね……手が痺れて参りました」
てゐ「う、うっせ! 急かすんじゃないわよ……」
震えつつも少しずつ近づいていた妖兎の手が、寸前でピタリと止まった。
薬売りが掟を遵守した以上、今度は自分が守らねばならぬ。
そんな事は重々承知の上である……が、そんな妖兎の葛藤は、身共もよ~く理解できようぞ。
「――――最高に胡散臭い」
身共が妖兎なら、やはりその言葉を吐くであろうな。
退魔の剣の風貌も去ることながら、この”自身に都合の良すぎる展開”は……
兎の臆病な性を、そりゃあもぉ~激しく刺激したのだ。
てゐ「う…………」
てゐ「ぐ…………」
薬売り「…………」
てゐ「…………んぉ~~~~~~~~~ッ!」
それでも妖兎は、ついに意を決し――――退魔の剣へと手を伸ばした。
薬売り「おおっ」
瞬間――――ぬめりとした感触が、妖兎の掌に駆け巡った。
てゐ「…………」
そのぬめりは、手汗の感触であった。
自身でも気づかぬうちにかいた大量の汗が、当たり前のように感ずる触感すらも滲ませたのだ。
手汗が齎す滲んだ感触。
しかしそれは勝利の実感に同義。
その感触が掌に、しかと伝わる程に――――妖兎の手が今、確かなる勝利を掴んでいたのであった。
てゐ「と……とったどー……」
薬売り「おめでとう……ございます……」
この瞬間、妖兎は掟に基づき、晴れて勝者となった。
過程こそ意外であったものの、それでも勝ちは勝ち。
小さき掌に伝わる剣の感触は、紛れもなく勝者の感触と言えよう。
てゐ「……一つ、言っていい?」
薬売り「どうぞ」
得てして、妖兎の勝利は。もはや何人たりとも覆せぬ確かな”真”となった。
そんな勝利の実感に、思う所がないはずもなく……
妖兎は己が心中を抑えきれず、思うがままに、声高らかに吠えたのだ。
てゐ(うれしくねぇ――――!)
その心中は――――「やっぱり勝った気がしない」。
そんな思いで、満たされていたのだった。
【確立】
てゐ「ほんと、初めてよ……こんなに複雑な気分の勝ちは」
薬売り「いいじゃないですか……如何様な過程であろうと、それでも勝ちは勝ち」
薬売り「あっしが降参せざるを得ない程、貴方は狡」
【訂正】
薬売り「強かった」
てゐ「何噛んでんのよ」
勝者への賛辞が、どこか棘がある風に聞こえるのは気のせいか。
いまいち気乗りしない様子の妖兎に、薬売りはこれまた微妙な祝福を投げかけた。
まぁ、確かに実感はないだろうな……何せ、何もしていないのだ。
妖兎は妖兎なりに練ったであろう謀りの数々。これらがある種、「全部無駄になった」とも言えるのだから。
薬売り「まぁ、そう思っていれば……いいんじゃないですかね」
てゐ「ふん、あんたの下手な世辞なんてどうでもいいわよ」
てゐ「そんな事より、これ……よく見ると、中々かわいいじゃない」
薬売りの世辞こそ響かぬままであったが、それでも妖兎は、徐々に機嫌を取り戻しつつあった。
その所以はやはり、その手に掴んだ退魔の剣。
モノノ怪を斬ると言う唯一無比の価値とは別に、「個人的に好ましい形」が、いつの間にか妖兎の心をがっちりと掴んでいたのである。
てゐ「ふむふむなるほど……刀っつーより、脇差? に近いわね」
薬売り「まぁ、懐に収めれるくらいですからね」
てゐ「それに……軽い。これならあたしでも、十分取り廻せそう」
薬売り「特に貴方様は、背丈が小さいですからね……」
剣と呼ぶには少し短い寸尺は、薬売りの言う通り、妖兎の背丈にピッタリであった。
「よっほっは」と取り廻す姿も、妖兎の小ささが相重なり、存外様になっておる。
ふむ……確かに、ある意味薬売りより妖兎の方が、主に相応しいかもしれぬ。
それ程までに、退魔の剣と妖兎との「上っ面」の相性は、抜群であったのだ。
てゐ「なんか……なんか、テンションあがってきた!」
薬売り「それはそれは……ようござんした」
楽し気にじゃれる妖兎に、その様子を冷ややかな目で見守る薬売り。
妖兎の童に近い姿も手伝い、一見すると、まるで親子かのような実に微笑ましい光景にも見えよう。
【宴】
しかしながら――――所詮は幻。
そういう風に見えた所で、無論親子なわけはないし、どころか同じ種族ですらない。
如何に盛り上がった所で、たかだか偶然なる一期一会。
故に二人の関係は、どこまで行っても――――”赤の他人”に過ぎなかったのだ。
薬売り「あ・それ。あ・それ」
妖兎「ほぉぉぉぉ……とおッ!」
そんな事は、当人同士こそが一番よく存じ上げていた。
故にあえて、流れに身を任せた。
そう、不意に訪れたこの愉快な一時は――――これから始まる【本当の決戦】への、わずかな余暇にすぎなかったのだから。
てゐ「決まった……」
薬売り「大変、様になっておられます」
てゐ「ねね、ところでさ――――この子ってさ! 頭ついてるけど、喋ったりできないの!?」
薬売り「ああ、やはりそこが気になりますか……」
夜も深まりし寅の刻。
深淵とも呼ぶべき暗黒の最中にて、何故か宴会さながらの盛り上がりを見せておる酔狂者が、この場に二人だけおった。
宴はまだまだ宴もたけなわと言わんばかりである。
しかしながら……楽しみも悲しみも、いつかは終わりを迎えると言う物。
それは、この闇夜ですら例外ではない。
夜の中で最も深き刻――――【寅】。
そう、この刻は最も深きと同時に、”最後の”刻でもあったのだ。
てゐ「もっちろん! だって、この子とおしゃべりできれば、暇な時間を楽しく過ごせるじゃない!」
薬売り「なるほど……そいつぁよかった」
酉の刻から始まる夜は、またの名を暮六つとも呼ぶ。
この「暮」とはすなわち夕暮れ。
日が沈み、空が闇に染まる。その始まりを意味する言葉である。
してこの日暮れの齎す不鮮明さは、いつしか人々に、とある言葉を吐かせる事となった。
「誰ぞ彼――――」これが所謂、【黄昏時】の由来である。
てゐ「ってことは~~~~?」
薬売り「ええ……喋りますよ。貴方の期待通り、ね」
しかしながらこの黄昏時……実は”二つある”のをご存じかな?
この由来に基づくならば、暁の刻もまた、黄昏時となるのである。
てゐ「マジ!? やったぁーーーー!」
同じ刻を表す言葉が二つある――――言い換えれば、「暮でもあり暁でもある」と言う事。
しかしながら、二つの刻が入り混じる事など、一度たりともあってはならない。
よって人々は、いつからかこの二つの黄昏を、”呼び名を変える”事で解決を図り申した。
薬売り「――――貴方が”理を解けば”、ね」
てゐ「…………」
「彼は誰」時――――またの名を【卯の刻】である。
薬売り「貴方がそうやって、退魔の剣を求め続けた理由……それこそが、貴方の理なんじゃないですか」
てゐ「……ちょっとなに言ってるのかわかんないわね」
薬売り「もう……いいじゃないですか。だって、そうでございやしょう?」
薬売り「周りがモノノ怪に振り回されるその裏で、貴方は虎視眈々と、あっしの剣を狙っていた……」
薬売り「故に周りに何が起ころうと、徹底して知らぬ存ぜぬを突き通した……と、言うより」
薬売り「――――”構っている暇がなかった”」
薬売りがそう告げた瞬間、あれほどはしゃいでいた妖兎の動きは、ものの見事にピタリと止んでしまった。
まぁ、気持ちはわかる。気に入りつつあった分、それだけ落胆も強かったのだろうて。
少し可哀想な気もするがな。
まぁ……妖兎が如何に可愛がろうと、剣は、あくまで剣にすぎぬと言う事よ。
薬売り「退魔の剣を抜くには条件がある……形・真・理の三つが揃わなければ剣は抜けぬ」
てゐ「それは知ってるって」
薬売り「ならばあえて、貴方にわかりやすいように言うならば……」
薬売り「――――”箱を開ける鍵”とでも、言いましょうか」
てゐ「……それも知ってる」
剣とはすなわち、人を斬る為の道具。
時の剣豪、高名な刀匠、歴史に名を刻んだ武将――――それらの愛用品として価値が付いたのは、あくまで後の話である。
後に如何なる値打ちが付こうとも、それは持ち主の関せぬ事。
彼らが剣を手にしていた当時は、剣は、紛れもなく人殺しの為だけにあったのだ。
薬売り「貴方は剣が欲しかったのではない……自らの手で斬りたかったのです」
薬売り「貴方には、そうせねばならない理由があった……他の者には任せられない”理”があった」
それは退魔の剣も例外ではない。
退魔の剣が存在する理由。それもまた、モノノ怪を斬る為”だけ”に存在するのだ。
よって退魔の剣は、嗜好品として愛でるには少々荷が重すぎた。
当然だ――――”モノノ怪はまだそこにいる”のだから。
薬売り「もうそろそろ、話して頂けませんかね……」
てゐ「…………」
薬売り「いいじゃないですか……どうせ、理を告げねば剣は抜けないのです」
薬売り「剣を抜かねばモノノ怪は斬れない……モノノ怪を斬らねば――――”攫われた者共は帰ってこない”」
よって妖兎の度重なる不振さは、とある仮説に基づけば、その片鱗を垣間見る事ができた。
その仮説とはすなわち――――”自らの手で決着をつける事”。
薬売り「仮にモノノ怪が……自分の内から溢れた情念であったとしても」
何故ならば、この妖兎こそが――――この地を守護する”番人”なのだから。
【兎兵法】
てゐ「なる・ほど……ハナっから、これが目的だったってわけ」
薬売り「滅相もない……兎にまんまと化かされてしまった人間の、最後の悪足掻きですよ」
ふむ……そうか……あぁ、なるほどのぅ。
いやにあっさり負けを認めたと思えば、その実はこういう事であったか。
薬売りが言う「最後の悪足掻き」とは――――すなわち、妖兎が持つ不安の一切を排除する事に合ったのだ。
てゐ「ふん、何とでも言えばいいさ……結局、あんたの目論見通り、”あたしはあんたの前で吐かざるを得なくなった”んだから」
ただでさえうさんくささ極まる薬売り。
加えて妖兎は、当初から誰よりも、この薬売りに不振を持っておった。
一個人の印象もさることながら、この地を守る番人としての嗅覚がそうさせたのだろう。
よって妖兎が口を閉じる原因が、他でもない自身のせいとあらば――――その他の一切を放棄するしか、術はなかったのだ。
てゐ「じゃああんた、立場的にはただの野次馬って事になっちゃうけど、その辺はおっけーなわけ?」
薬売り「構いませんよ。むしろここまで来たなら、最後まで見届けねば夢見が悪い」
てゐ「なにそれ……ただの好奇心じゃない」
薬売り「そうですね……”貴方と同じ”です」
退魔の剣を放棄した薬売りが理を知る事は、何ら一切の関係がないただの傍観となる。
普通なら「見世物ではないぞ」と追い立てたくなる所であるが、しかし妖兎は渋々許可を与えた。
それは先ほど妖兎が述べた師の受け売り、「確率の観測」とやらに起因する。
すなわち、二つの可能性の片割れ――――”もしもモノノ怪が自分なら”。
薬売り「言伝があれば……伺いますが」
てゐ「ないわよバカ……”うどんげじゃあるまいし”」
玉兎と違い、妖兎に後見人は必要なかった。
後を託すには余りある配下共が、頼まずともどうせ、妖兎の弁を一言一句漏らさず残してくれるのだ。
よって妖兎が薬売りを残す理由など、どこにもありはしない。
にも拘らず置いておく、その理由は――――
”かつて教わった師の言葉”が脳裏を掠めた。ただのそれだけに過ぎない。
てゐ「あんたはただ、見届けるだけでいい……事の一部始終を、その不気味な目つきで」
薬売り「そのように……」
【――――確率は観測される事で初めて一つに集約される】
その言葉だけが、薬売りがこの場に御座す事を許したのだ。
てゐ「ま……ぼちぼち潮時かぁ……」
薬売り「そうです……いつまでも、この状況を放置しておくわけにもいきますまい」
てゐ「いや、うん……まぁ、そういう意味じゃないんだけどね」
妖兎は全てを把握し、意を決したそぶりを見せた。
しかしその素振りの中に、やはりほんの少しだけ「躊躇い」があったのは否めない。
よって妖兎は、薬売りに一つ問いを投げかけた。
答えが欲しかったのではない。ただ少しだけ、背中を押してもらいたかっただけなのだ。
てゐ「図々しいかもだけど……もう一つだけ、教えて貰いたいわ」
薬売り「はい、なんでしょう」
てゐ「全てを言えば……本当に剣は抜けるの?」
薬売りはその問に二つ返事で答え、その結果、妖兎の戸惑いが少し薄れたように見えた。
妖兎からすれば一安心と言った所である……が、しかしそこは薬売りと言う男。
この男の持つ「意地の悪さ」を持ってすれば、この期に及んで無駄な不安を煽る事は、ごく自然な成り行きだったのだ。
薬売り「ま、未だかつておりませぬがね……”あっし以外に剣を抜いた人物など”」
てゐ「……」
せっかく収まった躊躇いが、また元の木阿弥に戻った。
「自称・確率計算が得意」な妖兎からすれば、その一言がまたも無数の確率を生む事は想像に難くない。
余計な事を……と叱責したいのは山々である。
が、しかしこの場で薬売りを責めるのは、まさに「お門違い」である。
何故ならば……薬売りはもう、関係ないのだ。
退魔の剣を持たぬ薬売りは、もはや一介の薬売りにすぎない。
そんな人物に励ましを貰おうなどと、「図々しいにも程がある」。
そう言ったのは、他でもない妖兎自身である。
てゐ「ふん……いいわよバカ。そんな事言ったって、剣はあんたに返さないんだから」
そして妖兎は――――再び黙した。
妖兎が黙すことで、薬売りは口を開く機会を失い、結果両者に言葉は無くなった。
夜更けに相応しき静寂が、ようやっと戻ってきた……とも言えなくもない。
しかしこの期に及んでまだ黙す妖兎の姿は、薬売りには、未だ躊躇っているとしか思えなかったのだ。
薬売り「…………ん?」
【刻】【刻】【刻】――――延々と続く言葉無き静寂。
にも関わらず、だ。
はてさてどういうわけか……妖兎の手にある退魔の剣が、何やらカタカタと震えだしたではないか。
てゐ「あたしってば……うどんげみたく、ベラベラと口が回る方じゃないからね」
てゐ「だから……”実際に見せた方が速い”と思うわけ」
妖兎が黙した理由。
その実は、戸惑っていたわけでも尻込みしたわけでもなかったのだ。
真相は、本当に些細な所作である。
単に――――「服を脱いでいたから」。
てゐ「これが…………あんたが知りたがってた”あたしの理”」
妖兎がそう零すや否や、次の瞬間――――ハラリ。
妖兎の召し物の上半分だけが、器用に体から折れ落ちた。
薬売り「な…………」
要は……「服を脱ごうとして着崩れた」。
ただのそれだけに過ぎなかった――――はずなのに。
【御目通り】
薬売り「こ…………れは…………」
しかしながらそれは……確かに、妖兎の言う通りであった。
露わになる肌。刻まれし真。滴る理――――
それらはやはり、あの薬売りですら、寸分違わず同意せざるを得ないほどに……
”言葉よりも見た方が速いシロモノ”であったのだ。
(あんまし…………ジロジロ見んなって…………)
薬売り「なんと…………」
てゐ「はいそこ、引かない引かない……ったく、そうなるからヤだったのよ」
てゐ「グロいのはわかるけどさ。見せろ見せろっつってしつこくせがんできたのは、あんたの方なんだからね」
妖兎本人が自覚するように……
その傷は思わず目を背けたくなる程の、実に生々しき”傷”であった。
そして妖兎は語る。
曰くこれは――――妖兎がかつて受けた【古傷】であると、妖兎はそう申したのだ。
薬売り「古…………傷…………?」
しかしその説明は腑に落ちなかった……
門外漢の身共ですらそう感ずるのだから、その道に詳しい薬売りには一目瞭然であろう。
そう、傷は――――古傷と呼ぶには、あまりに”新しすぎた”のだ。
てゐ「そう、古傷……これでも随分、マシになった方よ」
今にも血が滴りそうな、真新しくも深き傷。
にも拘らず妖兎は、あくまで「古傷」と主張し続け、しかもなおかつ「収まりつつある」と、そう言いのけたのである。
ならば、これを古傷と呼ぶならば……
元々の傷は……一体どれほどの……
うっぷ。すまぬ皆の衆。何やら身共、突然気分が……
てゐ「同情はいらない。その言葉はすでに聞き飽きたから――――」
てゐ「慰めもいらない。自分が惨めになるだけだから――――」
あいや、失礼した……全く、最後の最後でえらい物を見せられたわい。
こんないと大きなる傷を抱えて、よくぞまぁ今の今まで過ごせたものよ。
同情は聞き飽きたとは言うがな……
そりゃそんな傷を目の当たりにすれば嫌でも見入ってしまうし、むしろ心配せぬ者などどこにもおらぬであろうて。
【刻印】
しかし――――おかげで傷は、早くも一つの真を解いたな。
”何故に妖兎がこの地に辿り着いたか”。
まず間違いなく、この傷が所以であろう。
薬売り「永遠亭の最初の客人は…………貴方だった?」
てゐ「逆よ薬売り。永遠亭を薬屋に変えたのは、他でもないこのあたし」
てゐ「どうせ帰る気がないのなら、そのまま地上の民になればいい――――”地上の薬売りとして”つってさ」
やはりと言うか案の定と言うか、妖兎が語る理の片鱗は、いきなり亭の発祥を解いて見せた。
薬売りすら敬う、名高き【薬師】八意永琳。
その地位を与えしが、その実一羽の兎の「入れ知恵」だったとあらば……
同じ薬売りとして、一体奴は何を思うのか。
退魔の剣「~~~~~~~~!」
そんな、驚きを隠せない薬売りに同調するように、退魔の剣の震えも、人知れず激しく鳴っておった。
妖兎と薬売りの掛け合いの裏で……退魔の剣の側からも、しかと見えておったのだろう。
(――――かごめ かごめ かごの なかの とりは)
(――――いつ いつ でやる)
ひょっとしたら……剣も驚いておったのかもしれんな。
薬売りから見て背。剣から見て銅。
両側から見えるこの実に痛々しい傷が、妖兎の全身の余す所に点在しておったとあらば……
(いつ いつ でゃる……)
――――まるで瞼のように開く、この傷を。
薬売り「見え透いた仮病をと思っておりましたが……まさか、本当に痛がってたとはね」
うむ……これほどの大怪我、見ている側も痛々しく感ずるほどだ。
ならば無論、当人が感じる”痛み”は計り知れないであろう。
さもあらば、次なる欲求が生まれるは至極道理。
「この傷を何とかして治したい」――――妖兎はそう、強く願っておったはずだ。
薬売り「だからあっしに頼んだ……永琳が精製し、どこぞに隠した、全ての病を治すと言う【万能薬】の在処」
薬売り「もう一人の兎に……”あらぬ誤解”を抱かせる事も、覚悟の上で」
そして、「全ての邪魔者がいなくなった所で、夜中にこっそり服用しよう」と企てた。
そこまでは良い。そこまでは合点がいくのだ。
しかしだとすれば、今度は別の疑問が沸く。
そもそもな話――――何故に今迄傷は放置されていた?
わざわざ万能薬になど頼らずとも、すぐそばに世界有数の医者がいたのに。
てゐ「薬なんかに頼らなくても、”お師匠様に頼めばすぐ治してもらえただろ”って、そう言いたいんでしょ」
薬売り「ええ、まぁ……」
てゐ「言われずとも……とっくの昔に診てもらったわよ」
薬売り「診た……だけですか?」
しかし傷は未だ残る事実。
よってその答えは、自然と「二つの可能性」が浮かび上がると言う物よ。
一つは、「永琳が治療を拒否した」可能性。
妖兎の普段の行いを顧みるに、度重なる悪戯に手を焼いた永琳が、「戒め」として治療を拒否した可能性十分に考えられる。
てゐ「シュレディンガーの猫……この傷は、それと同じなの」
薬売り「机上の空論に……現れる矛盾……」
だが、そうではなかったとしたら……残る可能性はただ一つ。
これは、実に考え辛いのだが……
しかし、仮に……「永琳ですら治せなかった」とすれば。
【不治】
てゐ「この傷はね――――お師匠様曰く、”傷であって傷でない”の」
てゐ「だから治せないんだって。だって、傷なんてどこにもないんだからって」
薬売り「同時に起こりうる矛盾……まさに、箱の中の猫」
して永琳は最終的に、実に頓珍漢な診断を下した。
自身でもおかしいとわかりつつも、そう言うしかなかったのだろう。
見るからに痛々しい無数の傷々。
しかしその傷は、永琳だけが持つと言う、月の医学を用いて診れば――――
はたまたどういうわけか、最終的に「無傷」と言う結果となってしまうのである。
てゐ「精々、簡単な薬草を貰うのが関の山だったわ。塗る奴と飲むタイプの奴」
てゐ「痛くなったら使えっつって。これって、本当の薬じゃないんでしょ?」
薬売り「ただの痛み止めですね……」
これは先ほどの「すれてんがーの猫」とやらに酷似する。
二つの事実が同時に内在する様。通常ならありえぬ、机上の空論の中だけに現れる矛盾。
なはずが、どういうわけか……この妖兎の身にだけ、現実として引き起こされておると言うこの事実。
薬売り「なるほど……だんだんと、見えて来ましたよ」
てゐ「見えてきた……だぁ……?」
薬売り「ええ……今の話からして……貴方に起こった事とは」
薬売り「貴方が罹りし――――病とは」
まさに妖の仕業と思しき、実に奇怪なる奇病。
しかしその理は、やはり流石と言うべきか……
双方を専門に扱う薬売りにだけ、推し量る事ができたのだ。
薬売り「――――【幻肢痛】ですか」
【幻】
てゐ「……」
薬売り「どうか、しましたか?」
てゐ「いや、なんつうか……」
てゐ「あんたって、ホントに薬売りだったんだなって言うか……」
薬売り「……?」
妖兎よ安心しろ。そこらへんは、今まで薬売りと出会った全ての者共が、すでに突っ込み済みよ。
あの神妙不可思議にして奇怪な見た目からは想像できぬ程に、この真理を鋭く診る眼力は、さすが薬売りを名乗るだけあると言うものよの。
現に、今この時においても、たったあれだけの説明で見事「真」を言い当てよった。
それは当の妖兎自身がよぉくわかっているであろう。
して、今回の薬売りが対面せしめた、この妖兎の身に罹りし真とは――――
人呼んで――――【幻肢痛】。
無くしたはずの四肢が、まるで、幻のように痛み出す病の総称であったのだ。
薬売り「最初から、そう名乗っておりましたが?」
てゐ「あー、うん。そうね、もういいわ」
そして薬売りは続ける。
幻肢痛は、所説はあれど未だ解明されぬ、一つの”現象”であると。
在るのに無い――――故に治せない。
いみじくもその語りは、かつて永琳が妖兎に下した診断と、すべからく一致していたのであった。
【因幡てゐ――――之・真】
てゐ「まぁ、そーゆーわけで……お師匠様ですら匙を投げた謎の奇病が、よりにもよって弟子のあたしに罹っちゃってるってわけ」
薬売り「できる事と言えば、精々痛みを和らげる程度……発病そのものまでは防げない?」
てゐ「そーそー。ま、おかげである意味医学に貢献してると言えるけど」
薬売り「被験者として……ですか?」
確かに、その病は、病と呼ぶにはあまりにも奇怪すぎた。
数ある奇病の中でも、その症だけは、如何なる病よりも”非現実的”であったのだ。
こうなれば、妖兎が例の「すれてんがー」に拘る理由が、なんとなく推し量れた気がするな……
自らの身に罹った「在るのに無い」病。
これをなんとか完治せんとする糸口を、妖兎は妖兎なりに探していたのだろうて。
薬売り「幻肢痛……なるほど……しかしそれが原因であるならば、こっちとしては、むしろ”好都合”だ」
てゐ「好都合……だと……?」
――――しかしながら、そんな「悲惨」の一言で表せられる病を前に。
薬売りはむしろ「よい機会」と言わんばかりに、意気揚々と、独自の診断を述べ始めたのであった。
薬売り「幻肢痛とは……元来、失った四肢に起こる物」
薬売り「失った四肢があたかもそこにあるかのように、痛みだけが幻と現れる奇病」
薬売り「しかし、貴方の場合は……それが”全身に蔓延っている"」
さすがの薬売りとて、空手のままに真理を解く事は叶わぬ。
しかしそれは、言い換えるならば――――”ほんの一欠片の手掛さえあれば”。
薬売りからすれば、やはりこの状況は「好都合」と言う他になかった。
【幻肢痛】。その片鱗を見るや否や、薬売りの脳裏の中に、瞬く間に「妖兎の真」を積み重ねる事ができたのだから。
薬売り「四肢は無事。しかし痛みだけが、全身に”幻”となりて現れる……その所以は」
薬売り「おそらく……貴方が失った部位とは……」
ま、なんと言うか……ようやっと、らしさを取り戻したな。
と言うかむしろ、そうこなくてはこちらが困ると言う物よ。
思い起こせば、薬売りとは、たかだか一期一会の縁であったが……
身共ですら明かせなかったモノノ怪を、見事暴いたあの眼力。
それがそんじょそこらの兎に敗れたとあったら、身共の沽券にすら係わってくるのだよ。
薬売り「――――【皮】だ」
てゐ「…………」
返事がなくともその解答は、十分真に触れておると分かった。
何故なら――――手放したはずの退魔の剣が、より一層震えを増したのだから。
薬売り「まぁ……こんな感じでしょうか」
てゐ「あ……? なにがよ」
薬売り「お節介ながら、少々実演させていただきました……”退魔の剣の抜き方”ですよ」
カタカタ・カチカチと明らかに増した剣の震えを、直接その手で掴んでいる妖兎が気づかぬはずもなかった。
そして、増した震えが示す事実は、ただの一つしかない。
薬売りは確かに――――”妖兎の真を得た”。
それは言われずとも、当の本人が、誰より深く存じていたはずだ。
薬売り「さて、あっしにできるのはここまでです……これ以上は、もう、何も見えませぬ」
てゐ「…………」
薬売り「”貴方が抜く”んですよ、退魔の剣を」
薬売り「貴方の中にある真を見せる事で――――嘘偽りなき理を、述べる事で」
てゐ「…………」
長かった……実に長かった。
長きに渡って隠し続けられた「妖兎の理」が、ようやっと、日の目を見る時が来たのだ。
【灯】
日の目――――そう、日の目だ。
妖兎はこれから、自らの理を述べる。
してその時刻は、なんとも間のイイ事に……ちょうど【寅三つ】を過ぎた頃であったのだ。
【彼誰】
てゐ「惨めで……哀れな半生だった」
てゐ「誰よりも愚かで……何よりも小さき生き物だった」
明けの刻まで、残り一刻。
もう一刻もすれば、この長く続いた闇夜は開け、暦と共に日が昇る。
そして日が昇れば、陰陽が如く空は白み始める――――まさに、卯の毛皮の如く。
まさにおあつらえ向きの舞台ではないか。
よって改めて言わせて貰おう――――「宴もたけなわ」
宴の締めには挨拶がつきものだ。
というわけで、この妖兎自身に是非、締めて貰おうではないか。
てゐ「だけど――――”幸せだった”」
最後まで残った妖兎の理――――一体、「彼は誰」なのか。
【因幡てゐ――――之・理】
てゐ「どこまで……遡ろうか……そうだ」
てゐ「そういや、まだ言ってなかったわよね……あたしの出身」
薬売り「月……ではないですよね」
てゐ「うん。あたしの育った所はね……遥か遠くにある、小さな小さな島だったの」
【島】
薬売り「ほぉ……列島の産まれでしたか」
てゐ「ううん、そんなんじゃない……あれは……言うなれば”孤島”」
てゐ「半日のあれば一周できるような、とても小さくて、とても孤独な島……」
薬売り「孤独な島……?」
【孤独】
てゐ「そんな場所だから……そこに住んでる連中もまた、やっぱり小さくって」
てゐ「あたしはその連中を――――”小さき民”って呼んでた」
薬売り「…………」
――――島の暮らしぶりは、何もかもが小さかった。
小さな人間。小さな獣。小さな小動物。小さな爬虫類。小さな鳥。小さな虫……
ただでさえ小さい連中しかいない島なのに、その頭数すらもやっぱり小さくって。
そんな島の生き物の過ごす日常も、案の定、とても小さい暮らしぶりだった。
【矮小】
てゐ「各々が最低限生活できるような、小さななわばりがあって……その中で互いに干渉する事もなく、こじんまりと過ごしてた」
でも――――そんな小さな島の中で、大きなる生き物が一羽いたの。
てゐ「その生き物は、獣でありながら、あらゆる種族と言葉を交わす事が出来た」
てゐ「その生き物は、小動物の癖に、身の丈以上ある捕食者と対等に渡り合えた」
てゐ「その生き物は、畜生の分際で……人間以上に、頭がよかった」
そんな飛びぬけた能力を持った生き物は、いつしか周りを”小さき民”と断ずるようになった。
小さき生き物。小さき文化。小さき島。小さき存在――――
口にこそ出さなかった。でもその内心は、知らず知らず態度に現れていたと思う。
てゐ「それが――――”あたし”」
てゐ「大きなる存在と”思い込んでいた”、何よりも小さい……小さな一羽の兎風情」
薬売り「…………」
【自尊】
そんな小さき島に、ある日、大きなる嵐が起こった。
つっても、今思えば大したことないただの時化(シケ)だったんだけど。
あの小さな島の連中にとっちゃあ……そんな時化も、大嵐と同じでね。
慌てふためいた「小さな民」は、こぞってあたしの所に集まって来たわ。
ほんと、何を思ったやら。
たった一羽の兎に過ぎないあたしに、揃いも揃って助けを懇願してきやがったの。
てゐ「まるで蟻んこみたいだと思った……群がり蠢く、どこまでも小さき民」
てゐ「でも、なんだかんだで助けてやった――――何故なら、あたしには本当になんとかできたから」
と言っても別に、嵐そのものを消すわけじゃないわ。
あたしができたのは――――あくまで「嵐を回避する方法」を提案する事。
てゐ「嵐がいつ上陸して、いつまで島にいて、どれだけの被害をもたらし、そして何時去るのか」
あたしにはそれが、”なんとなく”わかった。
理由はわかんない。けど、ただちょっと空を眺めるだけで、それらが一目でわかったの。
だったら後は簡単な話だった。
「いついつくらいに来て、いついつくらいに去るんだから、だったらその間高台にでも避難しとけばいいんじゃない?」
あたしが言ったのは、ただ、それだけだった……のに。
てゐ「今思うと、あの島の連中は、やっぱりどこかおかしかったと思う」
てゐ「だってそうじゃない。船乗りでもなんでもない、ただの兎の勘を鵜呑みにしてさ……本当に、一言一句その通りに行動したんだから」
薬売り「信頼されていた……んじゃないですか」
ま、向こうがどう思ってたかは知んないけど……正直、笑っちゃったわ。
連中の集会に聞き耳を立てて見れば、「何時に集まって、何時に出発して、安全地帯までたどり着くのは何時だから……」とかって、全部あたしの当てずっぽを元にしてんの。
――――でも、結果的にそれは大正解だった。
あたしが勘と当てずっぽうで言っただけの提案は、自分でもびっくりするくらい、ものの見事に的中していたのよね。
薬売り「例の……得意な確率計算とやらですか?」
てゐ「それを自覚するのはまた後の話……あの時は、計算って概念を知らなかった」
てゐ「それに、知ってた所でどうせ伝わんないしね」
薬売り「それも……そうですね」
内心驚いてるあたしを尻目に、小さな民共は、それはもう大はしゃぎだったわ。
連中ったら、勝手に「生きて帰れぬやもしれぬ」とか思っちゃってたらしくてね。
よくあるただの時化なのにね……本当に、肝っ玉まで小さな奴らよ。
薬売り「島の人間にとっては、それほど大事(おおごと)だったのでしょう」
てゐ「無理に擁護しなくていいって。そもそも、あいつらときたらさ……」
あいつらったら、本当にバカでね。
死ぬかもしれないと思ってたのに、蓋を開ければ「無事生きたまま乗り切った」。
その事実になんかテンション上がっちゃったらしくて、あろうことか、その場で宴会をおっぱじめやがったのよ。
てゐ「避難中の食料とか、備蓄品とか、一時的に同じ場所に集めてたんだけど……ノリと勢いで、全部その場で使い始めやがってさぁ」
薬売り「それはそれは……まぁ……」
もちろんあたしもその宴会に参加した……って言うか、強制的に引きずり込まれた。
命の恩人だっつって持て囃してきて、それ自体は悪い気はしなかったけど。
だけどほら、みんな酒入ってるから、こう……色々と痛いし荒いしで、もう散々だった。
(――――だぁ~もう! お前ら、うざったいのよさ!)
ほんと……あんな経験は二度と味わえないと思うわ。
人も・獣も・鳥も・虫も・爬虫類も――――生物の垣根を超えた、乱痴気騒ぎはね。
薬売り「でも……楽しんでいたんでしょう?」
てゐ「……まぁね」
酔って、歌って、踊って、飲んで――――。
あたしもその場の勢いに任せて、口汚い暴言を随分吐いたわ。
小さな民だっつって内心見下した事を、酒に任せてぶちまけてやったりもした。
それでも宴は終わらなかった……どころかさらに盛り上がって行ったわ。
あたしの本音を皮切りに、みんなもみんな、普段思っていた事を言い合い始めたの。
てゐ「酔いに任せた本音と本音のぶつかり合い。ほんと喧嘩になるんじゃないかって、ヒヤヒヤしたもんよ」
それくらい盛り上がってた。それくらみんな、我を忘れてた。
ほんとこいつらいつ帰るんだってくらい、みんなで囲み合って、みんなで酔いしれていた……
まるで――――”夢の中にいるかのように”。
てゐ「バカ丸出しで、普段はデカイ口聞く癖に、ちょっと何かあれば途端にビビリまくる、死んでも治らなさそうなレベルのアホ共……」
てゐ「でも――――そんな連中が、”あたしは大好きだった”」
薬売り「…………」
そしてふと気づけば、時化の名残はすっかり消えていたわ。
ま、長い事どんちゃんやってたからね……いつの間にか空は、曇りのない晴天に変わっていたの。
で、空模様の変化に気づいたあたしは――――まぁ、お開きの合図だと思ったのよ。
これほど明るいなら、ちょっと酔っぱらってても、まぁみんななんとか帰れるだろうって思ったわけ。
てゐ「今思うと……”あの時振り返らなければよかった”」
薬売り「…………?」
一人、一匹、一頭、一群――――
島の生き物は段々と姿を消していき、そして最後には、その場に誰もいなくなった。
そうして、一晩限りの夢は終わった……
小さな民は、まるで夢から覚めるように、またあの小さな日常へと帰っていった。
(――――あれ……誰もいない)
てゐ「ずっとあの、乱痴気騒ぎの中で……小さな連中と……小さな夢を囲っていればよかった」
でも、その中で――――夢の中から帰れなくなった民が、一羽だけいたの。
【隔絶】
てゐ「夢の終わり。宴の終焉。記憶が途切れる瞬間……その最後の景色だけは、今でもはっきり覚えてる」
曇りが消えた空は――――透き通るほど澄んだ青だった
それに、雨上がりの後だったからね。
青空には、思わず見惚れる程の、それはそれは綺麗な【虹】がかかっていたの。
てゐ「その景色が――――あたしだけを、”夢の中に縛り付けた”」
本当に、切り取って額縁に飾りたいくらいの風景だった。
宴なんてそっちのけで、ただひたすら、じーっと景色だけを見ていた……
一人、また一人と帰っていく民を尻目にさ。
誰もいなくなるまで、気づかないくらいに。
てゐ「その時になってやっと、我に返ったの」
てゐ「ハッと振り向けば、とっくにみんな帰った後だった……気づいた頃には、そこにはもう、散乱した宴の痕しかなかった」
そして、気づいてしまったの……
日常と言う名の現実に、自分だけが背を向けていた事に。
てゐ「気づいてしまったの――――青空に架かる虹の橋が、”あたしの知らない世界”と繋がっていた事に」
薬売り「虹が、貴方を縛り付けた……?」
てゐ「そう、ね……あの虹がなければ、あたしが外に気づく事はなかった……とも言える」
【虹の檻】
その日から、あたしはその高台に通うのが日課になった。
目的はもちろん、あの時みた景色をまた眺める為。
毎日毎日ずっと……飽きもせず、一日中ずっ~と、同じ景色だけを見てたわ。
てゐ「起きてる間は、ほとんどそこにいたんじゃないかしら」
てゐ「ほんと、我ながらよく飽きないなってくらい。毎日昇って、四六時中そこにいたっけ」
でも、何度通ってもあたしは満たされなかった。
風景はほぼほぼ同じ。でもそこには、あるべきはずの物がなかった。
なかったのよ――――あの時確かに見たはずの、外へと続く虹の橋が。
てゐ「あたしは躍起になった。あの時と同じ風景を見る為に、何度も何度もあの時と同じ場所に通った」
薬売り「それでも現れなかった……そこまで貴方を魅了せしめた、七色の橋が」
てゐ「で、そんなあたしの行動は……”周りが不審がる”に十分だった」
そんなあたしを見かねた誰かが、変な噂話を流したらしくってね。
おかげであらぬ誤解を一杯受けた……
よく言われたのよ。ほら、「どこか怪我をしたのか」とか「何か悩みがあるのか」とか。
こういう時って、説明が大変よね。
「ただ景色を見てただけ」なんて事言おうもんなら、変に勘繰られて、逆にもっと心配されちゃうんだから。
【気掛】
てゐ「だからもう、面倒だったから、思ってる事を正直に答える事にしたの」
てゐ「それが……いけなかったのかもしれない」
薬売り「……?」
(実は……あの虹の橋を渡ってみたいと思ってるのよさ)
てゐ「思いを吐露した、次の日から……今度は、誰も話しかけてこなくなった」
薬売り「……えっ」
(――――ケッ。何さ、この恩知らず共が)
薬売り「何故……」
てゐ「明確にハブられたわけじゃなかったけど……連中の態度が、明らかに余所余所しくなってたのはすぐ察せたわ」
(――――あーそうですか、わかりましたよ)
(――――そんな態度でくるんなら……こっちだって、考えがあるんだから)
てゐ「海の向こうへの欲求が、日に日に強まっていった……同時に、島への情が沸々と薄れていった」
(――――ずっと小さなままでいればいいのよさ……こんなちっこい、塵みたいな島で)
そしてあたしは、ある日から――――景色を眺めるのをやめた。
【発起】
薬売り「……いやに唐突ですな」
てゐ「そうね……うどんげなら、その辺もうちょっと上手く語れるんでしょうけど」
てゐ「けどダメね。あたしが言うとどうも、言葉に詰まる……実は結構、悩んだりしたんだけどさ」
薬売り「いえ、そうではなく……」
薬売り「”小さき民”ですよ。あれほど貴方を慕っていたのに」
てゐ「ああ……そっち」
連中が何を思ってそういう行動に出たのか――――”その時は”わからなかった。
でも、それが島を出る「キッカケの一つ」になったのは確かだった。
正直、頭に来てた……あんなに頼ってきた癖に。あんなに輪に入れたがった癖に。
てゐ「頭に血が上ってた……何かに八つ当たりしてやりたい気分だった」
てゐ「ちょうどその時だった……”一匹の和邇”が、あたしの前を通り過ぎた」
薬売り「和邇……?」
そん時の和邇は、なんか知んないけどやたら上機嫌だったのを覚えているわ。
よくわかんないけど、とりあえず何か”良い事”があったらしい。
妬みってこういう事を言うのね。
人がちょっと凹んでる時に、こう、嬉しそうに泳ぎ回る和邇を見てたら……なんか無性に、イラっときて。
てゐ「煽ってやろうと思って、和邇に声をかけた――――おい! そこのアホ丸出しのウロコヤロー!」
「てめー何人のなわばりで悠長に泳いでんだコノヤロー!」
我ながら意味不明な因縁だけど、ま、イライラしてたからね。
そう言って喧嘩腰に話かけたら、案の定和邇は、すぐにこっちを振り向いたわ。
(――――ヤバ~……やってしまったのよさ……)
その時……あたしは我が目を疑った。
だって、あたしの声に反応した和邇は、一匹だけじゃなかったもの。
てゐ「和邇は一匹だけじゃなかった。一匹に見えたのは、和邇の群れの中で、”たまたまあたしが見える範囲にいた”一匹に過ぎなかった」
完全にやらかしたと思ったわ。
機嫌がよかったのは、なんてことない。和邇も宴の真っ最中だったのよ。
つっても和邇の宴って、ちょっと想像つかないけど……
まぁ要は、仲間同士集まって海の中でどんちゃんやってたらしいわ。
てゐ「まるで――――いつかのあたしみたいに」
【和邇の宴】
和邇は案の定、みるみる内に集まって来た。
「おい兄弟、一体どうしたよ?」
「いやさ、なんかこの兎がいきなり……」
そう言いながら海から顏を出す和邇の数と来たら、もう御一行様なんてもんじゃなくてさ。
例えるならこう、海の中に「和邇の村」があって、その村の住人が、全員一つの場所に出てきたって感じ?
てゐ「あたしは……知らなかったのよ。海の中にも、こんなに生き物がいただなんて」
後はまぁ、想像つくよね。
集まって来た和邇が、事情を知るや否や、思いっきりあたしを睨んできてんの。
それもなんか、無駄に数が多いもんだから、なんか段々とねじ曲がって伝わって……
てゐ「最終的にあたし、何故か”和邇の一族を皆殺しに来た殺戮兎”って事になってたわ」
てゐ「意味わかんなすぎて苦笑いも出なかったけど、そこはこう、和邇だけに尾ひれがついたって事にしといた」
明らかに誤解されてるけど、もう弁明すんのもめんどいとおもってさ。
だって、どーせ連中は所詮和邇。
どんなけ怒らせても、こっちが島の奥まで逃げりゃあ追ってこれないし。
それに三日もすりゃすぐ忘れるだろって……そう思ってた。
薬売り「逃げなかったのですか…………?」
てゐ「逃げなかった……と言うより、”逃げれなかった”」
(――――その井出達、よもや、かの地にて大蛇を下せし神人の如し)
てゐ「誤解した和邇が例えたあたしは……”向こうの世界”の英雄だった」
(――――八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を)
てゐ「逃げるわけにはいかなくなった……だってあたしは、まさにその”八雲の地”に行こうとしてたんだから」
薬売り(八雲……?)
【八雲】
(――――ちょ、ちょっと! その話、詳しく聞かせてほしいのよさ!)
てゐ「向こうの世界には――――常日頃から、事欠かない話題が飽きる程に溢れてる」
てゐ「それは島にはない現象……たかが時化如きに大騒ぎするような島には、決して訪れる事はない”稀”」
よく考えたら、当然の事だった。
だって和邇は、島と世界とを隔てる”海”に住んでるんだもの。
島には噂すら届かない向こうの世界の出来事が、海の中までは十分届く。
その証拠に、和邇は案の定、たくさんの事を知ってたわ……”あたしの知らない事”を、たくさんね。
てゐ「そんな和邇の群れに出会ったのは、もはや運命としか思えなかった」
和邇の宴がやたら盛り上がってたのもそのせい。
だって、和邇が海の中にいる限り、話のネタに尽きることはないもの。
だから……”この機会を逃せば永遠に向こうに辿り着けない”。そんな気がしたのよ。
だってあたし兎だし……兎は海を、泳げないし。
てゐ「でも半端に怒らせた分、すんなり頼まれてくれるとも思えなかった」
てゐ「そこであたしは考えた――――”取引をしよう”」
てゐ「この和邇共を何とか言いくるめて、必ず向こうの世界へ渡ってやる……あの時は、その事しか頭になかった」
薬売り(…………ん?)
【?】
てゐ「あたしは和邇に聞いた。あんたらやたら大所帯だけど、全部で何匹いるかわかってんの? って」
てゐ「和邇はすぐに返事を返した。俺たちゃ全員家族も同然。そんな事、気にもしたことがない。って」
てゐ「だからあたしは言ってやった。だったらあんたら、一人くらいいなくなっても、気にも留めないのねって」
和邇は言い返した。
「そんなわけがあるか」「家族がいなくなるのは辛いじゃないか」。
あたしはさらに煽った。
「だってあんたら、何匹いるかもわかんないなら、誰かがいなくなってもわかんないじゃない」。
和邇はなおさら強く反論してきた。
「俺たちは常に一緒だ。だから誰かがいなくなるなどありえない」。
だからあたしは、ビシっと論破してやった。
「じゃあ、たった今あたしに絡まれてたのは、どこのどちらさんだったかしら?」。
てゐ「群れから離れて泳いでたからこそ、あんたに声をかけたんだけど? って」
そう言った瞬間、海の中からヒソヒソ話が聞こえてきた。
「言われてみれば」
「なんで離れた?」
「いやなんとなく、気分で……」
そしてあたしはトドメに一言言ってやった……
「もしあたしが本当に殺戮兎なら、今この瞬間、少なくとも一匹は殺せてたわね」ってさ。
てゐ「案の定、連中は食いついて来たわ――――じゃあ、俺達は一体どうすればいい?」
「大事な家族が気づかぬ間にいなくならないようにするには、一体どうすればいい?」
こうなりゃ後はこっちのもんよ――――「大丈夫、あたしが数えてあげるから」。
言い様に扱われてるとも知らずに喜んでる姿は、内心、そりゃもう滑稽ったらなかったっけ。
薬売り(いや……待て……)
【疑問】
てゐ「あたしは指示した……とりあえずお前ら、全員一列に並べって」
てゐ「そしてあたしは続けた。これからアンタらの上を跳んで、一匹一匹数えていくからって」
薬売り(それは…………)
てゐ「いーち、にー、さーん。頭を踏んずけられてるのに文句ひとつ言わない和邇は、あの時何を考えてたんでしょうね」
――――話中の所失礼する。
黙って聞いているつもりだったが、しかしその話、どうにも突っ込まざるを得ないのだ。
というのも、なんと言うか、その……
”どこかで聞いた事がある話”な気がするのは、気のせいだろうか。
【既視感】
てゐ「百八……百九……大分数えたつもりだったのに、まだまだ先は長かった」
てゐ「さすがにキツかったわ……それにぶっちゃけ、少し飽きてきてた」
てゐ「だからあたしは、息抜きがてら――――ふと後ろを振り向いたの」
……いや、やはり気のせいではない。
今宵初めて聞かされるはずの、妖兎の身の上話。
な、はずなのに――――何故身共は、この”続きを知っている”?
てゐ「振り向いた先には……本当の意味で、小さくなった島があった」
てゐ「自分の育った場所が……風船みたいに萎んでしまっていた」
薬売り(その話は…………)
薬売りも勘付きよったか……。
そうだ。この話を知っているのは何も身共に限らぬ。
この後妖兎が如何様な行動を取り、如何様な目に合い、そして最後に誰と出会うのか――――
それは、我ら二人だけが存ずる話ではないのだ。
てゐ「――――あの時の和邇には、本当に悪い事をした」
てゐ「騙すつもりなんてなかった……ちゃんと最後まで数えてやるつもりだった」
てゐ「なのに……彼方へ縮んでいくあの島を見てたら……”どこまで数えたか忘れてしまったの”」
薬売り(まさか……こいつ……)
身共の予想通りだ……やはり妖兎は、”和邇を数えなかった”。
だとすれば、もう決定的だな。
あの退魔の剣すらも、妖兎が偽りを申しておらぬ事を、震えで持って証明しておるわ。
てゐ「ほんとうに……また同じ事を……”あの時振り返らなければよかったのに”」
知らぬ者を探す方が難しい程、広く知られた御伽の話。
それがどういうわけか、妖兎の語る過去とすべからく一致しておる。
これらを顧みれば、妖兎の真の是非など――――たった一つの「解」しか残されておらなんだ。
てゐ「おかげ様で……しっかりと”戒め”られちゃった……」
薬売り(因幡の白兎――――!)
てゐ「今更……ごめん忘れちゃったなんて、言えなかった」
てゐ「かと言って……最初からやり直しなんてできなかった」
てゐ「何故なら、向こう側はもう目前――――あたしが目指した世界は、すぐ目の前にまで迫っていた」
その後妖兎を襲った悲劇は、もはや言われずとも想像に難くない。
苦し紛れに強がり、嘲り、うそぶき、そして和邇の報復を受けた。
全てがかの話と繋がっておる……もはや確かめる術もない、「太古の史実」である。
薬売り「ではその傷は……その時の……」
てゐ「キッカケは……ほんの些細な自己保身だった」
てゐ「しでかした失態を何とかごまかそうと思って……”わざとそうした事にした”」
(――――や~いや~い、アホが雁首揃えて騙されやがった!)
てゐ「心の中で謝りつつも……陸地にさえつけば、”後はこっちのもん”だとも思ってた」
(――――う…………あああああああああ!!)
(――――痛い……痛いよぉ……)
てゐ「あたしは知らなかった……和邇の牙が、あんなに鋭い物だなんて」
てゐ「あたしは知らなかった……海にいる和邇が、あんなに速いだなんて……」
(――――おい……そこの人間! ちょっとこい!)
てゐ「あたしは知らなかった……目上に対する口の利き方を」
(――――お前だよお前……みりゃわかんだろ! とっとと助けやがれ! このバカ!)
てゐ「あたしは知らなかった……傷口を塩を塗れば、傷は余計に悪化する事を」
(――――あ”あ”あ”あ”あ”痛い”い”い”い”い”体中が痛い”い”い”い”い!!)
てゐ「あたしは知らなかった……あれも、これも、全部――――”何も知らなかった”」
(――――痛い……痛いよぉ……)
(――――なんで……こんな目に……なんで……あたしだけが……)
てゐ「何も、何も知らなかった……体を走る痛みも、なんでこんな目に合ってるのかも、今どこにいるのかも」
てゐ「どころか……”自分の身の程”でさえも」
(――――こんなに痛いのに……こんなに辛いのにさん)
(――――あたしはどうして…………”まだ生きている”の?)
【転機】
(――――ただの……兎ですぅ……)
(――――あたしは卑しくて惨めな…………どこにでもいる…………ただの兎風情なんですぅ…………)
てゐ「そんな自分が…………たまらなく憎かった」
(――――兎の分際で……身の程を弁えなかったから……こんな目に合っているんですぅ……)
てゐ「愚かな自分を…………許す事が出来なかった」
(――――ありがとうございます。優しい旅の御方)
(――――この御恩、決して忘れません…………あなたに旅路の果てに、どうか幸運が訪れますように)
てゐ「だからあたしは――――旅に出た」
てゐ「無知で愚かな自分を捨て去る為に……”賢き者として生まれ変わる為に”」
(――――結婚なさるなら、心優しくて聡明な方が相応しいと思います……いつか出会った、あの方のように)
てゐ「今度は……振り向かなかった」
【旅立ち】
イラストが綺麗だなぁ
因幡の兎はね…色々やらかしちゃったよね
因幡の兎はね…色々やらかしちゃったよね
薬売り「…………」
てゐ「なによ、なにをボケっと呆けてんのよ」
薬売り「いえいえ、とんでもない……ただ」
薬売り「貴方様の語る過去が……”あっしが知っている話”と、よく似ておりましたので」
薬売りが緩んだ表情になるその気持ち、身共もよく推し量れようぞ。
遠く出雲の地に御座す、かの高名な社。
そこに奉られる一羽の御神体が……よもや目の前におるなどと、一体誰が予想できたであろうか。
てゐ「あ……もしかして、眠くなっちゃった?」
薬売り「めっそうもない……逆ですよ」
薬売り「むしろ眠気など、とおの彼方に吹き飛びました……貴方様の話を、より深く聞きたいが為に」
全く……薬売りとここまで意見が合う日が来るとはな。
かく言う身共も今、腰が抜けそうな程仰天しておるわけだが……
と言うのもだな。まっこと、恐ろしいまでの偶然なのだが、実は……
この妖兎は、身共にとっても縁深き兎でな。
てゐ「なによ……急に乗り気になっちゃって」
かつて若かりし頃、修験の修行に明け暮れておった頃の話だ。
今となってはお恥ずかしい話なのだが……修行のあまりの厳しさに耐え兼ね、幾度か脱走を試みた事があってな。
皆が寝静まる夜分深くに、こっそり山を抜け出してな……
我ながら、よくぞあの真っ暗闇の山の中を、一人で降りようとしたものよ。
てゐ「人の失敗談が、そんなに楽しい?」
夜の山が如何に危険であるかなど、今時童ですら知っている。
しかしながら、当時の身共には、僅かながら一つの「勝算」があったのだ。
と言うのもだな。修行場である霊山の頂からは――――視界一面に広がる”海”が見えたのだ。
そして当時の身共は思った。
あの一面の大海原から漂う、潮の香を辿れば、「迷うことなく山を下りれるのではないか」と。
てゐ「言われなくとも言ってやるわよ……そうしないと、この剣は抜けないんでしょ」
しかし所詮は若造の浅知恵。
そんなものが早々上手くいくはずもなく、結局は失敗に終わったのは、今や笑い話である。
だがもしも、仮に、あの時の逃走が成功していたならば……
身共は辿り着いていたはずなのだ。
てゐ「それにもうじき……”夜が明ける”」
薬売り「それも……そうですな」
脱走の標と定めていた、霊山の目と鼻の先――――兎神の社である。
てゐ「夜明け……そう、あたしの旅は、まさに夜明けだった」
てゐ「後に日出国と呼ばれるようになる世界を……あたしは、縦横無尽に駆け巡った」
――――外の世界は、本当に知らないことだらけだった。
毒キノコを食べて腹を壊したり、底なし沼にハマって溺れかけたり、家畜と間違えられて食われそうになったり……
その他色々、何度も何度も、数えきれないくらいのヘマをやらかした。
そしてその度に学んでいった……
空っぽだったあたしの頭に、着実に「知」が積み上げられていった。
てゐ「高みへ昇っている気がした……まるで、日の出のように」
そんな日々を繰り返していたせいか……
いつの間にやら、人間の間でちょっとした有名人になっててね。
人間は、会うたびに必ず一つ尋ねて来た。
「兎や兎、何故にそこまで苦難を駆ける?」
その問に対する返答は、いつも決まっていた。
「不幸とはすなわち代償。遥かなる高みへ昇る為の、言わば等価のような物に過ぎぬのです」。
人間は、えらく関心してたわ。
あたしの言葉によっぽど感銘を受けたのか、こっちが引くくらいあたしを讃えてきた。
でもそれって、ちょっとおかしくない?
要は「目標を達成するには多少の困難は付き物でしょ」って言いたかったんだけど、そんなの当たり前じゃん。
兎より遥かに賢いはずの人間が、そんな事すら知らないとは、到底思えなかった。
てゐ「今思うと……”やっぱり人間の方が正しかった”」
不自然に讃えてくる人間を尻目に、あたしは旅を続けた。
道中の出来事は相も変わらず。行く先々でなんか起こって、その度に命からがら助かった。
そうやって繰り返した――――何年、何十年、何百年と。
ずっとずっと、同じ事を繰り返した。
同じ事を繰り返して、その中で学んで……
気づいたら、そんじょそこらの人間顔負けの、物知り兎になってたわけ。
てゐ「気づかぬうちに、地面が見えないくらいの高みに辿り着いてた……努力の成果がやっとこさ現れたんだって、そう思った」
先が見えた気がした……
いつか目指したあの高みが、ようやっと手の届く範囲まで来たんだって、そう信じてた。
てゐ「それでも、新たな災厄は――――あたしが昇る以上の速さで、次から次へと振って来た」
いつからだろう。長く続いた旅の途中で、心境の変化があった。
なんていうかな……「今度は何が起こるんだろう」「今度は一体どんな目に合ってしまうんだろう」ってな具合でさ。
段々と、旅そのものに臆病になってる自分がいたわけ。
てゐ「まぁでも、何百年もピンチになり続けたら当然よね」
てゐ「でもそれも、経験から来る危機管理能力って奴? 旅で学んだ「知」の一つだと、思ってた」
でも……違った。
あたしが新たに覚えた警戒心は――――ただ元からある、臆病な兎の性に過ぎなかった。
てゐ「違ったのよ……何もかも。あたしが見た事、聞いた事、学んだ事……全部」
何百年も続いた旅路の果てに、出来上がったのは――――”何も変わらない”小さなままの兎だった。
その事を教えてくれたのは……やっぱり人間だった。
そう、人間なのよ。
何万人もの人間に出会って、喋って、もはや対等とすら思っていた人間……。
その人間の事すらも、あたしは知らなかった。
(――――Oh! It's a cute Rabbit!)
(――――は……? なんて?)
あたしは、またしても知らなかった……今こうして当然のように話してる言葉。
このあって当然の言葉すらも、数えきれないくらい、たくさんの種類がある事を。
【種】
(――――What's!? Rabbit speaking!?)
(――――え? え? ちょ、何!? あんた一体何を言ってるの!?)
てゐ「その時出会った人間は、今迄出会った人間とは、何もかもが違った」
てゐ「黄金色に輝く髪。砂浜以上に白い肌。熊みたいにごつい体。そして…………”言葉”」
(――――So crazy……Japanese rabbits are like human beings……)
(――――わかんない……あんたの言ってる事…………全然わかんないよ!)
てゐ「あたしは……知らなかった」
てゐ「人間にもいろんな種類があって、その種類ごとに様々な違いがあって……さらにはその違いには、「知」そのものも含まれていた事に」
そう、同じだったのよ。
あたしが長年の旅路の果てに得た「知」は、あのちっぽけな島の中とまるで同じ。
小さな生き物が集うあの小さな枠の中で、周りと比べればほんのちょっと大きかっただけの、”あの時の兎のまま”でしかなかった。
てゐ「あたしは知らなかった……国とは、そんな同種の人間が寄り添い集まってできた、言わば「小さななわばり」みたいなもんなんだって」
だから、あたしは知らなかった。
あたしが世界と思っていた場所ですら――――”小さな島に過ぎなかった”事を。
てゐ「長年かけて気づいたのは……何も変わっていない自分」
てゐ「ただ無意味に、年月を重ねただけの……一羽の賢しい兎風情」
そしてあたしは知ってしまった。
あたしが高みに近づいてたんじゃない。
空があまりに広すぎて。
出る日があまりに大きすぎて――――
勝手に、近づいてる風に見えただけだって事を。
東方世界で英語が出て来るとなんか新鮮
まあ外人キャラはたくさんいるけど
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