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元スレ永琳「あなただれ?」薬売り「ただの……薬売りですよ」
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薬売り「気づいて、おられないのですか……?」
薬売り「さっきから……貴方が口を開くごとに、もう一つ”声”が重なっている事に」
うどんげ「何……言ってんの……?」
薬売りは唐突に、酔狂な事を言い始めた。
もう一つ、声が聞こえる――――玉兎が唖然とするのも当然じゃ。
辺りを見渡しても誰もおらぬ。無論、声所か微かな息遣いすらも聞こえぬ。
それは波長を聞くと言う玉兎の鋭い耳が、一番わかっているはずなのに。
薬売り「ああっ、今も、ほら……」
薬売り「なにやら、長々とおっしゃっております……それも、”貴方様の声で”」
しかし薬売りは、頑なに主張を退ける事はなかった。
この場に聞こえると言うもう一人の声。
しかもそれは薬売りだけに聞こえ、玉兎には聞こえぬ声。
言い換えれば、”玉兎だけに聞こえぬ声”。
薬売り「もう一度、お伺いします……”本当に聞こえませんか?”」
そこまで言うなら教えてもらおうじゃないか。
そのもう一つの声とやらは、一体なんと申しておるのか――――。
うどんげ「――――ッ!」
(にしても、見れば見るほど気っ色の悪い奴よね~。なにこれ? ホントにこいつ人間?)
(変な道具に変な化粧に変な服にさぁ、言ってる事も意味わかんない事ばっかだし)
(ひょっとしたらこいつ、気触れじゃないの? おおこわっ。てかめんどくさっ)
(うざったいからとっとと帰れっつーの。この薄気味悪いちんどん屋が)
うどんげ「だ…………れだ…………」
薬売り「”貴方が言ったんですよ”。耳を傾けさえすれば、ちゃんと声は聞こえるのだと」
薬売り「じゃあ、今一度、耳を傾けて貰おうじゃないですか……」
薬売り「一言一句逃さずに、悠長に捲し立てるこの”声”を、ね」」
聞こえた……のか?
いや、身共はその場におらなかった故聞こえぬのは当然なのだが。
でもまあ聞かずとも大体わかるわ。
玉兎の様子を見れば、”どんな声”が聞こえたのかは、おのずと推し量れる。
うどんげ「………………がッ!」
その様子からして――――どうやら”凶報”のようじゃな。
その証拠に、玉兎の表情がみるみる青ざめていきおるわ。
してそのような顏を浮かべると言う事は、理由はただ一つ。
自分で申した通り、耳をすませば、確かに聞こえたのだ
(バックレチャ~ンス! こんな薄気味悪い場所からオサラバできる、またとない機会よ!)
(グッバイバカ姫! グッバイみなごろ師匠! ヤク中同士、永遠に仲良くね!)
うどんげ「何言ってんだ…………こいつ…………」
(あ、でもたまには戻ってくるかも? てゐはその内ぶっ飛ばすから)
(あいつには散々してやられたからね。今度は掠り傷どころじゃない、デッカイ風穴開けてやるわ)
(もう一度傷口に塩塗りたくってあげる。今度は内臓まで、全部にね)
うどんげ「そんな事…………できるわけない…………!」
(あ~後そうだ! 妹紅よ妹紅!)
(穢らわしい地上人の分際で蓬莱の薬なんて飲みやがって。あいつはマジで万死に値するわ! 死なないけど!)
(あれは紛れもなく罪人よ。穢れ・薬・ウザイの三重揃った大罪人)
(これは何とかして月に密告しとかなきゃ……もちろん、匿名でね!)
うどんげ「そんな事…………思ってなんかいない…………!」
――――聞きたくなかった声が、な。
(って言うフリをしてれば、かわいい弟子のままでいられるもんね)
(あたちは逆らう気なんて毛頭ない、かわいいかわいい兎さんでちゅ~)
(どうかご主人たま、末永くかわいがってくだちゃいまち~。みたいな?)
(――――死ねよお前! マジきんッッッめえんだよッ!)
薬売り「随分と……口汚いですね……」
(だって……しょうがないじゃない。あたしってば、ロクな躾もされてない、ただのペットなんだから)
薬売り「ただの……ペット……?」
声が聞こえるどころか、ついに会話まで……
しかしその内容は、片側の台詞だけでは全くわけがわからん。
口汚い? ペット? 一体何の話をしているのだ。
そんな事思っていない? 一体何を指摘されたと言うのだ。
(ご主人様がいないとな~んもできない、ただの飼い兎)
(誰かの下でイージーな環境に浸ってないと、生きる事すらできない、どっちつかずの半端な兎)
(ま、おかげで様で、無駄に口だけは達者になったけど)
薬売り「……」
(でも……誰も聞いてくれないんじゃ、それって全然意味ないじゃ~ん!)
(って、思わない? ”薄気味悪いちんどん屋”さん)
その場で一体何が起こっておるのか、皆目見当がつかん。
が、唯一わかる事は……
声が聞こえると言う事は”そこに誰かがいる”と言う事。
薬売り「”竹の声”の正体は……貴方だったのですか」
草木も眠る丑三つ時。
玉兎と薬売り。二人きりと思われたその場所に、”もう一人誰かがいる”。
しかしそこに形はなく、ただ存在だけが曖昧なまま揺らめいておる。
その正体を知る者は、無論一人しかいない。
うどんげ「何も聞いてない……何も聞こえない……」
うどんげ「何も…………誰も何も言ってない…………!」
それは――――玉兎だけにしかわからぬ”波”であった。
(はい出た現実逃避。もういいから、そーゆーの)
(いい事? こいつはね……こうやって事実を捻じ曲げて、自分に都合の悪い事はなかったことにする悪癖があるの)
(だから、騙されちゃダメよ……今のこいつは、あんたから”言い逃れる”事しか頭にないんだから)
薬売り「見ざる聞かざる言わざる……っと失敬。あれは猿でしたな」
(まぁ似たよーなもんよ。むしろ学ばない分、そこらのエテ公よりタチが悪いわ)
(現実と絶対に目を合わせようとしない……目を逸らしたまま、事が過ぎ去るのを、ただ待つだけ)
(そーやって知らぬ存ぜぬってやってるから、何度も落ちるのよ)
(次から次へと……どっかの穴にね)
薬売り「ならば声よりも、直接見せた方が速いのでは……」
(同感ねちんどん屋。気が合うついでに”形”貸して下さらない?)
(無駄に大量所持してるあの札でいいわ。キモいデザインだけど、今のコイツにはむしろ効果的だし)
薬売り「よろしいので……? また、封じられますよ」
(だって、あんたの札……まるで”目”みたいなんだもん)
(あたしと同じ、赤い目……全てを狂わす狂気の瞳)
薬売り「そこまで言うなら……では」
そしてわけのわからぬままに、その誰かの指示に応えたらしき薬売りは、形と称して札をバラまき始めた。
薬売りの持つあの、赤い目玉のような模様の札である。
その札の束が、薬売りの荷の中から一人でに飛び出て行く。
ブワリ・バラバラ。ハラリヒラリ……まるでその場にだけ突風が吹いているように。
薬売り「姉弟子様の、おおせのままに……」
うどんげ「バッ―――― や め ろ ! 」
そしてヒラヒラと舞い散る札が、今度は一枚一枚、緩やかに集まり始めた。
ペタリ、ペタリ、またペタリ――――
重なりに重なりを重ね、いつしか、確かなる形が出来上がっていくではないか。
(栄えすぎて、皆が皆腐り堕ちていく哀れな都…………ねえ)
(ホント、どの口が言ってんだか……出まかせにしたって、よくぞそこまで言えたもんよね)
(文明に胡坐をかいて、怠惰を貪っていたのは……月には”たった一羽しかいなかった”のに)
【形】
(いつだって、動かないのは一匹だけだった。いつだって、堕落してるのは一羽だけだった)
(今もそう……哀れなのは、ただの一人だけ)
うどんげ「やめ…………ろ…………」
【鈴仙・優曇華院・イナバ】
(もう見えないとは言わさない……この赤い眼に塗れた体が、視界に入らないとは言わせない)
【鈴仙・優曇華院】
薬売り「さあ……現れますよ……貴方の形が」
その形は――――兎に酷似していた。
兎の輪郭そのままに、皮だけが赤い目の、まごう事なき目前の兎の形であったのだ。
(だって……あたしは常に、あんたと一緒だもの)
(これから先も……”永遠に”、ね)
【鈴仙】
しかし形こそ同じなれど、その色合いは黒で埋め尽くされておった。
赤をも霞める深き黒。
してその所以は、実に単純な話である。
”月明かりに背を向けておる”。それが故の、黒であった。
(レイセン――――それはあたし”達”を指す名前)
自分と同じ形をした黒い何か。
人はそれを――――”影”と呼ぶのだ。
【レイセン】
乙
恐れが原因で本人の自覚なしって事は海坊主タイプのモノノ怪だな
恐れが原因で本人の自覚なしって事は海坊主タイプのモノノ怪だな
【姿】
薬売り「……」
【形】
うどんげ「ひ……」
【酷似】
【目前之兎】
レイセン「はろぉ~鈴仙。久しぶりぃ」
レイセン「こうして話すのは、いつぶりだったかな? 確か……」
レイセン「月の都から、脱走ぶりだったかしら?」
玉兎の内より現れしもう一人の玉兎――――レイセン。
その名は「鈴仙」の二文字をそのままカナ読みにした名であり、音の上ではどちらも同一である。
故に、同じなのだ……こうして久方ぶりの会話に興じようと。
されどどちらも同じ玉兎。あくまでこれらは、”二羽で一羽”なのである。
レイセン「よくぞまぁ今まで、長い事シカトぶっこいちゃってくれたわよねぇ? この――――」
レイセン「おっと御免。今はなんか、ダサい名前に改名したんだっけ?」
レイセン「ええと、なんつったっけ……」
【禁視】
レイセン「ああ…………”うどんげ”だっけ?」」
【狂気之瞳】
うどんげ「かッ…………かッ! かッ! か…………ッ!」
時を同じくして、漢字の方の鈴仙にも明らかな異常が現れた。
声が枯れている――――。
まるで痰の詰まった老人か、はたまた病に伏せる童かのようである。
「カッカッカッ」と、酷く濁った声に変貌していく玉兎の喉。
その声に薬売りは、ふと、いつぞやの既視感を感じ取った。
薬売り「声が……”入れ替わった”」
あの赤き眼に睨まれた直後に現れた、「乱れ」である。
レイセン「もう……またそうやって苦しい”フリ”をするんだから」
レイセン「ごまかせると思ってんのかねぇ……”自分自身を相手に”さ」
薬売り「肉の牢に閉ざされた、もう一人の鈴仙。それが貴方の、真なる形……」
レイセン「おかげ様で出てこれたけど、礼は言わないわよちんどん屋」
薬売り「おや……どうしてですか?」
【不遜】
レイセン「だってあんた、気持ち悪いんだもん。見た目も、口調も、その他諸々色々とさ」
薬売り「……」
レイセン「いろんな意味で無理。生理的にキツイ」
レイセン「せめてその無駄に伸びた髪を切りなさい。ついでにオバハンみたいな厚化粧も取ってもらえば?」
薬売り「……」
ははっ、これは愉快じゃ。
普段から人を小馬鹿にした態度の薬売りが、今は逆にコケにされておるわ。
どうやらこのレイセン、随分と舌が回るようで……ふふ。
薬売りをも翻弄するとは、中々にやりおる。
薬師より語り部の方が、向いておるやもしれぬの。
レイセン「感謝の気持ちと生理的嫌悪感が、絶妙なバランスで釣り合ってるわ」
レイセン「残念ながら差し引き零ってとこね」
薬売り「零……”無”ですか?」
レンセン「わかるかなぁ? 難しかったかなぁ? 童でもわかる、とっても簡単なひ・き・ざ・ん・なんだけど」
薬売り「……」
実に口汚き、不遜なる悪態。
しかしこの悪態こそが、玉兎が隠し続けた、玉兎の「真」なのである。
そう、レイセンは鈴仙でもあるのだ。
言わば分身……その分身が、こうして作法のカケラもない口を効いておる。
すなわちそれこそが――――”玉兎の本性”。
外面では綺麗事を。内心では蔑みを。
この二枚の舌を器用に操る心こそが、玉兎にとって”最も知られたくなかった”性なのである。
薬売り「まぁ別に……見返りを求めたわけじゃありませんが」
レイセン「あーもうわかったって。しょうがないからなんかしてあげる」
レイセン「そうね……何をしようかしら……そうだ!」
【閃】
レイセン「お礼代わりの”紙芝居”……なんてのはどう?」
薬売り「ほぉ……それは興味がありますな」
レイセンはそう言うと、何やら体に張り付く札を、ペラリと一枚剥がしなすった。
そして、折る。また折る。重ねて折る――――
はは、懐かしいのう。これは所謂、童の折によくやった「折り紙」ではないか。
薬売り「上手な……兎ですね」
レイセン「さぁて――――よってらっしゃい見てらっしゃい。丑三つ時の特別講演。夜中の紙芝居が始まるよー」
懐かしい思い出が蘇る折り紙である。
が、しかしそんな折り紙に”嫌な思い出”を持つ者が、この場に唯一おる。
たかが紙の一枚に何をそんなに嫌がるのか、皆目見当もつかんであろう。
だが心配は無用だ。これから当の本人が、自ら”全てを”語ってくれると言うのだから。
レイセン「今回の御題目は……こ・ち・ら」
うどんげ「 や め ろ ! 」
故にただ、聞いておればよいのだ。
兎が語る、兎の生き様を――――。
【鈴仙の半生・第一幕】
【子】
(私もお師匠様の後を追う……誰も、止めないで!)
噂が噂を呼び、兎はあっという間に都の人気者になりました。
その人気ぶりはすざましく、誰もが「乱してくれ」と、連日行列ができる程でした。
これに気をよくした兎は、連日その力を人々に見せびらかし、噂はさらに広まっていきました。
そしてその噂は、ほどなくして、ついに月の高官の耳にも届きます。
ある日、兎は月の高官・通称「月の使者」からの誘いを受けました。
「その力、この都を守る為に役立てないか?」
その誘いを、兎は二つ返事で承諾しました。
「あら素敵。まるで英雄みたいじゃない」
そして兎はその日から、月の人気者から月の番人へと転身を遂げました。
「月の番人がただの兎では紛らわしいだろう」
そう言った月の高官たちが、兎に名を与えます。
「レイセン――――お前は今日からレイセンだ」
【亥】
(蓬莱の薬……そんな物が、本当にあるだなんて……)
兎は初めて与えられた”名”と言う物に、大変喜びました。
「我はレイセンなり」「我こそがレイセンぞ」。
自分の名をしきりに誇示する兎に、他の兎は「いいな」「おめでとう」と羨やむ声を放ちます。
そんな兎の声がさらに快感となり、兎はいつまでもいつまでも、自分の名を言い続けました。
しかし兎は、夢中になりすぎて、全然気づいていませんでした。
羨む声の中に、ポツリ、ポツリ――――妬む声が、混じっていることに。
【戌】
(どうして姫様が……地上に?)
そんな事など知る由もない兎、元いレイセンは、あくる日、とある月人の下に配属されました。
その月人は「八意・永琳」と言う名がありました。
レイセンは不思議に思いました。
「どうしてこの人間は名が二つあるのだろう?」
永琳は答えました。
「人間には、名前の前に名字と言う物があるのですよ」と。
レイセンはその説明をいまいち理解していませんでしたが、それでもなんとなく「カッコイイ」物なんだと、そう理解しました。
姓と名。この二つに別れた気品溢るる名前を、レイセンは大変羨みました。
そして言いました。
「自分もそのような名が欲しい」。
出会って早々に唐突な要求でしたが、それでも永琳は、笑顔で答えました。
「では職務を懸命に尽くせば、いつしか私が与えてあげましょう」と。
レイセンはお仕事を一生懸命頑張ろうと、そう心に決めました。
【酉】
(本当にごめんなさい……あたしが至らぬばっかりに……)
(あたしの力不足だったばっかりに……こんな事に……)
しかしその決意は、ほどなくして露と消えます――――。
「楽しくない」。
初めて体験する「お仕事」は、都の人気者だった頃に比べれば、それはもう退屈極まりない物だったのです。
【暮六つ】
【宵】
(――――キャッハッハ、バッカじゃないの)
【明暗】
(あ~……めんどくせぇ~……適当に終わらせてさっさと帰ろ……)
(ちっ、うっぜーな! 言われなくてもわかってるっつーの!)
月のお仕事は、レイセンの思い描いていた内容とはまるで別物でした。
都を守る月の番人――――なんて言えば聞こえはいいけれど、やる事は毎日、待機と勉強の繰り返しです。
今思えば、まだ新人なのだから、大した仕事を与えられないのは当たり前の事でした。
ですが、そんな事すら知らない当時のレイセンは、鬱憤にかまけて段々と不遜な態度を取るようになります。
サボリ・遅刻は当たり前。
仕事中に堂々と居眠りをしたあげく、注意をされよう物なら逆ギレまで。
ひどい時には、持ち前の”狂気を操る力”を使って、先輩兎の妨害までもをしでかす始末でした。
(どいつもこいつもバカばかりね。あたしってば、褒められて伸びるタイプだってーのに)
都の人気者だった頃はこんな事はありませんでした。
ちょっと愛想を振りまくだけで、誰もがちやほやしてくれました。
ですがこの職場は違います。多少頑張った程度では、誰も褒めてくれません。
先輩兎の言う事はいつも決まってました。「もっと精進なさい」。
レイセンはその言葉に歯向かうように――――いつしか、頑張ることを辞めました。
(あ”~……マジおっもんな……)
(やめちゃおっかな……でもなぁ~……)
怠惰にかまけ、露骨にやる気のない態度を出すレイセンでしたが、それでもお仕事を辞める事まではしませんでした。
かつて八意永琳と交わした「名を与える」約束。それだけが、この退屈の中にある、唯一の希望だったのです。
やる気はないながらも、数さえこなせば、それなりに仕事は覚えます。
そして曲がりなりにも、仕事さえ覚えれば、「いつか永琳は約束を果たしに来てくれるはず」。
レイセンが仕事を続ける理由は、もはや、ただのそれだけしかありませんでした。
(~~~もう我慢できない! こうなりゃ直談判よ!)
レイセンはある日、とうとう我慢しきれずに、八意永琳に直接文句を言ってやろうと思い立ちました。
その不満は仕事がつまらない事。
先輩兎共が気にくわない事。
自分が活躍できない事。
そして……待てど暮らせど、約束が果たされない事。
レイセンは気づいたのです。
名をもらう為に嫌な仕事を我慢してやっているのだから、逆に言えば「名さえ授かればこんな仕事やらずに済む」んだと。
(どいつもこいつもバカばっかり! あんなバカ共と仕事なんてやってらんないわ!)
永琳の下へ向かうレイセンは、冷静を装いつつも、その心は猛りに満ち溢れていました。
耳をピンと尖らしながら。眼は、いつも以上に真っ赤に染め上げながら。
「もし拒めば、あの月人も乱してやろう」――――そんな一物を、期待の裏に隠しながら。
(………………)
【姫】
(――――え?)
そしてついに、聞いてしまいます。
後に堕ちる事となる、堕落の道へと言葉巧みに誘う――――悪魔の囁きを。
(皆様 今までの非礼の数々 まことに申し訳ありませんでした)
(これからは 心を入れ替え 月の番人として 誠心誠意 職務に当たる所存で御座います)
(不束者ではございますが 末永く どうぞ よしなに)
突然のレイセンの詫びに、皆は大きくどよめきました。
「あのレイセンが礼儀正しく振舞っている――――」。
あれほど汚かった言葉遣いが堅苦しいまでに正され、見るのも躊躇うくらいだらしなかった姿勢は、まるで竿のように真っすぐです。
誰もが疑いませんでした。
「ああ、レイセンは本当に心を入れ替えたんだな」と。
そして永琳が言いました。
「皆さん、今までの事はどうか、水に流してやってあげてください」と。
最後にレイセンが、もう一度言いました。
「今迄 本当に 申し訳ありませんでした」と。
その言葉を吐くレイセンの目から、ツゥーと一滴の涙がこぼれ落ちました。
その涙を見て、「其の赤き眼から流るる涙で持って、改悛の証とす」。
すなわち「流した涙が反省の表れである」と、永琳含む皆はそう認めました。
(………………バ~カ)
――――勿論、そんなわけはありませんでした。
(バイバイ姫様…………存分に満喫してきてね)
(称える者が誰一人としていない…………穢れた地への一人旅を)
それから数日後――――。
月から、人が一人、いなくなりました。
【酉】
レイセン「あの時は楽しかったわぁ……今思い出しても、ゾクゾクきちゃう」
レイセン「”ざまぁみさらせ”とはまさにあの事ね。もし過去に戻れるなら、もう一度あの時に戻ってやり直したいくらいよ」
薬売り「輝夜姫が地上へ落とされたのは……”貴方の仕業だった”」
なんとまぁ……浮世に名高きかぐや姫。もとい竹取物語。
かの物語の起点を生み出したのは、他でもないこの兎の仕業であったとは……
確かに、よくよく考えれば、あの冒頭はいささか不自然であったよの。
「月からやってきた姫」はまぁわかる。
しかしその姫が何故に竹の中なんぞに。しかもまるで”閉じ込められるように”収まっていたか……
これなら、全てに納得がいく。
レイセン「そーよ。だってあのクソ姫、永琳と共謀して、飲んじゃいけない蓬莱の薬を密造してやがったのよ」
レイセン「壁に耳あり障子に目ありってね……悪い事はできないわよねぇ」
レイセン「あいつらがコソコソとやってた内緒話、一言一句逃さず……ぜ~んぶバラしてやったのさっ」
レイセン「ねー、鈴仙」
うどんげ「…………」
閉じ込められて当然だな。それは――――「罰」だったのだ。
固く禁じられておる不死の薬。おそらく、我らで言う阿片に近い物だったのだろう。
それをあろうことか自らの手で作り、生み出し、そして……
レイセン「……あーあ、また現実逃避モードに入っちゃった」
レイセン「どうせなら布団の中とかにしなさいよ。それじゃまるで、冬眠中の芋虫みたいじゃない」
【密】
薬売り「姫が……お嫌いだったんですか?」
レイセン「ん~、嫌いだったって言うかぁ……癪に感じてたのは事実ね」
レイセン「だって、あたしが毎日汗水流して働いてんのに、あの姫様ときたら……」
レイセン「”姫様、わらじをおもちしました”~とか、”本日のお食事はなになに産のなになにですぅ~”とか」
レイセン「周りから必要以上にちやほやされてんだもん。んなの見てたら、ムカついてこない?」
レイセンが語る蓬莱の薬の製造法。
曰くそれには、薬を調合する薬師と、元となる材料と、もう一人”とある協力者”が必須との事である。
その協力者こそが――――姫。
蓬莱の薬とは、姫の協力なしには生み出せぬ、秘薬中の秘薬であったのだ。
レイセン「姫だか月人だかしんないけど、な~んもしてない癖に……」
レイセン「自分が何もせずとも、周りが勝手に、何もかもを与えてくれんのよ」
月の中で位が高かったのも、おそらくその辺が関係しておるのだろう。
永遠を生み出す姫。してその永遠とは、すなわち月の世に置ける禁忌。
と言う事は……ううむ、存在そのものが禁忌同然の身なのか……
ならば、そりゃあ月人の扱いも変わると言う物だな。
何もしない……と言うよりむしろ、”何かしてもらっては困る”のだ。
薬売り「その過剰な持て囃しは、今も続いてますな」
レイセン「そーよ! 八意永琳、あいつがあの甘やかしの元凶だわ!」
レイセン「二人のコソコソ話を聞いた時、あたしは確信したね!」
レイセン「こいつ……”忘れてやがる”。あの日あたしと交わした約束を、よりにもよって禁忌の為に」
(…………罪人だ)
レイセン「生まれて初めて真面目に仕事したね! だってあたしは月の番!」
レイセン「月の掟を破る者を、許すわけにはいかなかったのよ!」
しかしそんな月人の健闘も空しく、案の定姫君はしでかしてしまう。
永琳にそそのかされたか、それとも自分から持ち掛けたのか……
ま、どちらにせよ、広まる前に食い止められて本当によかったわい。
(月を裏切る罪人が……”ここにいる”!)
飲むだけで永遠となる薬。
そんな物が、万が一大量に、それこそ阿片の如く世に出回ろうものならば……
おお、くわばらくわばら。想像するだけでおっそろしい。
レイセンの行動は、紛れもなく「正しき行い」であった。
誰が何と言おうと、身共はそう、胸を張って言おうぞ。
レイセン「ただその時、唯一ひとつだけ誤算があった……」
レイセン「それは、永琳はその時点では、”まだ蓬莱の薬を飲んでいなかった”事」
レイセン「二人仲良く地上に突き落としてやろうと思ったのに……ムカつく事に、永琳だけは上手い事罪を免れやがった」
薬売り「…………」
レイセン「そして無事月に残れたのにも関わらず……まだ果たそうとしなかった」
レイセン「あたしとの約束を、未だに!」
薬売り「……ふふ」
「絡まる線が繋がって行く――――」薬売りは小さくそう呟いた。
その表情はどこかうれしそうであり、いつしか兎の話に魅了されている薬売りの姿が、そこにはあった。
そりゃ嬉しいだろうて。
散々に手こずらされた、永遠亭を取り巻く複雑極まれり因果が、ご丁寧に芝居形式でお披露目されるとあらばな。
レイセン「いつしかもう、名前なんでどうでもよくなってたわ……」
レイセン「その時は、何とかして”こいつも落とさなきゃ”。その事しか頭になかった」
レイセン「だってこいつは罪人なんだもの。飲んではいけない薬を、最初から飲む為に作った、黒幕兼発端の大罪人」
うどんげ「…………」
レイセン「あ”~~~! 思い出したらなんかまたムカついてきたわ! なんか逆に、テンションあがってきた!」
レイセン「行くわよ鈴仙! お前の歩んだ半生、その一部始終!」
レイセン「このちんどん屋に……とくと見てもらうがいいわ!」
にしても、よくしゃべる兎だな……
話し好きの兎など、今迄聞いたこともないが。
その鋭い耳で覚えたのかのう。
人語を見よう見まねで発する兎……っと、そりゃオウムじゃな。
薬売り「もはや抵抗すら……しません、か」
【鈴仙の半生・第二幕】
(――――ふん、いい気味よ)
その日からと言う物。レイセンは今迄と打って変わって、随分と真面目に働くようになりました。
問題の新人から一変。あれよあれよと出世を果たし、いつの間にやら番人兎のリーダーにまで上り詰めていたのです。
しかし何故でしょう。問題兎が改心したにも関わらず、職場の雰囲気はどこか、どんよりとした”陰り”がありました。
誰も口にこそしませんが、なんとなく居心地が悪い……その正体は、レイセンだけが知ってました。
(まぁた泣いてやがる……ったく、しっかりして欲しいわね)
(たかが人間の一人や二人……そんなのより大事な物が、あるだろっつの)
永琳は、段々と仕事をレイセンにまかせっきりにするようになりました。
周りの兎は、それはレイセンが頼りにされているからだと、そう思い込んでいました。
それはある意味で間違いではありません。
しかしその真相は……周りのイメージとは、ほんのちょっとだけ、違った物だったのです。
(永琳……永琳……助けて永琳……)
(暗いよ……怖いよ……一人はやだよ……助けて……タスケテ……)
レイセンは自分の声を乱し、誰かに似せた声を出せると言う芸が出来ました。
都の人気者だった頃に披露していた、芸の一つです。
そしてその芸を、久しぶりにまた使うようになりました。
その声を聞かせる相手はただ一人。
毎日、毎日、上司である永琳に聞こえるように……いなくなってしまった、姫の声に似せて。
(…………ふふ、今日はこのくらいにしといてあげようかしら)
その効果は、まさに覿面でした。
よっぽど似ていたのでしょう。永琳が涙を流す回数が、目に見えて増えて行きました。
声の効果を実感したレイセンは、さらなる一手として、また誰かの声色を使ってとある噂を流しました。
「八意永琳は輝夜の流刑に心を痛め、精神に支障を来たしてしまった――――」
その噂を真に受けた兎達は、段々と永琳を怖がるようになりました。
仕事も私用も関係なく、いつしか誰も、永琳に近づきすらしなくなりました。
永琳はさぞ不思議に思った事でしょう。
中には、目が合っただけでバッと逃げ出す者もいたくらいなのですから。
(あ~、ほんとうに…………)
(………………ウケる)
永琳が涙を流す数に比例して、レイセンはよく笑うようになりました。
レイセンの笑いに釣られて、怯えた兎達も、レイセンがいる時に限り明るく振舞う事が出来ました。
そうしていつ頃からか……もはやその職場に、永琳の居場所はありませんでした。
皆「おかしくなった本来の上司・永琳」よりも、「明るくて頼りになるリーダー兎・レイセン」の言う事しか、聞かなくなっていたのです。
(ほら……あたし、頑張ったよ。一人前になったよ)
(あんたよか十分頼れるようになったよ……だからはやく……)
(いい加減……頂戴よ)
あの手この手で永琳の評判を落とし続け、逆に自分の評価を上げ続けたレイセン。
ある日レイセンは、ふと気づきました。
今のこの状況は、「都で人気者だった頃とおんなじだ」と。
少々の無理を言っても、周りはレイセンの言う事を拒みません。
少々サボっても、もはや誰も咎めたりはしません。
レイセンは取り戻したのです。かつてのあの称賛と羨望と、ほんの少しの妬みが混じった生活を。
(キッ…………タァァァァーーーーッ!)
しかしそんな生活も、長くは続きませんでした。
(業務連絡! 玉兎各位! 業務連絡――――)
(我らが永琳が――――ついに”地上に落ちる”んですって!)
――――もっと嬉しい出来事が、起こったからです。
(飛車に細工して、証拠でっちあげて、偽装の報告書作って……ふふ)
(我ながら完璧すぎる計画だわ……これで永琳も、罪人確定ね)
ある日、永琳の下へ、月の有力者から直々の直命が下されました。
その内容は――――”輝夜姫を迎えに行く事”です。
その命は月の中でも最重要任務として扱われ、よって面子には、永琳のような名の通った月人のみで構成されました。
「かつて禁忌を犯した輝夜姫の罪が、ついに許される時が来た」。
永琳は久しぶりに、笑顔を取り戻しました。
そんな永琳を見て、レイセンも一緒に笑いました。
(ケケ……ただで帰ってこれると思うなよ…………”裏切者”)
レイセンは早速行動に移しました。
表向きは頼れる玉兎の長として。裏では月人を陥れる工作員として。
二つの顔を器用に使い分け、誰にもバレぬまま、着々と事は進んでいきました。
レイセンの計画は、気持ち悪いくらいに順調でした。
そして、そんな気持ち悪いくらい順調なままに――――ついに実行に移す時が、やってきました。
(グッバイ永琳! 気が向いたらまた話題に出してあげる!)
(地上に落ちた元・月人は、穢れた地で原人同然にまで落ちぶれました――――ってさ!)
名のある月人のみで構成された「姫の送迎人達」は、盛大な見送りを受けながら、穢れた地へと旅立っていきました。
レイセンはその様子を、”月の瞳”と呼ばれる大きな望遠鏡から覗いてました。
形式上は事の一部始終を見守る後見人としてでしたが、もちろん本来の目的は違います。
レイセンはじっと気を伺ってました。
飛車に仕掛けた罠を動かす、その機会を。
(…………なにこれ)
そしてその結果は、結論から言うと――――”大・成・功”でした。
さらにはその企みは、最後まで誰にもバレぬままでした。
誰にも見つからず、望むままに、最良の結果だけを得る。
レイセンにとっては、これ以上はないくらいの快挙でした。
が、それには一つ、とある理由がありました――――
レイセンが”罠を作動させなかった”からです。
(なんなのよ…………これ…………!)
直前で思いとどまった……わけではありません。
単純に”使う必要がなくなった”からです。
(なに…………してんだ…………アイツ…………)
(何………… し て ん の よ ッ ! )
――――得てして、レイセンが長きに渡り励んだ努力の結果。
それはそっくり、レイセンの願うままに叶いました。
本来なら喜ばしい事でしょう。
しかしレイセンの心には、そんな嬉しい気持ちは微塵もありませんでした。
(たっ大変だ! 誰かッ! 誰か来てッ!)
(永琳が謀反を起こした……! 本当だ! 嘘じゃないッ!)
(ほら、これッ! 誰か早く、これを見――――)
(―――― ひ ぃ ぃ ッ ! )
願いが叶った結果、得られた物は――――
瞳に棲み着く”鬼”でした。
【戌】
レイセン「――――その後の月はもう、前代未聞の大パニック」
レイセン「お偉いさんから下っ端まで、連日てんやわんやの阿鼻叫喚よ」
薬売り「そう……でしょうな」
レイセン「やれ誰かが降格になっただの、やれ責任問題がどうこうのだの……ま、その辺は言われなくても想像つくわよね」
嘘から出た真とはまさにこの事か……
レイセンが永琳を陥れる為に吹聴して回った「嘘」が、よもや現実の物となろうとは。
それもただの事実ではない。
永琳が起こした現実は、レイセンの好き勝手な嘘よりも、より一層奇怪千万であったのだ。
レイセン「もちろん番兎達も死ぬほど探し回ったわよ。みんなで休みなく、目を真っ赤にしてさぁ」
薬売り「それは……元からじゃないですか」
レイセン「アホ、そっちじゃなくて瞼の方よ。人間だって、疲れてると瞼が腫れたりするでしょ?」
まぁ、だろうな。
お江戸なら関わった者共がまとめて切腹に処される事態じゃ。
まさに織田信長公を討ち取った明智光秀が如く。
いや、この場合……女子供までもを手に掛けた、信長公の比叡山焼討ちが如くだな。
レイセン「でも……そうやって瞼を閉じる暇もなかった兎達の中で、一羽だけ瞼を”開く方が少なかった”兎がいた」
レイセン「目を閉じ、耳を閉じ、今もこうして口まで閉ざしている兎が一羽……」
信長公の過剰極まる”攻め”を知る者は、後に公をこのように揶揄したと言う。
「鬼」――――近しい者にとって、公は、人ならざる何かにして見えなかったのだろう。
そんな信長を同じく焼き討ちの目に合わせたのが、かの有名な明智光秀なのだが……
ひょっとすると光秀は、公を本気で”妖の類”と思っていたのかもしれんな。
レイセン「――――それが」
うどんげ「…………」
この黙す兎と、同じように。
レイセン「さあ、いよいよ大詰めよ薬売り。兎の理、余す事なく全部知って頂戴」
レイセン「そして……”とっとと斬って”。あたし達を隔てる、この憎らしい”壁”を、さ」
大がかりな芝居まで用意して、この玉兎が本当にしたかった事。
それはやはり――――”一つに戻る事”であったのだ。
ひょんな事から、二つに分かれし「鈴仙」と「レイセン」。
一羽の兎を引き裂き、別れさせ、ほぼ別人までに仕立て上げたのは、やはりあの時の”鬼”の仕業であったのだ。
薬売り「幕が閉じてから……ね」
しかもその鬼は決して死なぬと来た。
不老不死の体をひっさげ、永遠に存在し続ける事が、残念ながらすでに決まっておるのだ。
さもあれば、兎が揶揄せし壁はまさに――――「恐怖の壁」。
果たして、数多のモノノ怪を払いし退魔の剣は……斬れるのであろうか。
恐怖と名を変えた、「永遠」を。
【鈴仙の半生・第三幕】
乙
あまり知られてないけど永琳の皆殺し事件は公式設定なんだよな
あまり知られてないけど永琳の皆殺し事件は公式設定なんだよな
うどんげは自分で永琳嵌めたけど想像以上の結果を引き起こしてビビっちゃったってこと?
東方って妙に暗い設定多いよなぁ
幽々子とか早苗とかフランとか
幽々子とか早苗とかフランとか
(にしても永琳もバカな事したわよねぇ……なんだって、あんな大それた謀反を起こしたのかしら)
(賢すぎると逆にああやって狂っちゃうのかなぁ? だったらあたし、ずっとこのままでイイ~)
(ね――――…………依姫様)
永琳が起こした事件の余波は留まる事を知らず、依然として月を混乱の渦に落とし続けていました。
連日の徹夜がたたり体を壊す者。責任を取り辞職する者。働かせすぎだと抗議する者。etc……
その影響は直に一般都人にまで広まり、噂がさらに噂を呼び、都は直、真実と嘘の入り混じった混沌な世へと変貌せしめます。
そんな混沌と化した月の都でしたが、唯一一人だけ、混沌とは無縁の者がいました。
【綿月依姫】――――八意永琳の役職を引き継いだ、八意永琳同様の位高き月人の一人。
そして同時に、”レイセンの新たな飼い主”でもありました。
(そいでさぁ、知ってる? 穢れた地の連中ったらまだ――――)
新たな飼い主を得たレイセンは、未だかつてない程に増長をし始めました。
混沌の最中、自分だけが混沌とは無縁の安心感。
新たな飼い主の力で、自分だけが庇護される優越感。
月を覆う未曾有の事態の中で、自分だけが月人に近い待遇を受ける選民感。
レイセンだけに訪れた数多の特別待遇は、一匹の兎を怠惰の穴に落とすには、十分過ぎる程重い物でした。
(穢れた地に住んでるだけあって、脳みそまで穢れてんのよ! あの連中ったら!)
怠惰に溺れ、連日遊びほうける日々を送るレイセン。
遊んでも遊んでも埋まる事ない暇は、直に、レイセンの中に一つの”趣味”を与えました。
(ねッ!? ウケるっしょ!? ……っとオヤジィ!)
(中身ねーぞオイ! おかわり! もう一杯!)
――――”お酒”です。
地上の話を肴に呑むお酒は、どんな高級酒にも勝る極上の美酒へと変えたのです。
【酔】
(そんな獣同然の暮らしぶりに、なんか知らないけど、隠居暮らし的な憧れ持っちゃってたんじゃないの?)
(キャッハッハ! ほんと、バッカじゃないの~~~~!)
当時の情勢も手伝ってか、レイセンが語る地上の話は、月の都でも大ウケでした。
ただでさえ穢れた地と禁忌扱いされる地上。
さらにはあの永琳が、月を裏切ってまで逃れたあの場所は――――「一体どのような所なのか」。
皆、内心興味があったのです。
だから皆、アッサリ信じました。
何を隠そうレイセンは、その地上を監視する「月の番人」の一人だったのですから。
(え~まじぃ? こいつらみんな、あたしの客?)
(キャッハッハ、ウケる! 揃いも揃って、暇人すぎぃ~~~~ッ!)
いつしかレイセンの足は、呑む為ではく、語る為に運ぶようになりました。
最初こそ口だけの単純な喋りでした。
それが段々と小道具を扱うようになり、場所を選ぶようになり、告知のビラを刷る程になり――――
いつの間にか本人ですら収集が付かないほど、その人気は膨れ上がっていたのです。
(じゃあ明日はぁ~~……穢れた民の使う遅れた道具の御話!)
(わかりやすいように人形劇にしてあげる! じゃあ明日、この時間、同じ場所ね!)
そんな流行の真っ只中にいたレイセンでしたが、それでもお金は取りませんでした。
代わりに、お酒を要求しました。
高いお酒じゃなくても構いません。何でもいいからお酒さえ持ってくれば、レイセンは誰でも受け入れました。
気づけばそこには、レイセンが望む以上のお酒が並んでました。
たかが酒の一本や二本。それでも寄ってくる人数が増えれば、その数は倍々的に増加します。
人々は知っていたのです。この兎は、呑めば呑むほど面白くなると。
人々は知らなかったのです。自分達が持ってきたお酒は、全部その場で飲み干されていた事を。
(ウェェェェ~~~~イッ!)
毎日毎日浴びるように呑み、まるでお祭りのように騒ぎ立てるレイセン
そんなレイセンを好意的に見る人。心配そうに見る人。羨む目で見る人。妬む目で見る人……
レイセンの生活は、またしても元の鞘に戻りました。
皆の関心を一手に受ける、都の人気兎の地位に、見事なまでに返り咲いたのです。
そうしてまたも数多の注目を集めたレイセンでしたが……
ですがみんな、”今度は”肝心な事が見えてませんでした。
(絵もやった。人形劇もやった。じゃあ後は…………)
(…………そうだ! 次は紙芝居にしよう!)
レイセンが、”何の為にこんな事をやっているか”です。
(そうして愚かな地上人は正義の月人に成敗され、二度と立てつくことはありませんでした~……)
(めでたし、めでたし)
レイセンの語る話には、ある一つの特徴がありました。
それは、全てが”地上をこき下ろす内容”だった事です。
レイセンは話に必ず一文を加えました。
「穢れた地は、その穢れを月にまで蔓延させようとしている」。
レイセンの創作話は、それを前提にして組み立てられる事が多かったのです。
(――――かぁぁ~~~ッ! 仕事後の一杯って最ッ高~~~ッ!)
幸か不幸か、かつて八雲紫が月を攻めた事も手伝い、月人にとっては非常にリアリティのある話となりました。
そして最後は必ず月側が勝つ……
月人はそれを「月の賛美」と捉え、より新たな賛美を日々要求しました。
(おっしゃあ! じゃあいっちょ、新作作るか!)
(やるわよ~! 前よりも、あっと驚く痛快劇ね!)
新たな話を毎日創作し続ける事は、本物の噺家にとっても大変な重労働です。
ですがレイセンは、それでも欠かさず、守り通しました。
(広めなきゃ……もっともっと、穢れの恐れを広めなきゃ……)
そうする事しか、知らなかったからです。
(じゃないと……”鬼”に見つかってしまう……!)
その身に焦げ付いた恐怖から、眼を逸らす術をです。
(……やばい)
(完全に……ネタ切れだ)
あの手この手で地上を蔑みこき降ろし続けたレイセンでしたが、そんなレイセンにもついに限界が訪れます。
話のネタがない――――それはちょうど、永琳起こした事件が、ようやっと落ち着いて来た頃でした。
(え……これだけ?)
(ちょ、ちょっと待って……明日は……もっとおもしろい”お話”用意してくるから……)
平穏を取り戻した都の変わり様は、同時に流行の変化の訪れでもありました。
賛美ながらやや過激なレイセンの話は次第に求められる事が減っていき、逆に静かでほのぼのとした小話が都で流行り始めます。
その結果……あれほど満員御礼だった人々は、まるで神隠しにでもあったかのように、一人、また一人といなくなっていきました。
(告知……したわよね?)
(なんで……なんで、誰もいないのよ!)
流行の変化とは残酷な物です。
あれほど兎を持て囃していた人々は、ものの見事に、影も形も消え失せました。
仮にこれが、本物の噺家ならどうだったでしょう。
ひょっとすると、同情したファンが根強く支え続けてくれたかもしれません。
ですがレイセンには、そんなファンすらいませんでした。
ブームが過ぎたレイセンのその後など、誰も気にしてさえいなかったのです。
(や…………ばい…………)
それが何故かと問われれば……人々は揃ってこう答えます。
「だってありゃ、依姫様ン所の飼い兎でしょ――――」
レイセンにはいつだって、帰る場所があったからです。
(やばいやばいやばいやばいやばいやばい――――!)
レイセンには、死活問題でした。
ウケる話が出てこない。話がウケないとお酒が貰えない。
お酒がないと酔えない。酔えないと目をそらせない――――
あの時、地上から自分を見ていた、鬼の目から。
【危機】
(見つかる……見つかる……見つかる……)
(見てる……来る……仕返しされる……)
(来る……来る……鬼が……来る……!)
(――――カッ! カッ! カッ! カッ!)
その時から、レイセンは変な息切れを起こすようになりました。
カッカッカと、まるで笑い声のような、息の詰まった乱雑な吐息です。
その原因は明らかでした――――お酒です。
(カッ! カッ! カッ! カッ――――……)
毎日大量に飲み続けたお酒が、ある日急に断たれたら、一体どうなってしまうでしょう。
答えは一目瞭然でした。
そしてそれは、兎にも当てはまりました。
静かに落ち着いていく都と引き換えに、レイセンの心身だけが、激しく乱れていきました。
(お願い……カッ……お酒……お酒頂戴……)
(ほんの少し……カッ……ほんの一滴でいいから……)
あからさまなレイセンの異常に、見かねた飼い主が都中の医者を呼び寄せます。
月は文明大国です。ですので、医者は余るほどたくさんいました。
しかし、病気を一瞬で治すほど優れた医者など、月の歴史を紐解いても、ただの一人しかいませんでした。
(ひいいいいい! い、医者ッ!?)
(く……来るなァーーーーーッ! 寄るなーーーーーッ! 誰も近づくなァーーーーーッ!)
そしてその唯一の医者こそが、レイセンの異常の原因だった事は……
最後まで、誰にもわかりませんでした。
(かッ…………かッ…………か…………)
病状の果てに、ついに外出禁止令まで出されたレイセン。
与えられた病室にあった物は、頑丈な壁。窓には鉄格子。外側だけしか鍵がかけられない扉……
どう見ても、牢屋でした。
しかし別にレイセンは悪い事をしたわけではありません。
その部屋の真相は、またしても、レイセンだけに与えられた特別扱いだったのです。
(か…………か…………)
それは、レイセンの【狂気を操る程度の能力】を危惧した月側の、苦肉の策でした。
生半可な部屋では簡単に抜けだされてしまう。
かと言って、見張りをつければ乱されてしまう。
そして何よりも、狂気を操る”レイセン自身が狂ってしまっていた”とあれば、月も迂闊に手を出せなかったのです。
(………………)
自らの持つ力のせいでまともな治療も受けられないまま、お酒の猛烈な依存症状に苦しめられ続けるレイセン。
日々奇声を挙げ、爪が割れるまで壁をひっかき、落ち着いたかと思えばビクビクと痙攣を繰り返す。
そんな姿にかつての栄華の影もなく、もはや一匹の獣同然でした。
医者は飼い主に言いました。
「大丈夫。これは一時的な離脱症状。山場を越えればまた、回復に向かいます」と
飼い主は医者に言いました。
「自分が甘かった。永琳様の置き土産だからと甘やかしていた。これからは兎達を厳しく躾けるとしようと」と。
確かに、お酒の病気を治すには断酒しかありません。
しかしレイセンの心に巣食う”鬼”から逃れるには、お酒しかない事を、二人は知りませんでした。
故に、「時間を掛ければ治るだろう」と言う二人の目論見は、後に最悪の結果を招きます。
時間を掛ければかけるほど、レイセンの心は押しつぶされていくのですから。
(カッ……カッ……カッ……)
(カッ―――― カ ッ ! )
日に日に衰弱していくレイセンは、もはや自力で立ち上がる事すら困難な状態になっていました。
あれほど瞬足だった足はただ震えるだけの棒になり、あれほど饒舌だった口は、もはや声すらもまともに発する事ができません。
体の至る所が自分から逃げていく……四肢の一つ一つが自分に背を向ける。
まるで、「自分の中の誰かが勝手に動いている」。そんな感覚に苛まれるようになりました。
(…………える)
しかし言う事を聞かない体の中で、一つだけ、まだレイセンに忠実な部位がありました。
――――耳です。
兎特有のピンと張った耳だけが、唯一、忠実に役目を果たし続けていました。
日に日に弱っていく体と反比例するように、レイセンの耳は、日々研ぎ澄まされていきました。
元々鋭かったレイセンの耳でしたが、何故でしょう。
弱る度により遠く、より鮮明に磨かれていきます。
原因はわかりません。
ただその時のレイセンは、「死せる間際のなんとやら」。
火事場の馬鹿力のような物だろうと、一人でそう、勝手に思い込んでいました。
(聞…………こえる)
分厚い壁の向こう。
建物の外。
道行く人々。
数十里離れた場所。
そこからさらに遠くの屋内――――
レイセンの集音感覚はドンドンと研ぎ澄まされていき、直に、常に何かの音が聞こえるようになりました。
溢れる程に飛び込んでくる音の群れ。
静かな密室のはずが、まるでかつてのような、どんちゃん騒ぎの真っ只中のようです。
(聞こえる…………声が…………聞こえる…………!)
原因はやはりわかりません。
しかしレイセンは、その五月蠅すぎる音に、一つの救いを見出しました。
そうやって五月蠅く騒ぎ立てる音だけが、レイセンの気を紛らわさせてくれたからです。
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