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元スレキョン「世界でたった一人だ」
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「様子はどうですか?」
「芳しいとはいえない。昏睡の原因が不明」
「長門さんの力を以ってしても、治療は無理でしたか。今のところ生命活動に異常を来していないだけでも、よしとするべきなのかもしれませんが……」
「わたし自身が所有する能力は、然程大きくない。すまない」
「な、長門さんのせいじゃないですよぅ。あたしも、役立たずで……」
「御自分を責めないで下さい。こうなってしまった以上は、誰に責を問うも無意味……いえ、違いますね。根本的な原因を言えば、これは『機関』を発端に起こったこと。僕は、彼にも涼宮さんにも合わせる顔がありません」
「古泉くん……」
「『機関』は全力で彼を守ります。ともかく彼が事態を打開する鍵であることに間違いはありません。根気良く、待つしかありませんね」
・ ・ ・
「キョンくん、いつになったら起きるかなぁ。
寝ぼすけさ~ん、寝ぼすけさ~ん。もう朝だよ~」
「………」
「も、もう少しですよ、きっと!」
「彼が可愛らしい妹さんを残して目覚めない筈はない。僕は信じています。責任感の強い人ですからね」
「……うん、ありがとー。キョンくん、きっと起きてくれるよね。大学行くのずっと楽しみにしてたんだもん」
「………妹さん」
「あたしも信じてる。でも、……さびしいな。――おにいちゃん」
・ ・ ・
「……キョンくんのご両親と、妹さんの様子、どうですか?」
「双方『睡眠』に突入した。今は機関の保護下にある」
「そのことですが、悪い報せです。機関員からも、僅かではありますが脱落者が出始めました」
「そんな…!」
「涼宮ハルヒに近しい者ほど残り得るという仮説は正しそうですが……。いけませんね。超能力者にまで波が及んでしまったら、閉鎖空間の拡大を止めることが出来なくなります。彼の目覚めまで、世界が持つかどうか。
水道、ガス、電気、いずれかの供給が停止する日も近いでしょう」
「……生き延びるために、貯蔵が必要」
「ええ。動かなくなってからでは、遅いですからね。多方面から協力を呼び掛け、機関で準備を進めています」
「でも、古泉くん。今は少し休んだ方が……ずっと寝てないみたい。顔色も、あんまりよくないし」
「神人狩りが、僕の仕事ですから。と、……失礼。交代の時間です」
・ ・ ・
「為すべきが為せない。それって、とても辛いことです」
「そうかもしれないわね。でも、私たちに特殊な力はない。こうして見守ることしか出来ない。そのことを、歯痒く感じるのは、至って標準的な感覚じゃないかしら」
「――私に力があれば――。単なる組織力だけじゃなくって。ダメですね、古泉さんたちが死力を尽くしているのにって思うと、ついネガティブになってしまいます」
「その仮定は、無意味だと、自分で分かっていたんじゃなかった?
第一橘さん、あなたがこの現状に、彼ら超能力者と同じ力を得ていようと思うなら――あなたたちは涼宮さんを仰ぐ者たちであったはず。私ではなく、ね」
「……そうですね」
「今でも、力は私に宿るべきであったと、そう思ってる?」
「わかりません。あたしには……この現状にあって、そら見たことかって、古泉さん達に言いたい気持ちもあったのです。
でも、こんな途方もない、膨大な力を佐々木さんに譲渡してもらうっていうのは……佐々木さんに今の涼宮さんと同じ苦しみを背負わせるのと変わりなかったのかもしれません。
――あたしは、勝手ばかり」
「人間は、いつでも勝手なものじゃないかな? ……私も含めて、きっとね」
・ ・ ・
「今日で、二月め、ですね」
「――そう」
「………まだ電気がきてるのが不思議です。殆どの人は、眠っちゃってるって聞いてましたから」
「機関一派が、供給が絶たれないよう最低限を回している。ただ、」
「ただ?」
「もう、長くは保てない。彼らも限界に近い」
「じゃ、古泉くんは……」
「………彼は眠ってはいない。――ただし、精神状態は悪化している。これ以上は危険だが、彼以外に動ける者がいない。サポートが必要」
「あ……じゃあ、長門さんは古泉くんを見ててくれませんか? 長門さんの力、まだ、有効ですよね?」
「気休め程度の保護なら」
「キョンくんは、あたしが見てます。あたし、それくらいしか出来ないから……」
「――わかった。あなたに任せる」
>>8
だな
だな
・ ・ ・
「カウントダウンが始まったか。ふん、澱んでいるな。不快な空気だ」
「――――波動―――大きな力………周囲に――」
「涼宮ハルヒの、か? 自らが撒いた種だというのに、未練は止まないらしいな。未熟な精神に未熟な個体。所詮、器ではなかったということか」
「収束――近づいている」
「木偶なりに感じるものはあるらしい……佐々木を呼んでおくか。現地人の中ではまだ使える方だろう。この男に対しても、涼宮ハルヒに対してもな。
いずれ愚昧な暴君の肩代わりをして貰わなきゃならない。宛がわれる責務には同情するが、僕にとっても必要なことだ」
「この世の、規定を変えるためには。そうだろう、××××××。
―――あなたの遊びを、これで終わらせてみせる」
・ ・ ・
・ ・ ・
・ ・ ・
桜が咲いていた。
少々早いような気がするが満開だ。いつかの映画撮影の折のように、ハルヒパワーの成せる業かもしれん。
前回と違ってシーズン的にはなんら問題ないが、来月には入学式を迎える新入生のために、花弁が突風との耐久勝負に打ち勝ってくれることを祈るばかりである。
日差しは柔らかで、吹き寄せる風も心地よく、空はあつらえたかのように澄み切った青に満ちていた。
勉学の徒の巣立ちに相応しい日和だ。三年間の高校生活を懐かしんで感傷に浸っている面々にも、いい慰めになることだろう。
俺はペダルを漕いでいた。踏みしめるスニーカーの先は、なかなかの重量感だ。卒業式だからと自分でアイロンをかけさせられた、開襟シャツの下にじっとりと汗を掻いた。
暑いのは気候のせいだけじゃない、どちらかと言えば俺の腹回りをしかと抱いている、二の腕の温もりの存在が大きい。
後部に跨り、俺にしがみついている女。
涼宮ハルヒだ。
「キョン、ほら、もっとスピードあげなさい!」
「無茶言うんじゃ、ねえ……よっ!」
全く、こんな日まで肉体労働するはめになるとは思わなかったぜ。溜息は噛み殺して、前景を見据える。
クラスメートと挨拶を交わして回り、三年間世話になった文芸部室の大掃除まで済ませて、帰途につこうというときだった。団長殿が最後まで平団員のままであった俺に、居丈高に命じなさったのである。
「自転車ここまで持ってきて、あたしを後ろに乗せてきなさい!いいわね!」
どういう意図かと思えば、指定されたコースは景観が見事なことで有名な桜並木を辿っていた。花見が魂胆かと一度は納得したものの、それならば長門や古泉や、既に卒業済みの朝比奈さんを誘っても良さそうなものだ。
どういうわけかと考えたが、ハルヒのビッグバンを常に起こしているような脳味噌の中身など推し量れるわけもない。すぐに思考を放棄した。
――卒業式に二人きり。まさか、という思いがないこともなかったのだが。
「――キョン」
ちょうど並木道の真ん中に差し掛かった辺りで、緊張に微かに震えたハルヒの呼び声。
鼓動が背中越しにまで伝わってくる気がした。想定外の運動に俺の心臓も勢いよく弾みをつけていたから、重なった音がどちらのものかはよく分からなかった。
「なんだ、ハルヒ」
「ん……」
意を決したように、ハルヒが息を吸う気配。
「……あたし、高校に入学して以来ずっと悩んでたことがあんの」
唐突なようにも思えるその台詞は、ハルヒの舌先で何度も転がされた後に、ようやく踏ん切りをつけて吐き出されたもののようだった。
後先考えずに思ったことはポンポン口にして、周囲の人間の心臓をひたすら縮み上がらせるのが得意技の、涼宮ハルヒらしくもない慎重さだ。
それだけ特別な――何か。
風向きが変わって感じた。聴くほうに意識を傾けるせいで、ペダルを漕ぐペースは自然と緩慢になる。
「あんたも知っての通り、あたしは自分のポリシーは裏切りたくない、それをするくらいなら死んだ方がマシだと思ってる。誰にどんな文句を言われたって蹴飛ばしてやろうって、これでも懸命に生きてきたつもりよ」
『懸命』ね。そんな慎ましくひたむきな響きが似合うような大人しさはなかったと思うが。言い換えて、横暴、傍若無人の方が正しいような気がするぜ。
ぼやいた俺に、ハルヒは機嫌を損ねるでもなく鼻を鳴らした。
「ばっかね。懸命ってのは、命懸けてんのよ。大人しくてどうすんのよ。体当たりで直線を走っていかなきゃ、その言葉を口にする資格なんてないわ」
見ないでも分かる、唇を尖らせているに違いないハルヒは、俺の背中に胸部を押し付けて、滔々と言葉を吐き出し続ける。
「キョンに会って、皆を引き込んで、SOS団作って、不思議探索や町内パトロールをやって、合宿して夏祭りに励んで。宝探しもやったわね。年中行事は一通り。庶民的スポーツも制覇したわ。
今だから言える。……全部が全部、本当に楽しかった。
宇宙人や未来人や超能力者と会合する機会を逸しちゃって、当初の目的からすると結果は芳しくなかったわけだけど、それ以外に得られた成果は沢山あったしね。
あたしのSOS団は世界中探したってこれ以上見つかりっこない最強、最高の団よ」
「……ああ」
その意見に関しては全面的に同意する。最初から最後まで雑用係のまま昇格し損ねた俺も、心から賛同できるさ。他の連中にとってもそうだろう。
SOS団ほど、とんでもなくトリッキーで、愉快で、心の底から楽しいと叫べる集まりが他にあったら、是非ともお目にかかってみたいもんだ。
でも、とハルヒは声のトーンを落とした。
「そんなSOS団団長としているうちに、もしかしたらって気持ちがあったの。そんな筈ないって気付かないフリして、だけど押し込め切れなくて爆発しちゃって、めちゃくちゃ惨めになった日もあるわ。
なんであたしはみくるちゃんじゃないんだろ。なんであたしは有希じゃないんだろうって」
「………」
「精神病の一種だって、あたしがそんなものに罹るわけがないって思ってた。あたしはそんな『フツー』になりたかったわけじゃないもの。
でも、卒業式で、大学が別れたら今までみたいに一緒にはいられないんだって思って、それなら――あたしは、真っ向から決着をつけるべきなのよ。
齎される答えが何であれね。それがSOS団団長としてのケジメのつけ方ってもんだわ」
ハルヒの熱を帯びた声に、俺はSOS団結成の契機を思い出した。「ないなら作ればいいのよ!」と、爛々とした瞳を真っ向から俺にぶつけてきた、あの始まりの日。
……鈍い鈍いと散々古泉たちに扱き下ろされてきた俺だが、ここまで直接的に捲くし立てられて、それでも事の内容に気付けないような朴念仁のつもりはない。
花見を持ち出したのは俺と二人きりになるシチュエーション作りのためで、恐らくは今並べ立てられた台詞も、前から準備していたもんなのだろう。
まったく、こういう時くらい捻くれずに、素直な打ち明け話にすればいいものを。前置きが何でこんなに長いんだ?
俺は胸が暖かくなるのを感じた。むず痒いような、照れくさい様な気持ちだ。
お前がこの話をしてみせるまでに延々と迷ってただなんて、俺には想像の埒外だぜ。
思いつけば即実行を貫いてきた、気まぐれで向こう見ずな猪突猛進娘、涼宮ハルヒが―――。ベタな想いに一喜一憂して、悩み明かした夜もあったのかもしれないなんてさ。
ずるずると色んなことを保留にして誤魔化してきたのは、俺もだ。人のことは言えないかもしれないが。
「だから、だからね、あたしが言いたいのは――」
ハルヒが怒鳴るように、真正面の直球ストレートで投げ込む。
たった三文字の、決定的なその告白を俺は聞いた。
終点手前にブレーキをかけ、急停車する。止まったのは並木道の最後尾列、小ぶりのソメイヨシノに差し掛かった辺りだ。反動で、回されていたハルヒの腕に力が篭った。
舗装された地面に足を乗せる。
「……キョン?」
恐る恐る、俺の反応を窺うハルヒに、俺は笑みを隠した。
――ドラマのようには決まりきらないだろうことは分かってる。けど、構わないだろ?
18年間の人生で初めてのことなんだ、多少の挙動不審には目を瞑ってくれ。
満開の桜に見守られながら、俺は息を吸う。
サドルに跨ったまま振り向いた先、散り吹く桜の中で揺れた黒髪に見蕩れたが、この際ご愛嬌だ。俺は真っ赤になっているハルヒへの返事を、喉が震えないよう虚勢を張りつつ、精一杯の想いを詰めて風に乗せた。
春が薫っている、目の眩むような清涼な陽射しの中。
―――忘れがたい光景だ。
だがそのとき、本当二ソレデイイノカと、俺は「誰か」に問い掛けられた。
桜を散り散りに舞い上がらせる、突発的な春の嵐に巻き込まれる。
清明そのものだった空が瞬く間に闇の気配を纏い、藍色に早変わりした。まるで時間の経過を記録したビデオテープを早送りしたかのような様変わりだ。目を瞠った。
――そこに、先程まで俺達を取り囲んでいた桜並木は影も形もなくなっていた。
跨っていたサドルも、使い古されて錆付いたフレームも、小川のせせらぎも、白昼のプロポーズ劇も、跡形もなかった。
代わりに現れたのは、かつてに体験済みの光景だ。月が煌々と照らす夜。星屑を集めてばら撒いたような幻想的な天の川。蒸し暑い、夏の気配。
物語の核心にしては地味な舞台装置の、ハルヒの母校。
東中学の、味気ない校庭の真ん中。
そして―――
気位の高い面差しをつんと逸らした、中学生時代の、涼宮ハルヒ。
―――こいつは、『あの日』の再現か?
ハルヒが校庭に白線でメッセージを書き殴ろうとしていた、七夕の夜。俺は朝比奈さんに連れられてタイムトリップを果たし、ある意味SOS団結成の種ともなったのだろう、宇宙人未来人超能力者の存在をハルヒに吹き込んだ。
朝比奈さん曰くは規定事項であった出来事なのだから、俺が気を揉んでも仕方のない話ではあったが、後に思い返しては冷や冷やしたもんだった。俺が余計なことを言おうものなら、それがそのまま未来に反映されていることだって有り得たんだからな。
眼前に広がる光景は、あの夜に酷似している――というより、そのものだった。
俺は過去に舞い戻ったのか?
さっきまでのハルヒはどうなった?これは現実なのか?
……と、溢れかえる疑問符の洪水に思考が呑まれても可笑しくない状況下であったのだが、俺は不思議と、ああもしかしてこいつは夢なんじゃないか、と考えることで逆に落ち着きを取り戻した。
過去を夢見るのは、別段珍しい話でもない。それが強烈な体験であったなら尚更だ。
整合性の取れない出来事がどれだけ変則的に繋がりあっていたとしても、どんな突飛な展開を見せつけられようとも、夢ならば致し方ないと割り切れる。
桜並木でお互い告白を取り交わしたのは、つい最近の記憶だ。多少は浮かれもしたから、夢に見るのもそれほど変な話じゃない。
それに関連付けて、初タイムトリップした記念すべき日、『ジョン・スミス』と名乗りを上げたあの懐かしき七夕の日を思い出す事だってあるだろう。
俺は自らの説に納得し、では出会い頭のハルヒの台詞はなんだっけかと思い巡らせた。
……予想外のことを小さなハルヒに口にされたのは、そのときだ。
「ここであたしを手伝ったら、あんたの人生はその瞬間に決まるわ」
「……何?」
いきなり何を言い出す。こんな台詞は身に覚えがないぞ。
訝る俺を尻目に、ハルヒは淡白な眼で俺を見据えていた。
理性的な、まるで年齢に似つかわしくない平静さを刻み込んだ眼差しが、俺の動きを縫いとめる。
「……あたしを手伝うことで、あんたは途方もない事件に巻き込まれ、命を狙われ、非日常を日常に収めるために奔走することになるってことよ。望む望まないに関わらずにね。
――ねえ、キョン。今なら、後戻りできるのよ。最初っからね。あんたが、あたしを手伝わなければいい。あんたが、あの教室で、あたしに声を掛けなければいい。
そうすればあんたは何に煩わされることもなく、平穏な学生生活を送って、高校を卒業して。何処かの大学を出て、就職して、恋人を作って、結婚して。
ありきたりだけど、皆が享受してるような幸福に生きていける。あたしはつまんないと思うけど、でも、それだってパンピーからすれば、立派な『幸せ』には違いないでしょ?」
「お前……」
これは夢、そのはずだ。
ならばこのハルヒの台詞は、俺の願望、俺の葛藤の産物なのだろうか?
――俺が、かつての選択を、後悔しているとでも言いたいのだろうか。
ふざけてんじゃねえぞ。
「何を言うかと思えば、馬鹿馬鹿しい。この世の何処に、こんな奇跡的体験を、スペクタクルのオンパレードを自分から手放そうって奴がいるんだ。そんな奴には勿体無いお化けが常時襲来するに決まってるぜ。
そりゃあな、偶にしんどいこともあるさ。だが、それだってひっくるめて俺が選んだことだ。俺が、お前や、朝比奈さんや、長門や、古泉たちと一緒にいることを選んだんだ」
「……」
「――俺をあんまり見くびるな、ハルヒ」
涼宮ハルヒは、涙を無理やり堪えるように顔面をくしゃりと、崩れた紙風船の如く歪めた。……こんなハルヒは、俺の初めて見るものだ。
すぐにでも庇護してやらねばならないと使命感を燃やさせるような、胸に詰まる表情だった。幼く華奢なハルヒは、俺をきっと睨み据える。
「…………ばーか」
こんな面して、吐き出す言葉は相変わらず可愛げの欠片もないな、おい。
だがハルヒはそこでくるりと俺に背を向け、「わかった」と物分り良く頷いてみせた。
「しょうがないわね、あんたがそう言うなら。……何とか、あんたが来るまでもう一度踏ん張ってみるから」
――何の話だ?
ハルヒは応えなかった。見えない表情の向こう側を俺は想像するしかない。涼宮ハルヒは短く息を吸い、敬虔な聖職者が祈りを捧げるときの始まりの言葉にも似た、哀願の響きを奏でた。
「キョン。あたしを―――」
………
……
「………お目覚めかい。随分と長い眠りだったね」
見知らぬ天井。――何処かで聞いたフレーズだな。
しゅるしゅるりと林檎の皮を剥く音。連想したのは、エスパー戦隊があったら嬉々として端役のグリーンあたりを拝命するだろう、SOS団副団長のニヤケスマイルだった。
一年の冬、改変世界で右往左往した挙句に、修正された世界で最初に聴いたのがあいつの声だったのだ。よく憶えている。
だが、寝覚めの俺に真っ先に話し掛けたその声は、当然ながら古泉一樹のものではない。
「……佐々木、か?」
「うん。どうやら意識も正常らしい。実に喜ばしいことだ。嘆かわしい話だが、こういったシチュエーションに記憶喪失というベタな属性が備え付けられることは少なくないからね」
視線を巡らす。――すぐ隣に、いた。
椅子に腰掛けて、小さなナイフをすっかり皮の剥かれた林檎に当てている。理知的な瞳も、理性的ながら皮肉めいた微笑も久しぶりだった。
見間違える筈も、聞き違える筈もない。佐々木だ。中学時代から続く、気安い友人。
「……俺はどうしてこうなってる。何故お前がいるんだ?」
佐々木は驚いたように息を呑み、「そうか」と呟いた。
「健常とは言い難い時間を経ているのだから、キミに覚えがなくても無理はないかもしれない。こうやって病院生活を送ることになったきっかけの方も、全く覚えていないかい?」
青と白のストライプの寝間着。衰えた足腰。個室らしい、室内は明かりも点いていないが、窓の外が明るいせいか問題はなさそうだ。
俺は、どうやら長らくベッドの上の住人となっているらしい。佐々木が言うように、疑う余地なくここは病院なのだろう。
鉛を括り付けられたかのように重い全身を伸ばす。
上体だけでも起こそうと試みたものの、まるで力が入らない。
「……大学が始まる前の最後の休みに、皆で集まって不思議探しに出たところまでは覚えてるんだが。……すまん、これ以上は思い出せん。
佐々木、いまはいつなんだ? 俺は事故にでも遭ったのか?」
また階段を転がり落ちたことになってやしないだろうな。―― 前後の記憶が曖昧だ。一体どれくらいの間、俺はこうしているんだ。
「ハルヒたちは――いないのか?」
口にした途端に、嫌な予感が胸中を這った。
俺が何某かを理由に寝込んでいるのならば、佐々木を残してあいつらの姿がないのはどうしたわけなんだ。もう大学が始まってていい時期だと考えると講義か? それとも何か、揃ってイレにでも行ってるのか。連れションなんてハルヒの最も嫌いそうな事だが。
佐々木は手元の林檎を皿に移し終えると、それを食しようとするわけでもなく、無造作に戸棚に置いた。
体勢を変え、俺の混乱すら注視するように静かな眼差しを注ぐ。改まった佐々木の態度に、ハルヒ風に言うならば、俺の不安感は鰻の滝登り状態だ。
佐々木は言った。
「キョン、僕はこれも『彼女』の思し召しに思えてならないよ」
微笑は掻き消え、佐々木は無表情に俺を見る。普段笑みの多い相手が彩りを消すだけで、こうも迫力の出るものだとは思わなかった。
「病院に緊急搬送された後、医者や看護士、または宇宙人的存在であるというキミの友人がどんな手を尽くしても、キミは目覚めることがなかった。キミが最後の頼みの綱だと、一心に期待を浴びていたにも関わらずだ。
それがちょうど三日前になって、奇蹟的に覚醒を果たしたんだ。これほど出来過ぎた話は、物語の上でならばまだしも、現実では中々起こり得るものじゃない。
間違いなく采配は彼女の手によって振るわれたのさ。僕自身としては、キミにそんな役目を押し付けるのは唾棄すべき責任転嫁だと信じているが」
「―――佐々木?」
怒りの火さえ相貌に垣間見えた佐々木は、夢で泣く寸前だったハルヒと同じく、俺の初めて見る類のものだった。だが、佐々木はその感情を、いけないものとばかりにすぐに打ち消した。
「ああ、すまない。いけないね、こういう時こそ平常心であらねばならないというのに。……そう、キミの問いに回答を提示するのは容易だよ。カレンダーさえ指し示せばいいんだ。見てみたまえ」
佐々木の目線が、俺の前方を移動し、小型の棚の上へと行き着いた。後を追った俺は、動物柄に彩られた置きカレンダーがあるのに気付かされた。
一番上のカードは、七月。
赤いサインペンでつけられた×印は、七月四日の上まででストップしていた。
「キミが不思議探索の最中、暴漢に襲われた涼宮さんを庇って負傷、昏睡状態に陥ったのが四月十二日」
佐々木は吟じた。
「人々が次々に倒れ、眠りに落ち、動かなくなるという奇怪な現象がおき始めたのも同時期さ。――しかも驚くべきことに、人は『眠りについた』誰かのことを不審に思うことがないんだ。
ごく当たり前のこととして受け止め、やがてその人も同じように眠りについてしまう。今のこの世界は、時が止まったようだよ」
「………」
俺は唖然として、突っ込みすら忘れた。
何が起きている? 一体何が――
「キミは三ヶ月あまりの間、植物状態にも近しい有様だったということさ。仔細は後で話そう。といっても、僕の知ることがそれほど多いわけじゃない。より詳しい話は朝比奈さんに聞くといい。彼女は今のところ無事だからね。今日も此処を訪れることになっている。
起き抜けに申し訳ないが、事態が深刻であることは理解してもらえたかい、キョン?」
「……俺が寝てる間に、とんでもないことになってるって話だけはな」
正直、頭が通常通りに働いてくれているかと言われたら怪しいが。佐々木が今すらすらと話した数行の現状説明にすら、既に頭痛がしてきた。
夢でないなら――誰がこの悪夢を描いたんだ?
佐々木は理解し難い言葉を並べ立て、俺の反応を見守るように憔悴した笑みを刻んだ。
「今日は七月五日。僕らは世界終焉までの三日間のモラトリアムを、どうにか満喫しなければならない、というわけだよ」
・ ・ ・
――俺は佐々木から一部始終を聞かされたときも、これが果たして現実なのか、それとも夢の中で佐々木に模した自分が繰り出す戯言を延々聞いているだけなのか、そんなことを思わずにはいられなかった。
ああそうだ、現実逃避も甚だしい。だが、三ヶ月も意識不明の寝たきり状態で、目が覚めたら世界が終末を迎えていただなんて、いかにもドッキリショーの札が後ろから表れそうなシチュエーションじゃねえか。
全部が全部、古泉やハルヒの仕込みで、病室らしきここの何処かには監視カメラがあちこちに仕掛けられていて、俺が佐々木から嘘八百を吹き込まれているのを、リアルタイムで奴らが笑って観賞してやがるって寸法だ。
俺の知る涼宮ハルヒなら、いかにも有り得そうな、手の込んだ芝居だろ?
だが夢を疑って頬を抓ろうともしてみても、痛みを生むほど指先に力が入らない。性質の悪い冗談のためだけに、ハルヒが佐々木の協力を仰ぐとも考え難かったし―――何より、俺の過ごしていた時節、記憶で途切れている四月とは、遥かに体感温度が異なっている。
蒸し暑いのだ。春ではちょっと有り得ないような暑さだった。
要するに、俺は佐々木の言を否定できるだけの材料を何一つとして持っておらず、佐々木が入院していたらしい俺にホラを吹くためだけに待機していたとも思えない。
佐々木の話を疑う余地などこれっぽっちもない俺は、信じるしかなかった。己の現状について。世界の窮状について。
佐々木は語り続けた。
「高校を卒業して、キミと涼宮さんが付き合いだしたという話は聞いたよ。遅れたが、おめでとうを言わせて欲しい。――聞き得る限り、キミたちの交際は順調だったそうだからね。
キミと涼宮さんは同じ大学、古泉さん、長門さんは違う大学だそうだね。それでも涼宮さんはSOS団の集まりを継続するため、定期集会を開催した。『不思議探索』という、捻りの効いた恒例行事だ」
大学が始まって二週目の土曜日だった。確かに、その事実を俺は覚えている。
何も新学期の慌しい時期に開催せんでもと思ったが、一月以上探索がないなんて事態は、団長殿には考えられなかったようだ。
「効率を重視し、毎回二つの班に分かれて探索という名の遊覧を行う。実に楽しげだ。僕も一度くらいお邪魔してみたかったよ。……そう、班分けには爪楊枝を使うのだったね。そこでキミと涼宮さんのチームと、長門さん、朝比奈さん、古泉さんのチームに分かれた」
俺達が付き合いだしたことを報せたばかりであったせいか、古泉たちが妙にニヤけていたのを記憶している。朝比奈さんは天使とタメを張れるだろう柔らかそうな頬を桃色にしていらっしゃったし、長門は分厚い本で口元を隠して、興味深そうに俺達を眺めていたっけ。
ハルヒと俺は、何処となく送られる冷やかしの目線から逃れるように商店街に入って、そうして―――
「不審な男が、突如包丁を握り締めて突撃してきた」
俺は身を硬くした。
――そうだ、そうだった。ハルヒと並んで、人混みを抜けた先に立っていた男が居たのだ。
男は、異様にギラついた眼をしていた。
咄嗟にハルヒを庇うように身体が動いたのは、まったく、反射的なものだった。黒瞳が、俺を直ぐに射抜き、ハルヒは俺を見据えながら叫んでいた。
警戒の声は意味を為さず、俺はただ凶刃からハルヒを護ろうと、頭にあったのはそれだけだった。恐怖を凌駕して行動を躊躇わなかった、あの時の俺の脚のことは褒めてやっても良いと思っている。
躊躇いなく突き出された凶器に、胸に走った激痛に身を捩った。刺される瞬間に、俺はどうにも刃物と縁のある人生らしいと思ったが、記憶はそこまでだ。
「……思い出したみたいだね」
「ああ。だが、刺されたとこまでだ。あれから一体どうなったんだ? それにハルヒはどうした、襲ってきた男は……!」
現実味を少しずつ取り戻し、俺は背筋を這うような恐怖を覚えた。
未だによく飲み込めていないのだが、佐々木は人がどんどん眠っていく奇病が流行しているようなことを言っていた。それもハルヒが原因なのだろうか。俺が刺されたことで、ハルヒが何か――途方もない、決定的にヤバい何かを起こしている、ということか?
「キミたちを襲った男は、その場で自殺したらしい。男の素性については、僕は聴いていないんだ。『機関』といったかな、そちらの方で恐らく調べはついているだろうと思うんだけどね。僕の持つ情報は限られていて、それも凡そ伝聞だから確実性に乏しい」
佐々木は声を区切り、ふっと廊下へ続いている扉へと眼を向けた。そうして、ゆっくりと立ち上がる。
「ちょうどいいタイミングだった。その後の質問は、彼女に聞くといい」
カタン、と軋みを上げて開いた白塗りのドアの隙間から、毛糸のような栗色の髪がふわりと覗いた。
踏み入った細い肢が、躊躇して入り口付近に立ち止まる。
少しやつれ、それでも輝きを失わない宝石のような大きな瞳と、どんな清純系アイドルも裸足で逃げ出すだろう愛らしい顔立ち、健気な表情もセット売りの、SOS団に欠かせぬ未来人上級生。
――朝比奈さんだった。佐々木の「三ヶ月」という言葉を耳したばかりなせいか、随分、懐かしいような気がする。夢では何度も会っていたんだが。
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