元スレ時代表象としての『まどか☆マギカ』
マギカ覧 / PC版 /みんなの評価 :
201 = :
>>200
他人のために自分を犠牲にする、というのは単なる自己陶酔にすぎない、という醒めた視点ですよね。
自己犠牲は単なるエゴイズムである、という観点が強調されてますね。
202 = :
>>200
神風やってもアメリカのほうが強いから負けた、まで読んだ
203 = :
>>202
短くて分かりやすいまとめをありがとうw
204 :
エヴァやハルヒぐらいではないかも知れないけどまどかは少なくとも時代に良い意味での傷跡は残せたと思う
205 = :
何も残せてねえだろw
せいぜいネットはゲスとキチガイだらけって事実ぐらいだが、これさえすでに知られたことだしな
206 = :
アニメ見てるやつって変に劣等感持ってる奴が多いよな
自分に劣等感持つのは勝手だが、アニメを劣等感の道連れにして蔑んだり、過小評価したりする傾向がある
これなくなんなきゃ時代表象の議論もできないし、いたづらに叩くのも終わらないだろな
207 :
全国放送されてない時点で話にならん
208 = :
>>200
シンジが叩かれてたのは男らしくない!って性差に基づいた価値観が
けっこうあったように思うが、そこらへんまどっちはどうなん?
女だから優柔不断が許容されてるってのはないの?
209 = :
>>208
優柔不断ではなく、
「悪魔の誘惑に抵抗している」
契約=悪事に手を染める
だけど、必要に応じて間違ったことをしなければならないのが大人。
正しいことだけをやればいいとおもってるのは子供だけです。
210 = :
>>200-201
「自己犠牲は単なるエゴイズム」などといった大枠な一般論のブチ上げは無いと思うよ
強いて挙げるなら「さやかの自己犠牲はエゴイズムだった」との要旨を添えるべきだろう
あれはあくまでさやかという未熟な人間の一例だ
さやかは、自分の中の「利己的な願い」を清廉で「利他的な願い」と錯覚することによって
意気込んで自己犠牲を引き受けた(後々矛盾と直面する中で破綻することになった)。
これは言わば「錯誤の有る自己犠牲」(の末路)だが、
これとは別個に、純粋な利他主義からくる「錯誤の無い自己犠牲」の過程を
虚淵はまどかという人物を通してはっきりと差異をつけて描いている。
さやかは一例であり、物語では「自己犠牲にも色々ある」ことが示されてるぞ
211 = :
>>209
まあ契約自体は最終的に他の人にすごい迷惑だから、あれが必要な状況って作中にはないよね
あくまで視聴者視点だけど
212 = :
>>210
アガペーとエロスで区別してるみたいだけど、
どっちもエゴイズムだとおもうよ。
もし、エゴイズムがない人間がいるとするならば、寝ている人間と脳死した人間だけです。
213 = :
>>212
んなもんで区別してないよ!
大雑把に言えば、作中において
さやかの自己犠牲は他人からの見返りを大いに期待しているというべきものだったけど
まどかの自己犠牲は他人からの見返りを限りなく期待しないに近いものだった
この差。この描写の差から
「自己犠牲は単なるエゴイズムなんだ」などという冷めたメッセージを受け取るというのは
それはむしろ作品というよりそう解釈した側に
極度の厭世観なり世代への不信感を透けて伺わざるを得ないレベルだと思うよ
というかエゴイズムを持つ人間がいないとかなんとかそういう話ではないよな
214 = :
>>213
それはさやか以外の魔法少女についても当てはまるな。
やはり、通常美徳として描かれている、自己犠牲に対する「懐疑」があるように思える。
ただ、「否定」まではしていない感じ。
士郎に対するアーチャーに近い印象を受けるなぁ。
215 = :
>>214
持ち上げて落としてあげる、ってのは物語の基本構造だからな。
(それぞれの自己犠牲を)持ち上げる (さやか4話、杏子7話、ほむら10話、まどか1~10話)
(それぞれの自己犠牲を)落とす (さやか7~9話、杏子7・9話、ほむら1~9話、まどか11話)
(自己犠牲を)持ち上げる (さやか:なし、杏子:8話、ほむら未定、まどか12話)
この作品のテーマを自己犠牲に設定しても、物語構造が成立するね。(さやか除く)
落として持ち上げて持ち上げる、持ち上げて落として終わり、などの物語構造のひねりはあるね。
216 = :
ほむらは、エゴイスティックな自己犠牲を貫徹した結果、ハッピーエンドにたどりつく(かもしれない)タイプですね。
まどかについては知りません。あの子は神様になるつもりらしいよ。
217 = :
あのバレを信じてる人って結構居るんだよな。俺の中ではありえないんだけど
とりあえず終わってからだな
218 = :
>>208
まどかに関しては女だから叩かれないというのは自分は実感が湧かないな
まどかはキャラを可愛がるアニメでなくて展開を楽しむ節があるから
強いて言うなら、さやかを物語中盤で主人公に据えたことで優柔不断なまどかには気が回らないというような見せ方の問題かもね
>>213
さやかの「誰かの幸せを祈った分、誰かを呪わずにはいられない」、杏子の「魔法は自分のためだけに使う」というセリフから自己犠牲はまどかの大きなテーマだと思う
見返りを求めていたが、自暴自棄気味だが最終的には人の為に魔法を使おうとして裏切られたさやか、上の様に悟りながらも最後はさやかを救う為に魔法を使った杏子は良い結末を迎えなかった点から、少なくともまどかの世界観では自己犠牲を否定しているのでは?
ただ、視聴者はこの自己犠牲の落とし穴にエンターテインメント性を感じてるだけで、このテーマに共感して作品を支持してるわけではないからこれは時代表象とは言い難いかもね
>>216
ほむらがなぜエゴイスティックなのか?
219 = :
忘れちゃならないのは、まどかマギカの登場人物が皆
思春期の少女だってことだろう
思春期の少女がそもそも人間的に成熟したものである方が珍しい
おそらくヒトの中で
最も多感で、感情の触れ幅が大きくて、繊細で、傷つきやすく、迷いやすく、間違えやすい集団だ
象徴的なくらいだ
中には
当然にエゴを騎士の鎧で偽る娘もいれば
当然に寂しさ仲間欲しさから自ら敵を増やす娘もいる
当然に良心を放棄してやさぐれていく娘もいるだろうし
当然に無力感から目を離せずただ疲弊していく娘もいるだろう
これは言うなら
未熟であることが前提の「コマ」だ
そのようなコマだけを揃えた中で「人間なんてどんなだ」と語ることはできない
虚淵が語ろうとしているのはその一歩先。
未熟な人格であたりまえ、
そういった未熟な少女達が、魔法少女なんていう理不尽で得体の知れない果実を前にして
どのように裏目った因果を招き、
どのように自己犠牲を履き違え、どのように敵対し
どのように孤立して、どのように未熟さ相応の結末を迎えていくか。
これを各々のケースごとに描き、各々に異なる虚淵の少女観を投影させる。
いわば顛末記であり、象徴的な群像劇であり
一つの虚淵なりの少女論と言うべきものだと思う
>>218
言うなら、軽率な彼女らは自己犠牲を扱うことによってこのたびは想定外に大火傷するという因果を
著者によって背負わされていると言えるのかもしれないなぁ
その箱庭の中に限って言えば、自己犠牲は確かに触れざるべきただただ危険で破滅的な手段だ…
220 = :
>>219
焼かれても生き残った奴は強くなるだろう。
死んだ奴は弔われることもあるだろう。
そう考えると、通過儀礼系物語の王道だなw
221 = :
不景気の不安、終身雇用神話の瓦解、
社会への不信、勤労意欲の低下。
必然的にバイタリティの低下した若年層は、
日々社会に揉まれて疲労を蓄積する中で
起承転結、序破急の起伏激しい、見ることに体力を使うアニメよりも
平穏で無菌室的な、頭をセーフモードにしてなんとなく見れるアニメを選択する傾向に傾いていた
ほのぼの日常系等。たまに少しの諍いがあっても
それは深刻なものでなくて良い。安心して見たい。薄味で良い。
胃腸の弱った人にヘヴィな食事を食わすと腹が壊れる。
そのような人にはお粥がよいのだ
しかし一方で、延々お粥では飽きるのが人間である
お粥はもういい。もっと重めの飯が食いたい。
もっと派手で辛味酸味に富んでいて、
鼻がツンとして堪らなかったり、舌が焼け付くような、濃いモノが見たい。
何かそういう感じのもので美味しいものは何かないのか。
そのようなフラストレーションを蓄積・潜在的に蔓延させてきたのもまた日常系に浸ってきた若年層の一側面である
そして、このフラストレーションを強烈に晴らそうとするべく
現れたともいうべきモノの一つが、まさに「まどかマギカ」なのだ。
事件と、表面化するすれ違いと葛藤と不信と
後悔と無力感と失恋と殺し合いと、死。
どこにでもいる少年少女が陥っていく、その落差。
そこから摩擦熱のように生まれる感動。
多くの人にとってこの作品は目の覚めるようなカタルシスの対象だったのではないだろうか
らきすた、けいおん等をはじめとする「ほのぼの日常系アニメ」が
近年これまでの多くの若者のある種の無気力に対応してきたアニメであるなら
「まどかマギカ」は、そのような日常系アニメが飽和するにあたり
次第に魅力ある起承転結を渇望するようになった彼らにとっての新しい「ご馳走」だったと言える。
時代表象としてのまどかマギカは、
時代の順接的な反映というよりは、時代の話題転換的な反映といった色合いを持つ、と考えられるのだ
というのはどうか
222 = :
>>221
このスレのまとめにはなってるのかもしれないけど、ほのぼの系とディストピア系は視聴者層が異なると思うよ。
ほのぼの系→リアル幼児・リア充・若年層・キモヲタ
ディストピア系→反抗期・キモヲタ・中高年
223 = :
>>221
その線で行くと、ほのぼの系が、「一緒に雰囲気を楽しむ」、言わば参加型だったのに対し、
まどマギは、ほのぼの系以前の「見て楽しむ」タイプ、言わば傍観型って感じになりそうだな。
嗜好が一周した、のかな?
224 = :
>>223
むしろ、「ほのぼの系」嗜好が尖鋭化しすぎて
「傍観型」の視聴者を置いてきぼりにしてしまったのではないかと。
視聴者の嗜好ではなく、供給側の嗜好の問題。
225 = :
ハルヒ時代から始まった萌えを全面に押し出す気風はけいおんの卒業と共に終わりを迎え、それに対する閉塞感が高まった時期にまどかが現れた
新しい時代が幕を開けた時に現れる物が持つエネルギーは異常に高いのが常であり、まどかもこれに該当する
これからは、ハルヒ~けいおん時代に培ってきた即物的な萌えを標準装備しつつ、作品としてただ単純に「面白い」という形をこれからの深夜アニメは模索して行くのではないか?
「たかが」深夜アニメからローマ帝国の繁栄から衰退を見ているようなクロニクルを感じざるを得ない
風を感じる…
さぁ、新しい時代の幕開けだ…
226 = :
>>225
BDの売り上げをみるに、他と比較して高いエネルギーをもつとは思えないけどな。
今までだって似たような鬱アニメはたくさんあった。なぜ、この作品が期待の新星となったのか?
という程度のツッコミどころしかないくらいまとまりがある評論だと思いますよ。
227 :
ああ…だが今期は……
228 = :
BD売上はまだハッキリした数字出てないな
ただ少なくとも俺妹レベルは軽く越すだろうし、
アニメ板の脅威の950スレはじめ、ネット各方面での反応の大きさも加味して
「深夜アニメ界隈の時代」と結びつけて語るには十分な力はあるんじゃね
というかエネルギーをもつとは思ってないのに期待の新星なのは認めるってツッコミどころじゃね?
229 = :
ウテナぐらいには語りつがれる作品になりそう
それより上にいくには再放送と映画化だな
230 :
正直まどかが新星のアニメといわれるとものすごく違和感がある。
まどかのノリって初期Leaf作品の雫のような感じなんだけど
あのノリが2011年の今こうやって受け入れられてることに正直驚いてる。
ぶっちゃけCCさくらとかTo Heartのような今の萌え文化の先駆けの作品よりも古いよ?
231 = :
>>230
温故知新
232 = 230 :
>>231
そうなるとCCさくら、To Heartも再評価されそうだね。
実はこの2作品、今の日常系のゆるい萌えアニメに比べると
結構歯ごたえがあったりする。
時代は再び繰り返す・・・ってことかな。
233 = :
結局、捻りの無い古典的なベタやってるだけだし
意外と浅いというか語る部分がないからギアスとか
化物語とかと同じような扱いしかされなさそう
234 = :
末永くマンネリせず語られるには単に面白さだけでなく、膨大なキャストと膨大な設定が必要のように見える
丁度ガンダムやスターウォーズ(それとは少し劣るけど、エヴァも)のように。
化やまどかはそういうタイプのジャンルではないから、どうかね
何にしてもそこは終了すればわかることだな
235 = :
化は原作があって、しかもメタ展開してるから、設定厨のおかずにはならないね。
236 = 230 :
>>233
それが斬新に映るくらい
おっぱいパンチラ日常ハーレム
があふれてたってこと。もっともまどかも立派な仲間だけどw
237 = :
>>230
業界人が萌え全盛の気風に閉塞感を感じた末に「泣きゲー」のエッセンスをアニメ界へ輸入することが閉塞感の打破に繋がると思い立ち、
所謂「泣きゲー」のジャンルで著名な脚本家(麻枝、虚淵両氏)に制作を依頼したことがそもそもの転換期の始まりだと思う
だから、まどかが雫に似ているというのは言い得て妙
AB、まどかとエロゲ脚本家が制作に参加した作品が連続して大ヒットしたことで、
エロゲ界が「泣きゲー」と「抜きゲー」で二分されているようにアニメ界も可愛い部分をプッシュせずに物語で魅了する「泣きアニメ」と、これと対象的な「萌えアニメ(=既存の形)」といった感じに明確に二極化が進むかもしれない
例えば、多少無理矢理だが、
まどかとIS
いろはとAチャンネル
といった2作品を抽出して落差を比較すれば、この現象がすでに起こっていると見えなくもない…か?
238 = :
>>237
むしろ、既に二極化してて、見た目「萌えアニメ」なのに、「泣きアニメ」っていうギャップが受けた要因なんじゃないかな。
火が着いたのって、三話くらいからだった気がするし。
239 = :
「萌え」に関してはもう振り切れてるくらいで、「魔法少女」というキーワードから想像したものが既存の萌えアニメだっただけに、3話の衝撃が凄かっんだろね、散々言われてることだが
今度は、誰にでも分かりやすくて感動しやすい「泣き」の要素が振り切れたものが来るのかな…?
まどかのハード分の逆を行く意味も兼ねて
240 = :
>>239
となると、さらにその先にあるのは、「泣きアニメ」の皮を被った「萌えアニメ」?
今後の「萌え」は見た目じゃなく、今以上に、行為・台詞が重視される?
241 = :
まどマギは萌えアニメの皮を被った泣きアニメ、ということでFA?
242 = :
別に、泣きアニメなあたりで話題になってるわけでもないと思うけど
一要因ではあるだろうけどさ
243 = :
受けた要因はバカでも分かるあの分かり易さじゃないか?
ジャンル的にはギャップ狙いなだけの斬新さなど微塵も無いものでしかない
萌えアニメの見すぎで考える事が出来なくなってしまった視聴者には丁度良い刺激のアニメ
244 = :
>>242
「萌え」が有り、誰にでも分かりやすいということを前提として上で何か心に迫る物があるジャンルをエロゲ界で当てはめて「泣きゲー」という言葉を選んだ
特に「泣ける」ということに重点を置いたわけで無く、もっと広い意味
エロゲに精通してるわけではないので、ソゴがあったかもしれない
そもそも心から二次元に萌えられる人は限られていて、ましてやそれを動機にBD等を購入する人なんて更に限られてるわけだから、「萌え」を全面に押し出した物が大多数あるのが不思議でしょうがない
まどかはこの「萌えデフレスパイラル」を脱することを教えた物でもあるかもしれない
245 = :
エヴァってこれ以上に無いほどの期待値背負った状態でラスト2話を
完全に放り投げたから当時2chがあったら超絶的に叩かれてただろうな。
でも皮肉にもそれが映画化に繋がって社会現象を生んだ一番の要因とか言われてるしね。
まどまぎもラスト2話焦らされて期待値どんどん高められてるって意味で言えば
放送延期って良い方に作用してる気もする。
どうなるんだろうね。
246 = :
>>243
ギャップ狙いで思い出すのは、「ひぐらしのなく頃に」だな。あれも、前半と後半のギャップが凄かった。
やはり、多少なりとも「ひぐらし」を意識してるんだろうか?ネタとしては、カブる点も多いが…。
247 = :
見るほうは、ひぐらしが好きなやつとまどかが好きなやつは、かなりかぶってると思う
248 = :
>>240
先にあるのは、「萌え」があることが前提であり、誰にでもわかりやすく心に迫る(泣き含め)物があるアニメ
作風が二極化するように、「萌え」の形も二極化するかもね
セリフ、行為も重要だが、キャラの心理や考えから感じる「萌え」の比重が高くなるかもしれない
例えば、ほむらがまどかを運命から救おうとする姿や、思い通りに行かずにうちひしがれるさやかの姿に萌えたりだとか
ただ、今の大多数の視聴者がこういう萌え方ができるのか疑問だし、コミュニケーションツールとしては成立し辛いので、これがメインになることはなさそうだな
「萌え」の表現の仕方として、既存の直接的な形と心理や考えから想像させる形がバランスよく含まれてるのが現実的だとは思う
249 = :
>>248
>例えば、ほむらがまどかを運命から救おうとする姿や、思い通りに行かずにうちひしがれるさやかの姿に萌えたりだとか
その言葉遣いでは一般人には通じない。
自己陶酔・キモオタ的感性と評すれば悪口になるし、
サムライ的・ストイックと評すれば賞賛になる。
それを「萌え」と表現できるのは訓練された人たちだけ。
250 = :
エヴァとひぐらし以外にも「ぼくらの」にも似てる。
アニメほとんど観ないからってのもあるけどQB初見の瞬間にコエムシ連想した。
あとQBが宇宙の話してたときにイスが大量に映ってぼくらのへのオマージュかと思ったけど考えすぎか?
あと結界の感じがゆめにっきみたいでタマラン。ああいう世界観好きだわー。
みんなの評価 :
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