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    元スレ女「また混浴に来たんですか!!」

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    251 = 250 :

    「また出張ですか」

    親父「嫌か。電車なら酔わないんじゃなかったか」

    「嫌じゃないですが」

    親父「ついでに羽を伸ばしてこい。九州には上手い食べ物がいっぱいあるぞ」

    「働きますよ」

    親父「死なない程度に頼むよ」

    「うさぎと亀の話ってあるじゃないですか。あの話の教訓はなんだと思います?」

    親父「俺に人生論を語るつもりか」

    「はい。走るうさぎには誰も勝てないということです」

    「俺はこの世界で頂上に登り詰めますよ」

    俺は、自惚れていた。

    それは、自分が優れた人間であるとか、他人が劣った人間であるとか、そんな単純な勘違いではなく。

    自分は幸せというものについて理解しているという、恐ろしい勘違いだった。

    幸せは、制するものだと思っていたのだった。

    252 = 250 :

    最近、事務所にいる時間が少なくなっている。

    やけに遠くの地に仕事で行かされる。

    暴力とはまるで無縁の、倉庫の物品の確認をやらされることもある。

    こんな仕事ならわざわざ俺にやらせる必要はないと不満に感じてもいたが。

    俺は想像した。

    俺の最近の活躍ぶりを、煙たがっている人間は多い。

    年上の男の年下の男に対する嫉妬は深い。

    自分より仕事のできる年下など絶対に認められない。

    これが表の男の世界なら、頭脳や学歴に。

    女の世界なら若さや美貌に向かうのかもしれないが。

    俺のいる狭い社会では、暴力に価値が置かれる。

    そして、俺は1番暴力に恵まれていた。

    「俺の才能が軋轢を生んでいるのかもしれないな」

    傲慢も甚だしい独り言をつぶやいていられるほど、俺はまだ愚かでいられた。

    253 = 250 :

    親父「久しぶりだな、お前とこうやって湯に浸かるのは」

    「そうですね」

    親父「うちには慣れたか」

    「仕事にはなれましたが、親父さんは遥か彼方です」

    親父「失礼な馬鹿だな。そもそも土俵がちげぇんだよ」

    「今いる土俵は好きです」

    親父「暴力が向いてると思うか」

    「はい」

    親父「暴力は好きか」

    「感情は持ち込みません」

    親父「嫌いだろ」

    「わかりません」

    親父「わからないってことはノーってことなんだよ」

    254 = 250 :

    親父「お前、スカウト来てるだろ」

    「来てます」

    親父「いくらでもちかけられた」

    「今の二倍ほど」

    親父「どうして断った」

    「わかりません」

    親父「わかりませんじゃわからないだろ」

    「わからないものはわからないですよね」

    親父「裏切ったりしないよな」

    「安心したいなら、今の二倍俺に金を積んでくれればいい」

    親父「本気で言ってるのか」

    「冗談でからかったりしませんよ」

    親父「随分偉そうになったな」

    「本音で話せるようになるまで働いただけです」

    親父「積もう」

    「本当ですか」

    親父「その代わり裏切るなよ」

    「はなからそのつもりはありませんよ」

    親父「一生誓うか」

    「義理を忘れるわけありません」

    親父「なら、お前も刺青入れるか」

    「それは断ってるじゃないですか」

    親父「形で示せ。俺も今金で示した」

    「義理を形で示したのが刺青ってことですか」

    親父「どうして嫌がるんだよ」

    「今までの自分を失ってしまいそうだから」

    親父「まだ自分のことが好きなのか」

    「好き嫌いじゃないですよ」

    親父「じゃあなんだ」

    「それは……」

    母親という呪縛から、逃れられないでいるから。

    ここまでの本音は言えなかった。

    255 = 250 :

    「親父さんは、まだ諦めていませんか」

    親父「かつて見た美女との再会か?」

    「はい」

    親父「あれは追う夢じゃないからな」

    「じゃあなんですか」

    親父「見る夢だ」

    「追う力が今ならあるでしょう」

    親父「俺にだって怖いものがあるんだよ」

    「後悔しませんか」

    親父「少し黙れ」

    「はい……」

    親父「…………」

    「…………」

    親父「のぼせてないか」

    「えっ」

    親父「よく喋ってるだろ。のぼせてるんじゃないかって」

    「少しだけ。でも大丈夫です」

    親父「そうか」

    「はい」

    親父「悪かったな。出会った頃は、無理やり長湯に付き合わせちまって。のぼせてたんだろ」

    「い、いいんですよ」

    親父「上がりたきゃあがれ」

    「親父さん」

    親父「なんだ」

    「不治の病かなんかですか」

    親父「馬鹿言え」

    「す、すいません」

    親父「温泉入っているうちは健康だ」

    「そうですね」

    256 = 250 :

    「裏の大阪は、噂以上に危険でしたね」

    親父「飯はうまかったろ」

    「親父さん、どうして表と裏が生まれてしまうんですかね」

    親父「表と裏?」

    「昼間の街と夜の街です。あるいは、犯罪があるかないか。薬と、ギャンブルと、貧困と、性」

    「どうして裏の世界が生まれてしまうんでしょうか」

    親父「裏は昔からあったものだろ。それだけで楽しいというものだ。一人の快楽が全体への害を上回ったら取り締まられるんだよ。タバコが許されてるのは税金のおかげだ。パチンコが許されているんだから、今にギャンブルも公に認められるようになる」

    「そうですか……」

    親父「お前、しばらくここに住め。そのくだらない考え事もしながら働ける」

    「急ですね」

    親父「関西をお前に任せる。そろそろ独り立ちしてもらわないとな」

    「いいんですか」

    親父「嬉しいか」

    「暴力だけで解決できますか」

    親父「出来ないことの方が多い」

    「大丈夫ですか」

    親父「俺に大丈夫を求めるな」

    「…………」

    親父「細かいことは今日来た事務所の連中に聞け。それじゃあ、達者でな」

    257 = 250 :

    俺はこの夜近くのホテルに泊まりに行く、のではなく、親父さんを尾行した。

    仕事を放棄したのはこの日が初めてだった。

    翌日の出社には確実に間に合わないが、多少言うことに逆らっても問題はないという自惚れもあった。

    親父さんは警戒心の強い人間だったが、俺も仕事で尾行することには慣れていた。

    大阪から名古屋、名古屋から都内まで移動し、事務所に一度寄った後、親父さんはボロアパートの中に入っていった。

    ここで暮らしているのだろうか。

    人前では豪快なお金の使い方をするが、本当はお金に余裕がなかったりするのだろうか。

    親父さんの家庭の事情はよく知らない。

    息子が欲しかったとよく言っていたが、あれは本心なのだろうか。

    踏み入ってはいけない領域な気がしていた。

    恐怖を制して一度近寄って表札を見てみると、親父さんの名前ではなかった。

    愛人の家だろうか。それとも、親父さんの隠された本名だろうか。それともこの表札も偽名なんだろうか。

    しばらく観察していたが、何も変わった出来事は起こらず、その場を離れることにした。

    そうだ。

    俺には、もう一つ立ち寄らなければならない場所があった。

    自分のバッグに詰めてある200万円近くの金を確認したあと、俺は実家に向かった。

    258 = 250 :

    家に灯りはついていなかった。

    最後に母親の顔を見てから、どれくらい経っただろう。

    義父を暴力で伏せ、金を奪って去ったあの日から俺は母親と一度として会っていない。

    幼い頃から暴力を振るわれても。

    言葉で否定されても。

    母親の正しさを無理やり肯定させられても。

    俺は、母親を愛していた。

    今も働いているのだろうか。

    この世への不平不満をこぼしているのだろうか。

    どんな姿でもかまわないから。

    もう一度、ひと目見ておきたかった。

    259 :

    片目を奪ったストーカーと女のお母さんにどんな関係性があったのか気になる所

    260 = 250 :

    親父「人を殺すときくらい、相手の目を見たらどうだ」

    無人の露天風呂だった。

    俺は両手を親父さんの首にかけていたが、それを上回るような握力で親父さんが指をこじあけてきた。

    親父「関西の秘境を案内してやるだなんていうから、久しぶりにわざわざ足を運びに来たら」

    親父「裸で馬乗りにされるほど、お前に愛されていたとはな。そういう趣味はないんだが」

    261 = 250 :

    脱衣場で親父さんが裸になり、温泉に向かっている途中で俺は後ろからナイフで刺そうとした。

    目の届かない後方にまで反射の神経が行き届いているのか、俺の手を掴んだ親父さん自身さえ驚いているようだった。

    親父「動機を言え。動機を」

    「心当たりがあるだろう」

    親父「有りすぎてどれかわからねーんだよ」

    「俺のお袋を殺した」

    親父「勝手に自殺したんだ」

    「お前が金を貸して追い込んだ」

    親父「借りたのも返せなかったのもお前の母親の責任だ」

    「お袋は俺を連れ戻そうとしていた」

    親父「お前を欲しがるクズはこの世界にたくさんいるさ」

    「お袋の遺書を読んだ」

    親父「なんて書いてあった」

    「愛していたと」

    親父「本当にお袋さんが書いたのかねぇ」

    「お前は自分さえ幸せになれれば他人はどうでもいいんだ」

    親父「人を殺そうとしている今のお前にだけは言われたくないな」

    262 = 250 :


    親父さんは左手を振りほどき、躊躇なく親指を俺の左目に刺そうとしてきた。

    すんでのところで躱したが、バランスを崩し倒れてしまった。

    親父「お前、俺に殺されるぞ。殺し屋でも雇うか、銃でも射てばよかったじゃねーか」

    「俺がしたいのは復讐だ」

    親父「思い出深い温泉で、血のぬくもりとともに殺すのが復讐か。情緒のあるやつに育ったもんだ。そうだよなぁ、愛がそのまま裏返ったものが復讐だもんなぁ」

    「金か。俺がいなくなると、金が減るからか」

    親父「色々大人の事情があるんだよ。お前のお母さんの新しい愛人が、うちの敵の保険屋さんでさ」

    「保険屋?」

    親父「保険金を降ろさせるために殺す仕事があるんだよ」

    親父「まだ、授業続けるか?」

    親父さんは今度は膝で蹴り上げようとしてきた。

    俺はそれ以上に早く膝を突き出し抑えつけた。

    263 = 250 :


    親父さんは容赦のない戦い方をする。

    喉仏をめがけて拳を振るってきたり、鳩尾に膝を乗せようとしてきたり。

    鼻を噛みちぎろうとしてきたり、目にツバを吐いてきたり。

    喧嘩に勝つための行動は何でもするのは、プロといえばプロなのだろうが、子供の喧嘩のような、美しくない戦い方だった。

    親父さんは暴力の秀才だったが、対して俺は天才だった。

    親父さんが努力で培ってきた戦い方を、体格や、生まれ持った感覚を活かしていなすことができた。

    口こそ余裕を見せているものの、思うような運びに持っていけない親父さんから焦りと怒りが見えてきた。

    親父「成長し過ぎたな」

    「おかげさまでな」

    親父「本当の親子でも、同じ分野で負けた父親は、息子に嫉妬をするらしい」

    「それは実体験か」

    親父「歴史の教科書にそう書いてあっただろう」

    今度は左の拳を股間めがけて殴りつけようとしてきた。

    俺は膝を思い切りあげ、拳を蹴りつけた。

    「親父さん。あんたの頭でも、俺の体躯にはかなわない」

    復讐心を持ちながらも、俺は高揚していた。

    自分の恩人を支配している感覚。

    自分が、神になったかのような錯覚に、少し酔っていた。

    264 = 250 :

    親父「これは……もう降参だな」

    「死んでくれるか」

    親父「助けを呼ぼう」

    「助け?」

    親父「火事だぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

    親父「火事だぁあああああああああああああああああ!!!!!!!!誰か来てくれ!!!!!!!!!!!!!!!!!」

    管理人のいない天然の露天風呂で、数日間の事前調査でも人気のなかった真夜中の時間ではあるが。

    万が一人が聞きつけると通報される可能性がある。

    口を塞ごうとすれば噛み付こうとしてきた。

    生きるために手段を選ばない親父さんを、心底鬱陶しく思った。

    もう一度息を深く吸い込んだ親父さんを、俺は思わず湯の中に突き落とした。

    湯から顔を出した親父さんは、さらに奥へと進みまた絶叫しようとした。

    俺は深追いをして、親父さんの口を殴ろうとした。

    一転、親父さんは俺の手を引っ張り湯の中に沈めてきた。

    天然の湯だが、温度は高かった。

    俺はその瞬間に親父さんの考えに気付き、笑ってしまいそうになった。

    親父「さっさと、のぼせてくれ」

    親父さんは拳を振るうのをやめて、身体を固めて俺を水に沈めることに集中してきた。

    小学生の頃を思い出す。

    ここで溺れてしまっては、今度こそ、死んでいることに誰にも気づかれないまま横たわってしまうだろうなと想像した。

    265 = 250 :

    水中では普段のような暴力が活かせず、技術がものをいいやすかった。

    親父さんに形成が傾いた。

    俺は親父さんから逃れようとしながらも、親父さんから距離を置くことができなかった。

    脱衣場までの途中の道に刺すのに失敗したナイフが転がっている。

    脱衣場には親父さんの拳銃やナイフがある。

    なんとしても、この場で、暴力で解決しなければならない。

    俺は暴れた。

    冷静さを欠かないように気をつけながら、力任せに親父さんを殴りつけた。

    いつもの暴力で気にする戦い方やセオリーを無視して、力を押し付けることにした。

    速さと強さだけを押し付けているうちに、親父さんもそれを防ごうとし、単純な殴り合いに近い形になった。

    親父さんの顔を何度か殴りつけた。

    俺を家から救い出してくれた恩人の鼻から血が吹き出した。

    俺がのぼせる以上に早く、親父さんは体力を消耗していた。

    266 = 250 :

    親父さんはもう力が尽きかけているようにみえた。

    このまま殴りつけ、水に沈めようと思った。

    親父「もう……許してくれねえか……」

    「母親を殺されたのにか」

    親父「ろくな母親じゃなかったろ」

    「黙れ」

    親父「俺の母親と一緒だ」

    「何を言う」

    親父「娼婦だったんだよ。知らなかったろ」

    一瞬の不意をつかれた。

    親父さんは物凄い勢いで俺の顔を両手で掴み、指で髪を掻き分け、至近距離まで顔を近づけて目を見つめて言った。

    親父「私は、正しい」

    めまいがした。

    心臓の鼓動が激しくなり、汗がとまらなくなった。

    親父さんはそのまま俺を水中に沈め、岩底に何度も頭を打ち付けてきた。

    267 = 250 :

    身体つきだけで喧嘩は決まらないと親父さんはよく言っていた。

    俺が親父さんを理解している以上に、親父さんは俺を理解していた。

    俺が親父さんを愛している以上に、親父さんは俺を愛していたのかもしれない。

    もう抵抗する力は残されていなかった。

    走馬灯の様なものはよぎらなかったが、俺は親父さんの言葉を思い出していた。

    あれは義父を殺した日にかけられた言葉だった。

    「才能や恩人には気をつけろよ」

    「人は、自分を救ってくれたものによって破滅するんだ」

    まさに、今、暴力の才能に過信した俺は、恩人によって殺されようとしていた。

    268 = 250 :

    俺は、誰にも気づかれない死体、にはならなかった。

    目覚めたのは病院だった。

    早朝に散歩をしていた男が、足だけ湯に浸け岩の上で横たわっている俺と親父さんを見つけたらしい。

    親父さんは俺の隣で、ナイフを腹に刺された状態で死んでいたそうだ。

    俺は殺人の容疑で捕まった。



    水中で完全に優位に立っていたのに、どうして岩場で俺と親父さんは横たわっていたのだろう。

    俺は混濁した意識の中で、ナイフを取りに走り、親父さんを刺したんだろうか。

    納得のいく答えは1つしかなかった。

    俺は、親父さんに命を救われたのだった。

    俺が溺れないように。俺がのぼせないように、水上までひきあげられ。

    そして、自殺を図ったのだ。

    269 = 250 :

    20代を刑務所で過ごした。

    俺は親父さんをナイフで刺殺したことになっていた。

    冤罪といえば冤罪だが、真実といえば真実なのだろう。

    その状況を引き起こしたのは、紛れもなく俺なのだから。



    テレビで見るような短い入浴時間のおかげで、俺はのぼせることがなくなった。

    刑務所内でのいじめは激しいものがあったが、殺人の罪で入ってきた大柄の俺に手をだすものはいなくて、表の世界にいたときよりも暴力とは無縁になった。

    規律を守り、規則正しく行動し、単純な作業を繰り返した。

    できるだけ過去のことも、未来のことも考える時間を与えられたくなかった。

    何もかもに絶望をしていた。

    人生を、どこから後悔すればいいのかわからなかった。

    270 = 250 :

    俺は俺の人生を後悔し続けた。

    俺の他にも殺人を後悔している者はいた。

    だが、被害者に対して謝罪の気持ちを示すものは俺の周囲にはいなかった。

    極悪非道の犯罪者のひとりごとは、おかあさん、だった。

    俺は、おかあさん、と言ったあとに、おとうさん、といった。

    そのおとうさんが、実父だけを示すものなのかは自分の中でもはっきりとしていなかった。



    服役してから数年が経った。

    出所は恐ろしくてたまらなかった。

    外の世界と関わる自分を考えると恐ろしかった。

    ただでさえ人の目を避けてきた自分だ。

    刑務所でも、丸刈りにされ、人の視線を避けるように下を向いて、ろくな関わりなどもたなかった。

    今更表の世界に行って何の意味がある。

    誰のために生きる。

    俺を待つものは、もう誰一人としていない。

    俺を忌み嫌うものと、恨むものしかいない。

    親父さんの信奉者の一人が、俺を殺そうとしているとの噂を聞いた。

    その男も数年前から服役しているとも。

    俺が先に出所して、その男も追って出所したら、殺してくれるだろうか、

    俺には希望なんてものはなかった。

    もう、死んでいるも同然の人生だった。

    271 = 250 :

    10年近い労働の対価で、俺は刺青を彫りにいった。

    出来る限り親父さんの模様を思い出しながら、彫師にイメージを伝えた。

    親父さんと同じように体中に彫るつもりだったが、温泉に入れなくなるのは困ると直前になって思いなおした。

    天然の温泉に入るくらいならぎりぎり隠せるだろうと、下半身の一部に彫ってもらうことにした。

    足を洗って表の世界に出て、俺は親父さんと一緒の足になった。



    犯罪者には就労支援がある。

    俺は刑務所の作業とさして変わらない、単純な仕事を繰り返した。

    その仕事場には、前科のない表の人間もたくさんいた。

    40代を超えたオヤジたちは、自分らは社会の最底辺だと自虐風に笑いながら、ダンボールに品物を詰める作業を繰り返していた。

    パートのおばさんが1時間の残業を指示すると、口々に子供のような文句を言いながら作業を続行した。

    まともじゃないか、と思った。

    あんたにはまだ未来があるよと励まされた。

    はい、とだけ答えた。

    日が経つに連れて、俺は以前行っていたような、裏の仕事に手をのばしていった。

    稼ぎがよくなるという理由もあったが、それ以上に、自分にふさわしい場所はそこだと思ったからだ。

    自分一人が生きるのに必要な金と、自分ひとりで過去を思う時間だけを手に入れて、あとは、死すべき瞬間を待つのみだった。

    272 = 250 :

    「だから後悔したぞ。お前に話しかけた時はな」

    「…………」

    「仕事の都合でこの地にたどり着き、親父さんの過去を追うように早朝の5時に風呂に浸かり」

    「過去の呪縛から逃れたい思いと、自分を支えるものは過去の回想しかないという依存に苛まれて」

    「孤独を苦しく感じる自分と、人を避けて生きたいという自分がいて」

    「どうして俺は、お前に話しかけてしまったんだろうな。親父さんの一目惚れした人と、重ねてしまったのかもしれないな」

    「私は後悔していませんよ。あなたに話しかけられたこと」

    「左目まで奪われずに済んだからな。俺も死ぬ前に誰かの役に立ててよかったってもんだ」

    「そんなつもりで言ったんじゃないってことくらいわかってくれてますよね」

    「お前は表で生きる人間だ」

    「あなたも裏で生きてくださいよ」

    「太陽と月のようにか。どこかのストーカーと一緒だな」

    「希望をもってくださいよ」

    「なら、俺と添い遂げてくれるか」

    「試すような言い方では ”はい” とは言えません。投げやりな言葉はやめてください」

    「おい、さっきからやめろよ」

    「何がですか」

    「俺の目を見るな」

    「あなたも私の目を見てください」

    「何のためにだ」

    「相手を理解するためですよ」

    273 = 250 :

    「お互い暗い過去には触れ合うのをやめるんじゃなかったのか」

    「暗闇でも見つめ続けていれば、目は順応して光を見つけられます」

    「もう関わるのをやめろ」

    「今から幸せになりましょうよ」

    「出会ったときから、俺達は取り返しがつかなかったんだよ」

    「理不尽が約束されたお前と、道理を外れてしまった俺」

    「お前は因果もないのに応報をくらって、俺は義理も人情も通さずに裏切った」

    「あなたを殺そうとする人がいるのなら、北海道でも、沖縄でも、遠くに隠れて生きていけばいいじゃないですか」

    「俺の幸せ残存数ってやつ覚えてるか」

    「急になんですか」

    「18,000個だった。残り50年生きるとしたら、1日0.9個だ」

    「犯罪者はぎりぎり幸せになれないんだ」

    「だったら幸せの母数を増やして下さい」

    「どうやって」

    「一緒にお風呂に浸かりましょう」

    「血にまみれたこの死体の浮かんだ風呂でか?」

    「…………」

    「痕跡は跡形もなく消す。それでも記憶は一生消えない」

    「もう俺もお前も二度とここにはこない」

    「さようなら、だ」

    274 = 250 :

    「そんな……」

    「出て行け。邪魔だ」

    「これで、終わりですか……」

    「言い残したことはあるか」

    「また……」

    「また、早朝……」

    「もうここには来るな」

    「あなたも、お風呂、もう入らないんですか」

    「家に風呂はついてるからな」

    「そうだったんですか」

    「実はお前に会いたかったのかもしれない」

    「そうなんですか。よかったです。安心しました」

    「それでは、また早朝ですね」

    「じゃあな」

    「また」

    「早く出て行け」




    花火はとっくに消えていた。

    お気に入りのタオルでさえ、身体を拭く感触を感じられなかった。

    少し外出していたのか、何事も知らない管理人のおばあちゃんとすれ違ってさようならを言ったあと、私は家まで一人で歩いた。

    明日また、日常が始まる。

    今日までとの違いは、憎しみの対象が消えたことと、あの人がいなくなること。

    きっと。

    これが、正しい姿なのだろう。

    私は泣きながら、無理やり自分を納得させようとしていた。

    275 = 250 :

    レールは2つに別れていました。

    一つは天国へ通ずる道。

    もう一つは地獄へ通ずる道。

    天国へ通ずる道は、天国へ通ずる道を目指すものと歩むことができます。

    地獄へ通ずる道は、行き先が地獄であると知ってもなお共に歩みたいと思う者と歩むことができます。

    快楽は、そのまま生きる意味となります。

    苦悩は、そのまま愛の証明となります。

    だとしたら、悲しくて悔しいことに。

    ただひたすらなければよかったと願っていた過去に、救われてしまうこともあるかもしれませんね。

    次回「湯の花の花言葉って知ってますか」

    アインシュタインさんに質問です。

    好きな人と業火の湯釜に浸かると、二人の時間はどのように進みますか。

    276 :

    希望が欲しい

    277 = 250 :

    時間ができたので書きました。
    今日はここまでです。

    >>233
    訂正:18,000÷50÷365=
    でした。泣きたい。

    重い内容が続いたのに読んでくれてありがとうございます。
    残り次回予告2,3回分くらいだと思います。
    おやすみなさい。

    279 :

    楽しみ!

    280 :

    この2人に救いを…どうか2人が幸せになれますように…

    281 :

    この温泉は塩辛すぎる

    282 :

    疲れた。

    生きることに疲れた。

    逃げればいいんだろうか。

    目撃者も現れないような、森の中で、一生。

    俺はそこまでして、生き延びる価値のある男なのだろうか。

    俺自身、そんな風に生き延びることを望んでいるんだろうか。

    もう疲れた。

    疲れたから、身体を休めよう。

    温泉に行こう。

    283 = 282 :

    民宿に泊まった。

    酒を買ってはみたものの、一口飲んで捨ててしまった。

    数日間惰眠を貪ったあと、料金を支払い店を出た。

    その場所に行くのを躊躇していた。

    頭の中にある救いの想像地に、現実として足を踏み入れるのが怖かった。

    希望がなくなってしまう気がした。

    それでも俺は行かなくてはならない。

    あとどれだけ、生きられるかもわからぬ命であればこそ。

    284 = 282 :

    早起きをし、身支度を整える。

    バスに乗って目的の場所へと向かう。

    平日の朝から、俺と同じ目的地に向かうものはいないようだった。



    30分ほど経ち、目的の場所についた。

    夏だからか、親父さんの言ってたようなオオハクチョウはまるで見えなかった。

    親父さんが死にかけの時間に味わった感動を、俺も味わうことはできないだろう。

    来ることに意味があった。

    屈斜路湖露天風呂。

    頭の中に存在していたそのお伽話に、俺は今まで心を救われていたのだから。

    285 = 282 :

    俺の他には誰もいないようだった。

    円形で囲まれたスペースにお湯が張ってあり、真ん中には大きな岩があった。

    左側が女性の湯、右側が男性の湯と記載されていた。

    俺が毎朝行っていた温泉と違い、マナーに対する細かい注意書きがあった。

    美しい景観を損ねるような人工物は何一つなかった。ここの地を守る人の努力の賜物なのだろう。

    脱衣場で服を脱ぎ、足を踏み入れた。

    ゆっくりと浸かった。

    少し熱く感じたが、雪国の外気の涼しさと相まって、心地よかった。

    眼前に広がる湖には何もなかった。

    オオハクチョウも、朝日に照らされる神秘的な女性もいなかった。

    気持ちの良い青空と、遠くに広がる山の景色だけがあった。

    俺は、満足した。

    生きてる間にこの地に来られてよかった。

    それは諦めに似た悟りというよりは。

    少し、希望に近い感情だった。

    286 = 282 :

    「幻想的な光景より、現実的な美しさと出会えてよかった」

    「ちゃんと、寝て、食べて、お金を持って、まともな思考ができる状態で。自然な感情で喜びは享受するものなんだな」

    「美しい光景を見て希望を持ち直す、なんて胡散臭い話だと思っていたが」

    「過去や幻想と向き合ったら、どうやら人は自分を認めざるを得ないらしい」

    「貸切状態だ。あの温泉から見える景色の何倍もある自然を、俺が独り占めしている」

    「湯の熱が俺にエネルギーを送り込んでくれるようだ!」

    「力が岩底から湧き上がってくるようだ!」

    「俺はこの大自然の王者だ!!」

    「ふははは!!!」

    「観光!!!」

    「天候!!!」

    「ちんすこう!!!」

    「ここ北海道だけどな!!ふははは!!!」

    「そんなにおかしい景色ですか」

    俺の背筋は凍り付いた。

    287 :

    あぁ、泣きそうだ

    288 :

    この時間に来るのは日本に二人くらい……か
    上手いなぁ

    289 :

    本当に良かった

    290 :

    「韻を踏んでいたんですか」

    「…………」

    「湯の熱があなたにエネルギーを送り込んでくれるって本当ですか?」

    「…………」

    「この広大な景色を独り占めしてるって本当ですか?」

    「…………」

    「もしかしたら知ってる人が岩一枚隔てたところにいたりしなかったですか」

    「…………」

    「早朝から生きるエネルギーが」

    「もうやめてくれ。死にたい……」バシャバシャ…

    「生きましょうよ。せっかく生きているんですから」

    「なかったことにしてくれ」

    「これが黒歴史ですよ。人が背負う過去の重荷は、このくらいの地獄が丁度いいんです。ということで、忘れてあげません」

    291 = 290 :

    「死ぬつもりだったんですか」

    「自殺するつもりはない。ただ、殺されるつもりだった」

    「逃げるつもりだった方がまだ安心です」

    「俺を殺そうとしているやつからか」

    「そう。親父さんの信奉者や、あなたの嫌な記憶から」

    「逃げられないだろ」

    「逃げましょうよ」

    「どこにだ」

    「日本地図にダーツを投げて、そこでこっそり暮らしましょう」

    「俺はもう疲れたんだ。だから温泉にきてる。疲れたから、疲労回復」

    「すぐのぼせるくせに」

    「逃げてもいいと思うか」

    「向き合っても、不幸にしかならないことなんてたまにはありますよ」

    「バチがあたらないか。不幸から目を背けて」

    「幸せになろうとしてバチがあたるんなら、幸せなんて存在できないでしょう?」

    292 = 290 :

    「それにしても、広大な眺めですね」

    「そうだな」

    「でも、定位置は逆ですね」

    「逆?」

    「湖を正面に、男湯が右側、女湯が左側じゃないですか」

    「湖を正面に見ても、私の視界にあなたが入ってこれません」

    「入れ替わるか。実はそっちが男湯なんだ」

    「どこかの神秘的な女性が言いそうなセリフですね」

    「人が行き来できるほどの隙間が空いてる」

    「男湯も女湯もあったもんじゃないですね」

    「この隙間は男湯と女湯どっちなんだ」

    「混浴なんじゃないでしょうか」

    「世界一狭い混浴だな」

    「そして世界一贅沢な」

    293 = 290 :

    「どうやって来た」

    「ホテルからタクシーで」

    「贅沢な奴だ」

    「私のいない日々はどうでしたか」

    「静かだった」

    「寂しかったならそういえばいいのに」

    「寂しかった」

    「…………」

    「でも、それ以上に」

    「お前には感謝していた」

    「だから北海道まで逃げ出してくれたんですね」

    「怒ってるならそう言ってくれ」

    「怒ってます」

    「すまなかった」

    「怒ってるんですよ」

    「申し訳ない」

    「謝ってくれたのでいいです」

    「そうなのか」

    「許すつもりだから謝らせたんですよ」

    294 = 290 :

    「男さん」

    「私の人生を見てどう思いましたか」

    「気の毒だと思った」

    「同情しましたか」

    「ああ。同情した。可哀想だと思った」

    「私は可哀想な人生を送っていますか」

    「ああ、そう思う」

    「やはりそうでしたか」

    「…………」

    「俺の人生を見てどう思った」

    「そうですね。哀れな人生だと思いました」

    「どのあたりが」

    「あなたの周りにいた人全員が不幸になってしまっていたあたりが」

    「俺は哀れな人間か」

    「はい、哀れな人間です」

    「そうか。俺もそう思う」

    「そうですか」

    295 = 290 :

    「なあ女」

    「生まれ変わったら、もう一度自分に生まれたいか」

    「…………」

    「これからの帰り道次第です」

    「なんだそれは」

    「あなたはどうですか。自分の人生を肯定できますか?」

    「そんなことはできない。何もかもが間違えていたと思う」

    「…………」

    「何もかもが間違えていた」

    「そのせいで、最後にお前と会えたこと以外はな」

    「…………」

    「男さん」

    「なんだ」

    「どうして泣いているんですか」

    「見るな」

    「俯いてたらせっかくの景色がもったいないですよ」

    「覗くな」

    「見てあげますよ。右目が駄目なら左目で。左目も見えなくなったら、声や、手の平で」

    「どうやってだ」

    「こうやって」

    女は男の頬に両手を添え、髪を除け両目を見つめていった。

    「あなたは、正しい」

    早朝の屈斜路湖で、二羽の白鳥がキスをした。

    296 = 290 :

    「ゆびがふやけてきました」

    「俺も少しのぼせた」

    「おばあちゃんの指もこんな感じです」

    「年をとった時に同じことを思うだろう」

    「私の手がこんな風になった時、あなたは私に何をしてくれていますかね」

    「俺は生きているのかな」

    「18,000個のしあわせをつかいきるまではいきてください」

    「お前といるとあっという間に減っていく」

    「お上手ですね」

    「ため息が止まらないからな」

    「お湯かけますよ」

    「やめてくれ。そろそろのぼせた」

    「あがりましょうか。マナー違反者は即刻立ち去れです」ザバァ

    「…………」ザバァ

    一瞬の幻想の後。

    私たちはくだらない会話や、少し深い話をして、お風呂からあがった。

    いつもどおり、私もあなたも裸で、指一本触れずにコミュニケーションを取っていたけれど。

    この行為は、

    俗にいうセックスというものよりも。

    深くて暖かい、結びの行為だったのだろう。

    297 = 281 :

    すごくいい…

    298 = 279 :

    ふぉぉ…

    299 = 289 :

    不穏な回想調やめてくれよ...

    300 = 290 :

    この日初めて、私と男さんは温泉以外で行動を共にした。

    はじめに一緒にご飯を食べた。

    雪国の魚は、冷たくて新鮮で、感動するほど美味しかった。

    ソフトクリームを買って食べさせ合うという、男さんにとっては拷問のような行為もさせた。

    動物を観にいったり、ブーメランを投げたり、子どもたちに紛れてソリで滑る遊びもした。

    男さんに似合わないことをさせるのを、性格の悪い私はこの上なく楽しんだ。



    寄り道をしながら日本を下っていった。

    仙台で牛タンを食べて、栃木でいちごを食べて、何故か新潟にちょっと寄ってお米を食べた。

    今まで訪れたことのない地に足を運んだ。

    暗闇の中で生きていた頃の私なら決して許さないような愉快な気持ちになり、明かりの中に必死で飛びでていた私なら決して感じなかったような安堵感を覚えていた。

    毎日長距離を移動していたにも関わらず、自分の居場所はここだという確信を、隣の肩に頭を寄せながら思った。

    頭のどこかでは、生き急いでいることを理解していたのだろう。

    残り50年では幸せにはなれない計算式で、もしも多大な幸せを感じているのだとしたら。

    生きる日々という分母が、極端に減っていたのかもしれない。


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