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    元スレ咲「これが私の麻雀だよ」

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    1 :



    『あなたたちの才能は目を瞠るものがあるわ…』

           『勝つのよ。麻雀はトップに立ったものこそが先へ進めるのだから』

      『照、その調子よ。咲…あなたには話があります』

    『どうして甘い手を打つの!』


         『私はお前がこわい』


      『――咲、お前のやっていることは、麻雀じゃない』




    SSWiki :http://ss.vip2ch.com/jmp/1438454079

    2 = 1 :


    「…じゃあ、どうしたらよかったのさ」

     じっとりとした嫌な汗の感触に目が覚めた。
     額に浮かぶ珠のような汗の理由は、夏という季節のせいではなかった。

     嫌な夢。少女――宮永咲の心に今もぽたりと黒い雫を垂らす苦い記憶。
     今は遠く、大都会で暮らす彼女の肉親が彼女に残した醜く惨たらしい傷痕。

     独りごちた問いに返ってくるのはやさしく彼女を包む言葉などではなく、喧しいクマゼミの輪唱だけだった。

    「…ぜんぶ悪い夢だったら、いいのに」

    3 = 1 :

     
     うだるような暑さの長野に、ひとりの女性が降り立った。
     小鍛治健夜。とある界隈では伝説とまで呼ばれる彼女は、そこらを見渡せばどこにでもいるような軽装で、群衆に紛れていた。

    健夜「お母さんったら…たまにはおじいちゃんに線香でもあげてこいとか言って…そのくせ自分はついてこないなんて」

     からっとした太陽の下で、どこかじめっとした空気を漂わせて。
     
    健夜「どこでもいいから涼めるとこ…ってもこの辺は民家だらけでなにもないんだよね」

     涼しげなせせらぎを奏でる小川に飛び込めたらどれだけ爽快であろうか。
     魅力的な誘惑を、『いい歳した大人』という足かせの羞恥心からはねのけ、なおも歩を進める。

    4 = 1 :


     広大な田園の脇を歩き、寂れた線路に沿って歩き、舗装もされてない砂利道を歩く。

     やがて見えてきた小さな霊園。そこの片隅にある母の旧姓が刻まれた墓石の前でしゃがみ込む。

     いくらほどもない手荷物のなかからカップ焼酎と線香、ろうそくを取り出し、墓前に供えていく。

     鼻の奥に澱むような線香の匂いにどこか懐かしさを感じながら、取り留めもない報告をし、立ち上がった。

     奥に広がる鬱蒼とした林から蝉の鳴き声が降り注ぐなか、日光を遮るように手をかざし、目を細める。

    5 = 1 :


     来た道を戻り、道が広くなってきたところで、気紛れに横道へ逸れてみた。

     道なりに進むと、周囲の原風景とは毛色の違う建物が目に入った。

     雀荘。だれでも麻雀を打つことができる公共の場。

     涼む目的で冷やかしていこうか、と思い立ち、自動ドアをくぐった。

     偶然入った雀荘――ただそれだけのそこで目にするもの、感じたこと、出会う人物が、小鍛治健夜の夏を一際強烈に彩るのであった――

     ――

    6 = 1 :


     咲は目が覚めてから、シャワーを浴び、頭を切り替えてからどうするか考えていた。
     学校は夏期休暇中でない。父は仕事でいないし、彼女には気軽に連絡を取り合い遊ぶような友人もいなかった。
     内向的な性格で、だれかといることより一人でいることを好んだ。
     一人でいる時は本を読むことが多いが、しかし彼女の時間の過ごし方はそれだけではない。

     どうするかすこし悩んだ後に、年頃にしては遊びのない格好に着替え、靴をつっかける。

    「行ってきます」

     返ってくるあてのない言葉を吐き出し、家を飛び出す。
     送り出してくれるあたたかい言葉などなかったが、迎えてくれる外気は暑苦しさで溢れ返っていた。

    7 = 1 :


     見慣れた道をいくと、向こう側から見知った顔が近づいてきた。
     自転車にまたがったその人物は、咲のすぐ目の前で止まると身を乗り出して咲へと笑いかけた。

     「よう宮永!」

     咲はその無邪気な笑顔に気後れしながら、彼の名を返事とした。

    8 = 1 :


    「こんにちは、須賀君」

     須賀京太郎。咲と同じ学校、同じクラスの少年。
     咲とは正反対の性格の彼は、だれにでも砕けた接し方で、咲に対して距離を作らない稀有な存在だった。

    京太郎「あ、宮永さぁ、今暇か?これからクラスのやつらと川で涼もうかって話になってんだけど、来る?」

    「うーん…ごめんなさい。私、これから行くところがあるから」

     クラスメートと川遊び。それはそれで青春の一幕を飾るイベントになるかもしれないが、しかし咲は固辞した。
     目的があっての外出であったのは事実だし、それに、自分はそういった場にそぐわないと思ってもいた。

    9 = 1 :


    京太郎「あー、そっか。残念! まぁ思い返せば集まったのは野郎ばっかだし、宮永だってむさ苦しいなかにいたくはねーよな」

     少年は屈託のない笑顔でそう言うと、使い込まれているであろうマウンテンバイクに跨り、ペダルに足をかけた。それはもう行くという意思表示であり、咲は正しくそれを汲み取って安堵した。

    京太郎「じゃあ行くわ。またな」

     そう言い残すと、勢い良く走り出した少年はあっという間に陽炎の向こうに消えて行った。

     咲はしばらくそこに立ち尽くし、熱を帯びた景色をぼうっと眺める。

     ――もし。もし、彼の伸ばした手を掴むことがあったら。その時…その先には、どんな光景が広がっているだろう?

     そんな思索は、熱に浮かされて漂い、青い空に呑み込まれて消える。

     つまらない妄想だった。もしくは淡い期待とでも言おうか。

     行くつもりのない場所にどれだけ思いを馳せても意味はない。

     頬を伝った汗が顎から滴り落ちて、アスファルトにしみを作る。
     その場に留まっていた影はいつの間にかどこかへ行き、やがて容赦なく注がれる陽光に溶かされ、しみさえも消えてしまった。

    10 = 1 :


     すこしの間足を止めてしまったが、ようやく咲は目的地へと辿り着いた。
     そこで、咲は早くも踵を返して来た道を戻り家へ籠もりたい気分になっていた。

     雀荘。そこはだれでも麻雀を打つことができる公共の場。
     そう。だれでも、である。

    11 = 1 :


     「きたか、咲! さぁ、始めよう、げにげにおかしき狂宴を!」

     一見して小学生低学年ほどにも思える体躯の少女。
     頭から伸びる、かわいらしいリボンの耳。
     無垢のなかに凶悪な熱を灯す大きな瞳。
     
    「意味わかんない。何言ってるの天江さん」

     少女は名を天江衣といった。咲のすげない返事に、少女は表情を一転、今にも泣き出しそうな年相応(?)の反応を示す。

    「意味わかんなくない!」

    「わかんないものはわかんない。というか、よく毎日こんなところにくるね。天江さんの住んでるところって結構遠いんでしょ?」

    「衣の遊戯の相手が務まるのは咲くらいだからな!」

     彼女もまた、咲に対して距離を作らない人間であり、咲に自分から近づいてくる人間だった。
     そんな天江衣に対して、咲はやはりどう接しいいかわかりかねている部分があり、ゆえに前のめりになってしまうことも多い。

    「友達いないの?」

    「う…いな…いる!とーかがいる!はじめもいる!」

    「じゃあその人たちとユウギでもなんでもしたらいいよ」

    「フフ…とーかもはじめも友達だから、本気は出せないんだ。衣が満身の力で以て対面すれば、相手は大抵毀れてしまうからな!」

     薄い胸をめいっぱい張って鼻息荒く捲くし立てる少女。

    12 = 1 :


     意気軒昂の衣とは反対に、咲は冷めた目でその様を見つめている。

    「それ、前も言ってたけど、天江さんの全力ってそんな勝率高くないよね」

    「そっ、それは咲が相手の時だけ!というか全力じゃないっ!日中だと全力じゃない!」

    「あぁそうだったね。そういう設定だったね」

    「設定じゃないぃぃ」

     トゲのある咲の言葉に、いよいよ泣き出しそうになる衣。
     涙がうっすらとにじみだしてる様子に咲はひとつ嘆息を落とし、カウンターに向かう。

    「二人、同じ卓でお願いします」

    「さ、咲!」

     浮かんでいた涙もどこへやら、相好を崩すその様はまるで幼い子供。

    (相変わらずころころと表情の変わる子だなぁ)

     苦笑を湛えて卓へ向かう咲だった。

     ――

    13 = 1 :


     対局が始まってしまえば、和やかな雰囲気はどこぞへ吹き飛んでしまう。
     それだけ二人の間には半荘という勝負に対する真剣さが現れていた。

     ふたりと共に卓を囲むのは面識のない年配の男性二名。
     よどみのない動作から打ち慣れていることが窺えたが、打ち筋は至って凡庸だった。

     卓上でただひとり宮永咲という打ち手の本性を知る天江衣は、開始早々牙を剥いていた。

     衣の放つ雰囲気が怖気を誘う。
     横に座る男性たちも知らず冷や汗を拭い、粘性の唾液を嚥下し、息詰まらせ震えを押し殺す。

    14 = 1 :


     いくら理論的な打ち筋が確立されていようと、麻雀は運の要素も強い。
     配牌などは積み込みやすり替えなどの所謂イカサマを用いない限り、理論上では完全な運である。
     流れや勢いなど、その場限りの要素で多少の良し悪しがあったとしても、基本的には対局者全員が対等なはずなのである。

     しかし、この卓上では、その前提がことごとく覆っていた。

     有効牌をツモれない。そんなことは麻雀をやっていればいくらでもあることだ。
     一局のなかでそれが延々続くと内心でボヤくこともあるかもしれない。
     それが数局続くと、誰もが気付く。

     『おかしい』と。

     息苦しささえ覚える閉塞感、圧迫感。手の進まない苛立ちと浅くなる呼吸からくる軽い酸欠で正しい判断が下せない。
     …いや、判断など、この場ではなんの役にも立たなかった。
     逃げ場がない。安全地帯のない異常事態。
     もはや河が判断材料にならない。ちいさな悪夢の捨て牌が、まるで大口を開けて待つ奈落への落とし穴のように見えて。

     眼鏡をかけた男性が手を崩す。大した役も付かない二向聴だが、それでもこれまで身を削る思いで揃えた面子を崩した。
     直前で対面の小太りの男性が捨てた牌。聴牌気配が濃厚な少女――天江衣が見逃した牌。
     ここを通せば手の内にはまだ同じ牌が一牌ある。対子落としで二巡もやり過ごせばまた状況は変わるだろう。

     そう思った男性の展望は、和了宣言によって脆く打ち砕かれる。

    「ロン、だ。11600の二本場は12200」

     親の高目、直撃。眼鏡男性の点棒が一瞬で底つきかける。
     それは、まるで悪夢だった。

    15 = 1 :


    (できれば咲から取りたかったが。…ここで咲にツモ巡を回せば、同じ轍を踏むだけ。その先に待つのは敗衄の辛酸だ)

     強者の布く圧政。抜け出すことの叶わない一方的なルール。それは『支配』と呼ばれるもの。

     天江衣と相対した者は手が進まない。反則的な、だからこそ彼女を強者たらしめる支配。
     
     しかしそれも、無敵ではない。

     「カン」

     非常識な支配を破る、常識の埒外からの声。

    (きたか…!)

    「ツモ。嶺上開花・ツモ、800・1600」

     衣の独壇場の様相を呈していた場に投じられた一石。
     安手ゆえに状況に大した変化を見られず、静かに波紋を広げる水面。

     大きく安堵の息を吐く両サイドのふたりとはべつに、衣の表情が険しさを増していく。

    16 = 1 :

     
     衣の親でなくば支配が及ばないわけではない。実際、男性たちの手はやはり渋かった。

    「カン」

     しかし、絶妙に挟まれる咲の鳴きで、狂っていた歯車が徐々にずれ、歪に噛み合いはじめる。

    眼鏡「つ、ツモ!500・1000!」

    (くっ…此は如何にせん…)

     大きく沈んでいた男性たちの点数がすこしずつ戻り始める。
     それはほとんどが咲を経由して衣から零れた点数であった。

     いつの間にか均されてきた点数。それでも衣がひとつ頭が抜けていた。

    (逃げ切る…いや、そんな及び腰では一縷の目もない。押し切る?容易くはない…が、為さねば負けを甘受することになるだけ!)

     眦を引き締め、配牌に視線を落とす。
     理牌を済ませ、神経を研ぎ澄ます。

    17 = 1 :




    「ダブルリーチ」


    18 = 1 :


     投じられる千点棒。卓上に落とされる、最初の捨て牌。

     しばたたかれる三対の眼。

     あらゆるすべてを超越し、ことごとくを置き去りにする。
     そうして少女――宮永咲はわらう。

    「カン――ツモ。ダブリー嶺上開花一発ツモドラ…6。三倍満、6000・12000。終局ですね」

     決着。
     その形は、咲の勝利というもので。

    19 = 1 :


    「ありがとうございました。…天江さん、私の勝ちだね。場代、よろしく」

     微笑む咲の真正面で、ゆっくりと、涙を湛える衣。ガン泣き一歩手前といった様子だ。

    「う~~~~~~っ!」

    「唸ってもだめだよ。私、お手洗いにいってくるね」

     席を立つ咲。それに続いて、男性たちもやおら離席すると、口々に「強いね、お嬢ちゃんたち」と称賛の言葉をかけ、苦い笑いを浮かべて店を出ていく。
     咲と衣の対局に居合わせた人間は濃密すぎる半荘に草臥れ、足早に帰っていく。
     おそらく、彼らの胸中を推し量るに麻雀は当分やめておこうと思っていることだろう。

    20 = 1 :


     衣はひとり、卓に取り残され、半眼で辺りを見渡していた。

     視界の隅で付き人の執事が如才なく会計を済ませていた。そこから横に滑っていくと、ひとりの女性が茫然と立ち尽くしている。 
     先程まで咲と衣が対局していた卓に視線を釘づけにされている。

     勝負の後で常より昂揚していた衣は、手慰みにその女性に話しかけていた。

    「理解できないか?」

     薄ら笑いを貼り付けた少女の問いは、女性の思考には届かなかった。

     彼女――小鍛治健夜の頭のなかには、オーラスを一息に終わらせた少女の見せたわらいが占めていた。

    健夜「彼女…名前は」

    「宮永咲だ」

     べつにだれに問うたわけでもなかったが、すぐそばにいた少女(あるいは女児とも見えた)が教えてくれる。
     健夜はその名を、深く噛み締めるかのように反芻する。

    健夜「宮永…咲…」

    「はい?」

     唐突に背後からかかるもうひとつの声に健夜の心臓が跳ねる。

    健夜「うわあ!?」

    「…なんですか?ひとの名前を気安く呼んだり、返事をすれば大仰に驚いてみせたり。失礼ですよ」
     
     非難するように睨めつける視線はかなり冷やかだったが、健夜としても真実心底驚かされて困惑していた。

    21 = 1 :


     健夜は、身勝手な残影を目の前の少女に投影していた。
     手折る。千切る。打ち砕く。踏み躙る。
     圧倒的で、他を寄せ付けない、ゆえに退廃的で孤独な麻雀。
     それは、まるで鏡写しに見る自分のようだった。

     だからこそ、思わずにはいられない。それはやはり身勝手で独善的な干渉。
     ――彼女を導きたい。その手をとって。自分の見られなかった、色づく景色を。

     駆け巡る思考のなかで、加速する世界のなかで、小鍛治健夜はその稚気を帯びた輪郭に手を伸ばす。

    健夜「ねぇ…私と打ちませんか」

    「お断りします」

     にべもそっけも、おまけに取りつく島もなかった。

     ――

    22 = 1 :


     意識がゆっくりと覚醒していくのを感じる。

     たぶん、もう日も高くなり始めている。そんな予感を抱きながらも、身体を起こす気にはなれなかった。なんなら瞼を開く気力さえ湧かない。
     憂鬱すぎた目覚めの原因は、過去や夢にはない。珍しく、現在進行形で咲の頭を悩ませている問題のせいだった。
     億劫げに伸ばされた手が硬質ななにかを掴む。愛用の置時計だ。
     目の前まで持って行くと、針は九時前を差していた。
     
     もうすぐワイドショーは始まる…が、そうではない。もうすぐ、そう、もうすぐ。
     そうしてぐずぐずしていると、突如家中に甲高く間延びした音が鳴った。
     来客を報せるインターホン。咲を精神的に追い詰める悪魔の足音だ。

    23 = 1 :


    「…はい。どなたでしょうか」

     軽い身支度を手早く済ませた咲は重い足取りで玄関へ向かった。
     あわよくば、来客が単なる配達員か、それか勧誘かなにかで、身支度の間に諦めて帰っていてくれたら。
     そんな希望を持ちもしたが、ドアを開けた瞬間に咲の目はどんよりと曇った。

    健夜「あの、おはよう。今日もきました」

     来ないでいいです。そう返そうと思い、トゲトゲした言葉は舌の上で転がって、喉の奥へと戻っていった。
     この女性、小鍛治健夜と出遭ってしまった、明くる日にすでに言って、今のところ効果の見られない要望だったためだ。
     どうせ意味を為さないやりとりに体力を費やしたくはなかった。殊にこの頑固者相手には。

    「どうぞ上がってください」

    健夜「ごめんね、ここのところ毎日お邪魔しちゃって」

     本当だよ…と呟いてみるも、そんな迂遠な非難は彼女には届かない。そんなことは初日にすでにわかっている。
     家に上げなければこの炎天下のなか延々と家の前で立っているのだ。もはやホラーである。

    24 = 1 :


    「お茶しか出せませんけど」

    健夜「おかまいなく」

     ここ数日でお決まりになったやりとりを済ませ、テーブルにつく。

     咲は改めて目の前の女性を眺め、とりとめもなく浮かぶ物思いに思考を委ねた。

     どこか野暮ったくて、内向きな性格でありそうなことが外観からにじみ出ている。
     直向きさのなかに、なにかねじくれたものを感じる。
     そんな、彼女を形作るパーツのひとつひとつに、(許しがたいことではあったが)不可思議なシンパシーを感じてもいた。

     小鍛治健夜。調べてみれば…いや、さほど調べるまでもない。彼女は麻雀において、世界的に有名な人物であった。
     若くして手にした称号は数知れず、『麻雀』を嗜むうえでは知らないことが恥と言えるほどの存在だ。
     なのに、今こうして咲の目の前にいる。ふつうにお茶を飲み、氷を口のなかで転がしたりもする。ふつうにふつうだった。

    25 = 1 :


    健夜「宮永さんは、高校はもうどこいくか決めたの?」

    「どうしてそんなこと聞くんですか?」

    健夜「いや、ほら。もう中学二年生なんでしょ?中二の夏といったら進路に向けて動き出す頃じゃない?」

    「そんなこと知りたがるなんて、親戚のおばさんみたいですね」

    健夜「お、おば…」

     変哲もない日常会話。互いに意図をわかりきったうえで、はぐらかして引き延ばす中身のないやりとりだ。
     それでもそれは無意味ではない。結局核心を突かずして話は進まない。進むことは咲にとって好ましくないが、それでも進めすぎないよう細心の注意を払って、いけるところまではいかないといけない。そうしないと状況は動かないのだから。

    26 = 1 :


    「近いところから選びますよ。清澄なんていいんじゃないですかね」
     
    健夜「風越にいこうとかは思わないの?」

     なぜここで風越という校名が出て来たかは明白だ。
     健夜は長野の高校をよく調べている。特に、『麻雀部が強いかどうか』に重きを置いて。
     そして、健夜がしきりに風越へ関心を向けようとしてる意味を咲は十分に理解していた。
     理解したうえで、やはりはぐらかす。

    「制服がかわいいって噂ですよね。私はわざわざ遠くから通おうとは思いませんが」

    健夜「えっと、そうじゃなくて…」

    「他も遠いんですよね。私、朝は弱い方なので、あまり遠いと通学が辛いですし」

    健夜「違うんだって!そうじゃなくて、風越がここいらじゃ一番麻雀が強いでしょ?だから…」

     慌てて言い募る健夜に、咲は静かに視線を落とす。コップの外面を伝い落ち、テーブルに溜まった水滴を見つめ、息を吐く。

    「だから?私が風越で麻雀をするって、小鍛治さんはそう言いたいんですか?」

    健夜「うん…」

    「…私がいったところでなにもなりませんよ。知らないんですか?風越は名門なんですよ」

    健夜「知ってる。だからこそ、宮永さんならって」

    「私なら…きっと、伝統ある風越麻雀部を崩壊させるでしょう。べつに自分からそうするでもなく、きっと成り行きで」

     瞼を閉じればいつだって、咲にとっての悲劇はそこにある。
     いくつものシーン、いくつものセリフのなかで、決まって咲は俯いている。
     ただそれを焼き直すだけに他ならない。だから、風越を目指すなど咲には考えられなかった。

    27 = 1 :


    健夜「他は、たとえば城山商業とか」

    「どこでもいっしょですよ。私が混じったら、そこがいままで築いてきたものをいたずらに崩してしまうだけだと思います」

     それはともすれば傲慢ともとれる発言。しかし、健夜はそれを笑い飛ばすことをしない。自分に重ね合わせれば、咲の言葉を三味線だと切り捨てることはできない。

     そう。枠のある場所に宛がっても意味はないのだ。咲を収める枠などそうあるものでもないのだから。
     だからといって枠のない場所では、それ即ち環境がないことを意味し、咲を腐らせるだけ。
     自分はこうして咲の放つ輝きがだれも知らないところで摩耗して塵芥に埋もれていくのを眺めていることしかできないのか。
     
     グラスのなかの氷は溶けきるまでたっぷり考えて、そこでようやく健夜は結論を見出した。

    28 = 1 :


    健夜「それなら…元からある場所を壊すのがいやなら、なにもないところで一から始めたらいいよ」

     その暴論に、咲は呆気にとられた。
     言うだけなら易いものだろう。しかし現実はそう易くはない。
     一から始めたとしよう。それでなにができる?
     結局環境が整っていなければ、健夜の目的である、高校生に混じって麻雀をするという目論見は達成されない。 
     部がない。人がいない。道具もない。
     それでは麻雀はできないではないか。

     咲が反論の代わりに、たっぷり冷やかな目線でもって追及すると、健夜は鼻息荒く捲くし立ててきた。

    健夜「私の母校、茨城の土浦女子。そこにきて。あそこは私がいた時は強豪扱いだったけど、いまは悲しいかな、弱小もいいところで部はほとんど活動もしてないと思う。でも必要なものはあるはずだし、それに母校なら私の顔も利く」

    「…人はどうするんです?私と小鍛治さんのふたりじゃ、練習もできませんよ」

    健夜「私が集めるよ。こう見えて、麻雀の才能を見る目は確かだから」

     熱のこもった語り口に、健夜の本気が見て取れる。
     咲は瞬きするのも忘れて、爛々と輝く健夜の瞳を見つめていた。

    29 = 1 :


    「…正気ですか?」

    健夜「傍から見たら狂気かもね。でも、私は本気だよ」

     力強い返事に、用意していた諸々の言葉たちがすごすごと引き下がっていく。

     何も言えない。言い返せない。言い返したところでどうにもならない。

     それがわかっていて、咲はひとつ、嘆息した。

    30 = 1 :


    健夜「…やっぱり無理、かな」

    「無理なんですか?」

    健夜「え」

     俯きかけた健夜の面が、まるで引力に惹かれるように上がる。
     そこに、健夜を胡乱げに見つめる半眼はない。
     あるのは真剣味を帯びた、意志を感じる真顔。

    「無理を通そうとして嘯いていただけだったんですか?」

    健夜「もっ、もちろん宮永さんがその気になってくれるのであれば、全力を尽くすよ!でも…その、いいの?」

    「いいですよ」

     あまりに呆気なさすぎる翻意に、健夜は自身の頬を抓ってしまうほど信じられなかった。

    「なにをやってるんですか…」

    健夜「い、痛い…いや、どうしてこんなにあっさり心変わりしてくれたのかなって思って…」

    「べつに。というか、きっとそんなに意外なことでもないですよ。そもそも、まったく関心がないのであれば小鍛治さんをこうして家にあげて話を聞いたりなんてしませんし」 

    健夜「そ、それはたしかに…」

    「その気になればおまわりさんを呼んで解決もできたでしょうし」

    健夜「ひえっ…」

     一瞬で青褪めた健夜の顔を見て、咲がちいさく笑った。
     それを見て、健夜はようやく宮永咲という少女に一歩近づけた気がした。

    31 = 1 :


    「それに…私だって、このままじゃだめだって思っていたところですし」

    健夜「え?それって…?」

    「さぁ。そうなったら話は早いほうがいいですね。その土浦女子についていろいろ教えてくださいよ」

    健夜「えっ、あ、うん。そうだね」

    「お話次第ではこの件はお流れになりますから」

    健夜「そ、そんなぁ!」

    「がんばってくださいね小鍛治さん。期待してますから」

    32 = 1 :


     咲は望んでいた。
     咲は欲していた。
     咲は求めていた。
     
     自分の麻雀を変えてくれるなにかを。

     それを探す旅に出るのだと、止まってしまった自分のなかのなにかを動かせる時がきたのだと。

     そう、信じて。


     前編 カン

    33 = 1 :

    黒い咲さんのif話
    全4部構成予定です
    各部ごとに書き溜め・完結したら投下するスタイルでいこうかと思ってます

    34 :


    続きが楽しみ

    35 = 1 :

    ごめんなさいね
    リンシャン一発ツモってなんだっつーね
    適当に補完お願いします

    36 :

    乙です
    これは楽しみなSS。次の更新楽しみに待ってます

    37 :

    どんなメンバー集めるのか(あのすこやんがメンバー集めることができるのか?)
    うえのさんのなつはおわったのか(そもそも始まってすらいないのかもしれないけど)
    京太郎の出番はあるのか(あれっきりじゃないかな。つうか出番があっただけでも驚き。京咲スレじゃないのに)
    などなど、これはなかなか楽しみなスレですね。

    38 :

    おつ
    でも黒い咲さんなのか…ちょっと不安

    39 :

    どこかで宣伝だったかしてたやつか
    期待

    40 :

    これは期待して待ってます

    41 :

    すこ咲か、楽しみ

    42 :

    おつよー

    これは期待

    44 :

    前編カンって1部のことなのか、1部の前編ってことなのか

    45 :

    乙なのよー

    46 = 37 :

    前編中編後編完結編だろ多分。
    前中後補ってのもあるけど

    48 :

    >>47
    お、おう。

    なんかレスいっぱいでびっくりした
    4部構成の内訳は前編・外伝・中編・後編で、今回の前編が第1部ということになります
    外伝が挟まってるのは時系列の問題で、内容は小鍛治プロの全国スカウト行脚となっております
    外伝はあまり長くはならない予定だからこのスレでやると思うけど、中編以降はどれくらい長くなるかわからんのでその都度スレをたててやろうと思ってます

    49 :


    中編以降そんなに長いのか?

    50 = 48 :

    >>49
    文章量ではなく書ききるまでが長いかなと
    平気で一月二月はかかりそうな悪寒がしております


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