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    元スレ武内P「女性は誰もがこわ……強いですから」

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    1 :

    ・アニメ基準

    ・武内Pもの

    ・長い

    ・マジで長い





    ①私たちが知らない女性と、抱き合ったりしたことあるんでしょうか



    「プロデューサー……付き合ってた人っている?」


    それは脈絡の無い問いでした。

    冬の夜は暮れるのが早い。
    冷たい雨が降り注ぐ音と道路の喧騒が外で鳴り響く一方で、車内は長いこと静かでした。
    そんな信号待ちの最中に、不意に静けさを破って助手席から今の質問が発せられたのです。

    ひょっとすると彼女が今の今までずっと黙っていたのは、質問する機をうかがっていたからなのか。
    驚きのあまり、ついまじまじと彼女――渋谷さんを見つめてしまう。

    渋谷さんはシートに身を預け、私から顔をそむけるようにして頬杖をつき、窓の景色を眺めている。
    質問する機をうかがっていたのではないかという推測が的外れに思えるほど、その姿は平静でした。

    ――ふと、一年前のことを思い出してしまう。

    あの時も車内で二人きりでした。
    ただし彼女は渋谷さんとは違い、いつも以上によく話したかと思いきや突然黙り込み、それから突然同じ質問をしました。
    私から顔をそむけ、しかし顔が真っ赤であることが耳まで染まっていたことからわかり――


    「プロデューサー」

    「は、はい」

    「信号、青だよ」


    後ろからクラクションが鳴る。
    どうやら思索にふけりすぎたようです。
    慌てて足をブレーキからアクセルへと踏みかえます。


    「その……私に付き合っていた人がいたかどうかですが」

    「うん」

    「大学生の頃に一度だけあります」

    「……………………ふーん、そっか」


    その声は異様なまでに平坦でした。
    理由はわかりませんが、胃の辺りが締めつけられたような錯覚すら起きます。
    チラリと助手席の様子を見るも、先ほどと何の変化も見受けられません。

    ……サイドミラーからでも彼女の顔が見えないのは幸か不幸か。


    渋谷凛

    /nox/remoteimages/51/3c/1bff57586a46e9b82f74273d7666.jpegSSWiki :http://ss.vip2ch.com/jmp/1486799319

    2 = 1 :

    「どれぐらいの期間付き合ってたの?」

    「一年と……半年ぐらいです」

    「けっこう、長いね」

    「え、ええ」

    「それで、どちらから告白したの? 相手の人のどんなところが好きだったの? 今でも連絡取ってるの? なんで長続きしたの?」


    平坦であった声が乱れ始め、熱がこもる。
    年頃の少女だ。身近な異性のそういった話に興味を持つのは別に不自然な事じゃないのでしょう。

    もっとも、渋谷さんの興味を持つ姿勢はやや不自然に思えますが……


    「相手の方から……になりますか」

    「なんだか歯切れが悪いね」


    歯切れが悪くならざるを得ない内容ですから。
    酔って同僚に話すならともかく、女子高生に聞かせる話では――


    「妙に周りの人にお酒を勧められて潰れてしまって、目が覚めたら女性の部屋だったとか?」

    「……ッ!?」

    「なんとなくそんな光景が思い浮かんだんだけど……当たりみたいだね」


    真相をあっさりと言い当てられ思わず息をのむ。
    女の勘という言葉がありますが、それを目の当たりにする度に背筋が凍る思いをします。
    まして、それがまだ十五歳の少女となれば言わずもがな。


    「で、付き合わざるを得ない状況だったから付き合った。別に相手のことが好きだったわけじゃないってことだよね?」

    「……いえ。好きか嫌いかで言えば好きだと断言できる程度には、好意を持っていました」

    「……………………ふーん」


    渋谷さんの声が跳ね上がったかと思うと、一瞬にしてまた平坦な声に戻ってしまいました。
    好意を持つ者同士が結ばれる話は年頃の少女が好む類いだと思うのですが……わからないものです。


    「ただ、彼女と付き合うことを願っていたわけではありません。私とはまるで違う視野を持っていることを尊敬していて、面白みの無い私に何かと話しかけてくれたことに感謝はしてい

    まして……良き友人を持てたと思っていました」

    「プロデューサー……多分その人、色んな方法でプロデューサーにアプローチしたけどまるで気づいてもらえなかったら、周りの人に協力してもらって強引な手に出たんじゃないの?」

    「はい。付き合い始めてから教えてもらいましたが……なぜ渋谷さんがそれを?」

    「別に。プロデューサーは昔からプロデューサーなんだなって」

    「は、はあ」


    当然ですが大学生であった私はプロデューサーではありません。
    346に入社して数年経ってからなのですが。

    3 = 1 :

    「それで? 今でも連絡取ってるの? 大学の同窓会で顔を合わせたりしてないよね?」


    私が彼女と会うことに何ら問題は無いはずですが……渋谷さんと話しているとなぜか悪いことのように思えてきました。


    「最後に会ったのは一昨年のことで、旦那さんと幸せそうにしておられました」

    「……そっか。幸せそうでで何よりだね」

    「ええ」

    「じゃあプロデューサーはその人と別れてから誰とも付き合ってないんだよね?」

    「まあ……そうなってしまいますね」

    「別にいいと思うよ。次々と女の子をとっかえひっかえするよりずっと」


    ようやく渋谷さんの調子がいつもに、いえどちらかというといつも以上に良くなってくれました。
    しかし機嫌の良い渋谷さんを見ていると、どうしてもまた一年前のことを思い出してしまいます。

    そうでした。
    彼女は最初、私に交際経験があると知った時はなぜか硬直し顔が青ざめ、しかし別れてからはずっとフリーということがわかると今の渋谷さんのように上機嫌に――


    「ねえ」


    その言の葉はまるで氷の刃のように私の背筋を貫き――


    「今、誰のこと考えてたの?」


    ――寒さに怯えた心臓が熱を送ろうとがむしゃらに走る。


    ……胸に手を当てずとも自分の心拍数が上がったことがわかってしまいます。
    年頃の少女というのは本当に難しい。
    逆鱗に触れた後でも、何が逆鱗であったのかわからないのですから。


    「実は……前にも今のように車で二人の時に、同じ質問をされたことがあります。そして彼女の反応が渋谷さんに似ていたもので、つい」

    「ふーん」


    別に思い出しただけですが、快不快は人それぞれ。
    話してまずい内容でも無かったので正直に伝えてみると。


    「楓さん……ううん、美嘉か」


    あっさりと言い当てられハンドルを握る手が強張り、車体がぶれてしまう。
    みっともなく動揺する自分の心が現れたようでますます恥ずかしくなる。

    4 = 1 :

    「ねえプロデューサー?」

    「……な、なんでしょうか」


    答える声が上ずっているのが自分でもわかります。


    「美嘉と付き合ったりしてないよね?」

    「…………はい?」


    それはあまりにも想定外の質問でした。
    呆気にとられたまま渋谷さんの意図を探ろうと見つめてしまい、視界の端でいつの間にか前の車が停まったことに気がつき慌ててブレーキを踏む。


    「……うん。どうやら違うみたいだね」

    「その……なぜそのような有り得ないことを?」

    「有り得ないかな? だってプロデューサーと美嘉って、妙に距離が近いんだもん」


    多分、私以外にもそう考えている人は何人かいるよと渋谷さんが続けるのを、頭を振って否定する。


    「確かに……彼女は担当だった頃から不甲斐ない私を叱咤してくれました。担当ではなくなった後も、妹さんや後輩たちを心配してのことでしょうがよく顔を出しては助言をくれました。しかし城ヶ崎さんが私などにそのような感情を持つことはあり得ません」


    そもそもプロデューサーである私が、彼女たちをそのような目で見るわけにはいきません。


    「それにしても……渋谷さんにしても城ヶ崎さんにしても、なぜ私の交際関係をそこまで気になさるのでしょうか?」


    この話題を続けるのはよくないと、ずっと気になってきたことを尋ねる。

    プロデューサーって彼女いたことあるの? という具合に普段の会話の流れで聞かれるのならば気になりませんが、二人とも他の人がいない状態で真剣な様子で聞いてきたのです。
    どうしても気になります。


    「だって……プロデューサーってば優しいうえに押しに弱そうだから、変な女に引っかからないか心配だもん。お世話になった人がそんな目に遭うなんて嫌だし、美嘉もそうだったんじゃないかな」

    「……そのように、思われていたのですか?」

    「げんに大学生の頃はそうだったじゃない」


    ぐうの音も出ない、とはこのことでしょう。
    それにしても自分の年齢の半分ほどの子たちにこのような心配を持たせてしまうとは……情けなさに思わず肩が落ちてしまいます。


    「ああっ、そんなに落ち込まないで。私たちが勝手に心配したことなんだから。ほら、そろそろ信号変わるよ」


    渋谷さんはそう言って励ますように肩を撫でてくれました。
    想えばこのように励ましてくれたり、プライベートのことを心配してもらえるのは、良き信頼関係を築けているからかもしれません。
    落ち込むことばかりではないのでしょう。


    「……まあそんなわけで、私たちはプロデューサーが変な女に引っかからないか心配なの。プロデューサーって大手346の出世コースで収入も良く出費もあまりしない三十歳前後の高身長イケメン、ていう悪い女がこれでもかってぐらい寄ってくる要素の塊なんだから」

    「イケメンではなく強面、警察のお世話によくなる、身長は高すぎて幅もある……ではないでしょうか」

    「何もしてないプロデューサーを疑う警察が悪いし、女より痩せてそうな男なんてタイプじゃないし……あと私、プロデューサーの顔は良いと思う」


    お世辞だと分かっていても、人気アイドルにここまで褒められて悪い気はしない。
    頬が赤くなっていないかと心配に思いながら、右折のタイミングを見計らう。


    「……だからプロデューサー。もし誰かと付き合いそうになったら、一言私に言ってくれない? 同性だからわかることってあると思うから」


    右折の最中であったため渋谷さんの表情をうかがうことはできませんでした。
    しかしその言葉が私の身を案じてのことなのはわかります。
    そうすることで渋谷さんが安心してくれるのならと思い、私はその提案を了承しました。


    ――三日後に、彼女の前で身をすくませながら一言どころか延々と説明する羽目になるとは夢にも思わず。

    5 = 1 :

    ②中庭でプロデューサーさんが思いつめた顔をしていて……




    缶コーヒーが手のひらを暖める感触が心地いい。
    缶コーヒーから少しずつ熱が奪われていくのが名残惜しい。

    中庭のベンチに腰掛け、落ち葉が木枯らしに翻弄される姿をぼんやりと眺める。

    多少余裕はあるものの、今日中に終えなければいけない仕事はまだまだあります。
    ですがどうしても昨日の渋谷さんとの会話が脳裏をよぎり、それを整理しようと空調の効いた部屋を抜け出してきたものの考えがなかなかまとまりません。


    「ちょっと。ボーッとしちゃってどうしたの?」


    後ろから声と共に両肩に手が置かれます。
    振り返り見上げると、そこには勝ち気な笑みをした城ヶ崎さんの姿がありました。

    彼女にはこの笑みが似合う。

    自分に絶対的な自信があり、しかし慢心せず。日々精進するだけでは飽き足らず周りにも目を配り、仲間と共に駆け上がる。
    集団の中心であることを天から約束されたかのような笑み。
    たとえ挫折してもそれすらも糧にして立ち上がり、最後には必ず勝利が約束されている。


    「だーかーら、どうしたって訊いてるでしょコラ★」


    見惚れていると体を前後にゆさぶられてしまい、半分ほどになっていた缶コーヒーを念のため横に置きます。
    ふと、昨日の渋谷さんの言葉を思い出します。
    私などと城ヶ崎さんが付き合っているのではないかと勘繰っている人が、何人かいると。

    思えば城ヶ崎さんが異性と気軽にお話する姿はよく見受けられますが、今のように体に触れてじゃれ合う姿を見たことは一度もありません。
    私、以外には――


    「で、何をまた一人で思い悩んでいたの? アタシが見たところCPの娘たちは皆元気そうだけど」


    隣に腰掛け、顔を間近にもってこられて年甲斐もなく焦ってしまいます。
    目線をそらしつつ、まさか今考えていたことを言うわけにもいかず、咄嗟に別の――しかし考え事の一つであったことを述べることとしました。


    「実は、城ヶ崎さんの担当をしていた頃のことを思い返していました」

    「ふぇっ!? アタシの!?」

    「はい……車の中での貴女の問いかけについてです」

    「車の中って……あっ。そ、そんなことしみじみと思い返してんじゃないわよっ」





    城ヶ崎美嘉

    /nox/remoteimages/d8/0d/a5ca9cdd26a0d8597dcd50f4f7ab.jpeg

    6 = 1 :

    顔を赤くした城ヶ崎さんに、今度は肩を叩かれてしまいます。
    あの時の城ヶ崎さんは顔が青くなったかと思えば次は赤くなるなどして、思い出されて愉快なことではないと今さらながら気づきます。
    ですが、これで話が逸れ――


    「でも別に今思い悩むことじゃないし……けどアンタ嘘をついている様子じゃない……微妙に内容をずらしてる」


    ホッとしたのもつかの間。
    顎に手を当て、私の目を見つめながら城ヶ崎さんが考察を進めていく。


    「莉嘉……だったらアンタこんなに深刻な顔しないよね。重く受け止めざるをえない高校生以上……凛に似たようなこと訊かれた?」

    「……はい」


    これも女の勘と呼んでいいものか。
    違ったところで私という人間をここまで見抜いているのです。
    畏怖の念を覚えて素直に降伏することとしました。


    「私が不甲斐ないせいで、問題のある女性となし崩しで交際するのではと貴女や渋谷さんに心配をかけてしまっています」

    「そういった理由もあるけど、本当の理由は別にあるんだけどなー」


    別の理由とは何か。
    気にはなりましたが答えるつもりはないのでしょう。
    城ヶ崎さんは顔を横にそらしてしまいました。


    「ですが安心してください。もし私が誰かと付き合おうとする前には渋谷さんに一言報告するように約束したので、問題のある女性と交際することはありません」


    それは担当ではなくなった後でも、何かと気をかけてくださる城ヶ崎さんに安心してもらおうとした言葉でした。
    それなのに、なぜか城ヶ崎さんは魔法で石にでもなったかのように急に動きを止めてしまいます。


    「城ヶ崎さん?」

    「……ふーん、そうなんだ。そんな大切なプライベートな件を、担当しているアイドルに任せてるんだ。アタシの頃もそれぐらい頼ってくれてよかったんだけどね」


    ようやく振り返ってくれたその顔は、心なしか頬が引きつっているように見られます。


    「ただ、凛だけに任せるのはちょっと心配かな」

    「と、言いますと」

    「凛ってさ、口にはしないだろうけどかなりアンタを信頼して慕ってるんだよ。アンタが変な女に騙されないか心配するぐらいにはね」


    アタシも、凛ほどじゃないけどねと膝に置いていた手の甲を軽くつねられました。
    痛みはまるでなく、控えめに服の裾を指でつままれたかのような感慨が催す。

    7 = 1 :

    「だから他の女にアンタを取られそうになったら内心面白くないだろうし、悪気無しに採点が厳しくなってほとんどの相手は却下されるんじゃないかな」

    「そのようなことが……」

    「よく遊んでくれた近所のお兄さんに彼女ができて面白くない……って感じかな?」


    渋谷さんがそこまで慕ってくれているという実感は正直ありません。
    しかし私の交際相手に問題が無いか気にされていたことを考えると、有り得ない話ではないのでしょう。


    「ま、まあそんなわけだからさ!」


    城ヶ崎さんの指が私の手をつねるのを止め、空中でピアノを叩くように踊ったかと思うと、ぎこちなく私の手に重ねました。


    「あまり凛一人の判断に委ねるのは危ういと思うから、念のため私にも一言あると嬉しいな★」

    「……わかりました。その時には城ヶ崎さんにも相談させていただきます」


    それで城ヶ崎さんが安心してくださるのなら。

    重ねられた手が強張るのが伝わってくる。
    重要な話は終わったはずなのに何があったのか。
    よく見ると彼女の視線は泳ぎ、外気にさらされ乾いてしまった唇を潤している。


    「ああ、あとさ! 私たちが心配している理由はアンタが押しに弱いから……自分からグイグイ行く肉食系だったらこういった心配しないんだよ。前に聞いた大学の話でも相手にいいようにされたみたいだし」

    「申し訳ありません……」

    「というわけで、アンタは自分から女の子にアプローチすることに慣れる必要あり★」


    片手は私の手と重ねたままで、身を乗り出してもう片方の手を私につきつける。
    その顔は笑ってはいましたが、初ライブ直前の時のように緊張であがっているように見えます。


    「確かに……前々からそういった経験が必要ではないかとは思っていましたが」

    「ま、まあアンタこういうのに慣れてないからね。そんなに親しくない人や、通りがかりの人にナンパするっていうのはハードルが高すぎるよね!?」

    「は、はい」

    「だからえっと……こ、これから三日以内にアタシをデートに誘うこと!」

    「城ヶ崎さんを……デートに、ですか?」


    考えもしなかった提案に思わず目を見開く。
    言いたかったことを言い終えたからでしょう。
    城ヶ崎さんかの表情に余裕がいくぶんか戻り、しかしやや早めの口調で説明してくれます。


    「ほら、私とアンタの仲じゃない。他の娘たちと比べてグンと誘いやすくて練習にいいでしょ? それに私もアイドルになってから一度もデートしてなくて、たまにはしたいなって思っててさ。Win-Winの関係ってやつ★」

    「それは、そうなのかもしれませんが……」


    プロデューサーである私がアイドルをデートに誘うという最大のハードルが無視されています。
    しかしそれを告げようとすると何故か、重ねられ、そしていつの間にか絡められていた彼女の手が押しとどめるような錯覚に襲われるのです。


    「もちろん練習だからデートの内容が不合格だった場合は再試験ってことで、気合い入れるように!」

    「じょ、城ヶ崎さん!?」


    城ヶ崎さんはそう言うと勢いよくベンチから立ち上が――――ろうとして、私と指が絡まったままなので後ろに引っ張られ、ベンチに戻ってしまいました。

    8 = 1 :

    「え? ええ~?」

    「城ヶ崎さん、お怪我は?」

    「いや、別に痛くないんだけど……え、なんで!? なんで指がとれないの!?」


    どうやら緊張がほぐれていたのは表情だけだったようで、指は私の手に絡められた状態で固まっていたのです。


    「うっそ……恥ずぃ」

    「……レッスンの疲れでしょうか。指先がキレイに伸びきった姿は魅力的ですからね」

    「……ッ!? そ、そうだったそうだった! トレーナーさんによくほぐすように言われてちゃんとしていたつもりだったんだけど、足りなかったみたい★」


    恋愛経験が豊富であるように見せている彼女の面子を守ろうと、とっさに思いついた言葉でしたが受け入れてくれたようです。
    城ヶ崎さんだけではなく私も安心しつつ、小指から順に、間違っても傷つけないようにそっとほどいていき――


    「ちょ、ちょっと待った!」

    「はい?」


    薬指にさしかかった時でした。
    平静を取り戻したと思っていた城ヶ崎さんが、今日――いえ、今まで見た中で一番顔を赤くして硬直しています。
    その瞳は潤み、夢うつつの中にあるかのようでした。


    「それ……左手……」

    「え、ええ。左手ですね」

    「ゆっくり……優しくしてね」


    今にも消え入りそうな儚げで城ヶ崎さんらしからぬ声が気にはなりましたが、このままというわけにもいきません。
    許可も下りたので、小指の時よりもさらに慎重にとりかかります。

    細長く形を整えられた水色の爪をまかり間違っても傷つかないようによけつつ、節くれだった無骨な私の手が触れていいものかとためらってしまうガラス細工のような指をそっとつまみます。
    柔らかな指はしっとりと、そして外気のせいでヒンヤリとしていて、暖めてあげなければという思いからつい握り締めたくなります。

    薬指をほどき、そして最後の親指が終わるまで、城ヶ崎さんは一言も発しませんでした。
    私も指をほどくのに集中していて、城ヶ崎さんの様子はうかがえません。

    ただ、絡まった指を覗き込むために前かがみになった私の首筋に当たる吐息から、城ヶ崎さんの呼吸がどういうわけか不規則なように思えました。


    「これで終わりです。痛くなかったでしょうか?」

    「……大丈夫。優しくしてくれたから」


    城ヶ崎さんはまだ夢うつつの中にあるのか。
    私から目をそらしながら今にもよろけそうな具合で立ち上がる。

    様子のおかしさから送って行かなければと私も立ち上がりかけた矢先のこと。
    それを制止するかのようなタイミングで彼女は数歩先で立ち止まり、ゆっくりと振り返る。


    「デートのお誘い……楽しみにしてるから」

    「……ッ!?」


    それは、初めて聞く声音でした。

    細められた流し目、内に込められた想いが漏れ出ているかのような白い吐息、紅潮した頬。
    それらと相まって、抑揚をおさえようとして、しかしわずかに抑えきれていない音色は、まるで女の情念が込められているかのような錯覚を起こします。

    私が返事をすることができないまま硬直し、落ち葉を踏みしめて去っていくその姿をただただ見送ることしかできませんでした――

    9 = 1 :

    ③楓さんに気づかれました。楓さんはごまかせません



    どれだけ考えごとが多く頭を悩ませていても、もはや日常と化している事務処理は滞りなく進めることができました。
    閃きが必要となる案件が無かったことに一安心しつつ、明日も今日のようにうまくいくかわからないことに目まいを覚えます。

    帰宅の手続きを終え、今の時間ならスーパーの惣菜が売り切れず、なおかつ値引きもされているだろうと廊下を歩いていますと――


    「はあ……」


    物憂げな表情で高垣さんがため息をついていました。


    「高垣さん、どうされましたか?」

    「あ……プロデューサーさん。実は悩みがありまして」

    「悩み、ですか。私でよければお聞きしますが」


    幸い今日は早く仕事が終わりました。
    高垣さんの悩むを聞く時間は十分にあります。


    「……いいのですか?」

    「当然です。私に話すことで悩みが解決されるとまではいかずとも、その糸口となれれば幸いです」

    「実は――」


    よほど抱えている悩みが重いのか、あるいは人には話しづらいのか。
    高垣さんは迷いはしたものの決心されたようで、その桜色の唇をそっと開きました。


    「私が以前お世話になった人が悩みを抱えているようなんですけど、私を頼ってくれないんです」


    ……ポップだけではなく演歌も歌えるその舌は、驚くほど鋭く私の痛い所を貫きました。


    「その人が私の悩みを解決できたら幸せなように、私もその人の悩みを解決をできたら幸せなのに……水臭いと思いませんか?」

    「そ、そうかもしれませんね……」


    自分でも不自然だとわかるほどに勝手に目が泳いでしまいます。
    これまでの経験上、この人が本気で怒ってしまったら誰も勝てません。

    いえ、勝てないという表現は正しくないのかもしれません。
    穏やかな彼女を怒らせてしまったことによる自責の念で、争おうという気概を根こそぎもっていかれるのです。
    本気の彼女に立ち向かうには、それこそ人生を賭けるほどの決意が不可欠であり、痛い所を突かれた私にそんなものがあるわけがありません。

    とはいえ、高垣さんがどこまで知っているのかわかりませんが、昨日今日のことをそう簡単に話すわけにもいかないのですが……


    「むー。プロデューサーさんのお口は、いつも以上に固いみたいですね」


    子どものように頬を膨らませるその姿は、彼女の怒りがまだ深刻ではない証左のようであり、かすかな希望を見いだせました。

    次の瞬間、両側から希望をもぎ取られましたが。


    「それじゃあビールかけしよう! ビールを飲めば悩みなんか半分吹き飛ぶ! キャッツが勝てばもう半分も吹き飛ぶから!」

    「居酒屋に連行ね。貴方には黙秘権も弁護士も呼ぶ権利はありません、なんちゃって♪」

    「姫川さん!? それに片桐さんまで……」


    いつの間に近づいていたのか、二人に両腕を拘束されてしまいます。
    あらかじめ申し合わせていたのでしょう。


    「申し合わせて、もう幸せ♪ さあプロデューサーさん、貴方のお口が緩くなるまでとことんお酒に付き合ってもらいますからね」



    高垣楓

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    10 = 1 :

    ※ ※ ※



    プロデューサーがアイドルとお酒を飲むことは、あまり褒められたことではありません。
    今回は二人っきりというわけではないので高垣さんも考えられての事なのでしょうが、よりによって呼ばれたのがこの二人では……その、なんと言いますか。


    「吐けー、吐けー! 田舎のおっかさんがカツ丼をおまえに食べさせたがって泣いてるんだぞー!」

    「あんまり強情だと他所から選手とってきた時、プロテクトかけてやんないぞー!」

    「ウフフ」


    六人用の掘りごたつの個室で、左右に姫川さんと片桐さん、そして正面に高垣さんというまさかの布陣を敷かれることから宴は始まりました。
    奥と手前に二人ずつが普通ではないですかと抵抗しましたが、酔っぱらうから大丈夫だよというまだ一滴も飲んでいないのに酔っぱらった回答で封殺されたのです。
    グラスが半分を切ると左右正面から次々と注がれ、もはや自分がどれだけ飲んだのかわからない状態となりました。

    いっそのこともう白状してしまうかという考えが何度も浮かびました。
    しかし情けない話をして私が恥をかくのはいいのですが、問題は渋谷さんと城ヶ崎さんのプライベートにも関わることです。

    昨日の話を聞いた城ヶ崎さんは、渋谷さんは私が他の女性にかかりつけになることを嫌っていると推測しました。
    それが本当かどうかは別として、昨日の話を三人にもすれば似たような結論を出すかもしれません。
    それは渋谷さんにとってあまり愉快な話ではないでしょう。

    今日城ヶ崎さんとの間であった話はなおさらです。
    プロデューサーである私がアイドル、それも女子高生をデートに誘うことになったなど、口が裂けても言えません。
    その部分をぼかして伝える手もありますが、昨日今日と女性の勘の怖さをまざまざと見せられた私にとってその選択肢は、全て打ち明けるのと同義です。

    何としてもここは持ちこたえなければ。


    「プロデューサーさん……」

    「な、なんでしょうか」

    「お?」

    「楓ちゃん?」


    ニコニコと、これまでの経緯さえ無視すれば見るだけで癒される笑顔でお酒を飲み進めていた楓さんが、神妙な顔つきで私を見つめます。
    場の空気が途端に変わり、隣の部屋の喧騒でさえもどこか遠くの世界のようでした。


    「話してはくれないんですか?」

    「は、はい」

    「でも悩んでいますよね」

    「そ、それはそうですが……ッ!?」

    「悩んでいるのに……私に、相談してくれないんですね」


    夜露に濡れた朝顔の雫のように、彼女の頬を涙がつたった。


    「た、高垣さん……?」

    「ごめんなさい……迷惑だったですね。私、まだ人付き合いが苦手なままで、どうすればプロデューサーの力になれるかわからなくて。お酒の力を頼ってみたんですけど……どうしたところで、私なんかじゃ」


    泣き崩れるでも、泣きじゃくるでもなく。
    ただ淡々と、静かに自分の力の無さを受け入れて己のみを責める涙を見せられて、もはや私に選択肢などありません。


    「そんなことはありません! おこがましいとは思いますが、貴女のような光り輝く逸材を担当できたことは私にとって誇りであり、人柄も能力も信頼しています。貴女にこうやって気にかけてもらえるのは何よりの幸せです。今抱えている問題は私自身整理しきれていないものだったのでためらいましたが、今決心がつきました。話させていただきます」

    「……本当に?」

    「ええ!」

    「じゃあすみからすみまでぜ~んぶ話してくださいね♪」

    「はい! ……はい?」

    11 = 1 :

    罪悪感と決心がどこかに立ち消える。
    目の前に先ほどまでいたのは嘆き悲しむローレライであったはずなのに、今は陽気に笑う酒の使徒だ。


    「いやー、今のは会心の涙だったね。よっ! 月9の女王!」

    「もう女優だけでも食っていけるんじゃないの。アイドルのままじゃ結婚できないし、転向本気で考えといたら?」

    「そうですねー。良い人がいればそれもいいですね。チラ、チラ」


    天を仰ぐ。
    天井が近くなったり遠くなったりして見える。

    女の勘は怖い。
    女の涙だって、同じぐらい怖い。


    「なるほど……なんとなく事情は察していましたが、ここまでのことになっていたんですね」


    酒で肉体をやられ、精神は高垣さんの涙で根こそぎもっていかれ。
    気がつけばどうやら昨日今日のことを洗いざらい打ち明けていたようです。


    「プロデューサー君。分かってはいると思うけど、二人とも十八歳未満よ。そりゃあ美嘉ちゃんはギリ結婚できる年齢だし、凛ちゃんだって結婚を前提にしてご両親に挨拶すればギリ大丈夫だけど、それは法律や条例での話であって、社会常識と照らし合わせればアウトなのよ」


    私はいったいどんな打ち明け方をしたのでしょうか。
    片桐さんは怒っているというより、本気で私の身を心配して語りかけてくれている。

    と、そこで。


    「まあーまあー、いいじゃない早苗さん。今は清い関係みたいなんだから」


    姫川さんがまだまだ続きそうな片桐さんの言葉を遮ったかと思うと、両肩を意外なほど強く握ってきて真正面から向かい合う形に私を変えた。


    「いいプロデューサー? ギリギリストライク、ギリギリボールって球じゃ見逃しは狙えても空振りは狙えないよ」

    「つ、つまりなんでしょうか?」


    私の頭が酔いで理解できないのか、それとも姫川さんも酔ってまともに説明できていないのか、その両方なのか。
    話の流れがまるで読めません。


    「だーかーら! 女子高生なんてギリギリ許されるかもしれないコーナーのすみを突くんじゃなくて、キャッチャーの手前でバウンドするフォークで空振り三振狙おうよ! 女子中学生いこう女子中学生!」


    ……どうやら、今日の姫川さんはもうダメなようです。
    三人でそっと目を見合わせます。


    「一人オススメな娘がいてね。14歳で142センチで世界で一番カワイイタタタタタタッ」

    「青少年保護育成条例違反教唆の疑いで現行犯逮捕します」

    「何かおかしい! 教唆された側が犯行に及んでいないのに教唆で逮捕されるなんてよくわかんないけどおかしい!」

    「だまらっしゃい! こういったバカ真面目な好青年は一歩踏み外せばすごい勢いで落ちていくもんなんだからね!」

    「純愛だから! 初恋を叶えであげだいだけだから!」

    12 = 1 :

    お二人が一緒に来てくれたおかげで重い話にならずに済んだと考えるべきか、それともまともに相談できないと嘆くべきか。


    「しかしプロデューサー。私は凛ちゃんと美嘉ちゃんの懸念は一理あると思います」

    「高垣さんもそう思われるのですか……っと、すみません」


    向けられた徳利にお猪口を差し出す。


    「はい。だから付き合う前に信頼できる周りの人に相談するのも、女性へのアプローチに慣れるためにデートに誘う練習をするのもいいことだと思います」


    ずっとこれでいいものかと悩んでいたのが、高垣さんに肯定されるや否やかき消えてしまいました。
    自然とお猪口を口に運び、熱い液体が喉を通って体を芯から暖める。
    今日一番酒が美味いと思える瞬間でした。


    「ですが……ちょっと心配なことが」

    「何でしょうか?」

    「美嘉ちゃんは凛ちゃんのことを、プロデューサーのことを慕うあまり付き合う相手への採点が厳しくなりかねないと言ったそうですね。けど美嘉ちゃんだって凛ちゃんに負けていませんよ」

    「城ヶ崎さんが?」

    「あら、そんなに意外な顔しちゃかわいそうですよ」


    そう言われても、そもそも渋谷さんがそこまで私を慕ってくれているということ自体納得しきれていないのです。
    それなのに城ヶ崎さんまで同じぐらい私を慕っていると聞かされても、狐につままれたかのような気分でした。


    「だからデートの内容の採点だってわざと厳しくして、合格点が出るまでと言ってずっとプロデューサーとのデートを楽しもうと考えているかもしれません」

    「……私とのデートなど退屈だと思うのですが」

    「むう。私の言うことを信じてくれないんですね」


    お酒がまわり始め赤く染まった頬を愛らしく膨らませる姿に、思わず笑いがこぼれてしまう。
    私が笑うのを見てますます高垣さんの頬が膨らみ続け、やがて限界が来て「ぷふー」と割れてしまった。
    お互いクスクスと笑ってしまいます。

    13 = 1 :

    ――

    ――――

    ――――――――



    「じゃあこうしましょう。美嘉ちゃんとのデートが不合格になるたびに、私と反省会をするんです」


    そろそろお開きとなり、もみ合った体制のまま寝息を立てる姫川さんと片桐さん(叫び足りないから酒浸りなんだ……フフ)のためにタクシーを頼んで戻ると、高垣さんが唐突にそう述べました。


    「反省会……ですか?」

    「はい。今日のように集まって、プロデューサーが合格点をもらえるように皆でアドバイスするんです。それにデートの後のたびにお話を聞くことができれば、美嘉ちゃんがわざと不合格にしているかどうか判断しやすいですし、それに――」


    最後の一献を飲み終え、にっこりと、しかし有無を言わさぬ力が言の葉に込められていました。


    「――これも女性へのアプローチに慣れる練習です。私を恋人のように想いながらお酒に誘ってください」

    14 = 1 :

    今回は本当に話が長いうえに完結まで時間もかかるので、話がどこまで進んだのかわかるように一段落つくごとに目次を挟みます
    読むのを再開する時などに利用してください



    プロローグ 凛

    一日目 美嘉 楓

    二日目 ??? ??? ??? ???

    三日目 ??? ??? ??? ???

    エピローグ 凛


    キュート  ??? ??? ??? ???

    クール  凛 楓 ??? ???

    パッション  美嘉 ??? ???

    15 = 1 :

    今日はここまで
    いつもは書き終わってから投稿するのですが、あまりの話の長さにちょっとモチベが下がり気味なので追い込みをかけようと投稿しました
    今は二日目が終わったところまで書き終わっています
    これから毎週土曜に、一人か二人ずつのペースで投稿していく予定なのでよろしくお願いします

    16 :

    とり乙

    17 :

    おつ
    はよ続きはよ

    18 :

    あなたの書く武内pもの大好きです
    応援してます

    20 :

    何故かは分からないけど、スレタイだけであなたのssだと分かってしまった。
    これからも楽しみにしてます

    22 :


    Cu枠1つはへそ下さんかな(遠い目)

    23 :

    心の読めるエスパーアイドルだらけですね…

    24 :

    最高やん、もっと長くなれよ!!

    25 :

    ごめん、3日しかないのかよと素で思った。
    冗長なだけの長さは苦痛でしかないが、このssならご褒美にしかならねえ

    26 :

    周りのアイドルが皆怖いww
    特に楓さん

    28 :

    もうなんか既にお腹いっぱい感がww
    でも続き楽しみにしちゃう

    29 :

    気づけ武P!このままじゃおま

    31 :

    この人のほかのSS教えておくれ

    32 :

    乙乙
    期待期待

    既に女性に疎い所につけこまれてるんだよなぁ…
    こういうケースで必要なのは同期のまゆP

    34 :

    >>33
    さんくす

    35 :

    周りの肉食系アイドル?に狙われる武内P
    既成事実作ろうと企んでるのか

    36 :

    やっぱ武内Pは振り回されてる姿が最高だわ

    37 :

    幸子カワイイ

    39 :

    丸数字は卯月あたりの視点ぽいな

    42 :

    面白い
    続きはよはよ

    43 :

    ④あの子ちゃん、ちょっと耳寄りな情報があるんです



    昨夜はあれから姫川さんと片桐さんを家に送るのを高垣さんに任せ、タクシーに三人が乗るのを見送った後に終電少し前の電車で帰宅しました。

    今朝は少しばかり頭痛を覚えますが、出勤する足どりに問題はありません。
    むしろ人に悩みを話す事で気が幾分か軽くなり、昨日より調子がいいぐらいです。

    ……城ヶ崎さんとデートの練習をするたびに高垣さんとお酒を飲むことになりましたが、悩みを溜めやすい私にはいいことかもしれません。
    問題はスキャンダルだと勘繰られることなので、他にお酒が飲める人も誘うとしても、あまり回数が増えると疑われかねないことですか。

    そういった意味では悩みの種は増えたともいえます。
    ですが高垣さんが懸念したような、城ヶ崎さんが私と何度もデートしたいがあまりわざと不合格にするというのは正直考えにくいので、デートに誘うのも飲みに誘うのも多くて三回ほどで終わるでしょう。

    などと大股で歩きつつ考えていると、よく見慣れた少女に追いついていました。


    「おはようございます、白坂さん」

    「あ、プロデューサーさん……おは――」


    白坂さんは挨拶の途中で言葉を切ると、私を見るために上げていた顔をさらに上げ、指先をだらんと力を抜いた姿勢で天を仰ぎました。
    これは……もしかすると、アレでしょうか。


    「あ…………アァ」


    震えながら喉をかきむしるように両手をあて、ゆっくりと廊下に膝を着く。
    やはりアレでした。

    わずかばかり感じる羞恥心を咳払いをして追い払い、私もまた膝を着き、前のめりに倒れようとする白坂さんの肩を支えます。


    「し、白坂さん!? 白坂さんしっかりしてください!」

    「だ、ダメ……逃げて、プロデューサーさん」

    「何を言うんですか!? 今すぐ、医務室にお連れします!」

    「このままじゃ……プロデューサーさんも……わ、私が……ッ」


    震わせていた体をひときわ強く痙攣させ目を見開いたかと思うと、ゆったりと私の首に両手を伸ばします。


    「アー……アア」


    はい、ゾンビごっこです。
    彼女の担当であった頃、時々こういったホラー映画のワンシーンを再現していました。
    誕生日のお願いでホッケーマスクとチェーンソーを身に着けたところに輿水さんがやってきて、日野さんに負けず劣らぬ声量を発揮して卒倒したという事件もあったものです。


    「おいし……そう」


    そう呟くいて、白坂さんの口が私の首元に近づきます。
    今回のパターンだと、白坂さんが噛みついたフリをして私が驚き、そして苦しみながら私も感染してゾンビになる展開でしょう。


    ――チュ、チュウウウ、チュパッ――


    「……ッ!!?」





    白坂小梅

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    44 = 1 :

    何が起きているのかわかりません。
    白坂さんが私の首に顔を近づけるところまでは予定通りでした。
    しかし噛んだフリをするはずなのに、なんでしょうこの鼓膜に響いて身を震わせてしまう蠱惑的な音色と、頸動脈付近からかけめぐるひんやりとした熱という矛盾した存在は。

    いえ、似たものに覚えはあります。
    もう何年も前――大学生であった頃に。

    しかしそれは今ここで、白坂さん相手に起きるはずがありません。
    それなのに、私がこうして理解できず受け入れられないままなのを他所に、事態は進行し続けます。


    「ちゅ……チュウウウッ……ハァ……ハァ……プロデューサーさんの汗の味、おいしいんだね」

    「し、白坂さん……いったい、何を?」


    ようやく私は情けないかすれ声で尋ねることができました。
    首に手を当てると、湿った感触があります。

    白坂さんはクスクスと笑うと、私の首に両手を回したまま鼻と鼻がくっつきそうになるほど顔を近づけ、無垢な瞳で私を見つめる。


    「エヘヘ……プロデューサーさん、私に感染しちゃったね」


    そう言うと今度は鼻先に唇を近づけようとするのを、慌てて制止します。
    白坂さんは少し気を損ねた顔をしましたが、すぐに笑顔に戻ります。

    ――その笑顔は、幼いが故に禁忌を知らず、ためらわずに踏み込む危うい魅力が含まれていました。


    「あの子から……話は聞いたよ。皆、考えすぎ」


    話というのはやはり、私が問題のある女性に押し切られて交際するのではと心配されていることと、女性へのアプローチに慣れる必要があるということについてでしょう。


    「プロデューサーさんは今の調子で、一生懸命仕事に打ち込んでいれば…大丈夫。プロデューサーさんの…そんな姿に惹かれた女性と、三年後に結ばれて……幸せになれるから、ね」

    「そう思っていただけますか。しかし……」


    初めて周りの懸念について考えすぎと言われ少し安心できましたが、三年という具体的な数字は何でしょうか?

    尋ねてみると白坂さんは心底不思議そうに、そして愛らしく首をかしげて見せます。


    「だって……私、まだ十三歳だから……プロデューサーさんと結婚するには、どうしてもあと三年は待たないと……」

    「し、白坂さん……?」


    気負いもなく、てらいもなく。
    当り前のように約束された未来を語る白坂さんに気圧され後ずさろうとするものの、未だに首はつかまれたままで、何より先ほどから両肩が“なぜか”ヒンヤリとして重い。


    「私に感染した証……消えそうになったらまたつけるから……他の人に言い寄られたら、それを見せてね」


    これで変な女なんか私のプロデューサーさんに近寄れないからと囁かれ、窓ガラスを見れば首に痕が見えました。
    キスマーク、でしょう。

    まだ十三歳……そう思っていた少女の行動に愕然とします。

    45 = 1 :

    「……白坂さん」

    「なあに?」


    情けないことに、私はどう対応すればいいのかまるで見当がついていません。
    私に親愛と信頼のみを、多大に向けてくる少女をどのように諭せばいいのでしょうか。

    考えがまとまらないまま、今私が思っていることを傷つけないように気をつけながら話し始めます。


    「白坂さんが私を慕っていただけることは、たいへん嬉しく思っています」

    「相思相愛……だね」

    「……確かに私たちの間に信頼関係はあると思います。ですが、それに男女の恋愛感情が含まれているかといえば、違うのでしょう」

    「……ふーん」


    白坂さんから笑みが消え、目が細まります。
    それは少女ではなく、女の顔ではないかと錯覚しそうになるものでした。


    「プロデューサーさんは……こう言いたいんだね。私がまだ子どもで、親愛と愛情を取り違えている。成長して視野が広がれば自然とそれがわかって……私の初恋は、思い出に変わるんだって」

    「……はい」


    私自身まとまっていない考えを、白坂さんがうまく言語化してくれました。
    ……もしかすると、彼女もまた自分の感情を整理する機会があって、今のように疑ったことがあるのかもしれません。

    そこまで考えが及ぶ白坂さんを完全に子ども扱いしていいものかという考えが浮かんだものの、それは今は置いておかなければ。


    「ですから私は、貴女とそのような約束は――」

    「プロデューサーさんは……私と結婚するのが嫌なの?」


    私の言葉を白坂さんの言葉が遮りました。
    決して大きくはない声を、一度うつむきかけて――すぐに私に視線を戻しながら。

    それは、本気の声でした。
    子どもであっても本気であることには変わりません。
    アイドルとプロデューサーですから、という立場で納得させるのではなく、必要なのは私の本音でしょう。


    「……嫌なわけがありません。ですが白坂さん。結婚できる年齢に制限があるのは、正常な判断を……後悔しない決断をできるようになってから、大切なことができるようにするためでもあるんです」

    「じゃあ三年後……私の気持ちが変わってなかったら結婚してくれる?」


    安請け合いをするには、白坂さんの眼はあまりに幼さがありませんでした。
    三年後もまだこのままではないか、という懸念がよぎります。


    「五年後……白坂さんがもし高校を卒業しても気持ちが変わらないのでしたら」


    どのみち私に好きな相手はいない。
    見つかるあてもない。
    埋まる予定の無い欄に、確実にキャンセルされるものを入れていても差し支えはありません。
    それで白坂さんが喜んでくれるのならばなおのこと。

    46 = 1 :

    「……本当に?」

    「ええ、本当です」

    「え、えへへ」


    穏やかに笑うその姿を見て、これでよかったという思いと同じぐらい早まったのではないかという気持ちも芽生えましたが……いくらなんでも五年も私を想い続けることは有り得ないので、これは杞憂に過ぎないでしょう。


    「あ……でも」

    「どうかしましたか?」

    「我慢できなくなったら……五年経ってなくても、いつでも私を呼んでいいから」


    少しでも早く結婚したいという考えなので――


    「未成熟な私も……成長した私も……全部全部、味わってほしいから」


    ――――――――――はい?


    「し、白坂さん?」


    一瞬、世界が真っ白に染まりました。

    真っ白となった世界に絵の具が少しずつこぼれ、真っ先に描かれたのは心配そうに私を見つめる小柄な少女――いい子なんです。誰が相手であってもこの子はいい子なんですと胸を張って言える子なんです。
    多少エキセントリックなところはありますが、周りの人を心配ができる優しさがあり、控えめではありますが自分の意志だってちゃんと伝えられるそんないい子なんです。

    だからこんなこと言うはずが――


    「プロデューサーさん……彼女がいなくて、たまってるでしょ? 私が発散してあげる、から」


    ……いつまでも子どもじゃないんですね。
    別に悪いことではありません。
    彼女の優しさや、控えめでありながら確固とした意志が損なわれたわけではないのですから。


    「プロデューサーさん? プロデューサーさん?」


    大人になって急に性の知識をつけるわけじゃないことぐらい、自分にあてはめればわかることでした。
    成長するに従って少しずつ身につけるのです。
    白坂さんは今、大人と子どもの中間にいるということでしょう。
    そしてその時分は、性の知識が偏りがちなものです。


    「あ……もう行かないと。じゃあね、プロデューサーさん」


    頬に柔らかな感触がします。
    サラサラとした髪も同時に触れて気持ちがいいです。
    きっと、海外のドラマのワンシーンを見て真似たのでしょう。
    真似から始めて、その後に本当の意味を知る。
    いいことではないですかははははははははははははは―――――――――はぁ。

    47 = 1 :

    Ⅴ:そこの酔っ払い。昨夜のことは貴女のところの小さいのに話したの?



    白坂さんとの衝撃の会話を終えて、どれほど呆然としたまま膝を着いていたのかわかりません。
    同期に肩を叩かれ気がつけば始業時間がもうすぐそこでした。

    同期は私の呆然とした姿とキスマークから何かを察したようで、痛ましい表情をしたものです。


    「すまん。助けてやりたいのはやまやまなんだが、俺も差し迫っててな。まゆがいつの間にか俺の両親と挨拶を済ませて――いや、聞かなかったことにしてくれ」


    お互いプロデューサーとして恥じない行動をとろうと言い残し立ち去る彼の背中は、戦いに勝てるから挑むのではなく、敗北必至であっても戦う理由があるから挑む手負いの戦士のそれでした。
    その姿を自分に重ねてしまうのはなぜでしょう。

    不吉な予感を振り払うように早足で職場に向かいます。
    しかしCPルームに入る直前になって、キスマークの存在を思い出しました。
    もう始業まで時間はありません。
    やむなく私は首に片手をあてたまま入室し、アイドルの皆さんと顔を合わせたのでした。

    私はクセでよく首に手を当てていますが、その場所は首の後ろであって首の横ではなく、常にその体勢なわけでもありません。
    最初の方こそアイドルの皆さんは少し不思議そうな顔をされるぐらいであったのが、私が終始手を当てたままなことに違和感を強めていきます。

    ――それとこれはきっと気のせいなのでしょうが、渋谷さんの視線が冷たいというか、重いような気もしました。

    いつ誰が私の首について言及してもおかしくない雰囲気となった頃に、皆さん移動の時間となり助かりましたがこのままではいけません。
    医務室で絆創膏かシップをもらって隠すことにしましょう。

    キスマークを手で覆ったまま医務室に向かっていますと、十字路から紺色のスカートがわずかにのぞいて見えました。


    「……これは?」


    見覚えのある色と布地に立ち止まりよくよく観察すると、影が中央に浮かび上がっていることに気がつけました。
    太陽の角度から推測するにその人物は小柄で、髪の一部が外にハネています。

    何となくではありますがこのまま進めむと起きることが予想できました。
    私は歩みを再開して十字路に近づきます。

    そしていざ十字路にさしかかる手前で足踏みをすると――


    「とおおおーっっってアレレ!!?」


    私の一歩先の空間めがけて輿水さんが飛び込みました。
    何かするつもりだろうとは思っていましたが、これは予想外です。
    このままでは輿水さんが顔ないしは胸から落ちると慌てて支えました。


    「ハァ……ハァ……こ、怖くなんかなかったですからね? なんせボクはカワイイうえにコワイイんですから!」

    「は、はい」

    「あ、ところでプロデューサーさん! なぜ途中で立ち止まったんですか!? ボクが隠れているって気づいたんですか?」

    「ええ。スカートの裾が見てまして」

    「はあ。まったく、本当にプロデューサーさんはボクがいないとダメなんですねえ」


    いったいどのような理由でダメだしをされるのか。
    輿水さんの輿水さんによる輿水さんのための理論は聞いていて微笑ましいものばかりで、担当であった頃は業務の忙しい日などに癒しとして重宝させてもらいました。
    傾聴するために父親が子どもにする飛行機ごっこのような体勢で支えていた輿水さんを、ゆっくりと廊下に降ろします。





    輿水幸子

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    48 = 1 :

    「あ、どうも。いいですか? このカワイイボクにいたずらされるというのは、とても幸せなことなんですよ。途中で気づいたのなら、むしろ喜んで受け止めるべきでしょう」


    その場合、私が輿水さんに抱きつかれることになったのですが。


    「輿水さん。貴女はアイドル、いえそれ以前に年頃の女の子なんです。みだりに男の人に抱きついたりなどしてはいけません」

    「フフーン。これはプロデューサーさんのためにしたことなんです」

    「私の?」


    これはまたどんな理論なのかと、腰をかがめて聞くこととしました。


    「プロデューサーさんが近頃、考えなくていいことを考えていると友紀さんからうかがいました。なんでも女性にアプローチすることに慣れようとしているとか」


    ……どうやら、姫川さん経由で私の事情を把握されているようです。
    ただ姫川さんはだいぶ酔っておられたので、どのような伝わり方をしているのか少しばかり不安を覚えます。


    「プロデューサーさんは仕事が第一だと考えているふしがあったので、結婚願望があると判明したのはいいことです。でも女性へのアプローチを学んだり、他の女性と親しくなろうとするのは努力の方向を間違っています」

    「正攻法だと思いますが……」

    「でもプロデューサーさんには当てはまりません。な・ぜ・な・ら!」


    胸に手を当て上体をそらし、誇らしげで、それでいて愛らしさも持つ“カワイイ”笑顔を咲かせた。


    「プロデューサーさんは元とはいえボクのプロデューサーさんなんですよ? 他の人たちと違って、世界一カワイイボクと毎日触れ合えるんです。世界一カワイイボクを見つめ、応援し、カワイがる。それ以上に女性に慣れることなんかこの世に存在しません」

    「なるほど……これは盲点でした」


    彼女の自信は希少だ。
    本当は決して気が強いほうではありませんが、それでも自分が“カワイイ”から決してくじけない。
    ともすれば傲慢へとつながり道を誤りかねませんが、本当は気が弱い彼女は悩みを抱える仲間に敏感で、これまた“カワイイ”から支えようとする。

    仲間を助け、その仲間から愛され支えられている以上、彼女が道を誤ることは決してありません。


    「ボクの担当を離れて一年経つとはいえ、こんな単純で明快なことを忘れるなんて本当にダメダメなんですから。それを体で思い出させようと考えて、不意を衝いて抱きついてあげようと――――なんですか、それ?」


    あの輿水さんの笑顔が凍りつきました。
    何事かと思えば、その視線は私の首――キスマークにあてられています。

    そうでした。
    輿水さんが怪我をしてはいけないと慌てて以降、キスマークを隠すことをすっかり忘れていました。


    「……違い、ますよね? それって、話に聞くキスマークというものなんかじゃ……ないですよね? ボクのプロデューサーさんに、ボクのものじゃない証があるなんて……何かの間違いですよね?」

    「こ、輿水さん?」


    その顔は驚きによるものか強張り、かろうじて笑顔の名残りがある。それなのに蒼ざめ、唇はわなわなと震え、キスマークに向けられた指は狙いが定まり切れていない。
    何より見ていて辛いのはその眼だ。
    あれほど自信に満ち溢れていたのに、今は世界中から見捨てられたように弱々しい光と化している。

    何が彼女をここまで動揺させているのか。
    彼女は私のことを呼ぶときはよく頭に「ボクの」とつけていました。
    こんな私を頼りにしてくれているとは思っていましたが、これはいくらなんでも予想外です。

    49 = 1 :

    「プロデューサーさん……」

    「……なんで、しょうか」

    「それ……よく見たいんです。すみませんが膝を着いてもらえますか」

    「はっ、はい」


    14歳とは思えぬ感情の起伏が無い平坦な声に空恐ろしさを覚え、言われるがままに膝を着きます。
    彼女は私の肩と首をつかみ、ゆっくりとキスマークを観察しようとのぞきこみ――


    「んちゅ…………んんっ」

    「!?」


    首に走るなめらかで暖かな感触。
    それが何であるのか、前の経験から間をおいてないため今度はすぐにわかりました。
    今朝の二の舞になってはならないと慌てて立ち上がります。

    しかし輿水さんはその細い腕で精いっぱい私をつかんでいたため、輿水さんの軽い体も浮き上がって着いてきてしまいました。
    それなのに輿水さんは、自分の体が浮き上がったことなどまったく気にすることなく、一心不乱に私に吸い付き続けるのです。

    絶えず奔るくすぐったさと否定しえない快楽。
    その二つを、自分にあそこまで自信を持つアイドルが、プロデューサーである私にここまで夢中になっているという背徳感が増幅させる。

    耐え切れず膝を着いたところで、ようやく輿水さんは私を解放してくれました。


    「ちゅっ……ちゅぱ……ふぅ。キスマークは……半分しか上塗りできていませんね。もう一度――」

    「ここ、輿水さん。落ち着かれてください」


    手を伸ばしてきた輿水さんから、膝を着いたままなのに転びそうになりながら距離を取ります。


    「……フフーン。まあこのボクにここまでしてもらうなんて、プロデューサーさんには少し刺激が強すぎたようですね」


    そんな私の姿が面白かったからか、あるいは彼女が気に入らなかったキスマークを半分でも消すことができたからか、いくぶんか機嫌を直されたようです。


    「現場に向かう時間ですし、今日はこのぐらいにしておいてあげます。鏡を見るたび、手で押さえるたびに、カワイイカワイイボクのことを思い出してください。そうすれば他の女性にアプローチしようだなんていう無駄な考えをしないですみますから」

    クルリと背を向けそう告げる彼女の横顔は、頬は淡く紅に染まり、唇に添えられた人差し指は綿密な計算結果で弾き出されたかのように魅せる最適な位置にあり、細められた濡れた瞳は長いまつ毛で飾られている。

    ――立ち去るその姿は、カワイイと表現するにはあまりにも妖艶でした。

    50 = 1 :

    今日はここまで
    三日目の二人目途中まで書いていて、書き溜めは順調です

    23日発売のPS4ホワイトを予約していて、据置型はPS2で止まっていた反動が出るかもしれないけど順調です
    今回のイベントでちゃんみおのちゃんみおっぱいがちゃんみおすぎて本気を出すかもしれないけど順調です

    また来週土曜に投稿します


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