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    元スレモバP「杏なんて大嫌いだ」

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    51 : 以下、名無しにか - 2013/02/04(月) 23:47:19.57 ID:4tY2ezP80 (+24,+29,-6)
    うわ、なんかクズが改心するフラグ立って萎えた
    52 : 以下、名無しにか - 2013/02/04(月) 23:48:22.94 ID:3TenA0cA0 (+93,+30,-57)
    「いや、もうライブ始まるぞ。どうした?」

    「えっと、いいから待ってて」

    どんな時でもノンビリしている杏が慌てている。
    これは何かある、もしかして最近の変な理由が分かるかも知れない。
    そう思って俺はドアを開けた。

    「ばっ、馬鹿!」

    俺は言葉を失くした。
    別にトラブった訳では無い。
    そんなに良いものではなかった。
    53 : 以下、名無しにか - 2013/02/04(月) 23:49:16.30 ID:3TenA0cA0 (+95,+30,-79)
    杏はステージ衣装を、覆い隠すように持っていた。
    しかし、杏の小さな体では隠しきれていなかった。

    衣装は、切り刻まれていた。

    一体どういう事だ。あまりに予想のしない事態に言葉が出ない。
    杏は、大きな瞳に涙を溜めている。

    「ごめんなさい」

    そう言って、溜めていた涙をこぼしはじめる。

    「いや、謝るな。…説明してくれないか」
    54 : 以下、名無しにか - 2013/02/04(月) 23:50:28.58 ID:3TenA0cA0 (+95,+30,-77)
    杏は泣きながら、俺に話す。

    事の始まりは、二ヶ月程前らしい。
    杏はその頃から、人気が出始めていた。
    家に帰ると、白紙の手紙がポストに入っていた。
    それが始まりだった。
    そのうち白紙の手紙には、杏を傷付ける文字が入った。
    手紙は電話に変わり、段々と色々な嫌がらせを受けるようになったらしい。

    そして、今日は衣装を切り刻まれた。
    55 : 以下、名無しにか - 2013/02/04(月) 23:51:24.41 ID:3TenA0cA0 (+95,+30,-73)
    「相手は分かるか?」

    「多分」

    「誰だよ?」

    「サイン会によく来るファンの人だと思う。一度だけかかってきた電話の声が一緒だったと思う」

    「何か恨まれる事をしたのか?」

    「わかんない」

    そう言って杏はメソメソと俯いてしまう。
    二ヶ月の間、嫌がらせを受けているのか。
    最近になるまで、全然気づかなかった。
    56 : 以下、名無しにか - 2013/02/04(月) 23:52:15.70 ID:3TenA0cA0 (+95,+30,-65)
    俺は唇を噛みしめる。

    「何で黙っていた?」

    声が震えてしまう。
    杏は消えそうなほど小さな声で「心配をかけたくなかった」と言う。

    「何でだよ?俺が信用できないか」

    「違うよぅ、だってプロデューサー仕事がいっぱいで大変そうだったから」

    俺は、杏は自分が思うように生きていると思っていた、けれどそうではないようだ。
    57 : 以下、名無しにか - 2013/02/04(月) 23:52:28.91 ID:eFL1AKBA0 (-24,-9,+0)
    支援
    58 : 以下、名無しにか - 2013/02/04(月) 23:53:09.47 ID:3TenA0cA0 (+95,+30,-98)
    俺なんかが思っていたよりも、杏は優しい子なのかもしれない。

    でも、やはり俺は杏が嫌いだ。

    俺は杏の肩を掴んで怒鳴る。

    「ふざけんな、ちゃんと言えよ!」

    杏はそれでも「でも」だなんて泣きながら反論する。

    「でもじゃねえよ!確かに俺は疲れてるよ、大嫌いなアイドルのプロデューサーなんかさせられてよ」

    感情が昂ぶって、余計な事まで言ってしまう。

    「特に、お前なんか大嫌いだよ!」

    こんな事を言いたくはないのに、本音が全部こぼれてしまう。
    俺は、夢を持つ人間が大嫌いだ。
    アイドルなんて言うまでもない。
    59 : 以下、名無しにか - 2013/02/04(月) 23:54:10.70 ID:3TenA0cA0 (+93,+30,-93)
    「けどさ」

    俺の中に溜め込んでいたものまでぶつけてしまい、少し落ち着いて話しかける。
    本当に余計な事を言ってしまった、と何だか笑えて来る。

    「俺は男だぜ、可愛い女の子が泣いてるなんて放っとけないよ」

    杏の涙を指で拭う。
    杏の頬に触れると、思ったよりもずっと柔らかくて驚く。

    「男は可愛い女の子に頼られると、それだけで嬉しくなる馬鹿なんだからよ、変な心配すんな。ほら、助けて、って可愛くお願いしてみろ」
    60 : 以下、名無しにか - 2013/02/04(月) 23:55:12.09 ID:3TenA0cA0 (+95,+30,-93)
    杏はまだ少し泣きながらも、可愛く笑ってお願いした。

    「助けて、プロデューサー」

    「よっしゃ、任しとけ」

    俺は夢を持つ人間が大嫌いだ。
    アイドルなんて言うまでもない。
    けど、俺は男だ。
    可愛い女の子を傷付ける奴の方が大嫌いだ。

    ライブの衣装はどうにかなった。
    なったと言えるかどうか怪しいような気もするが、どうにかなった。
    61 : 以下、名無しにか - 2013/02/04(月) 23:56:30.47 ID:3TenA0cA0 (+95,+30,-107)
    衣装の代わりに、いつも杏が着ているTシャツと短パンでライブをした。
    働いたら負け、という名言の刻まれたTシャツだ。
    思った以上にファン達に好評なようだった。
    何だか、杏のキャラなら何をしても許される気がしてきた。

    ******

    「本当に泊まるの?」

    「じゃないと犯人を捕まえれないだろ」
    62 : 以下、名無しにか - 2013/02/04(月) 23:57:03.43 ID:vnILRVUL0 (-21,-9,+0)
    支援
    63 : 以下、名無しにか - 2013/02/04(月) 23:57:33.75 ID:3TenA0cA0 (+95,+30,-101)
    一度だけかかってきた電話の声が似ているとだけの理由では、ファンを捕まえる事など出来ない。
    捕まえるなら、現行犯だろう。

    杏の話によると、最近は毎日ドアのポストに手紙や写真などが入れられるらしい。

    そこを狙って捕まえてやる。

    その為には、杏の家に泊まるのが一番だろう。

    「何を心配してんだ?俺はロリコンじゃないから安心しろ」

    女子高生はけっこう好きだったりするが、杏は小学生みたいだから欲情する事はあるまい。
    64 : 以下、名無しにか - 2013/02/04(月) 23:58:18.82 ID:3TenA0cA0 (+95,+30,-78)
    杏の事だから、あまり気にしないと思って言ったが、頬を膨らませて黙り込んでしまった。

    「あれ、怒った?」

    「とときんの胸とか凛の足を、やらしい目で見る時があるの知ってるよ」

    こいつは意外と周りを見ているな。
    しかし、これについては仕方が無いではないだろうか。
    今までは、華の無い職場に居たのだ、あれをやらしい目で見るなというのは無理だろう。
    65 : 以下、名無しにか - 2013/02/04(月) 23:59:05.51 ID:3TenA0cA0 (+95,+30,-80)
    「そりゃあ、俺だって男だしぃ」

    「凛は杏より年下だよ。杏の事はやらしい目で見た事ないよね」

    だからどうした。お前はやらしい目で見られたいのか。

    「…いいからもう寝ろ。夜更かしは美容の敵だ」


    丑の刻を過ぎた頃に、誰かが階段を登ってくる足音が聞こえた。
    俺は足音を忍ばせながら、玄関の方に行った。
    66 : 以下、名無しにか - 2013/02/04(月) 23:59:23.01 ID:eFL1AKBA0 (-24,-9,+0)
    支援
    67 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:00:10.42 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-128)
    足音は、この部屋へと近づいて来る。
    そしてこの部屋の前で止まった。
    恐らく犯人だろう。
    一体どんな奴だろうか。
    もしかしたら、いかれた奴かもしれない。凶器を持っているかも。
    今になって恐怖が湧いてくる。
    汗ばんだ掌をズボンで拭いた。

    カチャッ カチャ

    ドアノブを余り音を立てないように回してきた。
    そして、鍵が掛かっているのが分かると、ドアの向こう側で舌打ちをしたのが聞こえた。
    その音を聞くと、俺の中から恐怖は吹き飛んだ。
    68 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:01:14.23 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-57)
    代わりに、抑えつけるのが難しい程の怒りが溢れる。
    今すぐにドアを開けて、こいつをグチャグチャにしたくなる。
    必死に抑えて、奴が何かを入れるのを待った。
    数秒してポストから写真らしき物が入れられた。
    それを手に取り、確認するとそれは、ライブ前に切り刻まれた衣装の写真だった。
    69 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:02:06.76 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-130)
    俺は急いで鍵を開け、思いっきりドアを開けて外に飛び出した。

    階段の方を見ると、大きな影が慌てて降りるのが見える。

    走って階段を下りると、すぐに犯人に近づいた。
    恐らく、動きが鈍い奴なのだろう。後ろから肩を掴んで、思いっきり引っ張った。
    そいつは、コンクリートの床に鈍い音を立てて倒れる。

    「ひいっ!」

    そいつは、いかにもオタクっぽい見た目の男だった。
    割と杏のファンにはそういった人が多いが、こいつはその中でも群を抜いてそれっぽい。
    70 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:03:10.35 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-196)
    襟元を握り締めて、余り大きな声を出さないように声を絞って喋る。
    気をつけないと大声で怒鳴りそうだ。

    「何でこんな事をした、正直に言えよ」

    こいつはこんな状況なのに、にやにやと気味の悪い笑みを浮かべている。

    「へへっ、杏ちゃんは泣いた時が一番可愛いんだ。僕は杏ちゃんを可愛くしてあげただけさ」

    「おい、確かに泣いている杏は可愛いかった。いつもふてぶてしくて、ダラダラとしている女の子っぽくない杏が、小さな体を震わせて泣いている姿は可愛かったさ。かなりそそるものがあったさ」

    俺はどうやら頭に血が登ると、本音をベラベラと喋ってしまうみたいだ。
    71 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:04:05.65 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-91)
    「だ、だろう?!」

    「しかし!」

    こいつは分かっていないな。

    「泣いている杏が俺に頼って来た時の方がグッときたね。想像しろっ、杏が声を震わせながらお前の名を呼ぶ」

    「ああっ、あああっ!!」

    こいつは頭を抱えて、眉間に皺を寄せている。
    己の浅はかさに気づいたようだ。

    「そしてお前に、助けて、と言うんだ!」

    「うひょおおお!!僕が間違ってました!!!」

    「うっひょおおお!そうだろう!!だから、杏に頼られるような人間になれぇ!!」
    72 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:04:08.18 ID:93+R3sPU0 (+19,+29,-1)
    闘え!プロデューサー!
    73 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:05:07.64 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-152)
    「でも師匠」

    変態に師匠も呼ばれると、まるで俺が変態の師匠になった気分だ。

    「何だ?」

    弟子は涙をボロボロと溢れさせながら口を開いた。

    「俺はっ、杏ちゃんにひどい事をしました。こんなクズな俺には杏ちゃんに頼ってもらう事なんて」

    俺は右足を引く。そしてリラックスした上半身を捻りながら、後ろ足の右足から、体重を全て前に移動させる。
    そして弟子に拳が触れた瞬間に力を込めて、思いっきり振り抜く。
    鈍い音を立てながら弟子は吹き飛んだ。
    74 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:07:02.69 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-92)
    「確かに、お前のした事は最低だ。お前は屑だ。お前のやった事は一生変わりはしない」

    うずくまる弟子に近づいて、手を差し伸べた。

    「でも、人は変われるんだ。変わろうぜ」

    「しっ、師匠!」

    俺と弟子が熱い抱擁を交わしていると、警察の方が来られて大変だった。
    深夜に騒ぐのは駄目だな。
    75 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:11:35.48 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-127)
    ******

    杏の受けた嫌がらせの問題は解決して、杏は調子を取り戻した。
    そして、今までよりも一気に人気を伸ばしていった。
    ジジイからも褒められて、給料も上がった。
    アイドル達にも、少しずつではあるが慣れてきた。

    でも、上手くいくほどに、俺の中にポッカリと空いた部分があるのが感じられた。
    そこは本当に空っぽだ。
    何にもない。
    ただ虚しさだけが感じられる。
    76 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:12:34.44 ID:0y1oCehu0 (-21,-11,+0)
    77 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:14:47.78 ID:iRr7IttS0 (+53,+30,-58)
    人は大人になるにつれて、大事な物を失っていくのに気付くと聞く事がある。
    しかし、俺はそうではない。
    元からないのだ。
    初めから持っていないのだ、大事な物を。
    だからそれを持っている奴が、羨ましかった。
    俺はそんな奴らに嫉妬して、馬鹿だの無謀だのと笑っていた。
    そうやって、自分を誤魔化していた。
    78 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:18:04.30 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-83)
    けれど、それも出来なくなってきた。夢に向かって、努力し少しずつ夢に近付く少女達を、笑う事が出来なくなってきたのだ。

    そうして必死に隠して来た、俺の中の隙間に目を背ける事が出来なくなった。

    ある日、限界が来た。

    ふと、ふざけた考えが頭によぎったのだ。
    いつも降りる駅の、二つ程前の駅を過ぎた時に、ふざけた考えがよぎったのだ。
    79 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:21:16.30 ID:iRr7IttS0 (+53,+30,-88)
    このまま、どこか遠くまで行ってみようか。

    ふざけた考えだ、馬鹿らしい。
    けど、今は何故かそれに妙に惹かれてしまう。

    いつも降りる駅、そこに着いた時に俺は席を立たなかった。
    電車はドアを閉める事を、機会音を鳴らして知らせる。
    まるで俺に、本当にいいのかよ?と何度も尋ねているように聞こえた。
    心臓の鼓動が高鳴る。
    本当にこんな幼稚な事をするのか。
    80 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:21:56.54 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-142)
    電車の扉は、空気の抜けるような音を立てながら閉まった。

    ゴトンゴトンと電車が動き出すと、体が一気に軽くなった。
    こうなったら、行けるとこまで行ってみよう。

    電車を幾つか乗り換えたところで、ポケットの中の携帯が震える回数が一気に跳ね上がった。
    時間を確認すると、事務所に着く筈の時間を一時間も過ぎている。

    昼を過ぎた時に、外の景色を見ると海があった。
    お腹も空いて来たので、次の駅で降りる事にした。
    この頃には、携帯の方もだいぶ大人しくなった。
    81 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:22:37.71 ID:iRr7IttS0 (+53,+30,-54)
    電車を降りると、冷たくて、強い風に身震いする。
    辺りを見回すと、すぐ近くに飯屋があった。
    取り敢えずそこに入って昼食を取る事にした。

    飯を食べ終わって、次はどうしようか困る。
    遠くまで来てみたが、当たり前だが何も変わらない。
    ポッカリと空いた穴が、埋まるような事はない。

    俺はなにを馬鹿な事をしているのだろうか。
    82 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:24:06.80 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-99)
    ふらふらと彷徨うように歩く。
    海の目の前まで行ってみた。
    冬に来るとこではないな。
    海には楽しくて騒がしい、そんなイメージを持っていた。
    だけども、目の前に広がる海は孤独で淋しい感じだ。
    まあ、夏の海と冬の海の違いなんだろうが。

    携帯が震える。
    誰かの声が聞きたくなって、誰からかも確かめずに出た。

    「もしもし?」

    「プロデューサー、どこにいるの?」

    子供のように、高い声だった。

    「杏かぁ」
    83 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:25:04.96 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-102)
    「なに、どういう事?」

    「いや、で何か用か?」

    「用かじゃないでしょ!何してるの!どこに居るの!?」

    杏は電話越しで怒鳴るが、まるで子供に怒られているようで少しも怖くない。

    「いやぁ、なにしてるんだろ?」

    ははっ、と声に出して笑う。
    駅に降りた時に見た看板を、どうにか思い出す。

    「△△△駅ってとこに居るよ。海が見える」

    「どうしたの?壊れた?」

    「ははっ、ひどい事を言うな」

    そう言えば、前に俺もひどい事を言ったなぁ。
    84 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:26:01.99 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-94)
    「なあ、前にお前の事を大嫌いだって言ったろ」

    「…覚えてるよ」

    「あれな、俺はお前が羨ましかっただけだから気にすんなよ」

    「…別にきにしてなかったし」

    少し、杏の声のトーンが上がった気がする。

    「じゃあな、寝るわ」

    「えっ!?」

    何かを言おうとする電話の電源を落として、眠りについた。
    起きた時には、何かが変わるだろうか。
    85 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:27:06.61 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-69)
    *****

    目を覚ますと隣に杏がいた。
    幻覚かな。幻覚だろう。
    杏は仕事があるのだ、ここにいるはずがないじゃないか。
    でも、待てよ。
    その理屈だと俺もここにはいないはずだ。
    俺は杏に気づかれないように、そっと手を伸ばす。
    手の甲が、杏のほっぺたにぶつかる。
    手を裏返して、手のひらで頬を触って見る。
    柔くて、気持ち良いな。
    どうやら本物のようだ。
    86 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:28:07.34 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-134)
    「何してんの?」

    「プロデューサーにその質問を返すよ」

    「ははっ、何でかな」

    杏は俺を呆れたように笑って、海の方を見た。

    「ねえ、私の何が羨ましかったの?」

    「…簡単に言うと夢を持って、才能を持ってるところかな」

    杏は「私の夢ね」と苦い笑みを浮かべた。

    「夢ないの?」

    「ないなぁ、昔から無いんだよ。何かやりたい事とか」

    「ふーん」

    「流れで生きてきて、これからも何となく選んだ物を着て生きていくんだろうけど、嫌なんだよ。俺じゃなきゃ駄目なものが欲しいんだ」

    「ここまで来たら見つかった?」

    杏は茶化すように言った。
    87 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:29:07.24 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-100)
    「見つからない」

    「じゃあ、杏があげるよ」

    「何を?」

    「プロデューサーじゃなきゃ駄目なもの」

    「何だ?」

    「杏のプロデューサー。杏はプロデューサーじゃなきゃ嫌だよ」

    杏は目を細めて、優しく微笑む。
    こんな笑い方もできたんだな。

    「あと、夢も上げよう。杏をトップアイドルにする事。どうかな?」

    「それは、簡単に叶えれそうな夢だな」

    杏が眩しくて、杏から目を逸らす。
    88 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:29:56.80 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-110)
    俺は杏を知れば知るほど、話せば話すほどに、杏の良いとこを見つけてしまう。
    嫉妬して、嫌う事が出来なくなった俺には、とても直視できやしない。

    「まあ、悪くないや」

    本当は嬉しいのに、ついそんな風に言ってしまう。
    興奮すると本音が言えるのにな。

    「ありがとうな杏」

    「いいよ、プロデューサーの事好きだから」

    いつもと変わらぬトーンで言うから、意味が掴めずに「プロデューサーとして?」と驚きながらも、平然を装って尋ねる。
    89 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:30:45.95 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-78)
    「ううん、異性として」

    杏は悪戯をした子供のようにな笑顔を俺に見せた。

    俺は恥ずかしくて「あっそ」だなんてそっけない事を言ってしまう。

    杏は鋭いから、俺の気持ちがばれてしまうと怖くなった。
    でも杏は、悲しそうに笑った。

    何でこういうとこは鈍いんだよ。
    そして、俺もちゃんと言えよ。

    ポッカリと空いたところを、モヤッとしたものが埋めてしまった。
    少しモヤモヤするけども、とても心地が良い。
    90 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:31:33.77 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-96)
    ******

    「ちょっと待てよ、杏。心の準備が」

    「うるさいなぁ」

    躊躇う俺を、後ろに杏は勢いよく事務所のドアを開ける。

    「杏、プロデューサーを自分探しの旅から連れ戻しました」

    きゃあああ、やめて。
    そういう風に言われると恥ずかしくて死にそう。
    穴があったら入りたい。
    これだけ個性的なアイドル達が居るんだ、一人ぐらい穴掘りの上手い奴がいないかな。
    91 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:32:10.74 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-105)
    「戻りました、すいません。ご迷惑をかけました」

    「見つかりました?自分」

    ちひろさんの素敵なスマイルで、心をズタボロにされる。しかし、俺が悪いので反抗できない。

    「自分探しって何ですか?」

    千枝ちゃんが純粋な瞳で俺に聞く。
    やめてくれよ。
    92 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:32:34.13 ID:ToQRXzUC0 (-24,-9,+0)
    支援
    93 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:33:41.37 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-113)
    ******

    「プロデューサー」

    俺は、杏の家に杏を送っているところです。

    「プロデューサー」

    杏ちゃんの髪から、少し甘い匂いが漂ってきます。
    とてもいい匂いです。

    「プロデューサー!」

    「あっ、ああ何だよ」

    「杏の家を過ぎてる」

    「うっ、知ってるわ!」

    杏は俺に怒鳴られてしょげてしまった。
    しょげた顔も愛おしい。
    一体俺は何をしているのだ。
    94 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:34:26.11 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-92)
    初めて恋して、素直に慣れない男の子じゃないんだぞ!
    ちゃんとやるんだ。
    思い出せ、どうやって初めての彼女を作った?
    あれ。うん。そうだ。
    俺は彼女を作った事が無かった。
    それなら、初めての告白はどうやった?
    …うん、うん、うん。
    告った事無かったな。
    というか初恋ではないだろうか。
    二十一歳にして初恋かよ。
    いくらなんでもおかしいだろ。枯れてんのかよ俺。
    しかし、どうしよう。
    一体どうすればいいのだ。恥ずかしくて冷たく当たってしまう。
    95 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:34:56.37 ID:Y8tUQJZp0 (+24,+29,-5)
    働いたら負けという割には働くよねこの子
    96 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:35:19.05 ID:iRr7IttS0 (+53,+30,-93)
    「プロデューサーはさ、杏の事を嫌いなのぉ?」

    いつの間にか杏は泣いていた。
    何をやっとるんだ俺は!
    落ち着け、冷静に、優しい言葉を掛けてやるんだ。

    「何で答えなくちゃいけないんだ」

    俺の馬鹿野郎!!

    「へへっ、そっか、ごめんね。でも杏の事を嫌いでも、杏は好きだからね」

    俺は帰りの車で泣きじゃくった。
    俺がこんなツンデレボーイだとは思わなかった。
    98 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:36:14.66 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-64)
    家に帰ると、母さんが寝巻き姿で迎えてくれた。

    「おかえりぃ」

    「ただいま」

    「自分は見つかったのかな?」

    母さんはにやにやとしながら言う。
    クソジジイか、あいつが教えたのか。

    「んー、見つかった見つかった」

    「良かったねえ」
    99 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:37:10.77 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-118)
    俺は母さんと自分の靴を納める。
    それを見て母さんは「ごめんね、納めるの忘れてた」と謝った。

    「ねぇ、父さんってさツンデレだった?」

    母さんは、蒸発した父さんの話をするのを嫌がらない。
    というかむしろ、喜んで話す。

    「えへー、そうだねぇ、ツンツンでした。何で分かったの」

    「何となく」

    どうやら俺は、父親譲りのツンデレらしい。
    100 : 以下、名無しにか - 2013/02/05(火) 00:38:35.66 ID:iRr7IttS0 (+55,+30,-77)


    「ふあぁ」

    目を覚まして時計を見る。
    朝の六時だ。前まではいつも、ギリギリの8時まで寝ていた。
    けど、最近はいつも六時に起きている。目を覚まして、プロデューサーの事を考えると胸がフワフワとしてあったかくなる。
    そうすると、眠気など消えてしまい朝起きれるようになった。
    でも今日は、何だか胸が痛い。
    理由は分かっている。
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