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    元スレ高垣楓「君の名は!」P「はい?」

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    101 = 1 :

    ◆◆◆◆

    戦うと決めれば、あんがい、生き延びるもんじゃのう。
    あっちへ行っても敵、こっちへ行っても敵。日ごとにわしらの居場所は少なくなり、海峡の向こうの最果ての土地まで追いやられて、それでもまだ生きとる。
    生きようと思う。大したもんだのう。
    だども、そろそろこの国に、わしらの生きれる場所が無くなるな。
    来るべきものが、来る。

    戦いの火ぶたは、沖からつるべ撃ちに降らされたカノン砲の艦砲射撃じゃった。
    霧の立ち込める箱館湾にやがて姿を現したる、びっしりとわしらを包囲した、旗、旗、旗。
    ご天朝様の菊章旗をど真ん中に、長州、薩摩、佐賀に土佐。中津に、岩国……西国だけじゃねえ、関東は新発田、忍、上田に飯山。東北は三春、米沢、津軽も。
    徳川ご譜代は水戸に尾張に彦根に……ふっ、紀州もおったか。
    すンげえもんさな、こりゃあ。この国にまつわるありとあらゆるすべてが、わしらの敵になった。
    喧嘩屋・土方副長の真骨頂じゃな。日本まるごと向こうに回して、一世一代の大喧嘩じゃ。
    土方さんの、声が聞こえる。

    ――――新撰組副長、土方歳三!!
    遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ。誠一字を背に掲げ、蝦夷の果てまで戦い抜きし、我ら精忠国士なり。
    衆を恃んでここまで圧してきた貴公らとは、覚悟の嵩が違い申す。
    ――――さあッ、死にてえヤツからかかってきやがれッ

    姿は見えねぇ。この弁天台場の土けぶりと砲撃の轟音じゃ、聞こえる筈はねえ。
    けんど、聞こえる。馬上で高らかに叫び、戦場を駆け抜ける鬼の副長の大音声が。

    そうよ、新撰組さ。きっとわしらほど戦って戦って、戦い尽くしたやつらも居らんだろうさ。
    京の四辻を朱に染めて、甲州、宇都宮、会津、仙台、そして箱館……この国の戦場という戦場が尽きるまで戦い続けた、わしらの名は、新撰組じゃ。

    黒い霧を成して、弾丸の幕が降ってくる。地獄の扉が開いとる。
    閉じたまんまの右目の奥が、暖けえ。

    ――――俺ァ、この眼は、あんがい気に入ってんのさ。

    俺にゃあ、土方さんのごたる、かっこええ生き方は、とてもできね。
    俺の誠は、ちっぽけさ。そのちっぽけな誠ば、砕かれまいとするが、俺の士道よ。
    おまんは俺に、生きろというた。誓いじゃから、俺は最期まで、その通りに生きる。
    俺の手紙、ちゃんと届いたかな。
    あそこに書いてあることが、俺のすべてで、おまんへの、本音じゃ。
    嘘偽りは、ねえよ。俺はおまんに、嘘ば吐いたことはねえ。
    どうか、生きてくれ。
    どうか、幸せになれ、楓。

    102 = 1 :


    ――――その二月の日付の手紙と供に、突拍子も無い千両箱が届けられた時、鯉風太夫はすべてを悟った。
    これもまた、唐突な大金の詰まった麻袋の前で、あの気丈な瑞樹天神が泣き崩れる姿、傍らで手紙を持ったまま困り果てるお禿のこずえの様が、すべてを物語っていたから。

    「こずえ」

    鯉風太夫はこずえの隣にしゃがんで目線の高さを合わせ、こずえに優しげに語った。

    「お手伝い、きちんとしてくれておおきにな。瑞樹天神はこったいが面倒みやんすから、こずえはお部屋に戻りなんし。」

    瑞樹天神の見たことも無い状態におろおろとしていたこずえが、その言葉で、返事もなくこくりと頷き、たたたっと朱の廊下を走り去った。

    「……みずき姉さま」

    鯉風太夫が瑞樹天神の肩に掌を乗せると、瑞樹天神はわっと鯉風太夫に抱き着いた。

    「お命代や、かえちゃん」

    瑞樹天神の体温を感じながら、鯉風太夫の胸に氷の棘が刺さった感触がした。
    忍び寄るように早まる鼓動を感じながら、鯉風太夫は、瑞樹天神を宥めるように髪をなでる。

    「川島はんが、往ってしもうた。うっとこがなんぼ呼んでも振り返ってくれんところに、もう二度と帰って来てくれんところに、往ってしもうた。」

    身を引き裂くような、瑞樹天神の声だった。
    その声を耳元で受け止めながら、鯉風太夫は幼子をあやすように、現実感の無い心地で、瑞樹天神の背中をなで続けた。

    103 = 1 :


    『――――楓へ。

    それがしは君も既知の通り、百姓の出自ゆえ、手紙の作法も知らぬが、許せ。
    さて、江戸へ帰参して折、ご公儀の務めを果たすべく幕府より五千両、大阪商人組合十家より四千両の矢銭が新撰組改め甲陽鎮撫隊へ付け届けられ、我ら隊士一同も過分なるご厚志を頂戴致したもの。
    然れども、戦場にあっては金銭の使いようは無く、また君も既知の通り、それがしは天涯孤独の身の上ゆえ、洛中御勤めの頃よりの貯えとまとめて、とまれ君に送金するもの。』

    そったな言葉で始まる、おまえ様のお手紙を、果たしてどのように受け止めたらよいものやら。
    まずもって、とまれ、などという金額ではございませぬでしょう。
    大の妓夫さん四人がかりでようやく運びましたれば、千両箱にぎっしり、それにおさまり切らず、さらに八十両余りもの大枚。

    一体どないにして、こったな大金をこさえたんどすか。

    ……鳥羽伏見での戦も、上野の戦も甲州の顛末も、この京が島原にあっては、すべて聞き及んでありんす。
    ですから、ほんとは全部、わかっとりやんす。みずきの姉さまが泣き崩れにならはった理由も、こったな場違いな大金が今頃に届く意味も。

    そのひでえお戦の真っただ中に、おまえ様は居るのですから。

    けんどねえ……ひょんたな事ではありんすが、ふわっふわと、なにやら地に足の着いた心地がせぬのです。
    この字は、百篇でも見返した、おまえ様から頂戴したいくつものお手紙と全くおんなし、みみずののたくったような拙な書きゆえ、わっちが見紛うはずもありんせん。
    けんど、なにやら頭が呆けてしまったように、これがまことにうつつの事でありやんすのか、ようわからんのですえ。

    104 = 1 :


    『千両箱を持って君を迎えにいくとの約束を違え、あい済まぬ。しかし、半分は叶えたということで、何卒、了見せよ。

    君の年季を明けさせるには、どうにか足りる金額であると思う。この金でもって、これはと思う者と、一緒になって欲しい。
    それがしは七生報国の志を以て、国難に殉ずるものなり。
    君の晴れ姿を生きて見られぬのは残念なり。この手紙が届く頃には、それがしの身は果て、既に護国の鬼なり。生きて帰る事は無し。
    それがしの事は君の門出の障りである。この手紙を確認したら、どうか、それがしの事はすべて忘れよ。
    錦旗に弓引きし逆賊に、覚えがあること、まかりならぬ。
    それがしの恐れは、唯、君が嘆くことなり。
    どうか、涙は堪えたまえ。君がそれがしのために嘆くことは、何一つなかるべし。

    それがしは、幸せであった。ありがとう。

    君をいつか幸福にさしたいと思いつつ、その機会が遂に無き事は、甚だ残念であるも、君の残像を映したまま死に臨めるは、この上なき僥倖に候。
    それがしは唯、君がこれより後、幸福な暮らしをしてくれれば、どのような方法であれ、それが本懐である。
    君の花嫁道中を、鬼籍より参り侍従となりて見守り申す。どうか、生涯君と添い遂げられる立派な婿殿を取られ、達者に暮らせ。
    ゆめゆめ、過去にこだわること、無かるべし。どうか笑って、暮らし給う。

    追伸。
    戦場はしんどいが、意外に楽しい。心配するな。
    酒も飯も出る。焼酎は、色々しょっちゅう、使い申す。

    追伸の追伸。
    おまんのうたが、すきだ。
    ずっとうたっていて呉れ。』

    105 = 1 :


    「……零点、ですね」

    へたくそな字、めちゃくちゃなつづり。
    胸に抱き締めた、くしゃくしゃになるのも構わず。
    きっと、わっちを笑かそうと思って考えたでありましょう駄洒落は、こん時ばっかりは、まったく落第でありんす。

    「ぜんぜん……笑え、ま、せっ……」

    おまえ様のぬくもり、手紙のふちっぺらに残っておらぬものかと思いましたが、胸に押し当てても、巡るのはわっちの虚しさだけであんした。
    嘘ばっかりの手紙どす。おまえさまは、あの世も来世も信じねえと言っていたではねのすか。

    こったなもの、信じたくないよ。

    わっちはただ、おまえ様に幸せになってほしいだけ。逢いたいとか、夫婦にしてほしいとか、そったな贅沢は申しませぬ。
    なんして、それだけの願いがこの両手から滑り落ちていくのでしょう。
    この妖瞳の忌み子には、そればかりも許されませぬか。
    ご神仏様。もし居られるのでしたら、どうかなにもかも、わっちからお取り上げにならないでくださいませ。

    「うっ……ううーっ……!」

    獣みたいな掠れっ声が、喉の奥から漏れあんす。
    もう、何をどうすれば良いのか、わかりんせん。
    こんなにつらいのなら、いっそ、消えて無くなってしまえば良いのかな。

    106 = 1 :


    『おまんのうたが、すきだ。』

    最後にとって付け加えたような、この走り書きが、きっとただひとつの、おまえ様の本心ではありませぬか。

    ――――それなら、それでようござんす。わっちはこの身が朽ちるまで、うたを歌いて、すごしやんす。
    いつの日か、おまえさまに届くでしょう。

    こったな手紙は、信じられませぬ。楓は、お前様とのお約束をば、信じております。
    お前様の居らぬ天の下を、楓は生きようとは思いませぬゆえ。
    たとえ気ぶれと呼ばれましょうとも、歌い抜いて見せましょう。
    それが手前勝手な運命さだめへの、楓の意地でございあんす。
    百年経って皴干からびても、歌っておりやんす。七度生まれ変わりて姿かたちば変わりましても、歌っておりやんす。
    声さえ聞こえれば、きっと童の時分のように、飛んできてくださいますね。

    あの頃の、故郷の川で、きっと。

    笑顔でおりやす。ずっと歌っておりやんす。ですから、早く見つけてくんなんし。
    お前様、おまえ様、おまえさま。
    ねえ、おはやく。どうかどうかどうか

    どうか。

    107 = 1 :

    ◇◇◇◇

    「――――この石段は……明治維新の後、鎮魂の意味を込めて、士族となった元お侍さんが積み上げたそうです。侍神社という名前の由来だそうです、全部で、二百段近くあるそうですよ。」

    果てしない石段をくるむような背の高い木々がひんやりとした空気を冷やし、月光のような木漏れ陽が、森と岩肌を、碧く照らす。
    先ほど通った赤い鳥居は、俗世と神域の境目だそうだ。
    そう聞けばなるほど、この雰囲気は清浄で、幻想的で、何か別の世界に、ふっと迷い込んだような気にもさせる。
    まさに俗世から離れた坂。神域に至る道。
    ――――しかし、すいません。

    「そう……ですか……そりゃ……ハアッ……気合、入って、ますね……」
    「ふふっ、プロデューサー、頑張って♪」

    この運動不足のアラサーは、この空気感に浸る間もなく神域に召されそうです。やべえ。

    「ぐぬっ……ふんっ……情け、ねえ……」

    少し先を見れば、僕の太腿くらいのウエストしかない細身で、楓さんはひょいひょい笑顔で石段を昇っていく。
    歯を食いしばってる僕に対して、余裕しゃくしゃくって感じだ。
    元々それなりに体力に自信があった方だが、普段からハードなステージをこなしている現役アイドルに水を開けられ、現状をありありと思い知らされる。

    「さっ……プロデューサー、頂上ですよっ」

    二段飛ばし位の勢いで、タタンッと軽やかに駆け上り、振り返って両腕を僕に伸ばした。
    楓さんの背に、森が開けて白い光がまぶしく、まるで後光のようだ。

    太陽光の中で、楓さんが穏やかに微笑んでる。

    ――この人の隣を歩くには……まずは体力、作り直さなきゃな。
    そう思いつつ、右手を伸ばすと、楓さんの華奢な両手が優しく僕の手を包み、引き揚げてくれた。

    108 = 1 :

    「へえ、頂上は結構、広いんですね」

    境内は、ちょっとした広場のようになっていて、僕たち以外にもまばらな参拝客の姿が見て取れた。
    高い場所にあるから、街の様子が見て取れる。

    ――――ああ、あの下の方にあるのが、本来の目的の温泉か。
    隠れ温泉っていうからもっと原野の只中にあるようなのを想像してたけど、こじんまりした旅館みたいなのも併設されてて、その気になれば泊まることもできそうだな。
    と、滴る汗を拭いながら、物見遊山気分であたりを見回しつつ、中央にででんとある本殿に向かおうとすると、楓さんが居ない。

    「楓さん?」

    きょろきょろと探すと、少し離れた隅っこのほうにしゃがみ込んでいた。

    「――――あ、ごめんなさい、プロデューサー。お参りをしてました。」

    見れば、スクリと立ち上がった楓さんの膝元に、小さな祠がある。
    紙垂が掛かっているだけの、陰になって長らく忘れ去られてしまっているような、控えめな祠だった。

    「ここに来ると一応、本殿へご挨拶する前に、お参りさせて頂いているんです。大きく目立つ社稷は皆さんがお参りしますけれど……こういうところは、気を付けていないとあまり人が来ないから……」
    「ああ、わかります。僕も境内の中にある小さなお稲荷さんまで全部、お参りして回っちゃう派です」

    小さく目立たなくても、祀られてる以上、ご神仏ですからね。
    目立つところだけお参りしてあとはおざなりってのも、なんか不義理だし。
    その辺の感覚は、わかるような気がします。

    109 = 1 :

    「おや、その社に番いで参られる方は、珍しいねえ」

    楓さんに倣って祠に手を合わせていると、巫女装束のお婆さんに声をかけられた。

    「ここはな。今でこそ高台じゃが、元々は川辺だったんじゃて。明治に入ってからの街区開発でこったな風になったらしいがの。この社は、この地にまつわる、とある悲恋のふたりを祀っておる。」

    神社の人かな、と思ったが、はて。
    社務所は近くに無いし、一体どこにいたんだろ、このお婆さん。

    「むかし、鯉風太夫という花魁がおったそうな。吉野大夫の生まれ変わりとも言われた、それは艶やかで美しい花魁であったらしい。」

    110 = 1 :



    ――――この辺りは、昔は貧しい村での。幼かった太夫は飢饉の口減らしの為に、島原に売られたそうな。
    太夫には好いた男がおった。男は人買いに手を引かれ、連れ行かれる太夫に言うた。

    『わしは剣を磨く、おまんは芸を磨け、互いに天下に名が轟いたら、必ず迎えば行って、おまんを連れてこの村さ帰って、共に暮らそう』

    やがて太夫は花街随一とも呼ばれる花魁となり、男もまた、剣で名乗りを上げ、上洛を果たしたそうな。
    男は勲を積み、ついに太夫を身請け出来ようというところまで来た。じゃが、ある戦に出て、二度と帰ってはこんかった。
    太夫は男に焦がれるあまり、気がふれてしもうた。
    年季が明け、自由の身となっても芸の稽古を辞めず、諸国を彷徨ったという。歌っておれば、いつか男が迎えに来る……と言うての。

    結局、二度と出逢うことは出来んかったそうな。

    111 = 1 :


    「……村の者はそんな太夫を憐れみ、いつか後の世に、二人の魂が再び巡り合えるようにと、二人の生まれたこの地に社を建てたということだよ。」

    語り終えた後、お婆さんは曲がった腰をよいしょと伸ばすように、楓さんの事を仰ぎ見た。

    「お嬢ちゃんも、溜息が出るほど綺麗やねえ。なんとかっちゅう芸能人に似とる。なんと言うたかな、えーっ……」

    少しぎくっとした。一応、変装はしてもらっているんだが。
    お婆さんは眉間に皴を寄せ、えーっ……と思慮していたが、結局、思い浮かばなかったのか、答えは言わず、言葉を続けた。

    「きっと伝説の鯉風大夫も、お嬢ちゃんのような別嬪だったんやろうなあ。気を付けなさいよ。美人は薄幸の相ともいう。その傍らの佳い人に、きちんと守ってもらいんさいな」

    お婆さんの深い色の瞳に見つめられた気がして、思わず気を付けした。
    一筋の強い風が吹いた。とっさに目を伏せた間に、お婆さんはもう、いなくなっていた。
    祠は、静かに風を受けているだけであった。

    「なんというか……切ないお話でしたね。逢えてたら良いですね、その二人……楓さん?」

    歩みを進めようとしたら、隣に居なくて。
    振り返ると、楓さんは、まだその場にいて。

    「プロデューサー」

    胸に片手を湛えた楓さんが、言う。

    「聞いてほしい、言葉があります。」

    きらきらの、まっすぐな瞳だった。

    「プロデューサー、今まで、ありがとうございました。」

    112 = 1 :

    週末には完結できるといったな、すまない、あれは嘘だ。
    あと一息ですが、仕事行ってきます。
    今日の夜か明日には完結させます。

    115 :

    こんな気になるところで止めやがって

    116 :

    本家のプロデューサーが出てると思ったわ
    狙ってやってるんか知らんがモバつけろよ

    117 :

    まさに悲恋……

    118 = 1 :

    お待たせしました。
    やっとこ完結です。
    みなさん、レスありがとうございます。過去作などについては後程。

    119 = 1 :


    その束の間だけ、世界は間違いなく、私と彼のふたりきりだった。

    「あ……それと、これからもよろしくお願いします。」

    続きを告げると、一瞬、凍り付いた顔から、ホッとした血の気が戻る。

    少しだけ背の低い、年上の可愛い人。

    もし、私が続きを告げるのを噤んでいたとしたら、この人は口の中を噛み締めながら受け入れるでしょう。なんでもない風な表情をして。
    そうした後は、私の瞳に決して映らないところから、最期まで私を見守り続けてくれるのでしょう。

    貴方は、そういう人です。他人の為に、自分がいくら傷ついても犠牲になっても構わない人。
    私との別れを、たとえ予感であっても、惜しんでくれる人。
    優しくて、不器用な人。離したくない人。ずっと隣で歩んでほしい人。

    120 = 1 :

    「私は……自分が人に好かれるようになれるなんて、思えたことはありませんでした。怖くて。きっと嫌われてしまうと、人を遠ざけました。
     そうやって生きてきました。貴方に、この歌を見つけてもらうまでは。」

    私は貴方より、ずるくて自分勝手です。
    なぜ、そう思うのかは、わかりません。わかる必要も、きっとありません。
    私は、只、どうしようもなく。

    「人との手の繋ぎ方は、自分を信じる気持ちは、あなたが教えてくれたものです。」

    笑い方を教わりました。想いの伝え方を教わりました。人の暖かさを教わりました。
    シンデレラの坂道を登る度に、貴方は隣で、私にすべてをくれました。

    「ありがとう、ここまで連れてきてくれて。一緒に歩いてくれて」

    生きる事に、希望はあるという事。
    誰かを、好きになるという事。
    それは、とても素敵なことだという事。
    私の半分は、きっと貴方で出来ています。

    「……聴いて頂けますか。貴方に、聴いて欲しいんです。」

    私の生き方は、貴方に頂きました。
    この歌声は、貴方のものです。

    ――――私の歌を、すべてを。

    貴方に差し上げます。

    ですから、どうか私と――――

    121 = 1 :

    ――――その一瞬だけ、この世界は間違いなく、僕と彼女のふたりきりになった。

    颯に乗って、どこまでも、遠く。

    “こいかぜ”が、響く。



    ◆◆◆◆

    ――――蝦夷の颯に、おまんの歌が聴こえてきよる。


    不思議じゃのう。
    そんなわけがないのに、そんな気がしたよ。

    122 = 1 :


    蝦夷の空は、大きかねえ。この唸る大自然の雄大さは、実際に津軽海峡を越えた者じゃなけりゃ、わっかんねえじゃろうなあ。

    すべてを覆うようなぽっかぽかの日差しに、冷たさを残す涼やかな春風にばくるまれて、もはや大の字に横たわりお迎えを待つ他ない俺に、その綺麗な声、届けに来てくれたか。

    さすが、天下一の芸者じゃ。日ノ本全土を飛び越えて、この蝦夷地の俺の耳にも、ちゃんと届いた。
    俺の方からも出向きてえのは山々だが――――歩くべき二本の足が、どっかに吹っ飛んじまって見当たらねえ。
    這っていこうにも腸がしこたま飛び出てしまってるけ、とっても京が島原までは辿り着けんね。
    尤も、こったな隻顔では、もはや逢いに来られたとて、おまんの方が困るじゃろうから、やっぱりこのまんまで、何卒、了見してつかァさい。

    123 = 1 :

    科学の力とは、恐ろしいもんじゃ。
    さしもの新撰組の血刀も、あのカノン砲やらガトリングやらの砲火に晒されちゃア、ひとたまりもねえ。
    人間の体などほれ、この通り一瞬でバラバラにしてしまう。
    黒鉄の兵器は、今後も大勢の人間を屠るじゃろう。引き金を弾く者は、感情も無く、手に消えゆく命の感触も覚えぬまま、科学の進歩と同じ速度で殺戮の桁数を増やすじゃろうな。

    それはもはや、人が人を斬るのではね。人の意思を離れるほどに大仰になり過ぎた絡繰り仕掛けが、仕組みに則って牛馬を屠るが如く、人を殺すのさ。

    そったなもの、もはや人智であって人智ならざるものじゃ。人の手には、終いにゃ負えんくなるじゃろ。
    嫌ァな時代だね、そんなの。
    向井、お主には何卒、長生きしてもらいてえが、そったな惨い時代には巡り合わせぬようにと、草葉の陰ながら祈っておるぜよ。

    124 = 1 :


    弁天台場は、どうなったかな。島田さんは生き残っておられるかな。もしそうならば良いが。
    島田魁は見てくれはおっかねえけど、誠実と正直が服着ておるような、硬骨潔白の士であるから。
    降伏にせよ続戦にせよ、あん人に付いていけば、まんず間違いはねえ。

    斎藤先生には、申し訳ない事をしてしもうた。あの人は骨の髄まで新撰組じゃから、きっと最後の最後まで、とことん戦い抜きたかったに違いねえ。
    だども、新撰組に白虎隊のごとき悲劇の道を歩ませぬ為には、斎藤先生に隊士のお仲間を率いてもらうほかなかったゆえ。
    まさしく、先生の仰る所の見当外れの気遣いで、先生のご本懐ば、奪うことになってしまいあんした。
    いつか彼岸で詫びまするゆえ、何卒、お許しくだんせえ。

    川島さん、あんたも俺が蝦夷に渡ったこと、きっと怒るじゃろうが、あんたは俺の考えたること、わかってくれていたと思う。
    俺は、副長をひとりで往かせることは、どうしても出来んかったのさ。

    125 = 1 :


    ひとりにしてはならない。ひとりで、戦わせてはならない。

    集団で斬れ。
    新撰組に入隊したら、誰もが一番最初に叩き込まれた事じゃ。

    一対一なら分が悪くとも、二対一なら十中八九、三対一ならまず負けない。故に仲間を絶対にひとりにしてはならんのが新撰組の鉄則じゃった。
    卑怯というかも知れねえ。けんど俺らは勝ち続けて、戦い続けねばならなかった。
    どこまでも戦うのが、新撰組であったから。
    それが、戦術の鬼才・土方歳三が、年端もいかぬ素人小僧であった俺らが生き残るために、何はなくとも死守させた決まりだったんじゃ。

    そしてその通り、生き長らえた。
    ならば、その教えば授かった張本人を、どうして一人にすることが出来よう。

    箱館に渡った京以来の隊士は二十人余りはおったけども、試衛館以来の生え抜きという意味では、土方さんただひとりじゃ。
    近藤局長、沖田先生、永倉先生、山南総長、井上さんに原田さんに藤堂さん。土方歳三が背中を託した竹馬の仲間は、誰一人居らんくなってしもうた。
    唯一の斎藤先生とは、俺の無理難題のせいで会津で袂を別つことになってしもうた。

    それでもなお、誠の旗が折れぬ限りは、たったひとりになっても戦い抜くと決めた、最後の侍を。
    誰もが目ば伏せて、膝を折っちまいたくなるような土壇場で、日ノ本ぜんぶを向こうに回して、俺が新撰組だと啖呵切ってのけた、あの格好良い男を。
    ひとりでいかせることなんて、出来なかったのさ。

    ――――俺には、あの人がごたる、格好良い生き方は、とても出来ね。俺の誠は、ちっぽけだから。
    俺は、惚れた女に格好つけたかっただけだからよ。

    126 = 1 :



    こうして目ば瞑ると――――いつもそこに、おまんが居るんじゃ。
    一人の夜も、おまんに逢えぬ日々も、なんにも不安は無かった。眠る前には、目の奥の裏側に、いつもおまんの姿があった。

    ゆえに、この隻顔も、俺にとっちゃあ案外、悪かないんじゃぜ。

    薩長の砲弾に面ごと右目ば持っていかれて、二度と眼が開かなくなってからは、この右目の奥には、いつもおまんが居たのよ。
    地獄のごたる戦場でも、剣林弾嵐のあめあられでも、俺にだけ見えるおまんが、常に一緒に居てくれた。

    幻さ。けんど、それが、どれほど心強かったことか。

    127 = 1 :


    どんな地の上に居ても、お天道様だけは変わらず、優しいやね。もはや死にかけておるというのに、ぽっかぽかと、ええ気持ちじゃ。
    優しいお天道様の光に包まれながら、右目の奥でおまんが笑っている。
    ここは極楽浄土かな。

    いんや、俺はやはり、地獄にしかいけんね。

    こんなけ痛い思いばして、死んでなお針の山さ登ったり血の池で溺れにゃならんと思うたらちっくとおっくうじゃが、しょんないの。
    俺が斬った者たちにも、家族は居たろう。歳食った父母。女房に幼子。
    俺だけが好いた女に逢いたいがために、人を斬っていい理由にはなんねえ。
    手前勝手の理屈で何十という人間を殺め、ひとり極楽に行けるなどとは、思うてはおらぬ。

    斬った者の顔は、忘れた。数は一桁の頃に、数えるのをやめた。恐ろしかったからな。
    あったな恐ろしいもの、忘れずあまねく覚えておったら、俺はとっくに、気ぶれであろうさ。
    俺は紛れもなく、人斬りであるよ。人斬りが人斬りたることの恐ろしさを身をもって知る、恐らくは最後の世代になろうな。

    故に、俺がごたる男と、おまんが一緒になるなどということは、絶対にあってはならんのさ。
    俺は、臆病な小物じゃけ。何もかもうっちゃらかして、よっぽどおまんをさらって、誰も知らぬところで二人で暮らしてえと思ったかわからん。
    けんど、新撰組なんて、薩長ばらにとっちゃ兇状持ちと同じじゃ。しらみつぶしに探し出して、地の果てまで追い詰めるだろうさ、この箱館の戦なんて、まさにその縮図じゃないか。

    そったな俺となど一緒になってしもうたら、一生追われの身となってしまう。安穏とした幸せとは、程遠い。
    もし俺が斃れれば、残されたおまんはどうなる、もしも、ややが居ればその子はどうなる。

    嫌じゃ。それだけは。

    128 = 1 :


    なあ、楓。ひとつだけ、言うておかねばならん事がある。
    おまんは一度だけ、己が俺の労苦の大元であるかのように言うたが、それは断じて違う。
    おまんは、俺たちの生まれた故郷の事、覚えているじゃろうか。

    ひもじかったよな。ひもじくて、貧しかった。
    毎年のように娘は売りに出され、乳飲み子は冬を越せず亡くなった。飢えに耐え兼ねて自らの子を食ろうてしまう親もあった。
    父母には牛馬のごたるこき使われ、いつも罵られ、殴られた。
    食い扶持が増えたるのも、稼ぎが少ないのも、父が大病を患ってコロッと寝たきりになってしまったがも、母が得体の知れん与太者と懇ろになった挙げ句、薬で身を持ち崩したばも、俺のせいじゃった。

    おまんが居るからあかんのや、無駄飯を食うて役に立たんガキじゃからあかんのや、とな。

    しまいにゃ、父が博打で銭をスったも、母がたんすに小指さぶつけたのも、気に食わない事はとにかく、俺のせいにしとけという具合じゃった。
    きっと、そったな思いをしたは、俺ばかりではね。あの時代の寒村さ生まれた者らは、みんなおんなし思いを味わっておった。
    世の中が悪くなりゃあ、溜まってゆく呪詛の淀みは、力の無え者たちが引き受けさせられるのす。

    俺らは皆、こったな酷ぇ時代に生まれた、みなし児でござんした。

    誰が悪いわけでもねえ、貧乏が悪かったんじゃて、しょんないわ。
    したけど、たまらんよなあ。せっかく生まれて来たのに、天地の狭間に俺たちの生きてても良い場所は無かったんじゃ。

    129 = 1 :


    行き場のない俺が、あの故郷の川で途方に暮れておると、おまんはどこからともなく近くに寄って来て、歌を口ずさんだな。
    何者じゃと俺が振り返ると、おまんは兎のようにサッと身を隠してしもうた。こっちを向けと言うたら顔ば伏せて、そのきらきらの瞳を、中々見せてはくれねかったな。
    最初の一言を交わすまで、ずいぶん、時間が要ったよな。

    人見知り――いや。おまんはきっと、人が怖かったんじゃ。

    人から優しくしてもろうた事など、無かったものな。俺らをひり出した父母もまた、俺らを要らぬと責めたのだもの。
    そったなおまんが、なして俺の近くをちょろちょろと参ったのか、今はわかる。
    おまんは、俺の事ば、励まそうとしてくれてたのじゃろ。ひとりで寂しそうにしちょる俺の為に、歌ってくれていたのじゃろう。

    俺は男じゃから。そん事に気付いても、まるで己が哀れまれているような気がして、素直にそうとは言えんかったけど。
    おまんの歌を聴きたいが為に、俺は一日を生きられたのじゃぜ。

    130 = 1 :


    櫻井様との見合い話が持ち上がったとき、土方さんに俺は、こう言われたことがある。

    櫻井家の婿に入れば行く末は大旦那様だ、そっから好きな女でもなんでも、妾に迎えりゃよろしかろう、とな。

    俺はたぶん、はじめて副長のお下知ば、反故にした。
    理屈ではそうすべきなのはわかっていたよ。土方さんは俺とは比べ物にならんほど、おつむが良えからね。
    けんど、それは出来ねがった。櫻井様ば利用するような打算が、はばかられたと言うのもある。
    けど、なにより惚れた女は、やっぱしおまんだけじゃったから。そのおまんを妾で迎えるっちゅうのは、どうも納得出来ねかったんさ。

    131 = 1 :


    おまんが売られて行くとき、俺はどうする事もできなかった。涙を堪えるのだけが、いっぱいいっぱいじゃった。
    けんど、おまんは、幸せなのじゃというた。ありがたい事だというた。
    我が身の不幸を嘆くことなど微塵も無く、たとえ強がりであったとしても、楓のおかげでとと様とかか様がお腹一杯食べられるなら、それで幸せなのですと言うたった。
    俺はあん時のおまんほど強い人間を、ついぞ見たことがない。
    たとえ俺たちが束になってかかったとしても敵わねえ、強くて気高いおなごじゃった。

    あん時、俺は、はっきりおまんに惚れたのさ。

    強くて、優しさの過ぎるおまんを、何としても幸せにしてえと思った。おまんから悉くの不安を、取り去ってやりたかった。
    賑やかで、人に好かれて。毎日、いっつも笑っていられるような人生を、おまんに過ごしてほしいと心の底から思うた。

    理由は十分さ。俺は男じゃから。おまんの歌が好きじゃったから。
    俺の命ば、おまんの為に使うと決めた。

    俺は、きちんとやれたじゃろうか。おまんの幸せば、ひとっつくらいは、増やせてやれたじゃろうか。
    やれるだけ、やってはみたんだけども。

    だからの、楓。俺は断じて、不幸ではなかったよ。
    むしろ反対、俺はきっと、天下一の幸せもんじゃったと思う。
    何の為に生まれて、何の為に生きるのか。わからぬまま終わってしまう男の方が、きっと多い。
    俺は二十年と少しの短い人生じゃったが、その意味を知ることができた。そして最期の瞬間まで、それを疑わずにおれる。
    案外、少ねえと思うぜ、ここまで惚れ抜ける女に出会えた、果報者はさ。

    だから、それだけは何卒、覚えておってくだんせえ。

    132 = 1 :


    もう、血も脂もほとんど出て行ってしもうて、肉体が果つるを待つのみじゃが、中々死に切れぬ。
    往生際悪く、この世に留まり続けるは、やはり、心残りがあるからなのじゃろう。

    死ぬのは、怖くねえ。

    俺は、何のために生きるのかは、はっきり決まっておったから。何のために生くるかと、何のために死ぬるかは、おんなしじゃもの。
    惚れた女の為に生きるのじゃから、惚れた女の為に死ねるさ。

    俺が怖いのは、おまんが泣きっ腫らしてしまう事。笑えんくなってしまう事。

    だから……こればかりは、悔いじゃ。

    おまんはきっと、俺を思い出してしまう。
    俺がごたるちっぽけな男ば、さっさと忘れてしまえばおまんは幸せになれるけども、たとえどれほど念を押したとて、おまんはきっと、俺を忘れることは出来ん。
    俺は、ずっと覚えてたもの。おまんの顔かたち、涙の温さを、片時も忘れたことはなかったもの。おまんの名、楓という名を。
    俺ですらそうなのだから、おまんがごたる情の深い女が、忘れよと言うて忘れることなどできるわけがねえと、本当はわかっておった。

    目を瞑れば、俺の中にはいつもおまんが居たんさ。
    おまんと別れてからもずっと、十の頃には十の姿のおまんが、十五の頃には十五の姿のおまんがいて、再び相見えたおまんは、俺の目の裏側に居ったおまんと、全くおんなし姿であった。
    胸の内には、おまんの歌声がいつも聴こえていた。忘れようとしたって、忘れようがねえのじゃ。

    133 = 1 :


    ひとりぼっちの俺の事ば、おまんが二人にしてくれた。そしたら、俺は二度と、元のひとりぼっちに戻ることは、出来んくなってしもうた。
    おまんだって、おんなしに違いねえんじゃ。
    じゃから、俺はどんな事ばしても、本当は帰らなきゃならなかったのに。
    おまんのそばに、最期まで居なきゃならなかったのに。


    ひとりにしてはならない。わかって、いたのになぁ。
    ごめんな。


    俺はおまんに、あの世も来世も無えぞと言うた。
    それは俺の生命ば、必ずこの地の上で使い切って、今生のうちにおまんば幸せにするのだと、誓っておった故。

    じゃから、こったな事は言い訳になり申す。だども最期じゃから。何卒、聞いてくりゃれ。

    俺は、護国の鬼などにはなんね。俺の御霊はおまんの傍にあって、必ずやおまんの幸せば、見届け申す。
    おまんを心から恋し尽くして、二度とおまんをひとりにはせぬ、おまんを支え抜くことの出来る婿殿を、必ずおまんに添わせ申す。

    それまでの間、もし辛かったら、目を閉じ、歌え。俺は必ず、其処におる。おまんが俺の目の裏に居続けてくれたように、俺も、必ず。
    そしていつか、そったな天晴れな婿殿と契り交わした、そん時こそ、俺の事ば何もかも、綺麗さっぱり、忘れて呉れ。

    五体ばずたずたに千切れるまでもがいて、それでもおまんの事ば、ちっとも幸せに出来んかった。
    面目次第もござらね、まったく情けねえ男だども、その偽りなき本心だけは、どうか、聞き届けあってくだんせ。

    134 = 1 :


    風が、寒い。空が暗くなった。いよいよきっと、終えじゃ。

    最期に俺は、約束ば、果たすよ。

    おまんの名、楓と。呼び続けたる。うんざりごたるほど呼んだる。おまん自身が忘れぬように。最期にその歌を届けてくれた、おまんの元へ俺も届けられるように。
    息の果てる刹那まで、おまんの名、呼び申す。千遍でも万遍でも、おまんの名、呼び申す。

    楓、、かえで、、、かえで……

    135 = 1 :


    ◇◇◇◇


    「――――楓さんッ」

    名を呼ばれると、温もりに包まれていた。
    彼の肩が、私の顔を抱いている。

    「びっくりしましたよ、急に泣き出すんですから」

    少し隙間を作ると、困ったように笑う彼と目が合う。
    親指が、私の涙をそっと拭う。
    ――――涙?

    「あ、あれ……私、泣いて、ました……?」

    思わず手で触れようとしたら、頬に何かが触れた。優しい感触。
    貴方の、掌。

    そしたら、血潮のような熱が、両眼から流れた。
    あとから、あとから、溢れた。

    彼の指は、それをすべて掬い上げてくれた。
    感情よりも、早く。それで私の表情は、くしゃくしゃになってしまった。
    滲んでいく景色の向こうで、彼は困ったように笑う。

    136 = 1 :



    「泣きたくなったら、うんと泣いてください。」

    顔を、頭を、撫でていく温もり。

    「もう、好きなだけ、泣いてください。僕が全部、拭きますから。涙が渇いて、笑えるようになるまで、ずっと。僕はこれから先、二度と、貴女の側を離れませんから。」

    意外とごつごつした、小さいけど逞しい掌が、私の頬を包む。
    そっと手を添わせれば、互いのぬくもりが通った。

    「きっと私、いま、変な顔です。」

    泣きながら、笑っています。
    変な子だって、思いませんか?

    「いいんですよ。楓さんですから。」

    この涙の、この気持ちの。理由はわかりません。わかる必要も、無いのでしょう。

    「――――っ」

    彼の胸と、私の胸を合わせる。心臓をくっつけるみたいに。
    顎を、その肩に乗せる。最初から、そうだったみたいに。

    137 = 1 :




    「ねえ、お願いがあるんです。」
    「なんですか?」

    背中に手を回して、抱き締めた。
    きっと、私はこうしたくて。

    「私の名前、呼んで下さい。」

    その声に、呼んでほしくて。

    「楓さん。」
    「もう一度。」
    「楓さん。」
    「はい。」

    私は、生まれてきたような気がします。

    「貴方に名前を、呼んでもらうのが大好きです。」

    もう一度、貴方を見る。
    僕も、と。貴方が言った。

    「貴方の名前を呼びたくて、貴方の歌が聴きたくて。きっと、ここまで来たんです。」

    止まることのない涙を、彼の親指は、もう一度、拭った。
    この心地よさを、ずーっと前から、知っていたような気がするのは。
    たぶん、私の中に、涙を拭いてくれるこの優しい指を、愛おしくて愛おしくてたまらなくて想い続けた、遠い日の誰かが生きているのだと思った。





    141 = 1 :

    ~蛇足に代えて~

    「――――少し、困ったことになりましたね」
    「え……?」

    いかにも小さな隠れ旅館、といった外観だったが、宿泊してみると中々どうして、趣がある。
    数秒だけ零だった距離が離れると、楓さんがふと、そんなことを言った。

    143 :

    モバつけろよ

    144 :


    「和歌山だけでもわがままの言い過ぎかな、と思っていたのですけれど……北海道にも、お邪魔しなければならなくなりました。」

    ふわっと香る湯上りの匂いを感じながら、彼女の言葉の意味に少しだけ思考をめぐらしたが、やがてすぐ、思い当たった。

    「……僕の実家、ってことですか?」
    「ふふっ……よろしくお願いしますね、お前様♪」

    いたずらっぽく、笑う。
    その芝居掛かった口調と、浴衣と照明の落ちた和室の暗さで、楓さんがこの間、出演した、時代劇を思い出した。

    「ですが、その前に」

    言うが早いか、ふわりと、楓さんは身をひるがえした。
    僕が驚く間もなく、彼女の肢体は、胡坐をかく僕の上に着地する。
    押し倒されないように、僕は両手を乗っている布団に突いて踏ん張る。
    その隙に、楓さんは僕にまたがり、そのしなやかな両腕で、僕の首元を絡めとった。

    「聞くべきお言葉を、まだ聞いていません」

    145 = 1 :


    息がかかる程の近くで、ノーメイクにも関わらずまるで色褪せない美貌。
    触れるところから伝わる体温。なんの香水にも邪魔されない、彼女自身の香り。
    浴衣からはだける、ほのかに上気した、彼女の肌。白魚の足に、何も着けていない胸元。

    「……その、すいません。身体が、反応してしまうんですが」
    「何も問題ありません。すべて差し上げると、言ったじゃないですか」
    「やだ、格好いい……」
    「……あなたも男らしく、覚悟を決めてくださいな」

    態勢を整えるために腰を揺らして、またいつもの、悪戯っぽい顔。
    ”思わず襲いたくなるシチュエーション”……まさか昼間のアレが、伏線になるとは思いませんでしたよ。

    「据え膳の、高垣食わぬは、武士の恥、でございますよ。」
    「日本人の先祖は大体、農民か町民だと思うんですがね……」

    真っ赤になっているだろう表情が恥ずかしくて、頬を掻きながら下を向いた。
    ――が、其処にはさらに刺激的な光景が広がっていて、思わず顔を上げた。
    そこで、互い違いの瞳と目が合い、ついに観念した。

    「僕とあなたは、プロデューサーとアイドルです、ですから今すぐは――――」
    「あ、そういうのは今更良いです。やり尽くされていますから、そのくだり。」
    「え゛っ」
    「シンプルに、貴方の気持ちを私にください。好きか、大好きか、愛してるかのどれかでどうぞ」
    「完全なる予定調和じゃん……」
    「あ、結婚しよう、でも良いですよ」
    「もはやノーガードですね……」
    「今夜、婚約した……ふふっ」
    「……1.00点」
    「え゛ぇーっ!!」

    外ではきっと、月が沈み、一日の中で最も濃くなる夜闇がすっぽり、すべてを隠してくれるだろう。
    世界に、二人だけになった、この数時間だけは、秘め事は僕と彼女の、大切な秘密である。

    146 = 1 :



    ――――すまんなあ、結局、泣きぼくろになってしもうたな。


    ――――良いですよ。ずいぶん遅かったですけど。きちんと、守ってくれはりましたから。


    147 = 1 :




    ずーっと昔からの、遠いお約束。



    148 = 1 :


    これで本当におしまいです、ありがとうございました。
    今までうpしたやつは


    ・【モバマス】周子「切なさ想いシューコちゃん」

    ・【モバマス】速水奏「ここで、キスして。」

    ・P「付き合って2か月目くらいのlipps」

    です。メモ帳見たら中途半端なままお蔵入りになってたのもありますので、そのうち上げるかも……

    149 = 1 :

    いま書いてるor考えてるのは

    ・縛った美波から良質のグルコースを摂取し続ける話。
    ・奏はお尻が弱いという話
    ・志希ちゃんと性衝動に関する実験と言う名のプレイをする話。
    ・紗枝はんの息子が周子ちゃんの娘にからかわれ続ける話
    ・紗枝はんの実家に挨拶
    ・周子の前世もの

    です

    とときん、ふみかの胸部装甲にクリームパイされて糖死したいのですが、どなたかそういうお話を書いていただけないでしょうか。

    150 :


    面白かった
    奏の読みたい


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