私的良スレ書庫
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元スレ八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」凛「またね」
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あと挨拶していないのは……と、視線を彷徨わせると、やがて一人と目が合った。
相変わらずどこか眠たげな、金髪の少女。
凛「渋谷凛です。よろしくお願いします、星井さん」
いたって普通の挨拶。
けど、星井さんはジッと私の顔を覗き込むように見て、何も言おうとしない。
凛「……?」
不思議に思っていると、しかしすぐに星井さんは笑顔になる。
美希「うん。よろしくなの。凛」
テレビでよく見る、あの無邪気そうな笑顔。
でも、さっきの表情はなんだったんだろう。
まるで、見定めるかのような……
美希「ねぇ、凛」
凛「はい?」
美希「これからストレッチしようと思うんだけど、相手をしてくれないかな?」
凛「えっ」
その申し出に驚く。
いや、別に嫌というわけじゃないんだけど、ちょっと予想外というか。
それにしても、いきなり名前呼びとは凄いフレンドリーだ。
美希「ほらほら、早くやるの」
凛「ちょ、ちょっと…」
手を引っ張られ、比較的空いたスペースに連れてかれる。ほ、星井さんって、こんなに積極的なタイプなの?
確かに765プロの人たちは奇数だし、ペアを作ったら一人溢れるけど……
と、何だか分からない内にストレッチが始まってしまった。
先に開脚をしている星井さんの背中を、ゆっくりと押してやる。
……さすが、柔らかいね。
美希「……ねぇ、凛」
凛「なんですか?」
ぐっ、ぐっ、と。
背中を押しつつ、言葉を返す。
その時は、他愛のない話だろうと思って特に身構えてなかった。だからだろう。
星井さんの言った次の言葉に、思わず身体が固まってしまったのは。
美希「プロデューサーのこと、本当に大切に思ってたの?」
その、さっきまでと何ら変わらない声。
それなのに、その言葉はまるで刃物のように、鋭く渡しの胸に刺さった。
凛「…………えっ……」
言葉が、出てこない。
というより、上手く頭が働いていなかった。
突然すぎるその質問を、すぐに理解することが出来なかった。
それでも、星井さんは私の返答を待たずに話し続ける。
美希「はちまん、だっけ? 凛のプロデューサー。この前、少し会ったの」
凛「どうして……」
美希「んーそれは言わない方がいいのかな。まぁ、その内分かるの」
あっけらかんとした物言い。
その内分かるって……彼が、765プロの星井美希と? 一体どんな理由があれば会うことになるのだろう。考えても全然分からない。
けどそれよりも、さっきの質問。
凛「……大切に思ってたのかって、どういう意味?」
美希「そのままの意味だよ。詳しくは知らないけど、事情があって辞めちゃったんだよね?」
凛「…………」
美希「それでも、普通にアイドルをやれてるみたいだから。ちょっと気になったの」
何でもない事のように、変わらないトーンで喋る星井さん。
背中をこちらに向けているため、今、彼女がどんな顔をしているのかは分からない。
……それでも、中々踏み込みにくいことを訊いてくるものだ。
凛「…………大切だったよ。凄く」
だから、だからこそ私も、真摯に応えることにした。
きっと彼女も、自分が何を訊いてるか、分かった上で話してると思うから。
凛「もちろん、今でも大切に思ってる。だから約束を守る為に、私はアイドルをやってるんだ」
美希「約束?」
凛「うん。必ずトップアイドルになるって。そうしたら、必ず迎えに行くって約束」
もう一年くらい前にもなる、あの日交わした約束。
思えば、このことを人に話すのは初めてだ。そりゃ、話して回るようなことでもないしね。
そしてそれを聞いた星井さんは、少し面白そうにして声を上げる。
美希「あはっ。迎えに行くって、王子様みたいだね凛」
凛「そ、そんなカッコいいものじゃないと思うけど…」
美希「……まぁ、どっちが先かは分からないけど」
凛「え?」
美希「なーんでもないの!」
すると星井さんは立ち上がり、今度は交代と私を座らせて背中を押す。
そう言えば、今はストレッチの最中だった。
美希「さっき、凛は約束の為にアイドルをやってるって言ったよね」
凛「ん、うん」
背中を押しながら、星井さんは再び会話を続ける。
美希「じゃあ、その約束が無かったら、凛はアイドルやらないの?」
凛「え?」
またも、一瞬身体が止まる。
約束が無かったらって……
美希「もしプロデューサーが元々いなかったら、アイドルやってなかったの?」
凛「いや、それは……」
美希「それとも……プロデューサーが『アイドル辞めて結婚してくれー』って言ったら、辞めてた?」
凛「け、結婚!?」
思わず、上ずった声が出る。
け、結婚って、そんなの考えたことも……いや、確かに迎えに行くとは言ったけど。
狼狽する私を見て、星井さんは「大袈裟なの」とおかしそうに笑う。
けど、その後すぐに静かになって言ってくる。
美希「……ごめんね、急に色々訊いちゃって。ただ、ちょっと気になったの」
振り返ると、彼女はジッと私の目を見る。
さっき見せた、あの覗き込むような目。
美希「あんな奇麗な歌を唄う凛が、どんな思いで唄ってるのか」
奇麗な、歌。
どこかで、私の歌を聴いてくれていたのだろうか。だとすれば、その評価を含めてとても光栄なことだ。素直にそう思う。
美希「それに千早さんや、あの春香も気にかけてるみたいだしね」
凛「え?」
千早さんはともかくとして、ハルカというのは、あの天海春香さんでいいのだろうか。私は直接会ったことは無いはずだけど……どういうこと?
しかし、星井さんは特に説明はしたりしない。こうい所は本当にマイペースだ。
そして星井さんは、改めて問うてくる。
美希「だから、聞かせてくれないかな。あなたが、どんな思いでアイドルしているのか」
悪意なんて感じない。
冷やかしとか、皮肉とか、そんなものは一切感じない。
ただ純粋に、彼女は”アイドルとして”私に尋ねたいんだろう。
その気持ちに応えるべく、私はーー
凛「……私は」
と、そこで私の声は遮られる。
音の方を見てみれば、今日最後のアイドル、愛梨と蘭子が丁度来たところのようだった。
伊織「アンタたち、いつまで話してんのよ。みんな集まったみたいだからレッスン始めるわよ」
美希「むー、まだ話してるのに。でこちゃんってば厳しいの」
伊織「今日はレッスンしに来たんでしょうが!」
ぴしゃり、と叱ってのける水瀬さん。
こうして星井さんにはっきり言える人は案外珍しいように思う。
伊織「ほらアンタも」
凛「あ、はい」
言われ、慌てて立ち上がる。
すると何故か、水瀬さんは私の近くに寄ってきて小声で話し出した。
伊織「……ごめんなさいね。あの子も、悪気があるわけじゃないの」
言いながら見る視線の先には、ドリンクを取りに行った星井さんの背中。
凛「き、聞いてたんですか」
伊織「そりゃ、あれだけ普通に喋ってれば聞こえるわよ」
そこまで言われて気付いたが、他のアイドルたちも少し気まずげにこっちを見ている。そうじゃないのは今来た愛梨と蘭子だけだ。
凛「……まぁ、いいですよ。隠すようなことじゃないし、それに…」
伊織「それに?」
凛「星井さんが言ってたことは、私もずっと思っていたことでもあるから」
苦笑しつつそう言うと、水瀬さんは少し驚いたように目を丸くする。
そしてその後、同じように苦笑い。
伊織「アンタも大概面倒そうな性格ね。……プロデューサーとアイドルって似るのかしら」
凛「え?」
伊織「なんでもないわよ」
最後の方が聞こえなかったので聞き返すも、水瀬さんはさっさと行ってしまう。
……765プロのアイドルって、みんな何か含みのある言い方するよね。高槻さん以外。
あの人がファンになる理由が、ちょっと分かった気がする。
その後合同レッスンはつつがなく進み、予定より少し早めに終了した。
今日は顔合わせも兼ねていたので、内容としては軽いものだ。
そして着替えも終わって各々が帰り支度をしてる中、星井さんは「また明日ね」と去り際に言い残し、他の765プロのアイドルたちと一緒に帰っていった。確かに明日もレッスンはある。
……あの言い分じゃ、明日また訊かれるのかな。
デレプロのアイドルたちもそれぞれ帰宅。レッスン前の会話について誰も触れてこなかったのは、私に気を遣ってくれたんだろう。
未央「しぶりーん、早く帰ろー!」
凛「うん。……あ、ごめん。私ちょっと忘れ物しちゃったみたいだから、先行ってて」
出口の方で待っててくれていた未央と卯月にそう告げ、レッスンルームに戻る。
着替えの入った手提げを忘れちゃ、さすがにまずいよね。
暗い部屋の中、目当ての物を見つけてすぐに戻る。
出口へ向かう途中、しかしそこで思わぬ遭遇をすることになった。
「失礼しまーす……」
扉を開け、キャスケット帽を被った女の子が入ってきたのだ。
「あれ、もう終わっちゃったのかな……顔だけでも出しておこうかと思ったんだけど…」
キョロキョロと辺りを見渡し、そこで、ようやく私と目が合う。
眼鏡をかけ、帽子から少しだけ赤いリボンが見え隠れしてる、この人はーー
凛「……天海、春香さん?」
春香「あなたは……」
お互い目を丸くして、見つめ合う。
こうして、私は彼女と初めて出会った。
恐らく、今一番トップアイドルに近いであろう、彼女と。
今回はここまで。明日で渋谷凛のその後は終わりです。
最後のエピローグだけは予定をちょっと過ぎそうですが、8月10日には更新できればと思っています。
最後まで、どうかよろしくお願いします。
最後のエピローグだけは予定をちょっと過ぎそうですが、8月10日には更新できればと思っています。
最後まで、どうかよろしくお願いします。
申し訳ありません、今日の更新は中止します。
明日は恐らく大丈夫だと思うので、なるべく急ぎで頑張ります。
明日は恐らく大丈夫だと思うので、なるべく急ぎで頑張ります。
*
前にも言ったけど、765プロというアイドルプロダクションは、この業界においてトップの知名度を誇る。
所属人数も、事務所の規模も、そこまで大きくはないと聞いたことがあるけど、それでも765プロは間違いなくトップアイドルへの座へと足を踏み入れている。それだけは確か。
それぞれのアイドルがそれぞれの分野で輝き、様々なことに常に挑戦し、時には、一致団結し最高のライブを届ける。
その輝く姿は、誰をも魅了してやまない。
もちろん、私もその一人。
そして、そんな765プロにおいて一人中心的アイドルがいる。
全員のライブではセンターを張り、765プロのアイドルたちを引っ張っていってる、そんなアイドル。
天海春香さん。
その人が、今、すぐ隣に座っている。
合同レッスンでいつか会う日が来るとは思っていたけど、まさか、こんな二人っきりの状況で偶然会うことになるなんてね。
春香「はい、これ」
レッスン場の廊下にある、備え付けのベンチ。
そこに腰掛けながら、天海さんはこちらに缶コーヒーを手渡してくる。
先程、側の自販機で買っていたものだ。
春香「コーヒーで良かった?」
凛「あ、うん。じゃなくて、すいません……っ」
受け取った後、慌てて鞄から財布を取り出す。
春香「あっ、いいよいいよ! これくらい!」
凛「でも……」
春香「お近づきの印ってことで、ご馳走させて?」
ニコッ、と。屈託のない笑顔でそう言う天海さん。
なんとなく、卯月を思い出した。
何と言えば良いんだろう。安心感、というか、素直に可愛らしいと心から思える、そんな笑顔。
凛「ありがとう……ございます」
お礼を言うと、彼女はまた笑ってくれた。
たまたま忘れ物を取りに戻ったことで偶然会った天海さん。
折角会えたのだから、という理由で、彼女はお話をしようと言ってくれた。もちろん私としても嬉しいんだけど……さっきの星井さんの件があるから、ちょっと怖い。
でも、この感じだと大丈夫そうかな。
卯月と未央には先に帰っていてほしいとお詫びのメールを送っておく。
春香「そっか。予定より早く終わってたんだね」
凛「はい。私は、ちょっと忘れものをしちゃったから」
春香「本当、偶然だったんだね~」
何でも、天海さんも重なっていた仕事が早く終わったので顔だけでも出そうと、レッスン場へ足を運んだらしい。
残念ながら入れ違いになってしまったけど、本当に偶然、私とは会うことができた。
春香「合同レッスンはどうだった? 上手くいった?」
凛「ええと……」
その質問に、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
レッスン自体は良かったと思う。初日ということもあって軽めではあったし、765プロアイドルの動きを間近で見れたのも貴重な体験だった。
……ただ、星井さんとのアレがあったから、ね。
それをわざわざ説明するのもどうかと思うし、なんと言えばいいのか…
凛「レッスンは上手くいったと思います。ただ、その……」
春館「うん?」
な、なんて純真な目で見てくるんだろう。なんだか既視感を覚える。……たぶん卯月だろうけど。
まぁ、どうせその内聞くかもしれないとも思うし、言ってしまっても問題ないかな。
凛「ちょっと、星井さんとお話したんです」
春香「美希と?」
凛「はい。その、私のプロデューサーの件で。……元ですけど」
春香「えっ!?」
声を上げ、思った以上に大きなリアクションを取る天海さん。内容をまだ言っていあいのに、この驚きよう…
凛「もしかして、天海さんも会ったことあるんですか?」
春香「え、ええーっと、そう……だね」
私の質問に、天海さんは何とも答え辛そうに言う。ただ、その返答内容にも驚いた。
凛「美希さんといい、どうして……?」
春香「う、うーん……どこまで話していいのかな……」
聞き取れないくらいの小さな声で、ぶつぶつと何やら呟いている天海さん。
少しの間があった後、彼女は思い至ったように、思いもよらない発言をする。
春香「えっと、そう! 比企谷くんとは、友達なの!」
凛「……………………」
なの……なの………なの…………
と、天海さんの言葉が木霊していくのを感じる。
静寂が、辺りを包んだ。
凛「…………天海さん」
春香「な、なに?」
凛「いいんですよ、別にあの人に気を遣わなくても」
春香「どういう意味!?」
いや、だってね……
友達って、そりゃ、最初に会った頃に比べればそういう関係も増えたみたいだけど。
春香「いや、本当だよ? ちょっと詳しくは話せないっていうか、言い辛いんだけど…」
言葉を選ぶように、ゆっくりと話す天海さん。
春香「……友達っていうのは、間違いじゃないよ。もしかしたら、私がそう思ってるだけかもしれないけど」
そう言って、苦笑する。
あの天海さんにこんなことを言わせるなんて。本人はちゃんと自覚してるのかな……してないだろうね。あの人のことだし。
春香「それにほら、LINEのIDも交換してるし」
凛「えっ!?」
今度は私が思わず大きな声を出す。
ま、まさか本当に友達なの……? いや、天海さんは最初からそう言ってるんだけどさ…
と、今はそんな話をしてるんじゃなく。
凛「その、星井さんに言われたんです」
春香「言われた?」
凛「はい。……『プロデューサーのこと、本当に大切に思ってたの?』って」
その後の会話も含めて、大体のあらましを説明する。
話してる途中、天海さんはずっと申し訳なさそうな顔をしていた。
春香「ご、ごめんね! 美希がそんなこと話してたなんて…」
凛「いえ、良いんです。別に嫌なわけじゃなかったんで」
これは本当。
確かに凄い驚きはしたけど、言っていたことは、やっぱり向き合うべきことだから。
凛「なんていうか、再確認した気分です。私の気持ちを」
あの人と約束していなかったら、私はアイドルを続けなかったのか。
あの人がいなかったら、私はアイドルになっていなかったのか。
あの人が、結婚しよう、なんて事をもしも言っていたなら、私はアイドルを辞めていたのか。
そんな、誰に訊かれるでもない、誰に答えるでもない、自分への問い掛け。
それを、改めて訊かれただけの話なんだ。
凛「凄い人ですね、星井さん」
苦笑しつつ、素直に思ったことを口にする。
あんなことを面と向かって訊ける人は、中々いない。もちろん、良い意味で。
そんな私の様子を天海さんは少し意外そうな顔で見ていたかと思うと、不意に、安堵したかのように笑みをつくる。
春香「……なんだ」
凛「え?」
春香「もう、凛ちゃんの気持ちは決まってるんだね」
その台詞で、今度は逆に私が意表を突かれた。
私が驚いているのが伝わったのか、天海さんは少しおかしそうに笑って言う。
春香「だって凛ちゃん、そういう顔してるから」
凛「……なに、そういう顔って」
私も、つられて笑ってしまった。
そうだよ。
私の気持ちなんて、もうとっくに決まってる。
一頻り笑ったあと、天海さんはやけに嬉しそうに話す。
春香「凛ちゃん、やっと敬語とってくれたね」
凛「えっ……あ、すいません!」
春香「ううん、いいの。私はそっちの方が嬉しいな」
また、あの屈託のない笑顔。
凛「でも、先輩に向かってってのは……」
春香「それ以前に、もう友達でしょ?」
そんなことを言う天海さんに一瞬呆気にとられた後、思わず吹き出してしまう。
今日初めて会った後輩に、それ以前に友達だから、とはね。
何となく、あの人と友達と言うのも頷けてしまった。
この何とも言えない押しの強さに翻弄される姿が、目に浮かぶ。
凛「ふふ……」
春香「な、なんで笑うの? 私、変なこと言ったかな?」
凛「……ううん。全然?」
なんだが、無理をするのがバカらしくなった。
本人が良いと言うのであれば、良いのだろう。そう思うことにした。
その後結局レッスン場が閉められるまで話し込んでしまい、すっかり暗くなった頃に別れることとなった。
私はそこまで人見知りってほどじゃないけど、それでも、初めて会った人とこれだけ話せるんだから、天海さんは凄い。
春香「明日は私もレッスンに参加できそうだけど、凛ちゃんは?」
凛「私も明日はいるよ。……どうやら、星井さんもいるみたいだし」
春香「あはは、それは大変そうだね」
苦笑した後、天海さんはふと遠くの街の方を眺める。
つられて見れば、仄かに青さが残った暗い空の向こうに、ついさっき太陽が沈んだであろう微かな灯火が見えた。
その光へ辿っていくように、ぽつぽつと、まるで星のように街の明かりが灯り始めている。
なんだか、いつかの帰り道を思い出してしまう。
春香「……前も、こんな時間だったな」
凛「え?」
春香「ううん。こっちの話」
誤摩化すように笑う天海さんは、改めて私の方へ向き合う。
春香「頑張ってね。……って、私が言わなくても、凛ちゃんはもう頑張ってるよね。あはは」
凛「どうかな。必死ではあるけど、それが頑張ってることになるかは分からないし」
春香「あ、今の言い方比企谷くんっぽい」
凛「……それは、あまり嬉しくないかな」
まさか反面教師じゃなくて、真っ当に似てきているなんてね。そりゃ、見習いたい所もあるにはあるけどさ。
春香「……凛ちゃんも比企谷くんと同じくらい、悩んで考えて、必死に進もうとしてきたんだね」
凛「……それこそ、どうなんだろうね」
あの時、私は何もできなかった。
考えることもできず、悩むことすら放棄して、ただただ流れに身を任せてただけ。
そんな私の背中を押してくれたのは、やっぱり彼だった。
あれから一年。彼がいなくても、私なりになんとか頑張ろうともがいてきた。
悩んで、考えて、少しでも前へ、前へと。
でも、それも結局は自分の為なんだ。
そうして足掻いていないと、苦しいから。何もしない方が、じっとしている方が、苦痛になってしまったから。
だからこうして駆け抜けている間だけは、楽でいられる。ただ、それだけ。
そんな私の自分よがりな思いが、本当に、彼と一緒と言えるんだろうか。
春香「大丈夫だよ」
でも、彼女は笑って言ってくれる。
なんてことのないように、背中を、押すように。
春香「だって、二人ともそっくりだもん。私が保証するよ」
たったそれだけの言葉で、ただ笑顔でそう言ってくれるだけで、
何故だか、自分でも信じられないくらい安心することができた。
凛「……ありがとう、天海さん」
しかし私がお礼を言うと、彼女は少しむくれてしまう。
というより、呼び方が気に入らなかったようだ。
春香「もう。春香でいいよ、凛ちゃん」
凛「え? い、いいのかなぁ」
春香「いいの!」
ウインクし、まるでお願いするかのように、力強く言い放つ。
……なら、ここで渋るのも失礼な話か。
凛「……ありがとう、春香」
少々照れくさいけど、でも、他でもない彼女の頼みだから。
春香「うん。どういたしまして」
そうして、春香は満足げに微笑んだ。
やっぱり、トップアイドルって凄いんだね。
春香「それじゃあ、また明日ね」
凛「うん。また明日」
手を振り、春香と別れる。
逆方向へと向かって歩き出し、今日は色んなことがあったな……なんて考え出した時、
春香「凛ちゃん!」
突然の呼びかけ。
驚きすぐに振り返る。
5メートルほど離れた所にいる春香。彼女はバレることなどお構い無しに、よく通る大きな声で、私にエールを送ってくれた。
春香「昔の偉い人は言ったよ。……『乙女よ、大志を抱けっ!』」
そう良い残し、彼女は去っていった。
最初は呆気にとられていたが、遅れて笑いが起きてくる。
本当、強敵だなぁ。
あれがいずれ超えなきゃいけない存在なんだから、アイドルは大変だし、面白い。
たぶんその偉い人っていうのは、リボンを付けた笑顔のとてもよく似合う、可愛らしい女の子なんだろうね。
*
765プロアイドルとの予想外の出来事があった、その翌日。
私は少し早めに目が覚めた。昨日あんなことがあったせいかな。なんだか、とても懐かしい夢を見たような気がする。
今日は朝一から合同レッスンがあるし、折角だから早く家を出ることにしよう。もしかしたら、彼女も早く来てるかもしれないし。
……いや、あの人だったらギリギリまで寝てるかな。どうだろ?
手際良く準備を済ませ、両親とハナコに行ってきますとちゃんと挨拶をし、家を出る。
今日は気持ちがいいくらいの快晴だ。
きっと、良いことがある。
レッスン場へ着くと、何故だかほとんどのアイドルたちが揃っている。結構早めに着いたと思ったんだけど、もしかしたら765プロとの合同レッスンだってことで、みんな先に来ていようと気をつけたのかな。
でも、その765プロの人たちも既に全員来ているとは、さすがに予想外。
もちろん、その中には春香もいる。
春香「おはよう、凛ちゃん」
凛「おはよう、春香」
他に人がいる中で呼び捨てにするのは少し勇気が必要だったけど、思ったより周りの反応は小さい。……もしかして、私敬語とか使わないのが普通だと思われてる?
そしてレッスンルームの奥の方。壁に寄り掛かるようにしてる星井さんを見つけた。
星井さんは私に気付くと、いつもと変わらない笑顔で軽く手を振ってくる。
それに私も笑い返し、近くまで歩いて行った。
隣に立ち、寄り掛かるように私も壁へ背中を預ける。
美希「おはよ、凛」
凛「うん。おはよう……ございます」
私が取り繕うように後から付け足すと、星井さんはおかしそうに笑い出す。
美希「あはっ、もう敬語なんて使わなくていいの」
凛「そ、そう……かな」
美希「うん。それに昨日もほとんど使ってなかったよ?」
凛「えっ」
そう言われて思い返す。
確かにそう言われれば、そうかもしれない……あれ、なんか会話に集中してたせいで良く思い出せない。たぶん本当に使ってなかったんだろう。
美希「呼び方もミキでいいよ。今更、他人行儀なの」
凛「……なら、遠慮なく」
既に春香に対してそうだし、星井さん…じゃなくて、美希は同い年だ。
これも本人が良いと言うのであれば、遠慮なく呼ばせて貰おう。正直、私としても助かる。
……こんなんだから、敬語が使えないと思われてるのかもしれないけど。ほ、本人が良いって言ってるから良いの!
凛「朝は弱いのかと思ってたけど、随分早く来てたんだね」
美希「むー、レッスンは別なの! っていうか凛、はっきり言い過ぎじゃない?」
凛「あはは、ごめんごめん」
ぷんぷんと怒った風に言うが、全然怖くない。むしろ可愛らしいくらい。
美希「そう言う凛は、来てすぐにミキに会いにきたよね」
凛「ん。まぁ、昨日のこともあったしね」
美希「……じゃあ、聞かせてくれるんだ」
期待するかのような、それでいて、穏やかな目で私を見る美希。
どうしてそんなにも私のことが気になるのか、そこが少し不思議に思う。あの星井美希に興味を持たれるなんて光栄だけど、やっぱりちょっと信じられないからね。
私の歌にそこまでの魅力を感じてくれたなら、こんなに嬉しいことはないけど。
凛「私がどんな思いでアイドルをやっているのか……だったよね」
色んなことがあった。
アイドルになっていいのかと悩んだこともあった。
アイドルを続けていいのかと苦悩したことがあった。
私にとってアイドルとはなんなのか。そう、今でもずっと考え続けている。
正直、今でも気持ちが揺らいだり、どうしていいか分からなくなることもある。
でも一つだけ、たった一つだけ、はっきりと言えることがある。
胸を張って、確信を持って、堂々と言えることがある。
凛「楽しいから」
それは、とても簡単なこと。
凛「私は楽しいから、アイドルをやってるんだ」
至極単純で、シンプルすぎるその答え。
でも、だからこそ心からそう言える。
凛「歌を唄ってる時は気持ちがいいし、ライブが上手くいけば凄く嬉しい」
美希は、私の言葉に頷いてみせる。
凛「新しい仕事を貰えればやる気が溢れてくるし、ファンから応援されれば思わず舞い上がっちゃう」
美希「うん」
凛「辛いことも、苦しいことも沢山あるけど、でもそれ以上に、アイドルが楽しい」
美希「うん……分かるの」
毎日たくさんレッスンをして、仕事をこなして、くたくたになって眠りにつく。
起きれば、またレッスンや仕事をして、その繰り返し。
非難や中傷もある。応援や賞賛もある。
数え切れない、私もまだ見たことのない景色が、ここにある。
凛「こんな楽しいことを辞めちゃうのは、私は勿体無いなって、そう思うんだ」
それを教えてくれたのは、今は隣にいないあの人だけど。
でも、だからと言って私が手放す理由にはならない。
あの人と約束していなかったら、私はアイドルを続けなかったのか。
あの人がいなかったら、私はアイドルになっていなかったのか。
あの人が、結婚しよう、なんて事をもしも言っていたなら、私はアイドルを辞めていたのか。
その問いに対する答えは……否だ。
あの人との約束を叶えたい。
あの人が残した思いを無駄にしたくない。
あの人が背中を押してくれたことを無かったことにしたくない。
でも、それ以上に。
私は、私がやりたいから、アイドルをやるんだ。
それが、私の答え。
美希「……そっか」
じっと聞いていてくれた美希は、目を閉じて満足そうに微笑む。
彼女がほしい答えを、私は返すことができたのかな。
美希「それが、凛の思いなんだね」
凛「ただの我が侭だよ。誰の為でもない自分の為。そんな立派なものなんかじゃないんだ」
美希「そんなことないの。ミキだって、キラキラしたいからアイドルをやってるし」
キラキラしたい……
その例えは、何だかとても美希らしい。会って間もないけど、そんな風に思えた。
美希「もちろん、ハニーに喜んで貰いたいっていうのもあるけどね。あはっ」
凛「は、ハニー?」
もしかして、それは765プロのプロデューサーのことを言っているのかな。凄い呼び方だ。
美希「あ。あとこれは本当に興味があるから訊くんだけど…」
凛「な、なに?」
美希「凛は、ハチマンのことを好きだったの?」
また、なんともどストレートなその質問。
でも、正直予想はついてたかな。だから私は、特に言い淀むこともなく言う。
凛「……うん。好きだよ」
思いのほか、簡単にその言葉は出て来てくれた。
気恥ずかしくはあったけど、でも、相手が美希だからかな。こうしてちゃんと口にできたのは。
その答えが何やら嬉しかったのか、美希は「そっか」と言って、また微笑んだ。
そこで、なんとなく気付いた。
たぶん。美希もそうなんだろう。
自分のプロデューサーのことをハニーと呼ぶ彼女も、きっと私と同じで、同じように色んな思いを抱えてるのかもしれない。
だから、こうして歩み寄ってきてくれたのかな。
美希「なんだか甘酸っぱいね」
凛「甘酸っぱい?」
美希「うん。楽しいことや辛いことがあって、好きな人と出会ったり別れたりもして、なんていうか…」
凛「……青春してる?」
美希「そう! まさにそれなの」
青春、ときたか。
美希のその例えに、思わず苦笑してしまう。
それは、またなんとも皮肉が効いてるね。まさか、あの人が嘘であり悪であると言った青春を私が謳歌しているとは。
……うん。でも、確かにそうかも。
その言葉は、なんだか私にはとても素敵に聞こえた。
凛「……私にとってのアイドルは、青春なんだ」
他の人には笑われてしまうかもしれない。あの人が聞いても、たぶん苦い顔をするだろう。
でも、私は好きだな。
少なくとも、今隣にいる彼女もそう感じてくれている。
美希「ありがとね、凛。色々聞かせてくれて」
凛「ううん、こっちこそ。良い経験? になったよ」
美希「……ちょっと疑問系なの」
思わずジト目で見られる。
でもこっちだって結構驚いたんだから、これくらいは許してほしいかな。
美希「これからは、ライバルだね」
凛「……美希にそう言って貰えるなら、光栄だよ」
美希「あと、恋バナ友達?」
凛「それは、あまり大っぴらには言えないかな……」
でも、美希が私をライバルと言ってくれたように、私だって負けたくないとずっと思っていた。必ずあの頂きへ行くと、思い続けてきたんだ。
凛「……美希や千早さんや、春香にも。いつか追いついてみせるから」
私のその言葉に、美希はやや挑戦的に、不適に笑う。
美希「ふーん? 追いつくだけでいいの?」
その返しには思わずぽかんとしてしまったが、こっちも、負けじと笑い返してやる。
凛「まさか。追い抜いて……トップアイドルを目指すよ」
アイドル。
それは人々の憧れであり、遠い存在。
誰をも笑顔にして、勇気を与えて、元気をくれる。
キラキラしていて、懸命で、美しく、真っ直ぐで。
人々に希望を与え、輝きを見せる、そんな存在。
そんなまるでお伽噺のような、偶像と言われても仕方が無いような存在を、私は目指す。
きっと、それは難しいのだろう。
辛いし、苦しいし、数え切れない程の困難がきっと待っている。道は険しいなんてものじゃない。
もしかしたら、最初から辿り着けるような場所じゃないのかもしれない。
そもそも、そんなものは存在しなくて、ただの幻想なのかもしれない。
けど、私は諦めたくないんだ。
たとえ私が抱いているのが叶わぬ夢で、ありもしないものへの憧れだったとしてもーー
それでも、私は本物になりたい。
本物のアイドルに、なりたいんだ。
凛「……全力で、駆け抜けてみせるから」
いつか、彼と約束した時のように。
私は、私へと言い聞かせた。
と、そこでレッスンルームにトレーナーさんが入ってくるのに気付く。
もうそんな時間かと思って準備にかかろうとすると、何やら他のアイドルたちも慌てて動き始めている。
……この様子は、またみんな聞いてたな。
私も美希も、なんだかおかしくて笑ってしまった。
美希「凛、ストレッチしよっか」
凛「うん。よろしく」
その後はレッスンを順調にこなし、お昼頃まで取り組んだ。
昨日も集中してやっていたとは思うけど、でも、それでも頭の片隅には美希との件があったからね。どこか少なからず気持ちが入り切っていなかったかもしれない。
だからその分、今日はちゃんとやれたと思う。
……こうして見ると、やっぱり765プロのみんなは凄いね。
合同ライブまで、あと三ヶ月。
時間はまだ結構あるように感じるけど、きっとあっという間だ。
だから今のこの気持ちも、貴重な経験も、忘れないよう胸に刻んでおこう。
*
月日の流れは、本当に早い。
美希や春香、765プロのアイドルたちと出会ったあの日から、もう三ヶ月。
あれから何度もレッスンを重ね、打ち合わせし、時にはご飯へ一緒にいったり、親睦も深めたりもした。
……美希や春香、千早さんが家まで遊びに来た時は本当に驚いたよ。
どうやら他のアイドルのみんなも、それぞれ交流しているみたい。
春香と連絡先を交換できたと、卯月がとても嬉しそうにしていたのを思い出す。
765プロが憧れなのは、みんな一緒だからね。
そしてそんな日が続いて、今日は遂に、765プロとシンデレラプロダクションの合同ライブ。その当日だ。
きっと上手くいく。そう信じられる。
だって、デレプロも765プロも、みんなどうしようもないくらい素敵で、輝いているって、私が誰よりも知ってるから。
だから、きっと今日は大丈夫。
開場前の待機時間、各々は準備に取りかかったり、気持ちを落ち着かせたりしている。
もちろん私もその一人で、ステージの様子を確かめたり、他のみんなと話したりしてから、控え室に戻った。
凛「……あれ」
しかしデレプロの控え室に戻っても、そこには誰もいなかった。
いや、正確にはスタイリストさんやマネージャーさんが何人か出入りしているけど、アイドルは一人も見当たらない。
たぶん、まだ他の所にいるのかな。もしかしたら765プロの方へ挨拶へ行ったりしてるのかも。
ただ少し出歩いて疲れたので、私は座って待つことにする。その内誰か来るだろう。
凛「ふぅ……」
「ステージ、どうだった……?」
凛「ひぁっ!?」
どこからかの突然の声に、椅子ごと倒れそうになるくらい驚く。び、びっくりした……
凛「……輝子。またそんな所にいたの?」
輝子「フヒヒ……落ち着くから」
控え室の机の下、そこを覗けば、思った通り輝子がいた。アイドル衣装で。
っていうか、他にほとんど人がいないのに入る意味はあるのかな……落ち着くんなら良いけどね。
凛「ステージならもう準備万端だったよ。そろそろ開場じゃないかな」
輝子「そ、そうか……いよいよ、だな……」
ぷるぷると、緊張しているのか肩を振るわせる輝子。
でも、不思議と表情に陰りは見えない。むしろ、目をギラつかせているようにすら見える。
凛「……楽しみ?」
輝子「うん。……こんな大きなステージ、立てるとは、思わなかったから……」
凛「ふふ、そっか」
そうやって笑えるなら、きっと大丈夫だね。
なんだか、輝子がとても頼もしく思えた。
輝子「……凛ちゃんは、やっぱり平気そう、だな…」
凛「そんなことないよ。これでも緊張してる」
こういうライブは何度経験しても慣れるなんてことはない。しかも今日は756プロとの合同ライブ。平気なんてことはなく、強がっているだけだよ。
輝子「でもその割には、最初のレッスンの時、啖呵切ってたよな……」
凛「あ、あれは啖呵とかじゃないから!」
思わず反論してしまう。
いや、確かに追いつくとか追い抜くとか、そんなことを美希(と765プロアイドル)の前で言ったけど、あれは別にそういうつもりじゃなくてね?
しかし輝子は、分かった分かった、みたいなしたり顔で頷くのみ。絶対分かってないでしょ。
凛「……そう言えば、レッスン二日目の時は輝子もいたんだったね。みんなしてばっちり聞いてるんだから…」
輝子「フフ……私、存在感が薄いから……」
凛「ああいや、そういう意味で言ったんじゃなくてね?」
というか、ある意味じゃとてつもない存在感を放ってる気がするけど。
特にライブなんかはそう。その誰もの目を引く存在感に、私も負けてられないと常に思っている。……まぁ、気恥ずかしくて本人には言えてないけど。
凛「……別にあの時の話を聞かれたのは良いんだけどさ。でも、やっぱりちょっと恥ずかしいね」
輝子「なんでだ……?」
凛「だって、結局は私の独りよがりな思いだからね。アイドルの答えとして良いとは言えないでしょ?」
私がそう言うと、輝子は「ふむ……」と頷くようにする。
輝子「……確かに、”アイドルとして”は良くないかもな」
凛「うっ……思ったよりハッキリ言うね…」
輝子「ただ……」
凛「?」
輝子はそこで言葉を切ると、ニッっと笑みを見せ、真っ直ぐな目で私を見つめる。
輝子「私はそれ以前に……凛ちゃんの親友だから、な……」
凛「っ!」
輝子「あの時の凛ちゃん……かっこ良かったぜ」
フヒヒ……と、何故だか嬉しそうに笑う輝子。
……嬉しいのは、こっちの方だってば。
凛「……ありがとう、輝子」
私もニッと笑みを返し、お互い笑い合う。
全く……こんな台詞を当然のように言えるんだから、本当にニクい。
私には、勿体無いくらいの親友だ。
そうしていると、スタッフさんの一人が開場の始まりを教えてくれる。
ステージ裏に招集とのことで、たぶん他のみんなも直接向かっている頃だろう。
凛「それじゃあ、私たちも行こっか」
輝子「おう……フヒヒ……」
机の下から出てきた輝子(まだいた)と共に、ステージ裏へと向かう。途中、他のアイドルたち何人かとも合流した。
ステージ裏には、もうほとんどのメンバーが集まっている。
そこには、いつもお世話になっている事務員さんの姿も。
凛「ちひろさん。お疲れ様です」
ちひろ「あ、凛ちゃん。お疲れ様です」
ぺこっとお辞儀。手には、何やら色々な資料を持っている。
凛「もしかして、アナウンスの準備ですか?」
ちひろ「ええ。デレプロのライブでも毎回やらせて頂いてますけど、今回は765プロの事務員さんの音無さんと一緒にやることになりまして…」
ちらっ、と。ちひろさんの視線を辿ってみれば、ショートヘアーのこれまたアイドルのような容姿をした女性がスタッフさんと話をしている。ちひろさんに負けず劣らずの美人だ。
というか、事務員さんがアナウンスをするのは伝統か何かなのかな……?
ちひろ「アイドルのみなさんには敵いませんが、やっぱり緊張しますね」
凛「ふふ……いつもありがとうございます。ちひろさんも、頑張ってくださいね」
ちひろ「はい。凛ちゃんも」
と、そこでちひろさんは何かを思い出したように耳打ちをしてくる。
内容はそこまで秘密にしたいことではなかったけど、一応気を遣ってくれたらしい。
ちひろ「今日のチケット、ちゃんと彼に送っておきましたよ」
彼……というのは、もう言うまでもないね。
来てくれるかどうかは分からなかったけど、それでも、この晴れ舞台を見てほしいという思いはあった。
無理強いはしたくないし、連絡も特にしていない。チケットが送られても、向こうからも何か返事が来ることは今日まで無かった。
ちひろ「……彼のことです。きっと、どこかで見てますよ」
微笑みながら、ちひろさんはそう言う。
凛「大丈夫だよ」
ちひろ「え?」
たとえあの人が来ていなくても、それでも私がすることは変わらない。
今は隣にいなくても、全力で私は駆け抜けるだけだから。
凛「あの人がどこにいたって、私は歌うし……全力でアイドルをやるよ」
どこかで、今日も私を信じて待ってくれていると、そう信じてるから。
ちひろ「……そうですか」
ちひろさんは最初目を丸くしていたが、その後微笑んで言ってくれる。
ちひろ「彼が残したものは……こうして、今も輝いているんですね」
凛「……まぁ、良くないものも色々と残していった気もするけどね」
ちひろ「それは確かに」
言って、お互い声を出して笑う。
……本当、ただでいなくならないんだから、あの人は。
ちひろ「それじゃあ、そろそろ準備をお願いしますね」
凛「はい。行ってきます」
ちひろ「行ってらっしゃい!」
踵を返し、集まっているアイドルたちの方へ歩き出す。
しかし向かう途中で、「凛ちゃん!」とちひろさんに再び呼ばれてしまい慌てて足を止めた。
振り返ってみれば、ちひろさんは小さなフラワーバスケットを抱えている。
ちひろ「はい、これ。凛ちゃんにです」
凛「私に? 誰から……」
と、そこでメッセージカードに気付く。
バスケットをちひろさんに預け、開封し、中のカードを取り出す。
カードには、ただ一言。
『 しっかりな。 』
とだけ、書かれていた。
凛「…………」
ちひろ「凛ちゃん?」
凛「……ふふ」
思わず、笑いが零れてくる。
その、不器用さを隠そうともしないたった一言。
何を書くかと悩んで、考え込んで、何とか絞り出したのがこれだと思うと、なんだか無償におかしかった。
凛「……アザレア、か」
フラワーバスケットの花を見て、私の好きな歌を覚えてたんだなと、少し嬉しくなった。
とりあえず、次会った時にはうちの花屋を差し置いてどこでこれを買ったのか、問い詰めなくちゃね。
そんな私の様子を見て、ちひろさんも何だかおかしそうにしている。
ちひろ「……さっきより良い顔してますよ?」
それは、何とも複雑な台詞だ。少し顔が熱くなる。
どうやら、私もまだまだらしい。
隣にいなくたって、こうしてあなたの一押しが、私の力になるんだからね。
凛「ーー行ってくるね」
だから、もう一度私は告げる。
この会場のどこかにいる、あの人に向かって、そう言ってやる。
誰も見たことのないような景色を、キラキラとした最高の光景を。
あの人と、会場にいる全員に見せてあげよう。
今はまだ至らない、未熟なアイドルだけど。
情熱と憧れを手に、ずっと走り続ける。
ステージの、その輝きの向こう側。
そこを目指し、私は駆け出す。
いつか違った道が交わるようにと、思いを込めて。
了
というわけで、渋谷凛のその後でした!
そして明日のエピローグをもって、本当の本当に終わりです。
ここまで随分とかかってしまいましたが、どうか最後までよろしくお願いします!
そして明日のエピローグをもって、本当の本当に終わりです。
ここまで随分とかかってしまいましたが、どうか最後までよろしくお願いします!
あーもう終わるのか・・・
ほんと完成度高いSSなだけに寂しい
ほんと完成度高いSSなだけに寂しい
~エピローグ~
青春とは嘘であり、悪である。
青春を謳歌せし者たちは常に自己と周囲を欺く。
自らを取り巻く環境のすべてを肯定的に捉える。
何か致命的な失敗をしても、それすら青春の証とし、思い出の1ページに刻むのだ。
例を挙げーー
八幡「なんだ、こりゃ」
随分と、懐かしいものが出てきた。
確か、平塚先生へ最初に提出したレポート用紙だよな。再提出を言い渡されて、奉仕部やりながら書いたっけ。
たまには片付けをしようと机を漁っていたら、くしゃくしゃのレポート用紙。内容はリア充への犯行声明。
ふむ……
八幡「我ながら、なんと的を射た文面だろうか。とっとこ」
ぴしっと、レポート用紙のシワを伸ばし、改めて引き出しにしまう。
もしかすれば、こいつが日の目を見る時が来るやもしれん。万が一俺が自伝を書く時が来たら冒頭に載せることにしよう。
小町「なーにやってんの。お兄ちゃん」
声に振り返ると、そこには廊下から部屋の中を覗き込んでいる小町。
その格好は寝間着のままで、眠たげに目を擦っている。もしかして起こしちまったか。
八幡「おう。ちょっとヒマだったんで、部屋の片付けをとでも思ってな」
小町「……朝の5時に?」
八幡「朝の5時に」
外からはチュンチュンと鳥のさえずりが聞こえ、窓を見れば空は未だ薄ら暗い。ようやく白んできたと言ったところだ。
小町「……緊張して早く起きちゃったんだね」
八幡「別にそういうわけじゃない。ただ……」
小町「ただ?」
八幡「なんだか寝付けなくて色々してたら、いつの間にか朝だっただけだ」
小町「めっちゃ緊張してるよそれ」
ですよねー
いや、だって、仕方が無いだろ? 今日ばっかりは。
俺が口を尖らせていると、そんな様子を見て小町は呆れたように笑う。
小町「……それじゃ、朝ご飯用意するから」
八幡「いやいいぞ、そんな俺に合わせなくても」
小町「もう起きちゃったし。それに、何かしてないと落ち着かないんでしょ?」
どこまでも見透かされたかのようなその台詞。さすが、長年俺の妹をやっているだけある。
ここは、お言葉に甘えておこう。
八幡「悪いな」
小町「いえいえ。……っていうか、やっぱりそのスーツなんだ」
小町が言っているのは、今の俺の格好。
ワイシャツにスラックス。ネクタイをピンでしっかりと留め、ジャケットは既に椅子にかけてスタンバイ。もういつでも出れる格好だ。
小町「新しいのもう一着あるんでしょ? ネクタイも。そっち着てけばいいのに」
八幡「いいんだよ」
小町の提案も、今日くらいは断らせてもらう。
八幡「今日は、これでいい」
小町「……そっか」
小町は微笑むと、それ以上は何も言ってこない。
ホント、出来た妹だ。
小町が用意してくれた朝食をいただき、出かける準備をする。
と言っても、もう既にほとんど終わっているんだが。
両親はまだ寝ているようだが、もう出ることにする。なんだか気恥ずかしいしな。
小町「初日なんだから、しっかりね」
八幡「おう。任せとけ」
小町「言ってるのがお兄ちゃんだからなぁ。小町は不安です」
八幡「どういう意味だそりゃ」
言って、二人して笑う。
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