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【物理】核力をスパコンで検証、湯川理論裏付ける=筑波大・東大
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核力:スパコンで検証、湯川理論裏付ける 筑波大など
原子核がばらばらにならないように陽子や中性子を束ねる「核力」が、物質を構成する最小の
素粒子「クォーク」の働きで生じるという理論について、筑波大と東京大の研究チームは20日、
スーパーコンピューターによる計算で裏付けることができたと発表した。
この理論は、故・湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞した「中間子理論」を発展させた内容で、
中間子理論が最新の素粒子の理論からも裏付けられたことになるという。
原子核は、正の電荷を持つ陽子と、電荷を持たない中性子からなる。陽子と陽子の間には
電気的な反発力が働き、そのままではばらばらになってしまうが、「強い力」と呼ばれる核力に
よって結び付けられている。しかし、「強い力」がクォークの働きで生じるという理論は、計算量が
膨大で検証できなかった。
研究チームは、独自の計算方法を開発。スーパーコンピューターを使って、1対の陽子と中性
子に含まれるクォークの振る舞いを計算し、予測通りの「強い力」が発生することを確かめた。
近く発行される米科学誌フィジカル・レビュー・レターに掲載される。
青木慎也・筑波大教授(素粒子物理学)は「原子核、ひいてはさまざまな物質がなぜ安定的に
存在できるのか、という問いに答える一歩になる」と話している。【西川拓】
毎日新聞
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/kagaku/news/20070621k0000m040126000c.html
>若い人にはあまり言わん方がいいだろうが、物理学はそろそろ終わりに近づいていると思う。」 by Yukawa
物理もいよいよネタが尽きてきたんだね。
あと10年もすればノーベル物理学賞の受賞者がいなくなっちゃうんじゃないのか?
あと10年もすればノーベル物理学賞の受賞者がいなくなっちゃうんじゃないのか?
>>10
全然尽きてないでしょー
全然尽きてないでしょー
ノーベル賞とった田中さんはどうしてるのかな?
同じ年に受賞した東大名誉教授が田中さんにヤキモチやいていて面白かったな。
同じ年に受賞した東大名誉教授が田中さんにヤキモチやいていて面白かったな。
>>10
つ不完全性定理
つ不完全性定理
要するに、斥力芯を含めた核力ポテンシャルを
クオークとグルーオンの運動のみから再現できたってこと?
クオークとグルーオンの運動のみから再現できたってこと?
>>10
ゲーデルさんにあやまれ!
ゲーデルさんにあやまれ!
謎は確かに増えてるんだけどさ、
我々の手に負えなくなりつつあるような木がするんだよね。
我々の手に負えなくなりつつあるような木がするんだよね。
>>19
まあ、研究結果を出して一般に解放しているからね、それからIBMのBGみたいな特定用途向きでベンチマークマシンみたいなものは一般に使えないから。
但し、ESの初期のスタッフは原研からかなり来ていたし金も出していた、最初の1年は非公開だった。
まあ、研究結果を出して一般に解放しているからね、それからIBMのBGみたいな特定用途向きでベンチマークマシンみたいなものは一般に使えないから。
但し、ESの初期のスタッフは原研からかなり来ていたし金も出していた、最初の1年は非公開だった。
>>29
ああ。そのネタ、なかなかおもしろいね。
ああ。そのネタ、なかなかおもしろいね。
湯川秀樹といえば、わが国最初のノーベル賞を受賞した人で、知らない
人はいないだろう。その湯川秀樹こそが、ろくでなしなのである。
渡辺悌治氏は『ユダヤは日本に何をしたか』(成甲書房)でこう告発する。
「戦時中、日本で一日も早くその完成が待たれていた、マッチ箱一つの大きさで
戦艦一つを沈めうるといわれていた新兵器は、今日いう原子爆弾のことであった。
そして仁科芳雄博士の研究では、実験段階では既に完成していた。しかし、その
基礎理論が完結をみないでおり、理研内では研究員たちが手分けして研究に
あたっていた。それが一応のまとまりをみたとき、これを一つの学説として発表
してはどうかという案も出たが、軍の機密に属することでもあり、早計に外部に
洩してはならぬという仁科博士の意見で発表は厳禁されていた」
仁科芳雄は、これも理科系の人なら知らない人はおるまいが、
日本現代物理学の父と呼ばれた俊才である。
1938年にドイツで原子核分裂と、核分裂で莫大なエネルギーが生じることが
発見された。帝国陸軍は、理化学研究所の仁科にこの核分裂を利用して
核爆弾をつくってくれないかと要請した。そこで仁科が、理論的研究に着手する。
そして有名なサイクロトロンを発明し、実用化に向けて一歩を進めた。
米国でも1943(昭和18)年にマンハッタン計画が始まって、核爆弾の
実用化が進められたが、同時に日本でも仁科の手によって、すでに
実験段階での見込みは立っていたのである。
サイクロトロンは小型のものは1937(昭和12)年には完成し、1944年には
200トンの大型サイクロトロン完成していた。ちなみにサイクロトロンとは、
原子核の人工的破壊に用いるイオン加速器である。原子爆弾開発に
必須の装置で、当時各国が開発にしのぎを削っていた。
ところが、である。渡部悌治氏はつづける。
「(核爆弾の理論的完成をみていたものを)それを、当時理研にいた
研究補助員の湯川秀樹が米国に売り渡したのである。米国は終戦後、
湯川の功績を論功行賞としてノーベル賞を授与させている。日本の
利益にはならず、米国のためになったことで褒美がもらえたのだ。」
これが、湯川秀樹がノーベル賞をもらえた真相である。まさに国賊である。
仁科がなぜ現代物理学の父といわれるかといえば、原子物理学で大きな足跡を
残したこととともに湯川秀樹や朝永振一郎を育てた功績からである。しかし、仁科
芳雄は1951年に亡くなっているが、湯川秀樹がノーベル賞をもらったのが1949年
なので、還暦間近の年にどんな思いで裏切り者の弟子の報を聞いたのだろうか。
人はいないだろう。その湯川秀樹こそが、ろくでなしなのである。
渡辺悌治氏は『ユダヤは日本に何をしたか』(成甲書房)でこう告発する。
「戦時中、日本で一日も早くその完成が待たれていた、マッチ箱一つの大きさで
戦艦一つを沈めうるといわれていた新兵器は、今日いう原子爆弾のことであった。
そして仁科芳雄博士の研究では、実験段階では既に完成していた。しかし、その
基礎理論が完結をみないでおり、理研内では研究員たちが手分けして研究に
あたっていた。それが一応のまとまりをみたとき、これを一つの学説として発表
してはどうかという案も出たが、軍の機密に属することでもあり、早計に外部に
洩してはならぬという仁科博士の意見で発表は厳禁されていた」
仁科芳雄は、これも理科系の人なら知らない人はおるまいが、
日本現代物理学の父と呼ばれた俊才である。
1938年にドイツで原子核分裂と、核分裂で莫大なエネルギーが生じることが
発見された。帝国陸軍は、理化学研究所の仁科にこの核分裂を利用して
核爆弾をつくってくれないかと要請した。そこで仁科が、理論的研究に着手する。
そして有名なサイクロトロンを発明し、実用化に向けて一歩を進めた。
米国でも1943(昭和18)年にマンハッタン計画が始まって、核爆弾の
実用化が進められたが、同時に日本でも仁科の手によって、すでに
実験段階での見込みは立っていたのである。
サイクロトロンは小型のものは1937(昭和12)年には完成し、1944年には
200トンの大型サイクロトロン完成していた。ちなみにサイクロトロンとは、
原子核の人工的破壊に用いるイオン加速器である。原子爆弾開発に
必須の装置で、当時各国が開発にしのぎを削っていた。
ところが、である。渡部悌治氏はつづける。
「(核爆弾の理論的完成をみていたものを)それを、当時理研にいた
研究補助員の湯川秀樹が米国に売り渡したのである。米国は終戦後、
湯川の功績を論功行賞としてノーベル賞を授与させている。日本の
利益にはならず、米国のためになったことで褒美がもらえたのだ。」
これが、湯川秀樹がノーベル賞をもらえた真相である。まさに国賊である。
仁科がなぜ現代物理学の父といわれるかといえば、原子物理学で大きな足跡を
残したこととともに湯川秀樹や朝永振一郎を育てた功績からである。しかし、仁科
芳雄は1951年に亡くなっているが、湯川秀樹がノーベル賞をもらったのが1949年
なので、還暦間近の年にどんな思いで裏切り者の弟子の報を聞いたのだろうか。
だいたい日本人にはノーベル賞はおいそれと授賞できない仕掛けになっている。
あれは白人どもの内輪の賞であり、もっと言えばユダヤの思し召しにかなった
人間が授賞できるのである。昔、血清療法を発明した北里柴三郎が第1回
ノーベル賞の候補になったと言われるが、湯川よりももっと功績があるのに、
北里はノーベル賞が貰えなかった。だから湯川ごときが貰えるのは不自然なのだ。
湯川秀樹のノーベル賞授賞は、彼への論功行賞だったという面と、おそらく
日本人に欧米文化の優位を印象づける目的もあったのではなかろうか。
戦争で勝った欧米は公平に施しをしてやるのだぞ、というメッセージである。
おとなしくし欧米のいうことを聞いていれば、湯川のように褒めてとらすぞ、と。
奴ら白人の魂胆など、そんなところであろう。
ノーベル賞以後、湯川は何にも新しい発見はなしえなかった。ただの研究者
でしかなかった悲劇である。若い日に研究者として頂点に立ったものの、
その後の長い人生を何の成果もあげえず、昔の栄光のみで担ぎつづけ
られたのも、本人には辛かっただろうに。
湯川はすっかり物理学者ではなくなり?、代わりに彼が熱中したのは、国際
平和運動やら反核、反戦運動であった。世界平和アピール7人委員会なんて
ものをつくって、ときたま「どこぞの核実験に反対する」などという声明を出す
ために記者会見を開くのみであった。
最晩年はなんと東洋哲学を指向し、素粒子に関する国際会議であろうことか
荘子の思想を講義するという“非常識”をあえてした。ところがなにせ日本で
初めてのノーベル賞授賞者という権威のせいで、誰も疑問をはさまなかった。
バッカじゃないの。
つまり中間子理論なるものは、湯川の功績だとしても、仁科に指導を受けての
共同研究だったわけで、だから次ぎなる世界的発見はついに彼には訪れなかった。
物理学者として一流だったとはいえないからだろう。湯川が晩年、東洋哲学に憧れ、
極めんとしたのは、師・仁科芳雄を裏切って核理論をアメリカに売ったやましさを
ごまかすためだったのだろうか。
もう一つサイクロトロン余話。核実験の一環として日本ではサイクロトロンが
完成していたが、その実験用の原鉱石(ウランか?)が日本には無かった。
それで米国に発注したのだが、そうとう以前の発注した鉱石がなかなか輸入
できなかった。むろん妨害されていたのだ。
それがようやく船積みされてアメリカの港を出航する寸前、日米戦争に
突入したため、ついに日本が核爆弾を完成するチャンスが消えた。
もし原鉱石を入手できていて、日本が先に原子爆弾を持つことが
できていたら、惨めな敗戦は避けられたのかもしれず…惜しいことをした。
アメリカが原子爆弾を完成させ得たのは、仁科の研究成果と、ナチドイツからの
技術(ドイツ敗北によって、科学者が米国に連れて行かれた)によるとも言われる。
マッカーサーは日本にくるとまっ先に仁科のサイクロトロンを破壊している。
いずれにせよ、第二次世界大戦はユダヤが仕組んだ大謀略戦争であったから、
原爆にかぎらずすべてはユダヤ勢力の思うままだったのであろうが…。
少なくとも湯川秀樹が核の情報をアメリカ=ユダヤに売らなければ、
広島・長崎の悲劇は避けられただろう(いずれ原爆は完成しただろうが)し、
原爆完成の見込みがなければ講和ももっと早く締結され、多くの日本人が
死なずに済んだはずである。
それがわかっているから湯川秀樹は、後年、反戦、反核運動をやって
(といっても声明を出すだけだが)、良心の呵責に耐えたのであろう。
これが日本初のノーベル賞授賞物語の悲しい結末である。
あれは白人どもの内輪の賞であり、もっと言えばユダヤの思し召しにかなった
人間が授賞できるのである。昔、血清療法を発明した北里柴三郎が第1回
ノーベル賞の候補になったと言われるが、湯川よりももっと功績があるのに、
北里はノーベル賞が貰えなかった。だから湯川ごときが貰えるのは不自然なのだ。
湯川秀樹のノーベル賞授賞は、彼への論功行賞だったという面と、おそらく
日本人に欧米文化の優位を印象づける目的もあったのではなかろうか。
戦争で勝った欧米は公平に施しをしてやるのだぞ、というメッセージである。
おとなしくし欧米のいうことを聞いていれば、湯川のように褒めてとらすぞ、と。
奴ら白人の魂胆など、そんなところであろう。
ノーベル賞以後、湯川は何にも新しい発見はなしえなかった。ただの研究者
でしかなかった悲劇である。若い日に研究者として頂点に立ったものの、
その後の長い人生を何の成果もあげえず、昔の栄光のみで担ぎつづけ
られたのも、本人には辛かっただろうに。
湯川はすっかり物理学者ではなくなり?、代わりに彼が熱中したのは、国際
平和運動やら反核、反戦運動であった。世界平和アピール7人委員会なんて
ものをつくって、ときたま「どこぞの核実験に反対する」などという声明を出す
ために記者会見を開くのみであった。
最晩年はなんと東洋哲学を指向し、素粒子に関する国際会議であろうことか
荘子の思想を講義するという“非常識”をあえてした。ところがなにせ日本で
初めてのノーベル賞授賞者という権威のせいで、誰も疑問をはさまなかった。
バッカじゃないの。
つまり中間子理論なるものは、湯川の功績だとしても、仁科に指導を受けての
共同研究だったわけで、だから次ぎなる世界的発見はついに彼には訪れなかった。
物理学者として一流だったとはいえないからだろう。湯川が晩年、東洋哲学に憧れ、
極めんとしたのは、師・仁科芳雄を裏切って核理論をアメリカに売ったやましさを
ごまかすためだったのだろうか。
もう一つサイクロトロン余話。核実験の一環として日本ではサイクロトロンが
完成していたが、その実験用の原鉱石(ウランか?)が日本には無かった。
それで米国に発注したのだが、そうとう以前の発注した鉱石がなかなか輸入
できなかった。むろん妨害されていたのだ。
それがようやく船積みされてアメリカの港を出航する寸前、日米戦争に
突入したため、ついに日本が核爆弾を完成するチャンスが消えた。
もし原鉱石を入手できていて、日本が先に原子爆弾を持つことが
できていたら、惨めな敗戦は避けられたのかもしれず…惜しいことをした。
アメリカが原子爆弾を完成させ得たのは、仁科の研究成果と、ナチドイツからの
技術(ドイツ敗北によって、科学者が米国に連れて行かれた)によるとも言われる。
マッカーサーは日本にくるとまっ先に仁科のサイクロトロンを破壊している。
いずれにせよ、第二次世界大戦はユダヤが仕組んだ大謀略戦争であったから、
原爆にかぎらずすべてはユダヤ勢力の思うままだったのであろうが…。
少なくとも湯川秀樹が核の情報をアメリカ=ユダヤに売らなければ、
広島・長崎の悲劇は避けられただろう(いずれ原爆は完成しただろうが)し、
原爆完成の見込みがなければ講和ももっと早く締結され、多くの日本人が
死なずに済んだはずである。
それがわかっているから湯川秀樹は、後年、反戦、反核運動をやって
(といっても声明を出すだけだが)、良心の呵責に耐えたのであろう。
これが日本初のノーベル賞授賞物語の悲しい結末である。
>>31
金正日総書記のシークレットブーツは、まで読んだ。
金正日総書記のシークレットブーツは、まで読んだ。
>>31-32
仁科研と原爆開発の話は聞いていたが、湯川の情報売り渡しは知らなかった。
湯川については、湯川閥を作り日本の物理学の研究に害を齎したというくらい
しか知らないw
日本は、同盟国であるドイツを裏切れないからと和睦しなかったが、ドイツが
降伏したお蔭で和睦できるからと和睦の活動をしていて、当然アメリカもそれ
を知っていたが、アメリカは和睦されると原爆を落とせないからと和睦の動き
を無視し、原爆の完成を急がせた。
そのことから考えると、原爆完成の見込みがなければ、アメリカも長年の戦争
に国民の不満も出ていた訳だし、和睦に応じていたかも知れない。
少なくともソ連との戦闘は長期間になる訳で、増長したソ連が東欧から中欧を
侵略、仏英とソ連の対立が生じ、ソ連を叩く為に英国は日本と和睦した可能性
もある。
当時は、アメリカ・ソ連をユダヤが操っていた訳だが、ソ連に関してはかなり
の反発があったはずで。
>>8
ケルヴィンも、物理学は終わり残りは誤差の丸めだけと19世紀末に言っていた
ような気が・・・w
仁科研と原爆開発の話は聞いていたが、湯川の情報売り渡しは知らなかった。
湯川については、湯川閥を作り日本の物理学の研究に害を齎したというくらい
しか知らないw
日本は、同盟国であるドイツを裏切れないからと和睦しなかったが、ドイツが
降伏したお蔭で和睦できるからと和睦の活動をしていて、当然アメリカもそれ
を知っていたが、アメリカは和睦されると原爆を落とせないからと和睦の動き
を無視し、原爆の完成を急がせた。
そのことから考えると、原爆完成の見込みがなければ、アメリカも長年の戦争
に国民の不満も出ていた訳だし、和睦に応じていたかも知れない。
少なくともソ連との戦闘は長期間になる訳で、増長したソ連が東欧から中欧を
侵略、仏英とソ連の対立が生じ、ソ連を叩く為に英国は日本と和睦した可能性
もある。
当時は、アメリカ・ソ連をユダヤが操っていた訳だが、ソ連に関してはかなり
の反発があったはずで。
>>8
ケルヴィンも、物理学は終わり残りは誤差の丸めだけと19世紀末に言っていた
ような気が・・・w
>>36
つ『斥力』
つ『斥力』
日本の理系はさすが世界5位以内に入るだけはあるな。
物理は世界の大学の中でも3位以内に入ってるんだっけ? (文系は、東大でも世界100位以下。思いっきり足引っ張っている)
物理は世界の大学の中でも3位以内に入ってるんだっけ? (文系は、東大でも世界100位以下。思いっきり足引っ張っている)
>>28
このニュースのスパコンがブルージーンな件について
このニュースのスパコンがブルージーンな件について
>>31
>マッチ箱一つの大きさで戦艦一つを沈めうるといわれていた新兵器
核分裂を使用したものと思われるが、使用元素(同位体)はなんだったのか
書いてなかったか?
ウランもプルトニウムもそのサイズには出来ん。
>マッチ箱一つの大きさで戦艦一つを沈めうるといわれていた新兵器
核分裂を使用したものと思われるが、使用元素(同位体)はなんだったのか
書いてなかったか?
ウランもプルトニウムもそのサイズには出来ん。
むかしといっても戦前のことだが、湯川博士はハイゼンベルグやフェルミの
理論弱い相互作用の理論などを参考にして、
量子電磁気学の類似として強い相互作用と云われるSU(2)の理論を紙と鉛筆で
作った。戦争が終わってから、宇宙線の中にそれらしい粒子が発見されたので
アメリカのプリンストンのオッペンハイマーに呼ばれてノーベル賞を受けた。
紙と鉛筆で頭脳を使って導き出した核力のモデルとしての中間子仮説は、
現代の非可換ゲージ理論の先駆であり、
貧乏だった頃の日本人の理論研究の優秀性の証しだと言える。
今は日本も曲りなりに経済大国となり、裕福になったといえるのだろう。
理論弱い相互作用の理論などを参考にして、
量子電磁気学の類似として強い相互作用と云われるSU(2)の理論を紙と鉛筆で
作った。戦争が終わってから、宇宙線の中にそれらしい粒子が発見されたので
アメリカのプリンストンのオッペンハイマーに呼ばれてノーベル賞を受けた。
紙と鉛筆で頭脳を使って導き出した核力のモデルとしての中間子仮説は、
現代の非可換ゲージ理論の先駆であり、
貧乏だった頃の日本人の理論研究の優秀性の証しだと言える。
今は日本も曲りなりに経済大国となり、裕福になったといえるのだろう。
>>47
お徳用のほうか!
お徳用のほうか!
>>49
検便か!
検便か!
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