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元スレ志希「それじゃあ、アタシがギフテッドじゃなくなった話でもしよっか」
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この話を聞いた人がもしもアタシの知り合いだとすれば、その人にとっての”一ノ瀬志希”の見方がほんのちょっぴり変わるかもって思う。
うーん、たとえば、その名前から思い浮かぶことってね。
アタシが知ってる限りでは、「帰国子女の18歳で、ルックスも良くて、ダンスも歌も抜群なアイドル」なんだって。
ふつーのJKとして振る舞ってたはずが、アイドルとしてまばゆいデビューしてから、それはもうズイブンと注目されてさ。
カメラのフラッシュをたくさん浴びて、テレビにもたくさん出演して。も~、世間の人たちがその名前を聞いただけで、あっ、あの子だ! ってわかるくらい有名になるには、あんまり時間はかからなかったなあ。
それもこれも、アタシが“ギフテッド”なんていう、大それた肩書きを持っていたからなんだろうけど。
神さまから愛されたアタシは、まわりの誰もが羨む才能をもらって。
時には化学者として海外を渡り歩いたし、ステキな論文だって書いた。
あまりある才能を存分に発揮して、これまでの人生を何不自由なく過ごしてきたの。
だけど、そんなアタシがさ。
――この恵まれた才能を失ってしまったら、どうなると思う?
SSWiki :http://ss.vip2ch.com/jmp/1478243532
新しい自分に「ハロー」と挨拶したのは、着慣れた白衣で過ごすティータイムのときだった。
午前中の実験を終えたアタシが、プロデューサーにもらった台本を読んでいたとき。
お気に入りのカップから漂うカモミールの香りに酔いしれながら、いつもどおり紙面に目を走らせていく中、アタシは微かな違和感を覚えた。
そのほんの些細な違和感は、徐々に色濃くなり、思わず眉間に皺を寄せる。
「えーっと、あれー? おっかしいなあ……」
まるでそれは濁りのように思えた。綺麗な湖の中に汚泥が溜まっていくかのように。
頭はすっきりしてるのに、なぜだか台本の内容が入ってこない。もういちど、アタシはあれー? と声を漏らす。
おかしい。なにかがおかしい。
ボソボソと呟いて、こめかみに人差し指を当てる。
ポコポコとフラスコの中で煮沸された液体の音がいやに耳に届いた。
何度読んでもアタシは台本の内容が暗記できないでいた。
……ちがうな、暗記は出来る。
だけど、何度も読み返して、声に出して覚えないと忘れてしまいそうになるってだけ。
パタリと本を閉じて、呆然と宙を眺める。
ふと、自分自身の人生を振り返ってみて。紐を手繰り寄せるかのように、少しずつ記憶をたどっていく。
けれど、この短い18年の時間で、そんなことを経験した記憶は一切なかった。そう、まったくなかったのだ。
結論から言えば、アタシは“才能”というものを失ったということになる。……らしい。
ケミストの立場から発言させてもらうと、そんな抽象的な、極めて概念的なお話はまったくもってあり得ない、と指摘したくもなるけど。
んー、だけどね。これが現実となって、この身に火の粉のように降りかかったのだから、もはやシキちゃんも両手を挙げて認めざるを得ないってわけ。現実は小説よりも奇なり~ってよく言うよね。
理由も分からない。原因不明の才能消失事件。どうやらアタシの性格と似て、才能ちゃんにも失踪癖があったりして。なーんて。
そうそう、才能のはなしだっけ。
さっきも言ったけど、アタシって、それはもう才能に満ち溢れててね。
シンデレラになりたがる女の子がたくさんいるなかで、ふらふら~と業界にやってきたアタシが新人として頭角を現すことが出来たのだって、これがあったからなんだって今更ながら思ってて。
だからそれを失ったことで、
台本やダンスを覚えるのに今までの数倍時間がかかったことも、
それのせいで今までこなしていた仕事がだんだんと手に負えなくなっていったことも、
プロデューサーが毎日お得意先に頭を下げる姿を見かけることになったことも、
仕方ないことだったのかなって納得できたんだ。
才能って一口に言っても、物事の暗記だけがすべてじゃなくってさ。
えーっと、軽く一例をあげるとするなら。
たとえば、匂い。これまでは誰かが何を考えてるのかってことくらいなら、はすはすしてなんとなーく理解できたけど。あの日から、アタシは匂いを感じなくなってしまった。普通の匂いは分かる。だけど、それはアタシの求める匂いじゃなかったってこと。
たとえば、物事の考え方。周りからは突飛なことをしなくなったねって言われる機会も増えたけど、それは単純にアタシが“それ”のやり方を忘れてしまっただけだった。これまでどうやって生きてきたんだろう、なんて自分に問いかけて。むむっ、そう考えてみれば、アタシってまともな過ごし方をしてこなかったなと一人反省した。
たとえば、化学の実験。まあ、これについては大体わかると思うけど、こんな状態になったアタシが適当に混ぜた薬品がフラスコ内で勢いよく火を上げたことで事務所が炎上しかけたんだよね。それにより、アタシのラボは没収。どんな薬品が潜んでいるかもわからないので厳重に封鎖されることになった。
にゃはは、なんだかのっけから暗いはなしになっちゃった。
だけど、ここからいよいよシキちゃんの転落ストーリーは口火をきったのだった。はい、はじまりはじまりー。
さてさて、何から話そっか~。
んー、それじゃあ、とっておきの一つを語ろうかなあ。
あれはたしか、まだ新しいアタシに生まれ変わったばかりのとき。そのころって、まだアタシの人気も衰えてなくてね。イベントに顔を出す機会の減ったアタシを心待ちにしてるファンだっていたし、会社としての期待値も今よりずっと高いままだった。
そんなことだから、ちょっと落ち目になった人気を取り戻そうってプロデューサーがなんとか取り付けてくれたのが、とある音楽番組の生放送だったわけ。
そこでは“秘密のトワレ”っていう、これまた難しい曲をうたうことになってて。初披露になるそのソロ曲で、アタシはステージに立たないとダメだった。
で、その時点でアタシはすっかり“落ちこぼれ”になっていたんだけど。そのことは、もちろん誰にも知られちゃいけないと思っていたし、アタシも周りに言うつもりはなかった。打ち明けても誰にも信じてもらえない、そう思い込んでたんだよね。
だから、なかなか振り付けが覚えられないことに、トレーナーさんから首を傾げられたりもして。その度に「ちょっと今のは遊びだったかな~」とかなんとか軽口を叩くようになった。
内心はそりゃあもうアタシも必死でさ。移動中は録音した音源を何度も何度も聴いたし、家に帰ったら振り付けを練習したの。
これまでのアタシなら、ちゃちゃっとフリを覚えて、あとはラボで呑気に実験でもしてたんだろうけど。そんなことをする暇なんて、アタシには与えられなかった。
とにかくアタシには絶望的に時間が足りなかった。ただそれだけだった。
そんなこんなで地を這いつくばりながら迎えたステージ。
絶対に成功させるんだっていうプレッシャーを肩に背負って。
アタシは、そこで、どうしようもないくらいの大失敗をしたの。
簡単に言えば、アタシは歌うことをやめちゃったんだよね。それだけならまだよかったのかもしれないけど、ついにはステージ上で座り込んじゃったの。
信じられないとは思うけど、BGMが鳴り続ける中でアタシは極度の緊張であたまが真っ白になって。足もガクガクって震えてたし、喉もカラカラに乾いててさ、とても歌を披露できるような状態じゃなかった。
あんなにやったダンスの振り付けも、歌も、なにも思い出せなくなって。ただただ誰かに見られることに吐きそうになって。
だけどその場所は生放送のソロステージ、それはもう放送事故もいいところで。
顔を抑えて蹲るアタシの元にすぐさまスタッフが駆けつけくれて。タオルを被せられて舞台裏に連れていかれる中、目の前に広がるきれいな景色は、まるでアタシに襲い掛かる怪物にさえ見えた。
俯いたアタシがようやく明るみから暗がりまでやってきたときには、プロデューサーが胸倉をつかまれていてさ。番組のディレクターに怒号を飛ばされていたの。
客席からの鳴りやまない声と、せわしなく動くスタッフと、何度も頭を下げるプロデューサーと、それを呆然と見守るアタシ。
その光景に、もう目の前がくらくらって白く瞬いて。
そこで、ようやく気づいたんだよ。
ああ、アタシは取り返しのつかないことをしてしまったんだって。
最初から持ってなかったならなんてことないが、
しきにゃんがギフト失うって5感なくすのに近いレベルなのでは…
しきにゃんがギフト失うって5感なくすのに近いレベルなのでは…
才能というアバウトな表現してるけど五感が完全に狂ってるのも同然だし
水に落ちるで乱馬を浮かべてしまい、いったい何が変わるのかしばし考えた
そこからはそりゃあもうあっという間でさ。ネットには動画がアップされるし、掲示板にはアタシへの批判コメントが書かれるしで、これまで大切に作り上げられてきたシキちゃんのイメージはどこへやらってカンジだった。
会社の上層部は、この件を体調不良が~とか精神的な問題が~とか適当な理由をつけて記者に回答してたかな。事実なんてものはこの際、重要なことじゃなかったんだよ。だってアイドル事務所だって慈善事業じゃないんだし。悪い噂を払拭することが先決。そんなの、当たり前だったんだよね。
だけど実を言うとさ、アタシは、このとき会社の言っている話がホントのことだってどこか期待してたの。
だってそうでしょ?
ある日とつぜん天才が凡人にまで落ちてしまったとしたら、その人はどうなるんだろう、なんて誰も考えたくもないよね。アタシだってそれはおなじ。そんなの信じたくもなかったわけ。
だから、ちょっと体調が悪いだけ。ちょっと気持ちが落ち着いていないだけ。
何度も頭でそれを繰り返して、アタシは平静を保とうとした。
そうでもしないと、アタシはこのどうしようもない不安に押しつぶされそうだった。つまり、そういうことだったの。
ファンが離れ始めたのは、そんな事件が起きてしばらく経ってからだった。
ここで弁解させてほしいのは、アタシは一片たりとも仕事を怠けていなかったということ。アタシはアタシなりに苦しみながら頑張っていたし、頭にこびりついた凡人って言葉を振りほどこうともしていた。
あの事件以来アタシは小規模のライブをこなしていたんだけどね。言い換えれば、昔からついてきてくれていたファンに向けたステージで歌をうたっていたの。それに文句を吐き出すつもりもなかったし、どこか調子の悪いアタシを気遣ってくれた事務所の素晴らしい配慮だったとも思う。
もういちど繰り返すけど、アタシはそれまで十分に努力をしていた。それだけは認めてほしいの。
それじゃあどうしてステージをこなす度に来てくれる人の数が少しずつ減っていったのかというと、これはもうアタシの中で一つの結論が出てる。
んー、つまりね。天才アイドルから、天才を引いて出来上がったただの女の子には、どうにもみんなキョーミなかったってことなの。
ファンのみんなは、人とは違う天才的なアタシをステージで見たかった。ギフテッドのアタシに焦がれていた。アタシの一挙一動を見逃すまいと目をこらした。だからアタシがただふつーに頑張るステージなんてなんの魅力も感じなかったのかなって、そう思うの。だってさ、そんなのアタシじゃなくっても出来るんだから。ほかのみんなだってアタシと同じように頑張ってるんだから。
簡単な話だけど、だからこそアタシにどうすることも出来なくて。皮肉なことに、そのときようやくアタシは自分の手のひらから“才能”がこぼれ落ちたことを理解したんだよね。
にゃはは。ここまで話してみて、アタシが崖の淵で足を踏み外して、そのまま勢いよく下まで転がり落ちたということはなんとなく分かってくれたよね。
でもさ、アタシが本当に言いたいことっていうのは、一ノ瀬志希のファンが減ったことでも、アイドルとしての価値がいくぶん下がったことでも、来てほしくもない明日を考えてぐっすりと眠れなくなったことでもないんだよね。
ここでアタシがしたいのは単なる不幸自慢なんかじゃなくて、もっともっと大切なことなの。
さてさて、話の続きをしよっか。
このころのアタシってね、何をやってもうまくいかないんだって心の中で決めつけてたんだよね。だから、努力なんて無駄だとか、才能がないとアタシは何にも出来ないんだとか、生まれ変わる前のアタシを知っている人がそれを聞いたらビックリしちゃうような、くら~い性格になってたの。
ほらアタシってギフテッドだったからさ。努力の方法も、挫折からの立ち直り方も知らなかったわけ。
まわりの皆が経験してきたことが一切分からないんだから、そりゃもー、お手上げ状態で。海外で培ったはずのフランクさはどこへやら~って思えるくらい、アタシには自分を取り巻くすべてが敵に見えてた。アタシの現状を心配してくれる子もいたけど、それを受け止める心の隙間ってものもやっぱりなかったんだよね。
神さまから愛されてきたアタシの人生は、なにもかもが悪い方向へ傾いていた。まるで今までの与えられた幸福を丸ごと奪い取られたかのように。
でもね、たったひとつだけ、アタシにとってすごーく大きな変化があったの。
ちょっとだけ時間は巻き戻ることになるけど、アタシの担当プロデューサーについての話をしよっか。
アタシがギフテッドとして、その類まれなる才能を見出されて、アイドル業界に足を踏み入れた時についてくれたのが今の担当プロデューサーだった。
彼とはそりゃまあながーい付き合いをしてきたんだけど、それでもアタシと彼との間には大きな溝があったんだよね。溝って言っても、単にアタシが一方的に穴を掘っていただけなのかもしれないけどさ。
アタシと彼はあくまでビジネスパートナーで。アタシは彼がどんな人なのか知らなかったし、普段何をしているのかなんて科学誌一冊分の興味すら湧かなかった。それでも仕事では二人とも笑顔を振りまいていたし、人から見ればアタシたちはそれこそ十年来の仲も同然だった。
つまり何が言いたいかというと、表面上ではアタシたちは深く理解しあったような素振りを見せてただけってこと。
そんなことを一度たりともアタシたちは口に出そうと思わなかったけど、たぶんお互いになんとなくそれに気づいてて。だからアタシはプロデューサーのことがあんまり得意ではなかったし、それこそ彼もアタシと同じことを考えていたんじゃないかな~とも思う。
だけどね、生まれ変わってからのアタシたちっていうのは、今までの関係とは大きくかけ離れていたの。
――最初のきっかけは、きっとモーニングコールだろうね。
さっきも少し話したとは思うけど、このときのアタシは夜ってものがホントに苦手で、一人きりで眠ることすらままならなかったの。なによりもイヤだったのは“あの事件”の光景がまざまざと瞼の裏に映ることだった。
布団のなかで、アタシは膝を抱えて、胎児みたいに丸まって。そしたらあのときの景色が思い浮かんでさ。大勢の前で歌えなくなったアタシが、ステージの上で「ごめんなさい」って何度も何度も子供みたいに謝るの。そしたら浴びせられる罵声のひとつひとつが鮮明に聞こえてきて。「お前にはアイドルの資格なんてない」「俺達を失望させないでくれ」「それで努力したつもりなのか?」なんて次々と棘が飛んでくる、そんな悪夢がアタシを苦しめて、いつしかアタシはうまく眠ることが出来なくなっていた。
そんなことだから、アタシは移動中の車内でうとうとと頭を揺らすようになって。ついには朝イチバンの仕事に遅れてくることも増えた。
ここで注意しておきたいのは、アタシがもともと真面目な優等生じゃなかったということ。何度も言うようで悪いけど、アタシがギフテッドじゃなくなったことは他の誰も知らなかった。
「一ノ瀬志希はてきとーに仕事をやっている」なんて噂が流れていることも知ってはいたけど、それはそれとして。
とにかくアタシ自身の“変化”は、まわりの人たちにはすこぶる分かりづらかったわけ。
プロデューサーから「朝にモーニングコールする」という申し出があったのは、三度目の遅刻を迎えた日のことだった。
それは渋々だったかもしれないし、はたまた単に愛想つかされたからかもしれないけど、何も言わないでアタシはうなずいた。きっと、「イヤだ」と言っても彼は電話をかけてくるってなんとなく分かっていたから。
彼がアタシの変化に気付いていたかどうかは、今になっても分からないけど。それでも、アタシ達の関係が変わり始めたのは、まさしくその一言からだったと思う。
次の日の早朝のこと。枕元に置いておいたスマホが鳴り響いて、寒さに体を震わせながらも、もぞもぞと布団から顔を出してアタシはそれを耳に当てた。
「おはよう。今日の寝起きはどうだ?」なんて向こう側からコーヒーを淹れる音が電話越しに届いて、茶化す元気もないアタシはあくびを一つかいて「あんまり」とだけ答えた。
仕事がある日の朝は、いつも二人でそんな会話をしていた。そんな取り留めもない会話を。
だけど、これまでのアタシたちは、プライベートで電話をかけるなんてことはしなかったし、それが二人にとっての当たり前だった。だからこそ、そんな当たり前が崩れたことにアタシは少なからずビックリしてたんだよね。
ときどき「おはよう」だけじゃなくて「朝食は何を食べるんだ?」なんてことをも話してさ。アタシがコーンフレークって答えたら、仕事前にフレッシュなサンドイッチを渡してきたっけ。
困ったことに、アタシは彼の気遣いみたいな、そういうのぜーんぶがイヤだったんだよね。
あまりにも周囲の変化が速すぎて、きっとものすごく疲れてたんだろうね。アタシには誰かからのやさしさが、ささくれみたいに思えて仕方なかった。
彼に声をかけてもらうたび、心配してもらうたび、じくじくと胸が痛んだ。
いつだってフラッシュバックするのは、胸倉をつかまれた彼と、怒号を飛ばすディレクターの姿。
あの日、「ごめんなさい」と頭を下げるアタシに、彼は「そんな日もあるさ」と笑った。
彼が何を思ってそう言ったのかなんて、アタシには分からない。だけど、日を追うごとに罪悪感が募っていったのだけは確かだった。
「アタシね、才能がなくなっちゃったみたい。だからさ、アタシのこと憐れむなんて、そんなのやめてよー」そんなふうに話せれば、こころのなかの濁りも取れたのかもしれない。彼のことを嫌いにならなかったかもしれない。表面上の付き合いすらも放棄しなかったかもしれない。
人生のなにもかもが悪くなっていく中で、たったひとつだけ、サイアクに到達しちゃったわけ。
アタシ達の関係は大きく変わった――そう、それも、一番わるい方にね。
えーっと、とりあえず、ここまでのことをまとめると。
一ノ瀬志希はある日を境にふつうの女の子になって、そしたらシンデレラガールになりそこなって、たくさんのファンから見放されて、まわりからの信頼を失って、プロデューサーとの関係にもヒビが入った、ということになるのかなあ。
うわー、字面だけ見ると、もうめちゃくちゃだねー。
たったひとつの要因だけでここまでガラッと変わってしまうんだなーって、おもわず笑いそうになったけど、でもさ、きっかけなんて案外そんなものなんだよね。
むしろ、これまでの人生がうまくいきすぎてたんだと思うようにもなった。自由気ままに過ごしても、だれもアタシを怒らない。あたたかく見守ってくれる。でもさ、それっていうのは、まわりがアタシのことを認めてくれていたから成り立っていたに過ぎなかったんだね。
時間が経つにつれて、どんどんとアタシはアタシでなくなっていく。今まで出来ていたことができなくなっていく。思い描いたイメージと乖離していく。その感覚は、もはや恐怖でしかなかった。
自分がどうおもわれているのか、レッスンでトレーナーから「一ノ瀬」と名前を呼ばれるたびに、両手で顔を覆いたくなった。
だって、誰かの前で失敗することがこんなにも恥ずかしいことだなんて、アタシには知る由もなかったのだから。
休日は家で毛布にくるまって、ぼーっと過ごすことが増えた。なにをするでもなく、仕事のときの自分を振り返って、「なんで、あのときこういう風に出来なかったんだろう」と頭のなかで繰り返した。
ひとりの時間っていうのは、窮屈ではあったけど、物事をゆっくりと考えられるイイ機会でもあったんだよね。
部屋のなかで決まって考えたのは「どうしてアタシは、ギフテッドじゃなくなったのか」っていうことだった。
今、この状況は、夢でもなんでもない、たしかな現実で。原因不明の才能消失事件は、いまだに解き明かされてはいなかった。
神さまの気まぐれで与えられたものを、どうして今になって奪い取られてしまったのか。アタシの身に、いったいなにが起きたのか。才能は、どこに消えていったのか。
その答えを導くためには、どうにも頭が足りなかった。ほら、アタシがギフテッドだったら良かったのにねー。なーんて。
とにもかくにも、アタシは、生まれ変わる前のじぶんに執着していた。それも、憎しみだとか、怒りだとか、そんな負の感情を引っさげてさ。
藁にも縋る思いだったんだろうね。だって、そのときのアタシって、なにかの拍子にぷつんと切れてしまいそうなくらいギリギリの精神状態だったんだから。
それでもアイドルという仕事を続けていたのは、きっと「もういちど、あの輝かしい日々を取り戻す」っていう気持ちを捨て切れなかったからで。
そしてそれこそが、世界のすべてに絶望していたアタシの、「生きたい」と願う、せめてもの原動力でもあったの。
そうだねー。今思うと、「アイドルを辞めてしまう」って選択肢が図らずとも潰えたのは、ぐうぜんにしては良かったのかなあ。
だって、そうじゃないと、アタシに取り付いた「死にたい」って言葉が主張をはじめてしまうはずだったから。もう既にイヤになっていたアイドルが、滑稽なことに、この命を守ってくれていたんだね。嫌なことを、嫌なことで上塗りして、アタシは心をなんとか保っていたの。
あくまで、アタシには生きる目的があった。さっきも言ったとおり、“元の一ノ瀬志希に戻るんだ”っていう、とっても重要な目的がね。
さーて、“答え探し”のため、アタシが手始めにしたのは、なんだと思う? ほらほら、考えてみてー。
……まあ、大かたの人なら察しはつくだろうけど、アタシは結局、何も出来なかったんだよねー。だって、大した手がかりなんてものも一つもなくって、何から手を付ければいいのやらってカンジでさ。しょーじきな話、八方塞がりで、どうしようもなかったんだから。
病院に行けば治してもらえるのかなって思ったりもしたけど、そもそも「才能を失ったんです」なんて話を信じてもらえる術を、アタシは思い付きもしなかった。それこそ、会社と同じように体調が悪いだけってことにされるはずだと思い込んでいたんだよね。
* * *
思い返してみれば、この才能消失事件にはおかしな点がたくさんあった。
そもそも、「才能を失った」なんて抽象的な話が、ほんとーにあるのかどうかも怪しいところでさ。
元々出来ていたことが、ある日を境に、出来なくなったのは、どうして?
変わってしまった理由や、変わってしまったときの出来事を、うまく思い出せないのは、どうして?
物事には、きちんと理由が付きまとう。
勝手に変わったりもしないし、勝手にいなくなったりもしない。
――そう。まるで、フラスコの中で起きる、化学反応のようにね。
* * *
魔女宅でキキが飛べなくなった展開を思い出すな これから理由が書かれそうで楽しみ
答え探しをしている間、アタシにとって、大きな問題が立ちはだかった。
うん、まあ。それっていうのが、ずばり、プロデューサーとの関係だったんだよねー。
アタシがアイドルを続けるという選択をしたってことは、それはつまり、彼と毎日でも顔をあわせなくちゃいけないってことを意味していたわけで。それはアタシにとって、どんなものにも代えられない苦痛だった。
彼からのモーニングコールが鳴り響いても、じぶんで起きれた日は電話に出ない日もあった。だけど、決まって彼は会って真っ先に「今日はちゃんと寝れたか?」と言ってくれた。
彼はいつだってアタシを怒らなくて。そんな彼の気遣いがやっぱりアタシは嫌だった。
ある日、仕事が終わり帰り支度を済ませたアタシは、さっさと事務所を去ろうとしていた。夕暮に染まった窓の外を眺めるアタシはとても疲れていたし、「早く家に帰りたいなー」なんてことも思っていた。
だけど、扉に手をかけたアタシに向かって「あのさ」と彼が何かを言いかけたものだから、そのまま振り返って「んー、どうしたのー?」と甘ったるい声を漏らすことになったんだよね。
彼は何か言いたそうにしたけれど、すぐに「いや、すまない。大丈夫だ……」と手を横に振った。
……生まれ変わってから、彼について分かったことがある。
ときどき、この男はこういう素振りを見せる。こういうとても分かりにくい素振りを、だ。
そして、そういうときは決まって、彼は何かどうしてもアタシに言いたいことがあるのだ。
それなのに、アタシを気遣ってそれを言わないようにしている。
ギフテッドの頃ならば「そうなんだー、それじゃアタシ帰るねー」なんて適当に流していたかもしれない。
だけど、今はちがう。何もかもが違っている。
だからこそ、その素振りは、いつだってアタシの虫の居所を悪くさせたのだろう。
「なになにー、このシキちゃんに何か言いたいことでもあるのー?」
あくまで平静を装って、アタシはアタシであることを務めた。この気持ちを気づかれないように、悟られないように。大丈夫、なんて心の中で自分に言い聞かせて。
彼はそんなアタシを一度だけ眺めると、聞こえないように溜息を吐いた。
それでね。扉の前に立っていたアタシに向けて、しばらく黙りこくった彼が、
「大きな仕事が入るかもしれないんだ――とある映画の、主演女優の話だ」
なんてことを突然言うもんだからさ。
だから、ドアノブを握ったアタシの手のひらから力が抜けてしまったのも、別におかしくはないのかもしれないね。
「え……?」と思わず声を漏らしたアタシに、プロデューサーはこう続けた。
「海外の監督で、わりと有名な人だ。どうにも監督曰く、世界中から選りすぐりの人材を集めた映画を撮りたいらしくてな。国籍を問わず、その手の業界の人間の紹介を通じてオーディションをしているみたいなんだ」
彼の丁寧な説明に、アタシはほんの少しだけ、胸を躍らせた。
なにせ、その監督の名前は彼の言うように、たしかに有名な人だったのだから。
そんな人の撮る映画の、主演女優? 今、こんなにも落ち目のアタシに、そんな良い話が舞い降りてくるなんて、とその瞬間は考えていた。
「それで、その映画出演のオファーが海を飛び越えてこのプロダクション宛てに飛んできたわけだ。他の誰でもない、一ノ瀬志希に向けてな」
だけど、火のないところに煙は立たないのと同じでさ。やっぱり、良い話には、大抵ウラがついてまわるんだよね。
「俺もさ、思わず聞いたんだよ。どうして、数ある俳優や女優を差し置いて、うちのアイドルをオーディションに指名したのかって」
「理由は、すごく、単純な話だったんだ」
彼のこれから言うことがアタシには分かった。だって、それは、世界で一番アタシが渇望していたもので、そして、すでに失ったものだったのだから。
……やめて。それ以上は、言わないで。アタシの中の何かが、そう訴えていた。
けれど、無情にも彼が口にした言葉は、アタシの予想した通りのものだった。
「それは――お前が、ギフテッドだからだったんだよ」
ぐらぐらと歪んでいく視界の端に、彼の顔が微かに見えた。
「ギフ、テッド……」
息苦しくなった体が、酸素を求めていた。思考が追い付いていない。気を抜けば、このまま足元から崩れ落ちそうだ。
それから、ほんの数秒の間が生まれた。なにも言わず顔を俯かせたアタシに「でもな」と前置きをして、彼は椅子に背中を預けた。
「俺はこの話、断ろうと思っているんだ」
アタシは目を見開いて、湯気の立たないコーヒーを一口だけすする彼を見た。そんな彼に「どうして」とは言えなかった。
その代わりに、彼はそんなアタシの目をまっすぐに見つめ返して、「……ここずっと、調子が悪いんじゃないのか」と続けた。
そっか。そうだったんだ。
彼は、きっと、アタシのことを分かったつもりだったんだ。
また余計な気をまわして、アタシのことを理解した気でいたんだ。
だから、彼は何かを諦めたような表情でそんなことを言ったんだ。
アタシが、いちばん言ってほしくないことを。彼は平気で言ったんだ。
困った志希にゃんだな
この調子じゃまた大事なものを無くしそう
大事なものはいつも、無くしてから気づく
この調子じゃまた大事なものを無くしそう
大事なものはいつも、無くしてから気づく
ギフテッドではなくなったけど、思考や価値観は当時のままみたいだね
「……やめてよ」
「え?」と眉を寄せる彼は不思議そうにアタシを見ていた。
いっそ、なにか、言ってやろうかと思った。ココで、この場所で、この男になにかを叫んでやろうかと思った。
だけど、どうしてだろうね。アタシは、はち切れそうになった心を無理やり押さえつけてさ。「ううん、なんでもない」なんて首を横に振って、それから、とびっきりの笑顔を見せてやったんだ。
「アタシね。受けるよ、その仕事」
そう言って、事務所の扉を開いた。去り際に、彼はなにかを言おうとしたけど、アタシはそのまま扉を閉じた。
幸いにも、外にはアタシ以外誰もいなかった。
いまは、ひとりで居たかった。彼の声も聞きたくなかった。
胸の鼓動が、やけに大きく伝わってきた。とても息苦しかった。まるで深い海の底に沈んでしまったかのようだった。
扉の外で、アタシは両手で顔を抑えて蹲った。
すべてを吐き出してしまいたいと思った。この抱え込んだ何もかもを、ぜんぶ、誰かに叫んでしまいたいと思った。
ムキになって、出来もしないことを引き受けた。あんな大きな仕事、いまのアタシに出来るはずもない。
きっと、アタシは、また失敗するんだろう。みんなの前で恥をかいて、家に帰って、ひとりで泣くんだろう。
……嫌いだった。彼の心配そうな声が、とても嫌いだった。だから、あんなことを言ったんだ。
アタシはあのとき、彼の胸倉をつかんで「やめてよ! アタシに同情なんてしないでよ!」なんて叫べばよかったのかな。そしたら、彼はまたアタシを慰めてくれたのかな。後で「なにかあったのか?」って聞いてくれたのかな。
涙が勝手に溢れ出してきて、服の袖でそれを拭った。生まれ変わってから、何度流したことだろう。悔しくなって、苦しくなって、それがどれくらい涙に変わっただろう。
嫌いだった。彼のことが、だいきらいだった。
だけど、いちばん嫌いなのは――そんなアタシ自身だった。
ちゃんと、じぶんの気持ちを伝えることが出来ない、アタシ自身だった。
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